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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
83/93

81 忍び寄る悪意 後編

また長くなってしまいました。すみません。眠くて校正があまりできてませんが、とりあえず投稿してしまいます。

 私が見知らぬ女性から美味しいお酒をもらったせいでマリーさんにお説教された日から3日後。私はエマの弟妹のアルベールくんとデリアちゃんと一緒に、ハウル街道へと続く村の小道を歩いていた。


 二人は私の『お目付け役』。マリーさんが「しばらくはドーラを一人でウロウロさせられないから」という理由で、二人を私に同行させてくれたのだ。


 透き通るような青空の下、雪の積もった道を三人で慎重に歩いていく。道に降り積もった雪は薄く溶けては凍ることを繰り返しているため、鏡のようにツルツルになっている。三人とも滑り止めのついた毛皮の靴を履いているけれど、うっかりするとたちまち滑ってしまいそうだ。


 冬も半ばを過ぎているので、最近は雪が降る日と晴れた日が交互にやってきている。来月になれば段々と晴れる日の方が多くなり、やがて春がやって来るのだ。


 晴れた冬の日の風は身を切るように冷たい。それでも体を冷やさないようにと服をもこもこに着せられた二人は、楽しそうに笑いながら滑るように道を進んでいた。






「ごめんねアルベールくん、デリアちゃん。私の配達に付き合わせちゃって。」


「ううん、全然平気だよ。逆にドーラお姉ちゃんのおかげで家から出られて嬉しいくらいさ。な、デリア?」


「そうそう。冬の間は農地の集会所に行くくらいしか許してもらえないもんね。あーあ、早く春になればいいのになー。」


 二人はそう言うとまた顔を見合わせてクスクスと笑い合った。二人はまだ小さいので、大人の仕事を手伝うことができない。出来ることと言えば家の中の火の番や水路での水汲みくらいなので、基本的に外に出ることは許されていないのだ。


 普段ならこの時間は、二人とも農地の集会所で開かれている読み書きの学校に通っている。けれど、今日は私が一緒なので特別に街道まで出ることを許されたという訳だ。その分、二人は家に帰ってからエマに勉強を教わることになっている。


 私たちは手を繋ぎ、三人で歌を歌いながら街道へと進んでいった。






「うわー、冬なのに人がいっぱいだ!」


「ねえ見て、お兄ちゃん! ハウル街道にはあんまり雪が積もってないよ!!」


 およそ2か月ぶりに街道へとやってきた二人は、農地とは違って賑やかな街道の様子を見て嬉しそうに話し始めた。二人が言う通り、荷そりや旅人さんたちが行き交うハウル街道は、他の場所よりもずっと雪が少なかった。私の作った土人形ゴーレムのゴーラたちが毎日せっせと除雪をしているせいだろう。


「じゃあ、まずはカフマン商会の本店に鏡と板ガラスを届けに行こう。二人ともそりに気を付けてね。」


「「はーい!!」」






 はしゃぐ二人の手を引いて、私は街道の端の方をそろそろと歩いて行った。今日は雪が降っていないので、道行く人から《雪除け》のおまじないを頼まれることもない。


 船着き場の桟橋に停まった船へ忙しそうに荷物を運びこんでいる人たちを横目に見ながら、私たちはカフマン商会へとやってきた。


「やあ、ドーラさん。そろそろ来てくれる頃だと思ってましたよ。」


 ガラス張りの明るいお店の中に入ると、顔見知りの店員さんが声をかけてきてくれた。私たちが「こんにちは」と挨拶をすると、彼はにこやかに笑いながら店の裏手にあるいつもの倉庫に私たちを案内してくれた。


「じゃあ、お願いします。私は後で数を確認しに来ますから。」


 彼はそう言ってまたお店の方に戻っていった。私は預かっている鍵を使って倉庫の扉を開けた。窓のない倉庫の中は真っ暗だ。それを見たデリアちゃんは少し不安そうな表情を見せた。






「何にも入っていないから大丈夫だよ。」


 そう言って私はデリアちゃんに笑いかけた。そしてすぐに素朴な木の杖を軽く掲げて《絶えざる光》の魔法を使った。私一人の時は使わないけど、今日は二人が一緒だから特別だ。


 がらんとした石造りの倉庫が空中に出現した白い光球によって明るく照らし出される。それを見たデリアちゃんはやっと安心した様子だった。


 デリアちゃんも私みたいに暗闇の中が見えれば怖くないんだろうけど、人間は暗いところでは物が見えないから仕方がないよね。うんうん。





 倉庫に入った私はいつものように扉をしっかりと閉めた。そして《収納》から頼まれた品物の入った樽や木箱をどんどん取り出し、倉庫に並べていった。


「何回見ても相変わらず不思議な魔法だよね、それ。」


「ほんとほんと。何にもないところから箱が次々、出てくるんだもん。一体どこに仕舞ってあるの、ドーラお姉ちゃん?」


 荷物を取り出す私に二人が不思議そうな顔で聞いてくる。その顔を見ていたらエマの小さい頃を思い出して、嬉しくなると同時に胸の奥がずきんと痛くなった。私は思わずその場にしゃがみ込み、小さい二人の体を両腕にぎゅっと抱きしめた。


 二人はキョトンとした顔で私を見た。私は声が震えないように気を付けながら、二人に魔法の説明を始めた。






「・・・これは魔力で作った部屋の中に仕舞ってあるんだよ。部屋はすっごく広くて、いくつもの仕切りで分けてあるの。だから必要なものをすぐに取り出すことができるんだ。」


「すごいね!!」


「ねえねえ、ドーラお姉ちゃん! そのお部屋の中に私たちも入れるの?」


 目をキラキラさせるデリアちゃんの髪を撫でながら、私はフードを被った頭を軽く振った。


「ううん。《収納》の中に生き物を入れることは出来ないよ。魔法の部屋の中では時間が止まってるからね。生き物を入れたらきっと死んでしまうんじゃないかな。」


 二人は神妙な顔をしてそれを聞いていた。その様子を見ていたら私はふと「もしも私の大事な人たちを今のまま《収納》することが出来たら、いつまでも一緒にいることができるのかしら」と考えてしまった。






 でもすぐに自分でその考えを否定した。私はエマやみんなとといつまでも一緒にいたい。でも皆の時間を止めてまで一緒に居ようとは思わない。それは皆の未来を奪うことと同じだからだ。そんなこと、私にはできない。


 でももしかしたら果てしない未来、私は今の自分の思いを後悔するときが来るかもしれない。永遠の時を生きる私にとって、皆と一緒に居られる時間はあまりにも短かすぎる。


 私は皆から一人、取り残されて生きていくことになる。そのことはもうすでに何度も覚悟をしているものの、改めて考えるとやっぱり恐ろしい。その時、私はどうなってしまうんだろう。






 不安に襲われる私の手に暖かい小さな手が触れた。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 心配そうに私を見上げるきれいな瞳。私は熱くなった目をギュっと瞑って二人の頭を撫でた。


「ちょっと考え事しちゃった。もう大丈夫。ありがとね。」


 私がそう言うと二人は顔を見合わせた。そしてそのまましゃがんでいる私に抱き着いてきた。


「ど、どうしたの二人とも?」


「・・・そんなの俺にもよくわかんないよ。」


「でもね、こうした方がいいって思ったの。」


 二人はそう言って私を抱く小さな腕に力を込めた。二人の体はすごく暖かい。その鼓動を聞いているうちに、私は少し気持ちを落ち着けることができた。私は二人の背中をポンポンと軽く叩いてから立ち上がった。





「ありがとね。次は冒険者ギルドに薬を届けるよ。渡し舟に乗って行こう!」


 久しぶりに船に乗れると聞いて、二人は「やったあ!」と声を上げて喜んだ。私たちは凍り付いた石畳で滑らないように気を付けながら、渡し舟乗り場を目指して桟橋を歩き始めた。


 石造りの桟橋には河口にある港町スーデンハーフからやってきた大きな平底船が横付けされている。そしてその船の中にたくさんの人たちが重そうな木箱を次々と運び込んでいた。


 箱にはフラミィ鍛冶工房の印が書かれているから、多分あの中身は工房で作られた金物類に違いない。フラミィさんの作った武器や職人道具は王都でとても人気があり、飛ぶように売れているそうだ。


 木箱は私の背よりも高く積み上げられていて、紐でしっかりと固定されている。威勢の良い声を出して重い箱を運んでいる人たちに挨拶をして、私たちはその横を通り過ぎた。






「危ない!!」


 ちょうど積み上げられた木箱の横を通っている時、突然後ろから大きな声がした。驚いて振り返った時にはもう、崩れた木箱がデリアちゃんとアルベールくんの頭のすぐ上まで迫っていた。


 私は魔法を使う間もなく、咄嗟に二人に覆いかぶさった。重い金属の入った木箱が雪崩のように私の体に降り注いだ。











「おい! 誰か下敷きになったぞ!!」


「子どもとまじない師だ!! 早く助けろ!!」


 悲鳴と怒号が交錯する桟橋の様子を、フード姿の男は少し離れた物陰からそっと窺った。あらかじめ船員に紛れ込ませておいた仲間は、作戦通りに上手くやってくれたようだ。


 これまでのドーラの行動から、彼女があの桟橋を通ることは予想がついていた。それを見越して張っておいた罠が見事に的中した。






 あの荷物の山はわざと街道側へ崩れやすくなるように積んであった。箱の中身は王都の商会に手を回して注文させておいた重い武器類だ。その木箱も力自慢の貨物船員たちが数人がかりで持ち上げるほどの重量がある。


 どんなに魔力による身体強化に優れていたとしても、あのタイミングでは間に合うはずがない。実はあの時、彼が指示していたよりも仲間が荷紐を緩めるタイミングが早かったため、ドーラに直撃しないのではないかと一瞬不安になったのだ。


 だが彼女は連れの子どもを庇って、自分から荷物の下に飛び込んでくれた。あれだけの量の荷物に押しつぶされれば女子供などひとたまりもない。箱の下の三人の体はぐしゃぐしゃに潰れ、無残な肉塊に変わっていることだろう。






 巻き込まれた子供二人には気の毒だったが、結果的に二人のおかげで標的ドーラを始末することができた。死体の状態を確認するため、彼は荷物に群がる男たちの間にじっと目を凝らした。


 男たちは崩れた木箱を急ぎながらも慎重に取り除いている。急にどかせばまた荷物が崩れて二次被害が起きる恐れもあるから当然だろう。


 彼はそれも見越してこの罠を張っておいた。全員が慎重に行動せざる得ない状況なら、次の行動のための時間を稼ぐことができる。万が一標的に息があったとしても、救助に見せかけて確実に息の根を止めることができるという訳だ。






 彼がじりじりしながら作業を見つめていると突然、荷物を運んでいる男たちが一斉に声を上げて後ろに飛びのいた。次の瞬間、積み重なっていた木箱がガラガラを音を立てて大きく崩れた。


「まじない師の足が見えたぞ! 引っ張り出せ!!」


「ダメだ! 上に木箱が重なっちまってる! それに助けたとしてもこれじゃあ・・・!!」


「最後まで諦めるんじゃねえ!! 口動かす前に手を動かしやがれ!!」


 男たちの怒号がここまで響いてくる。どうやら確実に標的ドーラは荷物の下敷きになっているようだ。






 美しい娘には少々酷な殺し方だがこれも仕事だ。それに攫われた後に拷問され秘密を吐かされるよりは苦しまずに死ねた分、まだましかもしれん。


 彼がそんな風に思っていると、荷物をどかし終えた男たちから「おおっ!!」と大きな声が上がった。ついに遺体が出てきたかと目を凝らした彼は、男たちの間から見える姿を見て、思わず自分の目を疑った。


「よいしょっと。デリアちゃんとアルベールくんは大丈夫だった?」


「うん、ありがとう。ドーラおねえちゃん!」


「俺、すっごくびっくりしたよ! 死んだかと思っちゃった!」


 男たちの真ん中に立っていたのは、荷物の下敷きになったはずの三人だった。目を丸くして驚く船員たちに囲まれながら、彼らは笑顔で会話している。彼は三人の様子を確かめようと物陰を出て、そっと耳をそばだてた。






 するとしゃがみ込んで子供たちの服の汚れを拭いてやっているドーラに、船員たちが声をかけるのが聞こえた。


「あ、あんたら! 本当に大丈夫か!? け、ケガはねえか!?」


 その問いかけに応えたのはドーラの連れてる薄茶色の髪をした幼い少女だった。この子供は確かエマの妹で、デリアという名前だったはずだ。


「うん、平気だよ。だってドーラおねえちゃんが荷物を支えて・・・。」


「デリア!! バカ!!」


 何か言いかけた少女を彼女の双子の兄がしかりつけた。少女は慌てて自分の口を塞ぎ、目だけでドーラと兄に謝った。それを見たドーラは苦笑いしながら、周りの船員に説明を始めた。






「崩れた荷物の間に偶然空洞ができてたみたいで。そのおかげで助かりました。」


「おお、そりゃあ幸運の女神ドーラの髪に触れたな! 本当に運のいいこった!」


 ドーラの言葉を聞いた船員たちはみな怪訝そうな表情をしていたが、三人の元気な様子を見てとりあえず安心した様子だ。


 その後彼女は船員たちと共に崩れた荷物を片付け始めた。彼女は屈強な船員が何人かで抱えるような荷物をひょいと持ち上げてはどんどん運んでいく。それを見た船員たちは口をあんぐり開けて驚いていた。


 騒ぎを聞きつけた衛士隊がやって来るのを目にしたフード姿の男は、誰にも悟られないよう気を付けながらそっとその場を離れた。






 確実に始末したはずの標的は、どういう訳か生きていた。助かった理由がドーラが言った通りだとするなら、彼女はその名にふさわしいとんでもない幸運の持ち主だということになる。


 しかし彼はそれを信じるほど単純でも楽観主義者でもなかった。ドーラには何か大きな秘密がある。そしてそれは確実に伯爵かれのあるじにとって大きな障害となるものだ。彼は理屈抜きにそう思わずにはいられなかった。


 伯爵のために彼女はここで確実に始末しなくてはならない。彼はそう決意を固めるとすぐに、次の作戦のための準備に取り掛かった。











 桟橋で荷崩れの事故があった日から7日後。久しぶりの睡眠から目覚めて屋根裏部屋から下に降りた私は、マリーさんに挨拶をしに行った。


「おはようございます、マリーさん。」


「おはようドーラ。もうすぐ昼だけどね。」


 マリーさんは家妖精のシルキーさんと一緒にお昼ご飯の準備をしながら、私にクスクスと笑いかけた。


「そういえばあんたに荷物が届いてるよ。」


「私にですか?」


 お隣に住んでいるイワンくんが届けてくれたという木箱の中に入っていたのはたくさんの紙と魔導具類だった。紙はイワンくんの妹ハンナちゃんが書いてくれたものだ。






 今、彼女は宿屋で働きながら私の代わりに薬や魔導具の注文を聞き取ってくれている。春になったら彼女は宿屋を辞め、新しく私が作る魔導具店で働いてくれる予定。今はその準備として受注を代行してくれているのだ。


 ちなみにハンナちゃんと一緒にイワンくんも宿屋を辞めることになっている。彼もいずれはハンナちゃんと一緒に私の店を手伝ってくれるそうだ。ただ今は商人としての経験が足りないので、しばらくはカフマン商会で修行するらしい。今も私のために二人は頑張ってくれている。本当にありがたいです。






 注文を書いた紙や修理を依頼された魔導具類は事細かな説明が付けられ、箱の中にきれいに整理されている。一通り見てみたけれど、急ぎの注文はないようだった。私はそれをマリーさんに伝え、そのまま一緒にお昼ご飯づくりを手伝わせてもらうことにした。


 デリアちゃんとアルベールくん、それにエマはまだ村の集会所から戻ってきていない。屋根に降り積もる雪の音からすると、今日はいつもより少し重い雪が降っているみたい。帰りは大変かもしれない。


 私はお昼ご飯の様子を見計らいながら、エマを迎えに行きますとマリーさんに告げて家を出た。


 《雪除け》の魔法を使ってから集会場に向かって歩いていると、ちょうど子供たちが集会場から出てくるところだった。子供たちは私の姿を見ると、嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。






「ドーラおねえちゃん、こんにちは!!」


「こんにちは! 《雪除け》をかけてあげようか?」


「ううん、大丈夫。もうエマ先生が皆にかけてくれたよ!」


「エマが?」


 見れば子供たちの体にはしっかりと《雪除け》の魔法が掛かっていた。降り積もる重たい雪は子供たちを避けるように地面へと落ちていっている。エマがこんなに大勢の子供たちに魔法をかけられるようになったと知って、私は嬉しくなると同時になぜだか少し寂しいと感じてしまった。






 子供たちは今日エマから教わったことを口々に私に教えてくれた。私はその子たちの頭を順番に撫でて、家へ帰っていくのを見送った。子供たちがみんな帰った後、集会所の片づけを終えたエマたちが姿を見せた。エマは私に気付くとすぐに近寄ってきた。


「お姉ちゃん、迎えに来てくれたの?」


「うん、今日は結構雪がひどいでしょ? それで心配になったんだけど、エマがもう皆に《雪除け》をかけてくれてたんだね。やっぱりエマはすごいよ。」


 私がそう言うとエマは少し恥ずかしそうに頬を染めた。


「ううん、そんなことないよ。お姉ちゃんに比べたらまだまだ全然だもの。」


 そう言って俯いたエマの横顔はなんだかとても大人びて見えた。私は心臓が大きくどきんと跳ねた気がした。エマは私のそんな思いに気付かないまま、あどけない表情で私に抱き着いてきた。






「お姉ちゃんが来てくれてすごく嬉しい! 早く帰ろう。もうお腹ペコペコだよ!」


 エマがそう言うとアルベールくんとデリアちゃんがくすくすと笑いだした。


「エマ姉ちゃんの腹、エセルに教えてるとき、すごい音立ててたもんね!」


「そうそう! みんなすぐにお姉ちゃんの方を見たもん。」


「もう!! ドーラお姉ちゃんにまで言うことないじゃない!!」


 三人は楽しそうにはしゃぎながら私の周りを回り始めた。エマは私が小さい頃からよく知っている笑顔をしていた。私は少し安心した気持ちになり、元気よくエマたちに声をかけた。






「じゃあ《集団転移》で戻るよ。皆、私につかまって!」


「「「はーい!!」」」


 私は魔法を使い、みんなと一緒にフランツ家の玄関に一瞬で移動した。


「お母さん、ただいま!!」


「おお、おかえり。ついさっき父さんも帰ってきたところだよ。皆、皿を並べておくれ。」


 皆でそろって食べたお昼ご飯はとっても美味しかった。私は「この時間がいつまでも続きますように」と願わずにはいられなかった。






 その日の夜、私は自分の寝床のある屋根裏部屋で一人、依頼品の入った木箱を手にしていた。


「さて。皆寝ちゃったし、そろそろ始めようかな? シルキーさーん!」


「はい、お呼びでしょうかご主人様。」


「薬の調合や魔導具の修理をしたいので手伝ってもらえませんか?」


「もちろんです。」


 私は屋根裏部屋に魔力で作った壁を張り巡らせて作業を始めた。作業中の音でみんなを起こさないようにするためだ。まあ、そんなに大きな音を立てる作業はないんだけどね。






 まずはハンナちゃんの書いてくれた依頼メモを見ながら魔法薬を調合していく。空中に魔力で作り出した炉を浮かべ、いくつもの材料を同時に加工するのだ。シルキーさんに計量と下ごしらえをしてもらった材料に私が魔力を流し込めばあっという間に薬の完成だ。


 ほとんどの薬は普段作っているものばかりなので、もうすっかり慣れたものだ。できあがった薬はシルキーさんが陶器の瓶に小分けしてラベルを付けてくれる。それを私は依頼メモと一緒に箱の中に並べておく。


 これは明日配達する予定だけど、配達先の分からない個別の依頼品はハンナちゃんに届けることになる。中身が入違ったりすると大変なので、私は慎重に作業を進めていった。


 もちろんいちいち作らなくても、同じような薬の在庫は私の《収納》の中に大量に保管してある。でもこうやって小分けに作った方が錬金術の練習になるから、材料が十分にあって急ぎの注文でないものは出来るだけその都度作るようにしている。


 あと眠ることができない私にとっては、こうやっていないと夜の時間が長すぎるというのもある。たった一晩をこんなに長く感じるようになったのは、私の感覚が人間に近づいているということなのかもしれない。皆が起きるまでの時間が、今の私には待ち遠しいのだ。






 魔法薬が出来たら次は魔導具の製作と修理だ。材料のそろっている魔導具はすぐに作れるけど、そうでないものは一旦置いておく。足りないものは明日、冒険者ギルドやカフマン商会で調達しないといけない。


 もちろんすぐに手に入りそうな素材なら狩りや採集で集められるけど、魔法銀ミスリルとかの魔法金属はそうはいかないから仕方がないのだ。


 その点、修理は割と簡単にできるものが多い。修理を依頼される魔導具は内部の魔術回路が壊れている場合がほとんど。だからそれを直すだけで大丈夫なのだ。


 修理の手順としてはまずはじめに魔導具に軽く無属性の魔力を流す。こうすると回路が壊れている場所をすぐに見つけることができる。


 回路が壊れる原因は大きく分けて二つ。魔導具自体の劣化による摩耗か、もしくは回路への過剰負荷による破断だ。






 魔導具には《磨滅防止》の魔方陣が組み込まれていることがほとんどだけど、魔導具自体を長く使っていないと新たな魔力が供給されなくなりそれがうまく働かなくなってしまう。それで少しずつ壊れて行ってしまうという訳だ。


 ただその場合の修理は割と簡単。残った魔術回路に沿って魔力を流し、足りない部分を《魔方陣構築》の魔法を使って新たに書けばいいだけだ。ただ私に修理の仕方を教えてくれたガブリエラさんは「そんなに簡単に修理できるのはあなたくらいよ」とすごく呆れていた。


 普通は魔導具の特性に合わせた魔力中和液や回路を描くための魔法のインク、それに魔方陣を刻むために適した属性の魔力が必要なのでものすごく大変らしいです。大抵の人間は魔力属性を一つしか持っていないからね。






 修理で厄介なのは過剰負荷による破断の方だ。これは魔導具に想定以上の魔力が流れてしまったことで起こる場合が多い。


 使用者自身が魔力を流しすぎてしまったり外部から強い魔力による負荷が掛かったりすることで魔術回路が破断してしまうのだ。すると回路自体が焼き切れてしまい、魔導具は壊れてしまう。


 破断した回路を直す方法はないため、修理しようと思えばそこに刻んである魔方陣を一度消してから新しいものを書き込まなくてはいけない。これが恐ろしく面倒なのだ。


 まず消す前に残った回路を読み取っておく必要がある。その後、破断前はどんな魔方陣がどんなふうにつながっていたのかを見つけなくてはならない。これには錬金術師としての高度な知識が必要となる。






 私もガブリエラさんから魔方陣の読み取り方は一応教わった。でもそんなに得意ではないので、いつも彼女から貰った錬金術の教本を見ながら一つ一つ読み取っている。


 ガブリエラさんは一目見ただけでどんな回路なのか簡単に読み取っていたし、更にはもっとよりよく書き換えることさえやってのけていた。でも経験が足りていない私には到底そんなことは出来ない。だから修行を続けて、いつかは彼女みたいになれたらいいなあと思っている。


 そうなったら彼女は私を褒めてくれるかな。彼女に「さすがは私の自慢の弟子ね」と喜んでもらうためにも頑張らなくちゃ!






 私は木箱の中に入っているいくつかの魔導具を順番に調べていった。そのほとんどは冒険者ギルドからの依頼品だ。どれも磨滅による故障だったので、《自動書記》と《魔方陣構築》の魔法ですぐに修理することができそうだ


 でも個別の依頼品として置いてあった二つの魔導具は一目見ただけで大変そうなのが分かるくらいだった。


 一つは一般的に『防魔の護符』と呼ばれる護身用のお守りで、魔術回路が完全に焼き切れてしまっていた。多分外部からものすごい魔力の負荷を受けたのだろう。どうやったらこんな壊し方ができるのかと思うほど、完全に壊れている。誰がやったか知らないけれど、修理する方の身にもなってほしいものだ。


 もう一つも多分護符アミュレットだと思うのだけれど、こっちはどんな回路なのか全く分からないほど複雑な魔法陣が組み込まれていた。持った感じだと中にかなりの量の魔力が残っているみたい。回路の一部が焼けてしまっているのでこれも過剰負荷が原因だと思うのだけれど、調べるのにはかなり時間が掛かりそうだ。


 私はまずはギルドからの依頼品を修理して、この二つは後回しにすることにした。






 ギルドからの依頼品の修理が終わったのは真夜中を少し過ぎた頃だった。私は残った二つの依頼品を手にしてどちらを先にするか少し考え、防魔の護符の修理に取り掛かった。


 こっちを先にしたのは回路が比較的単純だったからだ。それに防魔の護符は一度、ガブリエラさんを手伝って作ったことがある。私は《自動書記》で羊皮紙に回路を写し取ってから、《魔方陣破棄》の魔法で壊れた回路をきれいに消し去った。


 その後、再び魔方陣を描いて行った。元々描かれていた回路はガブリエラさんが描いていたものに比べてあまり効率が良くなさそうだったので、彼女が考案した魔方陣をもとに新しいものを描くことにした。多分こっちの方が性能が良くなるはずだ。






 シルキーさんに手伝ってもらいながら作業を進め、気が付くともうすぐ夜が明けるくらいの時間になってしまっていた。


「どうしよう。今からだとマリーさんが起きちゃうかもしれないな。」


 私は一つだけ残った護符を手に乗せたまま少しだけ考えた。


「よし。これはまた今夜修理しよう。でもとりあえず魔方陣を読み取って、壊れた場所くらいは確かめておかないとね。」


 私は魔術回路を読み取るために魔力を魔導具に流し込んだ。すると焼け焦げた回路の下から重なるように描かれた新たな回路が、薄い魔力光を放ちながら浮かび上がってきた。


「なるほど。二つの魔術回路が重なるように描かれてたから複雑に見えてたのか。それにしてもこの魔法陣って何だろう? 火の魔方陣が6つとそれに対応する風の魔方陣、それを中心で光の魔方陣が繋いで・・・。」


 うん、待てよ? これって確か上位魔ほ・・・・!?


 私がそう思った瞬間、私の手の中にあった魔導具は凄まじい熱と光を放ちながら炸裂した。











 ドンという強い衝撃と共にぐらりと大きく家が揺れたことで、エマは慌てて寝床から飛び出した。


 部屋の中はまだ暗い。一緒に飛び起きたデリアとアルベールにその場で待っているように伝えた後、エマはすぐに短杖を手に取り《小さな灯》の魔法を使った。寒さを防ぐために重ね着した寝間着のまま、明かりの灯った短杖を持って子供部屋を出た彼女は、廊下で慌てた様子のフランツと鉢合わせた。


「お父さん、お母さんは!?」


「母さんは大丈夫だ。今、グレーテを見てる。お前たちは無事か?」


「うん、私たちは平気。」


「そうか。じゃあ、残りはドーラだな。」


 エマは父親のその言葉を聞き終わるよりも早く、屋根裏部屋に続く梯子にとりついていた。杖を放り出し急いで部屋に飛び込もうとしたエマは、目に見えない柔らかな壁に頭をぶつけて止まった。






「これ、魔力の壁!? お姉ちゃん、大丈夫!?」


 エマは左手で梯子を掴んだまま右手で壁を叩き、必死にドーラに呼びかけた。だが中からは何の返答もない。自分の魔力で壁を破るため、エマが下に落ちた短杖を拾いに戻ろうとした時、壁の向こうからドーラの声が聞こえてきた。


「あー、エマ。私は大丈夫・・・いや、大丈夫ではないけど、なんていうかその、無事です、はい。」


 なんだか極まりが悪そうな声でドーラはそう言った。


「大丈夫じゃないの!? ねえ、この壁をどけて!!」


「いやー、それはちょっとなんていうか、少し困るっていうか・・・。」


 弱り切った様子のドーラの声にエマが心配を募らせていると、梯子の下にやってきたマリーがエマに話しかけてきた。






「エマ、ドーラは無事なのかい?」


「うん、無事みたい。でもなんだかすごく困ってるみたいなんだけど・・・。」


 それを聞いたマリーは腕の中で眠っているグレーテを夫に預けると、エマに梯子から降りるように言った。そしてエマと入れ替わるように梯子に手をかけ、壁の向こうのドーラに呼びかけた。


「ドーラ、中に入れておくれ。」


 しばらく沈黙があった後、ドーラの「はい・・・」という小さな声が聞こえた。マリーは壁が消えたのを確認して屋根裏部屋に入っていった。マリーに続いて短杖を手にしたエマが部屋に入ると、部屋の中が薄明りで照らし出された。






「!? ドーラ! あんた、なんて恰好してんだい!!」


 二人の目の前に立っていたのは焼け焦げた服の残骸を申し訳程度に体にくっつけたドーラだった。ほとんど裸の状態のまま、ドーラは半泣きになりながら話し始めた。


「えっと、これはですね。わざとやったわけじゃなくて、その、私もびっくりしたっていうか・・・。」


 ドーラは自分の身に起こったことをしどろもどろになって二人に説明した。ドーラの服は突然の爆発できれいに焼けてしまっていた。ただドーラが咄嗟に魔力で爆発を押さえ込んだため、部屋の中の家具や道具類は衝撃で散乱しているものの焼けずに済んでいた。


 エマから事情を聞いて屋根裏部屋の入り口から顔を覗かせたデリアは、ドーラの姿を見るなり大きな声を上げた。


「ドーラお姉ちゃん、お尻丸出し!!」


 くすくす笑うデリアを軽く窘めて階下に戻した後、マリーはドーラに向き直った。






「ドーラ。」


「は、はいっ!!!!」


 ドーラは体をびくりと震わせてマリーの前に座り込んだ。マリーは苦笑しながらドーラの寝台の脇に落ちていたシーツを拾い、ドーラの体を優しく包み込んだ。怯えた目をしたドーラにマリーは優しい口調で話しかけた。


「しょうがない子だね、あんたは。あんたがわざとやったわけじゃないんだから怒ったりはしないさ。それにあたしたちを守る為に、ちゃんと初めに壁を作ってくれてたんだろう?」


「マリーさん! でも、せっかくの服が・・・!!」


 マリーは小さく頭を振り、震えるドーラの髪を優しく撫でた。






「服だけで済んでよかったじゃないか。ちょうど冬の間に織った布がある。明日それで新しい服を仕立てるから、安心おしよ。それまではこのシーツを体に巻いとくといいさ。」


「マリーざん・・・!!」


 ドーラはマリーの胸に顔を埋めると声を上げて泣き始めた。マリーは泣きじゃくるドーラの背中をトントンと優しく叩きながら小さく呟いた。


「・・・こうしてるとあんたと最初に出会った日を思い出すねぇ。」


 マリーは傍らに座っていたエマと目を合わせるとにっこりと微笑んだ。そして成長した娘の姿をあの日の幼い彼女に重ね、過ぎ去った日々を懐かしく思い出したのだった。











「・・・失敗か。一体どうなってやがる?」


 爆裂の魔導具が作動する様子を少し離れた森の木陰から窺っていたフード姿の男は、信じられない思いで小さく呟いた。あの魔導具には複合上位魔法である《爆裂エクスプロージョン》が6発分も封じ込められていたはず。


 だが一定以上の魔力に反応する罠が確かに作動したにもかかわらず、炸裂する光と大きな衝撃音以外は何の被害も起きていない。本来であれば周辺の家屋ごと炎と爆風で粉微塵になっているはずなのにだ。


 男にはそのからくりが全く理解できなかった。






「仕方ない。次の手を・・・。」


 そう呟いてその場を立ち去ろうとした男は次の瞬間、身につけた短剣をさっと引き抜いた。急所目掛けて飛来した投擲用の短刀が男の短剣とぶつかり、激しい火花と金属音を上げる。


 男は木立を背にしてさっと身構え、短刀が飛来してきた梢を見上げた。それと同時に梢から小さな人影が音もなく降り積もった雪の上に降り立った。


「もう次はありませんよ。」


 灰色の装束に身を包んだ人影は、目だけを覗かせた覆面の下から静かに男に語りかけた。声と背格好から若い女だ察せられた。彼がそっと目を配ると、彼女と同じ装束の者たちが彼の周囲をぐるりと取り囲んでいるのが見えた。






「・・・その姿、王家の密偵イヌか。」


「そういうあなたはどの貴族家から入り込んだ暗殺者がいちゅうです?」


 答えの代わりにリアに向けて放たれたのは、星形の投擲刀だった。小太刀でそれを払いのけた時にはすでに、男の姿は彼女の目の前から消えていた。


「逃がすな!」


 リアの号令に従って周囲の木陰に潜んでいた灰色装束たちが一斉に動き出す。


 恐ろしい手練れだ。だがやっと捕まえた尻尾を放すわけにはいかない。ここで確実に始末する。


 リアは必殺の思いを胸に一気に梢に飛び上がると、夜明け前の暗い森の中の死闘へとその身を踊りこませた。











 私がうっかり魔導具を爆発させてしまった日のお昼ごろ、カールさんがリアさんを連れて私を訪ねてきてくれた。彼は今朝早くに爆発音を聞いたという噂を耳にして、私を心配してやってきてくれたらしい。


 あの爆発音は周りの家にもしっかり聞こえていたようで、朝からそのことが噂になっていたそうだ。私は申し訳ない思いで彼に謝り、お礼を言った。


「いえいえ、大丈夫ですよ。ドーラさんやエマたちが無事で何よりでした。ところでドーラさんが爆発させたというその魔導具、私に貸していただけませんか?」


「えっ、でもこれ依頼の品ですし・・・。」


「少し調べたいことがあるのですよ。依頼主には私の方から説明しておきますから。」


 私は彼に護符の残骸を手渡した。残骸は完全に焼け焦げ溶け落ちてしまっていて、もうすっかり原型を留めていない。それを見た彼は真剣な表情で頷いた後、傍らに立っていたリアさんにそれを渡した。






「ありがとうございます、ドーラさん。確かにお預かりしますね。」


「本当にすみませんでした。依頼主の方によろしくお伝えください。」


 私がそう言うと彼は少し複雑な表情をした後、私に言った。


「最近いろいろと物騒なことが多いのです。本当に申し訳ありません。」


「?? はあ、そうなんですね。でも、どうしてそのことをカールさんが私に謝るんですか?」


 私がそう言うと彼は少し困った顔をした。






「・・・それがこの村を預かる私の役目だからですよ。騒ぎを起こす者が出ないようにしていますが、なかなかうまくいきません。」


 そう言えば彼は王様からこの村の管理を任されているんだった。冬とはいえハウル街道はいろんな人たちが行き来するから、カールさんは毎日すごく忙しそうにしている。今日も少し疲れているみたい。私は彼が心配になった。


「いろんな人が村にやって来るようになりましたからね。そういえばひと月くらい前にヴリトラたちが捕まえたあの人たちってどうなったんでしょう?」


「あの者たちはすでに王都へ送りました。今頃は然るべき罰を受けているはずです。ただ、一人取り逃してしまいましてね。」


「えっ!? 大丈夫なんですか?」


 私が驚いてそう尋ねると、彼はリアさんと軽く目線を合わせた後にっこりと頷いた。






「ええ、それに関してはもう大丈夫です。なかなか大変でしたがすでに対処してありますから。」


「そうだったんですね。でもカールさん、あんまり無理をしないでくださいね。」


「ありがとうございます。私の周りには頼りになる者たちが大勢おりますから。」


 彼がそう言うと、リアさんはほんの少しだけ嬉しそうな表情をした。私は《集団転移》の魔法使って二人を家まで送り届けた。そして二人と別れた後、依頼された品を配達しに行ったのでした。











「・・・そうか、分かった。下がってよい。」


 最も信頼していた密偵の死の知らせを聞いたデッケン伯爵は、側近を下がらせ自室の椅子に深く腰かけた。別の密偵からの報告によれば、彼は王家の密偵たちに手傷を追わせながら戦い抜き、最後は自ら命を絶ったという。


 自害したのは捕らえられて伯爵あるじの情報を引き出されるのを恐れたためだろう。最期まで忠実に仕えてくれた彼を思い、伯爵は一つの決断を下した。


 彼が最後に残してくれた情報によれば、ドーラに対する王家の防御はますます強固なものになっているようだ。それがあったからこそ、彼は可能なうちに強引な手段を使ってでもドーラを始末しようとしたのだろう。


 だが彼を以てしてもそれは不可能だった。ドーラやエマに対してこれ以上手出しする手立てが、現時点で伯爵にはもう残っていない。






「だが奴のおかげで弱点は見えた。」


 ドーラの弱点。それは彼女を守護する者だ。そしてエマと同じかそれ以上に彼女が愛する相手。カール・ルッツ令外子爵、その人だ。


 子爵自身は剣の達人として広く知られており一筋縄でいく相手ではない。時間をかけて慎重に準備し、絶好の機会を伺う必要がある。


 今はまだ子爵も警戒しているだろう。だから時機を待つ。奴の警戒が解け、油断する一瞬を狙うのだ。それには奴が勝利を確信した瞬間が最もふさわしい。奴の勝利、すなわち王家の勝利が確定するその寸前を狙うのだ。


 今回の失敗のおかげで戦うべき相手がはっきりと分かった。それが伯爵にとって最も大きな収穫だった。






「そのためにはもう一押し、必要かもしれんな」


 伯爵はカールを始末するのにふさわしい相手を思い浮かべた。王国の闇に潜むといわれる伝説の暗殺者。黒い毒短針を自在に操る謎多き存在を。


 依頼者にすら正体を見せず、どんなに高額な報酬であっても気に入らない依頼は決して受けない。そして敵味方関係なく、関わった者は大きな災いに見舞われることから『厄災カタストローフェ』の名を持つ者。


 危険極まりない相手だが、あの子爵を始末するのにこれ以上相応しい者はいないだろう。子爵を排除し、王家の秘密を手中に収めることができれば伯爵の悲願は達成される。


「最後に勝つのは、この私だ。」


 伯爵は昏い瞳でそう呟いた。追い詰められた伯爵のこの決断は、やがて大きな厄災となってカールの、そしてドーラの上に降りかかることとなる。だがそれはいまだ姿すら見えぬ、遠い未来の話なのだった。

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