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身代わりの婚約破棄から始まる愛

作者: 青井青
掲載日:2021/08/03

「ヘレン、君との婚約を破棄する!」


 伯爵邸の大広間に青年の声が響いた。歓談にいそしんでいた男女が話を止め、こちらに視線を向ける。


 私は落ち着いた表情で金髪の青年――伯爵家の嫡男アレックスを見返した。


「……理由をお聞かせいただけますか?」


 アレックスの隣には幼い顔つきの少女、男爵家の令嬢エミリーがおびえたように寄り添っている。歳は私と同じ17歳、男性の保護欲をそそるあどけない容姿だ。


「理由だと? 君がエミリーにどんな仕打ちをしたか忘れたとは言わせないぞ! マナーも知らない不調法者だと言ったそうではないか」


「私という婚約者がいるにもかかわらず、エミリー様がアレックス様とだけダンスを踊り続け、晩餐会が終わった後も殿方が政治やスポーツの話題をされる場に割って入られたからです」


 兄のように慕うアレックスを他の女に奪われるのが悔しかったのか、エミリーはことあるごとに彼にまとわりついた。


 伯爵家の嫡男の幼なじみなので、周囲は誰も彼女を注意をできず、エミリーの傍若無人な行動は増えていった。見かねた私が注意したところ、アレックスの耳に届いたらしい。


「エミリーは僕にとって〝妹〟のような存在なんだ」


「たとえ妹であっても、わきまえるべきことはあるはずです」


「僕が問題ないと言ってるんだぞ」


「アレックス様お一人の問題ではございません。貴族社会のルールのお話をしております」


「むっ……なんだ、その生意気な言い方は。失礼なのはおまえだ!」


 金髪の青年は肩を震わせ、私を睨み付けた。


「……アレックス様がそうおっしゃられるのであれば、私の出る幕はございません。婚約破棄の件、了承いたしました。私はこの屋敷より立ち去らせていただきます」


 私は両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、腰を落として一礼すると、周囲の冷たい視線を浴びながら大広間を去っていった。


 小走りに回廊を進んでいると、パチパチと手を叩く音が聞こえ、私は足を止めた。


 柱の物陰から若い青年が姿を現す。


 すらっとした長身、肩まで届く白銀の長髪、額から抜けるような高貴な鼻梁、切れ長の眼差し、上着の襟のボタンホールにささる一輪の赤い薔薇……絵に描いたような貴公子ではあるが、深い湖のような緑の瞳には揶揄するような色がある。


「拝見させていただきました。見事な悪役っぷりでしたね、ヘレン嬢――」


 ウィリアム公爵家の長男ハワードだった。婚約破棄を高みの見物していたのだろう。


 大広間の方向に目を向け、ため息をつく。


「まったく、アレックスにも困ったものだ。あんな公の場で家同士が決めた婚約を破棄するとは……あとで伯爵から大目玉を喰らうだろうね」


 ハワードとアレックスは子供の頃からの幼なじみだった。ともにエミリーを妹のようにかわいがっている。口ではそう言いながらも、この男も二人の味方だろう。


「しかし、解せませんね」


 コツコツという足音がして、私の背後にハワードが立った。


「エミリーを叱っただけじゃない。あなたは方々に正論をぶつけ、衝突を繰り返していた。まるでアレックスに嫌われたがっているかのように……」


「私はあくまで常識的なマナーを申し上げたに過ぎません」


 耳の奥でドキドキと鼓動の音が鳴る。その通りだった。アレックスが私を嫌うよう、あえて〝面倒くさい女〟を演じたのだ。


(なぜなら、この婚約を絶対に破棄してもらわなくてはならなかったから……)


 実を言えば、私はヘレンではなく妹のシンシアだった。今回の伯爵家との婚約は親同士の話し合いで決まったが、わがままな姉はもっと金持ちでイケメンの貴族がいいと駄々をこね、アレックスの元に嫁がないと言い出したのだ。


 あわてたのは周囲の人間だった。必死にヘレンを説得しようとしたが、頑として首を縦に振らない。あげくに――


「シンシアをお嫁にいかせればいいのよ。女優の娘なんて、他にもらい手がいないんだから、いい縁談じゃない」


 私は愛人の子供だった。演劇好きのお父様が町の劇場に通い、女優である母を見初め、私が生まれた。産褥熱がもとで母は亡くなり、私は父に引き取られ、子爵家の娘として育てられた。


 結局、父と母はヘレンを嫁がせることをあきらめた。とはいえ正直に事情を話せば家名に傷がつく。そこで私が姉の代役――身代わりの婚約者に仕立て上げられた。


(引き受けるしかなかった……私は愛人の娘……こういうときのために養われてきたスペア(予備)なのだから……)


 もともと釣り書きと肖像画だけで婚約を決めたので、アレックスはまだ実物のヘレンの顔を見たことがなかった。


 肖像画というのはたいてい実際より美人に描かれる。女優だった母の面影を継いだ私は姉のヘレンより美人だった。おかげでこの〝入れ替わり〟が成立したのだが――


(偽物の令嬢が本当に結婚などできるわけがない……嘘がバレる前にこの婚約を破談にさせなくてはならなかった……ただし、アレックスが自分から言い出す形で……)


 そこで私はあえて〝頭の堅い令嬢〟として振る舞い、周囲から煙たがられた。計画通り、婚約は破棄された。ここまでは目論見通り――のはずだった。


(ハワードは怪しんでいる……)


 私は目の前の美青年をじっと見つめた。


 ウィリアム公爵家の嫡男ハワードと言えば、容姿端麗に加えてキレ者という噂だった。当主である父に代わって領地経営を実質的に担い、農産物や畜産物の輸出、鉱山経営などで多大な利益を公爵家にもたらし、王からの覚えもめでたいという。


「しかし、よろしいのですか? あんな形で破談になってしまって……言葉は悪いですが、今後あなたは社交界で〝傷モノ〟として扱われるかもしれませんよ」


「……はい、覚悟はしております」


 世間がこの婚約破棄騒動を忘れるまで家に引きこもることになる。嫁ぎ先もなく、独身のまま老いていき、いずれは若い姪っ子たちのお目付役になる人生が待っているだろう。


「実は私は子供の頃、ヘレン様にお会いしたことがあるのです」


「え?……」


 青年の言葉に私は驚いた。ハワードが姉と面識があった?


「たしか10歳くらいのときだったでしょうか……親に連れられてそちらのお屋敷へ遊びに行ったとき、庭でヘレン様にお会いしました」


「そう……だったんですか」


 内心の動揺を悟られないよう、私は感情を押し殺した。もちろん昔の話だ。お互い子供だったし、成長して容姿も変わっている。入れ替わりがバレたりはしないはずだ。


「……ところで、あなたは本当にヘレン様ですか? どうもあの頃とは面影がお変わりになられたような……」


「も、もちろんです」


「では、お庭で私と会ったとき、どんなやり取りがあったか、覚えてらっしゃいますよね?」


 私は青年の視線から逃れるように顔をうつむかせ、震えを必死で抑えた。


(まずいわ……どうしよう……)


 ドレスの背中に冷たい汗がにじむ。私は姉のヘレンではない。子供の頃、二人の間であったことを覚えているはずがない。


「どうなんです? 忘れてしまわれたのですか?」


「い、いえ……」


「思い出せるようヒントを差し上げましょう。あなたは私の母のために、庭に咲いていた薔薇を取ろうとしてくれたのです。ですが、誤って棘で指を傷つけてしまい、そこに私が通りがかり、手当てをして差し上げたのです」


 その光景は不意に私の脳裏によみがえった。銀髪の少年が血が出ている指にハンカチを巻き、屋敷まで連れ帰ってくれた。


(え? でも彼が助けてあげたのは姉のヘレンじゃないの?……なんで私がそれを覚えているの?……)


 そこまで思い至ったとき、私ははっとした。そうか。これは私の記憶だ。私自身に起こった体験なのだ。


 青年の顔から冷たい表情が消え、慈愛と優しさに満ちた微笑みを浮かべた。


「思い出してくださいましたか? あなたはヘレンではない。妹のシンシアですね」


「気づいておられたのですか?」


「初めてここに現れたとき、すぐ気づきました。そのかわいらしいおでこ、あの頃から全然変わってらっしゃらない。面影がない、などと言ってしまい失礼しました」


 頬を赤く染めた私の胸に温かい気持ちが膨らんだ。誰もが私を姉のヘレンだと思い込んでいたのに、この青年だけは私がシンシアだとわかってくれていたのだ。


「……申し訳ありません。あなたがあえて周囲と衝突を起こそうとしているのには気づいていました。何か事情がおありなのだろうと思い、見守っておりました」


 私の目に涙がにじんだ。身代わりを引き受けて以来、世界中を敵に回したような孤独を感じていたが、こんなところに味方がいてくれたのだ。


 ハワードが改めて優しく訊ねた。


「庭で私にお会いしたことを覚えてらっしゃいますか?」


「はい、思い出しました。ただ、あのお方がハワード様だったとは……」


 無理もない。当時の私は7、8歳だったはずだ。相手の身分や名前などわからない。言われるまですっかり忘れていた。


「さて、あなたの婚約は破棄されたわけです。そこでこれは提案なのですが……よろしければ、私と改めて婚約をしていただけないでしょうか?」


 私は驚きで目を丸くした。


「ハワード様と私が?」


 ウィリアム公爵家は広大な領地を持つ名門貴族だ。ひとつの街とも称される巨大な邸宅を所有し、嫡男のハワードは将来、領地も爵位もすべて継承する。一介の子爵令嬢(しかも庶子)である自分にはあまりに釣り合わない。


「あのお庭でお会いしたときから、可愛らしいシンシア嬢はずっと私の心の中にいました。あなたが大人になり、社交界にデビューされる日を心待ちにしていたのです」


 おだやかにハワードは笑んだ。その顔は、薔薇の棘で怪我をして泣き出した私を慰めてくれた少年が見せたものと同じだった。


「……よろしいのですか? 私は傷モノの令嬢です」


「傷? シンシア、君についた傷はひとつだけだ。私の母のために、自分の背より高い場所に咲いた薔薇を取ろうと必死に手を伸ばし、指先につけた傷です」


 その場にハワードは膝をつき、上着の襟のボタンホールに挿さっていた一輪の赤い薔薇を抜き、私に向かってうやうやしく差し出した。


「改めてお願いいたします、シンシア。どうか私と結婚してください」


 薔薇の向こうに見える美青年の顔が10歳の少年の顔に戻り、私は微笑んだ。答えはもちろん決まっていた。


(完)


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― 新着の感想 ―
[一言] 間違いなく姉が「私がハワード様と結婚する」って言い出す
[気になる点] 婚約破棄されて、傷物になったのはヘレンじゃないのかな。 だってヘレンの身代わりで婚約破棄されたんだから。 低位貴族が、元婚約者以上の結婚を望んでも難しいだろうし、さらにヘレンは婚約破棄…
[一言] 姉がしゃしゃり出てくる予感
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