67 追試験 前編
一話のつもりで書き始めたのですが、書いてるうちに楽しくなってまた長くなってしまいました。読みにくくなってしまい、申し訳ありません。
秋の最後の月、私は人の少なくなった女子寮の中で一人、黙々とエマたちの部屋の掃除をしていた。なぜ人が少ないかといえばこの季節、王立学校の生徒たちは冬の社交に向けて学校を離れ、それぞれの実家に帰るからだ。
残っているのは事情がある生徒を除けば皆、エマのように試験で不合格になってしまった生徒だけ。各学年の寮で毎年10人前後はこういう生徒がいるのだそうだ。
試験が終わってからというもの、エマは不合格になった教科の補習と追試験を一生懸命こなしていた。幸いなことに試験終了直後に、大妖精が抜き出した勉強の記憶を戻すことができた。
そのおかげで学科の追試験は次々と合格(エマが言うには「かなりギリギリで」)してるみたい。
ただ実技試験についてはすべての教科をまともにやったら時間が掛かりすぎるのだそうで、薬学など一部の教科を除いて『総合演習試験』という形でやることになったらしい。
これにはエマの他、ミカエラちゃんとイレーネちゃんも参加するのだそうだ。エマもそうだけど、二人も悪者に攫われたせいで行軍実習を中断させられているからね。その代わりということみたい。
どんな内容かと心配して聞けば、三人だけで決められた範囲内の魔獣を探して討伐すればよいらしい。それを聞いて私はすっかり安心してしまった。
だって魔獣の討伐だったらエマはもう何回もやったことがあるもの。それに今回は試験官の先生の他に、護衛の冒険者さんが付いてくれる。あまり強い魔獣の出ない場所を選んでいくみたいだし、行軍実習に比べたらなんだかとっても楽しそう。
口にこそ出さないけれど、三人ともこの試験を楽しみにしているみたい。王立学校では気の合う仲間だけで一緒に冒険する機会なんてめったにないから、それも当然かもしれないね。
エマは今朝早くミカエラちゃん、イレーネちゃんと一緒に指定された集合場所に向かうため、寮を出て行った。前回の行軍実習のことがあるからちょっとだけ心配だったけれど、エマが元気そうに出かけて行ったので、ちょっとホッとしてしまった。
三人にとって行軍実習の時の事件は辛い思い出だ。でもあんなことはめったに起きないそうなので、きっと今回は大丈夫なのだと思う。
部屋の掃除を終えた私は、いつも着ている村の仕事着の上からまじない師の長衣を羽織った。秋の終わりになり冬が近づいているせいか、今朝エマは少し寒そうにしていた。
だから防寒用の服を余分に荷物袋に入れておいたのだけど気が付いたかな? エマは風邪を引いたことはないけど、やっぱりすこし心配だからね。
着替えが終わった私はエマがいない間、何をしようか考えた。
今、ハウル村は冬に向けての準備で大忙しだ。それに貧民街の農場や歓楽街の様子も見に行きたい。王様やカフマンさんの様子も気になる。
私はどれから始めようかなあとちょっと悩んでしまった。うーん、やることが一杯あるって本当に素敵だ。だってすごく人間っぽい感じがするもの。
まずはいつも通りハウル村の様子を見に行こう。心配しているフランツさんたちにエマの様子を伝えなきゃだし、それにカールさんにも会いたいからね。
そう決めた私は私は右手に持っている木の杖を軽く掲げると《転移》の魔法を使い、エマたちの部屋を後にしたのでした。
待ち合わせ場所でエマたちを待っていたのは厳めしい顔をした禿頭の大男だった。
「私が今回の試験官を務めるボーデン・ゴースフェルだ。すでに知っていると思うがよろしく頼む。」
エマたちは内心の驚きを隠して礼儀正しく挨拶をした。もちろん三人は彼のことをよく知っている。だからこそ土属性魔法研究室の主任を務める彼が直々に試験官を務めるとは思っていなかったのだ。
だがボーデンは動揺する三人を全く無視して再び話し始めた。
「護衛として私の古い友人に同行してもらうことになった。」
そう言って彼は、革鎧の上に金属製の胸当てを付けた一人の屈強な男を指し示した。
「トーラス・グルブマンと申します。王都の冒険者ギルドから指名を受けて参りました。以後お見知りおきを、お嬢様方。」
丸盾を背負い、剣帯に片手剣を吊るしたトーラスは、その風体に似合わぬ優雅な所作で完璧なお辞儀をしてみせた。額にかかった茶色い前髪を軽くかき上げながら、彼は音もなく立ち上がった。その動きを見ただけでエマには、彼が並外れた武芸者であることが分かった。
彼に応じるべく三人が自己紹介を終えると、彼は軽く驚いた表情をしてエマの顔をじっと見つめた。それに気づいたエマはボーデンに許可を取ってから、トーラスに話しかけた。
「あの、もしかしてグルブマンさんは、ジョセフィーンさんのお父さんですか?」
以前、平民生徒を集めて行ったお茶会の席で聞いた名前に聞き覚えがあったからだ。エマの記憶が正しければトーラス・グルブマンは今年王立学校に入学した平民生徒のうちの一人、ジョセフィーンの父親だったはず。
彼は『剛腕』の二つ名を持つ優秀な冒険者で、高名な冒険者集団『不退転』のリーダーとして活躍している。妻である『黒の賢者』シャロンドラと共に数々の迷宮や魔獣を討伐した英雄だ。
エマはゼルマが話してくれた彼に関する記憶を辿りながら、彼にそう尋ねた。エマの話を聞いたトーラスはそれを面白がるように目を細めた後、エマの前にしゃがみ込んだ。
「随分と褒めてもらって嬉しいぜ『救世の少女』。最年少で迷宮討伐を果たしたあんたのことはうちの娘から聞いてる。あとは噂も色々とな。」
彼はくだけた調子でそう言うとエマに片手を差し出した。エマがおずおずと彼の手を握ると、彼はぎゅっとその手を握り返した。思わず顔を顰めたエマを見て彼は慌てて謝った。
「おっと、すまんすまん。だが平民のお前さんにゃ、こっちの方が話しやすかろう? 同じ平民同士、よろしく頼むぜ。」
悪びれずニヤリと笑ったトーラスに、エマは元気よく「はい!」と返事をした。笑うあう二人の様子を見て、ミカエラとイレーネは緊張のために詰めていた息をホッと吐きだした。
二人の話が一段落したのを見て、ボーデンは再び話し始めた。
「今回の試験内容は魔獣の探索及び討伐だ。期限は3日後の日没。討伐する魔獣の種類は問わない。ただし常に三人で行動すること。もし一人でも脱落者が出たら、その時点で試験は中断だ。」
彼は隣に立っているトーラスにちらりと視線を送った。トーラスは僅かに頷き返すことでそれに応じた。
「私とトーラスは君たちからやや離れて同行する。緊急時以外は私たちに話しかけるのを禁ずる。以上だ。準備が出来たらすぐに始めなさい。」
こうして3日間の総合演習は唐突に始まったのだった。
エマたちが今いるのは王都の西門へ通じる街道から少し入った脇道の上だ。すでに朝日が昇っている時間だが、周囲は見上げるほど高いオークの木に囲まれているため薄暗い。
舗装されていない道の上には真新しい轍が残っていることから、この先はどこかの村へ通じているのだと分かる。
今回の試験範囲はこの周辺の森一帯だ。ただここは王都のごく近くのため、街道付近では滅多に魔獣に遭遇することはない。もちろん魔獣に遭遇するのを待って街道を歩き回ってもよいが、それでは期限を過ぎてしまう可能性が高い。
だから合格条件である魔獣討伐のためには、まず森に入らなくてはならない。エマはそのことを確認し合った上で二人に尋ねた。
「この辺りに出現するのってどんな魔獣がいるのかな?」
その問いに答えてイレーネが道具袋から一冊のノートを取り出した。ノートの中には彼女らしい几帳面な文字で、行軍実習前に受けた授業の内容が具に書かれていた。
「この資料によると一角兎や長牙犬、森の奥に行くと影蝙蝠などが出るそうですわ。」
イレーネの目線を受けたミカエラがエマに尋ねた。
「エマちゃんはこの魔獣たちのこと知ってる?」
「うん、でも影蝙蝠は私たちだけではまだ手に負えないかも。群れで襲ってくるし、聞こえない音で攻撃されたらあっという間に動けなくなっちゃうよ。だから狙うなら一角兎か、長牙犬がいいんじゃないかな?」
エマは東ハウル村の森で影蝙蝠に襲われた時のことを思い出しながらそう答えた。あの時はテレサの神聖魔法があったおかげで撃退できたが、もしそうでなければ全滅させられていたかもしれない。
エマの話を聞いたイレーネはこくりと頷いた。
「なるほど。でもその2種は積極的に人間を襲うことはないって書いてありますわ。」
「どっちも人里の家畜や作物を荒らす魔獣だからね。近くに畑や牧草地があれば出没する可能性もあるけど、今はどの村ももう収穫を終えて冬の準備をしてるでしょう? 村に行っても大して作物は残っていないし多分、魔獣たちも森の奥のねぐらに隠れているんじゃないかと思うんだ。」
「じゃあ隠れている魔獣を探して討伐しなくてはならないということですわね。思ったよりもずっと大変そうですわこの試験。」
イレーネが盛大に肩を竦めたのを見て、エマとミカエラはくすくすと笑った。三人でひとしきり笑い合った後、ミカエラが二人に提案した。
「ではまずは魔獣の痕跡を探しましょうか。」
エマとイレーネもそれに同意し、三人はすぐに行動を開始した。
「おい、ボーデン。この試験、難しすぎやしないか? いくらあの救世がいるからって素人の子どもに、この時期の魔獣の探索なんて。しかも期限がたったの3日だろ? いっぱしの冒険者だって二の足を踏んじまうような依頼だぞ、こりゃあ。」
呆れ顔で問われたボーデンは、トーラスを見ることもしないままむっつりと答えた。
「・・・実際に魔獣を発見できるとは考えていない。行軍における知識を身に着け、それを正しく使えるかどうかを見るための試験だ。」
「あー、なるほどね。魔獣が出ない方が好都合ってわけか。確かに考えてみりゃあそうだよな。エマはともかく他の2人は大貴族家のご令嬢だし。魔獣と戦って万が一のことがあったら不味いよなぁ。」
ボーデンはさもつまらなそうに言ったトーラスへ向き直った。
「だからこそわざわざお前を呼び出したんだ。頼りにしている。」
「おう、任せとけ。『剛腕』の名に懸けてあの嬢ちゃんたちには傷一つつけさせねえよ。ていうかこれ、お前ひとりで十分じゃねえか? なあ『不動』さんよ。」
昔の通り名で呼ばれたボーデンはぐっと眉を寄せて顔を顰めた。
「私だけでは最初の詠唱時間を確保できない。分かってるくせに聞くな。わざとらしい。」
厳めしい表情を崩さないまま横目で睨みつけるボーデンを完全に無視して、トーラスは大きく両手を広げた。
「へいへい・・・おっ、早速始めたみたいだぞ。ふむふむ、流石によくわかってるみたいだな。」
少し離れたところでノートを見ながら話し合いをしていたエマたちが動き出した。脇道に沿って村の方へ歩いていく三人の少女たちを見失わないよう、二人の男たちもそろそろと歩を進め始めた。
ゆっくりと話をしながら、エマたちは三人は村へ続く街道のわき道を歩いていった。オークの梢の間から見える秋空は美しく輝き、すっかり冷たくなった北風が木々の葉をざわざわと動かす。
とても楽しいのだけれど、まるで散策しているような雰囲気だ。あらかじめ説明を受けていたものの、すこし心配になったイレーネがエマに尋ねた。
「本当に森の中に入らなくていいんですの?」
「うん。森の中を歩くのって案外疲れるし、慣れてないと迷っちゃうこともあるからね。闇雲に歩いてたらすぐに動けなくなっちゃうよ。」
そのエマの言葉を受けて、三人は先ほど話し合った討伐対象についてもう一度確認し合った。
今回の討伐対象は一角兎。森の外縁部を住処としている草食魔獣だ。魔獣としての強さは一角兎も長牙犬もさほど変わらない。
だが獲物を求めて広範囲を移動する長牙犬の群れを見つけるより、巣穴を中心に行動する一角兎を追う方が確実だと三人は考えた。もちろん運よく長牙犬の群れに遭遇したら、それを討伐すればいい。
「この季節なら村の周辺よりも森の中の方が食べ物が豊富にあるはずだからきっと・・・あっ、見つけた!」
エマは小さく声を上げて森の中にそろそろと入っていく。そのエマを先頭に彼女たちは森の中にある僅かな獣道を辿っていった。
「蔓苺?」
ミカエラはエマの見つけたものを見て戸惑った声を上げた。それはオークの木に絡んだ蔓苺の群生だった。秋の実りの季節を迎え、微小な棘のある固い蔓には真っ赤な実がびっしりと実っている。
甘い香りを漂わせ一見美味しそうに見える蔓苺だが、実は酷いえごみがあるため人間が食べるには不向き。また少し口にする程度なら害はないが大量に食べると呼吸器の粘膜に炎症を生じさせ、酷い時には死ぬこともある。食用にするなら海水と同程度の塩水に丸一日以上漬けておかなくてはならない。
ただ飢饉のときには栄養価の高いこの実を口にして命を落とすものが後を絶たないため、人々は皮肉を込めて『愚者の苺』とも呼んでいる。これはそんな植物だ。
大貴族家の令嬢であるイレーネはもちろん、荒れ地の修道院育ちのミカエラも実物を見るのはこれが初めてだ。エマはそんな二人に蔓苺の一部を示して見せた。
「森の動物たちはこれが大好きなの。ほら、ここ見て。」
「かじられていますわね。」
よく見れば蔓苺はあちこちにかじり取られた跡があった。ただその高さや大きさはバラバラ。一角兎だけでなくいろいろな動物が集まってきているのが分かる。三人は一角兎の手がかりを求めて蔓苺の周辺を丹念に調べた。
「エマちゃん、この蔓に毛がついてるよ。」
木の幹に垂れた粘り気のある苺の汁に見慣れぬ動物の毛がくっついているのをミカエラが見つけた。エマがすぐにその毛を《鑑定》する。
「間違いない、これ一角兎の毛だよ!」
三人は毛の残っている辺りをさらに詳しく調べる。
「食べた葉や実の高さがバラバラなことから考えて、かなりの数がいるようですわね。」
「きっと群れで移動してるんじゃないかな? 冬ごもりをする前にあちこちの実をたくさん食べて体力を蓄えているんだと思う。」
「ではこの辺りに残っている一角兎の痕跡を辿ってみましょう。」
ミカエラの言葉に他の2人が大きく頷いた。三人は積もった落ち葉をそっとかき分けながら、這い蹲るようにして地面を懸命に調べ始めた。
「ほう、半日で最初の痕跡を見つけ出すとはなかなかやるな。今のところ、どうだ?」
小さく口笛を吹きながらトーラスが問いかける。ボーデンは地面を這い回る三人から目を逸らさず、それに応えた。
「手指信号を使って声をなるべく立てないように気を付けているし、数歩ごとに立ち止まる基本的な隠蔽歩法も身についている。授業を真面目に受けていたようだな。」
「つまりよく出来てるってことだろ? 褒めるときくらい素直に褒めればいいだろう。本当に回りくどいなお前は。」
苦笑しながらそう言うトーラスに、ボーデンは淡々と答えた。
「それは見解の相違というものだ。お前は言葉が足りなすぎる。動き始めたぞ。」
ボーデンの言う通り、エマたちが動き出した。その後を追うように二人も動き出す。三人が移動した後の蔓苺周辺を丹念に調べた後、彼らはエマたちから少し離れた位置から森の中に分け入っていった。
エマたちは蔓苺周辺の痕跡を探し、フンと足跡の特徴から一角兎たちの移動経路を特定することに成功した。三人で落ち葉の陰にある痕跡を辿り、ゆっくりと歩きながらイレーネがエマに言った。
「魔獣だから当たり前なのでしょうけど、普通のウサギに比べて随分大きな足跡ですのね。」
イレーネの言う通り、一角兎の足跡はエマの手のひらほどの大きさがある。
「うん、一角兎は四つん這いになった私よりも一回り大きいくらいの大きさだよ。村の柵を額にある大きな角で壊して入ってきちゃうの。」
一角兎は麦よりも野菜などの畑を狙うことが多く、ドーラが村にやってくる以前はハウル村でもたびたび被害が出ていたとエマは二人に話した。
一角兎は草食だが、その角で小動物や小鳥を殺して食べることもある。比較的臆病で人間を避けようと行動するが、追い詰められた時や子供を連れている時などは非常に凶暴。そのため王国内では一角兎によって毎年、少なくない数の死者やケガ人が出ていた。
また人を襲って肉の味を覚えると積極的に人間を襲うようになってしまう。そうなればその危険度は遥かに大きくなるのだ。
ハウル村でかつて実際に起こった一角兎の被害について聞いたイレーネは、頬を青ざめさせた。
「授業では最弱級の魔獣と教わりましたけど、思ったよりもずっと恐ろしい相手ですのね。」
「怒らせなければ大丈夫なんだけど、やっぱり魔獣だからね。普通のクマやオオカミよりもずっとおっかないよ。ただ冒険者さんの話だと物凄く逃げ足が速いから討伐するのは大変らしいよ。」
「夜行性らしいですから、巣穴にいるところを一網打尽に出来るといいですね。」
三人は特徴的な球状のフンと大きな足跡を辿りながら、さらに森の奥へと入っていった。
苦労して絡み合うオークの根を乗り越えていく三人。やがて彼女たちは4歩ほどの幅の小川にぶつかった。
「まずいなぁ。足跡が・・・。」
エマが苦り切って呟いたように、一角兎たちの足跡は小川の中に消えていた。
「ここに泥浴びをした跡があります。多分ここからはこの小川の中を移動したのでしょうね。」
最弱級の一角兎は他の肉食魔獣の捕食対象でもある。こんなこともしたのはもちろん天敵の肉食魔獣たちに巣の場所を特定されないようにするためだ。
一角兎は最も強いオスを中心としたハーレムを作る性質があり、巣穴を拠点としてリーダーに従いながら行動する。普通の兎同様に繁殖力が非常に強く春と秋の2回、メスたちはたくさんの子どもを産むのだ。
ラインハルトとの授業で聞いたで内容を思い出しながら、エマは二人に言った。
「これだけ慎重に移動しているから、多分巣に秋に生まれた子供がいるんじゃないかな。巣から離れた場所で食べ物を探しているのも、それが理由だと思う。」
二人は小さく頷いた。
「でも困ったねエマちゃん。足跡を追えなくなっちゃったよ。」
ミカエラの言葉にエマは小川をじっと眺めた。
「手分けして川を辿ってみるしかないかな? 上流と下流に分かれて岸を丁寧に調べたら、どこから川から出たか分かるかもしれないけど・・・。あっ、でも離れちゃいけないんだっけ!?」
ただ小川の岸には丸石が多くあり、足跡などほとんど残らない。見つけられるかどうかは本当に賭けとしか言えない状況だ。
困り切った顔で頭を捻るエマとミカエラ。だがそんな二人に、イレーネは軽く胸を反らしながら言葉をかけた。
「ふふふ、私の出番のようですわね。」
イレーネは腰の短杖を取り出すとおもむろに呪文を詠唱し始めた。
「陰に潜みし真実を探り当てる光よ。我が求める標を照らし出せ。《追跡の光》」
イレーネが岸に残った一角兎の足跡を杖の先で突くと足跡がふわりと白い光を帯びた。そしてその光は、そこを中心としてさっと地面に広がっていった。
間もなく、かなり離れた上流の岸にぼんやりとした白い光が小さく浮かび上がるのが見えた。
「見つけましたわ。兎たちの痕跡はあそこにあります。」
「すごい! こんな呪文があるんだね!」
素直に笑顔で驚きを示すエマに、イレーネは澄ました調子で答えた。
「自分が見た痕跡と同じものを周囲から探り当てる魔法ですわ。練習以外で使ったのはこれが初めてでしたけれど、うまくいってよかったです。」
早速三人はイレーネの見つけてくれた痕跡を追い始めた。エマは気が付いていなかったが、エマがイレーネの手を掴んで歩き出した時、イレーネの口元が僅かに緩んだことをミカエラはしっかりと見ていたのだった。
イレーネの魔法を目の当たりにしたトーラスは、思わず驚きの声を上げた。
「おお、ありゃあ便利な魔法だな! 貴族にしとくのは勿体ないぜ!」
その言葉にさすがのボーデンも素直に頷いてみせた。
「彼女は簡単に使ってみせたが、あれは光属性魔法の中級補助呪文だ。しかも範囲拡張までしている。相当な努力をしているのだろう。」
「へえ、そうなのか。さすがはカッテ家のご令嬢ってわけだな。あの子が男だったら魔法騎士としてさぞや戦場で活躍出来たろうに。」
何気なく言ったトーラスの言葉に、ボーデンは何とも言えない微妙な表情をしてみせた。彼はつい最近までイレーネがそのことをひどく悩んでいたのを知っていたからだ。ボーデンは彼にしては珍しく、曖昧な言葉でトーラスに言った。
「光魔法の使い手は稀少だからな。彼女の子があの魔力を受け継いでくれることを祈ろう。」
二人の男は周囲を警戒しながら、少女たちの跡を追いかけていった。
足跡の追跡を続けたエマたちは、ついに一角兎の巣穴を発見することができた。森の木が少し開けてできた小さな広場の真ん中にこんもりと土が盛り上げられており、その周りに無数の穴が開いている。
穴の入り口は三人の中で一番小柄なミカエラがなんとか潜り込めるくらいの大きさしかない。外敵に襲われないよう、わざと入り口を狭くしてあるようだ。
地下の様子はここからでは分からない。だが無数の巣穴の位置を見るにおそらく、広場の地下全体が兎たちの巣なのではないかと思われた。
今、巣穴の中で眠っているためか周囲には一匹の兎の姿も見当たらない。すでに太陽は中天を大きく過ぎている。いくらもしないうちに日が落ち始めるだろう。
エマたちは今後の方針を話し合った。
「日が落ちたら兎たちが動き始めるでしょうね。でも私たちを見つけたら閉じこもるか、逃げ出すかしてしまうかもしれません。」
「今、巣を襲撃するというのも一つの手だけど・・・三人で大丈夫かな、エマちゃん?」
イレーネとミカエラに尋ねられたエマは、顎先に右手の指をそっと当てながら頭を捻った。
「私たちだけで巣穴を無理攻めするのは危ないと思う。正確な相手の数も位置も分からないもの。万が一、周囲から一斉に襲い掛かられたら魔法を使う余裕も無くなっちゃうだろうし。」
エマは少し悔しそうな口調でそう答えた。ドーラならば巣穴の中の兎たちをすべて眠らせることも可能だろうが、今のエマには目に見えない不特定多数の相手を対象にできるほどの魔力も技量もない。
エマが「お姉ちゃんに追いつくためにもっともっと頑張ろう!」と不穏なことを考えていると、イレーネが空の様子を見ながら二人に言った。
「あの巣穴の大きさを見る限り、かなりの数の兎が潜んでいるかもしれませんね。特に今夜は緑の月夜です。明日の朝、日が昇るのを待ってもう一度、計画を練った方がいいと思いますわ。」
夜空を渡る三つの月のうち、一般的に緑の月が出ている日は魔獣が狂暴になりやすいと言われている。これは月の満ち欠けによって空気中の魔素の濃度が移り変わるためだ。
今のエマたちには前衛を務めてくれる仲間がいない。詠唱中、夜陰に乗じて背後から襲い掛かられでもしたら、術者などひとたまりも無く殺されてしまう。
効率よく安全に討伐を成功させるにはどうしたらよいのか。エマたちは膝を寄せて集まり作戦を練り始めた。
「いい判断だな。だが三人ともまだ気付いてねえみたいだぞ。どうする? 警告してやるのか?」
トーラスが自分の足元を見ながらボーデンに声をかけた。彼の靴が踏んでいる木の葉は灰色に変色に、カサカサになって砕け散っている。
「警告はしない。今のところはまだ可能性があるだけだ。いざとなったら私たちで対処する。」
途端にトーラスは顔を顰め、自分の腰に付けた予備武器の短刀を逆さに持って、柄で地面をトントンと突いた。
「相変わらず嫌なこと言いやがる。こういう時、お前の予想は確実に悪い方へ当たるからな。俺たち二人だけで足手まといの娘っ子三人を守りながらあいつと戦うなんて。普段なら絶対に引き受けない依頼だよ。もしそうなったら追加報酬をきっちり頼むぜ、ゴースフェル教官殿。」
ボーデンはトーラスの方へ向き直った。これまで以上に重々しい口調で、彼はゆっくりと言った。
「もちろん対価は成果に応じてきちんと支払う。もしお前の言う通り、私の悪い予想が当たるのだとしたら・・・。」
彼は一度言葉を切り、その覚悟を確かめるようにトーラスの目をまっすぐに見つめた。トーラスは不敵な笑みを浮かべて彼を見ている。だがその瞳は全く笑っていなかった。
ボーデンは今後起こり得る最悪の事態を想定しながら、重い口を開いた。
「・・・命の対価としてお前にはかなりの額を支払わされることになるだろうな。」
読んでくださった方、ありがとうございました。