66 エマの病気 後編
後編です。書いてたら楽しくなってちょっと長くなっちゃいました。
エマに『滅びを映す目』の症状が出てから4日後、すべての準備を整え終えた私はエマを連れてハウル村へ《集団転移》した。
ふらつかないようにしっかりと体を抱きかかえている私に「ありがとうお姉ちゃん」とお礼を言った後、エマはくすくすと笑いだした。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。もうだいぶ慣れたから。」
エマはそう言って私の手を離れると、その場でくるりと回ってみせた。
「ほらね?」
「それはそうなんだけど・・・やっぱり心配だよ。」
私はハラハラした気持ちでエマの手をしっかりと握った。エマは「お姉ちゃんは本当に心配性だね」と少し呆れた口調で言った。
今、エマの目は呪印のついた黒い革の目隠しで完全に覆われている。これは私がエマのために作ったものだ。
この目隠しは家妖精のシルキーさんが加工してくれた革に、私が闇属性魔法《盲目》を付与したもので、身に着けると視覚を完全に奪うことができる。その上、鍵呪文を唱えない限り絶対に外すことができない特別な呪印を施してあるのだ。
なぜこんなにも厳重な目隠しが必要なのかと言えば、それはもちろんエマを守る為だ。
『滅びを映す目』は文字通り、瞬きするほどの短い時間の間にありとあらゆるものが滅び消え去る様子が見えるというとても厄介な病気だ。根本的な治療法はなくこの病気に罹った人間は、生きる気力を失くしてあっという間に死んでしまう。
私はエマにそんな怖い思いをさせたくなかった。エマはすでにこの滅びの様子を2回も目撃してしまっている。これ以上、エマにそんな恐ろしい光景を見せるわけにはいかない。
私がそう相談すると、アンフィトリテ先生が目隠しで目を塞ぐというこのやり方を考えてくれたのだ。私はその話を聞いてすぐ、この目隠しを作り上げた。
うっかり外れてエマが怖いものを見ないようにするため、私はものすごく頑張った。魔法で伸び縮みするこの目隠しなら絶対に安全。ちなみに作り方は先生が教えてくれました。
目隠しで目を塞ぎ、先生が症状について説明をしてくれたことで、エマはそれ以降は取り乱すことがなくなった。
ただエマは今、完全に目が見えない状態だ。周囲の魔力を感じ取ることである程度、周りの様子が分かるみたいなんだけど、小さな段差で躓いたりふらついたりすることはある。
幸いなことに学校生活はミカエラちゃんたちが助けてくれて何不自由なく過ごすことができたけれど、私はいつエマがケガをするかとハラハラしながら、この3日間を過ごした。
そしてようやく昨日、準備が終わったというわけだ。ふう、今まで生きてきた中で一番長く感じた3日間だったよ!
転移先のハウル村聖女教会にはテレサさんとフランツ家の人たち、それにロウレアナさんが待っていてくれた。
フランツさんもマリーさんもエマの弟妹たちも、エマの塞がれた目をとても心配していた。
「大丈夫かエマ、ちゃんと目が元に戻るといいんだが・・・。」
「大丈夫だよ、お父さん。お姉ちゃんやお師匠様、それにロウレアナさんが付いていてくれるんだもの。それにもし万が一うまくいかなくても、この目隠しがあれば大丈夫だし。」
マリーさんはそう言って強がるエマを心配そうに見つめた後、テレサさんとロウレアナさんに深々と頭を下げた。
「エマのこと、どうかよろしくお願いします。あたしたちに出来ることならなんだってしますから、どうか・・・。」
床に平伏しようとするマリーさんとフランツさんを、ロウレアナさんはそっと押しとどめた。
「心配無用ですマリー殿。我が氏族の威信にかけ必ずやエマの病を癒してみせます。」
「私とドーラさんもついていますから、安心して待っていてください。」
テレサさんがそう言って小さい子供たちの頭を撫でると、泣きべそをかいていた子供たちが少し安心した表情を見せた。
「エマねえちゃん、俺いい子で待ってる! だから早く元気になって戻ってきて!」
「ドーラおねえちゃん、エマねえちゃんのことちゃんと見てあげてね。」
「うん、絶対にエマの病気を治してくるからね!!」
こうして短い別れを終えたあと私は《集団転移》の魔法を使い今回の目的地、エルフの森にあるロウレアナさんの故郷、タラニス氏族の里に移動した。
見上げるほど高い木々に囲まれたエルフの里に着いてすぐ、テレサさんが私に言った。
「ドーラさん、エマの目隠しを外してもいいですよ。」
「ええ!? そんなことしたら危ないんじゃないですか?」
私は思わず声を上げてしまった。エマも不安そうな顔をしている。でもテレサさんは「もう危険はありません」と言ってさっさと鍵呪文を唱え、エマの目隠しを外してしまった。
きつく目を閉じていたエマは、テレサさんに促され恐る恐る目を開いた。眩しい光に目が慣れた頃、エマは大きな息を吐きながら叫ぶように言った。
「・・・!! すっごくきれい!! こんなきれいな場所、見たことないよ!!」
秋の冷たい風にも色づくことなく青々とした葉を茂らせる巨大な木々と、その枝の上に作られた色とりどりの家々。それを繋ぐ空中の回廊は美しい幾何学模様を描いて何層にも連なっている。
里の真ん中にある大きな湖では、澄み切った水の上を不思議な形をした美しい小舟が行き交い、その上にはのんびりと談笑するエルフさんの姿。
木々の梢では鮮やかな色をした鳥たちが楽しそうに歌い、地面一杯に広がったお花畑には宝石のような輝きを持つたくさんの蝶たちが乱れ飛ぶ。
木々の間を抜けてくる太陽の光を受け光り輝くエルフの里は、エマの言う通り人間の世界では決して見ることができない神秘的な美しさに満ちていた。
エマは嬉しそうに顔を綻ばせて私の方を見た。その様子を見て私はエマの目が治ったのかと思ったけれど、エマの両目には相変わらず虹色に光る砂時計の模様がはっきりと浮き出たままだった。
「ははは、我らが里を気に入っていただけたようで何よりです。神々の愛し子殿。」
愉快そうに笑いながらエマに話しかけてきたのは、この里の長老フルタリスさんだった。エマは少し緊張した面持ちで、革鎧の上に緑色の長衣を纏った彼に丁寧なお辞儀をした。
「こ、この度はお招きいただき、本当にありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。」
「いえいえ礼には及びません。ドーラ様の妹御でいらっしゃるエマ殿のために我らも力を尽くさせていただきます。どうか病が癒えるまでこの里でごゆるりとお過ごしください。」
フルタリスさんは私たちを湖に浮かべた一艘の小舟に案内してくれた。彼が手に持った木の杖で小舟をこつんと突くと、小舟は漕ぎ手もいないのに滑るように湖の上を走り出した。水の上を渡る風がきれいに編み込まれた彼の長い金髪を揺らし、銀の髪飾りをしゃらんと鳴らした。
エマは初めて見るエルフの里に興味津々の様子だったけれど、たくさんのエルフさんの姿を見てかなり緊張しているようだった。私はエマを落ち着かせようとエマの手をきゅっと握った。エマの手はほんの少し震えていた。
そう言えばこの国の人間はエルフさんたちのことをものすごく怖がっていたんだっけ。エマはロウレアナさんとも仲良しだったから、そのことをすっかり忘れてたよ。
するとエマの様子に気が付いたフルタリスさんが、にこやかに微笑みながらエマに話しかけてきた。
「エマ殿、ロウレアナの村での様子はどうですか?」
「あっ、はい! あの、と、とっても村の人たちと仲良しです!」
エマはしどろもどろになりながらも何とかフルタリスさんに返事を返した。フルタリスさんはそれに気をよくしたようで、さらにエマに語りかけた。
「それは何よりです。ロウレアナはこう見えてなかなか頑固なところがあって、以前は私も手を焼いていたんですよ。まだ若いのですからもっと年相応に振舞ってほしいと思っているのですが・・・。」
「えーっと、確かロウレアナさんってもう170歳じゃ・・・?」
エマが戸惑ったようにそう聞くと、彼ははあっと大きく息を吐きながら言った。
「ええ、そうです。まだまだ葉先の黄色い若木なのですよ。知恵や分別の足りない年頃ですから愚かな振る舞いをしたとしても、どうか許してやってくださいね。」
「は、はあ・・・。」
エマが曖昧に頷くのと同時に、頬を赤くしたロウレアナさんがフルタリスさんに嚙みついた。
「里長殿! そうやってすぐに私を子供扱いするのはやめてください! 私だって人間の世界でいろいろと修行を積んでいるのです!」
フルタリスさんは杖を持っていない方の手をプラプラと振りながら、彼女の言葉を笑った。
「何を言うんだロウレアナ。お前はまだ里を出たばかりの見習いではないか。それに里長などと堅苦しい。以前のように『タリス大叔父様』と呼んでくれて構わないのだぞ。昔はそうやってよく私に話をしに来てくれただろう? ほら、30年ほど前、お前が初めて湖で溺れそうになったあの時などは、泣きべそをかくお前を・・・。」
「な、ちょ、み、皆のいる前で何を言い出すのですか!?」
ロウレアナさんはたちまち耳の先まで真っ赤になった。彼女が普段は絶対に見せないような焦り顔でフルタリスさんを止めようとしているのを見て、エマはくすくすとおかしそうに笑った。
「やっと笑顔を見せてくださいましたな。人間はやはりそうやって笑っているのが一番良いです。『勝利と運は良い笑顔に集まる』と私の友人もよく言っていました。」
「フルタリス様のお友達・・? もしかして人間の方ですか?」
エマがそう尋ねると、フルタリスさんはちょっと遠くを見るような目をして「ええ、どんな時でもよく笑う男でした」と小さく微笑んだ。その時、私には彼に寄り添うように立つ赤い炎の揺らめきが見えたような気がした。
フルタリスさんのおかげでエマはすっかり緊張がとれたみたい。その後、私たちは楽しく談笑しながら(ロウレアナさんだけはまだ少し恥ずかしそうにしていたけれど)、湖の真ん中の小島にあるこの里で一番大きな木、『大妖精の聖樹』へと向かった。
「ドーラ様お待ちしておりました。大妖精様はすでにお目覚めになっておられます。」
巨大な聖樹の麓、青白い光を放つ不思議な花が咲き乱れる花畑に立っているエルフの女性が私たちを出迎えてくれた。
彼女の着ている長衣は何色もの複雑な色を織り込んだものだった。特にゆったりした袖は美しい階調模様になっていて、虹をみたいに煌めいている。
おまけにきちんと結い上げた金色の髪には色鮮やかな鳥の羽で作った髪飾りを付けているので、南の島に住む鳥みたいでとてもきれいだ。
この人はこの里の『妖精守』クランシィーヤさん。私はこの3日間、毎日彼女と顔を合わせていたのでもうすっかり顔なじみだ。私は彼女にエマとテレサさんを紹介した。
「お待ちしておりました、神々の愛し子殿。そしてあなたは・・・『半神』ですか?」
彼女はテレサさんの方を見て、小さく首を傾げた。
「私は聖女教の司教テレサと申します。エマの治療の付き添いとして参りました。」
テレサさんの言葉を聞いて、クランシィーヤさんは「ああ、了解いたしました」と頷いた。
「あ、あの、私、ハウル村のエマって言います。私の治療のためにいろいろしてくださってありがとうございます。」
「お会いできるのを楽しみにしておりました。私はこの里の妖精守クランシィーヤです。といっても、まだなったばかりなのですけどね。よろしくお願いいたします。」
彼女はエマに向かって丁寧にお辞儀をした。それを見たエマは遠慮がちに彼女に尋ねた。
「クランシィーヤさん、もしかして目が・・・?」
彼女はエマに向かってにっこりと微笑んだ。
「ええ、私は生まれつき目が見えないのです。代わりに精霊の目を通して世界を見ることができるのですよ。」
「彼女は私の遠縁の者でな。前長老のナギサリス殿が森に還ったのに合わせて、遠い西の森にある別の里から来てもらったんだ。彼女ほど精霊との縁が強い者を私は知らんからな。」
フルタリスさんがそう説明すると、クランシィーヤさんは少し恥ずかしそうに微笑んだ後、エマに向き直って言った。
「エマ殿、あなたの魂の輝きは人間とは思えないほど美しく大きいですね。ですが定命の身でそれだけの輝きを抱えることはいいことばかりではありません。」
「はい、それは分かります。今回、病気になったのもそれが原因だってお師匠様に教えていただきました。」
エマの言葉に彼女は小さく頷いた。
「これから大妖精様にお力をお借りしてあなたを治療します。今まで恐ろしい思いをしたことでしょうが、もう何も心配は要りませんから安心してくださいね。」
「ありがとうございます! ところでこの森に来てからは目を開けても怖いものが見えないのはどうしてですか?」
クランシィーヤさんは長い袖をさっと振って周りの木々を示した。こうやって見ると本当に鳥が羽ばたいているみたいだ。
「ここには私たちエルフと精霊の魔力が満ちていますからね。この森にいる限り、あなたの目は普通の目と何ら変わらないはずです。あなたさえよければずっとこの森にいてくださってもいいのですよ?」
「え!? あの、それはちょっと・・・!」
焦るエマの様子に、クランシィーヤさんは可笑しそうにクスクスと笑った。
「ごめんなさい。ちょっとあなたをからかってみただけです。人間の身でエルフの里暮らしをするのは大変ですからね。少しは気持ちが楽になりましたか?」
エマは彼女の言葉を聞いてホッと息を吐いた。
「はい、とっても! でもエルフの人たちも冗談を言ったりするんですね。私、初めて知りました。」
「エルフ族は妖精を祖としていますから、もともと歌や踊り、それに笑うことが大好きなんですよ。それなのに人間族の間で恐ろしい存在だと思われているのはとても残念なことです。多分、森を出て人間の世界で暴れまわった一部の同族のせいではないかと思っているのですけどね?」
彼女はそう言ってフルタリスさんとロウレアナさんの方をじっと見た。二人は顔を見合わせた後、そっと視線を逸らした。その様子を見てクランシィーヤさんはまたクスクスと笑い声を立てた。
ちなみにフルタリスさんは200年ほど前まで、冒険者や傭兵として大陸中を旅してまわっていたそうだ。それを聞いたエマが驚いて「フルタリス様って何歳なんですか?」と聞いたら、彼は「500を超えた辺りで数えるのが面倒になったので分からない」と答えていた。
確かにその気持ちはよく分かる。私も何歳なのかって聞かれたらすごく困るもの。季節の一巡りを基準に数を数えるなんてやり方、私も人間の世界に来るまで知らなかったし。まあ、そこが人間の面白いところではあるんだけどね。
私たちはクランシィーヤさんに案内されて、聖樹の麓にある大きな木の洞に入った。ここにはこの聖樹の化身である大妖精が眠る祠があるのだ。
昨日、私が様子を見に来た時にはまだ、大妖精は『妖精の揺り籠』と呼ばれる巨大な透き通った木の実の中で眠りに就いていた。
でも今日はちゃんと目を覚ましていて、私の姿に気が付くと手を上げて挨拶してくれた。
「来てくれて嬉しいわ、虹色ちゃん。あっ、今はえっと・・・ドーラちゃんって名前になったんだっけ?」
「うん、そうだよ。覚えててくれたんだね。」
「だってついこの間会ったばっかりじゃない。」
彼女はそう言って嬉しそうにくるくると私たちの周りを飛び跳ねて回った。彼女の動きに合わせて長い金色の髪が揺れる。彼女はまだ神々が地上にいた頃からの私の友達の一人だ。
彼女ももとは普通の妖精だった。けれど他の姉妹たちが妖精郷に旅立つ時、地上の森を守る為に肉体を得て地上に残ったのだ。
だから今の彼女は、私とほとんど同じくらいの大きさで背中の羽もなくなってしまっている。エマは全裸で軽やかに飛び跳ねる大妖精の姿を見て恥ずかしそうしていた。
『受肉』した妖精は彼女の他にも大勢いたらしく、それが後々エルフやドワーフやノーム、それに闇小鬼などになっていったのだと、以前彼女は私に教えてくれた。
「この子がエマちゃん?」
跳ね回りながら踊っていた大妖精は何の前触れもなく、エマの目の前で突然動きを止めた。エマは急に目の前に飛び降りてきた彼女に驚いて言葉が出ないようで、目を丸くして彼女のことを見ていた。
でも彼女はそんなことお構いなしといった風に、エマの体をあちこちから眺めまわした。
「あー、確かにすごいことになっちゃってるねー。重なった時が魂を押しつぶしそうになってる。」
「何とかできそう?」
私がそう尋ねると彼女は大きく両手を広げて言った。
「うん、任せてよ。すぐ始めるからドーラちゃんも手伝って!」
私たちは祠の中を埋め尽くす青白い花の中にエマを寝かせた。そして私と大妖精はエマの両側に座り、エマの目の上でそっと手を重ね合わせた。
大妖精はすぐに歌を歌い始めた。この歌は私も知っている。神々の言葉で歌われる古い古い歌だ。遊び疲れた妖精たちが眠りに就く前に歌っていたのを、私もよくねぐらの中で聞いていたっけ。懐かしいなあ。
私は大妖精と声を合わせて一緒にこの歌を歌った。歌声と共に二人の魔力が混ざり合い、エマの目の中に吸い込まれるように消えていく。
次の瞬間、エマの胸から虹色の光で出来た花びらが湧き出るように現れ、私たちの周りをふわふわと漂い始めた。やがて地面に落ちた花びらは、そこで美しい虹色の花へを変わっていった。
この花は『時騙しの花』。魂の中で積み重なった時間と記憶が形となって現れたものだ。
永い時を生きるエルフ族にとっては積み重なった記憶や経験が時として毒になることがある。そんな彼らの記憶を花の形にして『時と共に眠らせる』力を大妖精は持っているのだ。
以前私はエルフ族の人たちの企みにかかって、エマとの大切な思い出を奪われそうになったことがある。その時、怒った私は大暴れしてこの里をめちゃめちゃにしてしまったのだ。あの時のことを思い出すと、今でもいろんな意味で頭を抱えて転げまわりたくなるような気持ちになる。
まあそれはともかく、その時に使われたのがこの『時騙しの花』なのだ。
エマの記憶を何とかしようと考えている時に、彼女のことを思い出したんだよね。これなら記憶を消さなくてもエマの魂を守ることができる。我ながらこれはすごくいい考えだと思う。
この調子でいけばすぐにでもエマを助けることが出来そうだ。私がそう思った時、ずっとエマを見守ってくれていたテレサさんが急に声を上げた。
「ドーラさん、すぐに歌を止めてください!」
横になっているので気づかなかったけれどエマは気を失い、浅い呼吸を繰り返していた。私はすぐに歌を中断してテレサさんに尋ねた。
「エ、エマの容態はどうですか?」
「急性魔力枯渇症状になりかけています。記憶と共に魔力を大量に排出してしまったからでしょう。かなり体力を消耗しているようですが、命に別状はありません。ぐっすり眠ればすぐに回復すると思いますよ。」
私は大きく安堵の息を吐いた。人間の体にこの術は負担が大きいみたい。テレサさんが見ていてくれて本当によかったよ。
術が中断したのを見て、私たちの様子をクランシィーヤさんと一緒に見守ってくれていたフルタリスさんが私に話しかけてきた。
「エマ殿を休ませるために、先に今日の寝所へご案内しましょう。」
そう言って彼が私たちを案内してくれたのは、聖樹のすぐ側にある大きな木の枝の上に建てられた小さな一軒の家だった。ここはロウレアナさんの生家なのだそうだ。
「客人用の広い館もあるのですが、エマ殿にはこちらの方が気兼ねなく過ごせると思います。では皆さんを頼むぞ、ロウレアナ。」
フルタリスさんはそう言って帰っていった。ロウレアナさんの家はしばらく使っていなかったにもかかわらずとてもきれいだった。どうやらフルタリスさんが気を利かせてあらかじめ片付けておいてくれたらしい。
新しい寝台も人数分用意されていたので、私はエマをそこに寝かせ食事の準備を手伝うことにした。テレサさんが眠っているエマに付いていてくれると言ったので、私とロウレアナさんはエルフの里を回っていろいろな食材を集め歩いた。
日が暮れかけた頃、野菜や豆類、木の実、果物、湖で獲れた魚などを使ってロウレアナさんが料理をするのを見ていたら、寝室からテレサさんとエマが現れた。
「エマ、大丈夫?」
「少し頭がぼんやりするけど平気だよ。ありがとうお姉ちゃん。」
エマの笑顔を見て私はホッと胸を撫で下ろした。その後は4人で食卓を整えテーブルに付いた。
「「いただきまーす!!」」
私とエマが元気よく言うとロウレアナさんは遠慮がちに「どうぞ召し上がれ。お口に合うといいんですけど」と言った。
私とエマは出されたものをどんどん食べていった。森で獲れた新鮮な食材はどれもこれもすごく美味しかった。ロウレアナさんとテレサさんはそんな私たちを見ながら静かに食事をしている。
焚火で炙ったお魚を半分ほど食べ終わったとき、テレサさんがポツリと呟いた。
「・・・あんまり味がしませんね。」
「あれ、そうですか?」
「村の食事と比べると確かに薄味ですよね。でもお師匠様、このお魚すごく身が甘くて美味しいです。」
エマはそう言って、お皿に残っていた魚をパクリと口の中に放り込んだ。私たちの会話を聞いたロウレアナさんが苦笑しながらテレサさんに言った。
「この里では塩や油が貴重品ですからね。それに元々エルフ族はあまり食材を調理をすることがないんです。」
テレサさんが言うにはエルフさんたちは元々食事をあまり摂らないのだそうだ。食事をするときも下処理をして火を通すくらいであまり食材に手を加えることをしないらしい。
そう言えば前にこの里に滞在した時も、食事はいつも果物や木の身ばかりだったっけ。あの時はガブリエラさんも一緒にいたけれど、彼女はエルフ族の精霊魔法の研究に夢中で何を食べても文句ひとつ言わなかったしなぁ・・・。
竜は元々味付けなんてしたことがないし、エマも塩のほとんど入っていない食事に慣れているからそれに対して特に何とも思わないみたい。ただテレサさんの出身地である大陸西方は香辛料や塩、砂糖などが豊富にあるため、こういう味の薄い料理はちょっと辛いのだと思う。
テレサさんはその話を何とも言えない微妙な顔で聞いていた。するとロウレアナさんが懐から小さな革袋を取り、テレサさんに差し出した。
「テレサ様、これをどうぞ。」
「こ、これは香辛料!! どうしてこれを?」
革袋の中からはとっても香ばしい匂いがする。あ、なんだか鼻がムズムズしてきたぞ。
たしか香辛料ってすごく貴重な物じゃなかったっけ? びっくりする私たちに向かってロウレアナさんは少し恥ずかしそうに言った。
「実は私も里の食事が少し物足りないなあと思っていたんです。人間の世界で暮らす間に色々な味を楽しむことにすっかり慣れてしまったので・・・。」
これはロウレアナさんの所属している冒険者集団『白の誓い』が、コルディ商会というところから受けた依頼の報酬として受け取ったものだそうだ。
「質の悪い連中に狙われているから隊商を護衛をしてほしいという依頼でした。大規模な襲撃を何とか撃退して積み荷を守ったんです。そうしたら追加報酬として荷の一部だったこれをもらったんですよ。」
その話を聞いたエマが「あ、それ私の下級生のお父さんがやってる商会ですよ、確か」と言うと彼女は「おお、それは奇遇だなエマ」と嬉しそうに言った。
「コルディ氏はなかなか話の分かる立派な御仁だったぞ。体型と同じで随分と『太っ腹』でな、私たちのことをかなり気に入ってくれたようだ。」
『白の誓い』はもう何度かコルディ商会の指名依頼を受け、その度に珍しい香辛料を少しずつ分けてもらったのだそうだ。それ以来、ロウレアナさんはすっかりその味に嵌ってしまったらしい。
貴重なものだからと遠慮するテレサさんに、彼女は「風味が落ちる前に食べたほうが良いそうなので、遠慮せず使ってください」と笑った。
せっかくだから私も《収納》から自作の塩を提供し、その日はみんな楽しく食事を終えることができた。テレサさんは久しぶりに故郷の味を堪能することができて、本当に嬉しそうだった。
エマの目がまだ治っていなかったので、その日はみんなでロウレアナさんの家に泊めてもらうことにした。そうして私たちはエルフの里で数日を過ごすことになった。
「これでよし! 多分全部取り終えたと思うよ。それにしても・・・。」
大妖精が自分の足元を見ながら苦笑いを浮かべた。
「随分たくさんできたね~。」
彼女の言葉に私は思わず頬が熱くなるのを感じた。彼女の言う通り聖樹の周りは一面、虹色の光沢を放つ乳白色の花で埋め尽くされている。元々咲いていた青白い花がほとんど見えなくなるくらい、虹色の花だらけだ。
これは全部、エマの魂の中に封じられていた私の夢の記憶だ。こんなにたくさんの記憶が魂に詰め込まれていたら、そりゃあエマだって病気になっちゃうよね。
でもみんなのおかげでようやくエマの病気を治すことができたのだ。もう目を覗いても虹色の砂時計は見えない。いつも通りのきれいな榛色の瞳を見て、私は思わずエマをギュっと抱きしめた。
「本当によかったね、エマ!!」
「うん、ありがとう。お姉ちゃんやみんなのおかげだよ!」
私たちはお世話になった人たちにお礼を言いハウル村へ戻った。心配していたフランツ家の皆にもエマの目が元に戻ったことを伝えた後、私とエマは王立学校に戻ったのだった。
アンフィトリテ先生への報告を終えて女子寮の部屋に戻ると、ミカエラちゃんたちがエマを迎えてくれた。彼女たちはエマのことをとても心配していて、エマが帰ってきたと聞いてからずっと待ってくれたみたいだった。
「みんな、心配かけてごめんね。」
「無事に治ってよかったわ、エマちゃん。」
「エルフは人間に恐ろしい仕打ちをすると聞いていたので私、心配で仕方がなかったんですのよ。」
「ニーナは心配性だな。エマ様にはロウレアナ殿が同行したのだ。心配いらないと言っただろう?」
賑やかな友達とのやり取りで、エマがやっとホッとした表情を見せた。こうやって見ると、打ち解けたとはいってもエルフの里ではやっぱり相当無理していたんだと思う。うんうん、エマはやっぱりこうでなくちゃね。
みんなにお礼を言ったエマに対して、ミカエラちゃんが一冊のノートを差し出しながら言った。
「はい、エマちゃん。いなかった分の授業の内容はこのノートにまとめておいたよ。来週からの季末試験、一緒に頑張ろうね。」
それを聞いたエマは「えっ」と言ったっきり、固まって動かなくなってしまった。
「どうしたの、エマ!?」
「・・・どうしよう、おねえちゃん。あたし、何にも思い出せない・・・。」
みるみるエマの顔が青ざめていく。調べてみた結果、エマは夏から秋にかけて勉強した内容をすっかり忘れてしまっていた。どうやら時の記憶を花に変えた時、勉強の記憶まで一緒に吸い出してしまったらしい。
私はすぐにエルフの森に引き返し、聖樹の祠で眠っている大妖精を無理矢理、叩き起こした。事情を話して膨大な数の時騙しの花からエマの勉強の記憶を探す。
クランシィーヤさんにも協力してもらい必死に記憶を探して見つけ出したものの時すでに遅く、エマは季末試験の全教科で赤点を取ってしまった。
こうしてエマは秋の最後の月、みっちり補習授業と追試験を受けることになってしまったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。




