表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
59/93

58 兄弟 後編

なかなか投稿できずまた長くなってしまいました。読みにくくなってしまってすみません。あと2話で終われるかなー。

 夏の太陽が明るく差すグレッシャー領主城に、兵士の緊急出動を促す鐘が鳴り響いた。一定のリズムで刻まれる鐘の音に操られるかのように、物言わぬ黒い鎧の兵士たちが城内から、兵舎から城門前広場へと飛び出していく。


 エマは朦朧とした状態でそれを聞きながら、仲間たちを無事に着地させるまで懸命に意識を保っていた。そして全員が城門前の石畳に降り立ったのを確認すると同時に気を失い、その場に崩れ落ちた。


 兵士たちは彼女たちを取り囲むように続々と集結しつつある。彼女たちのすぐ後ろには見上げるほど巨大な城門があるが、すでにそれは門を守る兵たちによって固く閉ざされていた。


 テレサ、リア、ロウレアナの三人は気を失っているエマとレイエフを抱え上げると、すぐに城門を背に後退した。それぞれに武器を構え、自分たちを取り囲む兵士たちと対峙する。


 リアはついさっきまで気の毒になるほど震えていたテレサに声をかけた。






「すみませんでしたテレサ様。大丈夫ですか?」


 テレサは乱れた法服をさっと整え涙を拭うと、小さく咳ばらいをした後、彼女に応えた。


「・・・地面に足が付いていれば何という事はありません。飛び出すのを助けてくださってありがとうございました。それよりもこれはまずい状況ですね。この門を開けられそうですか?」


 リアはちらりと城門を見上げた。かつて帝国との激戦を繰り返していた時代に作られた城門は重厚な金属で作られていて、とても人間の手で何とかなる代物ではない。


 これを開けるには城門脇の守備塔にある開閉装置を操作しなくてはならないのだ。しかし地上の守備塔入り口は黒い鎧の兵士たちによって固く守られている。


 リアはそれを見取ったうえで、テレサの問いに答えた。







「壁に足がかりがあるので少し時間をかければ上の望楼から守備塔に侵入することは可能です。守備塔の兵たちを排除できれば門を開けることができます。」


 そう言った後、リアは目で問いかけるようにテレサを見た。門を開くためにリアがこの場から一時離脱するということは、テレサとロウレアナだけで気絶した二人を守りながら戦わなくてはならないということだ。


 押し寄せてくる敵はざっと見ただけですでに数百を越えている。しかもそれが続々と増え続けているのだ。


 兵士たちはテレサたちに逃げ場がないことを知っているからか、無理に攻めることなく周りをしっかりと取り囲むように陣形を整えている。


 さっきの戦いを見て彼ら一人一人の戦闘力がテレサに遠く及ばないということはすでに分かっていた。人間離れした速度と膂力、それに何度倒れても立ち上がってくることを除けば、テレサの脅威となる相手ではない。


 ただ、いかにテレサと言えども、陣を組んで前進してくる兵士たちを押し返すことはできないだろう。これだけの物量で押し寄せられてはさすがに一人の人間などひとたまりもない。リアはそう考えて、テレサに視線を送ったのだ。


 しかしテレサは案ずるリアに対して、小さく笑ってみせた。






「心配無用です、リアさん。エマは最良の場所を選んで降りてくれましたよ。ここならば私の力を十全に振るうことができます。あえて城門を越えて街に出なかったのは、街の住民に戦いの被害が出ることを恐れたからでしょう。」


 もちろん、テレサもエマがこれ以上遠くへ仲間たちを運べなかったのだということは分かっている。


 ただでさえ集中力を必要とする操作系の魔法を複数対象へ同時に発生させるだけでも、かなりの無理をしたはずだ。高い城門を越えることは不可能だったのだろう。


 だがそれ以上にエマがこの場所を選んだ理由は、ここであればテレサが仲間を守ってくれることを期待していたからだということも分かっていた。


 テレサは自分の力を信じてくれた愛弟子エマの寝顔をそっと覗き見た。フードの中のエマは青白い顔をして、浅い呼吸を繰り返している。体内の魔力の流れが正常になるまでは、目を覚まさないだろう。


 城門が開くまでの間、何とか持ちこたえなくてはならない。テレサはエマの信頼に応えるべく力を込めて両方の拳をぐっと握りしめた。






「ここは私に任せてください。城門が開くまでエマには指一本、触れさせません。ですからリアさんは城門の攻略に集中してください。」


 テレサの力強い言葉でリアの覚悟も決まった。リアに任された仕事は城門脇の守備塔を上り、上部の望楼から内部に侵入して城門を開けること。しかしそれは口で言うほど容易ではない。


 守備塔は見上げるほどに高いうえに上部に行くほど反りのある造りになっているからだ。当然、下から登って攻略されないための構造である。


 そのため登攀に集中しなくてはならず、上っている間はほとんど無防備になってしまう。敵は当然リアが上に行くのを阻止しようとするだろう。






 しかも望楼にも鎧兵士たちが待ち構えている。望楼自体はさほど大きくないためその数は多くないが、リア一人で相手にするにはかなり厳しい数だ。


 果たして彼らの攻撃を搔い潜り、城門の開閉装置まで辿り着けるかどうか。現在王国内で最高と言われる密偵の技を身に着けたリアにとっても、それは容易なことではない。


 しかしリアは顔を覆う覆面の下で、テレサと同じように笑みを浮かべた。


「承知しました、テレサ様。私の持てる技のすべてを駆使して、必ずやり遂げてみせましょう。ロウレアナ様、援護をよろしくお願いします。」


 三人の女たちは互いに目線を合わせると無言で頷き合った。そして迫りくる戦いでそれぞれの役割を果たすべく、素早く動き始めたのだった。











「なんだ、これは? 一体、何が起こっている!?」


 護衛の鎧兵士たちと共に尖塔から城門前広場へと降りてきたグレッシャー子爵は、目の前の光景を見て驚愕の叫びを上げた。


 戦場となっている城門前広場に光り輝く線が翻るたび、轟音と共に黒い鎧を着た強化兵たちがまるで砂礫のように宙を舞っている。


 兵士たちが取り押さえた弟に自らの剣で止めを刺そうと思っていた子爵は、目の前のその光景が信じられず、あんぐりと大きな口を開けて呆然と立ち尽くした。






 押し寄せてくる兵士たちを次々と跳ね飛ばしているのはもちろんテレサだった。彼女の両手には子供の胴ほどもある太い鎖が握られていた。


 彼女はその光輝く2本の鎖を持ったまま、まるで闘神に祈りを捧げる巫女のように華麗に舞っている。巨大な鎖が宙をたなびく姿は、長い羽衣を纏っているかのような優美さすら感じさせた。


「聖女流格闘術秘奥義! 聖鎖乱舞!!」


 テレサの神力で強化された金剛鋼アダマンタイトの鎖が押し寄せてくる兵士たちの戦列を大きく薙ぎ払う。重い鎖の一撃は兵士たちの鎧を粉々に打ち砕き、彼らを風に吹かれるタンポポの綿毛のように吹き飛ばした。


 恐れも痛みも知らない兵士たちはそれでもなお立ち上がろうとするが、そこにさらに鎖の一撃を受けて手足の骨を砕かれてしまう。砕けた石畳の上で藻掻く兵士たちを踏み越え、さらに後続の兵士たちがテレサに迫った。


 しかしテレサは再び、自由自在に伸び縮みする鎖を振るって兵士たちを薙ぎ払う。広場を埋め尽くすほどの兵士たちがいる中で、テレサの周りだけぽっかりと空間ができていた。


 まさに一騎当千。鬼神の如き戦いぶりである。






 これだけ圧倒的な力の差を見せつけられれば普通、戦意を喪失して兵士たちが離散し戦列は崩壊しているはず。


 しかし魔法薬によって自由意思を奪われた強化兵たちは子爵の命令に黙々と従い、無駄とも思える攻撃を続けてくる。彼らは鬨の声はおろか悲鳴すら上げることがないため、戦場は異常なまでに静かだった。


「くそっ、小癪な真似を!! 飛び道具を使え!! 矢や投石で奴らを攻めるのだ!!」


 子爵の命令によって兵士たちが動き出す。だが子爵はすぐにその命令が無意味であることを思い知らされた。






「世界を満たす大いなる水の精霊、麗しき清流の乙女よ。その優しき流れを持って、我らが身を悪しき矢より守れ。《外れ矢の水幕》」


 ロウレアナの詠唱が終わると同時に、彼女のすぐ側に浮かんでいた清流の乙女ウンディーネが水で出来た美しいその両手をさっと広げた。


 美しい虹の煌めきを伴って広がった薄い水の幕は、彼女たちに向かって放たれた矢や投石の軌道をことごとく変化させ、攻撃の狙いを逸らしていった。外れた矢や石は堅牢な城門に次々と当たって砕け散っていく。


 ロウレアナはさらに弓を構えると、続けて呪文を詠唱した。






「すべての命を満たす水の精霊よ。我の求めに応じ、我が敵の命を絶つ猛毒の一矢となれ。《水精の毒矢》」


 詠唱終了と同時に彼女は、引いていた愛用の強弓を上空に向けて解き放った。魔法の水で出来た矢はまっすぐに飛び、壁を上るリアに攻撃を仕掛けようとしていた望楼上の兵士の面防を貫く。


 矢で射抜かれた兵士の体は水の精霊の毒に侵され、たちまち体中の水分を毒素へと変えられた。いかに強化された体を持つと言えどもこれに耐えることは出来ず、哀れな兵士は悶絶しながら望楼から落下した。


 ぐしゃりという嫌な激突音ともに、石畳の上に黒い血の花が咲く。それを見た望楼上の兵士たちは、ロウレアナの矢を警戒して防壁の内側に後退した。






 リアは壁に取り付いたままちらりとロウレアナの方を向き、目で彼女に感謝を伝えた。ロウレアナはリアに向かって叫んだ。


「あまり数撃てる魔法ではありません。急いでください!」


 リアは小さく頷くと、再び壁を上り始めた。壁にある僅かなくぼみや石組の隙間に指をかけ、反り返る壁を登っていく。あとは防壁のすぐ下に取り付けられた登攀除けの鋭い金属棘を越えるだけだ。


 彼女は両手を壁に掛けたまま大きく体を揺らすと、壁を強く蹴って空中で大きく蜻蛉を切った。そして懐から素早く鉤付きの金属糸ワイヤを取り出し、防壁に向かって放った。






 落下すると同時に、防壁の縁に掛った鉤を手繰り寄せた彼女は、一気に防壁に取り付いた。しかしそこに防壁を守る鎧兵士の三叉槍が突き出される。狙いすました鋭い一撃は、信じられないほどの速度で彼女に迫った。


 壁を掴んでいてはとても避けられない。瞬時にそう判断した彼女は壁を掴んでいた両手を強く離し、その勢いで体を大きく後ろへ逸らした。


 致命的な一撃は何とか回避できたものの、三叉槍の脇刀が彼女の灰色の装束を切り裂き、空中に鮮血が舞う。


 リアは焼け付くような腹部の痛みを堪え、繰り出された槍の柄を両手で掴むと自分の体をグイっと槍の上に引き上げた。そのまま柄を中心に化鳥の如く体を一回転させると、繰り出された槍の上にすとんとつま先で立つ。


 兵士がその槍を引くよりも早く、彼女は槍を大きく蹴って飛び上がった。そして槍を持った兵士の頭を飛び越えると、一息に望楼の内側へと飛び込んだ。彼女の槍を蹴られた兵士はバランスを崩し、槍を掴んだまま下へと落下していった。






 リアが望楼へ入ったのを確認したテレサとロウレアナは、ホッと安堵の息を吐いた。しかしその直後、彼女たちは驚きの声を上げることになった。


 なんと正面から彼女たちに迫る前線の兵士たちの頭の上を飛び越えるようにして、次々と兵士が空中に飛び出してきたのだ。


 驚くべきことに鎧兵士たちは互いの体をしっかりと絡み合わせることで簡易的な櫓をいくつも組み上げ、そこを駆け上がって空中から攻撃を仕掛けてきていた。


 櫓の下部に組み込まれた兵士たちの手足は、仲間の重量を支えるために折れ曲がり、酷い状態になっている。痛みを知らない強化兵だからこそできる荒業。もちろん、これはすべてグレッシャー子爵の指示によるものだ。


 人を人とも思わない非人道的な行為に、テレサはぎりりと奥歯を噛みしめた。しかし当の子爵は兵士たちの後ろでほくそ笑んでいるため、どうすることもできない。






 テレサは上空からこちらへやってくる兵士を咄嗟に鎖で打ち払おうとしたが、立体的に攻撃を仕掛けてくる敵をすべて打ち払うことは出来ず、たちまち距離を詰められてしまった。


 間合いを詰めた兵士たちはテレサの動きを止めるため、彼女の手足目掛けて飛びついてきた。なりふり構わない捨て身の攻撃だ。


「くっ・・・!!」


 テレサは仕方なく神力で作り出した《聖女の縛鎖》を解除し、拳と蹴りで兵士たちを撃退した。しかし彼女が鎖を手放したことで、兵士たちの押し寄せる圧力が一気に高まった。


 このまま押しつぶされる!


 ロウレアナがそう思ったとき、テレサの朗々とした祈りの声が響いた。






「世界を守護する聖女よ。我が祈りに応え、悪しき者から弱き者を隔離する全き守りを授け給え!《侵されざる神の家》!!」


 祈りと同時にテレサを中心に半球状の光の壁が現れ、その場にいる4人を包み込んだ。押し寄せる兵士たちはその壁に阻まれ、前進することができなくなった。最前列にいた兵士が、後ろから押し寄せる仲間に押され光の壁に押し付けられる。めしゃっという嫌な音が響いた。


「テレサ様、これは・・・!?」


 エマとレイエフを庇って門のすぐ前まで後退したロウレアナがテレサに問いかける。


「籠城戦用の結界魔法です。」


 テレサは祈りを捧げながら短くそう答え、ロウレアナの方へじりじりと後退した。それに応じて光の壁も少しずつ小さくしていく。






 これは長い戦いの時代、籠城戦用に開発された結界神聖魔法だ。本来ならば教会に立てこもった信徒を戦いから守る為、建物そのものを強化する目的で複数の聖職者によって行使される魔法。


 しかし今は強化する建物がないため、光の結界のみを作り出して敵の侵入を防いでいる状態だ。かなり変則的な使用だが、効果は抜群。テレサが祈りを捧げている間は何人たりともこの中に立ち入ることは出来ない。


 その反面、こちらから外へ攻撃をすることもできない。これは純粋に守りに特化した魔法なのだ。テレサの奥の手でもあった。


 今のテレサはドーラに匹敵する不滅の魔力を持っているため、このまま何日でも祈りを捧げ続けることができる。だからといってこのままここから動けずにいるのでは何の意味もない。


 あくまでこれは時間稼ぎであり、状況が変わるまでの一時しのぎに過ぎないのだ。






 今、テレサは城門が開くのを待っている。


 彼女たちの背後にある城門の扉をリアが解放してくれれば、テレサが自らを盾として時間を稼ぎ、ロウレアナたちを脱出させることができるからだ。


 もちろん単身、開閉装置を守る鎧戦士たちを躱して扉を開くことがどんなに困難か、テレサも十分に分かっていた。だが今はリアを信じるしかない。


 テレサはリアの無事を祈りつつ、押し寄せる鎧兵士たちを退けるため、結界に自らの魔力を流し込んでいった。











 テレサが籠城を始めたのとちょうど同じ頃、リアは襲い掛かってくる鎧兵士たちを翻弄しながら、守備塔の内部にある開閉装置を目指していた。


 無事、望楼に侵入したリアだったが、そこにはまだ6人もの鎧兵士が彼女を待ち受けていた。兵士たちは全身を黒い金属鎧で固めているため、彼女の持つ短刀で致命傷を与えるのは困難。


 鋭い攻撃を掻い潜って鎧の隙間に一撃を加えても、魔法薬で超回復能力を得た兵士には効果が薄い。普通の人間であればすぐに行動不能になるほどの傷でも、僅かに行動を遅らせる程度の効果しかない。


 攻め手がないリアに対して、敵は常人では考えられないような身体能力を駆使して攻撃を加えてくる。ただ薬の影響で自由意思を奪われているためか、彼らの攻撃には単調でどこか一本調子なところがあり、そのおかげでリアは何とか攻撃をやり過ごすことができている状態だった。






 両者の攻防は一進一退で膠着していたが、体力と膂力に限界があるリアの方が若干分が悪い。少し焦りを感じ始めた頃、リアは城門の前での戦闘音がしなくなったことに気が付いた。


 もしやテレサ様が倒されたのか?


 嫌な想像が彼女の胸に広がった。僅かに動揺した為か、兵士の繰り出した槍の一撃がリアの脇腹をかすめる。彼女の灰色装束に新たな血の染みが生じた。


 望楼に飛び込んだ時に受けた傷も塞がっていないため、彼女の灰色装束の腹部は赤黒い血で大きく変色している。


 さほど大きな傷でないが、このままではいずれ出血のために動けなくなるだろう。もはや一刻の猶予もない。


 リアは覚悟を決めると胸の前で指を組み合わせ、素早く複雑な印を結んだ。彼女の動きが止まったことで兵士たちは一斉に彼女目掛けて攻撃を仕掛ける。


 だが次の瞬間、彼女の姿は光に溶けるように消えた。彼女を攻撃しようとしていた兵士たちが、戸惑ったように動きを止める。兵士たちは姿を消した彼女を探して、周囲を見回した。






 実はその時、リアは兵士たちの頭上にいた。まるで幻惑の魔法でも使ったかのような不可解な動き。しかし魔力を持たないリアには当然魔法など使えるはずもない。


 これは王国密偵に伝わる数々の秘技の一つ、霞隠れの術だ。彼女は戦いの最中にあえて足を止め、複雑な印を結ぶことで敵の視線を意識的に集めた。そしてその隙に予備動作なしで素早く上空に飛び上がったのである。


 鍛えぬいた体術と高度な視線誘導を組み合わせた秘技だが、敵の前で動きを止めるのだから当然、捨て身の技。実戦でこの技を使いこなせるのは王国密偵の中でもリアと彼女の祖母コネリの二人だけだ。






 リアは上空から地上の戦況を素早く探った。兵士たちが城門前に殺到していてテレサたちの姿が全く見えない。しかし獲物に群がる蟻のような兵士たちの間から、高度な神聖魔法特有の金色の光が僅かに漏れ出ているのが見える。


 そのことだけで彼女はテレサの意図をすべて察することができた。


 彼女はすぐ下にいる兵士たちの兜にすとんと着地すると彼らの頭をポンポンと踏み越え、開いていた入り口の扉から一気に守備塔の内部に飛び込んだ。


 そこは10歩四方の正方形をした部屋だった。様々な武具や防具、籠城戦用の兵器が置かれている部屋の奥の壁には、城門の開閉装置の把手レバーがある。






 リアは素早く部屋の扉を閉めると、備え付けの閂で内側から扉を閉ざした。直後、金属製の扉が凄まじい勢いで揺れる。おそらく鎧兵士たちが捨て身で体当たりをしているのだろう。


 扉を固定する金具はかなり頑丈に作られているが、扉が揺れるたびにギシギシと軋みを上げている。おそらくそう長くはもたない。リアはすぐに城門の開閉装置に向かった。


 金属製の巨大な把手は下がった状態で固定されていた。この固定を解除し、把手を引き上げれば城門が開くはず。彼女は把手の根元にあった固定具を外し、両手で把手を引き上げようと試みた。


 しかし把手はピクリともしない。もう一度、調べてみたが把手の固定は確かに解除されている。単純に彼女の引き上げる力が足りていないようだ。


 それもそのはず、この開閉装置は本来であれば数人の兵士が協力して操作するもの。小柄な女性一人の力で動かせるようなものではないのだ。


 だからと言ってここで諦めるわけにはいかない。リアは把手の下に潜り込むと、肩に把手を当ててぐっと力を込めた。足を踏ん張り、全身の力を使って把手を持ち上げようとする。






 だが把手は動かない。それでも彼女は諦めなかった。僅かでも動かすことができれば、おそらく装置の自重で扉は開くはず。そう確信していたからだ。


「動け!!」


 覆面の下の顔を紅潮させ、彼女は必死に力を振り絞った。無理をしたせいでここまでの戦いで受けた傷が開き、血が噴き出す。それでも彼女は歯を食いしばり、全力で把手に立ち向かった。


 把手に当てている左肩からめしりと嫌な音が響き、激痛が走る。鎖骨が折れたのだ。だが彼女は力を込めるのを止めなかった。






 噴き出した汗と血に塗れ、噛みしめた奥歯が砕けそうになったその時、彼女の肩にかかっていた重みが不意に消えた。続いてガラガラと何かが動く音が壁の奥から響く。ついに開閉装置が動いたのだ。


 それと時を同じくして、守備塔の扉が外から打ち破られた。暗い室内へ明るい光と共に、黒い鎧の兵士たちが雪崩れ込んでくる。


 体当たりを繰り返したためだろう、彼らの鎧はあちこちが破損し、薬品で焼け爛れた皮膚がむき出しになっていた。しかしその肉体はそのものは全く傷ついていない。魔法薬の齎す超回復能力の効果だ。


 彼らは俊敏な動きでリアを取り囲んだ。今、城門はゆっくりと開きつつある。リアを速やかに排除することができれば、開くのを止めることができる。






 当然リアもそれが分かっている。だから今、この把手の側を離れるわけにはいかない。テレサたちが脱出するまで、彼女はここを文字通り死守するつもりだ。


 もっとも今のリアに、兵士たちの攻撃を躱してすでに脱出するだけの力は残っていない。血を流しすぎた上に、無理をして力を込めたせいでもう満足に体を動かすことができないからだ。


 彼女は開閉装置の把手の前に立ち塞がり、右手で短刀を構えた。鎖骨の折れた左腕はもう持ち上がらなくなっている。朦朧とする意識を奮い立たせるため、彼女は物言わぬ兵士たちに向かって叫んだ。


「さあ来い、哀れな傀儡ども!! 王国密偵の最後の技、とくと味わうがいい!!」






 彼女の声が合図となったかのように、兵士たちは一斉に彼女に向かって攻撃を仕掛けた。槍矛や三叉槍の鋭い刃が彼女の体を貫く。


 だが兵士たちの攻撃でずたずたに引き裂かれたのはリアではなく、彼女の着ていた灰色装束だけだった。


 彼女は装束を素早く脱ぎ捨てると自分の身代わりとしてその場に残し、攻撃を躱したのだ。王国密偵に伝わる秘技の一つ、空蝉の術である。






 攻撃を躱したリアは下着姿のままあえて敵中に飛び込み、短刀を横薙ぎに振るった。自分を取り囲む6人の兵士のうち、鎧が破損してむき出しになった2人の首を一気に跳ね飛ばす。


 超回復力があるとはいえ、首を跳ね飛ばされては流石にひとたまりもない。2人の兵士はあおむけに倒れた。兵士たちの間合いに飛び込んだリアは最後の力を振り絞り、返す刀で次の兵士を狙った。


 黒い鎧が破損している今が好機。たとえ相打ちになったとしても、全員討ち取ってみせる。


「うおおおっ!!」


 彼女は気魄のこもった雄たけびを上げながら、鋭い一撃でさらに3人の首を跳ね飛ばした。残る兵士はあと1人。






 しかし彼女の善戦もここまでだった。攻撃で体勢を崩した彼女の胴に、兵士の鋭い蹴りが繰り出されたのだ。金属の具足がめり込んだ体からめきめきと骨の砕ける音が響く。


「ぐはぁ!!」


 彼女は口と鼻から血の混じった液体を噴出し、細い体を二つに折ったまま部屋の石壁に叩きつけられた。把手の側の床に激しく転がった彼女はすぐに立ち上がろうとする。だが足に力が入らない。


 なんとか呼吸しようするたびに蒸せて血を吐いてしまう。折れた骨で肺を傷つけてしまったのだ。それでも彼女は諦めなかった。


 動かない体を引きずって必死に把手に取りすがる。そして自分に向かってくる兵士に向かって、短刀を構えた。物言わぬ兵士はそんな彼女に向かって静かに槍を向けた。


 もはやこれまで。だが最期に一太刀浴びせてやる。


 彼女は覚悟を決め、自分を刺し貫くだろう槍の鋭い穂先をじっと見つめた。






 死の痛みは恐ろしくない。ただカールから託されたエマの身を最後まで守れなかったのは悔しかった。


 果たしてテレサたちは無事に脱出できただろうか。彼女たちの無事を確認できないのは心残りだが、今は一瞬でも時間を稼ぐことの方が大事だ。


 それが王国密偵としての彼女の誇り。主人であるカールに対する彼女なりの忠義の尽くし方に他ならない。


 そう、これは忠義だ。自分のような者を家族と呼んで大切に扱ってくれたカールに対する忠義なのだ。


「リアは私にとってかけがえのない妹のようなものだよ。」


 幼い頃、そう言って自分に笑いかけてくれたカールの優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。途端にリアの胸がずきりと痛んだ。しかしついさっきまで感じていた心残りは、なぜだかすっきりと消え去っていた。


 リアはこちらに突き出される槍に合わせて短刀を振るうため、焦点の合わない目を必死に凝らした。兵士が槍を構えた手をわずかに後ろへ反らす。リアは慎重にタイミングを計った。






 その時、目の前の兵士が突然動きを止めた。懸命に間合いを測っていたリアの動きも止まる。


 なぜ急に動きを止めた?


 訝しむリアの目の前で、兵士の体がバラバラと崩れ落ちた。まるで壊れた人形のように兵士の首と手足が胴体から離れ、石の床の上に転がった。首を失った胴体からは勢いよく黒い血が吹き上がる。


 そして崩れ落ちた兵士の後ろからは、右手に剣を持ち、腰にもう一本の剣を佩いた人影が現れた。


 明るい夏の日差しを背に受けたその人物は、素早くリアに駆け寄ってきた。






「リア、無事か。」


「カール・・様・・?」


 リアが小さく自分の名を呟いたのを聞いたカールは大きく安堵の息を吐き、すぐにリアを抱きかかえて剝き出しになった彼女の腹部に手を押し当てた。


「この地を守護する大地の女神よ。傷つき倒れた勇敢なる者を癒すため、我に力を与えた給え。《大地の癒し》」


 カールの体が青白い光を放ち、それが彼の手を通してリアへと流れ込んでいく。それに伴ってリアの傷がゆっくりと塞がり始めた。それを確認したカールは自分の外套で下着姿の彼女の体を包んだ。


 リアは焼け付くような体の痛みが引いていくにつれ、急速に眠気がやってくるのを感じた。


「カール様、なぜここに?」


 信じられない気持ちで夢現のまま呟くように尋ねた彼女に、カールは優しく微笑みかけた。






「城壁の下からお前が戦っている様子が見えたから助太刀に駆け付けたのだ。よく頑張ったなリア。間に合ってよかった。」


 彼の答えは何の説明にもなっていない。きっと普段なら「カール様は言葉が足りません」と小言を言ったに違いないが、朦朧としている今のリアはそうなのかと思っただけだった。


 彼は彼女の両目にそっと手を当てた。


「私が付いている。だから今は少し眠れ。」


 リアはカールの言うがままに目を瞑った。


 これは夢だ。きっと私は死ぬ前に幸せな夢に見ているに違いない。


 彼女は体の力を抜き、自分を抱きかかえている逞しい腕の中に身を沈めた。そしてカールの身に着けている革の胸当てにそっと頭を押し付けると、耳元に聞こえる穏やかな心音を聞きながら、安らかな眠りの海に沈んでいったのだった。











「すげえな、アニキ。ほんとに城壁を駆け上がって行っちまったよ。」


 ヴィクトルはたった今、カールが昇っていった城壁を見上げながら、呆れたようにそう呟いた。


 彼は2日ほど前から、カールと共に領主城に侵入する手立てを探していた。その最中、城門が急に閉じられ始めたのがついさっきのこと。それまで周辺を警戒していた黒い鎧の兵士たちも、全員城に入って行ってしまった。


 何事かと城門に駆け寄ったところでカールが急に「私を城壁に向かって放り投げてくれ」と言い出したのだ。ヴィクトルは訳も分からないまま、組み合わせた両手の上にカールを立たせ、思い切り壁に向かって投げ上げた。


 城壁の半ばの辺りに着地したカールはその後、反り返った城壁を一息に駆け上がって行った。足場のない城壁を垂直に駆け上がって行くカールを見て、ヴィクトルは目が飛び出るほどに驚いてしまった。






 実際のところ、カールは《浮遊》の魔法をほんの一瞬のみ発生させ、空中に小さな足場を作ってそれを駆け上がって行ったのだ。


 少ない魔力を最大限生かすために鍛錬を続けてきたカールだからこそ出来る離れ業なのだが、魔法を使えないヴィクトルにはそんなことなど分かるはずもない。


 凄まじい身体能力を見せつけられ、彼のカールへの尊崇の思いはますます強くなった。


 カールが敵地に飛び込んだ以上、舎弟である自分が後れを取るわけにはいかない。自分も城壁に取り付いて登ろうかと考えていた時、彼の目の前の城門がゴロゴロという大きな音を立てながらゆっくりと左右に開き始めた。


「おお、こりゃあ、ありがてぇ。アニキが開けてくれたんだな、きっと!」


 ヴィクトルは喜び勇んで開き始めた城門に、自分の大きな体を潜り込ませた。






「うお、なんだこいつら!? ってか、ハウル村の司教様じゃねえか!? どうしてこんなところに?」


 飛び込んだ門の中は黒い鎧を着た兵士たちで溢れかえっていた。そして彼らが群がる中心には金色の半球体があり、その中でテレサが祈りを捧げている様子が目に飛び込んできた。


「!! ヴィクトルさん!? お願いです、エマたちが脱出するまで手助けをしてください!!」


 祈りの姿勢のままテレサがそう叫ぶより早く、ヴィクトルは背中に背負った巨大な両刃の両手剣を振り回し、半球に群がる兵士たちを薙ぎ払っていた。


 剣の重さとヴィクトルの膂力を乗せた一撃で、たちまち半球の周りにいた兵士たちの体が両断され吹き飛ばされる。






「なんか知らねえけど承知したぜ、司教様!! さあ来い、雑魚ども!! カールのアニキの一の子分、このヴィクトル様が相手してやらぁ!!」


 ヴィクトルは空気が震えるほどの鬨の声を上げると、自分の背丈ほどもある両手剣を大きく振り回した後、脇構えにしたまま開きかけた城門の前に立ち塞がった。


「ここを通りたきゃあ、俺様をぶっ倒すことだ! それが出来りゃあだがな!!」


 ヴィクトルは不敵な笑みを浮かべ、両手剣の柄を握る手に力を込めた。






 実は、この両手剣はこの街に来てから手に入れたものだ。すっかり住民たちの様子がおかしくなり、人気の少なくなった街の中を探索している時に、荒らされた武器屋の店先に飾ってあったこの剣を見つけたのだ。


 常人では持ち上げることもできないほど巨大な剣がなぜそんなところにあるか不思議がる彼に、カールがその剣はおそらく過去の大戦期に作られた遺物だと説明してくれた。


「かつて王国の城塞都市には、都市防衛用の魔導人形ゴーレムが配置されていたと聞いたことがある。ただバルシュ領の西部防衛拠点が拡充されてからは都市毎には運用されなくなったらしい。その剣は魔導人形用の武器ではないかな。」


 100年ほど前に魔法騎士団が整備されるにつれ、汎用性が低いわりに運用コストの高い魔導人形は次第に廃れていったのだと、カールは説明してくれた。


 ヴィクトルはその説明を聞いても半分ほどしか理解できなかったが、目の前にある巨大な剣にはとても興味を惹かれた。






 厚みのある両手剣は長い時を経たとは思えないほど美しかったからだ。おそらく今は姿の見えない武器屋が、代々大切に手入れをしてきたに違いない。


 剣の巨大な刀身には淡く光を放つ美しい文様が刻み込まれている。この文様は魔法銀を使って加工されたものらしい。カール曰く、魔導人形の魔力を剣に伝えるための魔方陣なのだという。


 ヴィクトルが剣にあまりに夢中になっていたからだろう。カールは彼にその剣を手に取ってみてはどうかと勧めてくれた。躊躇う彼にカールは言った。






「残念なことだが、その剣を大切に扱っていた者はすでにこの世にいないだろう。もしお前がこれを扱えるなら、持っていってやった方がその者の供養になるのではないかと思う。」


 ヴィクトルはカールに勧められるまま、両手剣を手に取った。すると不思議なことに武骨な金属の塊にしか見えなかった両手剣の柄が形を変え、するりと彼の両手の中に納まったのだ。


 驚く彼の様子を見て、カールは思った通りと言わんばかりに大きく頷いた。


「魔力を持つ武具の中には自ら使い手を選ぶものがあるそうだ。お前はその剣に気に入られたのだろう。よかったな、ヴィクトル。」






 こうしてヴィクトルはこの剣を手に入れた。ただ、今のところは令外子爵であるカールに認められている『戦時接収権』を行使して剣を使っている状態だ。


 後々持ち主が特定されれば、カールは正式にこの剣を買い取るつもりだとヴィクトルに言った。ただその可能性は極めて低いと言わざるを得ない。


 この剣の持ち主の無念を晴らすためにも、今は全力で戦うのみだ。


 そんなヴィクトルの思いに応えるように、両手剣の魔方陣が薄く発光する。彼は迫りくる鎧兵士たちに向かって、豪風のような剣戟を次々と叩き込んでいった。











 ヴィクトルが鎧兵士たちを抑えてくれている間にテレサたちは結界魔法を解除し、素早く城門外に脱出した。気を失っているエマとレイエフを城門外の衛士詰所に運びこむ。


 荒れはてた詰所はもぬけの殻で人気がなかった。テレサとロウレアナは床に敷いた外套の上にエマとレイエフを寝かせた。すぐにテレサは癒しの魔法を使った。


「ようやく顔色が良くなってきましたね。おそらくしばらくすれば意識を取り戻すでしょう。」


「テレサ様、これからどうなさいますか?」


「私はヴィクトルさんの助太刀に戻ります。ロウレアナさんは、ここで2人を守っていてください。」


「承知しました。必ず二人を守ります。どうかテレサ様もお気をつけて。」


 テレサは詰め所を出て城門に向かった。すでに城門は半分ほど開いている。その前には全身に傷を受けながらも、大笑して両手剣を振るうヴィクトルの姿があった。


 彼女が彼の助太刀に向かおうとしたその時、閉ざされていた守備塔の地上入り口扉が開いた。






「テレサ様!?」


 素早く扉から姿を現したのは、傷ついたリアを横抱きに抱えたカールだった。テレサを見た彼は驚いた様子だったが、ヴィクトルの奮戦ぶりを目にするとすぐに彼女に言った。


「リアのことをお願いできますか? 私はヴィクトルと共に戦います。」


 カールはテレサにリアを託すと、すぐに愛用の片手剣を手にして戦場へ飛び込んでいった。テレサはリアを抱きかかえ、再びロウレアナの下へ戻った。


 テレサが戻った時、衛士詰所の周りは水の魔力による幻影で覆われていた。一見すると周囲の城壁に溶け込んで、詰め所の場所が分からないようになっている。ロウレアナの精霊魔法によるものだ。


 テレサには強い神聖力と魔力感知の力があるため幻影の類に惑わされることはないが、もし常人であれば詰所の場所を探り当てることはかなり難しいはずだ。






 ロウレアナはリアを連れて戻ったテレサにひどく驚いたが、カールが現れたという話をきいてホッと胸を撫でおろした。


 テレサはリアをエマのすぐ隣に寝かせ、傷の状態を調べた。体の表面にある傷はほとんど癒えていたが、全身に骨折が見られる。特に肋骨は酷く傷ついていた。


 テレサは《快癒の祈り》の魔法を使ってリアの骨折を癒した。途端に意識を失くしたままのリアが僅かに身悶える。魔力によって砕けた骨を癒す時に生じる独特の不快感と軽い痛みのためだ。


 テレサがふうっと息を吐いて立ち上がったのを見て、ロウレアナが心配そうに声をかけた。


「テレサ様、お疲れではありませんか?」


 彼女は大魔法や癒しの魔法を立て続けに使ったテレサを案じているのだ。テレサは穏やかに微笑むことでそれを否定した。


「大丈夫です。ロウレアナ様こそ無理をなさっておられる様子。少し休んでいてください。」


 水気のないこの場所で水の精霊による大規模な幻惑の魔法を使ったロウレアナの方が、テレサよりもはるかに消耗している。テレサは彼女を側の長椅子に座らせると勢いよく詰所を飛び出し、城門での戦いに向かった。






 テレサが駆けつけた時、そこは死屍累々の地獄絵図と化していた。切断された兵士たちの死骸が所狭しと戦場を埋め尽くしている。


 その中でヴィクトルは黒い返り血を全身に浴びながら両手剣を振るい続けていた。彼は自らの体が傷つくことを恐れもせず豪剣を振るい、鎧ごと兵士たちを叩き斬っていく。


 兵士たちは何とかヴィクトルを抑え込もうとするものの、ヴィクトルの剣の間合いに入った順に切り裂かれて、無残な躯を晒していた。






 そんな彼の背中を守る様に立ち回っているのが片手剣を手にしたカールだった。カールの片手剣が閃くたび、彼の周りの兵士たちの首や手がポトリと落ちる。その剣があまりにも速いため、斬られた兵士も絶命するまでそのことに気が付かないほどだ。


 彼は返り血すらほとんど浴びていなかった。その立ち姿は戦場の中にありながら、静けさすら感じさせる。


 まったく対照的な二人だったが、戦いにおける連携は見事の一言。ヴィクトルの振るう剣に合わせてカールがさっと立ち位置を変える様は、熟練した二人の舞い手のようだった。






 二人は飛び道具を警戒し、周囲を取り囲まれないよう、戦場を少しずつ移動しながら戦っている。しかし圧倒的な力を持つ戦士であっても数の優位を覆すのは容易ではない。二人はじわじわと追い詰められてはじめていた。


 それが分かっているからこそ、兵士たちの後ろで指揮をしているグレッシャー子爵も無理な攻撃を続けさせているのだろう。この戦況を変えなくてはならない。


 テレサは両手を高く掲げて祈りを捧げた。


「悪しき者を払い、魔を繋ぎとめる聖なる鎖よ。我が祈りに応え、この手に現れん。《聖女の縛鎖》」


 テレサの神力で強化された金剛鋼アダマンタイトの鎖が光を放ちながら空中に出現する。彼女はそれを両手にしっかり掴むと、魂から溢れ出る神力で自らの体を極限まで強化させた。


「聖女流格闘術継承者テレサ! 推して参ります!!」


 光り輝く鎖が戦場に閃く。蹂躙が始まった。











 それから戦いの趨勢が決するまでさほど時間はかからなかった。テレサの神聖魔法の援護を受けた戦士たちは文字通り暴風のように戦場を駆け回り、哀れな強化兵士たちをその苦しみから解放していった。


「ええい、何をやっているんだ! もっと矢を射かけろ! 火をかけた荷車を突撃させるんだ!!」


 グレッシャー子爵は顔を引き攣らせながら兵士たちに次々と指示を出していく。しかし、どの攻撃も三人の戦士たちの圧倒的な力の前に捻じ伏せられてしまう。


 子爵自身も攻撃魔法を使い後方から兵士たちを援護したが、すべてテレサの防御魔法によって防がれてしまった。そうこうするうちに広場を埋め尽くすほどいた兵士たちのほとんどは躯となって広場に横たわった。


 子爵はその身を守る兵士たちをも戦場に投入し、狂ったように叫んだ。






「くそっ! まだだ! 一気に押しつぶすのだ!!」


 魔力を消耗しきった彼は震える手で懐から魔法薬の瓶を取り出し中身を一気に呷った。陶製の空き瓶を石の床の上に投げ出し、ブーツのかかとで踏み砕く。


「ふはは! 私は生まれ変わったのだ! もっとやれる! こんなところで躓いてたまるもの・・ぐうっ!?」


 不気味な笑い声を上げながら口を拭っていた子爵は突然、胸を抑えてその場に蹲った。そのまま激しく咳き込み始める。咳と共に自らの口から溢れ出たものを見て、子爵は驚愕の叫びを上げた。


「これは・・・血!? 馬鹿な! 私は無敵の肉体を手に入れたはずでは・・・!?」






「それはただの思い違いだ、グレッシャー子爵。おとなしく縛に付くがいい。」


 突然すぐ側から静かな声で語りかけられた子爵は驚き、伏せていた顔をさっと上げた。そこにいたのは片手剣を手にしたカールだった。彼はいつの間にか、カールたち三人に周囲を取り囲まれていた。


「い、一体、お前たちどうして・・・!?」


「どうしてって、周りを見てみなよ。」


 ヴィクトルに言われた子爵は慌てて周囲を見渡した。さっきまで戦闘を続けていた黒い鎧の強化兵士たちは全員その場に立ち竦み、彫像のように動きを止めていた。


「な、何をしている!? 早くこの者たちを殺すのだ!! 私の身を守れ!!」


 必死になって叫ぶ子爵の声にも、兵士たちは何の反応も示さない。狼狽える彼を憐れむようにテレサが語りかけた。






「あなたにはその魔法薬が効かなくなってしまったようですね。おそらくそのせいで彼らに命令が届かなくなってしまったのでしょう。」


 子爵は血走った眼を皿のように見開き、懐から魔法薬の瓶を取り出した。カールたちはその様子を止めることもなく見守った。すでに子爵の命運が尽きていることが分かり切っていたからだ。


「そんなはずはない! そんなはずは・・・これさえ、これさえあれば私はこの世界の神になれるのだ!!」


 子爵は魔法薬を一息に飲み下した。しかし直後、全身を襲う激しい痛みと悪寒のため、地べたに這いつくばり悶絶し始めた。


「バカな・・・こんな馬鹿な!! 一体、なぜなんだ!?」






「魔法薬の過剰摂取が原因です、兄上。兄上の体が薬に拒絶反応を示しているのですよ。」


「レ、レイエフ、お前、その姿は・・・!」


 いつの間にかカールたちの背後から現れたレイエフは苦しみ悶える兄に近づき、そっとその側に跪いた。彼は見違えるように逞しくなった腕を兄に差し出した。


 レイエフと共にここへ駆けつけたエマたちも、カールたちと同じように2人の様子を見守る。テレサはまだ少し青白い顔をしたエマをそっと自分の側に引き寄せた。


 リアはカールの後ろに寄り添うように立つ。そして自分でも気づかないうちに彼から渡された外套をきゅっと自分の体に巻き付けた。






 子爵は様々な感情の入り混じった表情で実の弟を見つめた。


「・・・私をそんな目で見るな、レイエフ。」


 ゼイゼイと荒い息を吐き、文字通り血を吐きながら絞り出すようにそう言った後、子爵はまた激しく身悶え始めた。子爵の目と鼻、耳からはどす黒い血が流れだしている。


 レイエフは血反吐を吐く兄の体を抱え上げると、強く抱きしめた。黒い血が流れ出るにつれ、苦し身悶える子爵の逞しかった体は次第に痩せ細り、急激に縮んでいった。


 やがて子爵は意識を失い、レイエフの腕の中にぐったりと横たわった。






「兄上、しっかりしてください兄上・・・!!」


 レイエフは涙を流しながら何度も何度も兄に呼びかけた。するとその声に応えるかのように、骨と皮ばかりになった子爵はうっすらと目を見開いた。


「お前のその姿・・・ようやく呪いが、解けたのだな・・よかった、本当によかった・・・。」


 朦朧としたまま弟を見つめる子爵の目の縁に透明な涙が光る。黒い血を大量に流したことで彼を侵す魔法薬の毒素が抜けきったのだ。


「兄上!! 私がお側にいなかったばかりに兄上をこんな・・・!!」


 涙ながらに兄に詫びるレイエフに子爵は言った。






「いや・・・謝るのは私の方だ・・・私はお前に・・嫉妬していたんだ。」


「兄上!?」


「お前は私の誇りだ・・だが私は心のどこかでお前のようになりたいと・・・ずっと思っていたのだ。それで・・・こんな馬鹿な真似をしてしまった。本当に・・・本当にすまない、許してくれ。」


 子爵は残された最後の力を振り絞って、その枯れ枝のようになった手を愛する弟に差し伸べた。レイエフはその手をしっかりと掴んだ。


 子爵は再び弱々しく咳き込み始めた。そしてそれが治まると、彼は信じられないほどの強い力で弟の手を握りしめた。






「・・・あの・・魔術師を・・・止めるのだ。」


「兄上、もう話さないでください!!」


 荒い息遣いで途切れ途切れに話す兄を案じてレイエフは言った。しかし子爵は血を吐きながらも話し続けた。


「聞け、あの魔術師は・・・領民たちの命を使って・・恐ろしいことをしようとしている・・それを止められるのは・・・お前だけなのだ。」


「!? 兄上、一体何を言っていらっしゃるのですか!?」


「愚かな兄の・・最後の頼みだ・・・どうか・・止めてくれ・・・そして残った民を・・・救って・・・。」


 そこまで話したところで子爵は白目を剥き、大きく痙攣し始めた。






「兄上!? 兄上!!」


「あいして・・いる・・おまえ・・わたしの・・ほこり・・・。」


 引き攣れるようにそう呟いた後、子爵は唐突に事切れた。そしてその直後、彼の体はまるで燃え尽きたように灰となって崩れ去っていった。


 風に舞って飛び去ろうとするその灰をレイエフは必死にかき集めようとした。しかし風に溶けた灰を留めることは出来なかった。彼は自分の掌に残った僅かな灰を握りしめて、力の限り慟哭した。






 カールは右手に持っていた片手剣を腰に戻した。静まり返った城の中にレイエフの慟哭とカールの剣の鍔鳴りの音がやけに大きく響く。


 エマたちはいたたまれない気持ちで、涙を流すレイエフの姿を見つめた。今の彼は先ほどまでとは見違えるほど逞しくなっている。その姿はもはややせ細った魔術師ではなく、どこから見ても立派な戦士だった。


 そんな彼が声を上げて子供のように泣きじゃくっているのだ。見ているだけで彼の感じている痛みや苦しみが伝わってくる。


 泣き続ける彼にそっと近づいて行ったのは、白い法服を纏ったテレサだった。彼女は蹲って泣くレイエフの背中に手を当てると、何も言わずゆっくりとその体を撫でた。


 やがてレイエフは泣くのを止め、その場に立ち上がった。






「テレサ殿、ルッツ卿。それに皆さん。私の兄を苦しみから救ってくれたことに礼を言わせてほしい。本当にありがとう。」


 彼は堂々とした態度でそう言うと、深々と頭を下げた。それに対しテレサとカールは無言で頷いた。


 レイエフは手を開き、自分の掌をじっと見つめた。そして大きく息を吐くとくっと顔を上げ、まっすぐにエマたちを見回して言った。


「この城の奥に私の兄を狂わせた黒幕がいる。私はその者と決着を付けるつもりだ。どうか皆さんにもご助力いただきたい。この通り、お願いします。」


 レイエフはその場に片膝をつき、胸に手を当てて騎士礼をした。エマがそっと息を呑むほどに、その姿は迫力と闘気に満ちていた。


 カールは彼の前に進み出ると、同じように跪いて彼の手を取った。






「もちろんですグレッシャー卿。兄上の無念を晴らし王国の危機を救うため、私も微力ながらお手伝いさせてください。」


 カールの言葉にレイエフが顔を上げる。その場にいた全員は互いを見つめ大きく頷いた。カールと共に立ち上がったレイエフに、テレサが尋ねた。


「レイエフ様はその相手がどこにいるか、ご存じなのですね?」


「はい。すべてではありませんが、思い出すことができました。私についてきてください。」


 こうして彼らはレイエフの案内で、この事件の黒幕である魔術師のもとへと向かうことになった。






 その場を立ち去る前、レイエフは兄の残した剣帯を自分の腰に巻き、兄の形見の剣を佩いた。


 柔らかい白い光を投げかける太陽はすでに中天を過ぎ、静まり返った城の前で彫像のように立ち尽くす兵士たちの間を山から吹き下ろす涼しい風が抜けていく。


 レイエフはその風の吹いて行く方に自然と目を向けた。そして奥歯を強く噛みしめると、喉の奥の熱い塊をぐっと飲み下した。


「さあ、行きましょう。」


 彼は最後の戦いへともに臨む仲間たちへと声をかけた。そして踵を返すと、後ろを振り返ることなくまっすぐに城へ向かって走り出したのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ