54 息
投稿するゆとりがないまま書き続けていたら三万字超えていました。さすがに長いので二つに分けます。60話で終了予定だったので、残り話数が心配です。
王城の窓を突き破らんばかりの勢いで空へ飛び出した私は、音よりも速く風を切り、王都領西側の森を目指して飛んだ。エマの危機を知らせる《警告》の魔法はうるさいほど私の内側で鳴り響き、エマの感じている痛みをはっきりと伝えてくる。
だけど目的の森周辺に辿り着いたところで、急にエマの居場所が分かりにくくなってしまった。なんだか嫌な感じのする魔力が、この辺り一帯に立ち込めているせいだ。それにものすごく空気が臭いので、エマを匂いで探すこともできない。
私は臭いのを我慢して匂いを嗅ぎ、頼りない魔力の痕跡を辿りながら、懸命にエマの居場所を探した。
「エマ! エマ、どこにいるの!?」
上空から名前を呼びエマを探していると、少し離れた森で大勢の人たちが何かと争っているような音が聞こえた。この辺りに立ち込めている嫌な魔力もその辺りから漂ってくる。
何事かとそちらを見た私の目に映ったのは、骨でできた空飛ぶトカゲだった。2匹の骨トカゲは私の嫌いな死と腐敗の臭いを纏い、下にいる人たちを襲っている。
「!! あいつらのせいか!!」
あの骨トカゲが臭いと呪詛を撒き散らしているせいでエマが見つけられないのだ。頭にきた私は全速力で骨トカゲに襲い掛かった。
「邪魔しないで!!」
私が全力で体当たりすると、2匹の骨トカゲはあっという間に粉々に砕け散り、地上にバラバラと落ちて行った。私はその勢いのまま大きく旋回し、体に纏わりついた呪詛の臭いを振り払った。
その途端、私の魔力がエマの居場所を正確にとらえた。エマはすぐ近くの森の中にいる!
「エマ!!!」
風を切り、森の木々を大きく揺らして地上に降り立った私は、すぐにエマを見つけた。エマは血の海の中に横たわっていた。生きてはいるけれど、ビクビクと痙攣を繰り返すだけで目を覚ます様子は見られない。
癒しの力を持たない私でも、エマの命が尽きようとしているのがはっきりと分かる。これは回復薬で何とかなる傷ではない。急いで治癒の魔法を使わないと!!
「《集団転移》!!」
私はエマを抱き抱えたまま魔法を使い、ハウル村聖女教会の施療院内へ移動した。
「テレサさん!!!」
「お待ちしていました。エマさんをこちらに。」
施療院にはテレサさんが待っていてくれた。どうやら彼女は私の視界を通して事態を把握してくれていたようだ。院内にはすでに、エマを治療するための寝台の準備が整えられていた。私はその寝台にそっとエマの体を横たえた。
「人が来ます。ドーラさんは翼を引っ込めて、服を着てください。」
テレサさんは短くそれだけを私に言うと、癒しの魔法を使うため血塗れになったエマの服を脱がし始めた。
私がテレサさんの言葉に従い竜の翼を引っ込めて服を着たところで、ハーレさんをはじめとする教会の人たちが施療院に飛び込んできた。
「お姉様、大きな音がしましたけど一体・・・エマさん!?」
血塗れのエマを見て、ハーレさんが悲鳴のような声を上げた。テレサさんは治癒の祈りを中断しないように集中したまま、ハーレさんに言った。
「ここは大丈夫です。ハーレ、あなたは誰もこの場に立ち入らないよう、外から扉を守っていてください。」
「はい! 分かりました!!」
テレサさんの言葉を聞いたハーレさんは迷うことなく返事をすると、すぐに一緒にやってきた人たちを施療院から追い出しはじめた。何事かと説明を求める人たちもいたけれど、ハーレさんはそれを一切無視して半ば力づくで扉を閉めてしまった。
その後しばらくは何か言い争うような声が扉の外からしていた。でもすぐにその声は小さくなっていった。そして扉の前からだんだんと人の気配が消え、残っているのはハーレさんだけになった。
私はテレサさんが目を瞑って懸命に治癒の祈りを捧げる様子を、ハラハラしながら見つめた。エマのむき出しのお腹に当てた彼女の手からは、ものすごい量の魔力がエマに流れ込んでいる。
集中していたテレサさんが小さく息を吐いて目を薄く開いたのを見計らい、私は彼女に尋ねた。
「どうですか!? エマの体は治りましたか?」
テレサさんは小さく頭を振って、私の問いかけに応えた。
「傷は癒えているのですが・・・。おそらく血を大量に流しすぎたせいでしょう、治癒魔法を受け止める『魂の器』に傷がついてしまっているようなのです。今は何とか魔力を流し続けることで命を繋ぎとめていますが、このままではいずれ・・・。」
テレサさんはエマがいつ死んでもおかしくない状態だと言った。生命力の源である魂の器が壊れてしまっていては、たとえ蘇生魔法を使ったとしてもエマを生き返らせることはできない。
テレサさんの悔しそうな顔を見ながら、私は自分にできることを必死で考えた。でもいくら考えてもできることは一つしかない。私は彼女に自分の決意を伝えた。
「エマの魂の器を私の力で『再生』します。」
するとテレサさんは、途端に厳しい表情をして私に言った。
「エマを私と同じように、あなたの眷属にするということですか? それは絶対にいけません。 エマのような子供にあなたの不滅の力はあまりにも大きすぎます。」
テレサさんの心配する気持ちは私にもよく分かっている。
私の眷属になるということは、私と共に永遠の時間を生きるということだ。私は図らずもテレサさんを眷属にしたことで、彼女から死を奪ってしまった。
もともと不滅の存在である花の妖精ルピナスと違い、テレサさんは普通の人間。それがどんなに過酷なものであるか、彼女はすでに自覚している。
これからテレサさんは愛すべき人々に置き去りにされ、彼らを独りで見送り続けなくてはならないのだ。しかもそれに終わりはない。
愛する人と死に別れることがどんなに辛く苦しいことかは、今更言うまでもない。その苦しみが愛した人の分だけ、永遠に繰り返される。
どんなに強い精神を持った人でも、やがては積み重なった時の重さに耐えきれなくなるだろう。
それを自覚した上でもテレサさんが平静でいられるのは、彼女が聖女として人々を守りたいという強い覚悟と信念を持っているからだ。そんな彼女であっても、1000年、2000年後にはどうなっているか分からない。
テレサさんがエマを思って反対してくれる気持ちが、私には痛いほど分かった。だから彼女を安心させるため、私は無理に微笑んで彼女の言葉を否定した。
「違いますよ、テレサさん。私の《息》の力を使うんです。」
怪訝な顔をする彼女に、私は自分の《息》の力について説明した。
私の《息》には、失われた生命をたちどころに蘇らせ、生きとし生ける全ての者を『再生』させる力がある。かつて神々の戦いで荒廃し、死に絶えた大地を蘇らせるため、私はこの力を使ったことがあるのだ。
「そんなことが・・・。でも、大丈夫なのですか? そんな力を使ったりしたら・・・。」
テレサさんの心配する通りだ。私はくっと唇を噛んで小さく頷き、声が震えないようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「この力を使えば私は深い深い眠りに落ちてしまいます。もしかしたらエマが生きている間にはもう、目覚めないかもしれません。」
懸命に微笑もうとしたがうまくいかなかった。泣き笑いになった私の目の端から涙が頬を伝う。落ちた涙は虹色の輝く結晶となり、私の周りに飛び散った。
「でもいいんです。たとえもう二度とエマやカールさん、皆に会えなくなったとしてもエマが、エマがまた元気になってくれるなら、私はそれで・・・。」
そこまで話したところで私は嗚咽を堪えられなくなり、一度言葉を切らなくてはならなかった。
しゃくりあげるようにひとしきり泣いた後、私は泣き笑いしながらテレサさんに言った。
「テレサさんはずっと私を待っていてくれますよね? だから私、寂しくありません。私が眠っている間、皆のことをよろしくお願いします。」
我ながらへたくそな嘘だ。辛くないわけがない。寂しくないわけがない。
永遠に続く生の間のほんの束の間でもいい。私はエマやカールさんと同じ時間を生きていたい。
でもこんな形でエマとみんなのお別れを見るよりは、私の力でエマが生きて、皆と一緒の時間を幸せに過ごしてくれた方がずっといい。
私は胸が壊れてしまうのではないかと思うほどの痛みを堪えながら、横たわるエマの青白い横顔をじっと見つめた。
私の話を聞いたテレサさんはしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ドーラさん、あなたの《息》と私の治癒魔法を同時に使いましょう。うまくいけば最低限の《息》の力だけで、エマを救えるかもしれません。」
「そんなことができるんですか!?」
私の問いかけに、テレサさんは静かに頭を振った。
「確証はありません。何しろ初めてのことですから。ですが幸いなことに、私とあなたは魂でつながっています。もしかしたら、あなたの力を借りることで私の治癒魔法がエマの魂の器に作用するかもしれないのです。あくまでもしかしたら、ですけどね。」
彼女は覚悟を決めたように息を一つ吸い込むと、きゅっと口角を上げて笑った。
「ずいぶん分の悪い賭けになります。でも何もしないよりはずっといいでしょう?」
こんな時にでも、私に希望を持たせてくれようとする彼女の気持ちが嬉しくて、私はまた泣いてしまった。
私は涙が流れるに任せたまま彼女に近づくと、エマの体に触れている彼女の手に自分の手を重ねた。
「ありがとうございます、テレサさん。望むところです。私、賭けには自信があるんですよ。」
私の言葉に彼女は意外そうに眼を見開いた。
「ドーラさんが賭け事をしたことがあるなんて、知りませんでした。」
私は小さく笑って、頭を振った。
「いいえ、もちろん賭け事なんてしたことないですよ。でも大丈夫なんです。」
不思議そうに首を傾げる彼女に向かって、私は軽く胸を逸らして言った。
「なんてったって私は、エマから『幸運の女神』の名前をもらったくらいなんですから。だから、絶対にうまくいきますよ。」
彼女は驚いた顔をしたあと私と目を合わせ、くすくす楽しそうに笑いだした。そして私に向かって「そうですね」と言い、大きく一つ頷いた。
「では、始めますね。」
私の言葉を合図に、テレサさんは長い長い詠唱に入った。
私はエマの魂の器を『再生』するために、自分の魔力を胸のあたりに集中させた。すると私の人間の体を作っていた《人化の法》が解除され、私の姿はどんどん竜の姿に近づいて行った。
額からは乳白色の角が、背中には翼が、腰からは竜の尾が現れた。白金色の髪は虹色の輝きを放つ乳白色へと変化し、どんどん長く伸びて私の足元を覆った。
自分では見ることはできないけれど多分青かった瞳も、虹色に変わっているはずだ。私は自分の体を形作っている魔力を《息》に変換させると、エマに向かってそっと吐き出した。
「・・・苦痛には癒しを。喪失には再生を。絶望には希望を。生命を守護するすべての大いなるものよ。失われし命を救わんと願う我が祈りに応えよ。《大いなる救済の祈り》」
私が《息》を吐くのとまったく同じタイミングでテレサさんの詠唱が終わり、治癒の魔法が発動した。つながった私と彼女の魂を通じて私たちの力は一つに混ざり合い、エマの体に吸い込まれていった。
エマの体が虹色の光に包まれる。すると青白かったエマの頬に赤みが差し、弱々しかった呼吸に力強さが戻ってきた。
途切れがちだったエマの鼓動が規則正しいリズムを刻み始めたのを確かめ、私はそっと口を閉じた。
「成功です。エマは助かりますよ。」
大魔法を行使したせいで青ざめた顔をしたテレサさんが私の手を取った。
「よかった。本当によかった。」
私は彼女にそう答えたが、その言葉は酷く聞き取りにくいものだった。私はすでに人間の言葉をはっきり発音できなくなっていた。
魔力を消耗しすぎて《人化の法》を維持できなくなったのだ。私は次第に乳白色の鱗に覆われていく自分の手を、そっとエマと彼女から離した。その途端、指先に生えた爪がみるみる間に鋭く硬く伸びていく。
半人半竜の姿となった私は、テレサさんに別れを告げた。
「竜の姿に戻る前に・・・私は村を出ます・・・みんなのことをどうか・・どうか頼みます・・・。」
長くなった舌が絡んでうまく言葉が出てこない。それでもテレサさんは「分かりました」と頷いてくれた。
すでに《転移》を始めとする魔法は使えなくなってしまっていた。《収納》だけは何とか機能しているものの、それすらいつまでもつか分からない。
私は部屋から飛び立つために、窓を開けようとした。しかしそっと触れた途端、壁ごと窓を破壊してしまった。もう、力の制御ができなくなっている。
騒ぎで人が駆けつけてくる前に、私は大急ぎで空へと飛びあがった。飛んでいるうちにも、どんどん《人化の法》は綻んでいく。今の私は人型の竜のような姿になっていた。
人がいるかどうかも確かめることなく、私はドルーア山頂の神殿、私のねぐらの入り口に飛び込んだ。
入り口をふさいでいる岩を体当たりで砕いてねぐらに潜り込んだところで、私の《人化の法》は完全に解け、私は元の竜の姿に戻った。
「なんとか・・・間に合った・・!」
あっという間に大きくなった体が洞穴を完全に塞いでいく。私はかつて洞穴に閉じ込められていた時と同じように体を丸めると、そのまま深い深い眠りに落ちていった。
ドーラが豪風と共に飛び立つと同時に施療院の入り口の扉が開き、ハーレが血相を変えて飛び込んできた。
「お姉様、今の音は一体何が!? ドーラさんはどこへ行ったんですか?」
「・・・大丈夫です。何も心配は要りませんよ。」
テレサはハーレを落ち着かせると、すやすやと眠り続けるエマの体を清めるために湯を沸かすよう、ハーレに依頼した。ハーレは駆けつけていた他の者たちに次々と指示を出すと、テレサに一礼した後、自分も施療院を出て行った。
彼らがその場から立ち去ると、テレサはエマの体を抱きかかえた。そして血に塗れたエマの体を清めるため、浴場へ向かって歩き出した。
部屋を出る直前、彼女はふと、ドーラが飛び立っていった夜空を見上げた。
「何も心配は要りません。だから・・・安心してください。」
テレサはそう小さく呟くと、ここにはいないドーラに代わって、自分の腕の中で眠るエマをぎゅっと抱きしめた。そしてその温かさを自分の頬で確かめると、静かにその場から歩み去ったのだった。
ドーラがエマを救出した翌日の昼、廃棄された砦からクベーレ村へと戻ったカールとヴィクトルは、ドーラが迎えにやってくるのを待っていた。
砦にいた領兵の小隊へ夜襲をかけた後、倒した領兵たちの死体が不死の呪いに侵されないように、朝日が昇るまで《鎮魂の祈り》を捧げていたため、二人は昨夜一睡もしていない。
村に帰り着いてからようやく短い仮眠を取り、先ほど目覚めたばかりだ。まだ少し眠そうな様子のヴィクトルはあくびをしながら座っていた縁台から立ち上がると、大きく伸びをした。
「ドーラの姐さん、帰ってきませんね。なんかあったんでしょうか?」
「ドーラさんに何かあったとは考えにくい。何かあったとすればエマの方だろうな。」
ヴィクトルは心配そうに眉をへの字に曲げ、カールに尋ねた。
「アニキ、これからどうします? 姐さんを待ちますか?」
ヴィクトルに問いかけられたカールは、顎に右手を当ててしばらく考え込んだ。
「少し迷っているんだ。決定的な証言は得られたが、可能ならもっと確実な証拠を押さえておきたい。グレッシャー子爵に会うことができれば一番話が早いのだが、今の状況では望むべくもないな。」
グレッシャー子爵の身柄を早めに確保できれば、それだけ他の者の血が流れずに済む。だがそううまく事が運ぶとは思えない。
追手が掛ったことに気が付けば子爵は身を守る為、必死に抵抗するだろう。何しろ自分の領をすべて巻き込んだ犯罪行為を行っているくらいなのだから、下手をすればグレッシャー領軍と王国軍との内戦になりかねない。
せめて子爵が今どこにいるかさえ、確実に知ることができれば・・・。
カールは懸命に頭を働かせ、今後起こりうる様々な状況に対処する方法を幾通りも考えていった。
その時、カールを見ながら何やら思案顔をしていたヴィクトルが、遠慮がちにカールへ尋ねた。
「薬を作っているのは、やっぱり子爵なんでしょうか?」
自分が思ってもみなかった質問をされて、カールはそれまでの思考を一時中断した。
カールはそれまで領ぐるみの犯罪行為だから、てっきり子爵が黒幕だとばかり思っていたのだ。
「そういえば、彼が薬学に精通しているという話は聞いたことがないな。」
自分の質問がカールの役に立ったようだと感じたヴィクトルは、嬉しそうな顔で次の質問をした。
「子爵ってなあ、一体どんな野郎なんですかい?」
「良くも悪くも特徴のない人物だと聞いている。」
「そうなんですか? それにしちゃあ、ずいぶん思い切った悪事をやらかしたもんですね。」
言われてみればヴィクトルの言う通りだとカールは思った。彼は伝え聞いていたグレッシャー子爵の人となりを確かめるように、自分の記憶を少しずつ言葉にしていった。
「魔力や武勇に秀でた弟殿とは対照的に、子爵は非常に平凡な男だそうだ。だが領民思いで、堅実な領地経営をすると評価されていた。」
「されていた?」
「ああ、レイエフ殿が魔獣との戦いで病に罹り騎士団を退いてからは、領地を離れて王都で過ごすことが多くなったそうだ。」
「じゃあ、子爵は今、この領にはいねえってことですか?」
「その可能性が高いと思う。出来れば今すぐにでも王都に戻りたいところだが、そちらは陛下が対処してくださるだろう。」
そのためにカールは、これまでの事件の顛末をまとめた木札をドーラに託したのだ。カールはヴィクトルと会話をしたことで、やっと自分のするべきことがはっきりと見えてきたのを感じた。
「領都へ行こう、ヴィクトル。いつまでもこの村に滞在しているわけにはいかない。」
「薬を作ってる野郎を探し出してふん縛りに行くんですね。へへっ、腕が鳴りますぜ!」
「ああ、お前のおかげで今後の方針を整理することができた。ありがとうヴィクトル。また私に力を貸してくれないか?」
カールに感謝の言葉を言われたヴィクトルは、たちまち顔を赤くした。そして両腕をぶんぶん大きく振り回して言った。
「そんなの、水臭いですぜアニキ。『ついて来い』って言ってくだされば、どこへだって行きまさあ!!」
ヴィクトルの言葉に、カールは一瞬虚を突かれたような表情をしたがその後すぐに、大きく頷いた。
「・・・ああ、そうだったな。私についてきてくれ、ヴィクトル!!」
「へい、アニキ!! ・・・ところでアニキ、家畜小屋にいるあの連中、どうするんですか?」
家畜小屋にはドーラが無力化した12人の領兵の他、情報を引き出すために砦から連れてきた男が捕らえられてる。
ヴィクトルに問われたカールは、迷うことなく即座に返答した。
「罪状は明らかだ。私の責任において処刑する。」
カールの身分である令外子爵は、王命により王国の法令に縛られず任務を遂行する自由裁量権が認められている。その中には、犯罪に対する訴追および裁判権も含まれているのだ。
つまりカールが明らかな犯罪の証拠を掴んだと判断した時点で、すぐに刑罰を下すことが可能ということ。砦に夜襲をかけ、一夜にして領兵たちを斬るという判断ができたのも、この権利が認められているからだ。
ただ権利が認められているからと言って、40人以上いた荒くれどもを瞬く間に切り伏せることなど、普通はできない。それだけカールの剣技が並外れているということだ。
カールの「処刑する」という言葉で、昨晩の修羅のごときカールの戦いぶりを思い出し、ヴィクトルは愁いを含んだ目でカールのぎゅっと引き結んだ口元を見た。
このお方は、本当に危なっかしい。
ヴィクトルはカールの冷たい表情を見て、そう思わずにはいられなかった。
村を出ていく以上、領兵たちを放置していくことはできないのは分かる。だからといってすぐに全員処刑するという判断を下すなんて、ヴィクトルにはとてもできない。最終的にはそうするかもしれないが、やはり相当躊躇するだろう。
カールは殺人や暴行などの犯罪を犯した者に対して、恐ろしいほどの非情さを見せる。しかし彼がその者たちを憎んでいるのかと言えば、そうとも言い切れない。
砦で斬った者たちの遺体を一人一人丁寧に並べ、真剣な表情で彼らの冥福を祈る様子を見て、たぶんこっちが本当のカールの姿なのだとヴィクトルは思ったものだ。
必要となれば躊躇いなく人を斬るが、それに対してカールがいつも苦しんでいるようにヴィクトルは感じていた。
いっそ、本物の修羅になりきってしまえば苦しみこともないだろうに、多分カールにはそれはできない。カールは虐げられる人たちを守る為、無理をして修羅を演じているのだ。ヴィクトルはいつかカールの心が壊れてしまうのではないか、と心配で仕方がなかった。
そしてそんなカールだからこそ、自分はずっとついていきたいと思っているのだろうと、彼はぼんやりと思った。
彼は本当は自分の気持ちをカールにも伝えたかった。カールは間違っていないと、カールの本当の気持ちは自分にもちゃんと伝わっていると言いたかった。
でもヴィクトルはそれをうまく言葉にすることができなかった。
「了解です、アニキ。」
だから彼は短くそれだけ答えた。そして家畜小屋に向けて無言で歩き出したカールに寄り添うよう、彼の後をぴったりとついて歩いたのだった。
処刑した領兵たちの遺体を荼毘に付し埋葬を終えた後、二人は作業を手伝ってくれた村人たちに領都へ向かうことを告げた。すでに日は落ち、夕刻になってしまっている。
「では明日の朝に出発しよう。もしも、ドーラさんが来たら私たちは領都へ向かったと伝えてくれ。」
「確かに承知いたしました。ところで、先ほど子爵様の弟さんのことを話していらしたようですが・・・。」
別れを告げたカールに対し、羊飼いの少年の祖父がおずおずと切り出した。彼は今、まだ床に臥せっている村長の代わりに村の代表を務めている。
「ああ、レイエフ殿のことか。彼を知っているのか?」
その問いかけに、老人は恐れ入った表情で大げさに手を振った。
「とんでもない! わしらのような者が領主様のご家族のことなどを知っているはずがございません。ただとても変わったお名前だなと思ったものですから・・・。」
「変わった名前? 確かにあまり王都では聞かない名だが、この領でもそうなのか?」
ヴィクトルの言葉に老人は深く頷いた。
「レイエフというのはこの辺りの方言で『つらら』という意味です。ですが普通は名前に使うことはありません。縁起が悪すぎます。」
「縁起が悪りい?」
「つららは春になれば解けて消える儚いものです。大事な子供にそんな名を付ける親はいません。それに・・・。」
「それに?」
「『レェーフ』と響きが似て過ぎています。一体、先代の領主様はどうしてそんな名前をお付けになったのでしょう?」
「なんだそりゃ、それもこの辺の方言か?」
ヴィクトルの問いかけに、老人は少し言い淀む様子を見せた。
「『レェーフ』は・・・この辺りの者が使う罵りの言葉でございます。公用語に言い換えるのは難しいですが、あえて言うなら『卑怯者』といったところでしょうか。」
「なんだそりゃ。それが本当なら確かにひでえ親だな。じゃあ子爵も似たような名前なんですかね、アニキ?」
カールは右手を顎に軽く当て、記憶をたどる様に目を瞑った。
「いや確か・・・ルングハルトという名だったはずだ。ルングハルト・グレッシャー子爵。」
「おお、英雄ですか。領主様にふさわしいお名前ですな。」
「へえ、そうなのか? じゃあ、弟と兄貴でずいぶん扱いが違うんだな。レイエフの方は、親に嫌われでもしてたんですかね? 兄貴とは腹違いとか・・・。」
「さあな、そこまでは情報がない。とりあえず今は領都に向かうことだ。領都までの道のりは?」
「一応、荷車が通れるだけの道はございます。馬でならおそらく3日ほどで着くはずです。」
老人の言葉にヴィクトルは情けない表情で眉を下げた。
「アニキ、俺、あんまり馬には自信がねえんですが・・・。」
ヴィクトルの言葉にカールも苦笑する。
「気が合うなヴィクトル、私もだ。一応、稽古はしているんだが、付け焼刃ではなかなか身につかないな。」
カールは貧乏官僚貴族家出身。乗馬の経験はこれまでほとんどない。ハウル村を任されるようになってから、執務や鍛錬の合間に多少練習した程度だ。王都の貧民街出身のヴィクトルについては言うまでもない。
するとその会話を聞いた老人が、二人に申し出た。
「それなら村の荷馬車をお使いください。私でよければ御者を務めます。馬よりは遅くなりますが、それでも4日ほどで行きつけましょう。」
「それは助かる。よろしく頼む。」
その晩、二人は村長の家に宿泊し粗末な、だが心のこもった暖かい歓待を受けた。そして翌朝、まだ日も明けやらぬ時間に村を発ち、グレッシャー領都ヴィッテルラインへ向かったのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。