79 来訪者 後編
やっと1話分書けました。本日2話投稿しています。こちらは後編です。
村を東西に隔てるドルーア川を渡るため、私は皆を連れて渡し船乗り場へ向かった。ドルーア川は私のねぐらであるドルーア山を源流とする川だ。
この川はどんな寒い時でも決して凍ることがないと言われている。しかも川の側には魔獣が寄り付かないため、王国の人たちにとってなくてはならないものらしい。
王国の人たちは生活を支えてくれるこの川を『聖なる川』と呼び、とても大切にしている。
そんな話をしているうちに私たちは船着き場に着いた。顔見知りの船頭さんは、私の後ろに立っているフェルスの体を見るなり、驚いて大きな声を上げた。
「いやー、あんたでっかいねえ!! 普通の渡し船じゃたちまちひっくり返っちまいそうだよ!」
そう言って船頭さんは、私たちを荷馬車運搬用の平底船に案内してくれた。
「こいつなら大丈夫だろう。あんたが荷馬車や六足牛よりも重いなら話は別だがね!」
寒風に負けないよう毛皮の外套をしっかり着込んだ年配の船頭さんは、ニコニコ笑いながら冗談めかしてそう言った。彼は相棒と二人で器用に櫂を操作し、私たちを東ハウル村まで連れて行ってくれた。
私は船頭さんたちに代金の銅貨を手渡していた。その間もフェルスは興味津々の表情で船の様子を一心に観察していた。
船頭さんたちが平底船に新しい荷物を積んでまた向こう岸に戻す様子を見ながら、フェルスは興奮した調子で私たちに話しかけてきた。
「あんな風に水の上を運んでもらうなんて、すごく素敵な体験だね! 僕、この姿になって本当によかったよ!」
子供のように喜んで笑顔を見せる彼を見て、エマは私に向かってこっそりと「お姉ちゃんが村に来たばかりのころを思い出すね」と言った。
「えー私、あんなに大喜びしてたっけ?」
「一番最初に川を遡る船を見た時、お姉ちゃんったら家にいた私を抱えて川まで走っていったじゃない。『ねえねえ、エマ! あれ見て! あれ何かな?』って。私、今でもちゃんと覚えてるよ。」
エマはそう言ってくすくすと笑った。そう言われればそんなことがあった気がする。あの時、エマは4つになったばかりで今よりもうんと小さかった。
その頃の私は人間の暮らしや村の生活のことが全然分からなかったから、毎日いろんな失敗をしては皆に驚かれていたっけ。懐かしいなあ。
そんな思い出話をエマとしているうちに、私たちは酒場『熊と踊り子亭』を通り過ぎ、東ハウル村の中央広場に面した冒険者ギルドにやってきた。
すれ違う冒険者の皆さんやギルドの職員さんたちは、私とエマの姿に気が付くと、気さくに挨拶をしてくれる。その様子を見てヴリトラが感心したように私に向かって呟いた。
「随分と慣れ親しんでおるのだな。」
「エマはこのギルドの有名人だし、私はいつも薬や巻物、魔導具なんかを卸に来てるからね。」
私がそう答えると彼女は「なるほどのう」と何度も頷いた。一方、フェルスは冒険者さんたちの持っている武器や防具が気になるようで、誰かとすれ違うたびに口をぽかんと開けてはその姿をじっと観察していた。
「新規登録はこの窓口ですよ、ヴリトラ様。」
エマの案内でヴリトラは受付係の女性の前に立った。エマから事前の説明を受けていた彼女は、ヴリトラの奇抜な服にも、フェルスの見上げるような巨体にも驚きの表情を見せることなく、笑顔で話しかけてきてくれた。
「冒険者登録をご希望ですね?」
「うむ、いかにも!」
嬉しそうに大声で返事をしたヴリトラに少し面喰らいながら、彼女は一枚の紙を手に取った。
「で、ではこちらの用紙にお名前を記入しますので、教えていただけませんか?」
「よかろう、しかと聞くがよい! 我が名はヴリトラ! 闇と破壊を司りし、漆黒の断罪者である!!」
そう叫んでビシッとポーズを決めたヴリトラを、彼女は呆気にとられたように見つめていたが、やがてハッと表情を変え、何事もなかったかのように用紙にヴリトラの名前を書き込んだ。
「えっと・・・ヴリトラ様、ですね。」
彼女は流麗な仕草で必要事項をサラサラと記録していく。こんな風に文字を書ける女性はすごく珍しい。彼女は平民じゃなくて元貴族なのかもしれない。そう言えば受け答えの様子や言葉遣いも、ちょっと貴族風な感じがする。
文官として冒険者ギルドに就職した人なのかな? いや、もしかしたら引退した元冒険者って可能性もあるよね。私がそんな風に思いながら眺めていると、彼女はふと顔を上げてフェルスの方に目を向けた。
「あの、そちらの方は?」
「僕の名前はフェルスです。ふふ、いい名前でしょう?」
嬉しそうに自分の名前を自慢する彼を見て、受付の女性は穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですね。とても素敵なお名前だと思います。お二人は冒険者としての経験はございますか?」
「冒険者としてではないが、魔獣を狩って魔石を売ったことならあるぞ!」
「えっ、そうなのヴリトラ?」
驚いた私がそう尋ねると、彼女は自慢げに大きな胸を反らした。
「うむ、聖都でな。かなり良い値になったぞ。」
彼女はそう言って胸の谷間から小袋を取り出すと、中を開いてカウンターのテーブルの上に出して見せたてくれた。涼し気な音と共に十数枚の銀貨がテーブルの上に転がる。ああ、銀貨! なんて素敵な輝きなのかしら!!
でも彼女の見せてくれた銀貨は、王国のものと少し見た目が変わっていた。王国の銀貨が不揃いな円形をしているのに対して、彼女の銀貨は歪んだ六角形をしている。表面に描かれているのも、祈りを捧げる女性の横顔と重なった二つの円模様だった。
どうやらヴリトラは竜の姿で獲物を狩った時に、その魔石を分身体を使って取り出していたらしい。受付の女性は、少し驚いた顔をして彼女の銀貨をまじまじと見つめた。
「それは『聖女銀貨』ですね。話には聞いていましたが実際に見たのは初めてです。あなた方はずいぶん遠くからいらっしゃったんですね。」
銀貨を見ただけでどこのお金か分かるなんて、まるでカールさんみたいだ。やっぱり彼女は元貴族なのだろう。
ヴリトラは満足気に頷いた後、銀貨をまた小袋に戻し自分の胸の間に仕舞い込んだ。彼女の隣の受付にいた男の人はその様子を目にした途端、ギョッとした顔をして彼女の揺れる大きな胸を横目で眺めた。
でも彼は私が見ているのに気が付くと、さっと視線を逸らして足早に立ち去っていってしまった。受付の女性は立ち去っていくフード姿の男の人の背中に心配そうな視線を向けていた。けれど小さく息を吐いた後、フェルスの方を見て彼に問いかけた。
「フェルスさんは魔獣討伐の経験はございますか?」
「いいえ、僕はありませんよ。人間の世界・・・じゃなかった、この王国にも今日来たばかりです。」
「分かりました。では登録料をいただいてから、冒険者の仕事とギルドについて簡単にご説明させていただきます。」
彼女はそう言って二人分の登録料20Dを受け取った後、魔獣討伐や依頼の達成方法についての説明をし始めた。
「・・・以上で説明は終わりになります。翌日には冒険者証が出来ていると思いますので、明日もう一度取りにいらしてくださいね。」
「うむ、よく分かったぞ! おぬしはどうじゃな、フェルスよ?」
「僕も分かったよ。魔獣を狩ってここに持ってくればいいんでしょ?」
「よし、そうなれば善は急げじゃ。早速魔獣を探しに出かけようではないか!」
ヴリトラはそう声を上げると、フェルスと一緒にギルドの出口に足を向けた。するとその様子を見た受付の女性が慌てた様子で立ち上がり2人を呼び止めた。
「ちょ、ちょっとお待ちください! まさかそのままで行くつもりじゃないですよね?」
「ん? まだ何か説明があるのか? もしや試練で我を『えすらんく』にしてくれるのか!?」
「『えすらんく』?? いえ、そうではありません。でも最低限の装備もなしに冒険に出るだなんて、死にに行くようなものです!」
彼女は強い調子でそう言ったが、ヴリトラはフンと鼻を鳴らして首を横に振った。
「装備? 別に必要なかろう。」
「必要ないなんて、そんなこと・・・!」
彼女はそう言いかけたが、ハッと何かに気付いたように言葉を止め、慌てて頭を下げた。
「ああっ、失礼しました! ヴリトラ様は呪文詠唱者でいらっしゃるんですね。」
呪文詠唱者というのは魔術師や魔導士のように、魔法を使って魔獣と戦う人のことだ。普通、人間が呪文を詠唱する場合には術の正確さを高めるため、杖くらいしか身につけない。重装備をすればそれだけ体の細かい動きが制限され、体内で魔力を練ることが難しくなるからだ。
ちなみにこの王国において、冒険に出られるほどの女性呪文詠唱者はほぼ間違いなく貴族の血族だ。ヴリトラは褐色の肌をしているからこの国の人とは思われてないだろうけど、受付の女性が彼女に対して丁寧な言葉で謝罪したのはそれも影響しているのだと思う。
呪文詠唱者であればヴリトラが軽装でも問題ない。多分、彼女はフェルスが前衛、ヴリトラが後衛で戦う二人組だと思っているのだろう。さっきフェルスが「この王国に来たばかり」と言ったから、彼用のかさばる防具や道具類は宿かどこかに置いてあるのだと思ったようだ。
もちろん実際のところ、二人は何の準備もしていない。全部、受付の女性の勘違いだ。でもそれを説明するのは難しいので私とエマは一度ギルドを出て、他の人に聞かれない場所で2人に色々説明することにした。
「お姉ちゃん、あの路地なら大丈夫そうだよ?」
エマが広場に面した人気のない路地を指さす。確かにあそこなら周りの建物から死角になっていて他の人から見られる心配がなさそうだ。私とエマは半ば強引にヴリトラとフェルスをその路地に連れて行った。
「どうしたのだドーラ? エマ? 我はすぐにでも魔獣を狩りに行きたいのだが・・・?」
「いえヴリトラ様、人間の冒険者として仕事をするならそれなりの準備をしなくてはなりません。まずは・・・。」
エマが彼女にそう説明を始めた時、私は路地の前後から近づいてくる人の気配に気が付き、すぐにエマを押しとどめた。
「あんた、詠唱者なんだってな。その恰好から見て大方、妖術師ってとこだろう?」
私たちの後ろからそう声をかけてきたのは、さっきギルドでヴリトラの胸を横目で見てそそくさと逃げていったあのフード姿の男の人だった。彼の後ろには筋肉の盛り上がった腕に入れ墨をした男の人と、大柄な体つきをして金属の胸当てを付けた男の人が立っている。
そして私たちを挟んで反対側の路地にも、彼らと同じような風体をした男の人たちが4人立っていた。私たちは彼らによって路地に閉じ込められてしまった形だ。
「お姉ちゃん!」
「うん!」
私とエマはヴリトラたちを守るように身構えた。するとそれを見た彼らの一人が「へっ、ガキとまじない師風情が何のつもりだ?」と嘲るように笑った。
私とエマを完全に無視して、フードの男の人は無造作に前に進み出てきた。でもよく見ると、彼の手は油断なく腰のベルトに付けた短剣に添えられている。それを見たエマはすっと目を細め、警戒の色を強くした。
彼は私とエマのことを知らないらしい。つまりごく最近、この村にやってきた人に違いない。もしエマのことを少しでも知っていたら、身構えているエマにこんなに無造作に近づいたりはしないはずだからね。
フードの男の人は私たちまでほんの数歩のところで立ち止まると、またヴリトラに向かって声をかけてきた。
「あんた、冒険者になったばかりなんだろう? 魔獣と戦うつもりなら前衛が必要だぜ。もしよければ俺たちと組まねえか?」
彼の言葉に続くように、彼の後ろにいた男の人たちがフェルスを指さしながらすぐに声を上げる。
「その木偶の坊よりも、俺たちの方がよっぽど役に立つぜ。」
「そうそう、俺たちの冒険者集団に入りなよ。よかったらこのまま酒場で一杯やろうぜ。俺たちがこの村のこと、いろいろ教えてやるからよ。」
彼らは口々にそう言いながら、ニヤニヤ笑いを浮かべて私たちの周りを取り囲んだ。
「離れてください。」
近づいてくる男の人に向かってエマが静かに警告の声を発した。今のエマは普段、村で着ている野良着の上に毛皮の雪除け外套を羽織った姿だ。でも外套の下には私の作ったの短刀を持っているし、《収納》の中には短杖も仕舞ってある。
「すっこんでろや、このガキ!!」
エマをただの村娘だと思ったのか、エマの前にいた男の人が大声でエマを怒鳴りつけた、でもエマはそれに怯むことなく顔を上げて相手を睨みつけた。その拍子に外套のフードが外れて、薄い金色の髪が零れ落ちる。それを見た他の男の人が、怒鳴った男の人を押しとどめた。
「いや、待て。よく見りゃあこいつもなかなか可愛い顔してるじゃねえか。ちょうどいい。お前も一緒に来いよ。」
舌なめずりしそうな顔でその男の人はエマに手を伸ばした。エマはその手をさっと掴んだかと思うと、斜め後ろに体を傾けながらその手を思い切り後ろへ引っ張った。大きくバランスを崩したその男の人は、カエルみたいな恰好で石畳の上に積もった雪に倒れこみ「ぶべぇ」と汚い呻き声を上げた。
それを見た周りの男たちから途端に失笑がこぼれる。
「おいどうした? ガキに見とれて足でも滑らせたのか?」
だけど私の側にいたフード姿の男の人は、すぐに仲間に警告の声を発した。
「いや、ダッツを転ばせたのはこのガキだ。こいつ、只者じゃねえぞ。」
その言葉でたちまち男の人たちの雰囲気が変わる。ダッツと呼ばれた男の人は雪の上から素早く立ち上がるとエマに向かって大声で怒鳴った。
「てめえ!! 優しく言ってりゃあつけあがりやがって! もう容赦しねえぞ!!」
武器を抜き払う男の人たち。このままではエマが危ない! 私はすぐに魔法を使い、彼らを眠らせようとした。
でも後ろから突き出された腕によって杖を持っている手を掴まれ、私は魔法を中断させられてしまった。私は自分の手を掴んでいるヴリトラを睨みつけた。
「何やってるのよ、ヴリトラ!! このままじゃエマが!!」
「待て待てドーラ。我はこういうのを待っておったのだ。」
ヴリトラはものすごく嬉しそうな顔で私に言った。男の人たちは武器を構えたままじりじりと距離を詰めてくる。
「でも・・・!!」
「まあ、我に任せておれ。」
彼女は私にそう言うと「ちょっと待て。そこまでだ」と言いながら、フード姿の男の人の前に進み出て行った。それと同時に彼女がそっと後ろに送った目線を受けて、フェルスが軽く頷く。彼は私とエマを自分の大きな体の後ろに庇った。
しなやかな足取りでフードの男の人の前に移動する彼女を、男の人たちは舐めるように見つめた。彼女はそれを意識した上で、わざと艶っぽい仕草で大きな胸を抱え込むように腕を組んだ。腕で胸が持ち上げられ、褐色に光る胸の谷間がぐっと強調される。周りの男の人たちがごくりと生唾を飲む音が聞こえた。
「おぬしらは我に用があるのであろう?」
自分に短剣を突きつけるフード姿の男を正面から見つめ、彼女は小首をかしげながらそう尋ねた。フード姿の男の人は短剣を彼女に突きつけたまま、問いかけた。
「大人しくする気になったか? 素直に言うことを聞いてりゃあ手荒な真似はしねえよ。」
彼女はそっと目を伏せると、少し上目遣いをしながら彼に問い返した。
「ふむ。我にどうしろというのだ?」
彼女の問いかけに答えたのはフード姿の男の人ではなく、その後ろにいた入れ墨の男の人だった。
「お前のそのでっけえ胸に隠した銀貨! 全部渡してくれればそれでいいぜ。それにそうだな。ついでに俺たちのねぐらまで一緒に来いよ。俺たちみんなで足腰立たなくなるまで可愛がってやるからよ。」
嫌な笑顔を浮かべながら叫んだ彼の言葉を聞いて、彼の仲間たちはゲラゲラと笑い出した。ヴリトラは顔を伏せたまま、小さく体を震わせている。
それを見て男の人たちは「おうおう、震えちゃって可愛いねぇ!」と嬉しそうな声を上げた。ただフード姿の男の人だけは仲間の言葉に「ちっ」と軽く舌打ちをし、彼女のことを探るように見ていた。
私たちも固唾を飲んでヴリトラを見つめた。ヴリトラはしばらく体を小刻みに震わせていたが、やがて体を二つに折って大笑いし始めた。驚いて目を瞠る男の人たちの前で彼女はすっと頭を上げると、冷たい表情で叩きつけるように言葉を発した。
「笑わせてくれおるわ、この木っ端ども。お前たちなぞに我の相手が務まるものか。もう一度生まれ変わって赤ん坊から出直してくるがよい、この屑虫どもめ。」
ひどい嘲りの言葉をぶつけられた男の人たちは顔を真っ赤にして、私たちにじりじりと距離を詰めてきた。
「よほど痛い目を見るのが好きらしいな! いいだろう、お望み通り散々に嬲ってやるよ、このくそアマ!!」
男の人たちは私たちを庇うように前に立ったヴリトラとフェルスに一斉に斬りかかってきた。
仲間たちが襲い掛かるよりも早く、フード姿の男の人はヴリトラに突きつけていた短剣を一閃させ彼女の足に斬りつけた。だがその刃が彼女の足に届くことはなかった。
ヴリトラがすっと差し出した右手の親指と人差し指で、男の人の短剣を挟んで止めてしまったからだ。男の人は一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐに自分から短剣を手放し素早く後ろに下がった。
そのおかげで彼は、直後にヴリトラが繰り出した鋭い蹴りを寸でのところで回避することができた。
攻撃を回避されたヴリトラは「ほう」と言って、嬉しそうに目を細めた。フード姿の男の人はそれを無視してさらに後退し、仲間たちに「お前らもすぐに下がれ!」と怒鳴った。
でもその警告は少し遅すぎた。その時にはもう、剣で斬りかかっていた彼の仲間たちはフェルスが大きく振るった腕に吹き飛ばされ、路地の壁に叩きつけられてみんな気を失っていたからだ。
「ちっ、これまでか!!」
フード姿の男の人は雪に顔を突っ込んで動かなくなった仲間を見捨てて、一目散に逃げだした。それを見たヴリトラは私の方を素早く振り向いた。
「ドーラ!!」
「任せて!! 《眠りの雲》!!」
私の魔法によって生み出された魔力の雲がフード姿の男の人を包むと、彼はたちまち意識を失い石畳の上にに降り積もった雪の中に崩れ落ちた。
その様子を見たヴリトラは「もっと楽しみたかったが・・・あっけないものじゃな」と呟いた。
「もう、ヴリトラったら!! エマがケガをするんじゃないかってヒヤヒヤしたじゃない!」
私がそう抗議すると彼女は困ったように笑いながら私に謝った。
「すまんすまん。だが折角、人間の姿になったからの。少し楽しんでみたくなったのだ。おぬしもその気持ちは分かるであろう?」
悪戯っぽい顔をしてそう言った彼女に、私は言い返せなかった。初めて人間になった時のことを思い出したからだ。あの時のワクワクする気持ちは確かに私にもよく分かる。
私がため息とともに「もう危ないことはしないでよね」と言うと、彼女は「分かっておる、分かっておるって」と言って手をパタパタと振ってみせた。
エマは困った顔をする私と悪びれない彼女を見比べながら、クスクスと可笑しそうに笑っていた。
「ところでフェルスは何をしてるの?」
私は雪の上に屈みこんで気絶した男の人を調べているフェルスの背中に問いかけた。
「この人間たちの持っていたものを調べているんだよ。これは『剣』だよね?」
彼はそう言って男の人たちの手から零れ落ちた剣を手に取った。私とエマが頷くと、彼はそれをいろいろな方向から眺め始めた。
「大地に眠っていた石を火で鍛えてあるんだね。そのせいで元の石よりもずっと硬く鋭くなってるんだ。やっぱり人間は面白いことを考えるなあ。」
フェルスはそう言って剣を振り上げるとそのまま無造作に振り下ろした。石畳とぶつかった剣は激しい音と共に粉々に砕け散ってしまった。
「ああ、僕には脆過ぎたみたいだ。壊しちゃってごめんね・・・って聞こえてないかぁ。突き飛ばす時、ちょっと力加減を間違えちゃったなあ。人間の体にはまだまだ慣れないねぇ。」
フェルスはそう言って頭を掻くと、気絶した男の人たちを次々と雪の中から救い出し始めた。
「衛士隊の皆さん、早く!! こっちです!!」
フェルスが男の人たちを雪の上にきれいに並べ終わった頃、冒険者ギルドの受付の女性が衛士さんたちを連れて私たちのところに駆けつけてきてくれた。彼女は私たちが男の人たちと一緒に路地へ入っていくのを見てすぐに、衛士隊に連絡をしてくれたらしい。
衛士さんたち以外にも、一緒に何人かの冒険者風の人たちも来てくれていた。彼らは衛士隊の応援として自主的に来てくれた人たちだった。
冒険者さんたちは雪の上にきれいに並んで寝かされている男の人たちの姿を見て唖然とした表情を浮かべた後、私とエマに苦笑交じりの挨拶をして三々五々引き返していった。
結局、男の人たちは全員気絶したまま衛士隊に捕まった。衛士さんの話によるとこの後、彼らは衛士隊の詰め所で取り調べを受けることになるそうだ。いろいろと余罪がありそうなので、結構重い罪になるかもしれないと衛士さんたちは私に教えてくれた。
衛士隊が引き上げていった後、冒険者ギルドの受付の女性が私たちに話しかけてきた。
「ご無事で何よりでした。皆さんはお強いんですね。」
「衛士さんたちに知らせてくださって本当に助かりました。あの人たちも冒険者だったんですか?」
私がそう尋ねると、彼女は小さく頭を振った。
「いいえ、彼らは最近この村に流れてきた方たちのようです。あのフード姿の男性も冒険者登録ではなくて、ドーラさんとエマさんの話を聞くためにギルドに来たみたいでした。」
私とエマはその話を聞いて思わず顔を見合わせてしまった。
彼女は隣の受付にいた同僚からその話を聞いてすぐに怪しいと思い、私たちの後を追いかけたのだそうだ。それで私たちが路地に入っていくのを目撃したのだという。
「でも取り越し苦労だったみたいですね。」
彼女はそう言ってくすくすと可笑しそうに笑った後、私たちにぺこりと頭を下げた。
「私はグリゼルダと言います。この秋からギルドで働かせてもらっているんですよ。お二人の噂も時々耳にしていました。これからよろしくお願いしますね。」
グリゼルダさんは私の思った通り、下級貴族出身の女性だった。規模が大きくなったハウル村の冒険者ギルドの助っ人として、王都のギルドから派遣されてきたんだって。ちなみに年は18歳らしいです。
私たちはお礼を言って彼女と別れた。その後、エマは『熊と踊り子亭』でヴリトラとフェルスに、冒険者として準備することを一つ一つ教えていった。その様子があまりにもガレスさんそっくりだったので、私は思わず笑ってしまったのでした。
翌日、準備を終えた二人は冒険に出かけて行き、2日ほど経った後に冬とは思えないほどたくさんの魔獣を狩ってギルドに戻ってきた。その活躍を聞いた人たちはすごい新人冒険者が現れたと噂し合い、二人は村でたちまち評判になった。
実はこの時、その話題に隠されるように村の衛士隊詰所からあのフード姿の男の人が脱獄していたのだけれど、私がこのことを知るのはもう少し後のことなのでした。
読んでくださった方、本当にありがとうございました。