77 冬の日の訪問者
今回もスローライフなお話です。実は今回のお話、一度全部書き終わった後、保存をミスして下書きの方を上書きしてしまい、8割以上を消してしまいました。その後、何とか一時間半で書き直したので、誤字等が多いかもしれません。すみません。
秋祭りが終わって間もなくハウル村には雪が降り始め、辺りはすっかり真っ白になってしまった。畑仕事ができなくなった村のおかみさんたちは今、家の中で出来る機織りなどに精を出している。
男の人たちも森から木を伐り出すことができないので、仮設の炭焼き小屋に籠って毎日炭焼きを頑張っている。木が水を吸わなくなるこの季節は炭焼きにちょうど良いので、秋の間に乾燥させておいた木をどんどん焼いていくのだ。
こうやって作られた炭や灰は川船に乗せられ王都に運ばれる。ハウル村で作られる炭や灰はとても品質が高く、王都の錬金工房やガラス工房で重宝されているらしい。
ちなみに炭や灰の売り上げの8割は税金として王様のものになり、残りの2割から買い取りの手数料を引いた僅かな額がフランツさんたちの手元に残るのだそうだ。
ただカフマン商会が買い取りを仲介してくれるようにようになったので、王都の材木ギルドに買い取りを依頼していた頃に比べるとほんのちょっと手数料が安くなったとフランツさんは喜んでいた。本当にほんのちょっとらしいけどね。
雪のせいでこれまで通りの仕事ができなくなったとはいえ、大人の人たちはやっぱり毎日忙しい。でも小さな子供たちはとても時間を持て余してしまう。それまで彼らの仕事だった畑仕事の手伝いや森の周辺での採集ができなくなってしまったからだ。
だから冬の間、子供たちは村の集会場に集まって皆で過ごすのが恒例となっている。こうすればたくさんの子供たちの面倒を少ない大人だけで見ることができるからね。
集められた子供たちは読み書きや計算を勉強したり、一緒になって遊んだりしながら大人たちの仕事が終わるのを待つことになっている。去年の冬まではクルベ先生が村の子どもたちに勉強を教えてくれていた。
でも今年は街道沿いの集会場が一杯になってしまったため、それが出来なくなってしまった。街道沿いに新しく建った店や家に住む子供たちが物凄く増えてしまったのがその原因だ。
この冬、木こり村の子どもたちは村の集会場兼倉庫として使っている場所で過ごすことになった。みんなの先生役をすることになったのはエマだ。でもこの話を最初にマリーさんから聞かされた時、エマはとても困った様子だった。
「私に先生なんて無理だよ。それに私、もうすぐ12歳でしょ? 他の同い年の子たちはお母さんたちと機織りの手伝いをしてるじゃない。私もみんなと一緒に機織りをしたいんだけど・・・。」
そんなエマの弱気な言葉をマリーさんはすぐに突っぱねてしまった。
「王都の学校にまで通っておいて今更何を言うんだろうね、この子は。あんたの代わりに誰があの子らに読み書きを教えてやれるって言うんだい。出来ることは出来る人間がやる。それがこの村のやり方だよ。」
「でも、それならドーラお姉ちゃんだって、教えられるじゃない。」
エマの隣でこくこくと頷く私をちらりと見た後、マリーさんは真面目な顔でエマに問い返した。
「あんた、ドーラがあの子らに勉強を教えてやれるって、本当にそう思ってるのかい?」
そう言われたエマは私の顔をじっと見た後、何だか優しい笑みを浮かべて小さく頷いた。
「分かったよ。私、子供たちに読み書きを教える。でもその代わり、時間がある時には私にも機織りを教えてね、お母さん。」
「ああ、もちろんさ。かまどの火が残っている間は一緒に機織りをしようじゃないか。」
こうしてエマはみんなの先生役をすることになった。始めは少し不安そうな様子だったエマもしばらくするとすぐに慣れたみたい。最近は小さな子供たちでも最後まで飽きずに勉強できるようにと、教え方をいろいろと工夫している。
私はエマが子供たちと一緒に生き生きと頑張っているのが本当に嬉しかった。ちょっと引っかかるところもあったような気がするけれど、気のせいだよね、多分。
頑張っているエマに負けないよう、私も炭焼きのお手伝いや雪かきなど、出来る仕事を探して色々とやらせてもらっていた。ただ、雪かきは私の作った土人形のゴーラたちが休むことなく頑張ってくれているから、あんまり手伝えなかったんだけどね。
村の仕事がない時には、王都東門の側にある農場の様子を見に行った。でもここでも皆、家の中で出来る仕事をしている人ばかりだ。私が見に行った時、外で働いていたのは農場の管理人さんと農夫のノーファさんの二人だけだった。
二人は雪の下からルウベ大根を掘りだしては、それを小屋の中にいる家畜たちに餌として食べさせていた。
「大根は雪の下でもどんどん根を張って大きくなりますからね。こうやって冬の間中、収穫できるんですよ。おかげでいつもよりも豚を潰さずに済みました。」
ノーファさんは明るい声で私にそう言った。
冬の間は人間だけでなく家畜の食べ物も不足してしまう。だから秋の終わりに最低限の家畜を残してそれ以外は皆、肉に加工してしまうのが一般的だ。
だけどルウベ大根があれば冬の間でも家畜を育てることができる。この大根は雪の下でもどんどん成長する上に栄養が物凄くたくさんあるので、人間の食べ物としても、また家畜の餌としてもぴったりだからだ。
ただルウベ大根は腐食地虫という恐ろしい魔虫を呼び寄せてしまうため、普通の土地では育てることができない。地虫に侵されると毒の瘴気を放つ腐敗した土地になってしまい、他の作物を育てることはおろか、腐食地虫以外の生き物も住むことができなくなってしまうからだ。
腐敗した土地は神聖魔法の《浄化》を繰り返し使い、長い時間をかけて元に戻す必要がある。だから農場の人たちはルウベ大根を見つけるとすぐに除去してしまう。大根自体は毒もないし非常に有用な作物なのだけれど、土地を守る為には仕方がないのだ。
でも今、王立学校でそのルウベ大根を安全に育てるための研究が進んでいる。この農場ではその研究の一環として実験的にルウベ大根を栽培しているのだ。
今のところ実験は成功しているのでこのまま順調に研究が進めば、普通の農場でも安全にルウベ大根を育てることができるようになる。おそらくその日はそう遠くないはずだ。
ノーファさんはそれを見越していて、今から麦と野菜と豆、それにルウベ大根を使った新しい輪作法を考えているそうだ。もしこれが上手くいったら、少ない土地からでもたくさんの収穫を得られるようになるらしい。
どんな困難でも知恵と工夫で乗り越えようとする人間の姿は本当に素敵だ。ノーファさんが目をキラキラさせながら語る話を聞いて、私は人間がますます好きになった。
こんなふうにのんびりとした日々を送っていたある日、ハウル街道沿いで大きな宿屋を経営するグストハッセさんが私を訪ねてフランツさんの家にやってきた。
「ハンナから聞いたんだけど、これを作ったのはドーラさんなんだって?」
そう言って彼が懐から取り出したのは小さな平べったい壺だった。
「そうですよ。私が村のおかみさんたちのために作ったものです。冬になると手荒れがひどくなる人が多いですからね。」
私は隣で話を聞いていたマリーさんと顔を見合わせながらそう答えた。彼が持っている壺の中身は、私が調合した手荒れ防止の軟膏だ。前村長のおかみさんだったグレーテさんが私に作り方を教えてくれたもので、それを私とガブリエラさんが魔力を使って改良したのだ。
近くの森で採れる蜜蝋と薬草を使ったこの軟膏はとても効力が高く、村のおかみさんたちにとても喜んでもらっている。私は材料と引き換えにこの軟膏を村のおかみさんたち全員に配っていた。
それを聞いたグストハッセさんはたちまち相好を崩した。
「それは良かった。なあドーラさん、よかったらこの軟膏、私にも作ってもらえないかな? もちろん代金はちゃんと支払うよ。」
「それはお安い御用ですけど、でもカフマン商会にもこれと同じものを卸しておいたはずですよ。そっちで買った方がよかったんじゃないんですか?」
ゴーラたちが雪かきをしているとはいえ、もう雪は私の腰くらいまで積もっているのだ。その中をわざわざ歩いてくるのは大変だったに違いない。私がそう言うと彼は困った顔で答えた。
「それが全部売り切れてしまったっていうんだよ。冬になってすぐこの薬の評判を聞きつけた人たちが全部、買っていってしまったらしくてね。」
そんなことになっていたとは全然知らなかったので、私はすごく驚いてしまった。私は彼にお詫びを言った後、スカートの前に付けた大きなポケットに手を挿し入れ、《収納》の中に仕舞っておいた軟膏の壺を取り出して彼に手渡した。
「おお、こんなにたくさん! 助かるよドーラさん。宿屋の従業員にも手荒れやヒビに悩んでいる人が多くてね。それでハンナがこの軟膏のことを教えてくれたんだよ。」
「そうだったんですね。こんな雪の中をわざわざ来させてしまって本当にごめんなさい。」
「いやいや、お目当ての軟膏が手に入ったんだから言うことはないよ。本当にありがとうドーラさん。じゃあ、私はこれで。」
私は《雪除け》の魔法をしっかりとかけてから彼を送り出した。彼は何度も手を振りながら雪の中に消えていった。
彼が帰るとすぐマリーさんが私に言った。
「ねえドーラ。あんた、街道沿いの店の様子を見に行った方がいいんじゃないかい?」
「そうします!」
私はまじない師の姿に着替えると《転移》の魔法を使い、街道沿いのカフマン商会本店や衛士隊詰所、それに東ハウル村の職人街や冒険者ギルド、酒場を見て回った。すると私が思った以上に、多くの人たちから薬や魔導具の注文を受けることになってしまった。
「あんたが来てくれて助かったよ。ちょうど酔い覚ましや胃薬を切らしちまっててね。せっかく久しぶりに来てくれたんだ。よかったら王都の話でも聞かせておくれよ。一杯おごるからさ。」
東ハウル村の酒場『熊と踊り子亭』の女主人ジーナさんはそう言って私をカウンター席に座らせた。私はお礼を言って彼女から麦酒の入った酒杯を受け取ると、それを一口飲んでからふうっと大きく息を吐いた。
「まさかこんなにたくさんの注文を受けることになるなんて、夢にも思いませんでしたよ。」
私がそう言うとジーナさんはニヤリと笑った。
「この夏から秋にかけて随分人が増えたからね。酒場もおかげさまで毎日繁盛させてもらってるよ。」
彼女はチラリと満員の店内に目を向けた。たくさんのテーブルは仕事帰りの職人さんや衛士さん、それに冒険者さんたちですべて埋まっている。楽しそうに料理やお酒を楽しむ彼らの間を縫うように、きれいな服を着た女性たちや給仕役の男性たちが忙しなく動き回っていた。
テーブルの向こうに見える舞台では踊り子さんたちが魔導具の照明の光を浴びながら、楽師さんの奏でる曲に合わせて踊りを披露している。彼女たちの纏った薄衣が翻るたび、舞台の真正面のテーブルに陣取った男の人たちから大きな歓声が上がっていた。
「この酒場ってこんなに狭かったでしたっけ?」
思わず呟いた私の言葉を聞いて、ジーナさんはくっくっくと可笑しそうに笑った。
「酒場だけじゃないよ。ハウル村は今はどこもこんな感じさね。ここは稼げるっていう噂を聞いた連中がどんどん入り込んできてるのさ。ほら、あの子も旧グラスプ領から流れてきた娘だよ。」
彼女はそう言って舞台の一番左端を指さした。やせっぽちの体をした半裸の女の子が曲に合わせて一生懸命踊っている。エマより少し上くらいの年だと思われる彼女は、隣で踊る先輩の動きを見ながら一心に体を動かしていた。弾けるような笑顔と溌溂とした動作がとても魅力的だ。
「粛清に巻き込まれて死んだ領主の農園で働いてみたいでね。随分な目に遭ったらしいよ。ひと月前にここに流れてきたときは男か女かも分からないくらいの有様だった。しばらくは厨房の下働きをしてたんだけど、踊り子になりたいって言いだしたからあたしが稽古をつけてやったんだ。そしたらなかなか筋が良くてね。あのまま頑張れば、あの子はきっといい踊り子になるよ。」
ジーナさんは嬉しそうな目で彼女の様子を見ていた。でもふと私の方に目を向けると、心配そうに尋ねてきた。
「ところであんた、大丈夫なのかい? 隣のギルドじゃあんたの薬を欲しがって売り子に食って掛かるゴロツキみたいな連中もいるって聞いてるよ。まあそんな奴らはガレスが全員、叩きだしてるみたいだけどね。」
「そうみたいですね。私もさっきギルドでそう言われました。来てくれてよかったってすごく感謝されちゃいましたよ。でも少し意外です。」
「意外? 何がだい?」
「だって冬は冒険者さんたちもあんまり仕事に出かけないって聞いてたので。薬はあんまり必要ないんじゃないかなって思ってたんですよ。今までの冬は実際そうでしたし。」
私がそう言うと、ジーナさんは訳知り顔で「ああ」と頷いた。
「魔石狩りをする連中はそうだね。でも冬にしか採れない素材を集める連中にとっては、今が稼ぎ時なのさ。」
冬は雪のために戦いにくくなる代わりに、魔獣との遭遇率がぐんと下がる。だから魔石を狩り集める冒険者さんたちは、季節に関係なく戦える迷宮へと移動するのだそうだ。でも素材収集の専門家である野伏さんや森林祭司さんたちにとっては、事情が違うらしい。
「あの連中は魔獣を避ける技に長けてるからね。むしろ冬の方が仕事がしやすいみたいだよ。」
ハウル村の冒険者ギルドにより多くの冒険者さんたちが入ってきたことで、これまでとは事情が違ってきているのだそうだ。人が増えたことでこんなところにまで影響が出るなんて本当に驚きです。
「じゃあ、これからはこまめにお店やギルドを回らなきゃいけませんね。時間が出来たら出来るだけこっちにも顔を出すようにします。」
私がそう言うとジーナさんは心配そうに眉を寄せてみせた。
「そりゃあんたが来てくれりゃあ、あたしだって嬉しいけどさ。でも一軒一軒訪ねて歩くのも大変だろう? もしよかったら、あたしが代わりに注文を聞いといてやろうか?」
「それ、すごく助かります! でも、いいんですか?」
「ああ、注文を聞いて品物を渡すくらいなら酒場の仕事のついでに出来ると思うよ。ただ酒場も忙しい時があるから、流石にずっとって訳にはいかないけどねぇ・・。」
ジーナさんはそう言って首を傾げていたけれど、急に何かを思いついたようにパチンと手を打った。
「そうだ、ドーラ。あんた、いっそのこと店を出しちゃどうだい?」
「ええ、お店!? 私がですか?」
驚いて声を上げた私をなだめるようにジーナさんは優しく笑った。
「いや別にそんな大層なもんじゃなくていいのさ。誰か人を雇ってさ。あんたの代わりをできる人間を置いとけばいいと思うんだよ。どうだい?」
「すごくいい考えですね、それ! でも何から始めたらいいんでしょうか?」
竜の私が人間の村にお店を開く。考えただけでワクワクしてしまう。でもどうすればそんなことができるのか、皆目見当がつかない。ジーナさんはしばらく考えた後、私の問いかけに答えてくれた。
「まずは場所。それから人だね。場所はあんたの子爵様にお願いすれば、すぐに何とかしてくれると思うよ。けど問題は人だね。金勘定が上手いのはもちろんだけど、何よりあんたが信頼できる人間がいい。誰か心当たりがあるかい?」
そう言われてもなかなか思いつかない。私がそう言うと彼女は「じゃあとりあえず身近な人間に相談してみたらいいと思うよ」と言ってくれた。
私は彼女に麦酒のお礼を言って酒場を出ると《転移》の魔法でフランツさんの家に戻った。そしてその日の夕食後、小さな子供たちが寝静まってから私はフランツさんたちにジーナさんから言われたことを相談してみることにした。
「へぇ、ドーラが店をねえ。俺ぁいいと思うぜ。お前はどう思う、マリー?」
フランツさんにそう尋ねられたマリーさんは優しい笑顔で私を見ながら、からかうように言った。
「そうだねぇ。ドーラが思いついたってんなら心配だけど、ジーナが言うことなら大丈夫かもねぇ。」
「ちょっと! それ、ひどくないですか!?」
私がわざと頬を膨らませて怒ってみせると、マリーさんは「ごめんごめん。悪かったよ」と笑いながら謝った。そうやってひとしきり皆で笑った後、彼女は私の手をそっと取って私の顔を覗き込んだ。
「あたしもいい考えだと思うよ。あんたは本当に立派になったもの。でもまだまだ危なっかしところもあるからね。出来るだけ協力するから、困ったことがあったら何でも言っておくれ。」
「マリーさん・・・!!」
私は嬉しさで思わず目が熱くなってしまった。目に涙を溜めた私を心配するように、彼女は私に問いかけた。
「ジーナの言う通り、信頼できる人間が必要だね。あんた、心当たりがあるのかい?」
「いいえ、それがさっぱり。誰かいい人はいないでしょうか?」
私がそう言うと二人は顔を見合わせた。
「うーん、お前のことをよく知ってて信用できる奴って言うと、ずっとこの村に住んでた連中ってことになるけどよ・・・。」
「でもあんた、村のおかみたちは読み書きなんてできやしないよ。男連中だってそうだろう?」
三人でいろいろ考えてみたけれど、なかなかいい考えは浮かばなかった。やっぱりお店は諦めて、ジーナさんが暇なときにお願いするのがいいのかもしれない。私がそう言うと、それまでじっと黙って話を聞いていたエマが急に口を開いた。
「お姉ちゃん。私はハンナちゃんにお願いするのがいいと思うよ。」
それを聞いたフランツさんは、すぐに呆れたような声を上げた。
「ハンナに? でもあいつはもう宿屋で働いてるじゃねえか。もうすっかり一人前になったってライコフ(ハンナの父)の奴も喜んでたくらいだ。客からの人気があってかなり稼ぎもいいらしい。その仕事を辞めてドーラの店で働くもんかな?」
マリーさんもフランツさんの言葉に頷いている。でもエマはきっぱりとした様子で首を横に振った。
「ハンナちゃん、宿屋の仕事を続けるかどうか悩んでるみたいなの。だからお姉ちゃん、一度話を聞いてあげて?」
ハンナちゃんはエマの幼馴染で、日頃から家族に言えないことを相談し合っているのを私も知っている。そのエマがこんなに強い調子で言うくらいなのだから、きっとよほどの悩みを抱えているに違いない。エマの言葉に従い、私は明日早速、彼女に話を聞きに行くことにした。
「ドーラおねえちゃんのお店? それすっごく素敵! あたし、やってみたい!」
翌日の昼頃、グストハッセさんの宿屋でハンナちゃんに私がお店のことを話すと、彼女はすぐにそう答えてくれた。
「でも本当にいいの? せっかく宿屋の仕事で一人前になってきたんでしょう?」
私がそう尋ねると、彼女は俯いて小さく頭を振った。
「宿屋の仕事はすごく楽しいし、やりがいがあるよ。でもあたし、最近ちょっと怖いなって思うようになったの。」
彼女が言うには12歳になった今年の夏ごろから急に、男性のお客さんからひどく絡まれることが多くなってきたのだそうだ。
「注文を間違えずに届けて、お客さんに喜んでもらえるのはすごく嬉しいの。けどこの頃は、やたらと体を触られそうになったり抱きしめられそうになったりすることが多くって。この間なんか二階の部屋に無理矢理連れ込まれそうになったんだよ。その時はたまたまお客さんで来てた衛士の人が助けてくれたけど。もしあのまま連れていかれてたらどうなってたんだろうって思うと、本当に怖くって・・・。」
彼女は目に涙を浮かべながらそう話してくれた。エマがハンナちゃんにそっと寄り添い、彼女の背中を優しくさすった。
宿屋や酒場の給仕をする女性の中には、お金を受け取ってお客さんの相手をする人も少なくないそうだ。実際、彼女の同僚にもそういう人が結構いるらしい。
でもそれはあくまでその女性が自分の意志でやっていることで、別にお店に強要されてやっているわけではない。ハンナちゃんはお客さんからそういう話を持ち掛けられるたびに、すごく困った思いをしていたらしい。
彼女は最近、体つきが女の子らしくなってきている。それに元々すごく可愛いから、男の人たちからそういう要求を受けることが多いんだと思う。でもだからって、女の子の気持ちを無視してやっていいことじゃないよね。そんなのは絶対によくないと思います。
ハンナちゃんが困っているのなら私が迷う理由はない。私は頭を下げながら彼女に手を差し出した。
「そういうことなら是非、私のお店を手伝ってください!」
彼女は手の甲で涙をぐしぐしと拭った後、私の手をしっかりと取ってくれた。
「ありがとうドーラおねえちゃん。私でよければよろしくお願いします。」
ハンナちゃんの協力が得られたことで、私はお店作りの準備を進めることができるようになった。エマとハンナちゃんと別れた私は、その足でカールさんのところへ向かい、お店を出そうと思っていることを彼に相談した。
「ドーラさんがお店を、ですか?」
「そうなんです。私が留守の間にハンナちゃんが注文を受けたり品物を渡してくれたりできたら、薬を欲しがる人たちが困らないんじゃないかって思って。」
話を聞いたカールさんは顎に右手を当てて少し考えた後、私に言った。
「私もそれは良い考えだと思います。村のためなるのはもちろんですが、何よりその方がより私にとっても安心ですから。」
「安心?」
私が首を傾げると、彼はくすりと小さく笑って言った。
「直接ドーラさんが依頼者と会わずに済むことで、あなたの真の力を知られる機会を減らすことができるからですよ。」
「!! なるほど! そうですね!」
以前、彼が話してくれたところによると、私の正体が多くの人に知られてしまうと私だけでなく、王様やハウル村の人たちを始め、私の大事な人たちを危険に晒す可能性があるらしい。だから私は普段できるだけ目立たないようにまじない師姿で他の人たちに会うようにしているのだ。
人間姿の私は竜の姿の時よりもうんと力が小さくなっている。それでも普通の人と比べると力は強すぎるみたい。これまでも魔法薬の注文に来た人たちからそのことを指摘され、かなり焦った覚えがある。
でも私が直接お客さんの相手をしなくてよくなれば、そういう心配をする必要がなくなる。さすがはカールさん。私のことをよく考えてくれている。私はそのことがすごく嬉しかった。
その後、私はカールさんと相談して、お店の場所や開店の時期を話し合った。その結果、場所は北門前広場の側、ハウル街道沿いの建物の裏手にすることが決まった。ここならカールさんたちが不審な相手が近づくのを防ぎやすいからだ。それにハンナちゃんも家から通いやすいしね。
ただ冬の間は雪のために新しい工事を進めることが難しい。だから一応場所だけ確保しておいて本格的な開店準備は春になってからということになった。それまでは『熊と踊り子亭』のジーナさんにお願いしようと思う。
人間の世界に来て7年目。まさか竜の私が人間相手にお店を開く日が来るなんて夢にも思わなかった。これもこれまで私を支えてくれた、たくさんの人たちのおかげだよね。
その人たちの気持ちに応えるためにも、またお店に協力してくれるハンナちゃんのためにも、皆に愛されるお店にしなきゃいけない。まず何から始めようかしら・・・?
そうだ! カフマンさんにどんなことをすればいいか聞きに行ってみたらいいかも。うん、そうしよう!
長い冬はまだ始まったばかりだ。でも自分のお店を開けると思うと、私は今から春がやってくる日が待ち遠しくて仕方がなくなってしまったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございます。