8 歓楽街
切りのいいところまで書こうとして長くなった挙句、中途半端なところで終わってしまうという最悪の結果に。構成力がなさすぎて、本当に恥ずかしいです。
ベルント先生たちと分かれ《転移》で移動しようと思ってふと空を見ると、まだだいぶ日が高いことに気が付いた。寮の夕ご飯までかなり時間がある。今、帰ってもエマたちのお茶会がまだ終わってないかもしれない。
せっかくだから夕ご飯の時間まで一人で何かして過ごすことにした。ハウル村に帰って誰かの仕事を手伝おうかしらと思ったところで、ふと思いついた。そうだ、王都南門辺りの様子を見に行ってみよう!
王都南門のすぐ側にある川港と倉庫街、商業区、歓楽街は、冬の襲撃事件で大きな被害が出たと聞いている。あの辺りの大地母神殿の救民院には、食べ物を運ぶために何度か行ったことがあった。顔を見知っている人も割といる。もっとも私はずっと半仮面姿だったから、相手は私の顔を知らないんだけどね。
私は自分の素晴らしい思い付きを早速実行に移すことにした。商業地区の側にある救民院へ移動するため、《転移》の魔法を使う。でも魔法は発動しなかった。
《転移》の魔法は移動先の様子が大きく変わっていると使えないのだ。想像はしていたけれど、商業地区の被害はやはりかなり酷いみたいだ。不安になった私は《不可視化》の魔法で姿を消すと《飛行》の魔法で空に浮かび上がり、全速力で商業地区に向かって飛んだ。
道に迷わないように建物の屋根より少し高いところを進んで行く。こうやって上空から見渡すと、襲撃で被害を受けた場所をはっきりと見分けることができた。
被害を受けたと思われる場所は建物が無くなっていて、そこだけぽっかりと隙間ができているのだ。そしてその周りには石材や材木を運んだり建材を加工したりしている人たちが集まっていた。
建物のない場所は南門周辺、ドルーア川に近づくにつれてだんだんと多くなっていった。通りには物を運搬する荷車や馬車が溢れ、多くの人が忙しなく行き交っている。壊れた建物を元に戻すために皆、懸命に仕事に取り組んでいた。
忙しそうに動き回る人たちを見ていたら、沈み込んだ表情の人はほとんどおらず、どちらかと言えば明るい顔をした人が多いことに気が付いた。通りのそこかしこで威勢の良い声が飛び交い、まるでお祭りの時みたいな活気に満ちている。
被害を受けて元気をなくしている人が多いかもしれないと思っていたので、これはとても意外だった。でも少しホッとした。私は生き生きとした人々のざわめきを聞きながら、街道を辿って西へ西へと進んで行った。
「すごい、ハウル村みたいになってる!!」
川港の上空から周りを見回した私は、思わず声を上げてしまった。以前来た時にはぎゅうぎゅうに建物が密集していたはずの場所は、すっかり更地に戻ってしまっていた。所々に建物の基礎らしきものが残っているだけだ。
ただ川沿いにある石造りの倉庫群だけは原型を留めていた。一際大きいその倉庫群からはたくさんの荷物が運び出され、多くの人たちによってあちこちの通りへと運搬されていく。
あそこで話を聞けば、被害のことが分かるかもしれない。それに荷物を運ぶお手伝いができるかもしれないしね!
私は話を聞く人を探すために、倉庫の側へ行ってみることにした。
倉庫の陰の人目につかない場所に降り《不可視化》を解除する。上から見ていた時も感じていたけど、下に降りて働いている人たちを目の当たりにすると、本当に熱気がすごい。
怒号かと思うほどの大声があちこちで飛び交う中を、フランツさんみたいな体格の人たちが沢山の荷物を抱えて移動していく。彼らが運んでいる荷物は木箱や麻袋、壺など形は様々だ。けれど、匂いから判別するにどうやらいろいろな食料品を運んでいるようだ。
この倉庫は一体何なんだろう。そしてこの食べ物はどこに運ばれていくのかな。私がそれを知るためにこの倉庫のことを聞く相手を探そうとキョロキョロしていたら、突然後ろから大きな音がした。
「おい、そこのまじない師、危ねえ!! そんなとこに突っ立ってちゃ跳ね飛ばされるぞ!」
通りの向こうから、六足牛の曳く荷車に乗った男の人が私に向かって怒鳴った。彼の操る六足牛は人々の熱気に興奮し制御が効かなくなっているようだ。
男の人は必死で手綱を引いている。けれど牛は全然いうことを聞いてくれない。興奮しきった牛はわき目もふらず、私に向かって真っすぐ突っ込んできた。牛の立てる轟音で荷車の暴走に気付いた人たちが大慌てでその場を離れていく。
私はこちらへ向かってくる牛にスッと片手を差し出した。
「恐がらなくて大丈夫だよ。いい子だから大人しくしてね。」
私が牛にそう声をかけると暴走していた牛はたちまち静かになり、私の前でぴたりと止まった。牛は嬉しそうに喉を鳴らしながら、私の長衣に鼻先を押しつけた。私は牛の頭を抱え込むように抱きしめ、長い毛の中に手を入れて「いい子ね」とその体を撫でてあげた。
荷車に乗った男の人はその様子を目をまん丸にして見つめていたけれど、すぐに荷車から飛び降り私に駆け寄ってきた。
「いやーこりゃあ、おったまげたなあ! お前さん、魔獣調教師なのかい?」
「いいえ、私はただのまじない師ですよ。この子が自分から止まってくれたんです。」
男の人は私と牛を何度も見比べながら不思議そうな顔をしていたけれど、やがてニカっと笑って「なんにせよ助かったぜ。ありがとよ」と大きな声で言った。
私は牛と一緒に歩きながら、男の人に話を聞いた。彼はあの石造りの倉庫に備蓄してある食糧を王都のあちこちに運ぶ仕事をしているそうだ。今は新たな荷を積み込むために、ここへ戻ってきたところだったらしい。
私は荷物の積み込みを手伝った後、男の人の荷車に乗せてもらいこの辺りの様子を尋ねてみることにした。
「この倉庫って一体何なんですか?」
「これか? これは王家が管理する食糧備蓄庫さ。ほれ、あそこに王家の紋章があるだろう。」
男の人はそう言って見上げるほど高い倉庫の屋根の辺りを指さした。確かに見覚えのある紋章が石壁の上に浮き彫りにされている。この倉庫は王家が戦時や飢饉に備えて食糧を備蓄しておくためのものなのだそうだ。
この辺りで焼け残ったのはこの王家の倉庫群くらいしかなかったらしい。木造のものはもちろんのこと、石造りの倉庫群の多くが爆発で崩れ、周辺にあった商会や貴族家所有の倉庫は残らず焼け落ちてしまったそうだ。
私が「それは残念でしたね」と言うと彼は少し声を潜め、ニヤリと笑いながら私にそっと囁いた。
「いや、まあ・・・実は俺たちがぶっ壊したんだけどな。」
「えっ!?」
驚いた私に彼は「内緒だぜ」と言いながらその理由を教えてくれた。
川港に停泊していた多くの船の爆発炎上から端を発した火事は、南からの吹き付ける風によって瞬く間に商業区を飲み込んだ。商会の人たちはとりあえず持ち出せるだけの商品や財貨を荷車に詰め込んで火事から逃れて北へと行ってしまった
炎は勢いを増し、水路を越えて川沿いに作られた倉庫街に迫った。倉庫の中にあるのは各領地で秋に収穫され、王都で販売するために集められた大量の食糧だ。しかしそれを管理する商会や貴族家の人たちは火事を恐れて逃げ去ってしまい誰も残っていなかった。
「俺は倉庫街で働く仲間たちと一緒に何とか火を消そうとしたんだ。この食糧庫は俺たち王都民にとって冬の間の命綱だからな。だけど魔法も使えない俺たちじゃ限界がある。俺たちは倉庫に火が迫るのを歯噛みしながら見ていることしかできなかったんだ。」
その時のことを思い出したのか、彼はちょっと暗い目をして下を向いた。
火を消せないのならせめて中の食糧を運び出そうという人もいた。しかし貴族家の倉庫に無断で立ち入って荷物を運び出したりしたら、あとでどんな罰を受けるか分からない。王国法では火事場泥棒は漏れなく火焙りと決まっているそうだ。
俯いた彼の表情は、彼がその時に感じた無力さや理不尽さを言葉以上に物語っていた。
でも彼はすぐに顔を上げると、面白がるような表情で私に向き直った。
「その時さ、衛士隊の連中が『ここにある食糧は王の名においてすべて民に開放する!』って触れ回ったんだ。」
衛士隊のお触れを聞いた途端、為す術なく手をこまねいていた彼らは一斉に倉庫の扉を打ち破り次々と食糧を運び出したという。
「いやー、あの時は本当に痛快だった。普段、俺たちに高い麦を売りつけてる商人や貴族どもの倉庫から思いっきりぶんどってやったんだ。ざまあみろだぜ!」
彼は心底愉快そうに言った。彼の声を聞きつけた周りの男の人たちも彼と目を合わせてにやりと笑う。きっとここにいる人たち全員がその『食糧救出』に関わっているに違いない。私がそう言うと彼はうんうんと頷いた。
「俺たちだけじゃねえ。衛士隊の触れを聞きつけた街の連中がみんな集まってきてよ。女も子供も年寄りも皆で食糧を運び出したんだ。」
でも一人一人で運び出せる量には限界がある。それに炎から逃げながら食糧を遠くまで運ぶこともできない。そこで衛士隊の指示に従って『救出』した食糧を王家の備蓄倉庫に運び入れたのだそうだ。
「女どもが食糧を運び込んでいる間、男たちは王様の倉庫に火が及ばないように周りの倉庫を次々と壊していったんだぜ。」
燃えやすい木造の倉庫は叩き壊し、石造りのものは崩して延焼を防ぐ防塁として使ったという。衛士隊と一緒に来た魔術師たちが水魔法を使って炎が迫るのを食い止める中、住民たちは王家の倉庫にどんどん食糧を運び入れて行った。その甲斐あって王様の倉庫だけは無事に燃え残ることができたのだそうだ。
「火事の後、焼け出された俺たちに、魔術師たちや衛士隊が雪を防ぐ仮小屋を作ってくれたんだ。その小屋と俺たちが守ったこの食糧のおかげで、冬に飢え死にする奴を出さずに済んだってわけさ。」
彼は誇らしげな表情でそう言った。王家による食糧の配給は今でも続いているという。彼らが運んでいるのはその配給品らしい。食糧が十分に行き渡っていることで仕事が滞ることもなく、王都の復旧も順調に進んでいるそうだ。
「じゃあ王都の人たちはもう安心して暮らせてるってことですか?」
私がそう尋ねると、彼は少し考えて言葉を濁した。
「うーん、そうだなあ。この倉庫街と川沿いの商業区は少しづつ元に戻ってるんだ。でもなあ・・・。」
「でも、何ですか?」
「あ、いや、俺たちよりも歓楽街にいた女たちの方がその・・・苦労してると思うぜ。」
商業区と倉庫街はもともと住んでいる人が少なかったので、建物が無くなっても住民への影響は少なかったのだそうだ。でも歓楽街はそうではないらしい。
「俺たちみたいな荷運びや商店の男連中は歓楽街の側にあったでかい長屋町に住んでたんだ。だから焼け出されても衛士隊の作ってくれた仮小屋やら安宿やらで暮らしていけたのさ。でも歓楽街にはそこで働く女たちが大勢暮らしてたんだ。」
歓楽街は女性たちの住居兼仕事場だった。つまり彼女たちは火事で仕事と家を同時に失ってしまったのだ。
「仮小屋で商売してる女たちもいるけど、やっぱり不自由してるな。俺たちもあの連中には随分世話になってたし出来る限り手助けしてえって思ってはいるんだが。でも、なじみの女のところに様子を見に行ってやることくらいしかできねえ。情けない話だけどな・・・。」
彼は短く刈り上げた頭を掻きながら私に言った。やがて荷車が倉庫街の端まで来ると彼は私に向かって深々と頭を下げた。
「なあ、あんた。もしよかったら歓楽街の連中のところに行ってみちゃもらえねえか? 今、行っても大した稼ぎにはならねえと思うが人助けだと思ってよ。頼むぜ。この通りだ。」
火事以降、まじない師たちは歓楽街にあまり寄り付かなくなってしまったのだそうだ。女の人たちがお金を持っていないかららしい。
私の魔法で困っている人を助けられるなら、こんなにありがたいことはない。私はもちろん二つ返事で彼の頼みを引き受けた。
話を聞かせてもらったお礼を言って彼と別れた後、私はすぐに教えてもらった道を通って歓楽街へ向かって歩き始めた。
水路に沿って東へ歩き、倉庫街を抜けると長屋を建てている沢山の大工さんたちがいた。そろそろ日が落ち始めているため、切りのいいところまで仕上げようと必死になっている人もいれば、早々に片付けを終え帰り支度を始めている人もいる。
往来を抜けていくと、やがて狭い通りの両側に仮小屋が密集している場所に出た。小屋の前には仮ごしらえの木の長椅子やテーブルが並べられている。そこには丈の短い薄手の服を着た女の人たちが座っていた。
春が半ばを過ぎたとはいえ、夜になればまだ肌寒い日も多い。ついこの間までマリーさんは小さい子供たちが体を冷やさないようにすごく気を付けていた。冷たい風が吹く中、目の前の女の人たちは寒そうに互いの体を寄せ合っている。
私は彼女たちに近づいて、声をかけてみた。
「こんばんは。おまじないは必要ありませんか?」
女の人たちは私をちらりと眺めた後、互いに顔を見合わせた。
「見かけない顔だね。新入りかい?」
私が「ハウル村から来ました」というと彼女たちは「へえ、そんな田舎から!」と言ってけらけらと笑った。
「出稼ぎってわけだね。『避妊』と『病気除け』は使えるのかい?」
私は「できますよ」と答えて杖をかざした。その場にいた女の人全員に、二つの魔法を同時にかける。
「へえあんた、すごく腕がいいんだね! まさか元貴族様だったりする?」
大きく胸の開いた服を着た女の人が、零れ落ちそうなくらい豊かな胸を揺らしながら私に尋ねた。するとその隣に座っていた女性が彼女の肩を軽くパチンと叩いて言った。
「あんた馬鹿だね、いくら食い詰めたからって貴族のお嬢さんが、あたしらみたいな娼婦を相手にするわけないだろ!」
女の人たちは「そりゃそうよね」と言って、笑い声をあげた。私は彼女たちから謝礼として銅貨を一枚ずつ受け取った後、倉庫街の荷運びさんから言われてここに来たことを話した。女の人たちはそれを聞いて随分驚いた様子だった。
「ずいぶんとまあ、物好きなこと。でも、ありがとね。」
彼女たちはちょっと照れたような顔をして私にお礼を言ってくれた。
彼女たちは私を見て互いにひそひそと言葉を交わした。
「あんたみたいなお人好しが一人でこんなところウロウロしてたら、碌でもない連中からあっという間に食い物にされちまうよ。だからあたしたちがいい人を紹介してあげる。」
彼女たちの一人が立ち上がって通りの向こうに行ってしまった。その間に私は、残った女性たちに聞かれるままハウル村での暮らしについて話した。
「へえ、ハウル村ってのはとんでもない田舎だと思ってたけど、意外と人が住んでるんだね。確かあたしが子供の頃には魔獣の森の真ん中にある辺境だって聞いてたけど。」
「そう言えば前に、あたしの客がハウル街道を通って王都に来たって言ってたよ。そんなに発展してるんなら、そっちに移るのもいいかもしれないねえ。」
「確かにこのままここにいてもジリ貧だもんねぇ。今は王様が施してくださるから何とかなってるけど。あーあ、早くまた昔みたいになんないもんかねえ。」
彼女たちはため息を吐きながらそう言うとぶるっと体を震わせた。露出した肩や足を両手でさすり体を寄せ合う。
「夜風が冷たいですよね。私が温めてもいいですか?」
「あんたが? 《火起こし》のまじないでもして、あたしらを燃やすつもりかい?」
「ちょっとやめてよ! もう火事はこりごりなんだから!」
冗談めかして言った一人の言葉に他の女性がわっと笑う。私も一緒になって笑いながら杖を掲げ、彼女たちに《保温》の魔法を使った。
「え、なにこれ、すごく温かいよ!」
「こんなまじない今まで聞いたこともないねぇ! あんた、本当はすごい魔術師なのかい?」
女性たちが私たちにそう尋ねたが、私は何と答えてよいか分からず困ってしまった。
「こら! この街で相手の素性を聞くのはご法度だよ。いつまでもしゃべってないで、さっさと客を捕まえに行きな。」
低い声が響き、私の周りの女性たちがビクッと体を震わせた。彼女たちは私に「ありがとね」と言いながら、そそくさとその場を立ち去って行った。
「物好きなまじない師ってのはあんたかい?」
私にそう尋ねたのは、栗色の髪をした目つきの鋭い女性だった。背丈は普通くらい。大きな胸を抱えるようにして体の前で腕を組み、こちらを見ている。薄手だけど丈の長い服は彼女の体にぴったりとまとわりつき、くびれのある腰つきをより強調しているように見えた。
人の見分けがあまりできない私から見てもとってもきれいな人だ。髪にほんの少し白いものが混じっているから、年はマリーさんよりは少し上だと思う。多分。
「はい、ハウル村のまじない師でドーラって言います。」
私は長椅子から立ち上がり、彼女に向かってぺこりと頭を下げた。彼女は私のことをじっと見つめた後「こんな所じゃ話もできないね。ついておいで」と言ってさっさと歩き出した。
私は彼女の後について通りを歩いて行った。仮小屋の並んだ通りに落ち始めた太陽が弱く赤い光を投げかけている。
通りのあちこちに、篝火を燃やす準備を始めている男の人たちがいる。その向こう側、私からは見えない小屋の向こう側から、わっと男の人たちの歓声が上がる。
この小屋の裏には沢山の人が集まっているようだ。私がそれに気を取られていたら、私の前を歩いていた女性が振り返って教えてくれた。
「あれは闘技場さ。もっとも建物は燃えちまったから、焼け残った円型闘技台で野外試合をやってるんだけどね。」
「野外試合? みんなで戦いの訓練をしてるんですか?」
試合と聞いてすぐに思いついたのは、エマやディルグリムくんが村で冒険者の修行としてやっていた戦いの訓練のことだ。二人はテレサさんとカールさんを相手に、疲れて立ち上がれなくなるまで何度も何度も試合を挑んでいた。
彼女は私の質問を聞いて一瞬呆気にとられたような顔をした後、「なるほどこりゃあ、あの娘たちが心配するわけだ」と呟いた。
「見たいんなら後であたしが案内してあげるよ。でもまずは話を聞かせておくれ。」
彼女は少し優しい調子で私にそう言うとまたすぐに歩き出した。私たちはたくさんの人が行き交う中を抜けて歩き、やがて仮小屋の中では比較的しっかりした作りの、大きめの小屋に辿り着いた。私は彼女に促されるままに小屋の中へ入った。
「おかえりなさい!! その人は誰?」
小屋の中には小さな子供たちがぎゅうぎゅうに集まっていた。少し遠巻きにしながら、子供たちは私の杖や仮面を興味津々の顔で見つめている。
「あたしの客だよ。奥の部屋を使うから、あんたら邪魔するんじゃないよ。」
元気よく「はーい!」と返事をした子供たちに仮面越しに笑いかけてから、私は女の人について小屋の奥にあるカーテンの中に入った。
カーテンの奥は小さな部屋だった。部屋の中には小さな寝台とテーブル。そして背もたれのない丸椅子が一つあるだけだ。彼女は私を丸椅子に座らせると、寝台の脇にあった物入から素焼きの器を二つと陶器の瓶を取り出した。
私の前に器を置き、それに瓶の中身を注ぐと彼女は微笑んで「おあがりよ」と言った。
「いただきます!」
彼女が瓶を取り出した時から、匂いでこれが果物を発酵させたお酒だというのは分かっていた。大好きなお酒に嬉しくなった私は、すぐに器に口を付けた。薄い赤色をしたお酒を口に含んでこくんと飲み干す。
お酒はすごく酸っぱくて水っぽい味がした。正直に言うとあんまり美味しくない。女の人は寝台に腰かけて私がお酒を飲む様子をじっと見ていた。そして自分の器にもお酒を入れるとそれを一口飲んでから私に言った。
「何の疑いもなく口をつけるんだね。あたしがこれに何か入れてるとは思わなかったのかい?」
「えっ、何か入ってるんですか?」
何にも考えずに飲んじゃった私は、驚いて思わず彼女に聞き返した。それを聞いた彼女は可笑しそうにプッと吹き出し、ケラケラと声をたてて笑った。
私、変なこと言っちゃったみたいだ。顔と耳がかあっと熱くなる。半仮面とフードを付けてるから彼女からは見えないと思うけど、かなり恥ずかしい。
彼女は目の端に溜まった涙を、細くて長い指で拭いながら私に言った。
「いや、別に怪しいもんは入っちゃいないよ。古くなった葡萄酒を水で割っただけさ。この酒は気に入ったかい?」
「あの、えっと、その・・・あんまり美味しくなかったです。」
「フフ、正直だね。あたしもそう思うよ。本当に酷い酒だ。でもこれが今、あたしらに手に入る精一杯の酒なのさ。」
彼女はそう言って器のお酒を一気に飲み干すと、思い切り顔を顰め「あー不味い」と呟いて舌を出した。
「あたしはイゾルデ。この街の女たちのまとめ役をやらせてもらってる。よろしくねドーラ。」
私は差し出された手を握った。少し骨ばっているけどすべすべしてきれいな手だ。でも指先が少し荒れている。
「あんたの手はすごく綺麗だね。」
彼女は私の手を離した後、意味ありげに笑った。
「どうやらどっかの回し者ってわけでも訳でもなさそうだね。ドーラ、あんたこの街に何しに来たんだい?」
私は王家の倉庫で荷運び人の男性から言われたことをそのまま話した。彼女は私の目をじっと見つめながらそれを聞いていた。
「確かにまじない師が来なくなって困ってる女たちは多いからね。あんたの申し出はありがたいよ。でも見ての通りあたしらには金が無い。見合った額の支払いはできないけどそれでもいいのかい?」
「それは構いません。お金はある時に払っていただければいいです。それよりもどうしてそんなにお金に困っているんですか?」
私がそう聞くと彼女は肩を竦め、ふうっと息を吐きだしながら言った。
「どうしてもこうしてもあの火事のせいに決まってる。あたしの娼館もきれいさっぱり焼けちまったしね。」
イゾルデさんは歓楽街で一番大きな酒場と娼館を経営していたらしい。娼館で働く女性たちは身寄りがなく行き場を失くした人が多いという。彼女は他の娼館の経営者さんたちと協力してそんな女性たちに仕事と家を提供していたのだそうだ。
私が「それは素晴らしいことですね」って言ったら、彼女は微妙な表情をして軽く頭を振った。
「あんまり自慢できることじゃないよ。あたしのことを『女たちの生き血を啜って金を稼いでる』なんて悪し様に罵る奴も少なくないからね。」
私は思わず「えっ、血を飲むんですか?」って聞きそうになったけれど、すぐにそうじゃないってことに気が付いた。これはあれだ。えっと、そう! 『例え話』って言うんだよね!
ふう、危ない危ない。聞き返さなくてよかった。また笑われちゃうところだったよ。私は心の中で自分を褒めた。
私は気持ちを落ち着かせるため、ゆっくりと息を吐いてから彼女の方を見た。イゾルデさんは悲しい目をして笑っている。そんな彼女を見ていたら心がざわざわしはじめ、言葉が自然と口を突いて出てきた。
「お金を稼ぐとかは私にはよく分かりません。でも居場所があるっていうのは、やっぱり素敵なことだと思いますよ。」
私がこんなに人間を好きになれたのはハウル村っていう居場所があったからだ。身寄りのない女の人たちもイゾルデさんが居場所をくれたことがすごく嬉しかったんじゃないかと思う。
私の言葉を聞いて彼女は痛みを堪えるような顔でフッと笑った。
「ありがとうよドーラ。他の奴が同じこと言ったら笑い飛ばすところだけどね・・・今のは結構沁みたよ。あんたが心から言ってるってことが分かるからかねえ。」
彼女は少し上を向いて目をぱちぱちさせた。
「あたしもあの娘たちと同じさ。行き場を失くしてこの街に育ててもらったんだ。だからこれまでに受けた恩を少しでも返したい。それがあたしの望みなんだよ。」
彼女はすごく素敵な笑顔で私に向き直ると、片目をパチリと瞑った。
「でも他の連中には黙っていておくれよ。こんなのあたしのガラじゃないからね。」
「分かりました。二人のだけの秘密ですね。」
「ああそうさ。女と女の約束だよ。」
私たちは顔を見合わせて互いににっこりと笑い合った。
私はイゾルデさんに今、女の人たちがどんなことで困っているかを聞いてみた。イゾルデさんはしばらく考え込んだ後、答えてくれた。
「困っていることが多すぎて一つには決められないけど、あたしが一番辛いのは風呂を使えないことだね。多分、他の娘たちも同じように思ってるはずさ。」
娼館には大きな浴場があって、そこは女の人たちがいつでも自由に使えるようになっていたらしい。でも火事で娼館と一緒に燃えてしまった。
「衛士隊の作ってくれたこの小屋のおかげで雨露はしのげるけどね。風呂だけはどうにもならないよ。」
身だしなみを整える上でも、また病気の予防のためにもお風呂は欠かせないものだという。娼館の浴場は王立学校のエマたちの部屋にあるのと同じで小さな浴槽にお湯を張り、それを使って髪を洗い体を拭くものだそうだ。
ちなみにハウル村の共同浴場はお湯をたっぷり沸かして大きなたらいに入れ、その中に自分が入って体を洗う。私もエマもミカエラちゃんもハウル村のお風呂の方がずっと気持ちいいと思っている。
だからエマとミカエラちゃんは入学してからしばらくの間、村の共同浴場を懐かしがっていた。でも王都はハウル村みたいに薪や水を大量に手に入れることが難しいから仕方がない。お風呂入り放題だし、お水はきれいだし、やっぱりハウル村って最高だよね!
「今はとにかく金が無いから、湯も満足に湧かせなくてね。あたしはあの娘たちが体を壊しちまうんじゃないかって、それが気がかりなのさ。」
イゾルデさんは眉をひそめながら、心配そうに言った。
王都の人たちは、周辺の村々から農夫の人たちが売りに来る薪を買って煮炊きをしている。でも歓楽街の女の人たちは今、お金がないので薪を満足に買うことができない。
だから子供たちが街のあちこちから集めてきた瓦礫を乾かして、燃料として使っているのだそうだ。そう言えばさっき通りに座っていた女の人たちは、火で体を温めることもせずとても寒そうにしていたっけ。
火を燃やすのにお金が掛かるだなんて、ハウル村にいるときには想像もつかなかったよ。人間の世界の仕組みってすごく不思議です!
お風呂に入れてあげるだけなら私の《どこでもお風呂》の魔法がある。でも《どこでもお風呂》は私にしか使えない。皆がいつでも自由にお風呂に入れるようにするためには《どこでもお風呂》じゃだめだ。
それにこの魔法はあんまり他の人に見せないようにってガブリエラさんに言われてるんだよね。もっと別の方法を考えないと。
えっと、皆がお風呂に入れないのはお金がないからだから・・・。お金を用意すればいいってことかな?
「イゾルデさん、お金ってどのくらい必要なんですか?」
私がそう尋ねると、彼女は「なんだい、やぶから棒に」と怪訝な表情をしながらも教えてくれた。
「酒場と娼館、それに大浴場を一度に再建するってなれば、10万Dは下らないだろうね。それに酒なんかを仕入れて、女たちの身の回りを整えてやる必要もあるから締めて15万Dってところかねえ。」
娼館は女性たちの家も兼ねているので、かなりの大きさが必要になるのだそうだ。ちなみにこの小屋にいた沢山の子どもたちは彼女の娼館で働いている女性たちの子どもだ。以前からお母さんたちの仕事をしている間には、彼女が子供たちの面倒を見ていたんだって。
でも狭い小屋の中でたくさんの子供たちを大人しくさせておくのはとても大変だとイゾルデさんは言った。私もハウル村の集会所で子供たちの面倒を見たことがあるから、その気持ちはすごくよくわかる。
「じゃあ、イゾルデさんはそのお金をどうやって集めるつもりなんですか?」
「さてどうしたもんかね。まったく見当もつかないよ。前の娼館は最初にあたしが稼いだ金で小さい店を建てて、それを少しずつ大きくしていったんだ。でも今度はその初期資金を用意する当てがない。借りるってわけにもいかないし、また地道に稼ぐしかないかねえ。」
イゾルデさんはため息交じりに両手を上げ、おどけた表情をしてみせた。私はそれを聞いてとても不思議に思った。以前カールさんが、王都にはお金を貸すのを仕事にしている『貸金屋』という人がいると話していたのを思い出したからだ。私がそのことを尋ねると、彼女はアハハと口を大きく開けて笑った。
「確かに困った奴に金を貸す阿漕な連中はいるよ。だけど担保もないあたしたちみたいな娼婦に、そんな大金を貸そうなんて人間がいるわけないじゃないか。あたしらが全員奴隷に身売りしたって全然引き合わないよ。」
奴隷というのはお金で売り買いされる人のことだけど、イゾルデさんによるとその値段は人によってまちまちらしい。ごく普通の健康な成人男性なら500D、女性なら400Dくらいだそうだ。
普通の家庭の生活費が一か月40Dくらいだから、人間一人の値段はそのおよそ10~12か月分。果たしてそれが高いのか安いのか、私には判別できなかった。
ちなみに子供の奴隷は性別に関係なくだいたい200D前後だそうです。子供は大人みたいに働けないし、大人になる前に死んじゃうかもしれないからなんだって。
イゾルデさんが必要なお金は15万D。それなら今、私の手元にある銀貨で十分賄えそうだ。これを渡してしまえばすべて解決するのかな?
私は《収納》から銀貨を取り出しかけたが、寸でのところでちょっと待ってと思いなおした。
以前、ミカエラちゃんの筆頭侍女ジビレさんから「お金を簡単に持ち出すのは感心しません」って言われたことを思い出したからだ。あの時ジビレさんは私に「お金は人の心を狂わせ、身を亡ぼすもとになります」と教えてくれた。
私が渡したお金が原因で、イゾルデさんたちが困ったことになってしまったら元も子もない。ここは誰かに相談してみるのがいいだろう。マリーさんからもいつも「よく考えて行動するんだよ」って言われてるしね。うんうん。
そうやって私が考え込んでいたら、イゾルデさんは私の肩にそっと手を置いて優しい声で言った。
「気にしないでおくれドーラ。変な話を聞かせちまってすまなかったよ。ただのまじない師のあんたに金のことを何とかしてもらおうなんて思っちゃいないからさ。」
そして彼女は私に「聞いてもらってなんかすっきりしたよ。ありがとね」と言ってくれた。私は彼女の両手を取って尋ねた。
「イゾルデさん、また様子を見に来てもいいですか?」
「もちろん、いつでも大歓迎さ。でも歓楽街を歩くなら、まずはあたしのところに来てからにしておくれよ。あんた一人じゃどうにも心配だからね。」
イゾルデさんはそう言って笑った。私も一緒になって笑った後、せめてお風呂代わりになればと思い、彼女に断ってから《洗浄》と《乾燥》の魔法を使わせてもらった。彼女はちょっと驚いていたけれど、それをとても喜んでくれた。
その後、イゾルデさんと一緒に部屋を出た私は、彼女の許しを得てから出会う人全員に《洗浄》と《乾燥》の魔法を使いまくった。子供たちも女の人たちも「ビックリしたけどさっぱりしたよ!」と言ってくれてとても嬉しかった。
歓楽街の通りに出ると太陽は完全に姿を隠し、空はすっかり暗くなってしまっていた。青い月が顔を覗かせ、一番星も光っている。
しまった。王立学校の夕食の時間のことをすっかり忘れてたよ。帰りが遅くなったから、エマたちが心配してるかもしれない。
私はイゾルデさんに別れを告げた後、大急ぎで近くの路地に飛び込み《不可視化》の魔法で姿を消した。そして王立学校第六寮のエマの部屋に《転移》で移動したのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。