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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
90/93

88 歓楽街の頭目たち 前編

少しずつ書き進めてようやく一話完成しました。およそ1か月かかりました。小間切れで書いていたので話のつながりがおかしいところが多いかもしれません。


誤字報告をしていただきました。本当にありがとうございました。

 新しくなった村での生活と農作業に追われた夏はあっという間に過ぎていき、今年も秋がやってきた。夏の終わりの短い雨の季節が終わってから麦以外の作物の収穫作業が始まるまでの間、ほんの少しゆとりができた私は久しぶりに歓楽街へとやって来ていた。


 夕闇が下りた後でもこの街はとても賑やかだ。両側にたくさんの娼館が並ぶ大通りは、仕事を終えた若い男性たちや仕事を求めてやってきたまじない師さんたち、それに彼らに声をかける華やかな姿の女性たちで溢れている。


 私は時々頼まれるまじないの依頼をこなしながら、ゆっくりと通りを歩いて行った。たくさんの人たちが色々な表情をして行き交う様子を見るのは本当に面白い。通りの端の方で楽師さんの奏でる賑やかな曲を聞いているうちに、私は心が浮き立っていくのを感じた。






 でもその時、楽しい気分で歩いていた私のすぐ側で、ガシャンという音と共に女性の悲鳴と男性の大きな怒鳴り声が突然響いた。楽師さんの演奏が止まり、道行く人たちは何事かと辺りを見回し始めた。


「こんな不味い酒に金なんか払えるかよ!」


「ちょっとお客さん、困ります。女の子たちが怯えてるじゃありませんか。」


 あっという間にできた人垣の間から中を覗くと、給仕服姿の男性の胸倉をつかんで大声で怒鳴っている大柄な男の人の姿が見えた。給仕服姿の男性は左目が腫れている。多分、この大柄な男の人に殴られたのだろう。


 テーブルやいすの散乱した薄暗い店内からは、怯えた表情の女性たちが二人の様子を窺っている。女性の一人の頬が赤くなっているのも、殴られたせいかもしれない。


 野次馬の人たちは何があったのかと見ているばかりで誰も手出しをしようとしない。私も二人の様子をじっと観察した。大柄な男の人は大きな声で給仕服の人をずっと怒鳴り続けている。彼はかなり酒に酔っているらしく首まで赤く染まり、目つきが大分据わっていた。


 今にもまた握りしめた拳を振るいそうな勢いだ。私はヒヤヒヤしながら大きな男の人を見ていた。でも彼に怒鳴られている給仕服の人はすごく冷静だった。






「とにかく飲み代とサービス料、合わせて10D払っていただかないと・・・。」


「水で薄めた酒なんか出しておいて10Dだと? ふざけるんじゃねえぞ!!」


 激高する男性に胸倉を掴まれながらも、給仕服の人はきっぱりと言い返した。


「そ、それは言いがかりですよ。うちの店はそんなもの出してません!」


「何だと、てめえ!!」


 大柄な男性が大きく腕を振りかぶる。給仕服の人がぎゅっと目を瞑ったのを見た私は、咄嗟に魔法使ってしまった。私が無詠唱で使った《昏倒》の呪文はたちまち効果を表し、大柄な男の人は腕を振り上げたまま仰向けに倒れて気を失った。






「おお、なんだ急に!?」


「おおかた飲み過ぎてたんだろう。酒を水で薄めてたってのもただの言いがかりだな、ありゃあ。」


 野次馬さんたちが男の人と一緒に倒れた給仕服の人を助け起こしていると、彼らをかき分けるようにしてフードと布で顔を隠した人たちがどこからともなく現れ、大柄な男の人をどこかに連れて行ってしまった。


 彼らには見覚えがある。確かオイラーくんの『兄弟』たちだ。彼らはイゾルデさんの娼館で育った男の子たちで、この街で揉め事があるとああやって現れては後始末をしているのだ。


 私は魔法を使ったことがバレないように、そそくさと逃げるようにその場を立ち去った。そして今日の目的地であるイゾルデさんの娼館へと向かうため、通りを行く人たちの間を足早にすり抜けた。






「はーい、ドーラ! 久しぶりね!!」


「どうしてたの? 長く顔を見せないから気になってたのよ?」


 この通りで一番立派な建物、イゾルデさんの娼館に着くと顔見知りの女性たちが早速私を見つけて声をかけてきてくれた。


「いやあ、最近お店を始めたんでちょっと忙しくなっちゃって・・・。」


「えっ!? あんた店を持ったの? すごいじゃない! おめでとう!!」


「えへへ、ありがとうございます!」


 褒めてくれる女性たちに照れながらお礼を言っていると、中の一人が私に尋ねてきた。


「ドーラちゃん、今日は妹は一緒じゃないんだね。あの子も元気にしてる?」


「ああ、エマならもう寝ちゃいました。なんか最近、すごく忙しいみたいで・・・。」


 私はそう言って曖昧に言葉を濁した。






 このところエマは新しい『甘味料』を作るための実験にかかりきりになっている。担当教師であるベルント先生と一緒に研究室に籠ってばかりなのだ。


 この夏の終わり、二人はついにスクローラ草を無毒化する精製実験に成功した。でもその精製法は複雑な工程と膨大な魔力を必要とするため、それを少なくするための術式を今開発中なのだ。


 エマが言うには、これが成功したら砂糖よりもずっと甘い『甘味料』を誰でも安い値段で手に入れられるようになるらしい。ただそのためには何度も何度も術式を書き換え工程を組み替えては、実験を繰り返す必要がある。


 今のエマの魔力量はもうすでにガブリエラさんよりもずっと多くなっている。けれど、そんなエマがほとんどすべての魔力を使い切ってしまうほど、実験は難航しているらしい。だからエマはこのところ、毎日くたくたになって帰って来ては、食事とお風呂が終わるとすぐに寝てしまうのだ。


 でもそんな生活がエマには楽しくて仕方がないみたい。試作品の『甘味料』を味見できるっていうご褒美があるのも嬉しいみたいだ。






 ただ私としては、一生懸命なエマを見ているのは嬉しいけれど、実はほんのちょっとだけ切ない気持ちだったりする。なんだかエマがどんどん遠くへ行ってしまうような気がするからだ。


 このところふと、小さかったハウル村に2人だけで過ごしていたあの頃に戻りたいなあと思うことが増えてきたのは、きっとそのせいなのだろう。


 もちろんそんなことは出来っこないし、エマにそう伝えたこともない。時の流れとともに人は変わっていく。だからこれはいつまで経っても変わることのできない私のわがままだ。


 頭ではそう、分かっているはずなのに・・・。


 私は半仮面の陰で熱くなった瞳をそっと閉じ、溢れてきた熱い塊を誰にも知られないようにぐっと飲み下した。






「ドーラが来てるの? ねえ、またおまじないお願いできる?」


 娼館に入ってすぐの玄関ホールで立ち話をしているうちに、私はいつの間にやら女性たちに取り囲まれてしまった。ホールのカウンターで受付をしていたオイラーくんに「姉ちゃんたち、邪魔」と怒られてしまったので、皆でいそいそと酒場のテーブルに移動する。


 女性たちにおまじないをかけては代金の銅貨を受け取りながら、私はついさっき通りで目にした光景のことを思い出して彼女たちに尋ねてみた。


「さっき別の店の前で店員さんに掴みかかってる人を見ましたよ。歓楽街ここって前からあんな感じでしたっけ?」


 歓楽街には専属の衛士さんたちの他に、各店の『自警団』の人たちがたくさんいる。だからあんな揉め事を見たのはこれが初めてだったのだ。私がそう言うと女性たちは皆一様に首を横に振った。


「ううん、最近になって急に増えてるのよ。実はちょっと困ったことになっててねー。」






 女性たちによると夏の終わりごろから、ああいう『厄介な客』が増えてきているのだそうだ。ただイゾルデさんの娼館だけは働いている女性たちも、提供されるお酒も一流の『超高級店』だから被害は少ないみたい。


 だけど店員さんが少ない小さな娼館や酒場では、ああやって難癖をつけては料金を踏み倒したり女性に乱暴を働いたりする被害が絶えず起こっているらしい。


「ほんと、迷惑な話よ。いろんなところから流れてきた連中が入り込んできちゃってさ。この間なんかあたしの友達の子も客から叩かれたんだって。それに今だってさ・・・。」


「おい、田舎者のまじない師!」


 夢中になって女性たちの噂話を聞いていたら、急に後ろから声をかけられた。


「あ、オイラーくん、どうしたの?」


「母さんに言われてきたんだよ。お前を呼んで来いってさ。」


「私を?」


 私がそう言うと、女性たちはさっと互いに視線を交わし合った。オイラーくんについていくため立ち上がった私の長衣を隣に座っていた女性がそっと掴んで自分に引き寄せる。


 彼女は私を抱きしめるように体を寄せると、耳元でそっと囁いた。


「気を付けてね、ドーラちゃん。」











「ドーラを連れてきました。」


「ご苦労だったね、オイラー。あんたもそこで聞いてておくれ。」


 オイラーくんと一緒にイゾルデさんの客間に入る。イゾルデさんは応接用のテーブルに、目つきの鋭い痩せぎすの男の人と向かい合わせで座っていた。彼は私をじろりと睨みつけると、呆れた調子でイゾルデさんに話しかけた。


「おいイゾルデ、まじない師なんか呼んで一体どういう・・・。」


 でも彼は私がイゾルデさんの隣の椅子に掛けようとテーブルに近づいた途端、その場からすぐに立ち上がりさっと身構えた。






「お前、ただのまじない師じゃねえな。何者だ?」


 まるで野生の獣のような鋭い動きだ。心の裡まで探るような目つきでじっと見つめられ、私は思わず言葉に詰まってしまった。するとそれを見たイゾルデさんが男の人を止めてくれた。


「ねえお前さん、さっき詮索は無しって言ったろう? この娼館うちの預かりもんでね。詳しくは言えないが、今回の件に深く噛んでる。」


 男の人はあからさまに私を警戒しながら、渋々とまた椅子に腰かけた。イゾルデさんは珍しいものを見るように男の人を横目で見ながら、彼を私に手で示した。


「ドーラ、この男は奴隷商人たちの元締めでね。ザラマンドっていうのさ。」


 そう言って彼女はザラマンドさんのことを説明してくれた。






 王都の歓楽街は東西に走る3本の大通りを中心として大きく3つの街に分かれている。一番南側の大通りに沿っているのがイゾルデさんのお店がある娼館街で、真ん中の大通りにあるのがこの間私とヴリトラが行った賭博街。


 そして一番北側、職人街と水路を隔てて向かい合っているのが奴隷商人さんたちがたくさん集まっている奴隷市場街なのだそうだ。


 元々その辺りは王都防衛隊の『刑場』があり、鉱山などに移送される前の犯罪奴隷たちがたくさん集められていた。それためいつの間にか奴隷を求めてやってくる人たちがそこに集まるようになり、やがて大きな奴隷市場を中心とする街が出来上がったらしい。


 ただ今から何十年も前に王都防衛隊の拠点と刑場はもっと北の方に移ってしまった。それでも奴隷市場街はそのまま今の場所に残ったのだそうだ。


 ちなみに『晒し刑』などを行う一部の刑場は移転されなかったので、今でも週末になると刑の執行を見物に来る人たちで奴隷市場街はとても賑わうらしいです。






 ザラマンドさんは彼女が話している間も私のことをじっと見つめていた。私は少し居心地の悪い思いをしながら、彼に尋ねてみた。


「じゃあ、ザラマンドさんはその奴隷商人さんたちのまとめ役ってことですね。それで今日はイゾルデさんとお話ししに来たってことですか?」


「・・・お、お話?」


 呆気にとられたように私に聞き返したザラマンドさんの顔を見てイゾルデさんは思わずプッと吹き出した。


「おい、イゾルデ!」


 彼は唸るようにイゾルデさんを怒鳴りつけた。彼女は目の端に溜まった涙を拭きながら彼に謝った。


「すまないね。でもあんたのそんな顔、初めて見たよ。もう長い付き合いだってのにさ。」


 するとザラマンドさんは不愉快そうに顔を顰めた後、挑発するように彼女に言った。


「お前がなしつけようって言うから、わざわざこんなところに来てやったんだ。何なら俺はもう帰ったっていいんだぜ。なあ、『蛭女帝ひるじょてい』さんよ。」






 蛭女帝と呼ばれた途端、イゾルデさんの表情がスッと冷たくなった。それを聞いたオイラーくんは、短刀ダガーを構えてザラマンドさんの前にさっと飛び出した。


「てめえ! 母さんへの口の利き方ってもんを俺が教えて・・・うげっ!!」


 ザラマンドさんは短刀を突きつけたオイラーくんをあっという間に押さえ込み、テーブルの上に組み伏せてしまった。ザラマンドさんは片手で暴れるオイラーくんを押さえ込んだまま、彼から取り上げた短刀を彼の鼻に下からすっと押し当てた。


 剃刀のように鋭い短刀の刃でオイラーくんの鼻の付け根の皮膚が薄く切れて、そこから僅かに血が滲む。途端に暴れていたオイラーくんの動きが止まった。






「お前こそ口の利き方に気を付けろ小僧。俺の異名を知らねえわけねえよな?」


 その言葉を聞いてオイラーくんの瞳が恐怖の色を帯びた。ザラマンドさんは短刀を持つ右手に僅かに力を込めた。


「この街で俺に刃を向けるってのがどういうことなのか。今ここでお前の顔に刻み込んでやってもいいんだぜ。」


 オイラーくんがぐっと目を瞑る。彼の鼻の付け根にジワリと血の玉が浮かんだのを見て私が《昏倒》の魔法を使おうとした時、イゾルデさんが立ちあがって鋭い声を上げた。


「止めな『鼻削ぎ』!」


 ザラマンドさんは手を止めてイゾルデさんをじっと見た。イゾルデさんはもう一度椅子に座ると、彼に向かって軽く頭を下げた。






「笑っちまったことは謝るよ。あとうちの子が馬鹿をやらかしたこともね。」


 それを見たザラマンドさんは、短刀をオイラーくんの目の前にドンと突き立てると、放り投げるようにして彼を解放した。オイラーくんはたちまちその場にへなへなと崩れ落ちた。彼の体は小さく震えていた。


 ザラマンドさんはゆっくりとイゾルデさんの向かい側に座り直すと、彼女と同じように小さく頭を下げた。


「・・・こっちこそすまなかった。熱くなっちまったのは俺の方が先だからな。」


 イゾルデさんは鼻から血を流すオイラーくんをその場から下げさせ、代わりにやってきた別の男の子にきれいな装飾の施された小さな銀の酒杯ゴブレットとお酒の瓶を持ってこさせた。






「じゃあ、こいつで手打ちだ。」


 イゾルデさんはお酒の瓶の封を切ると、テーブルに並べた酒杯を深紅の液体で満たした。とても深くて素敵な香り。多分すごく上等な葡萄酒だ。


「いいだろう。」


 ザラマンドさんが先に酒杯を手に取ると、イゾルデさんも残った方を取った。そして二人は同時に酒杯を飲み干した。澄んだ音を立ててテーブルに酒杯を置いた後、口の端に垂れた葡萄酒を手の甲で拭いながらザラマンドさんが小さく呟いた。


「・・・いい酒だな。」


「リース領から今日届いたばかりの酒だよ。詫びの気持ちだと思ってもらえると嬉しいね。」


「リースって言うと旧グレッシャー領か。なるほどな。」


 彼はそう言って納得したように大きく頷いた。グレッシャー子爵家が内乱失敗で断絶してしまったので、旧グレッシャー領はこの春から王党派のリース子爵家が統治することになったのだ。


 リース領はカフマン商会が総力を挙げて物資を供給したこともあり、順調に復興が進んでいるそうだ。秋になったことだし、今度私もリース領のクベーレ村に遊びに行ってみようと思っている。だってまたあの美味しい貴腐酒をご馳走してもらえるかもしれないものね。






 イゾルデさんは銀の酒杯を男の子に片付けさせると、代わりに陶器の酒杯を3つ持ってこさせた。それに葡萄酒を注いで私に差し出しながら、彼女は言った。


「びっくりさせて悪かったねドーラ。今、あたしとザラマンドはちょっとした揉め事を抱えちまっててね。今日はその話をつけるために、ここに来てもらってたのさ。でもまさか一人で乗り込んでくるとは思わなかったけどね。」


 彼女の言葉を聞いてザラマンドさんはすぐに言い返した。


「俺もお前が一人で会ってくれるとは思わなかったぜ。それにしてもこいつを『ちょっとした揉め事』とは・・・笑えるじゃねえか、おい。」


 二人はフッと笑い合って、同時に酒杯に口をつけた。私も一緒に飲んでみる。たちまち口一杯に葡萄の豊かな香りが広がった。少し渋みがあるけれど、逆にそれがどっしりとした果実の味をぐぐっと引き立てている。うーむ、これは素晴らしい!!


 私は飲み過ぎないように気を付けて酒杯の中身をちびちび舐めながら、二人に尋ねた。


「揉め事って一体何なんですか?」


 ザラマンドさんがイゾルデさんをちらりと見る。彼女は彼に軽く頷いてみせた。






「そうだな、簡単に言やあ『シマ争い』さ。エッポの野郎が放り出した賭博街(シマをどっちが仕切るかっていうな。」


 私には彼の言ったことが全然分からなかった。私が困った顔でイゾルデさんを見ると、彼女は大きく肩を竦めて私に言った。


「あたしにはそんなつもりはないんだけどねえ。」


「だがお前の手下連中はそう思わねえ。俺の手下たちだってそうだ。血の気の多い馬鹿ばっかりだからな。」


 そう言われた彼女は、彼に向かって露骨に顔を顰めてみせた。そして揉め事の内容を私に説明してくれた。






 まず前提として、歓楽街ではお金に絡んだ様々な揉め事起こりやすい。それを解決するために、王様は専門の衛士隊を歓楽街に派遣している。でも衛士さんたちだけではうまく解決できない揉め事がかなり多いのだそうだ


 そこで力を持った頭目が街全体をまとめ、解決の仲立ちをしなくてはならない。これまで長い間、娼館街はイゾルデさんが、奴隷市場街はザラマンドさんが、そして賭博街はドルトンさんという人が頭目を務め、街をまとめていた。


 でも王都襲撃事件でドルトンさんは亡くなってしまった。そこで賭博街の新しい頭目になったのが、あのエッポさんという訳だ。


 賭博街にはエッポさんが根城にしていた闘技場を中心として、いろいろな賭け事ができる賭博場が無数に集まっている。彼はそのすべてを自分の支配下に置くためかなり強引な手段を使っていたらしい。そのため、歓楽街全体で揉め事が絶えない状態が続いていたそうだ。






 そんな時、私とヴリトラが頭目だったエッポさんを賭博街から追い出してしまった。結果、賭博街の運営は一時的にイゾルデさんに任されることになり、街は束の間の平穏を取り戻した。


 始めのうち、イゾルデさんは自分の配下だけで賭博街の運営をしていたそうだ。ただイゾルデさんには娼館通りを中心とした娼館街を管理するという仕事もあるため、すぐに手が足りなくなってしまった。


 そこでザラマンドさんや他の賭博場主さんたちに声をかけ、運営の仕事を手伝ってもらうことにしたのだという。そこまで話した後、彼女は大きなため息を吐いてザラマンドさんの方をちらりと見た。






「最初はそれでうまく仕事を回せてたんだけどね。すぐにお互いに角突き合わせるようになっちまったのさ。」


 イゾルデさんによると誰が問題を仕切るのかということを巡って喧嘩が起きるようになってしまったらしい。イゾルデさんはいずれ賭博街の運営から手を引くとあらかじめ言っていたため、次の賭博街の頭目を目指す賭博場主たちはイゾルデさんとザラマンドさんの手下の人たちと事あるごとに対立するようになっていった。


「まったく男って奴はすぐに縄張りを作りたがるのさ。ほんとに困ったもんだよ。」


 そうやって大げさに両手を広げるイゾルデさんを無視して、ザラマンドさんは私に言った。


「まあ、俺もこいつもいずれ適当なところで手を引くつもりだったからな。それは別にいいのさ。放っておけば残った連中が勝手に争い合って、自然と頭目が決まる。そう思ってたんだ。」


「ということはうまくいかなかったんですね?」


 私がそう尋ねると、ザラマンドさんは渋い表情で頷いた。


「俺もこいつも簡単に手を引けなくなっちまったんだ。エッポの残した隠し金のせいでな。」






 エッポさんは着の身着のままで王都から逃げ出して行ったので、闘技場には彼の資産がそのまま手付かずで残された。ただ(私が暴れたせいで)壊れた闘技場の再建費用や賭け金の支払いなどで、そのほとんどはなくなってしまったという。


 ところが残されたよくよく帳簿を調べてみると、彼にはまだ隠された資産があることが分かったそうだ。


「その額、何と10万Dだ。だがその金の在処ありかがどこを探しても見つからなくてな。」


 あるはずの大金がどこにも見当たらないことで、賭博場主さんたちは互いに誰かが独り占めしたと疑い合うようになってしまった。その疑いの目は当然、イゾルデさんとザラマンドさんの手下にも向けられた。


 疑心はすぐに相手への憎しみへと変わっていった。こうなるともう止まらない。憎しみは憎しみを呼び、今や一触即発の事態。とても賭博街の運営どころではなくなってしまった。


 賭博街は事実上の無法地帯となってしまい、今では皆、自分の身を守るのが精一杯という状況らしい。この中で『一旗揚げよう』と考えた各地の無法者たちまでもが王都に流れ込んできたことで、今は歓楽街全体が混乱状態なのだそうだ。






「それは困りましたね。どうにかならないんでしょうか?」


 私がそう尋ねると、ザラマンドさんは片眉をきゅっと上げて肩を軽く竦めた。


「まあ、10万Dって言やあ、とんでもない大金だからな。普通の人間じゃ一生かかったってお目にかかれるもんじゃねえ。見つからねえからって、簡単に諦めるって訳にはいかねえだろう。」


 一般的な4人家族の一か月分の生活費がおよそ40Dで、1年が16か月だからそこから10万Dを計算すると・・・およそ156年分の生活費に相当する額になる。文字通り『一生遊んで暮らせる』額だってことだね。確かにとんでもない大金だ。フランツさんが聞いたらきっと腰を抜かしてしまうに違いない。


 お金が見つからなければ近いうちにきっと大変なことが起きる。何とかして見つけないとだけど、そんな大金を一体誰が、どうやって隠し持っているんだろう?


 私が何とかならないかとうんうんと頭を捻っていたら、隣でイゾルデさんが困った顔をしながら自分の酒杯に新しいお酒をつぎ足した。






「本当に困ってるんだよ。金が見つからないせいで、あたしも迂闊に手を引けなくなっちまってね。今、引けばそれこそ独り占めの犯人にされかねないのさ。」


 ザラマンドさんは彼女がその形の良い眉を歪めるのをじっと見つめると、おもむろに口を開いた。


「・・・おめえは本当に知らねえんだな、イゾルデ。」


「ああ、知らないよ。夜の女神ニーキスの左目に誓ってね。」


 イゾルデさんは部屋の中にいた男の子にオイラーくんを呼びに行かせた。すぐにやってきたオイラーくんは血の付いたシャツを新しいものに着替えていた。鼻の下の小さな傷はもう塞がって血も止まっている。


 彼はザラマンドさんに向かってぺこりと頭を下げると、神妙な様子でイゾルデさんに聞かれたことを話し始めた。






「俺たちがエッポの隠れ家ガサに入った時には、もうすっかりもぬけの殻でした。」


 オイラーくんは他の『兄弟』と一緒に最初にエッポさんの隠れ家を捜索しに行ったらしい。ただその時に見つかったのは現金や帳簿類だけで、隠し金らしきものは見つからなかったそうだ。


 ザラマンドさんはオイラーくんに向かって軽く頷いてみせた。


「エッポ一家いっかの奴なら知ってるかもしれねえが、ほとんどの奴はもうこの世からおさらばしちまったからな。」


 エッポさん自身は王都から逃げていったけれど、その配下の中には逃げ遅れて王都に残った人も少なくなかった。ただ主だった手下さんたちは他の賭博場主さんたちからひどく恨みを買っていたらしく、エッポ一家が壊滅すると同時に殺されてしまったのだそうだ。


「誰か生きてりゃあそいつに聞けたかもしれないってのになあ。血の気の多い馬鹿共には本当に困ったもんだぜ。」


 そう嘯くザラマンドさんをイゾルデさんはじろりと見つめた。でも彼は澄ました顔で自分の酒杯に入った葡萄酒を美味しそうに飲み干した。


 ふむふむ、エッポさんの手下さんが見つかればお金の在処が分かるかもしれないのか。そう聞いてふと、私はある人のことを思い出した。






「そういえば私、闘技場で働いてた人を一人知ってますよ。ヴェッツさんって人です。」


 私がそう言うとザラマンドさんは驚いたように軽く目を見開いた。


「ほう、そいつはドルトンの金庫番だった男だ。若い頃から金勘定が上手くてな。ドルトンが頼りになる奴だってよく自慢してたぜ。」


 ザラマンドさんは汚いものを見た時のような口ぶりでヴェッツさんのことを話してくれた。


 彼は元々エッポさんの前に賭博街を長年仕切っていたドルトン一家の『若頭』の一人で、一家からの信頼が厚く賭博場の運営にも深く関わっていたそうだ。


 でも彼はドノバンさんが王都襲撃に巻き込まれて死んだ後、エッポさんに寝返った。彼はしばらくの間、エッポさんの所でも金庫番として重宝されていたそうだけれど、すぐに昔からエッポさんの部下だった人にその地位を奪われ、やがて閑職に回されてしまった。


 そんな様子を見て彼の事情を知る人は「いい気味だ」と笑っていたらしい。






 そう言えば私が会った時、ヴェッツさんは不人気選手の賭け札販売係をしていた。何も知らない私に色々教えてくれて、とても親切な人だった覚えがある。私がそう言うと、イゾルデさんは何とも言えない複雑な顔になった。


「確かにヴェッツなら、隠し金の在処を知ってるかもしれねぇ。だが・・・。」


 ザラマンドさんはオイラーくんに視線を送った。


「そいつなら俺たちも探しました。でもいくら探しても見つからなかったんです。」


 オイラーくんが恐縮した顔でそう言ったの聞いてザラマンドさんは頷いた。彼の部下の人もヴェッツさんを探したけれど、やっぱり見つからなかったそうだ。闘技場が壊れた時のどさくさに紛れて、彼はすぐに行方をくらましたらしい。

 

「王都を出たって話は聞いてねえし、かといって死体も出てきてねえ。まあ、ドルトンに世話になった連中からは相当恨みを買ってただろうから、もしかしたら人相が分からねえくらい酷い殺され方をされちまった可能性もあるが・・・。」


 ザラマンドさんが目に昏い光を湛えながら言ったのを聞いて、オイラーくんはごくりと唾を飲みこんだ。






 ヴェッツさんを見つけることができたらこの揉め事を解決できるかもしれない。これは私の力を役立てるチャンスでは?


 私はザラマンドさんに「ヴェッツさんがまだ王都を出ていないのなら私が見つけられるかもしれませんよ」と言ってみた。すると彼は途端に呆れ顔をして私に言った。


「おいおい。見つけるってまじないでもするつもりか? それで見つかったら苦労しないぜ。」


「まあまあ。とりあえずやってみますね。」


 私は木の杖を掲げて出鱈目なおまじないを唱えつつ《人物探索》の魔法を使った。これは私が顔を知っている人の居場所を探し出すことができる魔法だ。


 魔力を薄く広く王都全体に広げていくと、王都の南側に魔法の反応があるのを感知した。場所は王都南門の東側、ドルーア川の東岸あたり。たしかあの辺には大きな貧民街があったはずだ。


 私はザラマンドさんに尋ねてみた。






「ヴェッツさんを見つけたらここに連れてくればいいですか?」


 彼は訳が分からないという顔で「はあ?」と声を出した。


「あ、ああ。本当に連れてこられるんならな。」


「じゃあ、ちょっと行ってきますね。」


 私は二人にそう言い残して部屋を出た。このまま《転移》の魔法で移動できなくもない。けれど、あの辺りは建物が密集している上に、復興工事の建て替えでしょっちゅう道が変わっている。


 だから魔力の反応を確かめながら歩いて探しに行くことにした。


 私は長衣ローブのフードを目深にかぶり直し、半仮面でしっかりと顔を隠してから娼館を出ると、貧民街へと続く裏通りへと向かったのでした。











 ドーラが部屋を出て行くのを無言で見送っていたザラマンドは、彼女の気配が遠ざかるのを確かめてから目の前に座っているイゾルデに話しかけた。


「おい、何だいありゃあ。」


「さあ、知らないね。知りたくもないよ。あたしもまだまだ死にたくはないからね。」


 澄ました顔で葡萄酒を口にするイゾルデを見て、ザラマンドはあんぐりと口を開けた。その直後、彼は「けっ」と小さく呟くと酒杯に残っていた酒を一気に呷り、イゾルデに黙って酒杯を差し出した。


 イゾルデはごく自然に彼と自分の酒杯に新しい葡萄酒を注ぎ込んだ。


「・・・一目見ただけでヤバい奴だってのは分かったぜ。だがお前らしくもねえな、あんな得体の知れない奴を大事な『娘』たちに近づかせるなんてよ。」


 イゾルデが自分の娼館で働く女たちを娘と呼び、実の子のように可愛がっていることをザラマンドは良く知っていた。小競り合いこそあったもののもう20年以上、ドノバンと共に歓楽街を守ってきた『戦友』だからだ。かつては恋人として床を重ねたこともある。


 そんな彼女の横顔を見つめながら、彼は自分でも言い知れぬ思いがじわじわとこみ上げてくるのを感じた。






 2年前、王都襲撃で娼館を失った時の彼女の落胆ぶりは大変なものだった。あの時彼女は、住処や仕事を失った娘たちを守る為、手元に残った僅かな資産をすべてなげうったのだ。娼館街の女たちやその家族が冬の間飢えることなく過ごせたのは彼女の働きによるところが大きかった。


 だから夜の女神ニーキスを信奉する誇り高い彼女が、自分の娼館の経営権をカフマン商会とかいう得体の知れない新興商会に売り渡したと聞いたときは酷く驚いたものだ。


 娼婦たちの生き血を啜る『蛭女帝』と呼ばれたほどの女傑もついに心が折れたのか。彼はそう思い、それとなく彼女の様子を探らせた。






 確かに彼女はかなり変わっていた。だがそれは彼が心配したような変わり様ではなかった。むしろ歓迎すべき変化のように彼には思えた。


 娼館を失った後、彼女は娘たちを守ろうとするあまりややもすると頑なになってしまうところがあった。しかし娼館再建後はそれが少し和らいだように見える。なんというか、ますます懐が深くなったように感じた。有体に言えば、今の彼女はとても魅力的だった。


 こんな風に穏やかな彼女の姿を見るのは一体どれほどぶりだろう。かつては愛し合ったこともある女の変化を目の当たりにして、彼は何となくむず痒いような気持ちを味わった。


 安堵と共に蘇った薄い恋情を振り払うように、彼はまた酒杯を呷った。そんな彼を優しい目で見つめながら、イゾルデは黙って彼の杯に酒を注ぎ足した。






 「確かにヤバいけどね。でも悪い奴じゃないのさ。うちのたちもあの子に懐いてるしね。それに・・・。」


 イゾルデは何かを思い出したように、急にくっくっと笑い始めた。それに驚いたザラマンドは思わず彼女に「なんだよ急に」と問い返した。彼女は目の端に溜まった涙をそっと指で拭きながら、彼に答えた。


「わざわざ自分からやって来てくれた幸運の女神ドーラを歓迎しない馬鹿なんて、歓楽街このまちいるわけないじゃないか。」


 彼女の言葉は彼に、かつて若い時分に二人で夢を語り合ったことを思い出させた。







「・・・ああ、そりゃあちげえねえ。」


 ザラマンドは出逢った頃のように無邪気に笑うイゾルデを見て薄い苦笑いを浮かべ、彼女に酒杯を差し出した。二人は新しい酒の注がれた杯を軽く打ち合わせ、同時に口をつけた。


 酒杯の中の酒のように、今の彼は満たされた気持ちだった。ふと目を合わせると、目の前で微笑んでいるイゾルデも同じ気持ちでいるような気がした。


 まるであの頃に戻ったみてえじゃねえか。ガキじゃあるめいし。


 彼はもう長いこと感じたことのないむず痒い気持ちを味わい、自嘲気味に心の中でそう呟いた。しかしそのむず痒さをあえて噛みしめるかのように、彼は深く熟成された酒をゆっくりと飲み下したのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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