48 魔獣討伐実習初日 前編
前後編になってしまいました。実は前編部分だけは4日ほど前に書き終わっていたのですが、本来予定していた部分まで書こうと思ったら、ものすごく長くなってしまい、結局二つに分けることになりました。事件の前段階ですので、話はほとんど進んでいません。エマたちの学校生活の一場面としてお読みいただけると幸いです。
エマたちがドレスの仕立て直しのために出かけた翌日、2年生初の魔獣討伐実習が行われることになった。期間はおよそ7日間。行き先は王都領西方の境にあるウェスタ村である。
この実習に参加するのは2年生の術師クラスと騎士クラスに在籍する生徒たち。レイエフ・グレッシャーに引率された彼らは今、出発予定地である王城南門前広場に整列し、夏の朝日に照らされている。
全員が動きやすい実習服を着ており、その上に女子は革製の胸当てを、男子は金属製の軽鎧を身に付けていた。腰のベルトの保持用具には短杖が装備されている他、それぞれが短剣や片手剣など思い思いの武器を携帯している。
ほとんどの生徒たちは真新しい装備を身に付けているが、エマやニコルの様に使い込まれた物を身に付けている者もちらほらと見受けられた。
緊張の面持ちで直立している彼らの前に、やがて薄い髭を蓄えた背の高い中年の騎士がゆっくりと歩み出た。彼の軍靴が石畳とぶつかって、コツコツと規則正しいリズムを響かせる。
彼は生徒たちの前に立つと、そこにいる一人一人の顔をゆっくりと見回した。高い鷲鼻のせいで落ち窪んで見える目が鋭い眼光を放つ。
厳しい視線を正面から見た生徒たちはたちまち落ち着きを無くし、もじもじと体を動かした。彼はそんな生徒たちに見向きもせず王国式の敬礼をする。
生徒たちがぎこちない様子で答礼するのを確認した後、彼はおもむろに話し始めた。
「私は王国騎士団第一軍、王都防衛隊第13小隊長のローバー子爵だ。よろしく頼む。」
低くつぶれているがよく通るその声が広場に響くと、生徒たちは自然と姿勢を整えた。ローバー小隊長が後ろ手に腕を組んだことで彼の着ている魔法銀の鎧が触れ合い、柔らかい金属音が響いた。
「諸君らにはこの実習期間中は魔獣の出没しやすい場所を探索してもらう予定だ。毎年恒例のことだが、この魔獣討伐実習は行軍実習も兼ねている。よって基本男子は徒歩、女子は兵員輸送馬車に乗っての移動になる。」
これを聞いた生徒たちは思わずごくりと唾をのんだ。
初の魔獣討伐実習が非常に過酷であるという話は、これまでに何度も上級生から聞かされていたからだ。
「諸君の護衛には我々第13小隊が就く。ただ今回の実習の行程は、我々の行軍訓練および定期哨戒の行程と重なっている。つまり実際は諸君らが我々の任務に同行する形になるわけだ。」
この実習が過酷になる理由がこれだった。2年生で実施される初実習は現役の騎士団の任務に同行するというのが、王立学校の伝統なのである。
これからの数日間を思って震えあがる生徒たちをよそに、ローバー小隊長は淡々と話を続けた。
「今回の哨戒区域は王都領西方。区域内の街道と村々を巡回してウェスタ村を経由し、再び王都に戻ってくるまでが行程となる。何事もなければ7日後には王都に帰還できるだろう。」
小隊長はこう言うが日頃、高級な馬車を使っての移動が当たり前の貴族の子供たちにとっては、移動だけでも過酷そのものの7日間だ。しかも天候の急変や魔獣との遭遇次第では、日程が延びることも十分に考えられる。
しかし小隊長は、不安な気持ちが募る生徒たちを更なる絶望へと追いやる言葉を放った。
「今回の実習には諸君らの侍女や従者たちは一切同行させない。騎士である正規隊員には従者がついているが、彼らが諸君らの面倒まで見ることはない。従者たちには私からも『実習生へ手を貸さないように』ときつく言い渡してある。だから彼らを頼っても無駄だぞ。」
小隊長の言葉で、生徒たちの表情が一層暗くなる。生まれた時からずっと着替えや食事などを侍女や従者に頼ってきた生徒たちにとっては、これが最も辛い試練だ。
もちろん、これは伝統的に行われていることであるので、生徒たちは事前にある程度、生家で実習に向けての訓練を積み、準備をしてきている。
しかし慣れ親しんだ環境での訓練と、魔獣が出現する地域での実習では、物心両面で大きな違いがあるものだ。生徒たちのほとんどは青い顔できつく唇を噛んだ。そうしなければその場に崩れ落ちそうになる体を支えることができないからだ。
女子生徒の中には不安の余り、うっすらと涙ぐんでいる者も少なくない。
そんな生徒たちの様子を見て、ローバー小隊長はほんの少し表情を緩め、やや優しい口調で生徒たちに言葉をかけた。
「今回の実習期間中、自分の身の回りのことはすべて自分の手で行うのだ。生まれて初めての経験をする者も多いことだろう。」
思いやりを含んだ小隊長の言葉で、沈んでいた彼らの目に僅かに光が灯る。それを見た小隊長は生徒たちに分かるよう、わざと大きく頷いてみせた。
「諸君らの気持ちは私も十分に理解している。私もかつては君たちと同じような不安を味わったものだ。だがそんなときには貴族としての誇りを思い出してほしい。」
小隊長がやや強い調子で言った『誇り』という言葉で、生徒たちはハッと顔を上げた。小隊長は胸を張り、朗々と歌うように生徒たちに語りかけた。
「我々貴族は全員が騎士・魔導士として魔獣と戦い、王国に暮らす民を守る義務を負っている。」
これが、貴族が王立学校に通う所以である。魔力を持たない民に代わり、彼らを脅かす魔獣や他国の脅威と戦う。その力を身に付けるために、王立学校は存在しているのだ。
「民を、領地を、家を守ること。それこそが秀でた魔力を持つ我々の責務であり、誇りなのだ。そのことを常に忘れないでほしい。」
小隊長の言葉で、男子生徒たちはぐっと背筋を伸ばした。低く響く小隊長の声が、まるで進軍ラッパの様に生徒たちの心を鼓舞していく。
「この実習はそのために必要な知識や力を身に付けるためのものだ。魔獣との戦いでは騎士や従者が命を落とすこともある。各自、気を引き締めて実習に臨んでほしい。」
命の危険を意識したことで、女子生徒たちの目に強い光が宿った。魔獣や他国の侵略者と戦うのは男性貴族の役目。だが領地や領民の命、そして家を守るのは留守を預かる女性貴族の役目だからだ。
生徒たちの顔が引き締まっていくのを見たローバー小隊長は、ほんのわずかに表情を緩めた。
「実習期間中、実際に魔獣と遭遇することはほとんどないだろう。あらかじめ先行部隊が索敵を行っているからな。だが決して油断しないでほしい。ここは戦場なのだということを常に忘れないようにするのだ。よいな?」
小隊長の言葉に、生徒たちは一斉に大きな声で「はい!」と返事をしてみせた。誇り高い王国貴族の一員としての使命感を自覚し、現役の騎士から貴族としての激励を受けたことで、生徒たちの心は熱く燃え立った。
「よろしい。私の話は以上だ。後は担当の騎士と引率の先生から具体的な指示を受けてくれ。」
小隊長は再び表情を引き締めると、厳めしい口調で話を締めくくった。
最後に彼は、生徒たちに向かって敬礼をし広場を出た。自分の指示を待っている配下の騎士たちの元へと向かうため、彼は歩を進めた。
彼は不安を感じていた生徒たちが、誇りと責務を自覚したことでそれを払拭し、実習への決意を新たにすることができたことを確信した。それは自分もかつて同じ決意を抱いたからに他ならなかった。
だが彼は知っている。この生徒たちの決意がそう長くは続かないことを。
それほどまでにこの初実習は生徒たちにとって過酷なものなのだ。これを乗り越えることが、王国貴族としての彼らの第一歩になる。
そして彼らはこれから一生をかけて、領民のために戦うとはどういうことかを学んでいくことになるのだ。
他人のために自分の命を投げ出すという行為の意味と、自らに課せられた責任の重さを。
そのためにも彼は、生徒たちが無事にこの試練を終えることができるようにと願わずにはいられなかった。
広場を出たローバー小隊長に代わって生徒たちの前に立ったのは、優し気な表情をした若い騎士だった。
「私は皆さんの実習を担当する騎士のオペル・ランドーンです。第13小隊の副官補佐をさせていただいているんですよ。私が小隊と皆さんとの連絡役をすることになっていますので、困ったことがあったら何でも私に相談してくださいね。」
にこやかに話すオペルの様子に、生徒たちはようやく強張っていた体の力を緩めた。オペルは付いてきた従者に指示して、生徒たち一人一人に真新しい背嚢を配った。
丈夫な布で作られた背嚢を生徒全員たちが受け取ったのを見届けると、オペルは再び話し始めた。
「その背嚢は王国軍歩兵の標準装備です。中には2日分の消耗品等の物資と携帯糧食、飲料水代わりの葡萄酒が入っています。少し重たいかもしれませんが、大切なものなので失くさないように持っていてくださいね。」
彼は生徒たちに一つ一つ背嚢の中身を確認させると、「では私はこれで失礼します。後は引率のグレッシャー先生から指示を受けて行動してください」と言い残し、その場を去っていった。
エマは受け取った背嚢を背負ってみた。確かにズシリとした重量感はあるものの、冒険者として活動していた時に持ち歩いていた荷物に比べれば大分軽いと感じる。
寝具や調理器具、簡易天幕の支柱などが入っていないせいだろう。それらは皆、小隊の荷馬車の中に積み込まれているからだ。携帯糧食もたった2日分なので、背嚢の中にはまだかなりゆとりがある。
しかし他の生徒たちにとってはこれだけでも十分な負担となっているようだ。特に女子生徒の中には重たそうに顔を顰め、肩に食い込む背嚢の背負い紐を何とかしようと苦戦している者が多かった。
「よし、全員準備が整ったようだな。これより出発する。男子は私と共に来るのだ。女子はあそこにある兵員輸送馬車に乗り込み給え。」
血色の悪い顔をしたグレッシャーの指示に従い、生徒たちは動き始めた。冷たい彼の声は生徒たちの熱く燃えた気持ちをひんやりと凍てつかせる。
教官用の黒い長衣を纏い先頭に立って歩く痩せたグレッシャーの姿は、まるで朝日の中に迷い出た幽鬼のように生徒たちには見えた。不気味な彼の姿を見て彼らは、思わず不安な気持ちが沸き上がってくるのを抑えることができなかった。
エマは他の女子生徒たちと共に兵員輸送馬車に乗り込んだ。日頃、貴族たちが移動に使っている箱型の馬車と違い、広い荷台に簡易的な幌が掛けてあるだけの武骨な作りだ。
荷台の左右の壁には座席とは名ばかりの板の出っ張りがある。それが狭いベンチのようになっているのだ。
足元に置かれた木箱や袋を避けて硬い座席に腰かけた女子生徒たちは、皆一様に口を噤み押し黙った。
エマは背嚢を足元のベンチの奥に押し込みながら、周りの様子を観察した。ちょうど自分の背中にある幌の接合部を見る限り、この馬車の幌は簡単に取り外せるように作られているようだ。
おそらく非常時は幌をすべて取り外して、荷馬車として使えるようになっているのだろう。足元の床に残る人型の黒い染みはおそらく古い血の跡だ。もしかしたら傷病者を(あるいは死体を)寝かせて運んだことがあるのかもしれない。
この馬車に乗っているのは術師クラスの女子20名ほど。今回の実習には200名以上の生徒が参加しており、そのおよそ半分が女子生徒だ。
広場には今エマが乗っているのと同じような兵員輸送馬車が他に4台あった。それに女子生徒が20名くらいずつ乗っている。
以前、ゼルマから王国の正規軍や騎士団には女性がいないと聞いたことがあったので、きっとこの兵員輸送馬車は実習用に準備された物なのだろうと、エマは考えた。
そしてそれと共に、一つの疑問が心に浮かぶ。エマは周りの生徒たちの様子に気を付けながら、小さな声で隣にいるミカエラに話しかけた。
「(ねえ、ミカエラちゃん。)」
「(どうしたの、エマちゃん?)」
囁くような声で話したにも関わらず車内が静まり返っているため、思いのほか声が響いてしまった。
そのせいで車内の生徒たちが自分たちに意識を向けていることに、エマはすぐに気が付いた。このまま内緒話をしていると思われたら、逆に面倒なことになりそうだ。
そう思ったエマは小さく息を吐くと、普段通りの調子でミカエラに質問することにした。
「この実習ってどうして女の子が参加してるの?」
「どういうこと?」
「だって女の子たちは卒業しても騎士や魔導士になれるわけじゃないでしょ? 騎士や魔導士を目指す男の子たちが参加するのは分かるんだけど。戦いに出ない女の子まで参加する意味ってあるのかな。」
「もちろんありますわよ、エマさん。」
エマの質問に答えたのは、ミカエラの隣に座っているイレーネだった。彼女は「横から失礼しますわね」とミカエラに断ってから、彼女は話し始めた。
「なぜなら私たちが次代の戦士たちを産み、育てるからです。戦いの知識のない女に立派な戦士が育てられるわけがありません。」
イレーネはエマだけでなく周囲の女子生徒たちにも聞こえるように、きっぱりと言い放った。
貴族女性にとって最も大切な仕事は、後継者を産み育てて教育を施すことだ。そのため彼女たちには、高い見識と様々な経験が求められる。
また通常、どんなに小さな貴族家であっても、家中にはいくばくかの侍女や使用人、下働きたちがいるものだ。大領地を抱える上級貴族ともなれば、その数は膨大な数になる。その者たちの仕事を差配して、家の内部のことをすべて取り仕切るのも女性の務め。
さらには他家との交渉の根回しや情報収集も女性貴族の大切な役割である。
つまり貴族女性は優秀な教育者であると同時に、指揮官や外交官としての資質も求められることになる。貴族の責務が魔獣や敵国の脅威から領民の生活を守ることであるを考えれば、女性と言えど戦いの経験や知識を持たないなど考えられない。
それに女性貴族が原則として前線に出て戦うことはないとはいえ、いざというときに敵から守る術を身に付けることはどうしても必要だ。領民や後継者にとって彼女たちはまさに『最終防衛線』なのである。
術師クラスに所属する女子生徒たちは魔力量の差こそあれ、全員が貴族家を支える女性当主になることを期待されている。だからどんなに過酷であっても、この実習に参加することは必須なのだ。
イレーネから説明されたエマは、目を輝かせて思わず両手を打ち合わせた。
「そうだったんだね。やっぱり貴族様ってすごいんだ!!」
これまで平民であるエマにとって、貴族とは理不尽な支配者でしかなかった。
けれどイレーネから貴族の心構えを聞かされたことで初めて、その責任と決意の重さを知ることができた。エマが手を打ち合わせたのは、驚きと貴族への尊敬する気持ちを素直に表したものに他ならなかった。
エマが上げた声と手を打ち合わせる音で、車内の女子生徒たちの視線がエマに集まった。
「ご、ごめんなさい。私ったら大きな声を出したりして・・・。」
エマの謝罪に対して女子生徒たちは意外にも、僅かに微笑むことで応じた。その微笑みはいつもエマが向けられているような冷笑ではなく、慈愛にも似た温かさを含んだ自然なものだった。
エマにとって貴族が遠い存在であるように、彼女たち貴族令嬢にとって平民もまた遠い存在なのだ。彼女たちにとって平民は守られることに安穏とするだけの、愚かで無知な者たちに過ぎない。
責任を負うこともなく不平を漏らだけの厄介な連中。そんな連中を守るために苦心している両親の姿を幼い頃より見てきた彼女たちの心の片隅には、平民に対する忸怩たる思いが確かにあった。
だが今、目の前で平民が貴族への感謝を素直に表したことで、彼女たちのそんな思いが少し解消されたのだ。
これまで貴族社会に紛れ込んだ異物に過ぎなかったエマに対する彼女たちの見方は、この瞬間、大きく変化した。
平民と貴族。隔てられていたが故に敵愾心を抱いていた両者にとって、この変化は劇的かつ歴史的なものである。もっとも今はエマも令嬢たちも、それをはっきりと自覚することはなかった。
ただこの車内の雰囲気が確実に変わったことだけは、エマも令嬢たちもはっきりと感じていた。
物理的な変化は一切生じていない。乱雑に積まれた車内の物資を避けるように身を寄せ合わなくてはならない状況も、硬い座席の感触も、薄暗い車内も、何も変わっていない。
それにも拘らず少女たちの心には僅かにゆとりが生まれ、周囲の状況を受け止めようとする気概のようなものが芽生え始めていた。
それは共感と連帯が生み出す女性特有の団結力に他ならない。エマはこの時、令嬢たちに仲間として受け入れられ始めたのである。
「隊列を整えよ! これより行軍を開始する!」
エマたちが打ち解け始めた直後、隊列の中程、エマたちの馬車のすぐ前にいるローバー小隊長の号令が広場に響き渡った。
それに応じるように前進を知らせるラッパや太鼓の音が響く。たくさんの馬の嘶きや蹄の響きと共にエマたちの馬車も動き始めた。
後の世に前代未聞の大事件として語られることになる魔獣討伐実習は今、こうして始まったのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




