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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
51/93

50 怒り

一週間かけて少しずつ書いたので、つながりがおかしなところがあるかもです。すみません。


あと前作「missドラゴンの家計簿」にたくさんの誤字報告をいただきました。この場でお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました。

 エマたちがいつもより早起きして魔獣討伐実習に出発するのを見送った日の翌日、寝具の片づけを終えた私にリアさんが尋ねてきた。


「ドーラ様、エマさんは大丈夫ですか?」


「今のところ、《警告》の魔法に反応はないです。楽しく過ごしてる感じが伝わってきますよ。」


 私が常にエマに使い続けている《警告》は、エマがいる位置と現在の心の状態を何となく教えてくれる便利な魔法だ。今エマがいるのは王都から少し行った南西の辺り。


 夕べから移動している気配がないから、きっとまだ出発前の準備をしている頃なのだろう。まだ夜が明けたばかりだしね。


 私がそう伝えるとリアさんは短く「わかりました」とだけ答えた。






 リアさんはどんな時でもほとんど表情が変わらない。最初、出会った頃は本当に無表情な人だなと驚いたものだ。


 けれど、最近はほんの少しだけ彼女の感情が読み取れるようになってきている。彼女は必要な時以外は口も開かない人だけれど、本当はとても感情豊かで優しい人なのではないかと思っている。


 今の「わかりました」の言い方には、少し安心したような響きがあった。きっとエマのことを気にかけてくれていたのだろう。






 今回の実習はとっても厳しいって聞いていたから、エマやミカエラちゃんは出発前にいろいろと準備をしていた。でも実習に持っていけるものには厳しい制限が掛けられているらしく、結局エマが持って行ったのはいつもの装備の他は回復薬をいくつかだけだった。


 私はエマが心配だったので、こっそりといつもより効力の高い回復薬を作り、エマに渡しておいた。持っていける回復薬の数には制限があるけれど、効力については何にも言われてなかったからね。


 私の魔力を込められるだけ込めておいたので、あれなら少しの量でも十分な効果を発揮するはずだ。私はエマが無事で帰ってきますようにと、エマのいる方角に向かって祈りを捧げた。






 エマとミカエラちゃんがいない間、私とリアさん、そしてミカエラちゃんの侍女ジビレさんは寮を出ることになった。二人がいないと、二人の世話をする私たちの仕事もないからだ。


 まだ昨日はエマたちが出発した後の片づけや帰ってきたときの準備があったけれど、今日からは本当にすることがない。だからこの後、食堂で朝食を摂ったら私とリアさんはハウル村に戻る予定になっている。


 ちなみにジビレさんは、バルシュ家の家令をしている旦那さんのマルコさんと一緒に、王都のバルシュ家のお

屋敷に戻るそうだ。留守を守る使用人さんや庭師さんはいるらしいのだけれど、お屋敷はものすごく広いので、二人はやることがたくさんあるらしいです。大変だよね。











「ドーラ様、出発の準備は整いましたか?」


 朝食を終えて侍女の控室に戻り、荷物をまとめているとリアさんが私に尋ねてきた。ジビレさんはついさっき出発してしまったので、今ここにいるのは私たち二人だけだ。


「もう大丈夫ですよ。ところでリアさん、その、ドーラ様っていうの、止めてもらっていいですか? 前みたいに『ドーラさん』って呼んでもらった方がいいんですけど・・・。」


「いいえ、ドーラ様はカール様の婚約者でいらっしゃるのですから、この呼び方を変えることはできません。」


 私のお願いに対してリアさんはきっぱりとそう言った。言葉や表情はいつもと全然変わらないのに、なぜか彼女の拒絶の気持ちがはっきりと伝わってくる。取り付く島もないとはまさにこのことだ。


 こういう時のリアさんに何を言っても無駄だということは、彼女との付き合いの中で十分にわかっている。


 私は思わず小さく苦笑いをした後、彼女に手を差し出した。






「じゃあ、準備ができたら行きましょう。手を繋いでください。」


 小さなカバンに荷物を詰めたリアさんと手をつないだ後、私は《転移》の魔法を使い、ハウル村のフランツ家の前に移動した。


 薄暗い侍女部屋から明るい夏の田園風景へと、視界が一瞬で切り替わった。リアさんは眩しそうに少し目をすがめてポツリと呟いた。 


「・・・相変わらず、すごい魔法ですね。馬車なら10日以上かかる道のりをあっという間に移動できるなんて。」


 私は曖昧な笑顔でその言葉に頷いた。本当は大陸の端どころか、ヴリトラの住む闇の領域にも一瞬で移動できるんだけどね。






 この《転移》の魔法、すごく便利な魔法なのだけれど、実は使える人がほとんどいないらしい。私がそれを知ったのは、王立学校に来てからのことだ。


 私が知っている中で言えば《転移》を使えるのはエマくらいだ。魔法の得意な王様やガブリエラさん、王立学校の先生の中にも使える人はいない。


 しかも使えるエマにしても、あまり長くない距離(普通の人が徒歩で一日歩けるくらい)を移動するのが精いっぱいだと言っていた。それ以上、長い距離を移動しようとすると、あっという間に魔力枯渇状態になってしまうらしい。






 今、私とエマが使っている《転移》は、もともと私が作った魔法だ。


 《転移》という魔法が存在することは、私が《人化の法》を生み出したときに手に入れた魔術書『王国魔法大全』の中に少しだけ記述があった。


 ただ残念なことに魔術書では詳しい内容に触れられておらず、どんな効果なのかが簡単に紹介されているだけだった。


 当時の私は竜の姿のまま洞窟に閉じ込められていたので、そこから脱出する方法がないかといろいろな魔法を試していた。別の場所に一瞬で移動できる《転移》の魔法はその頃の私にとって、特に魅力的な魔法だったのだ。


 そこで私は、魔術書に書いてあった数少ない空間魔法をいろいろ組み合わせて、この《転移》を作り出すことにした。


 結果として《転移》よりも《人化の法》の方が先に完成してしまったので、《転移》を使って洞窟を脱出することはなかったわけだけど、後で試したら竜の姿では《転移》の魔法を使うことができないことが分かった。


 多分、竜の姿の私が魔力の大半を体の維持に使っているからなのだと思うのだけれど、詳しい原因は分からない。


 せっかく作ったのに使えないと分かって、その時はちょっぴりがっかりしたものだ。けれどその後、人間の姿で暮らすようになってからはとても重宝しているので、今では作ってよかったなと思っている。







 私はエマに、《転移》をはじめ私の知っている限りの魔法をほぼすべて教えた。その中でもエマは、この《転移》の魔法を割と早い段階で使えるようになった。


 だから私はてっきり、他の人にも簡単に使える魔法なのだろうと思っていたのだ。


 でも王立学校で錬金術と共に魔法のことを勉強させてもらうようになってから、私の作った《転移》と王国の人たちが知っている《転移》は全然別の魔法だということが分かってきた。






 《転移》に限らず、王国の人たちの魔術に使われている言葉は、私の友達だった神々が会話するときに使っていた言葉にとても似ている。ただ神々の言葉に比べると、どれもバラバラでつぎはぎだらけだ。


 だから私は自分で足りない部分を補った。そうするともともとの魔法よりも効果が少し強くなるのだ。


 また言葉の組み合わせを変えると、全然違う効果の魔法が生まれることもある。私の使っている《人化の法》や《転移》は、そうやって作ったものだ。






 それに比べ、王立学校で見せてもらった魔導書に書いてあった《転移》の呪文は、本当に不完全なものだった。


 やたらと長いわりには、意味をなさない部分や意味の重複がたくさん含まれれている。その上、言葉のつながりもめちゃめちゃだ。


 人間は呪文を詠唱することで自分の体内に魔力の通り道『魔術回路』を作って、魔法を発現させている。呪文が不完全なら当然、魔術回路も正しく作れない。


 結果として、魔術を発動させるためにより多くの魔力が必要になるうえ、効果も限定されてしまうというわけだ。


 ただエルフのマルーシャ先生によると、これは人間が長い時間をかけて少しずつ、自分たちが使いやすいように魔法を作ってきた結果らしい。


 一見無駄に見えるように見える部分にも、実はちゃんと意味があるのだという。そしてそれは主に魔法の負荷から術者を守るための働きをしているのだそうだ。






 実際、私の作った呪文をいくつかミカエラちゃんにも使ってもらったのだけれど、エマのようには魔法は発現しないものが多かった。それどころか、ミカエラちゃんは酷い魔力酔いを起こして倒れてしまったのだ。


 どうも私の作った魔法を人間が使いこなすには、魔力以外の何か特別な力が必要らしい。


 それが何かは分からないのだけれど、マルーシャ先生は「魔獣が持つ魔石のような、何らかの体内器官ではないか」と言っていた。


 私はそれを聞いたとき、もしかしたらエマが私と同じ竜になってしまうのだろうかと驚き、とても心配した。でも、アンフィトリテ先生に調べてもらってもエマの体には何の異常も見つからなかった。 


 結局、詳しいことは分からずじまいだったけれど、エマは「お姉ちゃんと似ているのなら、私はとってもうれしいよ」と言ってくれたので、私はまあいいかなと思うことにしたのでした。




 







「私はお屋敷を片付けた後、カール様の元へ参ります。ドーラ様は、クベーレ村に行かれるのですよね?」


「うん、この間の村の様子がどうしても気になっちゃって。」


 私はフランツさんの家の前でリアさんと別れ、《転移》の魔法で王国北東部のクベーレ村に移動した。


 侍女服から着替えたまじない師の姿で、いつものように羊が放牧されている草地に降り立つ。


 夏の明るい太陽が照らしているのはハウル村と変わらないけれど、のんびりと草を食んでいる羊たちの間を抜ける風は、少しひんやりとしていた。


 右手に粗末な木の杖を握り、村を囲む塀に沿って正面の入り口へ向かおうとした私は、風の中に只ならぬ匂いを嗅ぎ取りハッと目線を遠くへ投げた。


「これは・・・血の匂い!?」


 間違えようのないその匂いは村の入り口の方から漂ってくる。これはまだ新しい血の匂いだ。


 村に何かあったのかもしれないと思った私は、匂いを辿りながら全速力で草地を駆け抜けた。






「ブラウちゃん!!」


 村の入り口につながる山道の脇に、茶色くて大きな犬が倒れていた。ブラウちゃんのお腹は大きく切り裂かれ、長い毛はべっとりと地に濡れている。明らかに刃物で傷つけられた痕だ。


 わずかに呼吸しているものの、今にも止まってしまいそうなほどに鼓動が弱まっている。私はすぐに《収納》から上級回復薬を取り出し、ブラウちゃんの傷口に振りかけた。


 多量に私の魔力を含んだ薬の効果でたちまち傷が塞がる。傷の癒えたブラウちゃんはすぐに気を失うように眠りに落ちた。


 回復薬で傷は塞がっても、失った血をすべて取り戻すことはできないから、目を覚ますまでにはしばらくかかるだろう。私は血に濡れたブラウちゃんの体を《洗浄》で清めた後、その体を抱え上げて柔らかい草の上に寝かせた。


 村で何か起こったことは間違いない。私は村の人たちの無事を祈りながら、壊れかけた木戸をくぐって村の中に駆け込んだ。






 夏とは思えないほど寒々しい佇まいをした家々の間を通り過ぎ、村の真ん中あたりにある広場に差し掛かったところで、たくさんの人影が目に入った。


 同じ色の制服を着た男の人たちが、広場の真ん中にいる村の人たちを取り囲んでいる。彼らは皆、剣や槍などの不揃いな武器を手にし、その切っ先を村の人たちに向けていた。


 怯えた表情の村の人たちが見つめる先には見覚えのあるおじいさんが一人、地面に倒れている。そしてそのおじいさんを武器を持った数人の男の人が取り囲み、うめき声をあげる彼を足で蹴り上げていた。


「あなたたち、何をしてるんですか!!」


 思いのほか大きな声が出てしまったせいで、村の人たちと男の人たちが驚いた顔で一斉に私の方を見た。






「!! 女神様、じいちゃんを助けて!!」


 泣きそうな顔でそう叫んだのはブラウちゃんの飼い主である、あの羊飼いの男の子だった。


 彼の言葉で制服を着た男の人たちは、私の方を警戒するような目つきで見た。けれど、すぐに小馬鹿にした顔で口元を歪めた。


「お前がこいつらの言ってた『女神様』か?」


「どんな大層なやつかと思えば、ただのまじない師じゃねえか、馬鹿馬鹿しい!」


 仲間の言葉で、彼らは一斉にふてぶてしい笑い声を上げ始めた。


 よく見れば彼らの制服は王都の衛士さんたちの制服によく似ている。けれどひどく気崩されている上にあちこち汚れがあるため、衛士さんというよりは冒険者さんや傭兵さんのような感じがした。






 無精髭を生やした赤ら顔の男の人が、私に見せつけるように倒れているおじいさんの襟元を掴んで無理矢理、体を引き起こした。


 彼は私を挑発するみたいにニヤニヤと笑いながら、ぐったりしたおじいさんの体を何度も揺さぶる。そのたびにおじいさんは小さく苦痛の呻きを上げた。


 私は半仮面越しに彼を睨みつけながら叫んだ。


「その人から手を離してください。さもないと・・・!!」


 私は木の杖を軽く構えながら、おじいさんを掴んでいる男の人に歩み寄った。ところが私の言葉に答えたのは無精髭の男の人ではなく、彼に襟元を掴まれているおじいさんの方だった。






「いけません、女神様!! この方たちは巡察士です!」


 私は驚いて足を止めた。巡察士は犯罪者を取り締まる領主直属のお役人だ。彼らが本当に巡察士であるというなら、この村で何か犯罪が行われたということだろうか?


 足を止めたことで、私が怯んだと思ったのだろう。無精髭の男性はおじいさんを乱暴に地面に放り出すと、下卑た笑い声を上げながら私に近づいてきた。


「このじじいのいう通りだ。俺たちはグレッシャー子爵様直属の部隊さ。俺たちに逆らうってことは、子爵様への反逆と同罪だぞ。」


 嫌な笑いを浮かべながら、彼らは手に持った武器を村人たちに突きつける。泣き出しそうになる小さな子供たちを守るように、年老いた女性たちがその体をしっかりと自分の方へと抱き寄せた。






 彼らが本当に領主の手先であるというなら下手なことはできない。平民が貴族に逆らうことは、それだけで死刑になるほどの重罪だからだ。最悪の場合、村の人たちに取り返しのつかない迷惑をかけることになるかもしれない。


 私は沸々と沸き上がる怒りをぐっと堪えたまま、彼らに尋ねた。


「・・・なぜ領主の巡察士が領民を傷つけるのです?」


 私の問いかけに、彼らは嘲笑で答えた。そしてひとしきり笑った後、勝ち誇ったように私に武器を突きつけた。


「そりゃあこいつらが子爵様の言いつけに反したからさ。お前にもその容疑がかかってる。一緒に来てもらうぜ、女神様。」






 一体何を言っているんだろう、この男の人は?


 彼らの言っていることが、私にはさっぱり理解できなかった。どうしたらよいかと迷っていると、無精ひげの男性が右手で武器を突きつけたまま、私の顔に左手を伸ばしてきた。


「まずは女神様の顔を拝ませてもらおうかな。」


 私は反射的に身を逸らしそうになった。けれど、男の仲間たちが村の人たちに向かって武器を振り上げるのが見えたので、すぐに動きを止めなくてはならなかった。


 無精髭の男はそれを横目で確かめてから、ニヤニヤ顔で私の半仮面をむしり取り、その場に投げ捨てた。ガブリエラさんからもらった大切な半仮面が、乾いた土の上に落ちて転がっていく。


 私は悔しさと怒りを堪えて、その様子を眺めた。






「!! こ、こりゃあ、すげえ上玉じゃねえか!!」


 でも無精髭の男は私の怒りなど気にも留めない様子で、私の顔を見るなり大声を上げた。その声で彼の仲間たちが私の顔に一斉に目を向け、彼と同じように歓声を上げた。すごく嫌な感じだ。


 彼は嬉しそうに舌なめずりをしながら私に顔を近づけてきた。途端に強い酒精の臭いが私の鼻を刺す。


 彼は私のかぶっていた長衣のフードを勢いよく脱がせた。そのせいで苦労して束ねていた私の長い髪がほどけ、背中へと流れ落ちた。


 それを見た男たちはさらに歓声を上げて、熱い視線を交わし合う。とーっても嫌な感じだ。


「お前は俺たちが逮捕する。へへ、それじゃあ領都に連行する前に一つ、じっくりと取り調べさせてもらうとするかな。」


 彼は欲望でギラギラ光る目で私の全身を眺めまわした。私は彼の目の中にある残忍な光を見ただけでたちまち気持ちが悪くなり、反射的に彼を殺しそうになった。そのため慌てて魔力が溢れるのを抑えなくてはならなかった。







「さあ、大人しくこっちへ来な、女神様。」


 彼は私から杖を取り上げると半仮面と同じように地面に投げ捨て、私の腕を乱暴に掴んだ。その途端、村の人たちが小さく息を吞む音がはっきりと聞こえた。


 私が村の人たちに目を向けるため体を動かそうとすると、彼は私の腕を掴んでいる手に力を込めて言った。


「おおっと、おかしなことを考えるなよ。逆らったら、こいつらが死ぬことになるぞ。」


 彼の言葉で仲間たちが村人たちに武器を近づける。村の人たちは刃の鈍い輝きを避けるかのようにより一層、身を寄せ合った。






 今の状態で魔法を使えば彼らを全員行動不能にすることくらい簡単だ。《集団睡眠》の魔法なら、この場にいる全員を一瞬で眠らせることもできる。


 でも出来ればもう少し、村の人たちから彼らが離れてからの方がいい。今の位置だと確実に村の人たちまで魔法に巻き込んでしまうからだ。


 そうなれば倒れた時に、男たちの武器で村の人たちがケガをしてしまうかもしれない。


 それに今、迂闊に動いて村の人たちにケガをさせるよりも、別の場所に移動してこの男たちから事情を聴いた方がいい気がする。行動不能にするのはいつでもできるのだから、ここは慎重に行動した方がいい。


 とにかく一番ダメなのは怒りに任せて魔力を解き放つことだ。またエマが襲われた時のようなことになったら本当に大変だものね。


 私は怒りで顔が引き攣りそうになるのを必死に抑えながら、村の人たちを安心させるために、にっこりと笑いかけた。






「皆さん、動かないでください。私なら大丈夫です。」


 私の言葉を聞いた村の人たちは悔しそうな顔で唇をきつく噛み、そっと目を逸らした。きっと私のことを心配してくれているのだろう。村の人たちには悪いけれど今、私の目論見を話すわけにもいかない。


 心配をかけるのは嫌だけど、もうしばらく我慢してもらうしかないだろう。私は心の中で村の人たちに「ごめんなさい」と謝った。


 するとそれを見た無精髭の男は、私の腕を掴んで自分の方に私の体を引き寄せた。


「殊勝なことだな。いいだろう、俺たち全員でたっぷりかわいがってやるぜ。いつまでそんな澄ました面してられるか見物だなぁ、ヒヒヒ。」


 耳を舐められるかと思うくらい近くで言われたので、男の臭い息が私の頬にかかった。黄ばんだ彼の歯を拳でへし折りたい衝動をぐっと堪え、私はその悪臭にじっと耐えた。


 今はとにかく我慢だ。今は村の人からこの男たちを引き離すことが大事。そうなればこんな男たちなんか、あっという間に眠らせてやるんだから。


 この時、私は完全に男たちに対してしか意識を向けていなかった。そのため次に起こることを、まったく予想していなかった。






「女神様の手を離せ!!」


 私が男に腕を掴まれたまま村の人たちの前を通った時、なんと羊飼いの男の子が突きつけられていた武器の刃を潜り抜けて、叫び声を上げながら私の腕を掴んでいる無精髭の男に飛びかかってきたのだ。


 彼は小さな拳を振り上げて私の腕を掴む無精髭の男に殴りかかった。だけどその拳が届く前に、男の仲間が彼の背中に武器を振り下ろした。


 私があっと思う間もなく血飛沫が上がり、男の子は「ぎゃっ!!」と悲鳴を上げてその場に前のめりに倒れていく。


 彼が苦悶に顔を歪めながら倒れる姿が、やけにゆっくりと見えた。


 とすんという音とともに地面にうつぶせになった彼の背中からは血がどくどくとあふれ出し、地面へと吸い込まれて赤黒い染みを作った。


 それを目にしたとき、私の中で自分の血で汚れた彼の小さな体と、上級生に痛めつけられて気を失っていたエマの姿が重なり合った。







 次の瞬間、私の魔力は弾けた。


 不可視の波動となった魔力のうねりを受けて、私の腕を掴んでいた男が弾き飛ばされ地面に転がった。同時に私の足元から突き上げるような巨大な地鳴りが起こり、広場の周囲の建物が大きく揺れはじめた。


 私を中心に魔力の波動が同心円状に広がっていく。私の強い怒りを感じた周辺の魔獣たちは一斉に森から飛び出し、すごい勢いで山の向こうへと遠ざかっていった。


 突然の出来事に男たちだけでなく、村の人たちも悲鳴を上げてその場に蹲った。その中でただ一人、男たちに痛めつけられていたあのおじいさんだけは、血を流して倒れる孫を庇うように彼の体の上へ覆いかぶさった。






「な、何だってんだ、一体・・・ヒッ!? に、虹色の目!?」


 私の魔力に弾き飛ばされ地面に転がったむしけらは、起き上がって私の目を見るなり悲鳴を上げ、再びその場にへたり込んだ。たちまち男の股が液体で汚れ、辺りに異臭が漂いはじめる。


 なんと矮小で、醜い存在なのか。苦しみにもがく男の姿を見て、私はそう思った。


 こんな存在ものが私の大切な人を傷つけるなんて、絶対に許せない。


 私は怒りに任せて魔力を叩きつけた。男の手足が大きく捻じれ、骨の折れる音とともに醜い悲鳴が上がる。






 村の人たちが何をしたのか、私は知らない。でも私の大切な人を傷つけるなら、それは私の敵だ。


 人間の世界の決まりなど知るものか。この愚か者どもすべて、私の世界から排除してやる。


 私は吐き捨てるように、短い呪文を口にした。






「虚空の彼方へ消え去るがいい。開け。《虚ろの扉》」


 詠唱が終わると同時にむしけらたちの足元の地面が消失し、黒い穴が出現した。


 彼らは落とし穴に落ちるようにすとんと穴へと落ちたが、反射的に腕を大きく広げ、地面を掴んで自分の体が穴へ落ちるのを必死に食い止めた。


「ち、畜生、なんだこの穴は!! おい、お前たち!! 見てないで助けろ!!」


 男たちは必死に穴から出ようともがきながら、村人たちに助けを求める。しかしその直後、彼らは魂が凍り付くほどの絶叫を上げ始めた。




 


「ぎゃあぁあああ!! 体が!! お、俺の体がぁあああぁ!?」


「は、はやく、早く、助けてくれ!! か、体が崩れていく!!」


 恐怖に目を見張る村人たちの前で、男たちの肌からみるみる艶が失われ、カサカサに干からび始める。


 彼らの体はたちまち痩せ細り、髪も色を無くしてパラパラとその場に落ちていった。これは彼らの魂が拡散したことで、急激に生命力が失われているためだ。






 私が開いたこの穴はこの世界ではないどこかへ通じている。そこがどこなのか私は知らない。


 ただ一つ分かっているのは、そこへ行くとこの世界から切り離されてしまい、二度と戻ることができないということだけ。


 この《虚ろの扉》は、世界の壁を捻じ曲げて別の世界への入り口を作る魔法。いわば、行き先不明の《転移》のようなものだ。


 この世界の生き物の魂はすべて世界自体と深く結びついている。だから世界から切り離されると魂の存在は曖昧になりやがて消えてしまう。


 私はこのむしけらたちの存在が許せない。私の愛するものを傷つける連中など、私の世界から拒絶してやる。


 私は怒りに燃える目で、崩れいく男たちの体を眺めた。






 ところが男たちの存在が完全に消え去る寸前、小さな小さな呟きが私の耳に届いた。


「女神様、みんなを・・たす・・けて・・・。」


 それは地面にうつぶせ横たわったあの男の子の声だった。その声にハッとして、私はようやく自分のしていることに気が付いた。


 私、なんて恐ろしいことをしているの!?


 私は慌てて自分の魔力を抑え込んだ。次の瞬間、地面に空いた黒い穴が消え去り、穴の中へ消えようとしていた男の人たちが地面に投げ出された。彼らはかろうじて生きているようだったけれど全員、意識を失っていた。






 私の魔力が穏やかになるにつれて、建物を揺らしていた地鳴りが収まっていく。


 私は自分が怒りに任せて魔力を暴走させてしまったことに強い恐怖を感じた。竜の姿で暮らしていた時には、こんなことは一度だってなかったからだ。


 最近の私はどこかおかしい。自分の感情を制御できなくなっている。


 私は私が私でなくなってしまうような、恐ろしい気持ちになった。でも今はそんなことに怯えている場合じゃないと、すぐに気を取り直した。


 私は地面に倒れている男の子の元へと駆け寄った。


「回復薬を使います。その子の体を私に見せてください。」


 私は男の子を守るように彼の体に覆いかぶさっているおじいさんに、そう声をかけた。


 おじいさんは恐れるように私を見上げ、一瞬躊躇する様子を見せた。でも私がおじいさんの目を見てこくりと頷くと、彼は男の子の上からどいて私に「お願いします、この子をお助けください」と深く頭を下げた。






 私は彼のそばに座ると上級回復薬を取り出し、男の子の傷に振りかけた。傷が瞬時に癒え、男の子が目をゆっくり開いた。


 私と男の子の様子を怯えた目で見つめていた村の人たちが、安心したように大きく息を吐くのが聞こえた。私は血で汚れた彼の体を自分の膝の上に抱え上げた。


「痛いところはない?」


「うん、大丈夫だよ。僕のために・・・怒ってくれたんだよね。やっぱり・・女神様は優しい・・ね・・。」


 彼はそれだけ言うと再び意識を失い、私の腕の中で安らかな寝息を立て始めた。彼が回復の眠りに落ちたのを見て私は安心し、彼の体を《洗浄》の魔法で清めた。






 その直後、村の入り口の方から茶色くて大きな犬が、矢のような勢いでこちらに走ってきた。


「ブラウちゃん!」


 ブラウちゃんは私の腕の中にいる男の子に近づくと、眠った彼の口の辺りをふんふんと嗅いだ後、彼の頬をぺろりと舐めた。そして、男の子に寄り添うように横になり、すぐに気を失ってしまった。


 きっと十分に回復しきっていないのに、無理して走ったせいだろう。でもそれだけこの男の子のことが心配だったに違いない。私は男の子を左腕に抱えたまま、彼と彼の忠実な友達の体を交互に撫でた。






 私がそうしていると、男の子のおじいさんが私に話しかけてきた。


「女神様、ありがとうございました。」


 彼は私の前に平伏してそう言った。おじいさんの後ろでは、他の村の人たちも同じように平伏していた。


 私は混乱した頭で、おじいさんに尋ねた。


「あの・・これは一体どういうことですか?」


 私が気絶して倒れている男の人たちに目を向けながらそう言うと、おじいさんは伏せていた顔を上げた。


 彼は私と男の人たち、そして私の腕の中にいる男の子を見た後、大きく息を吐きだした。






「はい。こうなればもう隠しようもありません。私たちの村、いやこの領全体で起きていることを包み隠さずお話いたします。」


 彼は再び私に平伏して言った。


「女神様、どうか私たちをお救いください。」

読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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