事件のはじまり
「一人でいるところを狙われたか……」
そう呟いたのは、騒ぎを聞いて駆け付けたグスタフ王だ。どうやら事件が起きた時、護衛は厠から帰るところだったらしい。
「困ったものだ。一体誰がこんなことを……」
彼が視線を上げる。
既に集まっていたディアナの父や叔父は、緊張した面持ちになった。
ガレドニアの城で、オルグラントの騎士が殺されたのだ。
これでは同盟が揺らぐどころか、立ち消えになってもおかしくない。
最悪の場合、もっと酷い事態へ発展する可能性もある。
「うわぁ、こいつは酷い」
野次馬の中で、誰かがそう漏らした。
ディアナは顔をあげる。
人々の輪の中に、金髪のいとこの姿が見えた。
「腹をざっくりと……容赦ねぇ」
ハリスは眉をしかめながらも、どこか面白そうに死体を見ている。その頭に叔父のげんこつが落ちた。
一連の流れを眺めながら、ディアナは事の重大さをまじまじと感じていた。
この大陸に生きていれば、こうした殺人を目撃する機会はある。
だから死体を見たのは初めてではなかったけれど、やはり真っ赤な血はいつ見ても慣れない。
ちらりと後ろを振り返れば、ラルフはハリスと似ていて異なる、どこか面白そうな顔をしていた。
父ジルギスが、グスタフ王に向かって、真摯に口を開いた。
「この城でこのような事件を起こしてしまい、誠に申し訳ない。すぐに犯人を探し、見つかり次第厳しい処分を下そう」
グスタフはつまらなそうに目を細め、一つため息をついた。
「そうだな、我が国の騎士を手に掛けたのだ。首を跳ねるぐらいはしてもらいたい」
その時、どこからか誰かの騒ぐ声が聞こえた。
子どもの声のようだ。大人の声も混じっている。
なんだなんだ、と一同が顔をあげると、回廊から見える外の景色に、二人の男と少年の姿が見えた。
二人の男は、黒い礼服を纏っている。オルグラントの護衛騎士だろう。彼らに挟まれるようにして、両腕を掴まれた男の子が引っ張られて来た。
「俺じゃない! なんなんだあんたらは!!」
巻き毛がかったこげ茶の髪。緑の瞳が、鋭くこちらを睨んでいる。
汚れた頬の少年は、無理矢理連行されながら、噛みつくように叫んだ。
「離せって言ってるだろ!! 俺は何もやってない!!」
回廊までやって来ると、護衛の一人がグスタフ王に告げた。
「外で怪しい少年を見つけました。この子が犯人ではないかと。逃げようとしましたが、魔力封じの枷で仕留めました」
「そうすると、人間ではないということになるな」
グスタフ王は静かに少年を見下ろした。
「まあお前が誰でもいい――重要なのは、犯人かどうかということだ」
少年は目の前の惨状を見て、不愉快そうに眉をしかめた。
「知らないよ。俺じゃない」
護衛の一人が、掴んだままの少年の腕を締め上げた。
「嘘をつけ! お前はこいつが殺された時、この近くにいただろう!」
「知らないったら! 森から騎士の行列が見えたんだ。だからちょっと見に来ただけで……、う……あぐっ!」
――――彼じゃない。
傍から見ていたディアナは、そう感じた。
――――彼はやってない。
死体の傷口は大きな刃物で裂かれている。少年が使えるとしても、せいぜいナイフぐらいだ。この傷を彼が負わせたというのは無理がある。
けれどそれを、どうやって証明すればいいのだろう。
少年はなおも腕を締め上げられ、怒鳴るようにして騒いでいる。
その声が聞こえているのかいないのか、グスタフ王が、静かな瞳でジルギスを見た。
「ジルギス王、どう思う?」
「彼はただの通りすがりでしょう。――第一、まだ子どもだ。殺せるはずもない」
「殺人とは、相手の隙をつくものだ。こうではないと思わせて、油断をさせて成功させる」
「……あなたは彼が、犯人だと言いたいのですか」
「そう考えるより、他にないだろう」
だんだんと、辺りの温度が下がっていくようだ。
ジルギスもきっと、この子どもが犯人ではないと分かっている。けれど、これ以上庇いだてをすることは困難なようだった。
下手をすれば、こちらが仕組んだ国家ぐるみの殺人だと誤解されてしまう。
それだけはなんとしても避ければならないと、ジルギスは考えているようだった。
考え込むジルギスを見据え、グスタフは淡々と告げる。
「さて、異論がなければこの子の身柄は確保させて頂こう。この城の牢を借りることになるが。無論、その後の処分もきちんと下してもらいたい。これは我々二国のけじめだ」
「…………」
ジルギスは目を細めた。その頭の中で、いくつもの考えが怒涛のごとく流れているようだった。
少しの沈黙の後、ジルギスはようやく、重々しい声音で告げた。
「……分かりました。国を担うものとして、しかるべき対処を検討します」
その言葉に、ディアナはハッとして父を見た。
視線の先で、父は王の目をしていた。
国のため業を背負う覚悟をした、強い瞳。
けれどその奥に、わずかな感情がちらついていた。
よく見ていないと気づくことの出来ない、ジルギスという人間の持つやさしさだった。
少年が犯人でないことは分かり切っている。
けれどこのまま犯人を探し続けたところで、見つかるかも分からない。捜査を続けるうち、二つの国の関係が悪化する可能性の方が大きい。
争いを避け、一刻も早く事態を収束するためには、この子どもを犠牲にするより他にない。
それでもジルギスはまだ、少年を救う方法を考えあぐねているのだった。
「父上」
ディアナは首を振った。
「父上、お願い」
父の心の奥にある、一抹のやさしさに訴えかけた。
少しでも触れることが出来れば、事態が変わるかもしれないと思ったのだ。
「あの子はやってない。父上」
自分だって分かっていた。父が苦渋の選択を強いられた上、結論を出したのだと。
それでも無実の子どもに罰を被せるなんて、間違っている。
相手の王が、例えどんなに冷たい人間だったとしても、話し合いをすれば分かってもらえるかもしれない。
ジルギスがこちらを振り返った。静かな目だった。
「ディアナ、分かってくれ」
覚悟を決めた声音に、ディアナは瞳を揺らした。
「私は王だ。この国を守らねばならない」
動けないでいるディアナを見下ろすと、ジルギスは表情を引き締め、グスタフに向き直った。
「グスタフ王、記念すべき日にこれ以上の流血は避けたい。それに彼はまだ子どもだ。命だけは見逃してもらえないだろうか」
「難しい話だが、考えておこう」
グスタフ王はそう返し、護衛たちに視線を向けた。
「武器の類はあったか?」
「いいえ」
「なら探せ。首謀者が他にいるかもしれん。――ジルギス王、あなたも探し物を手伝ってもらえるか?」
「ええもちろん。騎士団に伝え、事の解決を急ぎましょう」
視線を交わす王たちの向こうで、捕らえられた少年が叫んだ。
「何が王だ! 勝手に理由をつけて、勝手に犯人を決めつけて! 偉いからってなんでも許されると思ってるのか!」
ジルギスは何も言わなかった。
「あんた達だって、罪のない人間を殺そうとしてるじゃないか! こいつを殺した犯人とどう違うって言うんだ!!」
その言葉は、ディアナの耳に噛みつくように降り注いだ。
食い入るように少年を見つめれば、少年は視線に気づいたらしく、まっすぐにこちらを見つめて来る。
深緑の瞳を細め、馬鹿にするように口の端を上げた。
「はっ、言いたいことがあるなら言えよ。綺麗な服を見て、俺たちを見下して。――だから城の連中は嫌いなんだ」
護衛が強い力で彼を引きずり、牢屋へと連れて行こうとする。
ぺっと唾を吐き、少年は嗤った。
「汚い貴族どもめ。あんたらは皆同じ、人殺しの集団だ」
ずるずると少年は引きずられていく。
このままでは牢屋に放り込まれ、最悪の場合、首を落とされてしまうだろう。
「ま、待って……!」
一歩踏み出せば、辺りに緊迫した空気が走った。時が止まったように、誰もが口を噤む。
グスタフ王が、あの感情の読めない瞳でこちらを見た。その口が、ゆっくり開かれる。
「なにかな、姫君」