62 悪夢の終わり 後編
感想を書いていただきました。ものすごくうれしいです。本当にありがとうございます。
貴族法院での裁判でエマの無罪が証明された日の夕方、私は王立学校でようやくエマに再会することができた。寮の廊下で私を見たエマは私のところにまっすぐに駆け寄ってきてくれた。
私は胸に飛び込んできたエマの体をぎゅっと抱きしめた。
「おねえちゃん、先生が・・グレッシャー先生が・・・!!」
エマはそう言って私の腕の中で声を上げて泣き出した。エマの声を聞きつけて何事かと様子を見に来た女の子たちの目を避けるように、私は泣きじゃくるエマを抱えたままエマたちの部屋に入った。
私はエマが落ち着くのを待ってから、エマを椅子に座らせた。同じテーブルにゼルマちゃんとニーナちゃんも座る。二人はエマが帰ってくるという知らせを聞いて、昼からずっと私と一緒に待っていてくれたのだ。
同じ部屋の仲間であるミカエラちゃんはまだ寮に戻ってきていない。オキーム花毒の後遺症で体調がまだ戻っていないからだ。花毒には強い中毒性があるため体内の毒を中和して取り除いた後も、不眠や幻覚、激しい頭痛や倦怠感に悩まされることになる。
魔法薬の回復薬で一時的に症状を軽くすることは出来るけれど、完全に取り除くには長い時間が必要だ。今、王様はその症状を完全になくす魔法薬を作るため、毎日眠る時間を削って頑張っているところだ。
私たちは涙の止まったエマから裁判の様子を聞いた。リアさんとカチヤさんの淹れてくれたお茶を私がみんなの所に運ぶ。温かいお茶を一口飲んで、エマはようやく少しだけ笑顔を見せてくれた。
貴族法院での裁判で、エマは大勢の人たちから事件のことを何度も何度も繰り返し聞かれたそうだ。
「何人もの『判事』さんたちがいて、その人たちがそれぞれ同じ質問をしてくるの。さすがにちょっと疲れちゃった。」
前の人に答えたことと少しでも違うことを言うと、そこをしつこく問い直されたそうだ。それが2日間も続いたらしい。
「エマ、大変だったんだね。」
「うん。でもね、私の『弁護役』としてカールお兄ちゃんのお父さんが一緒にいてくれたの。私が困っていたらすぐに助けてくれたんだよ。」
「なるほど、分かりました。それでこんなに早く裁判が終わったんですのね。さすがはルッツ長官です。」
エマの話を聞いたニーナちゃんが侍女のカチヤさんと目を合わせて頷き合った。ニーナちゃんによると貴族法院での裁判はものすごく手続きがややこしいらしく、通常どんなに短くても数週間、長いものでは数年に及ぶものも珍しくないのだそうだ。
それを今回はハインリヒ・ルッツ王立調停所長官が、面倒な手続きをすべて飛ばしていきなり『審理』するよう取り計らってくれたらしい。
ちなみに貴族法院で裁かれる平民は普通、全裸に薄い貫頭衣だけを身に着けさせられ、重い首輪と枷を付けられるんだって。これは平民がほぼ間違いなく有罪となり処刑されるからだそうだ。
でもエマは王様が後見人であることを理由に王立学校の制服を着て裁判に出ることを許された。もちろん首輪や枷もなし。これもカールさんのお父さん、ハインリヒさんが押し通してくれたからみたい。
エマが貴族さんたちにいじめられなくて本当によかった。もしエマに何かあったら、いじめた貴族を片っ端からやっつけてやるところだったよ。ハインリヒさんには本当に感謝だね。今度会ったら必ずお礼を言おうっと。
今回エマの無実を証明するために、ハインリヒさんだけでなく多くの人が協力してくれた。でも一番大きいのはやっぱりミカエラちゃんとイレーネちゃんの証言だったみたい。
二人は体調が悪いのを押して裁判に出てくれた。誘拐事件の被害者である二人の証言は当然有力な証拠として扱われたそうだ。
ただ残念なことに、二人はその騎士さんが殺されるところを見ていなかった。エマが来てからすぐに騎士さんの共犯だった黒装束の男に気絶させられてしまったからだ。
騎士団に関わりの深い貴族の中にはエマこそが誘拐団の一味であり、それを阻止しようとした騎士を殺したに違いないと強硬に主張する人たちもいたみたい。被害者であるミカエラちゃんたちの証言も、成人に達していない子供の言うことだと、まともに取り合おうとしなかったそうだ。
ゼルマちゃんが言うには、彼らは魔法騎士が犯罪に加担していたことを何としてでも揉み消したかったらしい。彼らはとにかくなりふり構わず、エマを犯人にしようと頑張った。
実際、騎士さんはエマの《雷撃》の魔法で傷つけられていたので、彼らはそれを証拠としてエマが犯人であると言い張ったんだって。友達を助けるために頑張ったエマに対して、なんてひどい言い草だろう。くうぅ、私がその場にいたら、全員やっつけてやるのに!!
でも私に代わって、彼らをやっつけるために証言してくれたのがラインハルトさんだった。彼はエマを助けるため悪い騎士と戦い、その場に落ちていた短刀を使って倒したことを詳細に証言してくれた。
これには流石に貴族たちも言い返せなかったみたい。何しろラインハルトさんが自分で殺しましたって言ってるんだもの。それを否定するのは難しいよね。
すると貴族さんたち今度は、反逆者の弟である彼の証言は信用できるのかと言い出したのだそうだ。これは判事さんたちの中でも大きく意見が割れ、話し合いはとっても長引いた。実は裁判の大半は、この点を話し合うために使われたんだって。エマはそれをハラハラしながら見守っていたそうだ。
「私、ラインハルト先生が王国の人たちを守る為に自分のお兄さんや名無しの魔術師と戦うところを見てたの。先生、すごく辛かったと思う。なのに貴族たちはその先生のことをすごく悪く言うんだもん。私、頭に来ちゃった!」
悔しそうに顔を歪めるエマ。そんなエマにニーナちゃんが言いにくそうに話しかけた。
「貴族にとっては裁判で正義がなされることよりも、自分の利益を少しでも損なわないようにすることの方が大事ですからね。仕方ないと思いますわ。」
ニーナちゃんの言葉にゼルマちゃんも苦い表情で頷く。貴族さんたちにしてみれば、それぞれに守るべき領民や家臣団がいるため、必死にならざる得ないのだそうだ。
確かにそう言われてみると、私だってハウル村の皆を守る為だったらなんでもするしなあ。うーん、貴族さんの気持ちが少し分かってしまって、少し複雑な気分になったよ。
ともかく長い長い話し合いのあと、ラインハルトさんは反逆者の家族だけれど、同時に反逆を未然に防いだ功労者でもあるという結論になったらしい。
そのことによってエマの無実は証明された。でもラインハルトさんは死刑になることがその場で決まってしまったらしい。エマは涙をぽろぽろこぼしながら、私たちにその時の様子を話してくれた。
「ラインハルト先生はそれまで一生懸命、自分の身の潔白を訴えていたの。でも生き残った領民の中から反逆に関わった人たちを捕まえようって話が出た途端、事件は全部領主一族である自分の責任だって言って・・・!」
エマはそこで声を詰まらせた。その後、裁判はあっという間に終わり、ラインハルトさんはその日のうちに処刑されてしまったという。
話を聞いたニーナちゃんとゼルマちゃんもショックを隠せない様子だった。もちろん私だってそうだ。こんなのって酷すぎるよ!!
話し終わったエマが酷く疲れているようだったので、その後私とリアさんでエマをお風呂に入れ、眠らせた。寝台に横になったエマの目の縁には涙の跡がはっきりと残っている。
私はそれを指先でそっと撫で、エマに《安眠》の魔法をかけた。苦しそうだったエマの表情が安らかになったのを見て安心した半面、とてもやりきれない思いになった。
その日の真夜中、私は王様から今回のことについて直接話を聞くため、《転移》で王様の寝室に移動した。
「待っていたよドーラさん。」
寝室に《転移》するとすぐに部屋の扉が開き、そこから顔を覗かせた王様が私にそう言った。
「私が来るって分かっていたんですか?」
「ああ、必ず今夜訪ねてきてくれるだろうと思っていた。さあこちらへ。」
私は王様に案内されていつもお茶をごちそうになっている小さな部屋に移動した。王様の目の下にははっきりとした大きな隈ができていた。
「王様、すごく疲れてますね。大丈夫ですか?」
「ああ、ドーラさんからもらった強壮の魔法薬のおかげで何とか頑張っているよ。眠気が来ないのが何よりありがたい。今は時間が僅かでも惜しい時だからね。」
王様に頼まれて私が作ったのはメリッタ草を使った強壮薬だ。この魔法薬は強力な強壮作用があるけれど、その分ものすごく苦いのだ。おまけに不眠の副作用があるため、普通の人には全然人気がない。
ただハウル村の文官さんたちには大人気で、その話を聞いた王様が自分用に作ってほしいと言ったのだ。文官さん曰く「この苦みが癖になる」らしいです。
王様と一緒にテーブルのいつもの席に座ると、部屋の扉が開いて王様の専属次女のヨアンナさんがお茶を運んできてくれた。これはいつもの光景だ。
でもその日はヨアンナさんの他にもう一人、質素なドレスを纏った女性が入ってきた。透き通る雪のように白い肌をしたその女性は、私の側に来るときれいな仕草で貴族女性の礼をした。
「お初にお目にかかります、ドーラさん。私、ベルトリンデと申します。」
ベルトリンデさん? えっと確かパウル王子の奥さんだっけ?
ぼんやりそう思っていた私はハッとして慌てて立ち上がり、彼女の前に跪いて平伏した。
「失礼しました! ハウル村のまじない師ドーラと申します! ベルトリンデ様に置かれましては、ご、ご機嫌うるましゅう!!」
しどろもどろになりながらあいさつした私を見て、ベルトリンデさんはくすりと小さく笑った。
「ドーラさんは陛下の私的な友人でいらっしゃると伺っています。どうぞ私にも陛下と同じように接してください。」
そう言って彼女は私の手を取り、席に座らせてくれた。私が「ありがとうございます」とお礼を言うと、彼女は「陛下にはお友達のように話すのに、私には平伏なさるのですね」と面白がるように言った。王様は少し困ったように笑いながら、私たちの様子を見ていた。
改めてヨアンナさんのお茶が準備されたところで、私は二人に尋ねた。
「あの、ベルトリンデさんはずっと病気だったって聞いてたんですけど、もう大丈夫なんですか?」
すると二人は僅かに視線を合わせた後、ベルトリンデさんが私に答えてくれた。
「名無しの魔術師の呪いが解けたことで、私はあの方のことを思い出すことができました。」
「あの方?」
「ラインハルト・グレッシャー様です。私はあの方の妻だったのですよ。たった一晩だけでしたけれどね。」
それを聞いて私は驚くと同時に、今まで引っかかっていたいろいろなものが分かったような気がした。奪名の呪いの影響で、彼女の意識それまでずっと霞がかかったようにぼんやりとした状態だったそうだ。
「ようやくはっきりとものを考えられるようになりました。あの方との最期の別れとなった婚礼の夜のことも、今はちゃんと思い出せます。」
「えっとそれじゃあ、その、ラインハルトさんがし、死んじゃったことも・・・?」
私が小さい声でそう尋ねると、彼女は小さく頷いて懐から何かを取り出した。
「そのペンダント・・・!!」
「ええ、これは婚約のお返事と一緒に私があの方へお贈りしたものです。今日、あの方の遺品として私の所に届きました。」
このペンダントは名無しの魔術師との戦いの場所となった廃砦で、私がランディさんから貰ったものだ。いろいろあってようやく贈り主の下に帰ってきたペンダントを見るうちに、私は悲しくて悲しくて仕方がなくなってしまった。
「あの方のために泣いてくださるのですね。」
「だって・・・だってあんまりです! ラインハルトさんは何にも悪いことをしていないのに・・・! ベルトリンデさんだって・・・!!」
私の涙が虹色の粒となって床の上に散らばる。彼女はそれを見て小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。私の代わりに泣いてくださってとても嬉しいです。私はどんなに悲しくても、あの方のために泣くことは許されませんから。」
「えっ?」
「私はもうあの方の妻ではありません。パウル殿下の妃であり、リンハルトの母なのですから。」
彼女はそう言って悲しい微笑みを浮かべた。王様は彼女から視線を逸らすようにそっと目を伏せた。
「そんな・・・! そんなのって・・・!!」
私の言葉を、彼女は頭を小さく振ることで遮った。
「貴族として生まれた以上、これは私たちに課せられた責任なのです。私たちが多くの民の上に立っていられるのは、この責任を果たしているからです。」
彼女はまるで自分に言い聞かせるようにきっぱりとそう言った。
「このペンダント、ドーラさんが見つけてくださったそうですね。そのお礼を言いたかったのです。本当にありがとうございました。ドーラさんのおかげで私も、あの方も失っていた時間を取り戻すことができました。」
彼女は少し目を逸らした。
「確かに何かを変えるには遅すぎました。でもあの方との思い出を取り戻すことができて、私は本当に幸せです。」
彼女はそう言ってにっこりと微笑んだ。でも私は彼女の目の端が僅かに震えているのに気が付いた。
私はいろいろな感情が溢れてしまい、言葉に詰まってしまった。すると王様が小さく咳払いをしてから言った。
「ドーラさん、ベルトリンデ殿はこの度、正式にパウルと離婚し王室を離れることになった。」
「ええっ!?」
「今回の花毒事件にベルトリンデ殿の生家であるサルトル家も関与していたことが明らかになったのだよ。グレッシャー家が王家に対する反逆で断絶となった以上、サルトル家にも相応の処分が必要だからな。」
王様はベルトリンデさんを気遣うように見ながらも、厳しい調子でそう言った。サルトル家は今回の事件に積極的に関わったわけではないけれど、領内を通過するグレッシャー領からの荷物を違法薬物だと知りながら黙認していたそうだ。
反逆とは直接無関係であるので断絶や改易などの厳しい処分は免れたけれど、領地は没収され官僚貴族に配置替えとなったと、王様が私に説明してくれた。爵位も子爵から男爵へと落とされ、家臣団も一部を除いて解散させられてしまったらしい。そしてそれを受けて、ベルトリンデさんが話を続けた。
「私の実父である現サルトル子爵は良くも悪くも小心で大それたことができない人です。おそらく親格の大貴族であるデッケン伯爵家にいいように操られてしまったのでしょう。」
「えっ、じゃあこの企みはデッケン伯爵の仕業だったということですか?」
「おそらくは。ですが確たる証拠はなくデッケン伯爵は王党派貴族の厳しい追及を免れたそうです。陛下がそう話してくださいました。」
ベルトリンデさんの言葉に王様が重々しく頷く。彼女は淡々と話を続けた。
「すべての罪をグレッシャー、サルトル両家になすりつけ、切り捨てたのでしょう。証拠が残っていないところを見ると、伯爵は初めからそうするつもりだったのかもしれません。私の父も伯爵に言われるがままに娘まで差し出したというのに、哀れなものですね。」
ベルトリンデさんは淡々とした調子でそう言った。彼女は今、デッケン伯爵の義理の娘という立場だ。確かデッケン伯爵家が王家とのつながりを持つために、ベルトリンデさんをサルトル家から養女として引き取ったんじゃなかったかな。
でもこうして考えてみると、ベルトリンデさんの婚約者だったラインハルトさんがいなくなったタイミングと言い、あまりにも伯爵に都合がよすぎる気がする。もしかしたらそれもすべて、伯爵の企みだったのかな?
私ではその辺りのことは難しすぎてよく分からない。あとでカールさんに聞いてみよう。
私がそう考えていたら、今度は王様が私に話しかけてきた。
「ドーラさんの持ってきてくれた情報をもとに、私は王国内の資金の流れを調べていたのだよ。その結果、オキーム花毒の被害に遭った者たちの財の多くがサルトル領を経由してグレッシャー家に集まっていたことが分かった。」
「そうだったんですね。そのお金をグレッシャー子爵は何に使ったんでしょう?」
「おそらく今回の反逆のための武器や物資を調えるために使ったのだろう。実際領内から大量の武器や防具、魔道具、物資等が見つかっているからな。ただ・・・。」
「ただ?」
王様は少しの間黙ったあと、私に言った。
「領主城が失われてしまったために精細な調査ができなかったのだが、どうやら集められた資金に対して見つかった物資が少なすぎるようなんだ。もしかしたら資金の大半はグレッシャー領を経由して別の場所に運ばれた可能性がある。」
「別の場所って・・・もしかしてデッケン伯爵家ですか?」
デッケン領はグレッシャー領のすぐ隣だったはず。やっぱり黒幕はデッケン伯爵家なのかな?
「いや、グレッシャー領は北と西を国境に接しておる。国外に持ち去られた可能性もなくはないのだよ。」
そう言えばガブリエラさんが、グレッシャー領に接するバルス山脈経由で東ゴルド帝国内に花毒薬が広まっているって言っていたっけ。じゃあ黒幕は西ゴルド帝国? それとも全く別の誰か?
私はすっかり頭がこんがらがってしまった。うんうんと唸る私を見た王様は、少し困ったような顔をして
笑った。
「すまないなドーラさん。困らせるつもりはなかったのだよ。今後も調査を続けるから、もし何かまた情報が得られたらすぐに知らせてほしい。頼めるかな?」
「もちろんです!」
私が元気よく答えると、王様とベルトリンデさんは視線を合わせて小さく笑った。私は王様に聞いてみた。
「ベルトリンデさんとパウル王子が離婚したのって、サルトル家のことがあったからですか?」
私がそう思ったのは、以前グラスプ伯爵家が改易された時、関係するたくさんの貴族家で離婚や廃嫡があったってニーナちゃんから聞いていたからだ。すると王様は頭を軽く振ってそれを否定した。
「いや、ベルトリンデ殿は名目上、サルトル家とはすでに縁が切れている。今回の件とは関係がない。」
「それじゃあ、どうして・・・。」
「私の方から陛下にお願い申し上げたのですよ。」
私の問いかけに答えたのは王様ではなく、ベルトリンデさんの方だった。彼女は静かだけれどはっきりとした口調で、私にその理由を説明してくれた。
「私が王室に残ることで、デッケン伯爵をはじめ反王党派貴族が良からぬ企みを巡らすかもしれないからです。リンハルトにとってデッケン伯爵は『外戚』ですから。」
『外戚』って言うのは王様になる権利を持った人のお母さんの一族のことを言うらしい。王家と外戚に当たる貴族家とは持ちつ持たれつの関係になることが多い。なので外戚貴族は王国の貴族内でとても大きな力を持つことができるのだそうだ。
「私がいることでリンハルトの将来に陰を落とすようなことはしたくありません。ですから私から陛下にお願いして、離婚させていただくことにしたのです。」
彼女によると表向きの離婚理由は、健康を害して王子の妃として務めを果たすことが難しいからということにしてあるらしい。
「理由は分かりました。でもそれじゃあベルトリンデさんとリンハルトくんは離れ離れになるってことですよね。リンハルトくんはそのことを知っているんですか?」
私がそう聞くと彼女は小さく頷いた。
「呪いが解けて、すべてのことをはっきりと思い出せるようになってからずっと、私はリンハルトと何度も話をしてきました。リンハルトにも今後のことはちゃんと伝えてあります。」
私はそれを聞いて何だかもやもやした気持ちになった。でもそれをうまく言葉にできなかったので、黙って彼女の方を見ていた。
すると彼女はすっと私の目から視線を逸らして言った。
「ドーラさんのおっしゃりたいことは分かっています。リンハルトの気持ちを考えたら、こんなに酷い仕打ちはありませんよね。でもあの子は私には何も言いませんでした。」
彼女から話を聞いたリンハルトくんは優しく笑って「どうか息災でお過ごしください、母上様」と言ってくれたそうだ。私はそれを聞いて、なぜか胸の奥がずきりと痛んだ。
「リンハルトは私の話を聞いても涙一つ見せませんでした。あの子は本当に優しい子ですから・・・。」
彼女はそういって言葉を止め、顔を伏せた。彼女の細い肩は僅かに震えていた。
「パウル殿下もリンハルトも、私のことを本当に大切に思って・・・。でも私はそれに応えることが出来なかったのです。」
そう言って彼女は二人との思い出を語ってくれた。結婚当初からパウル王子は彼女のことをとても大切にしてくれたそうだ。リンハルトくんが生まれた時もそのことをとても喜んでくれて、公務以外の時間はずっと二人と一緒に過ごしていたらしい。リンハルトくんに剣を教えたのもパウル王子なのだそうだ。
パウル王子はリンハルトくんをとても可愛がり、リンハルトくんも王子のことが大好きだった。
だけどリンハルトくんが成長し剣を振るうようになるにつれ、ベルトリンデさんは次第に心を病むようになっていったという。
「その時は分かりませんでしたが、呪いの影響が無くなった今ならばはっきりと分かります。私はリンハルトにあの方の面影を重ねてしまっていたのです。知らず知らずに犯していた罪が私の心を責めさいなんでいたのでしょうね。」
そう言われて私は初めて、リンハルトくんとラインハルトさんがとてもよく似ていたことに気が付いてしまった。あれっ? でもリンハルトくんはパウル王子の子どものはずだよね?
訳が分からなくなってしまったけれど彼女がまた話始めたので、私は一度考えるのをやめて彼女の話に集中した。
「パウル殿下は私のことをとても心配してくださいました。離宮に故郷の様子に似せた魔法の庭園を造ってくださったりもしたのです。ですが私の症状は良くなるどころか、ますます悪化していきました。」
しまいにはパウル王子の姿を見ただけで酷く錯乱するようになってしまったという。それでパウル王子は彼女と距離を置くようになったのだそうだ。
僅かに声を震わせながら話す彼女の横顔を王様は痛ましい目でじっと見つめていた。
「呪いが解けすべてが明らかになった今、私が王室に留まることは出来ません。」
「パウル王子はなんて言ってるんですか?」
私がそう尋ねると、王様は私に向かって一通の手紙を差し出した。これには見覚えがある。私がパウル王子から王様宛にと預かったあの手紙だ。
私は手紙を開いてみた。手紙の中にはパウル王子がベルトリンデさんを一度故郷であるサルトル領に戻したいと王様にお願いする内容が書かれていた。手紙の最後には、そのために彼女と離婚することになるかもしれないが、その責めはすべて自分が負うという一文が几帳面な文字で記されていた。
私は驚いて王様の顔を見た。王様はどこか諦めたような表情で頷いた。
「パウルは・・・あの子は昔から勘の鋭い子供でな。何か予感めいたものを感じておっただろう。」
私は最後に見たパウル王子の様子を思い出した。私がリンハルトくんのことを尋ねた時、彼は神妙な顔で私に言伝を頼んだのだ。もしかしたらあの時、彼は泣きたかったのかもしれない。
なんてことだろう。互いに思い合っていても一緒にいることができなかった家族がやっと一つになろうとしていているのに。こんな別れはあんまりだ。私がそう言うと、ベルトリンデさんは軽く瞬きをした後、まっすぐに私を見た。
「先ほど申し上げた通りですよドーラさん。これが私に課せられた責任なのです。王国のため、そこで暮らす多くの民のために、自分に与えられた役割を全うすること。そのためには私一人の気持ちなど些細な問題です。」
そう言った彼女の言葉よりも、彼女の目の縁に光る涙が彼女の気持ちを私にはっきりと伝えてくれた。彼女はすべてを分った上で大切な人たちとの別れを選んだのだ。ミカエラちゃんを守る為、帝国へと嫁いでいったガブリエラさんのように。
そう思ったら私は何も言えなくなってしまった。涙が次々に溢れて私の周りに散らばった。
その夜、私は王様とベルトリンデさんにお礼を言って二人と別れた。ベルトリンデさんはこの後、王都を遠く離れ、僅かな供回りの人たちだけを連れて隠遁すると言っていた。
私は王立学校の自分の部屋の寝台に横になりながら、さっきまで話をしていたベルトリンデさんのことをぼんやりと考えた。
私には滅んだ世界を蘇らせるほどの力がある。でもそんな私でも彼女の運命を変えることは出来ない。
以前にも私はこれと同じことを考えたことがある。ガブリエラさんとミカエラちゃんが離れ離れになってしまった時だ。あの時も私は自分の無力を痛感させられた。
どうして私は自分の力をもっと上手に生かせないんだろう。例えばガブリエラさんやエマが私と同じ力を持っていたとしたら、もっともっとたくさんの人を幸せにすることができるんじゃないかな?
そう考えて私の脳裏にはっきりとした声が聞こえた。
『それは驕りというものよ、お馬鹿さん。』
「ガブリエラさん!?」
聞き間違えようのない声に驚いて、私は思わず寝台から飛び起きて辺りを見回した。でも何の気配もない。暗闇の中に聞こえるのはリアさんの規則正しい寝息と、カチヤさんのむにゃむにゃという寝言だけだ。
「夢・・・だったのかな?」
私は寝台に腰かけたまま、今聞いたガブリエラさんの言葉の意味を考えた。
ガブリエラさんは自分ではどうしようもない運命に翻弄され続けた人だ。それでも彼女はその時々で自分に出来ることを探し、運命を切り開こうと努力していた。念願だったバルシュ家を再興できたのも、ミカエラちゃんを次期当主にすることができたのも、すべて彼女の頑張りがあったからだ。
でもよく考えてみるとこれは別に彼女に限ったことじゃない。
ハウル村の村長だったアルベルトさんだって、ルウベ大根を育てることに生涯をかけたノーファさんだって、この王国の王様だって自分の運命に抗おうと必死に生きてきたのだ。
ほんの少しだけ、私もその手伝いをさせてもらったけど、それは理不尽に降りかかる悪意を振り払ったに過ぎない。何にもないところから立ち上がって、必死に前に進んできたのはその人自身の頑張りなんだ。
それを私の力で何とかできないかなんて、それはまさに驕りそのものだ。もしマリーさんに聞かれたら「何バカなこと言ってるんだい、この子は。そんなの余計なお節介だよ!」って笑われてしまうに違いない。
私は自分の思い上がりが急に恥ずかしくなった。そして私も自分に出来ることを一生懸命にやってみようと素直にそう思えた。
『やっと分かったのね。でも少しは成長してるみたいで安心したわ、お馬鹿さん。』
心の中でまたガブリエラさんの声がした。私はもう一度、寝台に横になった。
「そうですよガブリエラさん。あなたの一番弟子は、これからもっともっと人間のことを知っていくんです。」
しんとした闇の中、私は一人そう呟いた。
世界を変える力を持つ竜ではなく、共に生きる一人の女として私はみんなと一緒にいたい。本当にそんなことができるか分からない。けれど、必死に生きる人たちの姿を見た私には、簡単に自分の思いを投げ出すことなど決して出来はしないのだ。
私は暗闇の中で一人両手を握りしめ、鼻からむふーっと大きく息を吐きだした。
次の日から私は、今回の事件で被害に遭った人たちを助けるために出来ることをより一層頑張った。いろいろなお手伝いをさせてもらったけど、なかでも一番頑張ったのは王様の手伝いだ。
私がベルトリンデさんと会った日から5日後、王様は苦心の末にやっとオキーム花毒の後遺症を治療する魔法薬を作りだすことができた。でも普通に作るとものすごく時間がかかる上に、ほんのちょっぴりずつしかできない。だから王様に教えてもらいながら、私が魔力を使って一度に大量の薬を作ったのだ。
魔法薬の材料は王家の備蓄分をすべて王様が使っていいと言ってくれた。それでも足りない分はカフマンさんが商会の人たちを総動員して、王国中からかき集めてくれた。本当にありがたいよね。
こうして皆の協力のおかげで完成した薬により、被害に遭った多くの人たちを救うことができたのでした。
事件からおよそ1か月が経った頃、ようやく旧グレッシャー領都で亡くなった領民の人たちの供養ができることになった。
私が魔法で保存していた人たちの遺体を領都の外れにある墓地に並べた後、王国軍の兵士さんたちがその人たちのだいたいの特徴を次々と記録していく。この記録は後でどの村でどのくらいの人が亡くなったかの調査に利用するそうだ。
ただ亡くなった人の多くは衣服を着ていないか、着ていたとしてもボロ布のようなものを身に着けているだけで身元を示すようなものはほとんど残っていない。また状態のひどい遺体も多いため、正確な調査は難しいだろうと、私と一緒に来てくれたカールさんが教えてくれた。
兵士さんたちの記録が終わると、テレサさんをはじめとする聖職者の人たちが拭き清めていく。彼らは王国軍に所属する従軍祈祷師と呼ばれる人たちだ。
この人たちは全員が男性で女性は一人もいないため、聖女教の白い法服を着たテレサさんの姿はものすごく目立っていた。
拭き清められた人たちは皆、穏やかな表情をして広場に横たわっているように見える。すべての人たちへの清拭と祈りが終わった時にはすでに日がすっかり落ち、空には星が瞬き始めていた。
私は祈りが終わるまでの間、カールさんと二人でその様子をずっと見ていた。絶えることなく続く鎮魂の祈りを聞きながら私は、もうこんなことが二度と起こりませんようにと強く願った。
隣に立っていたカールさんがそっと肩に手を添えてくれてはじめて、私は自分の体がひどく震えていたことに気が付いた。
「大丈夫ですかドーラさん?」
「はい。あとは私に任せてください。」
王国軍の兵士さんと祈祷師さんがその場から引き上げるのを待ってから、私は《収納》から美しい装飾のされた杖を取り出した。これは私が一人前の錬金術師になったお祝いに、師匠であるガブリエラさんが贈ってくれたものだ。
私は杖を両手でしっかりと握ると魔力を込めて杖の先を地面にトンと突いた。私の魔力を受けて、杖に装飾されている六種の魔石が輝きを増していく。
「《領域創造》」
広い墓地を埋め尽くすほどたくさん横たわっている人たちを、魔力の壁が包み込んだ。私は続けて起動呪文を唱えた。
「《発火》」
私が《領域》の中に魔力を満たすと同時に、横たわる人たちの体は虹色の炎に包まれ、一瞬で焼き尽くされ消えた。金色の光の粒に変わった彼らの魂は、夏の終わりの夜空に向かって一斉に飛び立っていく。
「・・・またいつかどこかで。」
消えていく光たちに、私はそう別れの言葉をかけた。
それからもしばらくは慌ただしい日が続いた。すべてが元通りとはいかなかったものの、秋になって事件の影響も少しずつ小さくなっていった。
そして秋の最初の月の半ば、私はおよそ2か月ぶりに旧グレッシャー領のクベーレ村を訪れたのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。