76 ハウル村の秋祭り
リアルがちょっとしんどいので、スローライフなお話を書きたくなりました。
王立学校の剣術大会が終わったその日の夜、私はエマとリアさんと共に《集団転移》の魔法を使い、ハウル村に戻った。カールさんのところに行くというリアさんと北門前広場で別れた後、私とエマは手を繋いで夕暮れの下を歩き、フランツさんの家に向かった。
「おう、帰ってきたか! ちょうど晩飯の準備が終わったところだぞ。さあ二人とも、座れ座れ!」
扉を開けるとエマのお父さんのフランツさんがそう言って笑顔で私たちを迎えてくれた。いつものテーブルにはエマと私の分の夕食もちゃんと準備してある。私が昨日のうちに、今日帰ることをマリーさんに知らせておいたからだ。
今日の献立は発酵させて作ったふかふかの黒パンときのこのシチュー、それにこんがり焼いた豚肉。肉の上には香草と野苺で作ったソースがたっぷりとかけてある。
「秋祭りに向けてちょうど豚を潰したばかりだからね。皆、たっぷりお食べ。」
マリーさんがそう言ったのを合図に、私たちは皆でご飯を食べ始めた。
「ねえねえ、エマねえちゃん! 王都の剣術大会に出たんでしょ? どうだった? 優勝できた?」
私が香ばしい焼き豚をマリーさん特製の甘いエールで飲み下していると、エマの弟のアルベールくんが目をキラキラさせながらエマに尋ねた。
アルベールくんは今年で7歳。よく村の男の子たちと剣術ごっこをして遊んでいる。彼は迷宮討伐を果たしたエマのこともすごく尊敬してるみたいだし、きっとエマの活躍を聞きたくて仕方がないんだろうと思う。
それが分かっているからか、エマは少し困った顔で彼に答えた。
「それがねアルベール。お姉ちゃん、予選で負けちゃって決勝には出られなかったんだ。」
「えーっ!? そうなの・・・?」
アルベールくんはエマが負けたと聞いて、すごくがっかりしたようだった。それを見て彼の双子の妹のデリアちゃんがくすくす笑いながら言った。
「お兄ちゃんたら、ノーマンたちに『エマねえちゃんはすっごいんだ! 絶対優勝するに決まってる!』って自慢してたんだよ。ほら、だから言ったじゃないお兄ちゃん。あんまり自慢しちゃダメって。あたしが言った通りになったでしょ?」
デリアちゃんが勝ち誇ったようにそう言うと、アルベールくんは「だってさ」と呟いて唇を尖らせ、下を向いてしまった。
「そうだったんだ。ごめんねアルベール。」
エマがそう言っても、彼はむくれ顔で俯いたままエマの方を全然見ようとしない。それを見たフランツさんが強い調子で彼に怒鳴った。
「おいアルベール! エマが戦ったのは魔法騎士を目指してる連中なんだぞ! ただの村娘がその中に入って大会に出たってだけで十分凄いことなんだ! そんな顔すんのは止めろ、みっとねえ!!」
フランツさんの大声に驚いてエマの一番小さな妹、1歳のグレーテちゃんがしゃくりあげ始めた。グレーテちゃんに食事を摂らせていたマリーさんがすぐにあやしたけれど、その甲斐もなくグレーテちゃんはふにゃあと泣き出してしまった。
「アルベール。姉ちゃんと父ちゃんに謝りな。今のはお前が悪いよ。」
マリーさんにまでそう言われ、アルベールくんは俯いたままポロポロと涙をこぼし始めた。エマは泣いている彼の肩にそっと手を置いた。
「あのねアルベール。姉ちゃん、決勝には出られなかったけど結構頑張ったんだよ。3人の男の子に勝てたんだから。」
それを聞いたアルベールくんは弾かれたように顔を上げて、涙を両手の甲でごしごしと拭いた。
「本当に? 姉ちゃん、本当に魔法騎士見習いの男の子に勝ったの?」
エマは弟の目と鼻を自分の服の袖で拭い、にっこりと笑った。
「もちろん! すごく強かったけど、姉ちゃん頑張ったんだ。だからノーマンたちにはそう言ってやってね。」
エマの言葉にアルベールくんは大きく頷き、ぺこりと頭を下げた。
「うん、分かった。ごめんね、エマお姉ちゃん。あと、父さんも、ごめんなさい。」
「おいおい、俺はエマのついでかよ。」
フランツさんが大げさに両手を広げてそう言うと、その場にいたみんなが一斉に笑い出した。
皆はまた楽しく食事を再開した。エマは皆に求められるまま、剣術大会の様子を話していった。
「すっごいや、姉ちゃん! やっぱりエマ姉ちゃんは強いんだ!!」
アルベールくんの言葉にエマが笑いながら「もっともっと強い人はいっぱいいるけどね」と言うと、彼は大きく頭を振った。
「ううん、魔法騎士見習いの貴族に勝つなんて本当に凄いよ! あーあ、俺も姉ちゃんの試合を見に行ければなー。」
「バカ言うな。貴族様の学校に俺たちみたいな平民が入れるわけないだろう。」
フランツさんがそう言うと、アルベールくんとデリアちゃんはちらっとエマの方を見る。それに気づいたフランツさんは歯切れが悪そうに「エマは、まあ、なんというか・・・特別なんだよ」と言った。それを聞いたアルベールくんはケタケタと笑った。
「そんなの俺だって分かってるって、父ちゃん。でも一度でいいから姉ちゃんが騎士見習いに勝つところを見たかったなあ。」
私はその時、彼の言葉にピンと閃いた。
「アルベールくん! 私が魔法でエマの試合を見せてあげようか?」
「それ本当、ドーラ姉ちゃん!? 見たい見たい!! 見せて見せて!!」
「じゃあ早速! 《幻惑》と《幻影》、それに《自動書記》を組み合わせてっと・・・できた!」
私は3つの魔法をかけ合わせて新しい魔法を作り出すと、みんなが食事をしているテーブルの上に一抱えくらいの大きさの魔力の球を出現させた。
「おいおい、大丈夫かドーラ! 爆発したりしねえだろうな!?」
「そんな失礼な! いくら何でもそんなことしませんよ、多分。」
フランツさんにそう言い返した私は、空中に浮かべた魔力の球の中に自分の記憶にあるエマの様子を《自動書記》で描き出した。
「すごい! エマ姉ちゃんがもう一人、球の中にいるよ!!」
デリアちゃんが声を上げた通り、空中の球の中には試合に臨む前の、革鎧姿のエマの様子が映し出されている。
「フフフ、驚くのはまだ早いですよ。」
私は《幻影》の魔法で球の中にいるエマの姿を動かしてみせた。大歓声を受けたエマが素早い動きで対戦相手を翻弄し追い詰めていく様子が、私の記憶通りに魔力の球の中で再現される。
アルベールくんとデリアちゃんは球の中で戦っているエマに一生懸命、声援を送った。フランツさんとマリーさんは驚いた眼で、エマは少し恥ずかしそうに球の中の試合の様子を見守っている。
やがてエマの短刀が対戦相手の体を捉え、審判が「勝者、ハウル村のエマ!」と宣言すると、皆は一斉に歓声を上げ大きく拍手をした。
「すっげえや姉ちゃん! あんなに強そうな相手に勝っちまうなんて!!」
「いやあ、なんか照れちゃうね。」
エマは赤い顔をして頭を掻いた。
「ねえ、ドーラ姉ちゃん!! もっと見せてよ!!」
「もちろん!! じゃあ、行くよ!」
そう言って再び魔法を使おうとした時、マリーさんが私を制止した。
「ちょっとお待ち、ドーラ! そいつは夕飯の後にしておくれ。せっかくの料理が冷めちまうよ!」
私は皆に謝ってから《加熱》の魔法で冷めてしまった料理をもう一度温め直した。そして食事と片づけを終えた後、森で採れた木の実や果物を摘まみながら皆で一緒にエマの試合の続きを見たのでした。
私が新しく作った魔法《思い出球》(命名:アルベールくん)で楽しんだ翌日。私とエマは村の冬支度の手伝いをはじめた。
冬の間、森や畑は雪に閉ざされてしまうため、新しい食べ物を得られなくなる。だから春がやって来る4か月後まで今ある食べ物で何とかやりくりしなくてはならない。
来るべき冬に備え、村の人たち総出で秋の収穫物を干したり、燻したり、発酵させたり、塩や油に漬けたりしていく。でもこれがなかなか大変な作業なのだ。
手順や加減を間違うとせっかくの食べ物をダメにしてしまうので、年嵩のおかみさんたちの指示に従って皆で真剣に作業を進めていく。私も魔法を使ったり、力仕事をしたりと出来ることは何でも手伝って回った。
ただこんなに頑張ったとしても、冬の間はやっぱり食べ物が不足してしまう。特に春が近づき雪が融け始める頃には、残っていた僅かな食べ物もすべて傷んでしまうのだ。
もちろん私の魔法の力があればそれを防ぐことなんて簡単にできる。ただフランツさんの前の村長アルベルトさんは、私にそれをさせなかった。
「お前だっていつかはここを離れるだろう。そうなった時、村の連中が困らねえようにしとかねえとな。」
アルベルトさんはそう言って、本当にいざという時の食べ物以外はそれまで通りの方法で保存するようにしていた。アルベルトさんの跡を継いだフランツさんも同じだ。だから私は本当に緊急用の食糧だけを《収納》にしまっておくことにしている。
もっとも私が村に来てからそんな緊急事態はまだ一度も起こっていない。農地が広くなったおかげで収穫量が増えたし、保存に使う塩や油が手に入れやすくなったからだ。それもすべて村の皆が力を合わせ、生活をよくしようと頑張ってきたおかげだ。
私は村の冬支度の度に人間の知恵の素晴らしさに感心させられている。そして年を経るごとにますます、人間のことが大好きになっているのだった。
忙しい冬支度が終わるといよいよ皆が楽しみにしている秋祭りだ。秋祭りは王都では収穫祭と呼ばれている。でもやることはあまり変わらないらしい。皆で美味しいものをたくさん食べて飲んで、歌って踊るのだ。
秋祭りは秋の収穫を大地母神に感謝し、皆でお祝いをするためのものらしい。でも実際のところは、冬支度で保存ができない食べ物を一度にすべて食べてしまうためにやっているみたい。これもきっと人間の知恵から生まれたものなのだろう。
これまでハウル村の秋祭りは皆で村の広場に食べ物や飲み物を持ち寄って行われていたけれど、今年は少しやり方が変わっていた。会場を四つに分けることになったのだ。これは村に人が多くなりすぎてしまったためらしい。
一つ目の会場は木こりの人たちが暮らす村の西側広場。ここでは今までやっていたのとほとんど同じ秋祭りが行われる。ちなみにここの責任者はフランツさんだ。
次にハウル街道へと通じる村の北門と南門前の広場。街道沿いの店で働く人たちや村に滞在している旅人の人たちが主な参加者となり、お祭りが行われる。責任者はカールさんの副官ステファンさんだ。
最後は川向こうの東ハウル村中央広場。この場所のお祭りには酒場や冒険者ギルドで働く人たちが多く参加することになるらしい。職人街で働いている若い男の人たちもここに行く人たちが多いみたい。責任者は冒険者ギルド長のガレスさんが嫌々ながら引き受けてくれたそうだ。
もちろんどの場所のお祭りに参加するのも自由なので行き来することは可能だ。ただ、村の中は結構広いので『よほどの物好き』でもない限り、自分の住んでいる場所の近くの会場に行くことになるだろうとフランツさんは話していた。
特に木こり村の秋祭りはどこの農村でも行われているものなので、わざわざ見に来る人はおそらく誰もいなさそう。遊びに行くなら行商人さんの多い門前広場か、酒場のある東ハウル村広場に行く方が楽しいだろうしね。
ちなみにどの会場にもバルドンさんが指揮する衛士隊が配置されていて、警備に当たることになっている。なんでも留守を狙って盗みを働いたり、暴力沙汰を起こしたりする人がいるそうで、お祭りの間、衛士隊は大忙しなのだそうだ。だから衛士隊の人たちは少しずつ交代しながらかわりばんこでお祭りに参加するみたい。本当にお疲れ様です。
秋祭り当日の朝、私は木こり村の人たちと一緒に朝早くから村の西側広場で行われる祭りの準備をはじめた。お昼少し前にはその準備も終わり、村の皆が広場に集まったところでフランツさんがお祭りの始まりを告げた。
あちこちで乾杯の声が上がり、酒杯が酌み交わされる。最初の乾杯で飲むのはこの日のために準備された特別な麦酒。んぅ-、きめ細やかな泡とほのかな甘みが最高です!
雲一つない青空の下に並べられたテーブルの上に、おかみさんたちが腕を振るった料理をどんどん並べていく。どれもこれも村で育てた作物や豚の肉を使ったごちそうばかりだ。
大人も子供も夢中になって食べて飲み、思い思いの場所で今年あったいろいろな出来事を語り合う。あちこちで笑顔が溢れるこの時が、私は何よりも大好きだ。
お酒が進んでいくとどこからともなく笛や太鼓の音が聞こえ始め、歌や踊りが始まった。今日はこれが夜中まで続く。普段は日が暮れたらすぐに寝てしまう村の人たちも、この日ばかりは夜遅くまで起きていて、心ゆくまで語らいながらお酒や料理を楽しむのだ。
私はエマや村の子どもたちと一緒にお祭りを楽しんだ。でもその中に、去年までいたはずの子が何人かいないことに気が付きエマに尋ねた。
「そういえばハンナちゃんたちがいないね?」
ハンナちゃんはエマの幼馴染。エマより一つ年上の彼女は、エマのことを実の妹のように可愛がってくれている。私の問いかけに答えたのは、エマではなくその隣に立っていたアルベールくんだった。
「ハンナ姉ちゃんなら、北門広場の祭りに参加してるはずだよ。グストハッセさんの宿屋が屋台を出すからその手伝いをするんだって。」
グストハッセさんはハウル街道沿いで大きな宿屋を経営している。そう言えば以前、ハンナちゃんは宿屋の給仕係としてすごく人気があるって聞いたことがあったっけ。彼女はもうすぐ13歳だし、もう一人前の働き手として頼られているに違いない。
これまでハウル村の子どもたちはだいたい10歳を過ぎる頃になると、男の子はお父さんたちと一緒に森へ入り、女の子はおかみさんたちと一緒に畑仕事や織物などをするのが当たり前だった。
そうやって大人に混ざって働き、一人前の仕事ができるようになると好きな人同士で結婚して新しい家族を作るのだ。男の人は15,6歳、女の人は14,5歳で結婚するのが普通らしい。
男の人の方が結婚が遅くなるのは家族を養うだけの稼ぎを得られるようになるまで時間が掛かるから。もちろんこれには個人差があるので13歳で所帯を持つ男の子もいれば、17歳を過ぎても独りきりの人もいる。
でも男の子も女の子も小さな村の中でずっと一緒に過ごしてきた同士なので、よほどのことがない限り結婚相手が見つからないということはない。エマが言うには「小さい頃から何となくこの人と結婚するんだろうなあって分かる」ものらしい。
ただこれはあくまでこれまでの話だ。今のハウル村は選べる仕事も、出会える相手もちょっと前までとは比べ物にならないくらい増えた。実際、ハンナちゃんのように何人もの子供たちが街道沿いの店や宿、川向こうの職人街や冒険者ギルドで働いている。
今も急速に人が増えているから、これからこういう子供たちはもっともっと多くなるんじゃないかな。
テレサさんのいる聖女教会ができたこと、魔法薬が比較的簡単に手に入れられるようになったことで、大きくなる前に死んでしまう子供の数は減っているし、ますます村が賑やかになりそう。今からとても楽しみだ。
私がそんなことを考えていたら、急に思い立ったようにエマが私に話しかけてきた。
「ねえ、ドーラお姉ちゃん。ハンナちゃんの様子を見に行かない?」
「いいね! 行ってみようか!」
私たちは皆で北門前広場に行ってみることにした。アルベールくんたちに子供たちの先頭を歩いてもらい、いつものまじない師姿に着替えた私とエマが一番後ろからついていく。子供たちはこの道を学校に通うために毎日通っているので、他の道に比べれば格段に歩きやすく、その上安全なのだ。
道すがらなんだか物欲しそうな顔をしてぼんやり立っている衛士さんたちに挨拶をしながら、私たちは北門前広場へと辿り着いた。
「すっげえ!! こっちはすごく賑やかだね、姉ちゃん!!」
アルベールくんがそう言った通り、北門前の広場は多くの人や屋台でいっぱいにだった。屋台の間では他の村からやってきたと思われる楽師さんや大道芸人さんたちが歌や踊り、軽業などを披露している。
道行く人たちの服も色とりどりでとても華やか。まるで王都の中央通りのようにきれいに着飾った人が多い。私たちは楽しそうに道行く人たちの間をすり抜け、ハンナちゃんのいる屋台を探すことにした。
迷子にならないようみんなで手を繋ぎながら苦労して道を歩いていく。とにかく人が多いので歩くだけでもすごく大変だ。本当に辿りつけるのかちょっと不安になってきた。
《人物探索》の魔法を使った方がいいかな? そう思っていたら急にふっと人混みが開いて周りが見やすくなった。
「ドーラさん、どうしたんですかこんなところで。」
「カールさん!!」
開いた人ごみの先にいたのは護衛のヴィクトルさんを連れたカールさんだった。侍女服の上に外套を羽織ったリアさんもすぐ側にいる。
今日の彼はいつも着ているよれよれの官服じゃなく、金色の飾りがたくさんついたきれいな服を着ていた。胸に付けている大きな貴族章がとってもピカピカで素敵だ。
カールさんの姿に気付いた周りの人たちが慌てて道に跪こうとする。それを見たヴィクトルさんは大きな声でその人たちに言った。
「ルッツ子爵様が今日は無礼講だとおっしゃってる! 振る舞い酒もたっぷり用意してあるぞ! 皆、大いに楽しんでくれ!」
彼の声を聞いた皆はたちまち笑顔になった。あちこちから「子爵様、万歳! 王国に栄光あれ!」という歓声が上がる。そう言われてみれば、広場のあちこちで衛士さんたちが道行く人たちに樽に入ったお酒を配っていた。
ふむふむ、あれはカールさんが用意したものだったのか。すごく美味しそうな麦酒の匂いがここまで漂ってくる。あとで私ももらいに行こうっと。
私は彼にハンナちゃんのいる屋台を探していることを話した。
「ああ、なるほど。それならあちらの方ですよ。私がご案内しましょう。」
「ありがとうございます。でもカールさん、なんだか顔色が悪くないですか?」
私たちを先導して歩き出した彼にそう言うと、彼はほんの少し自嘲気味に笑った。
「秋祭りの準備でしばらく忙しかったので少し疲れてしまいました。でも今日が終わったらゆっくりできると思います。あとでまた強壮薬を分けていただけませんか?」
「もちろんです。でも本当に大丈夫ですか? 少しでも休んでいた方がいいんじゃ・・・。」
私の言葉に彼はきっぱりと首を振った。
「いえ、こうやって領民が楽しんでいる様子を見るのも、領主代行である私の務めなのです。それに言うほど無理はしていませんから。」
彼はそう言って優しく微笑んだ。でも後ろに控えるヴィクトルさんの方を見ると、彼は「まったくアニキには困ったもんだ」と言わんばかりに顔を顰めて見せた。やっぱり相当無理をしているみたい。
ともかく彼の案内のおかげで私たちは迷うことなくハンナちゃんを見つけることができた。
「ではドーラさん、祭りを楽しんでくださいね。リアを残していきますから、帰りは大丈夫だと思います。日が暮れる頃に私もフランツのところに行くつもりです。またあちらでお会いましょう。」
彼はそう言い残し、再び人ごみの中に戻っていった。彼はああやって4つの会場をすべて見て回るつもりのようだ。ガブリエラさんも魔法のホウキに乗ってよく村の様子を見て回っていたけど、あの時に比べて村の大きさと人数は何倍にもなっている。
カールさんのために何かしてあげたいけれど、私にはどうしたらよいか分からない。それがもどかしく悔しい。
私がそう思いながら彼の背中を見つめていたら、私と同じ目でリアさんも彼の背中を見つめていた。でも私の視線に気が付くとすぐに表情を改めて「さあ、ドーラ様参りましょう」と私を急かし、子供たちを先導してさっさと歩き出した。
「エマ! ドーラおねえちゃんに、みんなも! 会いに来てくれたの?」
他の店に比べて少し大きめの屋台の前にいたハンナちゃんは、私たちの姿に気が付くとそう声をかけて笑顔で駆け寄ってきてくれた。
一杯のお客さんの間を抜けてきた彼女はとてもかわいらしい給仕服を着ている。これはガブリエラさんの依頼でドゥービエさんがデザインしたものだ。
たくさんのリボンやレースの飾りがついた彼女の服を、一緒にいた小さな女の子たちはうっとりとした目で見つめた。村の子どもが着ている普通の服とは全然違うから無理もない。この服のおかげで宿の給仕係は村の女の子たちの憧れの職業になっているくらいなのだ。
私たちに向かって「今、忙しくてあんまりお話しできないんだ。ごめんね」と言った彼女にエマが尋ねた。
「ねえ、ハンナちゃん。この屋台では何を売ってるの?」
「ドーラおねえちゃん特製の香草茶とちょっとしたお菓子だよ。お酒が苦手な人やお酒を飲みすぎちゃった人にとっても人気があるの。」
そう言って彼女は手に持ったお盆の中身を見せてくれた。小さな木のお皿の上に、白っぽいお団子と蜜のかかった果物が載せてある。
「このお団子はジャガイモにチーズと塩を混ぜて作ってあるんだよ。少し炙ってあるからすごく香ばしいの。こっちは小さく切った果物を水飴で煮てあるの。どっちもとっても美味しんだ。この一皿で1Dだよ。」
彼女の説明を聞いた子供たちはごくりと唾を飲みこんだ。私は彼女に子供たちの人数分のお菓子を注文した。もちろん私とエマの分もね。
「ありがとうドーラお姉ちゃん! 持ってくるから少し待っててね。」
彼女は屋台の内側にいた料理人さんに注文を伝えると、別のお客さんに呼ばれてまたすぐに走って行ってしまった。屋台の周りに出された木の腰掛や長椅子はすべて埋まっていて、あちこちから給仕係の女の子たちを呼ぶ声がする。
そのお客さんたちの注文をハンナちゃんはテキパキとこなしていった。間違えることなく代金を受け取り、注文された品物を次々とお客さんに手渡していく。エマは彼女の様子にじっと熱い視線を注いでいた。
「どうしたの、エマ?」
「うん、なんだかハンナちゃん、とっても格好良いなって思って。」
エマの言う通り、生き生きと動き回る彼女の姿はとっても素敵に見えた。
「私も早くあんな風になりたいな。」
「エマは給仕係さんになりたいの?」
私の問いかけにエマは少し俯いて曖昧に笑ってみせた。
「ううん、違うよ・・・でも、そうなのかな。よく分かんないや。」
そう言って顔を上げたエマの目は、まるでここではないどこかを見ているようにだった。私はなんだか不意にエマが遠くに行ってしまうような気がして、思わずエマの手を握ってしまった。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「エマは、どこにも・・・行かないよね?」
「?? 私はどこにも行かないよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「そうだね、そうだよね。あはは、なんかごめんねエマ。」
私が笑って誤魔化すと、エマはくすくすと笑った。
「お姉ちゃん、変なの。」
その時、呟くようにそう言ったエマの横顔がとても大人びて見えて、私はなぜか胸にずきりと痛みが走ったような気がしたのでした。
私たちが屋台の周りを行き交う人たちを見ながらおしゃべりをしていたら、ハンナちゃんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。甘く煮た果物を頬張って幸せそうに笑うエマは、私がよく知っているいつものエマで、私はちょっと安心してしまった。
ハンナちゃんにお礼を言って屋台を離れ、北門前広場を一通り見て回ったところでだんだん日が陰ってきた。暗くならないうちにフランツさんたちのところに戻ることにし、私たちは北門前広場を出た。
「ドーラさん、私もご一緒します。」
皆で手を繋ぎ、木こり村の広場へ続く水路わきの道を歌を歌いながら歩いていたら、後ろからカールさんが一人で私たちを追いかけてきた。彼はもういつもの官服姿に戻っている。きれいな服も素敵だけれど、やっぱりこっちの方が彼らしくて私は好きだ。
カールさんも子供たちと一緒になってゆっくりと道を歩き、ちょうど夕焼けが広場を染める頃に、私たちは木こり村へ帰り着くことができた。
この後、木こり村の広場では毎年恒例のダンスが行われる。家族や仲の良い人たちと一緒になって踊るのだ。もちろんカールさんともこれまでずっと一緒に踊っている。
ただ今年のカールさんはとても忙しそうだったから、もしかしたら一緒に踊れないかもしれないなあと私は思っていた。でも彼はちゃんとそれを見越していて、ダンスの時間に合わせて見回りの順番を調整していたらしい。
「是非、今年も私と一緒に踊ってください。」
少し疲れた顔に優しい笑みを浮かべて、彼は私にそう言ってくれた。私が黙って頷くと、彼は優しく私の手を取った。指先に伝わる彼の温もりが何だか嬉しくて、私は頬と耳が熱くなるのを感じた。
「皆、今年もよく頑張ってくれた。これからやって来る冬に備えて、今日はたっぷり食って飲んで、皆で楽しもう! 乾杯!!」
広場に置かれた小さな木の舞台の上でフランツさんがそう宣言すると、村の人たちが手に持った酒杯を掲げた。今日何度目かの乾杯があちこちで行われ、陽気な笑い声が上がる。
笛や太鼓が鳴り出すと、皆は明るい声で歌いながら広場の真ん中で燃えている大きな焚火の周りに集まり始めた。フランツさんはマリーさんと、エマは弟妹たちと、それぞれが自分の大切な人の手を取って踊り始める。
私もカールさんと一緒に踊りの輪に加わった。こうやって彼と踊るのももう7回目になる。初めて出会った時、16歳だった彼も今年で23歳だ。最近、皆はカールさんのことを「すっかりいい男ぶりになった」と言っている。でも私にはその違いがよく分からない。
ただこうやって並ぶと確かに背が高くなったし、胸板もちょっと厚くなっている気がする。でも皆を見つめる優しい眼差しは、出会った頃と全然変わっていない。私の大好きな彼のままだ。
テンポの速い最初の曲が終わったところで、私たちはすこし休憩を取ることにした。村の人が持ってきてくれた甘いエールを受け取り、踊りの輪から少し離れた丸太のベンチに二人で座る。
ゆらゆら揺れる炎と、その周りでくるくる踊る人たちを見ながら、今年あったいろいろな出来事について話をしていたら、ふと彼の返事が聞こえなくなった。
「カールさん?」
私の問いかけに答える代わりに、彼は私の肩にそっと頭をもたれかからせてきた。思わずビクッとして彼を見ると、彼はスヤスヤと安らかな寝息を立てていた。
私は彼の手からそっと空になった酒杯を取り上げ脇に置くと、彼の上半身を抱えて自分の太ももの上に横たえた。
いつもは皆のために全力で頑張っている彼だけれど、今は子供のようにあどけない寝顔をして私に体を預けている。それを見て私は、彼のことが愛おしくてたまらなくなった。
「今日まで本当にお疲れさまでした。おやすみなさいカールさん。」
私は《保温》の魔法を使って彼を周囲の冷気から守った。少し乱れた茶色の髪にそっと指を挿し入れる。彼の温もりを感じながら、私は楽しそうに踊る村の人たちを眺めた。
目の前の踊りはいよいよ佳境に入っている。村の人たちは次々と相手を交代しながら声高らかに歌い、軽やかに足踏みをしていた。
このお祭りが終わるとじきに雪が降り始める。辛くて長い冬の始まりだ。実りの秋の最後の夜を、皆は精一杯楽しもうとしている。楽器の音や歌に合わせて、踊りの輪は何度も何度も回り続けた。
この踊りの輪のようにあっという間に季節は移ろい、そして人は変わっていく。永遠に変わることのない私にとってそれはとても寂しいことだ。
それでも私は今この瞬間に、確かな幸せを感じていた。
私の膝の上で眠る彼の力強い心臓の鼓動の聞きながら私は、どうかこの幸せがいつまでも続きますようにと、心の奥底から強く強く願ったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。