表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
57/93

56 手がかり

投稿間隔がずいぶん開いてしまいました。なかなかまとまった時間が取れないのがつらいです。次は1週間くらいで投稿できるように頑張ります。

 夜通し森をかけ通して夜明け前に王都へ辿り着いたエマ一行は、リアの密偵仲間の手引きにより秘密の抜け道を通って王都城壁内に侵入することができた。


 密偵たちの一時的な隠れ家に身を寄せた4人は、王都内で情報を集めるための準備を始めた。


「あの、リアさん、この衣装は?」


 薄い布を手にして困惑するテレサに、リアは落ち着いた口調で答えた。


「今回、私たちが潜伏するのは歓楽街です。若い女性が単独で行動しても目立たずに済むのはあの街くらいですから。それに様々な人が多く集まりますから、素性を隠して情報を集めることもできます。でもテレサ様が法服のままでは目立ちすぎてしまうのです。だから早く、その衣装に着替えてください。」


 テレサは情けない顔で手にした衣装を軽く広げる。彼女が持っているのは一般的な娼婦たちが着ている服だ。テレサが今着ている純白の法服に比べると、冗談みたいに布地が少なく生地も薄い。






 テレサは恨めしそうな目で他の三人を見た。ロウレアナは冒険者装束、エマはまじない師の長衣、リアは地味な小間使いの服を着ている。


「あのリアさん? 私もあなた方のような恰好がいいんですけど・・・。」


 テレサの必死の懇願を、リアは即座に拒否した。


「それはだめですね。なぜなのか、その理由を説明します。」


 リアはそう言うと指を一本立てて、テレサに理由を話し始めた。


「まず、テレサ様はおまじないを使えません。それではまじない師の恰好をしていて万が一身元を疑われた時に、ごまかせなくなってしまいます。」


 言い訳しようのない正論を言われて言葉に詰まったテレサへ、リアはさらに言葉を重ねた。






「次に私のような小間使いの服をテレサ様が着たら、逆に目立ってしまいますよ。」


 確かに一般的な背格好のリアに比べるとテレサはかなり長身な上、この国では珍しい褐色の肌をしている。法服を着ている時は自然に見える聖職者としての姿勢の良さや身のこなしも、小間使いの服を着たら違和感しか生まないだろう。


「あとは冒険者装束なのですが、テレサ様は戒律で刃物を持てないですよね。それでは一般的な冒険者の恰好をするのは無理です。」


 絶望の表情を浮かべるテレサを見てさすがに気の毒になったのか、リアは彼女を慰めるように付け加えた。


「ですから一応、代わりも準備してみました。どうしてもとおっしゃるなら、これを着ていてください。」


 そう言ってリアは傍らに置いてあった布袋から、丸く巻かれた革を取り出した。テレサは期待に顔を輝かせていたがその革包みを手にした途端、また泣きそうな顔になってしまった。


 彼女が手にしたそれは、服と呼ぶにはどう考えても小さすぎるからだ。






「・・・なんですか、これは。」


 リアは少し申し訳なさそうな顔でテレサに説明した。


「拳闘士の衣装です。歓楽街の一角で営業している格闘場で手に入れてきました。これなら武器を持てないテレサ様でも、疑われることはないと思うのですが・・・。」


 テレサは、巻かれた衣装を広げてみた。魔獣の皮で作られたと思われる赤い腰巻と胸当ては、いかにも拳闘士たちが好んで着ていそうな衣装だ。確かに引き締まった体つきのテレサがこれを着ていたら、誰も彼女を聖職者だとは思わないだろう。


 ただしこの衣装、最初の娼婦の服に比べてさらに布面積が少なかった。腰巻は申し訳程度に下腹部が隠れる程度のデザインだし、胸当てに至ってはただの革ベルトだ。


 手にした革の衣装を見つめてはあっと大きく息を吐いた後、テレサは自分のために苦労してこれを手に入れてくれたリアにお礼を言った。






「お気遣いありがとうございます。でもさすがにこの服は・・・。もう少し普通の服ではだめなのでしょうか?」


「歓楽街だとむしろその恰好が普通なのです。攫われたお二人の手がかりが見つかるまで潜伏するのですから、出来るだけ目立たないようにしなくてはなりません。テレサ様もそうおっしゃいましたよね?」


 逆に問われたテレサは仕方ないという顔で息を吐き、泣く泣く娼婦の服を着ることに同意した。


「さあ、テレサ様。この後、お化粧もするのですから時間がありません。早く着替えてください。」


 そう言うとリアは手早くテレサを着替えさせはじめ、手にした変装道具で彼女に化粧を施していった。リアの手によって見る見る間に、慈愛に溢れた聖職者が妖艶な娼婦へと変貌していく。


 そのあまりの変わりように、エマは目を丸くして歓声を上げた。






「お師匠様、すごくきれいです! これなら絶対に誰もお師匠様だとは分かりませんよ!」


 エマにそう言われたテレサは、水鏡に映る自分の姿を見て苦笑した。


「ありがとうエマ。・・・はあ。ハーレを連れてこなくて本当によかったです。」


 懐にしまった銀の聖印を手にしてため息を吐くテレサを、エマとロウレアナは気の毒そうに見つめた。リアは変装用の化粧道具を布袋に仕舞い込むと軽く手を打って、そんな彼女たちの注意を引き付けた。


「では私は旦那様のところへ行ってきます。皆さんはその間、手分けして情報を集めていてください。」


 彼女たちは互いに頷き合った後、すぐに行動を開始した。短い話し合いの結果、ロウレアナは冒険者ギルドや格闘場それに酒場を中心に、そしてテレサとエマは歓楽街の娼館通り付近で情報を集めることになった。






 隠れ家を出てロウレアナと別れたテレサとエマは連れ立って娼館通りへ歩いて行った。まだ昼を少し過ぎたばかりなので人通りは少なく、子供や荷運び人の他には女たちがちらほらと見かけられる程度だ。


 二人は異国から来た流れ者の娼婦と、彼女から依頼を受けたまじない師の二人組を装いながら、こっそりと小声で会話を交わした。


「お師匠様は歓楽街ここに来たことがありますか?」


「王都で復興事業のお手伝いをしていた時、少しだけ来たことがありますよ。でもこんなにきれいになってから来たのはこれが初めてです。エマはドーラさんと一緒にこの街の復興工事をしていたのでしたね。」


「はい。でも私も歓楽街が営業を再開してから来たのは初めてなので、すごく新鮮です。」


 エマはそう言ってフードの陰から通りの様子を窺う。でもあくまでこっそりとだ。


 目深にフードを被っているし、今は目と髪の色も変わっているので正体に気づかれる可能性は低い。だがもしバレたら間違いなく面倒なことになってしまう。


 さりげなく周囲に目を配りながら、二人は情報を集められそうな場所を探して通りを進んでいった。






「あれ? お前、エマじゃね?」


 しかしいくらも行かないうちにエマは後ろから呼び止められ、思わずそちらを振り向いてしまった。


「あ、オイラー君!」


 そこにいたのはイゾルデの娼館で会計係兼掃除夫として働いているオイラーだった。緊張した様子で後ろを振り返ったエマとテレサはホッと息を吐く。


 そんな二人の様子を少し不審に思いながら、白いシャツと黒いズボン姿の彼はぶっきらぼうな態度で、エマに話しかけた。


「お前、学校はどうしたんだよ? それにその女は誰だ?」


 胡散臭い目で自分たちを見つめるオイラーに、エマはしどろもどろになりながら説明を始めた。






「今、ちょっと事情があって学校を休んでるの。今日はまじない師の仕事を探してここに来たんだ。あと、この人は私の・・・お客さんだよ。」


 エマの言葉にオイラーは訳知り顔で頷いた。


「ああ、なるほど。金を稼ぎに来たのか。学校って金がかかるって聞くしな。お前も大変だな。」


「う、うん、そうなの! 私みたいな平民には場違いな学校だよね! あはは。」


 エマのわざとらしい笑いに怪訝な顔をしながらも、オイラーはエマに真剣な口調で言った。






「いや俺はそうは思わねえ。お前は賢いし、そんだけの力があると思うぜ。・・・それに見た目だってそこらの貴族の姫様にも負けねえくらい、き、きれいだよ。」


「え、オイラー君、なんて言ったの? 最後の方、小さくてよく聞こえなかったんだけど・・・?」


 呟くように言った言葉をエマに聞き返され、オイラーの顔が見る見る赤面していく。


「な、なんでもねえよ!! と、ところでこの女、お前にまじないを依頼してきた娼婦なんだろ。なあ、あんた。見かけねえ顔だけど、どこの店のもんだい?」


 急に話を振られたテレサは、慌てて彼に返事をした。


「え、えっと、この街にはまだ来たばかりで、よくわかっていないのです。」


 それを聞いたオイラーは大きく首を傾げ、テレサの顔をじっと下から覗き込んだ。






「『いないのです』? あんた、貴族みたいな言葉で話すんだな。」


 疑念のこもった声で問われ、テレサの笑顔が引き攣る。エマはそれをごまかすように彼の正面に立つと、両手を取ってぐっと自分の顔を彼に寄せた。


「あ、こ、この人ね、この街のことよくわかってないから、いろいろ知りたいんだって!!」


 エマに笑顔で正面から見つめられ、オイラーは真っ赤になった顔ですっと目を横に逸らした。


「そ、そうなのか? じゃあ、俺がイゾルデ母さんにあんたのこと紹介してやるよ。二人ともついてきな。」


 彼はそう言うとくるりと後ろを向き、すたすたと歩き始めた。エマとテレサはどちらともなく顔を見合わせ小さく頷くと、遠ざかっていくオイラーの背中を小走りで追いかけた。






 イゾルデの娼館には開店前の準備で、多くの人たちが集まってきていた。イゾルデは彼らの陣頭指揮を執っていたが、エマの長衣姿を見るなり手にした帳面を文字通り放り投げて彼女の下へと駆け寄ってきた。


「(エマじゃないか! あんた、ちょっとこっちへ来な!!)」


 彼女は小声でそう言うと後のことをオイラーに託し、エマとテレサを事務室の奥の小部屋に連れて行った。


「エマ、どうやらあんた、ヤバいことに巻き込まれてるみたいじゃないか。」


「イゾルデさん、私のこと知ってるんですね。」


 そう尋ねたエマに、イゾルデはゆっくりと頷いた。






「ああ、今朝から王都中の衛士があんたのことを探し回ってるよ。まだ知らない奴も多いけど2,3日中には王都全体で噂になるはずさ。」


「イゾルデさんは私のことを疑わないんですか?」


 エマの言葉に、イゾルデは「はん」と鼻を鳴らした。


「商売柄、これでも人を見る目だけには自信があるんでね。あんたが騎士を殺しちゃいないってことくらいはすぐに分かるさ。ところでドーラはどうしたんだい? それにこの女は?」


 エマとテレサはイゾルデにそれまでの事情を話すことにした。イゾルデはかなり驚いたようだったが、何も言わずに最後までじっと話を聞いた。






「へえ、あんた聖女教の司教様なのかい? 坊主にしとくにゃ、もったいないくらいのいい女だね。」


 話を聞いた後、イゾルデは冗談めかしてテレサにそう言うと、エマにぱちりと片目を瞑って見せた。


「事情は分かったよ。あたしらもあんたたちの正体がバレないように協力する。店の娘たちにもそれとなく情報を集めるように言っとくよ。」


 イゾルデはそればかりか、自分の店をエマたちの活動拠点として提供すると申し出てくれた。今朝までエマたちがいた場所は、あくまで密偵たちの一時的な隠れ家のため、生活するには不自由だったからだ。






 エマたちはその言葉に甘えることにした。その後、イゾルデたちの協力もあり、エマたちは事件に関するたくさんの情報を集めることができた。


 それによるとエマが参加していた行軍実習は中止になったらしい。その理由については、実習生エマによる殺人と誘拐が行われたためとされている。


 だが表向きになっていない本当の理由は、魔骨飛竜スケリトルワイバーンの襲撃によって王国軍兵士に多数の死傷者が出たためだ。本来出現するはずのない凶悪な不死体アンデッドが襲来したことで、王国軍はその原因究明と周辺の遺跡探索等の対処に追われているらしい。


 真相が隠されているのはきっと、王都領の住民たちを動揺させないための王の配慮なのだろうと、イゾルデはエマに語った。


 あと幸いなことに、実習生には一人の死者も出なかったという。エマはそれを聞いて、ホッと小さく息を吐いた。






 だが一番肝心なミカエラとイレーネについての情報は一向に集まらず、二人の行方は杳として知れなかった。必死になって街を駆け回ったものの、何の手掛かりもつかめないまま、時間だけが虚しく過ぎていった。


 エマは進展しない事態へ次第に焦りを募らせはじめた。誰にも吐き出せない不安が胸の奥に澱のように溜まっていく。


 攫われた二人は無事なのだろうか。もしかしたらもう・・・。


 そんな不吉な考えが後から後から沸き上がり、食事も満足に喉を通らなくなった。だがいざという時に備えて食べないわけにはいかない。そのためエマは、食事のたびに涙の味のするパンを無理矢理、飲み下さなくてはならなかった。






 潜伏を始めて4日目。捜索の手がついに歓楽街にも伸び始め、エマが自由に街を動き回ることができなくなった頃、ついに待ち望んでいた手がかりが彼女たちの下へ齎された。


「手がかりが見つかりました。」


 リアは娼館の隠し部屋に集まった仲間たちに一枚のボロボロになった植物祇を差し出すと、彼女がこの紙を得た経緯について話し始めた。











 それはリアが密偵仲間たちと連絡を取るため、王都の中央通りを横切って貴族街区へ向かおうとしていた時のことだった。


「な、なあ、あんた。貴族のお姫様に仕えてる侍女だろう?」


 恐る恐るという感じでリアに声をかけてきたのは、路上で馬糞拾いをしている浮浪児たちだった。リアはその中の一人を見て、すぐに彼らの素性に思い当たった。


「あなたはあのとき、馬車に轢かれそうになっていた子供ですね?」


 リーダーと思われる年長の浮浪児の脇に隠れるように立っていたのは、リアが暴走する馬車の前から助け出した幼い少年だった。リアの言葉を聞いて、少年たちはあからさまにホッとした表情を見せた。






「よ、よかった。俺たち、あんたのこと探してたんだよ!!」


「私を? それはなぜですか?」


 リアが鋭く問いかけると、幼い少年はもじもじと体を動かしながら一歩前に進み出た。


「あの、おいら、あの時たすけてもらったのに、お、おれいもいえなくて。それでえっと、きっとすごく怒られるとおもったから、怖くなって、逃げちまって。ご、ごめんなさい。そんで、ほ、ほんとうに、ありがと、おねえちゃん!!」


 言葉に詰まりながらようやく話し終えた少年の前にリアは屈みこむと、彼の汚れた両手をとった。


 驚いて腕を引こうとする少年の手をしっかりと握ったまま、リアは彼に不器用な笑顔で笑いかけた。






「お礼を言いに来てくれたのですね。とても嬉しいです。あなたはえらいですね。」


 リアは垢と脂で汚れた少年の頭をぽんぽんと撫でた。彼女の引き攣った笑顔を見て怯えていた少年も、それでようやく笑顔を見せた。二人の様子を見た周囲の浮浪児たちも、緊張で詰めていた息を一斉に吐きだした。


 少年と微笑み合ったリアが立ち上がりそのまま立ち去ろうとした時、リーダーの少年が彼女を引き留めた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ用事は済んでない。あんた、人を探してるんだろう? もしかしてあの時のお姫様を探してるんじゃないか?」


 リアは内心の驚きを隠してすっと自然な微笑みを作ると、にこやかに少年に話しかけた。






「あなたがなぜそう思ったのか、是非お話を聞きたいです。ここでは十分な話もできませんから、少し移動しましょう。」


 リアはそう言って、彼らを中央通りの外れにある人気ひとけのない路地へと連れて行った。少年たちは気が付いていないが、リアは路地のあちこちに人の気配があるのを察知していた。


 彼らはすべて、彼女と情報を交わし合うために集まった仲間の密偵たちだ。彼らはこの場所へ他の者が近づかないように警戒しながら、物陰に潜みリアと少年たちのやり取りにじっと耳を傾けている。


 つまりこの路地は現在、密偵たちによって密室状態となっているのだ。






「まずはどうして私が姫様を探していると思ったのか、教えてもらえますか?」


 リアは作り笑いをしながら少年たちに気づかれないよう、じっと彼らの目の動きを探った。もしも自分の正体にこの子供たちが気づいたのだとしたら、彼らを始末しなくてはならない。そう思ったからだ。


 だが少年はリアのそんな物騒な思いに気づくことなく、勢い込んで話し始めた。


「あんたさ、ここ何日かこの通りを歩きまわってたろう? そんで、もしかしたら誰かを探してるんじゃねえかって思ったんだ。だってさ、お、俺たち、見ちゃったんだよ!」


「見た? 一体何を見たのです?」


 リアは尋ねながら、小間使いの服に潜ませた隠し刀の位置をそっと確かめた。


 彼女の腕前であれば、少年たちが斬られたと自覚する前に全員を絶命させることができる。彼女はむき出しになった少年の汚れた首筋に照準を合わせながら、我知らず奥歯をぎゅっと噛みしめていた。


 リアの緊張をよそに、少年はついに決定的な一言を口にした。






「何ってもちろん、あの時あんたと一緒にいたお姫様をだよ! すげえ怪しい馬車にさ、あのお姫様が乗せられてたんだ!!」


 思いもかけない情報を得たことで、リアは軽く目を見開いた。同時に隠し刀からそっと手を放し、小さく安堵の息を吐いたのだが、そのことには少年たちはおろか彼女自身も気が付かなかった。


「・・・それではあなた方が見たものについて詳しく話してもらえますか?」


 リアがわずかに微笑んでそう尋ねると、少年たちは嬉しそうに、立て板に水を流したような勢いで彼女に話し始めた。






「今から5日くらい前の、夜明け頃のことなんだけどさ。俺たち、いつもみたいに馬糞拾いをするために川沿いの貧民街ねぐらから中央通りに向かって歩いてたんだよ。そしたら荷馬車が一台、すごい速さで倉庫通りの方へ走っていくのを見たんだ。」


 その馬車は2頭立ての幌付き荷馬車だった。倉庫通りでは割とよく見るタイプの荷馬車だが、その様子があまりにも異様だったため、少年たちは不審に思ったという。


「だって、まだ船員や荷役夫も起きてないような時間だったんだぜ。それなのにものすごく急いでたからさ。」


 船へ荷物を積み込むにも、倉庫から荷を運び出すにしてもおかしな時間だ。それに一人で馬を操る御者は布で顔を隠していたという。


「俺たち、なんだろうと思って、その馬車の落とした馬糞を拾いながら後をついて行ったんだ。そしたら倉庫通りの端の方にその馬車が止まったんだよ。」


 御者は馬車をいったん止めると、歩いて倉庫通りの路地に消えていった。






「止まってすぐさ、馬車を曳いてた馬がドバっと『落とし物』をしたんだよ。それで俺たち、それを拾うために馬車に近づいたんだ。」


 近づいてみると、馬車の幌は厳重に革紐で封をされていた。


「御者が戻る前に急いで馬糞ボロを拾ってたらさ、こいつが急に声を出したんだよ。」


 そう言ってリーダーの浮浪児はあの幼い少年を指さした。彼は好奇心に負け、幌をめくって隙間から馬車の中を覗いてしまったらしい。


 他の少年たちはすぐに幼い仲間を叱りつけた。






「だってさ、こんな時間にこそこそ動いてる馬車なんて、絶対ヤバいもの運んでるに違いないじゃん。普段は俺たち、そんな馬車の荷を探ったりはしないんだ。そんなことしたら命がいくらあっても足らねえからな。でもこいつが『お姫様が袋に入れられてる!』なんて言うから、その時だけはついつい一緒に中を見ちゃったんだよ。」


 荷馬車の中にはちょうど小柄な人が入るくらいの麻袋が二つ、転がっていた。そのうち一つの紐が緩んでおり、袋の口から薄い光を放つ銀色の髪が少しこぼれているのが見えたという。






「俺たち、あんなにきれいに光る銀色の髪を見たのは、あのお姫様だけだったんだ。そんでてっきり、あのお姫様が殺されて運ばれてんのかと思ったんだよ。」


 彼が見たのは強い魔力を持つ者が僅かに放つ魔力光だ。明かりのある場所では見ることはできないし、魔力のない者はほとんど感じ取ることができないほどの微弱な光だが、この時は完全に閉じられた馬車の中だったことが逆に幸いしたのだろう。


「俺、すごくびっくりしちゃってさ。うっかり声を出しちゃったんだ。そしたらその袋がちょっと動いたんだよ。」


 それで彼らは袋の中にあるのが死体ではなく、生きている人間であることに気が付いたという。






「俺たち、お姫様を助けようと思ったんだ。でもすぐにまた御者が戻ってきちゃったから・・・。」


 彼らは何の力もない浮浪児たちだ。いくら数が多いとは言っても怪しい大人の男に立ち向かえるはずがない。彼らは再び馬車が走り出し、その場を立ち去るのをただ見送るしかなかった。


「俺たち、馬車の後を一生懸命追いかけたんだよ。でもあの馬車、すげえ速くってさ。途中で見失っちゃったんだ。」


 俺たちにもっと力があればと悔しそうに顔を歪める少年の肩に、リアはそっと自分の手を置いてその場にしゃがみ込み、きっぱりとした調子で言った。






「いえ、あなた方の判断は間違っていません。もし見られたことに気が付いたら、きっとその男はあなた方だけでなく、馬車の中の人間も殺してしまったかもしれませんから。」


 リアの言葉を聞いて、少年たちは少し表情を緩めた。リアは彼らの頭を順番に撫でてから再び立ち上がった。


「あなた方のおかげで貴重な情報を得ることができました。ありがとうございます。」


 だがそう言って立ち去ろうとする彼女を、浮浪児のリーダーがまた引き留めた。






「ちょっと待って。実はこんなもの見つけたんだ。役に立つかは分かんねえんだけど・・・。」


 彼が差し出したのは、ボロボロになった汚れた植物祇だった。


「これをどこで?」


「あの馬車の馬の馬糞ボロの中から出てきたんだ。」


 朝日が昇り、拾った馬糞を片付けている時に、彼らはこの紙の存在に気付いたという。


 リアは手渡された紙を見てみた。汚れている上にあちこち傷んでいるため酷く判別しずらいが、数字の羅列のようなものが書いてあるようだった。






「俺たちは字が読めねえけど、あんたならなんか分かるんじゃねえかと思ってさ。これをあんたに渡したくて、ずっと探してたんだ。会えて本当によかったよ。」


「私もあなた方に会えて本当によかったです。」


 リアは浮浪児たちを一人一人強く抱きしめていった。急に抱きしめられた彼らは目を白黒させたが、それでもリアの薄い胸に顔を寄せ、嬉しそうに笑った。別れ際、リアは彼らに言った。


「私の名はリアです。このことは私とあなたたちだけの内緒にしてくれますか?」


「うん分かったよ、リアねえちゃん! 俺たち、誰にもしゃべらない。約束する!」


 リアは彼らと手を振って別れた。浮浪児たちが路地から出た後、仲間の密偵の一人が姿を現し、そっと彼女に近寄った。






「リア様。あの子供、始末いたしますか?」


「いいえ、彼らは私の情報提供者として今後も利用します。ですから手出しは無用です。」


「・・・承知いたしました。」


 僅かに戸惑いの気配を漂わせた後、その密偵は軽く一礼して再び姿を消した。それを見届けたリアは植物紙を大切に懐へ仕舞い込み、彼らと同じようにその場から立ち去ったのだった。











 リアの長い話が終わると、エマはほおっと大きく息を吐いた。


「すっごく大きな手掛かりですね! リアさんはもうその紙を調べたんですか?」


「はい。この紙の材料はエリス大河の河畔に生息している水草です。」


「エリス大河というと帝国の真ん中を流れている大きな川ですよね? じゃあもしかして、犯人は帝国人ですか?」


 エマの問いかけにリアは僅かに頭を振った。






「そうとも限りません。王都ではあまり目にすることはありませんが、王国西方地域では比較的よく使われているものなのです。」


「じゃあ、紙に書かれている数字は?」


「ところどころ欠けていますが、これはおそらく暗号伝文ですね。」


「暗号伝文?」


「はい。文字を数字に置き換えた換字式暗号だと思います。」


 リアの言葉にエマはパッと顔を輝かせた。


「この暗号が解けたら、二人の運ばれた場所が分かるってことですね!!」


「その可能性が高いと思っています。ただ、私たちには解けませんでした。」


 リアは少し悔しそうに眉を顰めた。






「数字に一切、規則性が見つからなかったのです。おそらく、この伝文と対になる『鍵数字』があって、それと照合しなくてはならないのでしょう。」


 王国密偵の暗号専門部隊が分析した結果、これは鍵数字と合わせて初めて文章が成立するタイプの暗号だということが分かったという。


「残念ですが鍵数字が分からなければ、絶対に解くことはできません。いや、絶対ではありませんね。手当たり次第に数字を当てはめて、一定の規則性を見つけ出すことができれば解けます。」


「分かりました! すぐにやりましょう!!」


 勢い込んでエマをリアはそっと押しとどめた。






「もうすでに仲間たちが取り掛かっています。ですがまだ何の組み合わせも見つけられていない状態なんです。数字の組み合わせは、それこそ無限に存在するのですから。」


「そんな、せっかく手がかりが見つかったと思ったのに・・・。」


「それが分かっているから、この暗号はこんなに雑に廃棄されたのでしょう。本来なら燃やすか何かして処分するのでしょうが、敵も焦っていたに違いありません。」


 追い詰められた敵がその場に捨てた植物紙を馬が食べたのではないかとリアは語った。暗号でやり取りするくらいなのだから、これが決定的な手がかりであるのは間違いない。


 せっかく手にしたと思った手がかりが失われたことで、部屋の中に重い沈黙が下りる。


 だがそれを破るような力強い声でテレサが他の三人に声をかけた。






「なんにせよこれが大きな収穫なのは間違いありません。その怪しい馬車の行方を探せばいいのです。そうでしょう?」


 あっけらかんと発言したテレサ自身も、この言葉がただの気休めであることは十分分かっていた。


 王都の人口はおよそ20万人。一時的な滞在者を含めたらさらに多くの人たちが暮らしている。無数に行きかう馬車の中から目的の馬車だけを探すなど、藁の山から一本の針を見つけるに等しい難事なのだ。


 だがテレサの言う通り、僅かな可能性だろうがそれにかけるしかない。4人はぐっと目に力を込めると、互いに視線を合わせて頷き合った。






 その時、彼女たちが隠れ家として使っている娼館の一室の扉をこんこんとノックする音が聞こえた。エマが扉を開けると、そこに立っていたオイラーが少し目を逸らしながら、ぶっきらぼうな調子で言った。


「おいエマ。イゾルデ母さんが客が来る前に早く風呂入っちまえって言ってるぜ。」


「うん、ありがとうオイラー君。」


 礼を言ったエマにオイラーは赤い顔で頷いた。


「いいって。湯沸かしの魔道具に魔力も補充してもらってんだし・・・その紙、なんだ? ひでえ臭いだな。」


 オイラーはエマの手にした植物紙を、嫌そうな顔で見つめた。さっきリアに見せてもらったものを、手に持ったまま忘れていたのだ。


 エマは少し迷ったものの、オイラーに紙を見せて簡単に中身について説明した。暗号が解けなくて困っている様子のエマに、オイラーはさっと右手を差し出した。


「へえ、数字が組み合わさって文になってんのか? 俺にも見せてくれよ。」


 オイラーは手渡された紙をちらりと見た後、エマに言った。






「えっと・・・『緑の月の日 黒猫屋敷 ネズミ穴』? なんだこりゃ? わけがわかんねぇ。」


「オイラー君、これが読めるの!?」


 エマが驚きの声を上げたことで、オイラーは顔を赤らめ戸惑いながら答えた。


「あ、ああ、簡単だろ? ほら、ここからここまでは87165を当てはめるんだよ。それを足してからこっちと入れ替えるとさ。ほら、ここに同じ数字の組み合わせが5つできるだろ?」


 エマはオイラーの説明してくれた部分を何度も何度も見直した。しかし最初の暗算をするだけで精一杯。とてもすべてを計算することなどできそうにない。






「・・・ごめん、私にはさっぱり分かんないや。」


「そうか? まあいいよ。多分これ公用文字の順番だと思うんだよな。んで、この数字と文字に当てはめると、これが『緑の』になるんだよ。そんで今度はこっちに16492を足して・・・。」


 エマとオイラーの会話を聞いた他の三人も、扉の側によってそのやり取りを一緒に聞いた。オイラーの説明が終わった後、リアは彼に尋ねた。


「確かに間違いないようですね。でもどうやって、鍵数字が分かったのですか?」


 問われたオイラーはむっとした顔で唇を尖らせた。


「そんなの知らねえよ。でも、数字見たら分かるんだ。俺を疑ってん・・・!」


 オイラーはリアに食って掛かろうとぐっと目に力を込めた。だがその直後、エマが急に抱き着いてぴょんぴょん飛び跳ねはじめたことで、その言葉は中断させられてしまった。






「すごい!! すごいよ、オイラーくん!! 本当にありがとう!!」


 オイラーは夕焼けのように顔を赤くしてようやく「お、おう」とだけ応じた。エマはオイラーの体を離した後、仲間に向かって言った。


「じゃあ、後はこの文の内容が分かれば・・・!」


「それなら、あたしが教えてやるよ。」


「イゾルデさん!?」


 いつの間にか開け放したままのドアの側にイゾルデが立っていた。彼女は苦笑しながらエマに言った。


「オイラーがエマとイチャついてて、いつまでも戻ってこないから様子を見に来たのさ。」


「なっ!? イチャついてねえよ!!」


 食って掛かるオイラーを片手で軽くあしらいながら、イゾルデはテレサたちに向き合った。






「はいはい。とにかく王都で黒猫屋敷って言ったら商人街の外れにある、酒の卸をやってる男の店のことだよ。扱ってる酒がとにかく最低でね。混ぜ物をしてるんじゃないかって噂が絶えないのさ。」


 そう言って顔を顰めるイゾルデに、テレサは小さく頷いてから問いかけた。


「なるほど、ではネズミ穴って言うのは?」


「多分、地下下水道のことじゃないかとおもうよ。あの辺には古い地下下水道が流れてるからね。ネズミがとにかく多いのさ。」


 ネズミと聞いて今度はロウレアナが嫌そうに顔を顰めた。彼女は人間の世界に来て初めて、都市で暮らすネズミに出会ったわけだが、森の野ネズミたちとは違うその凶暴さと逞しさには心底辟易させられていたからだ。


 それはともかく、オイラーの活躍により重要な手がかりを掴むことができた彼女たちは、日が落ちるのを待ち、夜陰に乗じて商人街の黒猫屋敷へ向かったのだった。






 すっかり夜が更けてから黒猫屋敷に辿り着いたエマたち4人は、少し離れた通りの陰から屋敷の様子を窺った。黒猫屋敷はその名の通り、黒くて高い壁に囲まれた立派な邸宅だった。


 奇妙な形をした小さな三角屋根がちょうど左右対称の位置にあるため、まるで黒猫が耳をそばだてているように見える。夜更けだというのに2階の窓からは煌々と明かりが漏れており、その様子は暗闇で目を光らせる黒猫を思わせた。


 正面の門は閉ざされていた。エマはその門をじっと見ながら、傍らのテレサに尋ねた。

 

「ここに二人が捕まっているんでしょうか、お師匠様?」


「分かりませんが可能性は高いでしょう。あの門を破って正面突破しますか、リアさん?」


「騒ぎになればお二人の身が心配です。とりあえず侵入路を探しましょう。まずは『ネズミ穴』の方を探索してみようと思うのですが、よろしいですかロウレアナ様?」


「・・・この状況では断れませんね。行きましょう。」






 四人は屋敷のすぐそばの水路へとつながる地下下水道の入り口にやってきた。地下下水道は長身のテレサが普通に動き回れるほどの高さがある。大人が二人両手を広げたくらいの幅があるため、暗いことを除けば行動に支障はなさそうだ。


 エマがまだ十分に魔法を使えないため、4人はロウレアナが用意してきた携帯用角灯カンテラを持って中に入った。この地下下水道はすでに本来の目的で使われなくなってから長い時間が経過しているらしく、摩耗した石造りの床の上には埃が積んでいる。


 明かりに驚いたネズミたちが大慌てて逃げていく様子を見て、ロウレアナは軽く眉を顰めた。エマは明かりに照らされた石の両壁を見ながらポツリと呟いた。






「王都の地下にこんな場所があったなんて・・・。」


「知らないのも無理ありません。今では下水は、地上の下水道のあちこちに設置された《浄水》の魔道具で処理されて、そのまま川に流れ込んでますからね。でも昔はその魔道具を小型化できなかったので、こういうところに集めてから一度に処理していたらしいですよ。」


 そう言われて、確かに水路に繋がる出口付近に何かをはめ込んだような大きな溝があったのをエマは思い出した。


 あれがきっと魔道具の設置跡なのだろうとエマが思っていると、床を調べていたロウレアナがみんなに声をかけた。







「新しい痕跡があります。ここから複数の人間が上へ上がったようですね。」


 ロウレアナはそう言って、無数にある地上への出口の一つを指さした。


 実は入り口からここまでかなりの数の足跡が残っていたのだ。これは人目を避けようとする犯罪者や行き場のない浮浪児たちが入り込んだことによるもの。


 ロウレアナはその足跡を辿りながら、手がかりにつながる痕跡を探し続けていた。薄暗い明りの中でこんなことができるのは、エルフである彼女の鋭い感覚と暗視力があってこそだ。


 4人はロウレアナが見つけた出入り口から外に出るため、壁に取り付けられた梯子代わりの足掛かりを頼りに、上へと登っていった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ