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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
53/93

52 神聖騎士

ちょっと長くなってしまいました。書くのは大好きなのですが、短くまとめるのが本当に苦手です。

 ドルアメデス王国令外子爵カール・ルッツは、閑散とした広場に横たわる男の胸に左の掌を押し当てると、そっと目を瞑って祈りの言葉を口にした。


「この地を守護する大いなる大地の女神よ。この者の痛みを取り去りその傷を癒し給え。《大地の癒し》」


 カールの掌から溢れてた虹色の光が男の胸に吸い込まれいく。やがてその光は男の全身をうっすらと包んだ。


 それに伴って皺が寄ってやせ細った老人のようだった男の肌にほんの少しだけ張りが戻ってくる。白くなっていたまばらな髪の根元も、やや色を取り戻したようだ。


 その光景をカールの向かい側からじっと眺めていたヴィクトルは、ほうっと感嘆の息を吐いた。






「いつ見てもすげえですね、アニキ! カッケエっす!」


 自分の使った神聖魔法を手放しで褒めてくれるヴィクトルに、カールは少し苦笑しながら答えた。


「こんなもの、本職の神官や祈祷師に比べれば、大したことはないよ。」


 謙遜して口にしたカールのこの言葉はある意味正しくもあり、また同時に間違ってもいた。


 カールが今、使ったのは大地母神殿の祈祷師たちが使う初級の回復魔法《大地の癒し》だ。見習いの祈祷師たちでも使うことのできる、もっとも簡単な癒しの魔法。


 カールがこれを使えるようになったのは、昨年の冬に起きたハウル村攻防戦の最中さなかのことだ。彼のために命を落としかけたエルフ族のロウレアナを救うために、彼は全身全霊を込めて神へ呼びかけた。その結果、彼は神聖騎士パラダインとして覚醒したのだ。






 神聖騎士は、並外れた剣技と強い信念を持つ者が神の加護を得ることで覚醒する特別な神職だ。


 一般的には聖女教の大聖堂に仕える騎士が神聖騎士と呼ばれている。だが実際のところ、彼らのほとんどは神聖魔法が多少使えるだけの剣士か、武器の扱いに長じた僧兵に過ぎない。


 神の加護を得、真の意味で覚醒した神聖騎士など、歴史上でもほんの一握り。カールはそんな稀少な神聖騎士の一人なのだ。当然、その神力も並外れて高い。






 もっとも、カールはこれまで祈祷師としての修行をしたことなど一度もない。神聖騎士となってから、大地母神殿で神聖魔法を勉強し始めたばかりだ。そのため使える神聖魔法の数はまだまだ限られている。


 今のカールは初歩の回復魔法と守護魔法をいくつか使えるに過ぎない。そういう意味で言えば彼の神聖魔法は確かに「大したことない」のだ。


 しかしその魔法の効力は、どれもが上級神官に匹敵するほどに強かった。カールの《大地の癒し》は、上級回復魔法《豊穣なる大地の癒し》とほぼ同等の回復力を持っているのである。


 実際、ドーラによって大半の生命力を奪われた男たちが何とか死の淵から回復できたのは、ひとえにカールの魔法の効力が高かったからだった。


 もっともカール自身は自らの力を自覚していなかったので、無事に回復した男たちを見ても「ふむ、見た目よりもずっと傷は浅かったようだ」と思っただけだったのだけれど。


 ともあれ合計12人の男たちを癒し終えたカールは、ドーラの魔法で眠り続ける彼らの側を離れて立ち上がった。






「これくらいでいいだろう。あとは家畜小屋でも借りて寝かせておくとしようか。」


「こんな連中、このまま広場に野ざらしでも何の問題もなさそうですけどね。こいつらのやってたことが犯罪だって分かれば、どうせ殺されちまうんでしょうし。」


 ヴィクトルの言う通り、この男たちの罪状が明らかになれば、おそらく死罪になることは確実だ。にもかかわらずカールが彼らを癒したのは、彼らがグレッシャー子爵の手先として犯罪に加担したという確かな証拠がないからに過ぎなかった。


 ドーラや村人に対してこの男たちがしたことを考えれば、今すぐにでも斬ってしまいたいというのがカールの真情。だが、他の貴族家の領兵を勝手に裁いたとなれば、後々面倒なことになりかねない。


 特に一番厄介なのは、勝手に彼らを裁いたことを言い訳にされて、首謀者であろうグレッシャー子爵を訴追できなくなってしまうことだ。


 のらりくらりと糾弾を躱すことにかけて、貴族という人種がいかに有能で狡猾であることか。王立調停官を父に持つカールは嫌というほどそのことを知っていた。


 故にカールはそんな内心の葛藤を飲み込み、ヴィクトルに言った。






「証拠が見つかるまでは、彼らは罪人ではないからな。気持ちは分かるが、ドーラさんのためにも今、死なれては困るんだ。」


「なるほど、アニキのおっしゃる通りっすね。それに領都に行ったら、なんか証拠が掴めるかもしれませんし。」


「うむ。出来ることならこの連中の仲間がやって来る前に、かたを付けてしまいたいな。」


「おお、やっぱりアニキも気が付いてたんですね。さすがっす!」


 ヴィクトルが嬉しそうに言った言葉にカールは無言で頷いた。







 この男たちや彼らの乗ってきた馬を調べてすぐに分かったことだが、彼らはせいぜい半日分移動できる程度の装備しか持っていなかった。


 先ほどの老人が話した通り、彼らが領都から来たのだとすれば、これはあまりにも軽装すぎる。おそらく近くに野営地があり、そこから半日ほど移動をしてこの村へやってきたと考えるのが自然だ。つまり、そこに彼らの本隊、仲間の領兵がいることはほぼ間違いない。


「何人くらいいるんでしょうね?」


 寝ている男たちを抱え上げながらヴィクトルが尋ねた。カールは男たちを運ぶ手を止めることなくすぐにその問いに答えた。






「この連中の装備から考えれば、多く見積もってもおそらく非戦闘員を含めて一小隊といったところだろう。」


「てこたあ残り3~40人ですか。ちっときつい数ですがドーラの姐さんがいりゃあ、あっという間に片付きそうですね。」


 ヴィクトルは軽い気持ちでそう言った。だが、カールはヴィクトルのその言葉をはっきりと態度ですぐに否定した。


「いや、この件でこれ以上、ドーラさんに手を貸してもらうつもりはないよ。」


「へっ? そりゃあ一体どういうわけです?」


「これはにんげ・・・貴族の不始末の後片付けだ。そんな血生臭い仕事を彼女にさせられないだろう。」






「ア、アニキ・・・。」


 ヴィクトルが呆気にとられた顔で呟く。自分がおかしなことを言っている自覚はカールにもある。小隊相手に二人で戦闘行為を行うなど、正気の沙汰ではない。


 だがいくら呆れられたとしても彼は、人間同士の争いに神にも等しい存在であるドーラを巻き込むことを容認できなかった。


 彼女の穏やかな生活と彼女の愛する者たちを守ること。それこそが彼の誓いであり矜持であったからだ。


 ただそれをヴィクトルに説明することは難しい。そのため彼は、自分を敬愛する配下にただ自分の心情を伝えるに留めた。


「自分でもつまらないこだわりだと思う。だが私も王国の貴族の端くれだからな。引き下がれない時だってあるってことさ。」


 カールの真剣な目を見たヴィクトルは、ぶるっと大きく体を震わせた。






「私と二人だけでは不安か?」


 自分の矜持を守るためにヴィクトルを犠牲にすることはできない。カールはそう考え、もしも不安ならここで村人を守ってくれるだけでいいと言いかけた。


 だがそれよりも早く、ヴィクトルは拳を握ってカールに訴えた。


「へへっ、あんまりにもアニキの言葉が嬉しくてブルっちまいました。アニキや姐さんに比べりゃあゴミカスみたいなもんですが、俺も精一杯働きますぜ!!」


 カールは満面の笑みで自分を見つめるヴィクトルを見て、そっと目を細めた。






 王立学校時代、まともな友人と呼べる人間が一人もいなかったカールにとって、自分のことを無条件に慕ってくれるヴィクトルの存在は眩しく、得難い存在だったからだ。


 彼の胸は何とも言えない熱い思いで満たされた。だがそれを言葉にすることはできなかったので、彼はただヴィクトルに「ああ、頼りにしている」と言うにとどめた。


 ヴィクトルは「へい!」と元気よくそれに応えた。彼もまたそれしか言葉が出てこなかったからだ。


 二人の男たちは心地よい無言の中、また男たちを家畜小屋に放り込む作業に戻ったのだった。






 男たち全員を家畜小屋に寝かせ終えたところで、ヴィクトルが額の汗を手の甲で拭きながらカールに尋ねた。


「やつら、いつくらいに来ますかね?」


「おそらく明日の朝以降だろうな。今夜、夕刻までに仲間が戻ってこないことを確認してから動くだろう。確か近くに廃棄された砦があるとドーラさんが言っていたはずだ。そこが拠点になっているんじゃないかと思うんだ。」


「てこたあ、それまでに村長を見つけて、領都から戻ってこなきゃならねえってことですね。」


「ああ。村長救出の首尾にかかわらず、村を守る為に一度戻ってくる必要があるだろう。その時は二人で取り掛かろう。」


 囚われている村長がすでに処刑されている可能性も考慮しつつ、カールはヴィクトルにそう言った。ヴィクトルもすぐにカールの意図を察し黙って頷く。






 出来ることなら領都でグレッシャー子爵の犯罪の証拠を掴みたいとカールは考えていた。そうすればこの後の展開が非常に楽になるからだ。


 村にやってくる領兵の部隊を押しとどめるだけなら、カールが身分を明かし彼らに退去するよう命じればいい。


 だが家畜小屋に転がっているごろつき同然の男たちを見る限り、そんなに物わかりのいい連中がやってくるとは到底思えなかった。


 彼らは確信的に犯罪にかかわっているのだ。よくて押し問答、最悪の場合は戦闘になるだろう。たとえ貴族であるカールを殺してしまったとしても、証人がいなければ『不幸な事故』として処理することができるからだ。


 もちろんカールに負けるつもりはなかったが、村での戦闘は住民に被害が出る可能性が高い。そうなればドーラは必ず村人を守るために戦闘に加わろうとするはずだ。


 それはカールにとっても、ドーラにとっても避けたい状況だ。カールは自分の信念の問題として。そしてドーラは彼女の秘密を露呈しかねないという点において。






 その点、子爵の犯罪の証拠が掴めれば話は全く違ってくる。そうなれば、こちらから彼らを捕縛するために動くことができるからだ。もちろん抵抗する相手は、その場で斬ってしまえばよい。


 その場合、犯罪捜査への自由裁量権を認められているカールの令外子爵という立場を十二分に生かすことができる。村長を救出することができれば犯罪を立証する証人として、子爵逮捕の糸口を掴めるかもしれない。


 それにドーラの気持ちを考えれば、村長が生きていた方がいいに決まっている。村長が死ねば、優しいドーラが責任を感じないわけはないからだ。


 もっともそんなに都合よく物事が進むとは思えない。だがそれでもカールは、幸運の女神ドーラに奇跡を祈らずにはいられなかった。











 《転移》の魔法を使ったことで私の周りの風景が、狭い路地裏から明るい夏の太陽に照らされた広場へと切り替わった。


 目深にかぶっていた長衣ローブのフードを少し上げて周りを見ると、側の家畜小屋の前で立ち話をしているカールさんとヴィクトルさんの姿をすぐに見つけることができた。


「カールさん、ヴィクトルさん、お待たせしました!」


 私は杖を持っていない左手を大きく振りながら二人に駆け寄った。そんな私の姿を見て、ヴィクトルさんは素っ頓狂な声を上げて驚いた。






「姐さん、もう領都まで行ってきたんすか!? 《飛行》の魔法ってのは本当にすげえもんですね!」


 本当は《飛行》じゃなくて、竜の翼で飛んで行ったんだけどね。でもそれを彼に話すことはできないので、私は曖昧に笑って彼の言葉をごまかした。


「あはは、まあそうですね。ところでその恰好は?」


 そう尋ねたのは、カールさんとヴィクトルさんの服装が変わっていたからだ。私が出発した時、カールさんは王国官吏の官服を、ヴィクトルさんは衛士隊の制服をそれぞれ身に着けていた。


 でも今は私が眠らせたあの領兵さんたちの服を着ている。カールさんに至っては整えてあった髪をわざとぼさぼさにして前髪を垂らし、顔を半分隠していた。


 おまけに頭から土でも被ったのだろう、髪の色もはっきりと分からないほど薄汚れて変わってしまっている。






「変装ですよ。今は相手に私たちの正体や動きを悟られるわけにはいきませんからね。」


 私はカールさんの声を聞いてまたまた驚いた。なんと彼は声まで変わっていたのだ。


「実は長兄のアーベル兄上が変装の達人なんです。私も幼い頃から兄上に変装術を教わっていたのですよ。兄上ほどはうまくありませんが、何もやらないよりはマシですから。」


 カールさんは少し恥ずかしそうにそう言った。けれど、私は普段の彼と全然違う声や見た目を本当にすごいと思った。


 私は普段から匂いや魔力の気配で人間を判別しているからすぐに分かったけど、これ、普通の人なら日頃彼と会っている人でも、絶対に分からないんじゃないかな。






「アニキにこんな特技があったなんて驚きっすよね、姐さん!」


 ヴィクトルさんはカールさんを見ながら心底感心したように私にそう言った。そういう彼は領兵さんの上着だけを着た状態だ。


 ただし大柄な彼には小さすぎてサイズが合わなかったのだろう。服のあちこちにわざと入れたのだろうと思われる切込みがあり、肌がだいぶ露出していた。特に袖は肩からなくなっていて、逞しい腕がむき出しになっている。


 その姿はいかにも荒くれていてものすごく強そうだ。普段は姿勢のいいカールさんがわざと体を屈めているせいもあり、隣にいるヴィクトルさんがますます大きく見える。


「では準備ができたら、さっそく出発しましょうか。」


 カールさんの言葉で私たちはしっかりと手をつなぎ合った。そして《集団転移》の魔法で再びグレッシャー領の領都ヴィッテルラインの路地裏へと移動したのでした。












「・・・やけに明るい街ですね。とても無理矢理つれてこられた連中とは思えませんぜ。」


 路地裏からそっと表通りの様子を伺ったヴィクトルさんが呟く。確かに通りを行く人たちは明るい表情をした若者たちの割合が多かった。


 彼らはいかにも楽しそうに会話をしながら荷物を運んだり、馬の世話をしたりしている。


 クベーレ村で聞いた話が本当であればこの領の若者たちは無理矢理、領都に集められているはずだ。でもこの若者たちの様子を見る限り、そんな悲壮な様子は微塵も感じられない。


 王都で暮らす人たちと比べても、この領都の人たちの方がずっと平和で、穏やかで、幸せそうに見える。でもそれは、どことなく不自然さを覚えるような明るさだ。






 私には、その理由がはっきりと分かっていた。私は胸のむかつきを感じて半仮面の下でそっと眉を顰め、思わず鼻を押さえながら二人に囁いた。


「あの人たちからは強いオキーム花毒の香りがします。」


「!! オキーム花毒ってぇとアニキがバルドン隊長と話してた、人をおかしくしちまうっていうヤバい薬ですかい!?」


 私はそっと頷いて、彼に応えた。


「オキーム花毒には人の不安や悩みを無くし、身体能力を飛躍的に引き上げる力があるそうなんです。あの人たちがあんなに明るく見えるのはきっと・・・。」


「領主があの連中を薬でおかしくしちまってるってことですね! なんて酷えことしやがるんだ! でも花毒中毒になっちまうとまともに話もできなくなっちまうって聞きましたけど、そんな風には見えねえですね?」


 そんなヴィクトルさんの疑問に答えてくれたのはカールさんだった。






「おそらく投薬量を調整して、中毒症状がギリギリまで起きないようにしているのだろう。以前、ガブ・・知り合いの錬金術師が効果の強すぎる危険な薬はそうやって投薬するのだと教えてくれた。」


「へえ、そんなことができるんですか?」


 カールさんは小さく頭を振った。


「いや、簡単ではないそうだ。与える患者の体の大きさや状態によって細かく量を変えなくてはならないらしい。まして彼らが与えられているのは危険な猛毒薬。よほどこの花毒薬の扱いに熟達した薬師でなければ、そんなことは不可能だろうな。」


 私はハッとしてカールさんを見た。


「!! それはつまり!」


 驚いて声を上げた私に、カールさんはゆっくりと頷いた。


「そうです。この領で花毒薬が作られてることは間違いないでしょう。グレッシャー子爵がどの程度関わっているのかは分かりませんが、これは動かしようのない犯罪の証拠になります。住民の移動を厳しく制限していた理由もこれで判明しましたね。」


 カールさんはそう言いながらぐっと右手を握りしめた。そして私に向き直って、小さな声で言った。






「この街の不自然さには私もすぐに気が付きました。でもドーラさんの話で自分の考えにより確信が持てました。ありがとうございます。」


 カールさんの言葉に、ヴィクトルさんは首を何度も捻って通りをちらちらと伺った。


「確かにおかしいとは俺も思ったんですが、何がおかしいのか分かんねえんです。アニキ、教えてもらえませんか?」


 そう言って大きな体を小さくするヴィクトルさん。カールさんはそんな彼に苦笑しながら言った。






「通りを見ればすぐに分かることだ。あそこにはさっきからたくさんの者たちが行きかっているが、年寄りや子供は一人もいない。皆、成人直後から壮年の者たちばかりだろう? おそらく子供や老人では薬の負荷に耐えられないからではないかと思うんだ。」


「ああ! 言われてみればそうですね! さすがはアニキ! すごいっすね!!」


 ヴィクトルさんはなぞなぞの答えが分かった子供みたいに大きく手を叩いた。でもすぐにしゃがんで物陰に身を潜めると、小声で「大声出してすんません」と謝った。


 その様子があまりにも犬っぽかったので、私は思わず彼の頭をポンポンと撫でてしまった。急に撫でられた彼は驚いた顔をしたけれど、すぐに照れたように「へへへ」と笑顔を見せた。


 カールさんは私とヴィクトルさんの様子を見て優しく微笑んだ後、私に尋ねてきた。







「ドーラさん。この花毒がどこで作られているか、ドーラさんの力で知ることはできませんか?」


 私はフードを少し上げて、風の中に漂う花毒の香りを慎重に嗅いだ。


「街中に花毒の香りが満ちているのですぐには分かりません。ただあそこからものすごく強い呪詛の臭いがします。」


 私は路地裏の陰からでも見える西側の小高い丘を指さした。そこには高い尖塔をたくさん持つ堅牢な城が聳え立っている。夏の明るい光を受けて白く輝く胸壁が美しい。


 しかしそこから漂ってくるのは胸が悪くなるような、強烈な呪詛の悪臭だ。魔力の目で見ると、背後の山々までくすんで見えるほど禍々しい瘴気に満ちているのが分かる。






「あれは間違いなく領主の居城ですね。この辺りの領は数十年前まで対帝国の最前線でしたから、領主の館は皆、長期の籠城に耐えらるように造られているんですよ。」


 カールさんはそう言った後「居城から呪詛とは・・・一体どういうことだ?」と小さく呟いた。その後、彼はしばらく顎に右手を当てたまま考え込んでいたけれど、すぐに頭を小さく振ると私たちに言った。


「今はクベーレ村の村長を救出することが先決です。彼の居場所を突き止めましょう。ドーラさんの魔法で探すことはできますか?」


「はい、《人物探索》の魔法を使えばすぐに分かります。でもあの呪詛のことが気になっていて、使ってもいいか迷っていたんです。」


 《人物探索》の魔法は私の魔力を街中に広げて、目当ての人を探すことができるという便利な魔法だ。でもそんなことをすれば当然、あの呪詛にも私の魔力が届いてしまう。私はそれが何となく嫌だと思った。


 理屈ではなく本能的に嫌なのだ。触れたらきっとよくないことが起こる気がする。理由は説明できないけれど、私はそう確信していた。


 私がそのことをカールさんに伝えると、彼はすぐに「ドーラさんの判断は間違いないと思います」と言ってくれた。






「ドーラさんが魔力を使うことで、子爵にこちらの存在を知られてしまうかもしれません。ここは地道に探す方がよいでしょう。」


「でもこんなに広い街でどうやって探したらいいんでしょう?」


 私がそう尋ねると、ヴィクトルさんが一歩前に踏み出してさっと胸に手を当てた。


「へっへっへ、それなら俺に任せてください。今からあいつらに聞いてきますんで。」


 そう言ってヴィクトルさんは、若者たちに交じって通りを行く領兵さんたちを親指でさした。いかにもゴロツキといった風体の彼らは街を行く若い女性たちを冷やかし、大声で笑いながらこちらへ歩いてくる。


 その手には陶器の酒瓶やお酒を入れる革袋が握られていた。






「大丈夫なのか、ヴィクトル?」


 心配するカールさんに、ヴィクトルさんは大きく頷いた。


「ああいう連中の相手は任せといてください、アニキ。じゃあ、ちょっと行ってきますんで。」


 ヴィクトルさんはそう言うとあっという間に路地裏を飛び出していった。彼は「おーい!」と呼びかけながら、横柄な態度で通りを行く領兵さんたちに近づいて行った。


 領兵さんたちは胡散臭いものを見るような目でヴィクトルさんを睨みつけている。私とカールさんはいつでも飛び出してヴィクトルさんを助けられるように杖と剣を握る手に力を込めた。






 でもしばらく言葉を交わすうちに、ヴィクトルさんと領兵さんたちは大声を上げて笑い合い始めた。


 かなり離れているけれど、私の耳には彼らの会話がよく聞こえてくる。でも物凄く早口なうえに、初めて聞く言葉が多いのでさっぱり内容が理解できない。


 「ぼいんぼいん」とか「かわいいウサギちゃん」っていうのはなんとか聞き取れたんだけど、一体何の話をしてるんだろう?


 領兵さんたちはヴィクトルさんが変な動きをして何か言うたびにお腹を抱え、涙を流して笑い転げている。彼らはヴィクトルさんと互いに肩を叩き合い、最後は笑顔で手を振って別れて行った。






 程なく路地裏に戻ってきたヴィクトルさんがカールさんに囁いた。


「村長の居場所、分かりましたぜ。処刑予定の罪人は北の街はずれにある兵舎に収容されてるそうッス!!」


「そ、そうか。さすがはヴィクトルだな。だが一体どうやって聞き出したんだ?」


 尋ねられたヴィクトルさんは大きな体を小さくしてもじもじと手を擦り合わせた。


「えっと、それはつまり・・・お、男同士の楽しみについて語り合ったんっすよ。姐さんの前ではこれ以上はちょっと話せないっすケド・・・。」


 私は説明を求めてカールさんの方をちらりと見たのだけれど、彼は赤い顔で「こほん」と咳払いをしただけで返事をしてくれなかった。


「と、とにかく居場所が突き止められたのはいいことだ。すぐに兵舎へ向かおう。」


 そうして私たちは、村長さんのいる北の街はずれの兵舎に向けてその場を離れたのでした。











 しばらく歩いて街はずれにやってきた私たちは、すぐに目的の兵舎を見つけることができた。見上げるほど大きな石壁に囲まれた兵舎は、この街の他の建物と同じようにきれいに磨き上げられた石を組み合わせて作られている。


 だけどその雰囲気は他の建物と大きく違っていた。まず何といっても建物の周りが物凄く汚い。それにものすごく臭いのだ。


 その原因はそこらじゅうの壁際に残る汚物や食べ物の残骸だ。この街にもトイレはあるはずなのに、どうやら通りで用を足す人がここにはたくさんいるらしい。


 お酒の匂いのする陶器の空瓶や空樽、食べ散らかされた食べ物も壁沿いに散乱していた。多分これ、壁の上から放り投げたんじゃないかと思う。


 放置されたそれらのものに集まったカラスや野良犬が、私の姿に驚いて飛び立っていく。私は長衣のフードをより深く被り、カールさんとヴィクトルさんに挟まれるようにして、兵舎の入り口を守る門番さんに近づいて行った。






「おい、お前ら! なんだ、そのまじない師は?」


 大きな門の前でやる気なさそうに座り込んでいた赤ら顔の若者が立ち上がって、私たちに声をかけてきた。サイズの合っていないぶかぶかの制服を着た彼は、私たちを見るなり慣れない手つきで槍を右手に取った。


 彼は私たちを警戒して必死に槍を構えている。だけど短槍の名手であるゼルマちゃんと比べると、あまりにも腰の引けた構えだ。左手には小さな呼子を握りしめているのが見えた。


 これを鳴らされると厄介なことになる。彼を魔法で眠らせてしまってもいいのだけれど、村長さんのいる場所を探し回ることを考えたら、ここはできるだけ穏便に通り抜けたほうがいいと、さっき三人で打ち合わせたのだ。


 というわけで、道々で立ててきた作戦通り、まずはヴィクトルさんが口を開いた。






「ああ、街の外をウロウロしてて怪しい奴だったからよ。俺たちがとっ捕まえてやったのさ。」


「はあ? じゃあお前ら『人狩り』の部隊か? 俺は何にも聞いてねえぞ。どの組の所属だ、お前ら?」


 『人狩り』という言葉を聞いて、カールさんがぴくっと小さく反応した。でも門番さんはそれに全く気が付かなかった。彼の目は大きくて強そうなヴィクトルさんの方に釘付けになっている。


 ヴィクトルさんはそれを十分に意識した上で、わざと大げさにはあっと大きく息を吐いて両手を広げ、空を仰いで見せた。






「おいおい、俺の顔見てもわかんねえのか? だからお前はいつまでたってもちんけな見張り止まりなんだぜ。」


「な、なんだと!?」


 門番さんは気色ばんでヴィクトルさんを見上げた。でもヴィクトルさんはそれを意にも介さず、ゆっくりと言葉を続けた。


「俺たちゃなあ、子爵様直々のご命令で動いてんだよ。」


 そう言って彼は懐からきらっと輝く魔法銀ミスリル製の身分証を素早く取り出し、ほんの一瞬だけ門番さんに見せた。これはカールさんの子爵の身分証だ。あらかじめカールさんが、ヴィクトルさんに渡しておいたのだ。


 門番さんが動揺してもっとよく身分証を見ようとした隙に、ヴィクトルさんは門番さんの顔に自分の顔をぐっと近づけた。






「お前みたいな下っ端に俺たちの動向をいちいち報告するわけねえだろう。さっさとそこをどけよ。それとも何か? 俺から手柄を横取りするつもりなのか? ああ?」


 自分よりもずっと大きなヴィクトルさんに上からのしかかるように睨みつけられて、門番さんは悲鳴のような声を上げた。


「ちっ!! わ、わかったよ! さっさと通れ!」


 門番さんはさっとその場を避けて、門のカギを開けた。ヴィクトルさんが身振りでカールさんに先に行くように示す。カールさんは私を引きずるようにして、門を潜り抜けた。


 ヴィクトルさんは私たちが通り抜けるのを見届けてから、ゆっくりと歩きだした。でもすぐに足を止めて、門番さんの方を振り返った。






「おいお前、名前は?」


「フ、フリッツだ。それがどうした?」


 急に呼びかけられた門番さんは、動揺を隠そうと精一杯虚勢を張りながら返事をした。ヴィクトルさんは彼の歩み寄ると、その方に自分の大きな手をどしんと置いた。


 痛そうに顔を顰める門番さんに、ヴィクトルさんはゆっくり語りかけた。


「なあフリッツ。俺ぁ物わかりのいい奴は嫌いじゃないぜ。子爵様には俺からお前のこと、よろしく言っとくからな。」


 驚きに目を見張る門番さんの前で、ヴィクトルさんは親指と人差し指で丸を作り、それをカールさんに示した。カールさんは小さく頷くと、懐から硬貨を取り出し門番さんの掌に握らせた。






「こ、こりゃあ銀貨! こんなにいいんですかい?」


 驚いて大声を上げた門番さんを見て、カールさんは一瞬「しまった」という顔をした。でもそれをごまかすように、ヴィクトルさんは門番さんの肩をバンバンと叩いた。


「お、おう。もちろんさフリッツ。おめえには見どころがある。それで旨いもんでも食ってくれ。」


「あ、ありがとうございます!」


「ハハハ、いいってことよ。じゃあ、俺たちはこいつを調べなきゃなんねえからな。奥の部屋借りるぜ。監獄のカギは今、どこにある?」


「いつも通り看守室の壁に掛けてあります。」


 ヴィクトルさんは門番さんに気づかれないよう、そっとカールさんに目配せをした。カールさんがそれに小さく頷いて応じる。






「ふむ、空いてる牢はあったかな。ちょっと前にクベーレの爺いが運ばれてきたろう? あそこはもう空いてんのか? どこだったか、お前ちゃんと確認してんだろうな?」


「はい、もちろんです。地下牢獄の奥から2番目の部屋にいる爺ですよね。でも処刑は中央広場で明日の昼にする予定ですんで、まだ空いてねえんです。すんません。」


 恐縮する門番さんの肩を、ヴィクトルさんがまたバンバンと叩く。


「謝ることねえよ、フリッツ。別にお前さんのせいじゃねえんだ。」


 門番さんは痛そうに顔を顰めながらも、嬉しそうに口元を緩ませた。


「よし、じゃあ俺たちは行くからな。しっかり仕事しろよ、フリッツ!」


「はい、ありがとうございます! 頑張ります!!」


 こうして、最敬礼で門番さんに見送られながら門を潜った私たちは、堂々と正面から監獄へと入り込むことができたのでした。






 村長さんのいる地下牢獄へ向かうまでの間は、ほとんど人に会うことなく進むことができた。時折見かける人も、酔いつぶれて壁に寄りかかって寝ている人たちがほとんど。私たちが近くを通り過ぎても、目を覚ます様子がない。


 これなら門番さんを寝かせてしまっても問題なかったかも?


 一瞬そう思ったものの、誰かが門を出入りするときにバレてしまっては元も子もないのだと思いなおした。こんなことが考えられるのも、それだけゆとりがあるという証拠だ。


 これも全部ヴィクトルさんの名演技のおかげ。本当にありがたいよね。


 そのヴィクトルさんは私を真ん中に挟んだまま狭い地下牢獄への階段を下りながら、カールさんに話しかけはじめた。






「(さっきは急に話振っちまってすんませんでした、アニキ。)」


「(いや、見事なものだったヴィクトル。感心したぞ。それより私の方こそ銀貨なんか渡してしまって、すまなかったな。)」


「(いえいえ。確かにちっと驚きましたけどね。結果的にはよかったですよ。)」


 二人が互いに恐縮しながらそんな会話を交わしているうちに、あっという間に目的地へ辿り着いた。


 冷たく湿った地下牢獄は全く明かりがなく、血と汚物の臭いに満ちている。私の《絶えざる光》の魔法に照らされた長い廊下の両側には、鍵のついた重い扉がたくさん並んでいた。


 この牢獄はずいぶん古いもののようだ。この街は昔、帝国との戦争の最前線だったとカールさんが言っていたし、その時に造られたのかもしれない。






「ドーラさんは待っていてください。」


 カールさんはそう言うと《安らぎの灯》という神聖属性の明かりの魔法を使い、ヴィクトルさんを伴って慎重に廊下を進んでいった。


 村長さんのいる牢獄の扉を看守室から持ってきた鍵で開いた。私は「いました」というカールさんの声を合図に、その扉に駆け寄った。村長さんは服を剝ぎ取られ、裸の状態で牢獄の石壁に大の字に張り付けられていた。


「村長さん!!」


 私は村長さんの四肢を拘束している太い鎖を力任せに引き千切り、村長さんを壁から降ろして腕に抱きかかえた。


「・・・おお、大地母神様・・・お迎えに来てくださったのですね。」


 村長さんは私の顔を朦朧とした状態で見上げると、うわごとのように小さく呟いた。彼の体中に火傷や酷く叩かれた跡が無数にある。目も酷く腫れあがっていて、とてもまともにものが見える状態ではない。私はすぐに彼の全身にありったけの上級回復薬を振りかけた。






 魔法薬の効果で傷がふさがり始めたのを見てホッとしたものの、いつもに比べて傷の治りが遅いのことにすぐに気が付いた。


「長い時間、酷く痛めつけられていたせいでしょう。回復力がかなり落ちているようですね。」


 カールさんはそう言って、村長さんに癒しの魔法をかけてくれた。そのおかげか気を失っていた村長さんは意識を取り戻し、私に向かってかすれた声で話しかけてきた。


「め、女神様・・・村の者たちを・・お助けください。どうか、どうか、お願いします・・・!」


 動かない体を必死に動かして、彼は私に縋りついた。私は村長さんを体をしっかりと抱きしめた。


「大丈夫です。私が必ず皆さんを守ります。だから安心してください!」


 私の言葉を聞いた村長さんの、腫れあがった瞼の間から熱い涙があふれだし、皺だらけの頬を伝って私の長衣を濡らした。


 彼は「あり・・・がとう・・ございます」と呟いた直後、再び意識を失った。






「薬が効いてきて、回復のための眠りに入ったのでしょう。呼吸が安定していますから大丈夫です。」


 心配する私にカールさんは力強くそう言ってくれた。私はその場で《集団転移》の魔法を使い、地下牢獄からクベーレ村へと移動した。


 出かけたときは中天にあった太陽は大きく傾き、山から吹き下ろす風はひんやりとしてきている。


 私たちの帰りを待ちわびていた村の人たちに村長さんの無事を伝えると、みんなは涙を流して大喜びしてくれた。その中にはあの羊飼いの男の子の姿もあった。


 私たちは村長さんを彼の家に運んで寝かせた後、この後のことについて話し合った。






「村長から詳しい話を聞きたいところですが、今はそれができる状態ではありません。あと2,3日は静養が必要だと思います。」


 カールさんはそう言って、私に二つの木札もくさつを手渡した。


「ドーラさん、これをステファンとバルドン兄上、それと陛下に届けていただけませんか。今回の顛末が簡単にまとめてあります。」


「分かりました。けど、カールさんたちはまだ帰らないんですか?」


「今はまだ、この村ですることがあるのです。傷ついた者たちの治癒もしなくてはなりませんし。そうですね・・・明日の昼頃にまた迎えに来ていただけないでしょうか?」


「分かりました。明日のお昼ですね。今度はテレサさんを連れてきましょうか?」


「それは助かります。ぜひお願いします。」


 私は任せてくださいと彼に言い、受け取った木札を《収納》に仕舞い込んでから、ハウル村に向けて《転移》で移動したのでした。











 ドーラがいなくなった後、その場に落ちた静寂を破るように、ヴィクトルはカールに向けて話しかけた。


「行っちまいましたね、ドーラの姐さん。」


 ヴィクトルは目に剣呑な光を湛えてカールにニヤリと笑いかけた。


「・・・アニキ、今からすぐに行きますか?」


「そうだな、ドーラさんとお前の働きのおかげで思いのほか早く帰ってこられた。犯罪の証拠も掴めたことだし、厄介ごとは早いうちに済ませてしまおう。」


 カールはそう言うと同じようにヴィクトルにニヤリと笑い返した。そして冗談めかした口調で彼に問いかけた。






「疲れているか、ヴィクトル?」


「まさか! 暴れ足りなくて腕がウズウズしてますぜ。」


 ヴィクトルは両腕をぐるぐると回して見せる。その様子を見てカールは思わず口元を綻ばせた。


「ではゴミ掃除がてら、砦でまともな話を聞ける者を探すとしよう。生き証人はそうだな・・・一人いれば十分だろう。」


 普段ハウル村にいるときには絶対に見せることのないカールの酷薄な表情に、ヴィクトルは背筋がぞくりと凍るような思いを覚えた。


 これから数十人の人間を殺すというのに、カールは一切、感情の揺れを見せない。ヴィクトルは日頃接している穏やかなカールと、今、目の前にいるカールのどちらが本当の彼なのかと思わずにはいられなかった。






 だがすぐに、これはある意味でカールの本質でもあるのかもしれないと思いなおした。カールは王国史上、おそらく初の神聖騎士。彼をそう為さしめたのは強い、あまりにも強いその信念だ。


 何に変えても大切な誰かを守るというその思いは、裏を返せばそのためには手段を選ばないという決意に他ならない。それはまるで狂気そのものだと、ヴィクトルは思った。


 ハウル村に来てカールに惚れ込んで以来、ヴィクトルは常に彼と一緒にいる。その中で彼が本当に誰よりも人々を思いやる優しい心を持っていると感じていた。


 狂気にも似た彼の信念は、その優しさの裏返し。でもそれが行き過ぎて、いつか本当の狂気に堕ちてしまったとしたら・・・?


 ヴィクトルはハッとして、思わずカールの目を覗き込んだ。






「?? どうしたんだ、ヴィクトル? 私の変装におかしなところがあるのか?」


「い、いえ、大丈夫です、アニキ。なんでもありませんぜ。」


 ヴィクトルはこれらのことをはっきりとした言葉で考えたわけではなかったが、絶対にそんなことをさせてはならないということだけは、はっきりと意識した。


 アニキがみんなを守るなら、俺がアニキを守ろう。そんで、俺ができることを精一杯努めるんだ。そのためならあのいけ好かねえステファンの野郎とも、手を組んだっていい。


 村人から砦の場所を聞き取るカールの横顔を見ながら彼は、腰に履いた両手持ちの剣バスタードソードの柄を握る手にぐっと力を込めた。







「では出発しよう。遅れるなよヴィクトル。」


「へい!」


 ヴィクトルを気にしつつも、飛ぶような速さでカールは駆け出した。


 俺が絶対にあんたの背中を守ってみせますぜ、アニキ。


 次第に山の端に近づきつつある太陽の光の中、ヴィクトルはそう決意しながら、自分の前を行くカールの小さな背中を必死に追いかけたのだった。










 ハウル村でステファンさんにカールさんから預かった木札を渡した後、私は通話の魔導具である『おしゃべり腕輪』を使って王様に訪問することを告げた。


 少し時間をおいてから《転移》で王城に移動すると、執務を終えた王様は私を待っていてくれて、すぐにいつもの部屋で話を聞いてくれた。


「ううむ。これはすぐにでもグレッシャー子爵に話を聞かねばならないようだ。ドーラさんが感じた呪詛の気配といい、領都に溢れる花毒の香りといい、子爵が犯罪に加担しているのは間違いないようだからな。」


「カールさんもそう言っていました。だからすぐに王様に知らせてほしいと、私に頼んだんです。」


 私の言葉に頷いた王様は、侍女のヨアンナさんに声をかけた。






「ヨアンナ、すぐにハインリヒと連絡を取ってくれ。グレッシャー子爵の身柄を抑えるのだ。くれぐれも軍や近衛騎士たちには悟られぬようにな。」


 ヨアンナさんは「心得ております、陛下」と言うと、すぐに部屋を出て行った。王様は再び私に向き直った。


「ドーラさん、申し訳ないがまた明日の朝、カールにまた手紙を・・・。」


 でも王様はすぐに驚いてその言葉を中断した。私が急にがたっと音を立てて、椅子から立ち上がったからだ。






「ど、どうしたのかね?」


「!! これは・・・間違いない、私の《警告》が反応しています!!」


 早鐘のような魔法の警告音が私の頭の中に鳴り響き、それと共にエマの感じている恐怖や焦りがはっきりと伝わってくる。


 エマに重大な危険が迫っている!!


 私は王様の制止を振り切り、王様の部屋の窓から空へと飛び出した。《飛行》の魔法で雲の上まで飛び上がった私を青と白、二つの月の光が照らす。


「エマのいる方角は・・・あそこだ!!」


 私は引き千切るようにして自分の服を脱ぎ捨てるとそのままそれを《収納》し、背中に竜の翼を生やした。そしてエマがいる方角を目指し、音よりも速く風を切って夜空を駆け抜けたのでした。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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