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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
85/93

83 指名依頼 後編

本日2話投稿しています。こちらは後編です。90話で終わる予定だったのですが、少し不安になってきました。

 昼も半ばを過ぎた頃、私たちの乗る小舟は滑るように沖合から入り江へと近づいて行った。すると右前方、東の方から入り江に向かう帆船が目に入った。


「お、ちょうど巣に帰るネズミがおるようじゃ。早速話を聞かせてもらうとしよう。ドーラ、魔法を頼む。」


 そう言うなりヴリトラは小舟を蹴って水面に飛び降りた。着水する寸前、私のかけた《水上歩行》の魔法が発動し、彼女は水面に降り立った。彼女はそのまま後ろも見ずに帆船へ向かって全力疾走し始めた。


 私とエマが大急ぎで彼女を追いかけるため小舟を操作していると、彼女はどこからともなく漆黒の巨大な大鎌デスサイズを取り出した。


 多分《人化の法》を応用し、自分の依代からだの一部を使って作り出したのだろう。よく見れば、彼女の髪が少しだけ短くなっていた。


 本体のまま人化している私は髪を伸ばしたり翼を生やしたりするしかできないけれど、依代を使っている分、彼女の《人化の法》は自由度が高いみたいだ。


 もちろん魔力や力は私の方がずっと強いから、単純にどちらがいいとも言えないけれどね。ただ少しだけ羨ましいなとは思ってしまったのでした。






 彼女は水面を蹴って一気に帆船の中へと飛び込んで行った。と同時に船から怒号と悲鳴が響く。しかし間もなくその音は止み、帆船はゆっくりと動きを止めた。


 私たちが帆船に近づいて行くにつれ船の舷側に立ち、しきりにこちらに手を振るヴリトラの姿が見えてきた。


「相変わらずせっかちだねえ。じゃあ僕らも乗り込もうか。」


 早く早くと手招きするヴリトラの姿を見てフェルスが苦笑する。


 小舟を停止した船にピタリと近づけてから、私は皆に《水上歩行》の魔法をかけた。その後、エマと私は《浮遊》の魔法を使って、フェルスはヴリトラと同じように水面を蹴って船に乗り込んだ。






 横幅の広い帆船の甲板の上で立っていたのはヴリトラだけだった。彼女の足元には革の胸当てを付けたあまり風体のよろしくない男の人たちが6人転がっている。


 口から血を吐いている人もいたが誰も死んではいないようだ。おそらく彼らのものだろうと思われる切り裂かれた船刀カトラスの残骸が周囲に散乱していた。


 彼らの周りには、今にも死にそうな顔で俯いたまま、足を抱えて座り込んでいる船員さんたちがいた。その数は20人ほど。全員、武器も防具も付けていない若い男性たちだった。はっきりとは分からないけれど、多分エマより少しだけ年長の人ばかりのように見える。


 私たちが乗り込んできたのを見て、彼らはハッと顔を上げた。でもすぐにフェルスの巨体を見て恐怖に顔を歪ませ、また顔を伏せてしまった。






「エマ、厄介な連中はとりあえず片付けておいた。この者たちから話を聞いてくれ。」


 ヴリトラがそう言って大鎌の柄で船員さんたちを指し示すと、彼らは一斉に怯えた目で大鎌とエマを代わる代わる何度も見た。エマはちょっと戸惑いながらも、震え上がった船員さんたちの前に進み出て話しを始めた。


「私たちはコルディ商会の依頼で海賊討伐のためにやってきた冒険者です。」


 エマのその言葉を聞いて、船員さんたちはじっと詰めていた息を一斉に大きく吐いた。中には泣き出してしまう人もいたが、やがてその中の一人が前に進み出て話し始めた。


「お、俺たちは都市同盟の商船乗りだ。海賊の仲間じゃない! 信じてくれ!!」


 彼は涙ながらにそう訴えると、エマの足元に体を投げ出すように平伏した。彼の仲間たちも同じように体を伏せる。エマはそんな彼らに優しく声をかけて落ち着かせ、少しずつ話を聞きだしていった。


 話を聞いたヴリトラは納得したように大きく頷いた。もう彼女の手に大鎌は握られていない。きっと《人化の法》でまた髪に戻したのだろう。すごく便利そう。やっぱり少し羨ましいです。






「なるほど。海賊船に襲われ、船ごと攫われてきたという訳だな。」


 船員さんたちの話を聞いたヴリトラは大きく頷いた。


「そ、そうです。船長やベテランの船員たちは全員殺されて海に捨てられました。俺たちは海賊に脅されてここまで連れてこられたんです。」


 彼らの商船団を襲った海賊船団は合計4隻。6隻いた商船団のうち、4隻は逃げ延びることができたそうだけど、逃げ遅れた2隻が捕まってしまったという。


「捕まった船のうち、俺の乗ってた方の船は船員や荷物をこの船に移動させられた後、海賊たちに沈められました。そして乗り込んできた海賊たちは船を動かすように俺たちを脅したんです。死にたくなけりゃしっかり働けって。」


 若い船員さんたちは脅されるままにここまで船を操作してきたそうだ。






「こいつらは貴様らをどうするつもりだったのじゃ?」


 ヴリトラが転がって泡を吹いている男を足で示しながらそう言うと、船員さんは少し気まずそうな顔をした。


「み、見込みがある奴は仲間にしてやる。そうじゃない奴は奴隷にして死ぬまでこき使ってやるって言ってました。」


「なるほどのう。それで我を見てそんなに怯えておったという訳か。悪党がよく使う手じゃ。」


 ヴリトラが吐き捨てるようにそう言うと、船員さんはたちまち顔を青ざめさせた。脅されたとはいえ、海賊たちの仕事に手を貸していたという思いがあるからだろう。






「・・・ふん。貴様ら運が良かったな。エマがおらねば全員、膾に切り刻んでおるところじゃ。」


 ヴリトラがそう言って船員さんたちを睨みつけると、彼らはまた震え上がってしまった。


「じゃが、そういう訳にもいかんからな。」


 ヴリトラはそう言って私の方にちらりと視線を投げた。もちろん私は何度も頷いてみせた。エマの見ている前でたくさんの人を殺すなんてとんでもない!


 鼻息を荒くする私を見てヴリトラは苦笑いを浮かべた。彼女は船員さんたちに向き直った。






「貴様らの命は取り合えず預かっておいてやる。ただし我らに協力すればじゃがな。」


「協力・・・?」


「ああ、そうじゃ。我らは巣に潜むネズミどもを一掃したいと思っておる。貴様らもそれに加担せよ。」


 ヴリトラの言葉に船員さんたちは恐怖に顔を引き攣らせ、悲鳴のような叫びを上げた。 


「そ、そんな無体な! あいつらに勝てるわけがない!!」


 海賊たちは酷く残酷なやり方でベテランの船員たちを殺したそうだ。それを見て捕まった若い船員さんたちはすっかり抵抗する気を失くしてしまったらしい。


 そんな彼らに言い聞かせるように、ヴリトラは芝居がかった調子で話し始めた。






「貴様ら、分かっておらんな。寸でのところで我らが食い止めたとはいえ、今の貴様らは海賊の仲間になったも同然の状態。実際、我がここへ乗り込んで来なければそうなっていたであろう?」


 船員さんたちは黙り込んで視線を下げた。どうやら図星を突いたようだ。その様子に満足したように、ヴリトラはその場をゆっくりと歩き回りながら得々と話を続けた。


「船長や他の船員が殺された時、貴様らは何もしなかった。それは逃げ延びた船員たちも知っておるはずじゃ。このままではたとえ無事に帰れたとしてもお前らは海賊の仲間として扱われる。もし捕まればたちまち処刑じゃ。」


 処刑という言葉が出た途端、船員さんたちは落ち着きなく視線を交わし始めた。ヴリトラは酷薄な笑みを浮かべながら、ダメを押すように彼らに言った。






「確かこの国では海賊は水磔すいたくになると聞いた。あれは見物みものぞ。死ぬまでに長く苦しむことになるからなあ。」


 彼女の笑顔を見て、船員さんたちの顔は青から白、そして土気色へと変わっていった。あとからヴリトラに聞いたところによると、水磔というのは海岸に立てた磔台に罪人を逆さに固定して放置する処刑方法なのだそうだ。


 運が良ければ潮が満ちてきて溺死できるがそうでない場合、体中の血が逆流して長く苦しみながら死ぬことになるらしい。あまりにも残酷な処刑法だ。船員さんたちが震え上がるのも無理はない。


 それにしてもヴリトラはいつの間にそんな情報を仕入れていたんだろう?






 そんな私の疑問をよそに、彼女は船員さんたちの前でパンと手を打ち鳴らした。船員さんたちの視線が自分に集まったことを確認したところで、彼女はビシッと奇妙なポーズを決めてから話し始めた。


「進も地獄、退くも地獄とはまさにこのことじゃな。このままではどのみち貴様らは死ぬことになる。助かる方法はたった一つしかない。」


 ヴリトラのおかしな振る舞いには目もくれず、船員さんたちはごくりと唾を飲みながら彼女の次の言葉を待っている。


「貴様らは自分の手で己の無実を証明する必要がある。つまり海賊を倒すしかないということじゃ。」


 その言葉を聞いた船員さんたちの反応は様々だった。すすり泣く人もいれば、歯を食いしばっている人もいる。やがて彼らの中から小さい呟きが聞こえ始めた。






「で、でも俺たちには戦う力なんて・・・。」


 それを聞いたヴリトラはすかさず彼らに向かって叫んだ。


「貴様ら、船長たちの無念を晴らしたいとは思わんのか?」


 船員さんたちは彼女の言葉にぶるっと大きく体を震わせた。やがて一人の船員さんが顔中涙と鼻水塗れになって立ち上がり、大きな声で叫んだ。


「俺はやる! どうせ死ぬなら悪党になって死ぬより船乗りとして死にたい!」


「俺もだ! 船長や先輩たちは俺たちを可愛がってくれた。立派な船員になれって言ってくれたんだ! 俺は船長たちの仇を討つぞ!」


 立ち上がる船員さんは一人また一人と増えていき、やがて全員が立ち上がって泣きながら雄たけびを上げ始めた。若干自棄になっているように見えなくもないけれど、とにかく勢いが物凄い。


 ヴリトラはその様子を見てにんまりと笑った後、ダンっと甲板を踏み鳴らした。船員さんたちが再び彼女に目を向ける。






「ふふふ、その意気や善し! なあに案ずるな、おぬしら。せっかく助けたのじゃから、むざむざ無駄死にさせるつもりはない。文字通り大船に乗ったつもりでおるがよいぞ。何しろ我らには英雄が付いておるのじゃからな!」


 頭の上に疑問符を浮かべたような顔をした船員さんたちの前を横切り、彼女はゆっくりとエマに近づいてさっと腕を広げた。


「さあ見よ! この少女こそが我らの英雄! 齢九つにて迷宮討伐を成し遂げた『救済の聖少女シュッツェンゲル』、エマじゃ!!」


 船員さんたちの大半はエマのことを知らなかったようで、ポカンとしたまま顔を見合わせていた。でも何人かは王都でエマのことを聞いたことがあったみたい。その人たちは「あれが噂に名高い救済の聖少女か!!」と驚きの声を上げて、周りの人たちにそのことを熱っぽく話していた。


 船員さんたちのざわめきが、やがて希望に満ちた熱意へと変わっていくのが私にもはっきりと分かった。彼らは皆、眩しそうにエマのことを見ている。エマは皆の視線を受けて、少し恥ずかしそうに身じろぎをしていた。ヴリトラは彼らに再び呼びかけ始めた。






「稀代の英雄の前には海賊など物の数にも入らぬ。皆、聖少女エマに続け! 海賊共を討ち滅ぼし、この海に平和を取り戻すのじゃ!!」


「「「「おおおおおおおっ!!!」」」」


 船員さんたちから大きな鬨の声が上がった。


「よいよい。では皆の者、持ち場に着け! ネズミどもの巣に向けて全速前進じゃ!!」」


「了解ですぜ、姐さん!!」


 船員さんたちはさっきまでの項垂れていた様子が嘘のようにきびきびと動き回り始めた。私たちは気絶した海賊たちを縄で拘束していった。彼らはこの後、ヴリトラが尋問して仲間の海賊たちの情報を引き出すのだそうだ。


 私は縛り上げた海賊を船倉へと運びながら、すぐ前を歩いているヴリトラに話しかけた。






「よくあんなにすらすらと言葉が出てくるね。私、感心しちゃったよ。」


「まあ、伊達に長くこの世界を見てはおらぬからな。あの程度、朝飯前じゃ。」


 彼女はそう言って軽く肩を竦めた。そしてまっすぐに前を向くと、小さな声でこう呟いた。


「人間たちの団結と熱情・・・これぞまさに英雄物語よ。この物語がどんな結末になるのか・・・ふふふ、楽しくなってきたのう。」











 太陽が傾き日が徐々に陰り始めた頃、私たちの乗った商船は海賊たちのアジトである『ネズミの巣』へと入り込んでいった。


 遠くから見ていたらよく分からなかったけれど、この入り江はかなり広い。多分、今のハウル村と同じかそれより少し大きいくらいの広さがあるんじゃないかと思う。


 入り江は海に開けた南以外の三方を峻険な断崖に囲まれている。その空間を埋め尽くすようにレンガと石で作られた建物がびっしりと埋め尽くしていた。もしかしたら昔はここに漁村があったのかもしれないね。


 海に面した砂浜からは天然の岩場を利用したと思われる乱暴な石積みの桟橋がいくつもあり、そこに木で足場が組まれている。桟橋にはいろいろな形の船がたくさん係留されていた。


 もう夕刻に差し掛かっているからだろう、動いている船は私たちの乗る商船だけ。建物のあちこちからは煙が上がり、食べ物を煮炊きする匂いが漂ってくる。


 エマのお腹が小さく可愛い音を立てて鳴ったのを私の耳は聞き逃さなかった。むむ、早く終わらせてエマに夕ご飯を食べさせないといけないね。






 エマはお腹が鳴ったのを少し恥ずかしそうに照れ笑いをしながら、係留されている奇妙な形の船を指さした。 


「お姉ちゃん、あれ見て。あの船にはたくさん櫂が付いてるよ。それにすごく細長いし。」


「あれは確か『ガレー』という船じゃな。」


 エマの言葉を聞いたヴリトラがその奇妙な船について教えてくれた。この細長い船は風だけを使う帆船に比べて恐ろしく速い上に、小回りが利くらしい。ただ一応帆もついてはいるものの、長い距離を航海したり荷物を積んだりするには不向き。主に沿岸で使われる強襲用の船なのだそうだ。


 エマと私は「おお」と感心の声を上げた。


「ヴリトラ様はすごく物知りですね。」


 エマがそう言うと、ヴリトラは少し遠くを見るような目をした。


「・・・古今東西の物語から得た知識じゃ。本物を見たのは我もこれが初めてよ。」


 その時の彼女はとても喜んでいると同時に今にも泣きだしてしまいそうな顔をしていた。






「船を止めよ!」


 入り江の真ん中でヴリトラはゆっくりと商船を留めさせた。


「おぬしらはここで待機じゃ。合図があるまで動いてはならぬぞ。」


「分かりました、姐さん!」


 船員さんたちの返事に頷いた後、彼女は私とエマの方を見て嬉しそうに笑った。


「では打ち合わせ通りに派手に頼むぞ。」


「ねえヴリトラ。どうしてもやるの? このくらいの広さなら私の魔法で全員眠らせることできるよ?」


「さっきも言ったであろう? それでは悪党とそれ以外の見分けがつかぬ。」


 彼女はそう言ってはっきりと首を横に振った。






「よいか? 歯向かってきた者は全員敵じゃ。容赦は要らんぞ。それ以外の者は解放し脱出させる。それを見極めるための手管なのじゃ。」


 彼女は自信たっぷりにそう言うけれど、私は何となく彼女には別の思惑があるような気がしてならなかった。


「ほんとかなあ・・・。」


「ごちゃごちゃ言うでない!さあ、始めるぞ!」


 急かすヴリトラを見て、フェルスがのんびりと私に言った。


「こうなったらもうヴリトラは聞かないからねえ。死にそうな人がいたら僕が助けるからすぐに呼んでね。」


「うん分かったよ。ありがとうフェルス。」


 私ではヴリトラ以上に良い作戦を考えられそうにない。私はエマと顔を見合わせ頷き合った。






 私とエマは港に係留されていたガレー船に向けて同時に杖を振り上げた。


「「爆ぜろ! 《火球》!!」」


 声を揃えた短縮詠唱が、人の頭ほどの炎の塊を中空に出現させる。私とエマが杖を振り下ろすと同時に火球はいくつかに分かれ、目標に向かってまっすぐに飛んでいった。


 狙い通りにガレー船の船体に着弾した火球は、凄まじい爆炎と豪音を撒き散らした。魔法の炎によってたいまつのように燃え上がった船を見て、船員さんから大きなどよめきが上がる。


「やっぱりお姉ちゃんの《火球》の方が火力が強いね。まだ全然敵わないなあ。」


「えへへ、そう? そういうエマもかなり上手になったよ?」


 そんなことを話しながら私たちはガレー船を次々と燃やしていった。あらかじめ魔力で辺りに人がいないことは確認済みなので、遠慮なくどんどん《火球》を撃っていく。






「な、なんだ? 王国水軍の攻撃か!?」


「見張りは何してやがったんだ!!」


 爆音に驚いたのか、周辺の建物から武器を手にした男の人たちが駆け出してきた。彼らは燃え上がる船を見て一瞬、棒立ちになった。


「よし。ここからは我らの出番じゃな。行くぞ、フェルス!」


 そういうなりヴリトラは海上に飛び降りて水面を走り出した。大鎌を手にして走るヴリトラの後を、フェルスが追いかけていく。フェルスの手に握られているのは巨大な長柄の槌だ。


 一見すると戦槌ウォーハンマーのように見えるけれど、刺突棘ピックが付いていない。どちらかといえば鍛冶師さんが使う鉄槌によく似ている。






 先行したヴリトラはあっという間に砂浜に辿り着いた。彼女は大鎌を振り回しながら武器を持った人たちの間を踊るように駆け抜ける。彼らの武器はたちまちばらばらに切り裂かれて砕け散った。


 驚く彼らを私とエマが《雷撃球ライトニングスフィア》や《眠りの雲スリープクラウド》の魔法で無力化していく。麻痺したり眠りに落ちたりした海賊たちは、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちていった。


「フェルス、逃げ道を塞げ!」


「分かったー。」


 フェルスはのんきな声でヴリトラにそう答えると、大槌で手近な建物を破壊しながらまっすぐ入り江の奥、高い岸壁に刻まれた石造りの細い階段へと一直線に進んでいった。


 この階段はカッテ領へと抜けるための唯一の通路だ。さっきヴリトラと一緒に、捕まえた海賊たち《魅了》の魔法をかけて聞き出したから間違いない。






 フェルスが大槌を一振りするたびに建物が粉微塵に吹き飛び、中から悲鳴を上げて人が飛び出してくる。そのほとんどは痩せ細ってみすぼらしい格好をした男性たちや半裸の女性たちだ。彼らは海賊の捕虜になった人たちだろう。


 捕虜たちは燃え上がるガレー船を見て一瞬戸惑ったように立ち止まったけれど、ヴリトラの「海賊討伐だ! 手を貸せるものは武器を取れ! ただし殺してはならんぞ!」という叫びを聞いてすぐに辺りにあった端材などを手にして海賊たちを襲い始めた。


 奇襲から立ち直り、舶刀を手に反撃しようとする海賊たちもいたけれど多勢に無勢。周囲から一斉に殴りかかられ、あっという間に戦闘不能に陥っていく。中には気絶した後も女の人たちから何度も何度も股間を蹴られている海賊もいる。多分相当な恨みを買っていたのだろう。本当にご愁傷さまです。


 彼らは他の建物も次々と襲い始め、囚われていた人たちをどんどん解放していった。






 やがて海賊たちは形勢不利を悟ったのか、陸側への唯一の脱出口である岸壁の階段へと逃げ始めた。でもそこにはすでに大槌を構えたフェルスが待ち構えている。


 自棄になって彼に斬りかかった海賊たちは全員、彼の大槌に吹き飛ばされて気を失った。


 ガレー船がすべて焼け落ち、立っている海賊がいなくなった辺りでヴリトラが私に向かって合図を送ってきた。私は船に残っていた船員さんたちに声をかけた。


「船を桟橋に着けて海賊の捕縛とケガ人の救助をお願いします。」


 戦いの様子に目を奪われ呆然としていた船員さんたちは、私の言葉で夢から醒めたように素早く動き始めた。船員さんたちが次々と気絶した海賊の手足を縛っていくのを見て、戦いの熱狂から醒めてへたり込んだりすすり泣いたりしていた捕虜の人達もそれに協力し始めた。






 戦いが終わったのを確認したフェルスは土属性の癒しの力を使ってケガした人を治療している。彼が使っている力は森林司祭ドルイドさんの使う回復呪文に近いみたい。


 私とエマも回復薬を使うことでそれを手伝った。治療を受けた人たちは詠唱もなしに傷を癒すフェルスの力や効力の高い回復薬にとても驚いていた。


 その間ヴリトラはと言うと、比較的元気な男の人たちを集めてこの入り江から脱出するための船の準備をさせていた。入り江の桟橋にはガレー船の他に元商船だったと思われる船がたくさん係留されていたのだ。


 戦闘が始まる前にヴリトラはそれらの船は破壊しないようにと私とエマに言っていた。その時はその理由が分からなかったのだけれど、彼女は初めから助けた人たちをこれらの船に乗せて脱出させるつもりだったみたい。


 私は彼女の先を見る目にすっかり感心してしまった。ただ私がそのことを話したら彼女は「賞金首の海賊共を運ぶために船が欲しかっただけじゃよ」と嘯いていたけれど。






 ケガ人の治療や脱出のための準備が整い、太陽が西の水平線に落ち始めた頃、桟橋に立っていた見張りの船員さんが悲鳴のような叫びを上げた。


「か、海賊たちが戻ってきたぞ!!」


 その声に荷物運びの手を止め、夕日で赤く輝く海に目をやると、6隻のガレー船が滑るようにこちらに向かってくるのが見えた。


 それを見た海賊たちは手足を縛られたまま「ははっ! これでお前らも終わりだ!! 楽に死ねると思うなよ!!」と大騒ぎを始めた。捕虜さんたちはその声を聞いて途端に顔を青ざめさせ、その場に立ち尽くした。


「くそっ! ただでやられてたまるかよ!!」


 それでも捕虜や船員さんたちは残された海賊たちの舶刀を手にして立ち上がった。でも戦いの経験がほとんどない人たちばかりのため、その手はひどく震えている。海賊たちは戦う力のある人たちはみんな殺してしまうか、仲間にしてしまうからだ。






 その時、ヴリトラが彼らの前に立った。


「おぬしらの心意気、しかと受け止めた。だがここは我らに任せておれ!」


 彼女はそう宣言すると、自分の元にエマを呼び寄せた。短杖を手にしたエマの姿を船員さんや捕虜さんたちは怪訝な表情で見つめた。


「よいかエマよ。今こそおぬしの力を役立てるときじゃ。遠慮はいらん。存分に力を振るうがよい。」


「えっ、でも・・・。」


「ドーラと我、それにフェルスもついておる。心配せずともよい。派手にやるがいい。」


 エマは不安そうに私の方をちらりと見た。私は他の人に気付かれないよう、長衣ローブのフードの奥で小さく頷いた。それを見たエマは大きく頷き「やってみます」とヴリトラに答えた。






 エマは杖を構え、桟橋の突端に立った。ガレー船はもうすぐ側にまで迫っている。海賊たちはエマに向かって舶刀を振り上げ、恐ろしい声で威嚇し始めた。


 エマにあんな汚い言葉を投げかけるなんて許せない。船ごと魔法で消滅させてしまおうかと思ったけれど、エマが魔力を高めているのに気づいて寸でのところで踏みとどまることができた。


 エマは小さく息を飲み込むと、短杖を振り上げた。距離が縮まるにつれてガレー船から矢が放たれる。しかしその矢はエマに近づくことなく逸れてすべて外れてしまった。私がその場にいる人全員にこっそりかけておいた《矢避け》の魔法の効果だ。


 海賊たちの「もっとよく狙え!」という罵声が飛び交う中、杖を振りあげたエマは透き通るような声で朗々とした詠唱を始めた。






「命を生み出す大いなる水よ。我が魔力によりてその暴威を解き放て。我が望むは深淵。我に仇なすすべての者をその深き顎にて捕らえ、昏き水底へと沈めよ。漣を怒りへ、水流を嘆きへ、海鳴りを断末魔へと変じ、一切衆生を無音なる水の棺へと誘わん。今こそ来たれ、水神の怒り!《大渦潮(メイルシュトローム)》!!」


 詠唱が高まるにつれエマの体に集まっていた青い輝きが解き放たれ、ガレー船団の中央に降り注ぐ。詠唱を終えたエマはふらりと姿勢を崩し、その場に片膝をついた。大魔法を行使したことによる魔力枯渇のためだ。


 それと同時に、それまで滑るように海面を進んでいたガレー船の動きが止まった。異変に気付いた海賊たちが櫂を漕ぐ痩せた男の人たちに鞭や拳を振り上げる。しかし彼らが櫂をいくら漕いでもガレー船はその場からピクリとも動かなかった。


 やがてエマの魔力が降り注いだあたりの海面が小さく渦を巻き始めた。その渦は次第に大きくなり、たちまち周囲のガレー船団を飲み込み始めた。轟音を立てながら生じた巨大な渦潮によってガレー船は互いに激しくぶつかり合い、見る見るうちに木片へと変わって水底に沈んでいく。


 悲鳴を上げ必死に藻掻く海賊たちも同様だ。彼らは激しい水の流れに翻弄されながら、海の中へと姿を消していく。このままでは海賊たちはもちろん、櫂を漕いでいた捕虜の人たちまで死んでしまうだろう。






 エマにこんなに大勢の人を殺させるのは嫌なので、私はこっそりと魔法を使った。使ったのは《水流操作》の魔法だ。大渦潮が生じた辺りをすべて私の魔力で覆い、水の中にいる人たちを水流で捕まえて次々と近くの砂浜へと放り投げていく。


 みんな恐怖とパニックのために気を失っているけれど、あらかじめ彼らの体を魔力で覆っておいたので溺れている人はいない。波に乗ってどんどん打ち上げられる人たちの姿を、桟橋に集まっていた人たちは口をあんぐりと開け呆然と見つめていた。


「見たか! これぞ救済の聖少女の力よ! さあ、おぬしたち出番じゃぞ! 海賊共をふん縛るがよい。フェルス、傷ついた者たちの治療を頼む。」


「まかせてー。」


 ヴリトラの号令で船員さんたちは打ち上げられた海賊たちの捕縛と、捕虜の人たちの救助に当たった。海の中に誰もいないのを確認した私は、上級魔力回復薬を手にしてエマのところに駆け寄った。






「ありがとう、ドーラお姉ちゃん。」


 回復薬を口にしたエマは少し青ざめた顔で呟いた。


「よくやったねエマ。すごくうまくいったよ。魔法の強さも効果範囲の指定も完璧だった。」


 私がそう言うとエマはにっこりと微笑んだ後、私の腕の中で眠ってしまった。薬の効果による回復の眠りだ。私はエマを横抱きに抱えたまま、ヴリトラたちのいるところへと向かったのでした。











 翌朝、事前の計画通りに入り江の様子を探りに来たメルナン船長とピエトロくんたちに海賊の討伐を報告した後、私たちは捕らえた海賊たちと捕虜の人たちを連れてスーデンハーフの街へと帰還した。


 捕虜となっていた人たちが海賊たちの拿捕した商船を操縦してくれたおかげで、一人もその場に残すことなく全員を救出することができた。


 ちなみに捕まえた海賊たちは全員最下層の船倉に放り込んである。船倉は船底に溜まった水が腐りひどい悪臭が漂っている。さすがにここで数日間過ごすのは可哀そうだと思ったので、私が全員魔法で眠らせておいた。眠っていれば匂いも気にならないだろうからね。


 海賊たちはこの後、スーデンハーフで衛士隊に引き渡され、裁判を受けることになるそうだ。メルナン船長によるといつもなら捕まった海賊はすぐに処刑されるのが普通らしいけれど、今回は捕らえた人数があまりにも多いので大多数の海賊たちは犯罪奴隷として売却されるみたい。


 あとから聞いた話では、この海賊たちを売って得たお金をヴリトラたちは全部サローマ領に寄付してしまったそうだ。そのお金は海賊に捕まっていた人たちが新たな生活を始めるための資金として使われたみたいです。






 帰りの航路では私がこっそりと全力で水流と風を操作した結果、入り江を出発してから3日後にはスーデンハーフの街に到着することができた。私たちを出迎えてくれたコルディさんは、今回の戦果を知ってとても驚いていた。


「いやはや私は皆さんの力量を見誤っておったようです。これでみんな安心して航海をすることができます。本当にありがとうございました。」


「このくらい造作もないことよ。今回、我らには救済の聖少女、エマが付いておったのだからな。」


 ヴリトラの言葉でコルディさんやその周りにいた人たちが一斉にエマの方を見た。恥ずかしそうに顔を俯かせるエマの様子に、彼らは熱っぽい囁きを交わし合っていた。






「報酬はハウル村の冒険者ギルドで受け取ろう。支払いをよろしく頼むぞ。」


「もちろんでございます。今回のことは領主であるサローマ伯爵様にもお伝えしておきます。」


 私たちはコルディさんとピエトロくんに別れを告げた後、《不可視化》の魔法を使って人目に付かない場所まで移動してから《集団転移》でハウル村に戻った。


 もうすぐ春の最初の月も終わろうとしている。あと数日でエマの新学期だ。ヴリトラ、フェルスと別れた私とエマは、その日から早速新学期に向けての準備を始めた。






 それから数か月後、王都で今回の冒険の様子をまとめた劇が上演された。海賊から助け出された人たちがあちこちで話した冒険の様子が評判になり、それをもとに英雄詩や劇が作られることになったのだ。


 ただ助けられた人によって話す内容がバラバラだったので、劇は演じる劇団によって筋書きや演出が少しずつ違うものになってしまった。まあ、救済の聖少女エイミが大活躍するというのはどの劇でも同じだったんだけどね。


 これで救済の聖少女の名前はますます知られるようになった。その劇を何度も何度も繰り返し見たヴリトラは「また新たな英雄物語を見ることができたぞ!」と大喜びしたのでした。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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