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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
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61 悪夢の終わり 前編

実はこのエピソードの結末についてまだ悩んでいます。

 頂に雪を被った山壁を青と白の二つの月が照らしている。夏の最後の月とは思えないほど冷たい風が吹き渡る中、私は天に昇っていくたくさんの金色の光たちに心の中で別れの言葉を告げた。


 このたくさんの光はたった今、私が魔力を使って荼毘に付した旧グレッシャー領の住民の人たちの魂だ。私の魔力の影響を受けたことで金色の輝きを放ちながら遠くへ飛び去っていく光を見て、私は胸が締め付けられるような痛みを感じた。


 私の頬を滑った涙が虹色の小さな欠片となってパラパラと零れ落ちる。ガブリエラさんから贈られた魔法銀の杖を握りしめていた私の手に、そっと大きな手が重ねられた。


「終わりましたね、ドーラさん。」


「はい。本当にありがとうございました。」


 涙声で頷いた私を気遣うように、カールさんはそっと私に寄り添った。私は彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。彼は私が泣き止むまで、私の背中を優しくさすってくれた。


 私の涙が止まった頃、あんなにたくさんあった金色の光はもう消えていて、しんとした夜の闇が辺りを包んでいた。


「帰りましょう。」


 カールさんの言葉に頷いて一緒に歩きながら、私はこの一か月の間にあった出来事を一つ一つ思い返していった。











 グレッシャー領主城から戻った日の翌日、私はカールさんとラインハルトさんを連れて再びグレッシャー領都へと戻った。領都に残っている生存者の人たちを救出するためだ。


 カールさんたちは私がグレッシャー領に行っている間に、出発の準備をすっかり整えてくれていた。私たちと一緒にカールさんのお兄さんのバルドンさんとその配下の衛士さんたち、そしてテレサさんとハーレさんも同行してくれた。


 グレッシャー領都にはたくさんの生存者がいるけれど、彼らの多くは領都の各地に設けられた仮説の収容所に閉じ込められていた。全員がオキーム花毒中毒に陥っている上、酷く衰弱して動くのはおろか、話すことすらままならない状態だった。


 私は領都全域を自分の魔力で覆い彼らの居場所を特定していくと同時に、苦しみに悶える彼らを《安眠》の魔法で眠らせた。薬物の離脱症状で自分の体を傷つけるのを防ぐためだ。


 カールさんたちは私の特定した場所を衛士さんたちに探させ、そこで眠っている人たちに治療を施していった。


 比較的症状の軽い人たちには、衛士さんたちがハウル村からかき集めてきた治癒や解毒などの魔法薬ポーションを使っていく。


 それよりももっと症状の重い人たちはカールさん、テレサさん、ハーレさんの三人が神聖魔法で癒してくれた。私も《解毒》の魔法を使うことでみんなを手伝った。






 この時、私の魔法の《収納》の中には領都で亡くなったたくさんの人たちの遺体が眠ったままになっていた。でもカールさんやテレサさんと相談した結果、領内の様子がもう少し落ち着くまでそのままにしておこうということになった。


 カールさんの話によると、この人たちの多くは領内のあちこちから連れてこられた可能性が高いという。本当であればどこで誰が亡くなったのか一人一人調べていかなくてはいけないそうだ。


 けれど今はとてもそんなゆとりがない。とにかく一人でも多くの人を救わなくてはいけないからだ。


 人間は本当に脆い生き物だ。呆気ないほど簡単に命を落としてしまう。だからこそ私たちは目の前の命を救うため、それこそ寝る間も惜しんで(というか私は一睡もせずに)全力で立ち向かった。






 バルドンさんとラインハルトさんは、私がお尻で押しつぶしたせいで完全に倒壊した領主城跡地に仮設の指揮所を作り、衛士さんたちから集めた情報をもとに、次々と衛士さんたちに指示を出していった。


 幸いなことに、領都各所には手の付けられていない物資や食料が大量に備蓄されていた。バルドンさんが言うにはグレッシャー子爵が大規模な軍事行動を行うために準備していたものらしい。


 私はグレッシャー領での様子を毎日王様に知らせに行き、バルドンさんたちに王様からの手紙を届けた。少しでも時間がある時には、手に入る素材を使って魔法の回復薬を作りまくった。そんなことが10日ほど続いた。






 私も含めカールさんたちがへとへとに疲れ切った頃、ようやく王家の応援が領都に到着した。大規模な騎馬部隊を率いてやってきてくれたのは、パウル第二王子だった。


「お待たせしてすみませんでしたドーラさん。あとは我々に任せてください。」


 彼はそう言うと自分の配下である王国軍第二軍団の神官部隊を指揮して、瞬く間に仮設の治療所を設営し、本格的な救助活動を始めた。慢性的に足りなかった人手が一気に満たされたことで、長く苦しんでいた多くの人たちが快方に向かうことができた。


 私が「ものすごく手際がいいんですね」と言うと、彼は「魔獣に襲われた都市の救助も我々の任務の一つですから」と少し遠い目をして笑った。






 神官部隊が領都に残っている間、王国軍第二軍の本隊である騎馬部隊は領都周辺の治安回復のために奔走した。この時のグレッシャー領は行政機能が完全に止まってしまっていて、周辺の村々では魔獣や野盗による被害がでていたらしい。


 第二軍の活躍でグレッシャー領は次第に平穏を取り戻していった。ただこの治安維持活動は事件から1か月が経った今でも続いてる。


 領民の人たちが元のような暮らしをできるようになるためには、おそらく数年から十数年の時間が必要になるだろうと、カールさんは私に説明してくれた。






 パウル王子は救助活動をしていたカールさんやバルドンさんを始め、バルドン中隊の衛士さんたちを労ってくれた。


「貴君らの活躍で多くの領民の命を救うことができた。国王に成り代わり、私から礼を言わせてもらう。」


 彼はそう言って衛士さん一人一人に直接声をかけていった。兵士さんや衛士さんたちの間で彼はとても人気があるらしい。王子から直接褒められた衛士さんたちはとても誇らしげな顔をしていた。涙を流して感激している人も少なくなかった。






 そのあと数日間、救助活動を引き継ぎを終えた後、私たちはハウル村に帰ることになった。その頃には収容所に閉じ込められていた人たちも大分回復してきていて、一人で動ける人も多くなってきていた。


 ただオキーム花毒の後遺症に苦しんでいる人がほとんどで、いまだに寝たきりという人もまだ大勢いる。


 私たちがパウル王子の所に別れの挨拶に行くと、彼は私たちを指揮所の一角に立てた小さな天幕へと案内してくれた。衛士隊の皆さんを外に残し、私たちは天幕の中に入った。


 天幕の中にはたくさんの本や紙束の入った箱が置いてあった。その箱は小さな荷車が一杯になるくらいの数があり、それを王子直属の護衛騎士さんたちが厳重に守っていた。


 王子は護衛騎士さんたちを遠ざけた後、跪いている私たちを立たせて言った。






「ドーラさん、これを陛下に届けていただきたい。」


「この箱をですか?」


「はい。これは私の信頼できる部下が領主城跡を探索して見つけた資料です。おそらくこの事件の首謀者であった名無しの魔術師アノニームのものとみて間違いないでしょう。」


 私はそんなものがあるなんて夢にも思っていなかったので、とても驚いてしまった。パウル王子はここに来た直後から、この資料を探していたらしい。私たちはおろか配下の人たちにすら内緒で、秘密裏にことを進めていたと彼は言った。






「これらの資料は出来るだけ人目に触れさせたくないのです。何しろ危険な研究を記録したものですから。だから是非ドーラさんにお願いしたいのです。」


「分かりました。必ず今日のうちに王様に届けます。でもどうして王様にこれを?」


「陛下は王国最高の錬金術師です。陛下であればこの資料を使って、オキーム花毒の後遺症を治す薬を作り出せると思うのです。」


 そこまで言った後、彼は少し悪戯っぽい表情をしてこう付け加えた。


「それに陛下の側には私の兄上もいますから。兄上は私と違って優秀な錬金術師なんです。二人ならきっとうまくやってくれるはずですよ。」


 彼はそう言って軽く目を伏せた。私にはそれがとても寂しそうな表情に見えた。






 話が終わり私が魔法の《収納》にたくさんの木箱を仕舞った後、王子はカールさんたちと一人一人別れの挨拶を交わしていった。みんなの挨拶の言葉に王子が頷いてお礼を言う。そんなことが繰り返された。


 でもラインハルトさんが別れの挨拶をした後、王子は何も返事をすることなく彼の顔をじっと見つめていた。私がどうしたんだろうと心配していると、ようやく王子がラインハルトさんに話しかけた。


「『凍刃の騎士』と名高い貴君のことを今まで思い出せずにいたとは。奪名の呪いとは本当に恐ろしいものだな。」


「・・・誠に私の不徳の致すところでございます、殿下。」


 平伏するラインハルトさんに王子は顔を上げさせた。






「いや。13年前、貴君が名無しの魔術師に打ち勝ってくれたおかげで奴を封じることができたのだ。かの魔術師が封じられなければバルシュ領だけでなく王国全体が未曽有の危機に見舞われていたことは間違いない。貴君は救国の英雄だ、ラインハルト殿。」


「もったいなきお言葉でございます。」


 ラインハルトさんは跪いたまま、王子の顔を黙って見上げていた。二人は複雑な表情で互いに見つめ合っている。やがてまた王子の方が言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。






「・・・だがそのために、貴君の運命を大きく狂わせてしまった。貴君にはその・・・レイエフと呼ばれていた時の記憶もあるのだろう?」


 ラインハルトさんは僅かに目を見開いた後、ただ静かに「はい」とだけ答えた。それを聞いた王子は怒りとも悲しみともつかない表情で歯を食いしばり、目を固く瞑った。強く握りしめられた彼の拳は小刻みに震えていた。


 やがて彼は目を開けると、ラインハルトさんをまっすぐに見ながら話し始めた。


「ラインハルト殿、貴君のこれまでの功労は言うまでもない。だが・・・。」


 王子がそう言いかけた時、ラインハルトさんはその言葉を強い調子で遮った。


「殿下、我が身の処遇についてはすでに心得ております。残された領民のため、王国の未来のためにこの命、如何様にもお使いください。」


 ラインハルトさんの言葉を聞いた王子の表情が僅かに歪む。私は彼が泣き出すのではないかと思った。でも彼は涙を見せずただ一言、呟くように言っただけだった。






「・・・リンハルトは・・あの子は早生まれだった。予定より3か月も早く生まれてきたのだ。」


 それを聞いた瞬間、ラインハルトさんは雷に打たれたみたいに体を震わせた。


「そんな・・・まさか・・・。」


 声を震わせるラインハルトさんに王子は静かに頷いた。


「ラインハルト殿。酷だというのは承知の上で言わせてもらう。あの子のために、どうか早まらないでくれ。頼む。」


 ラインハルトさんに頭を下げた王子を見て、カールさんとバルドンさんが小さく息を呑む音が聞こえた。


「・・・ご厚情に感謝いたします、殿下。」


 ラインハルトさんは噛みしめた歯の間から絞り出すようにそう言って、跪いたまま深く頭を下げた。






 私の耳でもやっと捉えられるかどうかというほど小さい声で交わされた二人の会話。それが終わるとパウル王子はさっと立ち上がり、何も言わずい天幕を出ていった。


 王子を見送った後、私たちも立ち上がった。でもラインハルトさんはその場から動こうとしなかった。逞しい肩が小さく震えている。私は彼に何か話しかけようとした。


 でもその時、カールさんが私の腕にそっと触れて小さく首を横に振った。私たちはラインハルトさんを残して天幕を出た。彼が天幕を出てきたのは、私たちが帰る為の準備を整え終わった頃だった。


 彼はまるで戦いに赴くかのような決然とした表情をしていた。私は《集団転移》の魔法を使い、みんなと一緒にハウル村へ帰った。











 ハウル村に戻った日の翌日、私はすぐに王都へ行くことになった。エマを王都で行われる『裁判』に送り届けるためだ。


 裁判というのは悪いことをした人にどれくらいの罰を与えるかを決める話し合いのことらしい。エマが罰を受けることになるのかと思って心配する私に、カールさんが「大丈夫ですよ」と言ってくれた。


「エマが無実であることは、ミカエラ様とイレーネ様がすでに証言してくださっています。エマが呼ばれたのは騎士殺害事件に関する事実確認のためですよ。」


 カールさんはこの事件に関することを詳しく説明してくれた。すごく簡単に言えば、王様や貴族の見ている前で「エマは無実ですよ」と宣言するための裁判らしい。


 エマは私が眠っている間に『指名手配』されていたそうで、その疑いを正式に晴らす必要があるのだそうだ。エマの無実については、回復して王都に戻ったミカエラちゃんとイレーネちゃんが説明してくれたらしいのだけれど、それだけだと足りないんだって。


 エマは何にもしていないのにわざわざそんなことをするなんて、人間て時々すごくめんどくさいと私は思ってしまった。






 エマと侍女を務めるリアさん、それから王様に会いに行くというラインハルトさんを連れて、私は王都へと移動することになった。


 移動の準備が整うまでの間、カールさんは沈痛な面持ちでラインハルトさんと別れの挨拶を交わしていた。私はその様子を見て何か良くないことが起こりそうな気がした。けれどそれが何なのか、まだこの時は全く分からなかった。











 私はみんなを連れて王立学校に《集団転移》した。移動先は王立学校正面の玄関ホール前だ。本当は第六女子寮のエマの部屋に直接移動したかったのだけれど、ラインハルトさんにそこへ移動するようにとお願いされたのだ。


 まだ夜明け直後の朝早い時間だったせいか、玄関ホールの前には人の気配がなかった。まあ、私が人目に付かない場所を選んで転移したからなんだけどね。


 久しぶりに見る王立学校はすごく懐かしい感じがした。私とエマ、それにリアさんは寮へ移動するため、ここでラインハルトさんと別れることにした。


 エマが彼にそのことを告げると彼はエマの前に立ち、エマをまっすぐに見たまま話し始めた。






「君が攫われた友人を救うために勇敢に立ち回ったことは、私からも証言しておく。安心しておくといい。」


「ありがとうございます、ラインハルト先生。」


 ぺこりと頭を下げたエマを彼は優しい目で見下ろしながら、すこしからかうような調子で言った。


「ふむ。平民たちの間にいる時間が長かったせいか、君はこの場に相応しい振る舞い方を忘れてしまったようだ。」


 エマはハッと顔を上げると、耳の先まで真っ赤になりながら貴族女性のお辞儀カーテシーをした。


「失礼な振る舞いをして申し訳ございません。どうかお許しください。」


「それでよろしい。ハウル村のエマ。」


 そう言って鷹揚に頷いた後、彼はエマの前にしゃがみ込んだ。






「エマ、君は素晴らしい魔術師だ。それに魔術の才能だけでなく、不正に立ち向かう勇敢さと他人の痛みを思いやる慈愛の心を持ち合わせている。」


 ラインハルトさんは戸惑った様子のエマをそう言って褒めてくれた。うんうん、まったく彼の言う通りだ。


 エマはすっごい頑張り屋さんだもの。さすがは王立学校の先生、よく分かってるよね!


 私が後ろで頷いているのを知ってか知らずか、彼はエマに向かって話を続けた。


「君のことを卑しい生まれだと蔑む者も少なくないだろう。だが君がそんな世迷言に負けるはずはないと私は信じている。どうか君の力を多くの弱き人々のために役立ててほしい。」


「あ、ありがとう存じます。」


 照れくさい表情でお礼を言ったエマの頭を、ラインハルトさんはガシガシとかき回した。






「王国のこと、よろしく頼む。」


「あ、あの、ラインハルト先生・・・?」


 エマがラインハルトさんに何か言いかけたけれど、彼は返事をせずに立ち上がった。そして私の前に片膝をついて座ると、自分の胸に左手を当てて深く頭を下げた。


 これ、確か騎士礼って言うんだよね。カールさんが私に結婚を申し込んでくれた時、これと同じことをしたっけ。


 私がその時のことを思い出して一人で赤くなっていたら、ラインハルトさんが真剣な様子で私にお礼を言った。


「ドーラ様、今回のことで多くの領民を救ってくださり、本当にありがとうございました。」


「いえ、あの、私はその、エマを助けようと思っただけで! そ、それに何もしてませんし・・・!!」






 私はあわあわと手を振って彼の言葉を否定した。彼は私の正体を知っているのかしら? もしかしたらランディさんたちから聞いたのかな。


 彼は私の様子を見、ふっと笑って立ち上がった。その時、彼はとても静かな目をしていた。私たちに深々と一礼した後、彼は校長室のある中央研究棟の方へ歩いて行ってしまった。


 私はエマと顔を見合わせ、小さな声で言葉を交わした。


「(急にお礼を言われてびっくりしちゃった。私が竜だってこと、分かっちゃったのかな?)」


「(どうだろうね。でも先生の様子、少しおかしかったよね。)」


「(そう?)」


「(うん。まるで長いお別れをするときの挨拶みたいだったもの。)」


 エマはそう言って小さくなっていくラインハルトさんの背中を心配そうに見つめていた。






「エマさん、ドーラ様。そろそろ校内を人が出歩き始めます。誰かに見られる前に、寮へと参りましょう。」


 リアさんにそう促され、私たちは歩き出した。ふとリアさんの方を見ると、彼女はいつもよりも固い表情をしているような気がした。


 エマを心配していたゼルマちゃん、ニーナちゃんとさほど話をする間もないまま、エマはその日のうちにゴルツ校長先生に付き添われ、今度の裁判が行われる貴族法院というところに行ってしまった。


 エマはなかなか帰ってこなかった。私はその間、心配を紛らわすようにハウル村とグレッシャー領、それに王都を移動しながら、それぞれの場所で私にできる仕事をさせてもらった。






 夜は王立学校のエマの部屋に戻って、ゼルマちゃんたちから学校の様子を聞いた。王立学校は表向き、いつもと変わらない様子で授業が行われているようだった。


 ただ勉強が手につかない様子の生徒たちも一部にいるのだと、ニーナちゃんが私に教えてくれた。


「今、反王党派の貴族家の子弟たちは、しきりに実家と連絡を取っているんです。」


「?? どうしてですか?」


「グレッシャー子爵の反逆事件のせいです。グレッシャー領は小さく貧しい中領地とはいえ、れっきとした反王党派ですから。影響力の小さい辺境での出来事ですが、これを機に王家が反王党派の大規模な粛清に乗り出すのではないかと皆、戦々恐々としているんです。」






「えっ、王様はそんなことしないと思いますよ?」


 私は思わずニーナちゃんの言葉を否定してしまった。グラスプ伯爵家が取り潰されてからというもの、王様は貴族がいなくなった領地の経営のためにものすごい苦労をしているからだ。


 それに事件以降、何度も王様に会いに行ったけれど一度もそんな話をしなかった。王様は今、パウル王子が見つけた花毒の資料を研究するため、それこそ寝る間も惜しんで毎日頑張っている。


 そもそもグレッシャー子爵の反逆自体が名無しの魔術師とかいう悪い魔術師さんの仕業だったはずで、グレッシャー子爵はむしろ被害者のはずだ。


 私がそう言うとゼルマちゃんは、静かに頭を振った。


「陛下の思惑がすべてというわけではありません。王党派の貴族の中には、これを自分たちの勢力を伸ばす好機と考えている者も少なくないのです。」






「そんな・・・!」


 たくさんの人が亡くなった悲しい出来事を喜ぶ人がいるなんて、私にはとても信じられなかった。ゼルマちゃんは静かに頷いてから、私に言った。


「それが貴族というものなのです。それにグレッシャー領は王国北方の要衝の一つですから。反王党派の貴族が北西国境一体を統治していることを危惧する声は、以前から王国軍内部にありました。グレッシャー領周辺の複数の貴族家が粛清の対象になる可能性は決して低くないと思います。」


 ゼルマちゃんは王国衛士隊に所属するお父さんやお兄さんからそれに関する噂を聞いているのだと言った。具体的な貴族家の名前は上がっていないものの、王国軍内で内戦に対する備えが進んでいるのだそうだ。


 悲しい争いが終わったばかりなのにどうしてまた争うとするのか。私は賢いはずの人間がこんなことをする理由が全く分からなかった。私は悶々とした気持ちのまま、エマの帰りを待ち続けた。






 王都領全体にエマの無実と、王立学校教師ラインハルト・グレッシャー先生の処刑が発表されたのは、それから4日後のことだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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