78 来訪者 前編
やっと1話分書けました。本日2話投稿しています。こちらは前編です。
※ 名前が付く場面より前に名前が出てしまうという致命的なミスがありました。お詫びして訂正いたします。申し訳ありませんでした。
冬のひと月目が終わり、村の中がすっかり雪に埋もれて静かになったある日の午後のこと。私は頼まれていた魔法薬をカフマン商会へ届けるため、エマと一緒にハウル街道へと向かった。
途中、雪かきを頑張っている土人形たちや水路の水をきれいにする魔導具に魔力を注ぎながら歩いていると、北門の方でたくさんの人が騒いでいる声が聞こえてきた。
「何だろうね、ドーラお姉ちゃん?」
「様子を見に行ってみようか?」
荷物を満載したそりを曳きながらゆっくりと街道を歩く六足牛を追い抜き、私たちは急ぎ足で北門前広場を横切った。北門の前には門を抜けようとして足止めを食った人たちが困った顔で互いに話をしていた。
人やそりが多いので、ここからでは門の様子は分からない。私は列の一番後ろにいた行商人の男性に声をかけた。
「どうかしたんですか?」
「よく分からんが、なんでも怪しい二人組が衛士と揉めてるらしいよ。」
男性は戸惑った表情でそう言った。私は何とか列の先を見ようと、エマと一緒に人の隙間を覗き込んだりぴょんぴょん飛び跳ねたりしてみた。するとその時、私は何だか懐かしい匂いを嗅ぎ取った。
んん? この匂いは・・・!
私は並んでいる人の間を強引にすり抜けて列の先に向かった。体を押されて驚く人たちにごめんなさいと謝りながら前に出てみると、予想した通りよく知った声が私に呼びかけてきた。
「おお、ドーラ! この愚か者どもに説明してやってくれ。」
武器を構えた衛士さんたちに囲まれていたのは黒い魔獣の革のドレスに身を包んだヴリトラだった。その隣には見上げるほど大きな体をした若い男の人が立っている。
「やっぱりヴリトラ! それにそっちの大きな人はまさか!?」
「ドーラちゃん、久しぶりだねえ。」
声を聞いてすぐに、彼が大地の竜だということが分かった。彼はこの世界の外側(?)にある『妖精郷』を守っているはず。なのになぜここに?
あまりのことに少し混乱してしまったけど、すぐにこれはヴリトラの仕業だと察しがついた。
ヴリトラが彼に《人化の法》を教えたのだろう。ここにいる彼は彼女と同じ分身体に違いない。だってもしこれが本体だったら、魔力の気配ですぐに大地の竜だと分かったはずだからね。
彼は村でよく見かける茶色の服の上に明るい緑色の袖なし上着を着ていた。いろいろな色の糸で植物の模様が細かく刺繍されていてものすごく鮮やかだ。
彼の髪は豊かに実った麦の穂みたいな黄金色をしている。彼は衛士さんに取り囲まれながらも目を糸のように細め、大きな口を開いて白い歯を覗かせながら、竜の時の印象そのままの笑顔で穏やかに微笑んでいた。
人間の姿とはいえ思いがけず大好きな友達に会えたのは嬉しい。けれど、この騒ぎの原因は明らかにこの二人だ。私は事情を聞くため、周りで槍や剣を構えている衛士さんたちに声をかけた。
「あの、この二人が何かしたんですか?」
私がそう尋ねると衛士さんの一人が、他の仲間に合図して武器を仕舞わせた。彼は私の顔見知り。村がまだ小さかった頃からずっとカールさんと一緒に働いている人だ。私の素顔を知っている数少ない衛士さんの一人でもある。
「この二人がドーラさんのお知り合いだというのは本当なのですか?」
「はい。私の昔からの友達です。」
私がそう答えると彼はふうっと大きなため息を吐き、他の仲間たちに門の封鎖を解くようにと声をかけた。足止めを食って並んでいた人たちが私たちの方をチラチラと気にしながら門をゆっくりと通り抜けていく。それを確認した後、衛士さんは私に向き直った。
「こちらの男性が身分証を持っていないので、名前を尋ねたんです。そしたら『僕には名前がありません』と言って名乗ろうとしなかったんですよ。それで押し問答のようになってしまいまして・・・。」
この王国では村や街の門を通る時に、衛士さんに身分証を見せなくてはならないという決まりがある。身分証は王様の官吏がいる場所で銅貨10枚、つまり10Dを支払えば発行してもらえる。
身分証と言っても紙などではなく、名前と住んでいる場所を焼き付けただけの小さな木の板だ。でも発行した官吏の魔力の刻印が押されているので普通の人には作ることができない。偽造してもすぐにばれてしまうのだそうだ。
身分証を持っていればちょっとした検査を受けて通行料の1Dを払えば、どの村にでも入ることができるようになる。逆に持っていないと長い時間、衛士さんからあれこれ質問されることになり、最悪の場合は逮捕されてしまう。
旅をする人にとって身分証はすごく大事なものだけれど、自分の村から出ることがない限りは必要のないものだ。だから持っている人はあんまりいない。普通の人が持つにはかなり高価なものだからね。
ちなみにたくさんの村や街を行き来する行商人さんや冒険者さんたちは、それぞれのギルドが発行する組合員証を身分証として使えるそうだ。場所によっては通行料が無料になるなど、所属しているギルド員だけの特典が受けられるんだって。以前カフマンさんが私にそう教えてくれた。
外からやってきた大地の竜が村に入るためには身分証が不可欠。でも名前がなくては身分証は作れない。まさか正直に「大地の竜です」と名乗らせるわけにもいかないしなあ。
そんなこと言っても信じてもらえないばかりか、ますます怪しまれちゃうだろうからね。私はすっかり困り果ててしまった。
するとそこに東ハウル村に出向いていたカールさんが駆け付けてきてくれた。彼は私とヴリトラの姿を見て、すぐに事情を察してくれたようだった。
「そちらの男性はドーラさんのお知り合いなんですね?」
「はい。えっと、私の・・・昔からの友達です。」
私がそう言うと彼は「分かりました。私に任せておいてください」と優しく微笑んでくれた。
「この方たちは私の客人だ。あとは私の方で対応する。君たちは持ち場へ戻ってくれ。ご苦労だった。」
彼はそう言って衛士隊の人たちを立ち去らせると、ヴリトラと大地の竜に恭しい態度で一礼した。
「知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました。お詫びを兼ねて私の部屋でお話をさせていただけませんか?」
「ふむ。よかろう。」
ヴリトラは胸を大きく反らして大きく頷いた。彼女はカールさんに案内されて執務室に入っていった。私とエマと大地の竜も彼女の後に続く。
執務室の中には誰もいなかった。いつもいるはずの副官のステファンや文官さんたちの姿も見えない。きっとカールさんがステファンさんに頼んで人払いをしてくれたのだろう。
カールさんは私たちを応接用の椅子に座らせると、ヴリトラに向かって切り出した。
「あなたは暗黒竜ヴリトラ様でいらっしゃいますね。またお会いすることができて、大変光栄に思います。」
「うむ。我が名を覚えておるとは人間にしてはなかなか良い心がけじゃ。いかにも我はヴリトラ! 闇と破壊を司りし漆黒の断罪者である!!」
椅子から立ち上がってビシッとポーズを決めた彼女に真顔で頷いてから、カールさんは大地の竜の方へ向き直った。
「・・・それであなた様は?」
「僕はドーラちゃんの友達です。皆からは大地の竜とか動く森って呼ばれてます。本当の体はここじゃなくて妖精郷にあるんですよ。」
のんびりとした調子でそう言った彼にカールさんはまた真面目な顔で頷いた。
「お二方がドーラさんに会いにいらしたのだということは分かりました。ただこの王国で過ごされるのでしたら、身分を保証するものがあった方がよいと思います。お名前を教えていただけたらすぐに私が身分証をお作りしますが・・・。」
彼の言葉を聞いた大地の竜は、困った顔をして頭をボリボリと掻いた。
「それが僕には名前がなくってねぇ。せっかく人間の姿になれたんだし、僕も名前を付けたいとは思ってるんだけど・・・。なかなかいいのが思いつかなくって。」
その言葉を聞いた途端、私はすぐにいいことを閃いてしまった。
「それならエマに頼むといいと思うよ。エマは名前を考えるのがとっても上手なの。」
思わず「えっ!?」と声を上げて驚いたエマに対して、ヴリトラは大きく両手を広げた。
「おお、それは良い考えじゃ。さあ、エマよ。偉大なる大地の守護者にふさわしき名を送るがよい!!」
期待を込めた目で見つめる私、ヴリトラ、それに大地の竜を順番に見た後、エマは顎に右手を軽く当てて俯き、一心に考え始めた。
「えっと、じゃあ・・・『フェルス』っていうのはどうでしょう?」
おずおずと言ったエマの答えを聞いたカールさんは、感心したように大きく頷いた。
「なるほど、ぴったりの名前ですね。」
私が「『フェルス』ってどういう意味なんですか?」と尋ねると彼は私たちに説明してくれた。
「この王国に伝わる古い神話に登場する山の神の名前です。しかしエマ、よくそんな名を知っていたな。」
カールさんが感心したようにそう言うと、エマは少し恥ずかしそうに俯きながら答えた。
「試験勉強の時、学校で読んだ錬金術の資料の中に出てきたんです。」
エマはそう言って私と目を合わせると頬を染めて微笑んだ。私の思った通り、エマはとっても素敵な名前を付けてくれた。さすがは私のエマだ。エマは本当に可愛くて、賢くて、頼りになるよね!
ニコニコしながら私たちのやり取りを聞いていた大地の竜に、私は尋ねた。
「この名前はどう、大ちゃん?」
「フェルス、フェルス・・・うん、とってもいい響きだねぇ。すごく気に入ったよ。これから僕はフェルスって名乗るよ。みんな、よろしくね。」
大地の竜がそう言った途端、金色の光が大地から沸き上がり、エマとフェルスを包んだ。私はすぐにその光がフェルスの本体の魔力であることに気が付いた。
「ねえ、大ちゃん・・・じゃなかったフェルス。今のって何だか分かる?」
私の問いかけに、フェルスはのんびりと首を傾げた。
「よく分からないけど、僕とエマの間に何かつながりができたのを感じるよ。多分、エマが僕に名前を付けてくれたせいじゃないかな。」
エマはもちろん、フェルス自身にもそのつながりが何なのかよく分からないらしい。でも彼が言うには悪いものじゃなさそうだということだったので、しばらくは様子を見ることになった。。
フェルスの名前が決まって一安心したところで、私は改めて二人に尋ねた。
「二人は私に会いに来てくれたんでしょう?」
「そうだよ。ヴリトラが一緒に遊びに行こうって誘ってくれてねえ。」
「二人はここまでどうやって来たの? フェルスには翼がないし、飛んできたわけじゃないんでしょう?」
私がそう尋ねると、ヴリトラはちょっと得意げに胸を張って言った。
「フェルスが開いてくれた『妖精の輪』を通ってきたのだ。我はまだ《転移》の魔法が使えぬからな。」
フェルスが守護している妖精郷はこの世界のあらゆる場所と繋がっている。だから彼が開く『妖精の輪』という扉を使えば、どこでも好きなところに移動することができるのだそうだ。
それを聞いたエマが「すごく便利ですね」というと、彼は苦笑いを浮かべた。
「でも人間がいっぱいいる場所には開けないんだよねぇ。」
『妖精の輪』は自然の気が溢れる場所でなければ開くことができない。だから二人も直接ハウル村に来たのではなく、近くの森の奥を経由してここに来たのだそうだ。そのことを考えると《転移》の魔法の方が便利かもしれないね。
私がそう言うと彼は穏やかに笑いながら「そうだねぇ」と言い、さらに言葉を続けた。
「そうだ、妖精騎士も《人化の法》を練習してるからねぇ。そのうち遊びに来ると思うよ。」
妖精騎士は妖精たちの守護者で、白銀の鎧を纏った騎士だ。私の古い友人の一人でもある。彼女はフェルスが人間の世界に出ることをとても心配していて、彼を守る為に《人化の法》を練習しているのだそうだ。
そう聞くとフェルスに《人化の法》を教えてしまったことが何だか少し申し訳ない気持ちになる。でも人間の姿になった彼女に会えるのは今からとても楽しみです。
カールさんはヴリトラとフェルスの身分証を発行し終えると、二人のことを私とエマに任せてまた仕事に戻っていった。私はお礼を言って彼を見送った後、二人の方へ向き直った。
「私とエマで村を案内するよ。どこか行ってみたい場所がある?」
そう尋ねた私に、ヴリトラが勢い込んで声を上げた。
「うむ、我は冒険者ギルドへ行ってみたい! そこで冒険者になるための『試練』とやらに挑戦してみたいのだ!!」
彼女は両手を握りしめ、目をキラキラさせながらエマの方をじっと見た。でもそれを聞いたエマはすごく戸惑った顔で私の方に目を向けた。
「冒険者になるための試練ですか? 私、そんなの受けたことないですけど・・・。お姉ちゃん、聞いたことある?」
エマが知らないのに私が知っているわけがない。私も知らないよというと、ヴリトラは怪訝そうな顔でぶつぶつと呟いた。
「そうなのか? その試練を軽々と突破し『えすらんく』になって『ムソー』するのが、我の長年の夢だったのだが・・・。」
「『えすらんく』? 『ムソー』? なにそれ?」
「よくは知らぬ。だが我に名前をくれた男が話しておったのだ。『えすらんくになってムソーするのが、最高にかっこいい男のロマンだ』とな。」
ヴリトラに名前を付けてくれたというその男の人は、彼女に様々な冒険譚を聞かせてくれたのだそうだ。彼女はその話にすっかり魅了され、以来無類の『物語好き』になってしまったらしい。彼女の言動や服装がちょっと変わっているのも、どうやらその男の人の影響のようだ。
その人から聞いたというお話を、私も彼女から少し教えてもらった。確かにワクワクするようなお話が多かったけど、知らない言葉がたくさん出てきて少しだけ困った。『シャチク』とか『ちーと』っていったい何のことだろう?
楽しそうに話す彼女の話が一段落したところで、私は彼女に尋ねた。
「すごく面白いお話だね。でもヴリトラがその話を聞いたのっていつくらいの話?」
「そうじゃな、1500・・・いや2000年ほど前だったかもしれぬ。」
記憶を呼び起こすように首を傾げる彼女の様子を見て、エマは納得するように頷いた。
「それは王国が生まれるよりもずっと昔、『空白の世紀』以前の話ですね。もしかしたら当時はそんな試練があったのかもしれませんけど・・・。少なくとも今の王国では聞いたことがありませんよ。」
「そうなのか? それは残念じゃのう・・・。」
エマの言葉を聞いたヴリトラはひどくがっかりした様子で肩を落とした。それを見たフェルスは彼女を慰めるように言葉をかけた。
「まあまあヴリトラ。まずはその冒険者っていうのになってみれば、『えすらんく』っていうのが何なのか分かるんじゃない?」
彼の言葉を聞いたヴリトラは大きく頷いてまた両手を握りしめ、鼻息を荒くしながら声を上げた。
「そうじゃな! 我とフェルスであれば、冒険者など楽勝じゃ! まずは我々の活躍を見せつけ、『えすらんく』の謎を解いてくれようぞ!!」
それを聞いたフェルスは細い目を丸くして驚いた。
「ええっ、僕も冒険者になるの?」
「当たり前じゃ。そのためにおぬしを誘ったのじゃからな。あの男も『冒険には頼りになる仲間が必要だぞ』とよく言っておった。おぬし以上に頼りになる者を我は知らぬ。そうじゃ、あの妖精騎士もいずれ我の仲間にしてやろう。だから、な? いいじゃろう?」
そう言って上目遣いで顔を覗き込む彼女に、フェルスは困ったように人の好い笑顔を向けた。
「そうだねぇ。人間の世界のことを知るためにもいいかもしれない。僕は人間が作るものにすごく興味があるんだ。せっかくの機会だから僕も冒険者をやってみるよ。」
そんなわけで私たちは北門を離れ、冒険者ギルトのある川向こうの東ハウル村へ移動することになったのでした。
読んでくださった方、本当にありがとうございました。