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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
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6 二年生の始まり

また長くなってしまいました。余計な描写が多すぎるのでしょうか。

 春の3番目の月のはじめ、エマと私は学校が始まるのに合わせて王都に行くことになった。新入生だった去年よりも一月遅れての新学年の始まりだ。


 新入生は入ってすぐに入学式や入寮のための準備、適性検査などをしなくちゃいけないけれど、上級生はその必要がない。だから2年生以上の生徒たちは、猶予期間を十分にとって学校に来ることができるというわけだ。


 もっともこの猶予期間が設けられているのは上級生たちのためというより、新入生を迎えるために大忙しの先生たちのためという気がする。だって去年の先生たちはエマの入学の直後、ものすごく忙しそうにしていたもの。


 私がその話をリアさんにしたら彼女は少し複雑そうな表情をした後「去年忙しかったのはドー・・・いえ、何でもありません」と言って、なんかごまかされてしまった。なんで?






 ともかく私とエマそれにリアさんは準備を整え、《集団転移》で王立学校の第六寮に移動した。エマは制服、私とリアさんはいつもの侍女服姿だ。去年は入寮のための手続きやらが面倒だったけれど、今年は事情が分かってるからとっても楽ちんだ。


 転移先はエマたちの部屋の隣にある使用人部屋にした。リアさんがこの時間なら誰もいないはずだと言ったからだ。寝台が並んでいるだけの慣れ親しんだ室内は薄暗い。隣に続く扉の隙間から光が漏れているのが見えた。


「もう誰か来てるみたいだね。」


「隣に5人いるようです。エマさん以外の方はもう来ていらっしゃるようですね。」


 扉を開けてもいないのに、リアさんがすぐにそう教えてくれた。魔力の大きさでミカエラちゃんがいるのは私にも分かったけど、他の人のことはほとんど分からなかったよ。


 リアさんの感覚の鋭さには本当に驚かされる。カールさんが彼女のことを頼りにしているのも納得だよね。






 私が扉をノックするとすぐに開いて、バルシュ家の筆頭侍女であるジビレさんが顔を覗かせた。


「まあ、こんなところから出ていらっしゃるなんて!」


 いつも冷静沈着な彼女が声をあげて驚いた。


「驚かせてごめんなさい、ジビレさん。」


 私が謝るとジビレさんはいつもの穏やかな表情で「ミカエラ姫様がお待ちかねになっていらっしゃいました。さあこちらへ」と言ってエマを席に案内してくれた。


 私とリアさんはエマの後について部屋に入る。部屋の中央、四隅に置かれた寝台の真ん中にあるテーブルにはミカエラちゃん、ゼルマちゃん、ニーナちゃんが座っていた。ゼルマちゃんとニーナちゃんの後ろには二人の家が共同で雇っている侍女のカチヤさんがいつものようにニコニコ笑いながら立っている。


 どうやら皆は寮での朝食を終えて、これから授業に行くところだったようだ。






 私がミカエラちゃんの隣の椅子をすっと引くと「ありがとうお姉ちゃん」と言ってエマがそこに腰かける。よし、去年よりもスムーズに動けた気がするぞ! 私はそのままリアさんと一緒にエマの後ろに立った。


「今ちょうどエマ様のお話をしていたところだったのです。」


 ゼルマちゃんがそう言い、他の二人もすぐに頷いた。ゼルマちゃんはまた少し背が伸びたような気がする。


「エマさんが来てくださって本当によかったですわ。ゼルマったら私の顔を見れば『エマ様はまだいらっしゃらないのだろうか?』ばかり言うんですもの。もう本当に困ってしまいました。」


 少し髪の伸びたニーナちゃんがくすくす笑いながらそう言うと、ゼルマちゃんは少し顔を赤くして抗議した。


「それを言うならニーナやミカエラさんも同じようなものだろう! 私だけではないはずだ!」


「まあ! ねえジビレ、私、そんなことしていたかしら?」


 ミカエラちゃんが後ろに立っているジビレさんに問いかける。


「ええ、御三方とも顔を合わせるたびにエマさんのことばかり話していらっしゃいましたよ。」


 ジビレさんがカチヤさんと顔を見合わせ、困ったように口元を綻ばせた。エマとミカエラちゃんたちは無言で顔を見合わせあった後、鈴が転がるように一斉に笑い始めた。






 その後、エマたちは冬から春にかけての出来事についてお互いに話し合った。ミカエラちゃんは5日前から、ゼルマちゃんとニーナちゃんの二人は春の2番目の月の初めから寮に入っていたらしい。


 ゼルマちゃんもニーナちゃんも冬の間、実家が大忙しだったという。だから少しでも家族の負担を軽くするために、早めに寮に来ることにしたのだそうだ。


「聖女様暗殺未遂事件は本当に大変でしたから。王都でも多くの人が巻き込まれて、私の父も詰所に何日も行ったきりだったのですよ。」


 ゼルマちゃんのお父さんは衛士隊の中隊長をしている。王都襲撃で傷ついた人々を救助するため、部隊を率いて駆け回っていたそうだ。


「ハウル村では王都襲撃犯一味とパウル殿下の王国第二軍が戦ったとお聞きしました。ミカエラさんの話では村に大きな被害が出たとか。エマ様のご家族は大丈夫でしたか?」


 ゼルマちゃんの問いにほんの一瞬、エマとミカエラちゃんが視線を交わし合った。ハウル村での出来事は一切が秘密ということになっている。エマはちょっと考える様子を見せてから、ゆっくりと口を開いた。


「うん、ケガをした人はいたけど死んだ人はいなかったよ。壊れた橋やも建築術師のクルベ先生が儀式魔法で直してくれたんだ。」


 エマのその言葉に、ニーナちゃんが口に手を当てながら声を上げた。






「まあ、クルベ先生ってもしかして『クルベ大橋』を作られたあのクルベ老師ですか!?」


 クルベ大橋というのはドルーア川を横切るように架けられた王都の三つの橋のうち、一番南側にある橋だそうだ。今から100年程前、川幅が広く実現不可能と言われたこの橋の建設を引き受けたのが、当時の王に建築魔術士として仕えていたクルベ先生だったという。


「クルベ大橋は老師の偉業を称えてその名が付けられたのですわ。わたくしの父もクルベ老師の教え子なのです。」


 ニーナちゃんとカチヤさんが目を合わせて頷きあった。そう言えば二人は同じクンツェル家出身だっけ。ニーナちゃんのお父さんであるクンツェル男爵は、王都の土木工事を担当している。彼女はお父さんからクルベ先生のことをよく聞かされていたらしい。


「老師がいらっしゃれば王都の復興はもっと早く終わるだろうにって、父は嘆いていましたわ。まさかハウル村にいらしたとは思いもよりませんでした。」


 クルベ先生は思っていたよりもずっとすごい人だったみたいだ。そう言えば王立学校の大講堂には先生の立派な肖像画が飾ってあったっけ。でもあれ、あんまり似てないんだよね。


 私が入学式の時に見た絵のことを思い出していたら、エマが心配そうにゼルマちゃんに尋ねた。






「王都はそんなに被害が大きかったの?」


 ゼルマちゃんは痛ましい表情でニーナちゃんと顔を見合わせて言った。


「街のあちこちで爆発や火災が相次ぎ、多くの人が亡くなりました。建物だけでなく船舶にも大きな被害が出て物資の供給が滞り、平民たちは冬の間大変苦しんだそうですよ。」


 王都南の川港とその周辺の被害が特に大きく、ドルーア川東側の貨物港地区と倉庫街、商業区、歓楽街はほとんどの建物、それに多くの船が燃えてしまったそうだ。


「幸い王家が王城の備蓄物資をいち早く開放し、王都防衛隊が総出で仮設の小屋をたくさん建てたので、餓死者や凍死者は最小限に抑えられたようです。ですが未だに生活の見通しが立たない民が多いと聞いていますわ。」


 沈痛な面持ちで語るニーナちゃんの様子を見て私の胸がずきりと痛んだ。被害の大きかった辺りの救民院には、私も何度か足を運んだことがある。私はその時に出会った多くの人たちの顔が思い浮かべ、どうか皆が無事でありますようにと祈った。






「心配は尽きませんが姫様、そろそろお支度をなさった方がよろしいかと存じます。」


 重く沈みこんでしまった雰囲気を変えるように、穏やかな声でジビレさんがミカエラちゃんに言った。


「そうね、遅れたら新入生に示しがつかないものね。ありがとうジビレ。」


 お礼を言ったミカエラちゃんに対してジビレさんは「差し出がましいことを申し上げてすみませんでした」と丁寧に頭を下げ、ミカエラちゃんの出発の準備のためにきびきびと動き始めた。


「では残りの話は、またお夕飯の後にでもゆっくりいたししましょう。サローマ領でのエマちゃんのこと、聞かせてちょうだいね。」


 ミカエラちゃんがそう言って立ち上がると、ニーナちゃんはきらりと目を輝かせた。


「エマさん、サローマ領ではニコル様と何度もお会いになったんですよね!? 是非ともその時のお話を聞かせてくださいませ!」


「え、ニ、ニコルくん!?」


 ニコルくんの名前を聞いたエマは、頬を赤らめ視線をそっと逸らした。






「こらニーナ! エマ様が困っていらっしゃるだろう! ほら、私たちも技能クラスに行くぞ!」


 ゼルマちゃんに片手を引きずられるようにしながらニーナちゃんは部屋を出て行った。エマは気持ちを落ち着かせるように胸に手を当て、ふうっと息を吐きだした。でもまだ耳の先が少し赤くなってる。


「じゃあ私も行ってくるね、お姉ちゃん」


「うん、行ってらっしゃい。お勉強、頑張ってきてね!」


 エマは私に手を振りながらミカエラちゃんと一緒に行ってしまった。


 エマたちは今日から術師クラスで属性魔法について勉強するはずだ。2年生からは勉強の内容が難しくなると聞いている。エマは頑張り屋さんだから少しくらい難しくても大丈夫だと思うけれど、やっぱりちょっと心配だ。


 私がエマの出て行った扉をじっと見つめていたら、ジビレさんが軽くポンと手を叩いて言った。


「私たちもそろそろ仕事を始めましょうか。」


 ジビレさんの言葉に部屋に残った私たちは頷いた。エマたちが昼食を食べるまでの間に掃除や洗濯、繕い物などを済ませてしまわなくてはいけない。私たちは去年と同じように仕事を分担し、早速自分の仕事にとりかかったのだった。
















「火属性魔法の授業を担当するレイエフ・グレッシャーだ。私のことはグレッシャー先生と呼びなさい。」


 広く秀でた額を誇るかのように整髪油を使って髪をきちんとオールバックにしたその男性教師は冷淡な、しかしよく響く声で講義室に居並ぶ生徒たちにそう言った。


 火属性魔法研究棟内のこの講義室にいるのは術師クラスと騎士クラスから選抜された2年生、およそ30名だ。半円形の大きな教室の中心には歴史を感じさせる重厚な講義台がある。グレッシャーは大きな黒板を背にしてそこに立ち、階段状になった座席に座った生徒たちと向かい合っていた。


 男女ごと左右に分かれて座った生徒たちは、教科書である魔術書と短杖を目の前の机に置き、緊張の面持ちで彼の言葉を聞いている。






 教師用の長衣を一分の隙無く着こなしたグレッシャーはその神経質そうな目を細め、生徒たちをねめつけた。細い体躯とこけた頬、それに透けるように白い肌と薄い色の金髪が相まって、まるで亡霊がしゃべっているようだとエマは思った。


 幽鬼のようなその見た目からは年齢を推し量ることもできない。非常に高齢のようにも思えるが、姿勢や振る舞いにはきびきびとした鋭さも感じる。


 彼の落ち窪んだ眼窩の中の目にはゾッとするような冷たい光が満ちており、正面から見つめられると思わず目を逸らしてしまいそうになる。他の生徒もエマと同じ思いのようで、下を向いたり所在なげに体を動かしたりしていた。


 彼は大きな火の魔石があしらわれた杖でコツンと床を突いて生徒たちの注意を引きつけると、おもむろに話し始めた。






「ここにいるのは2年生の中でも魔術の成績優秀者ばかりだ。保有魔力量も極めて高く、将来は王国の中枢で活躍することを目標にしている者も多いことだろう。」


 言葉の上では褒めてもらっているのに、あまりに冷淡な視線と口調のために全然そんな感じがしない。むしろ思い上がっている生徒たちの心を見透かすかのような、戒めの調子さえあるように感じられた。グレッシャーはゆっくりと全員の目を見た後、言葉を続けた。


「だが大きな力にはそれに見合う義務と責任が伴うものだ。それを果たすには正しい知識と誇り高き信念が不可欠。偶々生まれ持った魔力に溺れ、無暗に杖を振り回すような愚か者など王国にとっては害にしかならぬ。」


 静かだが氷の刃で切り裂くようにきっぱりとそう言い切った後、彼はエマの方をちらりと見て言った。


「ハウル村のエマ、立ち給え。」


「は、はい。」


 急に名前を呼ばれ、反射的に立ち上がったため、椅子がガタリと大きな音を立てた。






「・・・それが君の村の作法かね? 優美さの欠片もない。下民らしからぬ振る舞いができると聞いていたが、そんなことでは君に作法を教えた人間の程度が知れるというものだ。」


 グレッシャーの言葉を聞いて、数人の男子生徒が意地の悪い笑いを漏らす。女子の中にも意味ありげに目配せを交わす者たちがいた。グレッシャーはそんな生徒たちを冷ややかな目で睨みつけ、彼らを黙らせた。


 しかしエマはそれどころではなかった。自分の迂闊さを恥じる気持ちと、貴重な時間を割いて行儀見習いをしてくれたガブリエラに対する申し訳なさで、顔がかあっと熱くなる。


 その場にいるのが恐ろしくなり、思わず下を向いてしまった。その拍子に涙が込み上げてきそうになるを必死に堪える。


 どうしたらいいんだろう。とんでもない失敗をしてしまった。あんなにガブリエラ様に色々教えていただいたのに。


 頭が混乱しおろおろと周りを見回そうとしたその時、エマの脳裏にガブリエラの声が閃いた。


『作法の基本は思いやりと慎みよ。相手に対して自分が何を為すべきかを第一に考えなさい。』






 エマはハッとして顔を上げた。そうだ。まずは落ち着いて相手にしっかり向かい合わないと。


 軽く呼吸を整えた後、エマは姿勢を正し制服のスカートを軽く持ち上げた。そしてグレッシャーに対してまっすぐに向き直ると、深々とお辞儀をした。

 

「礼儀知らずな振る舞いをして不愉快な気持ちにさせてしまったことをお詫びいたします。申し訳ございませんでした。」


 エマのお辞儀を見てミカエラやイレーネ、それにニコルがホッとしたように息を吐いた。対して先程彼女を笑った生徒たちは、面白くないとでも言いたげな憮然とした表情になった。グレッシャーはエマが頭を下げ続けているのをしばらく眺めた後、静かに言った。


「よろしい。顔を上げたまえ、ハウル村のエマ。」


「はい。ありがとう存じます、先生。」


 エマは正面からグレッシャーの顔を見つめた。彼は厳しい眼差しで、探るようにエマを見つめていた。






「質問だ。炎を発生させる際の魔力の用い方を説明したまえ。」


 エマは少し考えた後、グレッシャーの質問に答えた。


「はい。万物の根源である魔素マナを火の魔力によって活性化させることによって熱を発生させ、空気と結びつけることで炎を生み出します。」


 グレッシャーは瞬き一つすることなくそれを黙って聞いた後、重ねて質問した。


「では発生させた炎を安定させるための条件とその際に用いる法則を答えなさい。」


「熱の元となる火の魔力と空気を制御する風の魔力、そして炎を収束させるための光の魔力です。マナエール導師の考案された陽式第一法則を用いることで炎の大きさと熱量、収斂度を決めることができます。」


 淀みなく答えたエマに対し、グレッシャーは軽く鼻を鳴らしたあと「よろしい。座りたまえハウル村のエマ」と言った。


 エマは「ありがとうございました。グレッシャー先生」と言ってから丁寧に一礼し、慎重に椅子に腰かけた。今度は音を立てずに座ることができ、ホッと息を吐く。隣に座っていたミカエラはエマの方を見て、目だけでにこりと笑いかけてくれた。






 今、エマが質問されたのは、1年生最後の季末試験でウルスから何度も教わった内容だった。


 エマに最初に魔法を教えたのはドーラだ。けれどドーラの教え方は非常に感覚的。「体の中にある魔力をドバーン!!って出せばいいんだよ」みたいな感じで、とにかくやってみようという方式だった。当然、理論や法則などを教えてもらったことは一度もなかった。


 もちろんガブリエラから基礎的な魔力の仕組みについては教わっていたものの、知らなくてもなまじ魔法が出来てしまうためにエマはこの魔力の理論や法則がなかなか覚えられなかったのだ。


 季末試験もそのせいで幾度となくやり直しをさせられ、ウルスやミカエラに助けてもらって何とか理解することができた。急に質問されたけれどちゃんと答えることができて本当によかったと、エマは胸を撫でおろした。






 エマが座るのを見届けたグレッシャーは別の男子生徒の名を呼び、同じように火属性魔法についての質問をした。


「・・・あ、あの、火魔法を使用中に風の魔力が安定しない場合は、その、詠唱の文言に、いえ、音節を変化させて・・・。」


 しどろもどろになって答えようとする男子生徒を、グレッシャーは睨みつけた。


「もうよい。今の君には誇り高き王国貴族として教育を受ける自覚が足りないようだ。残りの時間で私が今、言ったことの意味を考えていたまえ。座りなさい。」


 グレッシャーは額に青筋を立て、苛立たし気にそう言い放った。男子生徒は顔面蒼白になり、歯をきつく食いしばって震えた声で「はい」と小さく返事をした。






 グレッシャーは次々と生徒たちに質問をしていった。半数ほどの生徒は質問に答えられたが、答えられなかった生徒たちは厳しい叱責を受けることになった。女子生徒の中には目に涙をにじませる生徒も少なくなかった。


 身を斬られるような緊張のなか質問は続き、あとはミカエラとニコル、それにイレーネとリンハルト王子を残すのみとなった。


「ミカエラ・バルシュ。立ちなさい。」


 落ち着いた調子で返事をして、ミカエラが優雅に立ち上がる。グレッシャーはミカエラに火属性魔法を使って物体を冷却する場合の、対象の属性による差と魔力消費の関係について質問した。


 ミカエラはそれぞれの属性について淀みなく答えた後、さらに付け加えて説明を始めた。


「なお魔力範囲内に魔力結節ノードが存在する場合、魔道具によっては冷却動作時に誤差があることも考えられます。その場合は誤差修正のための反応式を・・・。」


「もうよい。十分だ、ミカエラ・バルシュ。座りたまえ。」


 説明を始めようとしたミカエラを、グレッシャーは軽く手を挙げて制した。教室の生徒たちが称賛の眼差しを向ける中、ミカエラは美しい所作で礼を述べ椅子に腰かけた。






 エマとミカエラは視線を合わせ、二人で同時にそっと息を吐いた。今の質問はあまりにも難し過ぎた。明らかに2年生の学習内容を逸脱した質問だ。エマはミカエラが立っている間ずっと、自分が手をきつく握りしめていたことに気が付いてこっそりと指を動かした。


 もちろんミカエラが普段からよく勉強しているのは、誰よりもエマがよく知っている。けれど質問の難易度が高かったせいで、ミカエラが答えられないのではないかとエマはハラハラしてしまったのだ。


 今、質問された内容をミカエラがウルス王子から教わっていたのを、エマも隣で聞いていたけれどほとんど理解できなかった。もしも自分が同じ質問をされていたら到底答えられなかっただろう。背中に冷たい汗が流れるのを感じ、エマはもぞもぞと体を動かした。


 そこで、エマはふとあることを思いついた。






 もしかして先生は私たちが季末試験で躓いたところを分かったうえで質問しているのかしら?


 エマのその思いつきは続くニコル、イレーネへの質問を聞くことで確信に変わった。ニコルやイレーネとは錬金術研究室で一緒に勉強会をしていた。だから二人の苦労していた分野もよく分かっている。


 グレッシャーはその分野を的確に突く質問をしていた。それに二人が卒なく答えた時、エマはグレッシャーがごくわずかに表情を変化させたように感じた。


 もしかして、あれは笑っているの? 顎やこめかみ、そして目尻が微かに震えたように見えた。


 多分、間違いない。先生はここにいる全員の苦手分野が分かっている。そしてそれがちゃんと身に付いてるかを確かめるため、一人一人に質問をしているんだ。なんてすごいのかしら!


 それからというもの、エマの目には恐ろし気なグレッシャーの表情が全く別のもののように思われたのだった。






「リンハルト・デ・ラ・グラディア・ドルアメデス。立ちなさい。」


 最後に名を呼ばれたリンハルトが立ち上がり、グレッシャーの質問に淡々と答えた。しかしリンハルトが答え終わった後も、グレッシャーはしばらく無言のまま、彼のことを見つめていた。


 生徒たちがどうしたのだろうと思い始めた頃、力のこもった目付きでリンハルトを睨んでいたグレッシャーはふと我に返ったように彼に向かって言った。


「・・・大変よろしい。今後も王家の名に恥じないよう努力を続けたまえ。」


 リンハルトが座ったのを見届けた後、生徒たちをゆっくりと睨むように見回してから、グレッシャーは言った。


「今回、質問に答えられなかった者には次回、再度同じ質問する。授業を始める。教科書を開きたまえ。」






 長い長い個別の質問時間がやっと終わってホッとした生徒たちだったが、その後の授業はそれまでの質問時間が春の陽光に感じられるほど辛辣で厳しいものだった。


 黒板を用いての説明の後、グレッシャーは教科書の内容について生徒たちの考えを次々と発表させた。彼はそれを聞き、さらに生徒たちに質問をする。そしてそれに答えられなかった生徒には情け容赦ない叱責を浴びせた。


「栄えある王立学校でこれまでの間に一体何を学んできたのかね?」


「この程度のことが理解できずよく臆面もなくその家名を名乗れたものだ。」


「そのようなことで王国貴族としての責務を果たせると本気で思っているのか?」


「今の君の答えを聞いたら君の領民はさぞ呆れることだろう。恥を知りたまえ。」


 ミカエラなど一部の成績優秀者を除き、ほとんどの生徒が涙目になるまでコテンパンに叩きのめされることとなった。もちろんエマも例外ではない。午前の授業終了を知らせる鐘が鳴り響いた時、生徒たちは全員が心からの安堵の表情を浮かべこっそりと息を吐いた。






「次回の授業は来週の同じ時間だ。それまでに今日質問されたことをきちんと理解できるよう各自励むように。」


 生徒たちは息を飲みグレッシャーを見返した。顔を引きつらせる者、曖昧な笑みを浮かべる者、目に力を込めてグレッシャーを睨み返す者。反応は様々だが、どれも好意的とは言えない視線ばかりだ。その中でエマだけは嬉しそうな顔でグレッシャーを見つめていた。


 そそくさと席を立って教室を出ていく生徒たちをグレッシャーは黙って見ていた。だが自分に向けられたエマの視線に気づくと、すぐに彼女を呼び止めた。


「待ちたまえ、ハウル村のエマ。」


 ミカエラと共に教室を出ようとしていたエマが振り返ってグレッシャーのところに進み出る。そんなエマをある者は気の毒そうに、ある者は意地の悪いほくそ笑みを浮かべて視線を送った。彼らは後ろを気にしながらも、エマとミカエラを残して教室を出て行った。


「はい。なんでしょうかグレッシャー先生。」


 グレッシャーは嬉しそうに自分を見上げるエマを探るような目で見下ろした。彼の目には怒りとも疑心ともつかない光が満ちている。彼は自分の内心を隠すかのように、押し殺した声でゆっくりとエマに問いかけた。






「なぜ君は・・・笑っているのかね?」


 まるで自分を馬鹿にしているのかとでも問いたげな様子で、彼はエマを睨みつけた。エマは驚いて表情を引き締めた後、すぐに言った。


「先生が私たちに一生懸命教えてくださっているのが嬉しくて、つい顔に出てしまいました。不愉快な思いをさせてしまったのでしたらお詫びいたします。申し訳ございません。」


 エマはきちんとお辞儀をしてグレッシャーに詫びた。それに対して彼は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに表情を改めて言った。


「私は授業の中で君に詰問した。それを不愉快だとは思わなかったのか?」


 エマはきょとんとした表情でそれに答えた。


「いいえ。先生が私のために理解の足りないところを指摘してくださっているのが分かりましたから。」


 エマの答えにグレッシャーは薄い眉をピクリと動した。だがエマはグレッシャーに聞いてもらえることが嬉しかったためにその変化に気が付かず、話を続けた。


「私の父さ・・父も村の男の子たちに森のことを教えるときには、先生と同じくらい厳しく接しています。それは男の子たちを森で死なせたくないからだって言ってました。魔獣の森で働く木こりは命懸けだからって。私、先生の教えてくださる様子を見て、父と似てるなって思ったんです。父は決まりを守らなかった男の子を捕まえると広場の木に縛り付けるんですよ。一度なんか・・・。」






 無邪気に話すエマをグレッシャーは食い入るように見た。その目は血走り、額には青筋が浮かんでいる。ミカエラは少し離れたところからハラハラしながら見守っていたが、たまりかねたように前に進み出た。


「エマさん、恐れ多いですよ! 先生を平民であるあなたのお父様になぞらえるなんて!」


 ミカエラに強く叱責されたエマは弾かれたようにその場に跪き、グレッシャーに謝罪した。


「大変失礼なことを申し上げてしまいました。どうかお許しください。」


 自分のしていたことに気が付いて青い顔で頭を下げるエマをグレッシャーはじっと見つめた。だがやがてふっと息を吐き、持っている杖でこつんと床を突いた。エマがその音に驚いて顔を上げると、グレッシャーは彼女を見下ろしたまま言った。






「物を知らぬ平民たみの言葉にいちいち腹を立てる道理はない。立ちなさいハウル村のエマ。」


 エマがおずおずと立ち上がる。グレッシャーは冷淡な、感情の籠らない声でエマに言った。


「君に私を侮る気持ちがないことは分かった。だが今の発言は貴族を軽んじていると取られても仕方がない。言動は厳に慎みたまえ。将来はどうあれ今の君は平民なのだからな。」


「はい。申し訳ございませんでした。」


 エマが謝罪すると彼は無言のまま杖を軽く動かし二人に退室を促した。教室の外ではイレーネとニコルが廊下に立ち、二人を待っていてくれた。さらに廊下の向こう側では男子生徒が数人ずつ固まってこちらの様子を窺っている。彼らはエマの泣き顔を見てやろうかとでもいうように、意地の悪い表情をしていた。






「エマさん、大丈夫でしたか?」


 心配そうに尋ねるイレーネにエマは笑顔で答えた。


「うん。失敗しちゃったけどミカエラちゃんのおかげで何とか許していただけたよ。本当にありがとうね、ミカエラちゃん。」


「いいえ、私がもう少し気を付けておくべきだった。ごめんなさいエマちゃん。でも大事にならなくて本当によかったね。」


 二人が笑顔を交わすのを見て、ニコルとイレーネもホッと息を吐いた。それに引き換え遠くで様子を窺っていた生徒たちは、つまらなそうに顔を顰めた。


「じゃあ僕は男子寮に戻ります。詳しい話はまた今度聞かせてくださいね。」


 ニコルが三人から離れて歩き始めると、遠くで様子を窺っていた生徒たちも慌てて廊下の向こうに消えていった。






「ではわたくしたちも食事に参りましょう。『氷のレイエフレイエフ・ド・アイスマン』にエマさんがどんなことを言ったのか、私にも是非聞かせてくださいませ。」


 イレーネが面白がるようにそう言うと、ミカエラはくすりと笑みを漏らした。


「まあ、イレーネさん! 今の言葉をグレッシャー先生に聞かれたらお説教じゃすみませんわよ。」


 二人は顔を見合わせて笑う。二人にエマが尋ねた。


「ねえ『氷のレイエフ』って何?」


「グレッシャー先生の二つ名ですわ。先生は火属性魔法の中でも氷雪系魔法の達人なんですって。ヴォルカノス先生と火属性魔法研究室の研究主任の座を争ったほどの方だとお聞きしていますわ。」


「あとすごく授業が厳しいことでも有名で、これまでに何人もの生徒が落第点を付けられ補習を受けさせられているそうよ。それに先生の笑顔を誰も見たことがないんですって。ウルス殿下が教えてくれたの。」


 『氷のレイエフ』とはグレッシャーの得意魔法とその幽鬼のような見た目を揶揄して生徒たちが付けたあだ名なのだそうだ。しかしエマは首を捻って二人に問いかけた。






「んー、でも先生、授業中に何回か笑ってらっしゃったよね?」


 エマがそう言うと二人は驚いて同時に顔を見合わせた。


「エマさん、何を言っていますの。先生は授業の間ずっと苦い薬を飲まされたような顔をなさっていましたわよ。そうでしょ、ミカエラさん?」


「ええ、私も見なかったわ。エマちゃんは先生が笑っているところを見たの?」


「そんな気がしたんだけど・・・。」


 エマは自分が感じたことを二人に話してみた。


「生徒の苦手な所を選んで質問していると。なるほどですわね。言われてみれば思い当たる節があります。」


 イレーネはさっき自分がされた質問を思い返しながら言った。






「私は先生がわざと私を追い詰めるつもりで質問をされているのだとばかり思っていましたわ。だって苦手な所をしつこく聞いてくるんですもの。でもそういう考え方もできますのね。」


 感心したように呟くイレーネに、ミカエラが苦笑しながら言った。


「エマちゃんは良くも悪くも素直だもの。先生の真意がどちらなのかは分からないわ。」


 そう言われるとエマにもどちらが真実なのか分からなくなってしまった。でもエマはグレッシャーがただ厳しいだけの教師ではないように思えた。


 そうだ、お昼ご飯の時にドーラお姉ちゃんにも聞いてみようっと。


 エマはそう思いながら、ミカエラ、イレーネと共に第六寮女子棟の食堂を目指して歩き出したのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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