47 週休みの出来事
うまくまとめられず、長くなってしまいました。校正するゆとりがありませんでしたので、おかしな部分が多いかもしれません。だから後で少し直すかもです。すみません。
その週の週休みの日、私はエマたちと一緒に王都の中央通りへ向かう馬車に揺られていた。
「ニーナちゃん、そんなに変じゃないでしょ?」
「いいえ、絶対におかしいです。」
カッテ家の大型馬車の客室からはエマとニーナちゃんのそんなやり取りが聞こえてくる。
エマの声からは辟易した様子がはっきりと伝わってくるけれど、ニーナちゃんのあまりのきっぱりした口調に何も言い返せないみたいだ。
私のいる御者台からは車内のエマたちの姿を見ることはできない。でも直接見なくても、エマが困惑しきった顔をしているのは、その声の調子から容易に知ることができた。
私はリアさんと一緒に御者台に座ったまま、思わず後ろを振り返ったためにずれてしまった日よけのフードをもう一度、目深にかぶり整え直した。
今日、私たちが向かっているのは王都の中央通りにあるドゥービエさんの服飾工房だ。
なぜかというとニーナちゃんが、どうしてもエマのドレスの『お直し』をしましょうと強く主張したからだ。
エマは最初それに気乗りがしない様子で、「もったいないから別にいいよ」と断っていた。
けれど、試しに着たドレスを見た人全員から「今すぐに直しに行った方がいいです」と言われて、仕方なく行くことになったのだ。
確かにエマはこの一年ほどの間に、急激に背が伸びた。だから入学の時にガブリエラさんが誂えてくれたドレスはどれも丈が合わなくなってしまっている。
そうはいっても、もともとがゆったりした作りのドレスなので、窮屈な感じは全然しないんだけどね。確かに丈は短くなっているけれど、それでも足首の上辺りが少し見えるくらいだし。
ただ貴族女性の基準では、これは『絶対にダメ』なんだって。人前で顔や腕以外の肌を晒すのはとても恥ずかしいことなのだそうだ。これには私もエマもすごく困惑してしまった。
ハウル村のおかみさんたちは皆、川で洗濯や水汲みをするときはスカートを太ももまでまくり上げている。赤ちゃんの面倒を見ているおかみさんは、どこでも胸をはだけてお乳を上げるのが当たり前だ。
流石に人前で全裸になったりはしないけれど、少しくらい肌を晒すのに抵抗のある女性は一人もいない。でも貴族女性はそうではないみたいだ。
皆に「おかしい」と言われて、エマもようやくお直しに行くことを了承したものの、それでもやっぱり納得はいかないようだ。だから何度もさっきのようなやり取りを、ニーナちゃんと繰り返しているというわけなのだ。
付き添いで来てくれたミカエラちゃん、イレーネちゃんは二人のやり取りを黙って聞いている。けれど、なんとなく笑っているような気配が、馬車の外に居ても伝わってきていた。
ちなみに今日、お出かけのために馬車を出してくれたのはイレーネちゃんだ。彼女はどこからかエマたちが週休みに服飾工房に出かけるのを聞きつけたらしく、一昨夜、いそいそとエマのところにやってきたのだ。
「エマさんのドレスをお直しするのであれば、私がご一緒しないわけには参りませんわね。」
彼女はそう言って、あっという間にお出かけの段取りを取り付けてくれた。移動のためにカッテ家が所有している馬車を手配してくれて、外出の手続きも侍女さんに頼んでしてくれたのだ。
恐縮するエマにイレーネちゃんは「私は社交のためによく外出しています。このくらいなんでもありませんわ」と澄ました顔で答えた。
彼女の生家であるカッテ家は王国を代表する大貴族家だし、イレーネちゃん自身は将来王妃になることがほぼ確定している。だから彼女は社交ができる年齢に達した時からずっと、実家で開かれる交流会に呼び出されているらしい。
「最近は大人の方々との社交ばかりだったので、こうやってお友達同士で出かけるのはとても新鮮ですわ。」
出発前、穏やかな笑顔でそう言ったイレーネちゃんに、エマは彼女の両手を取って言った。
「大変なんだね。それなのに私のために貴重な休日を使ってくれてありがとう、イレーネちゃん。」
エマにお礼を言われたイレーネちゃんはたちまち顔を赤くして、声を上擦らせた。
「こ、これくらい、当然ですわ。だって私たち、・・・・し、親友同士なのですから。」
「?? 今、なんて言ったの、イレーネちゃん?」
彼女は最後の言葉を本当に小さな声で呟くように言ったので、竜の私はともかく、人間のエマには聞き取れなかったようだ。
「な、何でもありませんわ!」
聞き返されたイレーネちゃんは赤い顔をして、大急ぎで馬車の方へ走って行ってしまった。
取り残されたエマは不思議そうな顔でミカエラちゃんに「どうしちゃったのかな」と聞いていた。けれど、ミカエラちゃんは「何でもないから大丈夫だよ、エマちゃん」と笑っているだけだった。
その後、馬車に乗り込んだ私たちは、今こうやって中央通りを目指しているというわけなのです。
今日のお出かけのために、イレーネちゃんは2台の大型馬車を手配してくれた。
縦に並んで走っている馬車の内、先を走っているのがエマたちの乗っている馬車だ。私はリアさんと一緒にその御者台に乗せてもらっている。馬車を引いている2頭の馬はどちらも大人しくて、御者さんの言うことをとてもよく聞いていた。
後ろを走る馬車には、イレーネちゃんの侍女さんや従者さんたちが大勢乗っている。それに加え、車列の前後には馬に乗った騎士さんが一人ずつ付いていた。
彼らはカッテ伯爵家の『私兵』で、イレーネちゃんの護衛のために付いてきているのだ。イレーネちゃんのお父さんが彼女を心配して派遣してくれたんだって。
これだけでもイレーネちゃんがご両親からとても大切にされているということがよく分かる。ただ彼女自身はそれについて、「大切なのは私ではなく、将来の王妃に過ぎませんわ」と冷たい表情で呟いただけだった。
2台の大型馬車はどちらもきれいに塗装され、扉に金色の家紋が入っている。護衛付きのピカピカの馬車はとても目立つため、足を止めてこちらを見ている人も少なくなかった。
私は顔を隠すために被った日除けのフードの陰から、そっと街の人たちの様子を伺った。
この中央通りの辺りは、王都の中でも最も早く復興が始まった地域なので、冬にあった襲撃事件の痕跡はもうほとんど残っていない。
劇場や高級な宿、大商店が集まっているこの地域を歩く人たちは皆きれいに着飾っていて、一様に明るい表情をしている。通りの両側にある歩道を、華やかな服を着た人たちが歩いているのを見ていると、心がウキウキするような感じがしてとても楽しかった。
私は夏の朝日を浴びてキラキラと輝く装身具にすっかり心を奪われてしまい、夢中になって着飾った人間たちを眺めた。
でもそんな華やかな人たちの中に混じって、粗末な服を着て歩道の隅に佇んでいる子供たちの姿がちらほらと見受けられた。
彼らはエマよりも少し小さいくらいの背丈だ。汚れた素足を晒したまま、何人かで固まって建物の陰にひっそりと立っている。
覆いの付いた籠を背負い、木のシャベルとホウキを持った彼らは、まるで道を行く人たちから身を隠すようにして気配を消していた。
歩いている人たちも彼らの存在などそこに無いかのように子供たちを完全に無視している。子供たちは同じ道の上にいるのに、一人として目を向ける人はいない。まるでそこには目に見えない壁があるみたいだった。
私にはそれがとても奇妙な光景に見えた。思わず魔力を使って、空間を遮る《領域》の壁があるのではないかと探してしまったくらいだ。
「ねえ、リアさん。あの子たちはあそこで何をしているんですか?」
私が子供たちを指さしてそう尋ねると、リアさんはそちらにちらりと視線を向けて言った。
「馬糞拾いをしてるんですよ。ほら、あれを見てください。」
彼女が指さした方を見ると、通りを行く馬が『落とし物』をするのが見えた。すると今まで気配を消していた子供たちが突然弾かれたように走り出し、その落とし物に群がっていった。
子供たちは素早くシャベルで馬の落とし物を拾うと、仲間の背負っている籠にポンと放り込んだ。そして籠に覆いをかぶせると、またさっきの様に通りの隅に戻って行った。
落とし物に群がっていった子供たちは複数組いたけれど、拾えたのは一組だけ。他の子供たちは悔しそうな顔でまた元の場所に戻って行く。
「あの子たちはああやって馬の糞を拾って、近郊の農夫たちに肥料として売っているんですよ。」
「!! 糞がお金になるんですか!?」
驚いて聞き返した私に、リアさんは真面目な顔で頷いた。
「私も詳しくは存じませんが、馬の糞には大地の恵みの力がたくさん残っているそうなんです。刈り取った後の草などと一緒に貯めておくと、とても良い肥料になるそうですよ。」
それは私も知っている。ハウル村でも家畜たちの糞を肥料として使っているからだ。ハウル街道を通る馬たちの糞も、村の子供たちや衛士さんたちが拾い集めている。
でもまさか、それをお金に変えている子供たちがいるとは思わなかった。
「王都内には多くの馬がいますが、畑がほとんどありませんからね。あの子たちの拾っている糞は近郊の農家にとっては貴重品なので、結構いい値段で買い取ってくれるようです。」
仕事を持っていない子供たちにとって馬糞拾いは日々の暮らしの糧になる。また、街の人たちにとっては道をきれいにしておくことができるのでよいことだらけなのだそうだ。
誰かにとって邪魔なものが、他の人にとっては貴重品になる。それを繋いでいるのはお金の力だ。私は人間の知恵と子供たちの逞しさに感心してしまった。人間ってやっぱりすごいです!
私は、目を皿のように見開いて馬の落とし物を探す子供たちの様子をじっと観察した。
私たちの馬車とすれ違った貴族の馬車を曳いていた馬が糞を落とすと、それを目ざとく見つけた子どもたちがすごい勢いで飛び出してくる。
複数組の子供たちが同時に飛び出したため、子供たちは皆、他の子に負けないよう、全力で通りを駆け抜けた。
その中の一人、他の子たちよりも一際体の小さな男の子が、通り過ぎる馬車の間を縫うようにして馬糞に駆け寄ると、素早くさっとスコップを差し出した。
その子は通りに落ちている馬糞を誰よりも早く掬い上げると、行き過ぎる馬車に阻まれて近づけずにいる競争相手たちに向かって得意そうな笑みを見せた。
そうやってあまりに得意になっていたからだろう。彼は自分のすぐ後ろに近づいている大型の乗合馬車の存在に全く気が付いていなかった。
仲間たちの悲痛な警告の声に彼が後を振り向いたときにはもう、彼の眼前に乗合馬車を曳く4頭の馬の蹄が迫っているところだった。
乗合馬車の御者が警告の叫びを上げ必死に馬車を停止させようとするが、とても間に合いそうにない。
恐怖に竦んでしまっている男の子を見た人たちは、起こるであろう惨劇を予想して顔を背け、大きな悲鳴が上げた。
「危ない!!」
思わず私が叫び声を上げたとき、私の隣にいたはずのリアさんが馬車を飛び降り、通りに飛び出した。
リアさんは信じられないほどの素早さで子供を背後から抱え上げると、その子を抱え込むようにしながら歩道の端に向かって倒れ込んだ。さっきまで二人がいた場所を馬の蹄が通り過ぎる。
間一髪のところで二人は難を逃れることができた。その光景を見た人たちは、一様に安堵の息を吐いた。
けれど事態はそれで収まらなかった。今度は乗合馬車の御者さんが馬車を急に止めようとしたことで、馬車を曳いていた馬たちが一斉に棹立ちになってしまったのだ。
制御を失った馬たちに引きずられるように乗合馬車は軌道を外れ、空っぽの客車を大きく横滑りさせた。
客車が御者台を中心に振り回すように滑る。その客車の後方がたまたま向かい側を走っていた荷馬車に激突した。
それにより、ぶつかった2台の馬車はもつれあうようにしながら、歩道の方へと押しやられた。横転した乗合馬車が歩道を歩いていた人たちに迫るのを見て、通りのあちこちから悲鳴が上がった。
次の瞬間、私は御者台を踏み抜くほどの勢いで馬車から飛び出していた。その勢いで私たちの乗っていた馬車が大きく揺れ、衝撃で開いた扉からエマたちが顔を覗かせた。
私は歩道に迫る2台の馬車の前に立ち塞がり、大きく腕を広げた。左右の手でもつれ合うそれぞれの馬車を受け止める。後ろにいる人たちを守ろうと足に力を込めた拍子に、私の足元の石畳が音を立てて砕けた。
幸いなことに私が押し返すようにして受け止めた馬車は、誰にもぶつかることなく歩道の際で停止した。
しかし馬車の勢いを完全に殺すことができなかったため、荷馬車の積み荷だったたくさんの酒樽と、気を失った乗合馬車の御者さんが空中に放り出された。
咄嗟に《領域創造》で空中に壁を作ったが、とても間に合わない。御者さんだけは何とか空中で受け止めることができたけれど、重い酒樽をすべて捕らえることはできなかった。
私は泣きそうになりながら、重い酒樽が歩道にいる人たちの頭上に落ちていくのを見つめた。
「《浮遊:効果範囲・対象最大》!!」
もうダメだと思ったその時、馬車の向こう側からエマの声が響いた。次の瞬間、地面から沸き上がるように起こった激しい風が、落ちてくる酒樽すべてを受け止め、ふわりと宙に浮かばせる。
「そこにいる方たち!! 早くその場からお逃げなさい!!」
それに続いてイレーネちゃんの良く通る声が通り全体に響いた。突然の出来事に宙に浮かんだ酒樽を見つめたまま動けなくなっていた歩道の上の人たちが、弾かれたように動き出しその場から走り去る。
それを待っていたかのように酒樽はゆっくりと歩道の石畳の上に着地した。と同時に、青い顔をしたエマは握っていた短杖を取り落とし、崩れるように石畳の上に倒れ込んだ。
「エマ!!」
私は馬車を放り出しすぐにエマに駆け寄った。エマの肌は血の気を失い、呼吸が浅く速くなっている。明らかに急性魔力枯渇の症状だ。酒樽を浮かせるために《浮遊》の魔法を無詠唱で放ったからだろう。おそらく体内の魔力をほぼ使い切ったに違いない。
私はエマを抱え起こすとすぐに、自分の《収納》の中からとっておきの超級魔力回復薬を取り出した。これはもちろん、私がエマのために作ったものだ。けれど、効果が高すぎて通常の魔力枯渇状態で使うと間違いなく魔力酔いを起こしてしまう。
でも全魔力を放出した今のエマにはちょうどいい回復薬だ。私は朦朧としているエマの口にそっと陶製の薬瓶を押し当てた。
蜂蜜で甘みを強くした回復薬を口に含ませると、エマはすぐにこくんとそれを飲み込んだ。みるみる内にエマの体内に魔力が溢れはじめ、呼吸が落ち着いていった。
エマの体から力が抜け、血の気の引いていた頬に赤みが差したのを見て、私はホッと胸を撫でおろした。
そこに青ざめた顔をしたニーナちゃんと心配そうな表情のリアさんが駆け寄ってきた。
「エマさんは大丈夫ですの?」
「うん。無茶な魔法の使い方をしたのが原因みたい。薬を飲ませたから、もうじき目を覚ますはずだよ。」
エマは今、薬の効果で魔力を回復させるための眠りに就いている。これはほんの一時的なもので、十分に魔力が回復すれば自然と目が覚めるのだ。
私の説明を聞いた二人は私と同じようにため息を吐いた。
「あの子供は仲間のところに戻してきました。少し手足をすりむいていましたが、大きな傷はなかったようです。」
リアさんが私にそう説明してくれた。馬糞を抱えた男の子と一緒に倒れ込んだせいだろう。彼女の侍女服には大きく汚れが付いていた。私はリアさんに断ってから《洗浄》と《消臭》の魔法を使ってその汚れをきれいに落とした。
容体の落ち着いてきたエマを二人に任せ、私は衝突した2台の馬車のもとへ向かった。
どちらの馬車も御者さんが咄嗟に引綱を解放したおかげで、馬車を曳いていた馬たちには被害がなかったようだ。けれど、荷馬車は大きく傾いて積み荷がすべて路上に散乱しているし、乗合馬車の方は完全に横転してしまっている。
荷馬車の方はイレーネちゃんとミカエラちゃんが街の人たちに指示を出して、積み荷を集めさせているようだったので、私は横転した乗合馬車の方に行ってみることにした。
乗合馬車を元に戻そうと、街の人たちや駆けつけてきた衛士さんが必死になっている。けれど大型の馬車を元に戻すのは容易ではなく四苦八苦していた。
私はまじない師の時にいつも使っている粗末な木の杖を《収納》から取り出して、彼らに近づいた。
「おまじないを使って持ち上げやすくしますね。」
私はそう言ってから杖を構えると、いいかげんな呪文を唱えてみせた。
「さあ、これで大丈夫です。私の合図で持ち上げてください。」
半信半疑の様子で馬車に取り付いている人たちの中に入り込んだ私は、大きな声で「せーのっ!!」と合図をした。皆が力を込めたタイミングを見計らって、私は馬車をひょいっと持ち上げた。
どしんと大きな音を立てて元に戻った馬車を見て、野次馬さんたちから大きな歓声が上がった。
「おおーっ!? あんなに重かった馬車が羽根みたいに軽くなったぞ!!」
「あんた、すごい魔術師なんだな!! そんな侍女みたいな恰好をしてるが、もしかして貴族様かい?」
「ち、違います。私はただの侍女ですよっ!!」
口々に私の魔法を褒める人たちから逃れるように私は日除けのフードを目深にかぶると、大急ぎでその場を離れ、荷馬車の積み荷を集めているイレーネちゃんたちの方へ向かった。
「酒樽はこちらに集めなさい。そこのあなた、他の馬車の通行の妨げにならないよう、野次馬たちを下がらせなさい。」
イレーネちゃんは荷馬車の側に立って、集まってきた街の人たちや衛士さんたちにてきぱきと指示を出していた。そのおかげだろう。私が荷馬車のところに行ったときにはすでに、ほとんどの片付けが終わった状態だった。
「こっちも終わったみたいだね。」
「ええ、無事だった荷はすべて集め終わりましたわ。残念なことに一つだけ、壊れてしまった樽がありましたけれど、他の物は皆、無事でした。エマさんの《浮遊》の魔法のおかげですわね。」
そう言って彼女は荷馬車の荷台の隅に置かれた酒樽を示した。確かに彼女の言う通り、一つだけひびの入った酒樽があり、中身が通りに漏れてしまっている。色や匂いから見ておそらく葡萄酒だろう。
「エマさんは大丈夫ですの?」
「うん、さっき薬を飲ませたからもう回復している頃だと思うよ。」
私がそう言うとイレーネちゃんはホッと小さく息を吐いた。その時、私は彼女が焼け焦げた首飾りを手にしていることに気が付いた。
「あれ、その首飾りって・・・?」
「ああ、これはエマさんの側に落ちていたものですわ。おそらく《収納》から溢れてしまったのでしょう。」
エマはさっき無茶して《浮遊》の魔法を使ったせいですべての魔力を一度に放出してしまった。そのせいで《収納》を維持しておけなくなったため、その場に首飾りが落ちてしまったのだろう。
私は首飾りを拾ってくれたことに対してイレーネちゃんにお礼を言った。
「礼には及びませんわ。わざわざ《収納》に仕舞うくらいなのですから、きっとエマさんの大切なものだろうと思って拾っておいただけです。これくらい・・・親友として当然のことですわ。」
イレーネちゃんは顔を赤くすると「こ、これは私からエマさんにお返ししておきますわね」と言い、慌てた様子で荷車を出発させようとしている御者さんたちのところに行ってしまった。
《収納》の魔法は、中に物を仕舞っている間中ずっと魔力を消費してしまう。消費する魔力は仕舞っている物の大きさによって変わるため、小さくて大事なものを仕舞うために使う場合が多い。というか、そもそもこの魔法を使える人間自体、あまり多くはないんだけどね。
イレーネちゃんはエマの大切なものが無くならないようにと、気を使ってくれたみたいだ。私はほっこりした気持ちで、遠ざかっていく彼女の背中を追いかけた。
私がイレーネちゃんに追い付いた時には、ちょうどイレーネちゃんと荷馬車の御者さんたちが話をしているところだった。彼女の傍らにはミカエラちゃんと侍女さんたちの姿も見える。
「あなた方も災難でしたわね。でも大事がなくてよかったですわ。」
「へ、へえ、これもすべてお嬢様方のおかげです。ありがとうございました。」
イレーネちゃんの言葉に、やけに腰が低い態度で御者さんたちはお礼を言った。そして「では、あっしらはこれで・・・」と言うと、そそくさと馬車に乗り込みすぐに馬車を出発させようとした。
「あっ・・・ちょっと待ってください!!」
私はそんな彼らを慌てて引き留めた。彼らの運んでいる樽の一つは破損して、中身の葡萄酒が漏れ出している。私は杖を構え《水漏れ除け》の魔法を使った。
これは生活魔法の一つで《雨除け》の魔法を応用したものだ。製塩の魔導具を作る時、ガブリエラさんと一緒に考えた魔法で、しばらくの間、容器などから水漏れをするのを防ぐ効果がある。
ただ意外と消費魔力が大きいので結局、製塩の魔導具には使えなかったんだけどね。でも思わぬところで役に立ってよかった。
「これで一日くらいはお酒が漏れなくなるはずですよ。これ、どこまで運ぶんですか?」
私がそう尋ねた途端、三人の御者さんたちは素早く目線を交わした。
「い、いやー、王都の卸先に運ぶ予定なんでさあ。ほ、本当に助かりました。」
「よかったですね。それにしてもこのお酒、なんだか変わった香りがしますね。何か特別なお酒なんですか?」
漏れ出たお酒からは、葡萄とは違う何だか甘い匂いがしている。ずっと嗅いでいると、頭がぼんやりするような甘ったるい香りだ。
私の問いかけに、三人はぎょっとした様子を見せた。
「へ、へえ、いや、よく分からねえです。あっしらは運ぶように言われてるだけですんで・・・。」
御者さんたちは何だかひどく焦った様子でそう言った。
「まあ、そうでしたの。もしかしたら大切な物かもしれませんわね。では今回の破損の件で荷主から何か言われたら、私を頼っていらっしゃい。」
「お、お嬢様をですかい?」
「ええ、私はカッテ伯爵家のイレーネ。破損した分の補償くらいは口を利いて差し上げますわ。何なら、その樽を私が買い取ってもよろしくてよ。荷主はどなたなのかしら?」
「へ、へえ、この荷はグレ・・・。」
「ば、馬鹿!! 口を閉じろ!!」
イレーネちゃんに答えようとした御者の一人を、他の二人が慌てて引き留めた。
「お、お嬢様方、本当にありがとうございました。だ、大丈夫ですんで、心配しねえでください!」
彼らはそう言うと大急ぎで馬車に乗り込み、半ば強引に馬を走らせてその場を立ち去って行った。
「・・・ひどく慌てていましたわね。本当に大丈夫なのかしら?」
「平民の彼らにとって、イレーネ様は恐れ多い方ですから。きっと恐縮してしまったのでしょう。」
心配そうに馬車を見送るイレーネちゃんに、お付きの侍女さんがそう言った。イレーネちゃんは少し怪訝そうな顔をしていたけれど、やがて小さく息を吐きだして私とミカエラちゃんの方を向いた。
「とんだことになってしまいましたわね。エマさんのところに戻りましょう。」
イレーネちゃんがそう言うと、ずっと何かを考え込んでいた様子のミカエラちゃんが口を開いた。
「そうですわね、エマちゃんが心配です。それにしても・・・あのお酒はどこから来たものだったのでしょうか?」
ミカエラちゃんの問いかけに、イレーネちゃんは不思議そうな顔をした。
「ミカエラ様、何か気になることがありまして?」
「・・・いいえ、あの者たちの様子が少し気になっただけです。」
ミカエラちゃんはそう言うと、また考え込んでしまった。それを見ていた私は、ハッと思いついた。
「あの御者さん、さっきグレって言いかけてたよね。もしかしてグレッシャー領じゃないかな?」
「グレ・・・だけでは特定できませんわね。グレーザーやグレーデン、グレッツェル領の可能性もありますわよ。」
私の言葉をイレーネちゃんは困った顔で否定した。王国にはグレで始まる小領地が他にもたくさんあるのだそうだ。確かにそれだけでは特定するのは難しそうだね。いい考えだと思ったのになー。
するとがっかりした私にミカエラちゃんが問いかけてきた。
「どうしてそう思ったのですか、ドーラさん?」
「うーん、はっきりとは言えないんだけどね。この間、ある村でグレッシャー領では特別なお酒を造ってるって聞いたんだ。」
私があの素晴らしい貴腐酒を飲ませてもらったクベーレ村はグレッシャー領だった。だからなんとなくそう思ったんだよね。
「グレッシャー子爵でしたら、私の伯父上様と多少繋がりがあったはずですわ。そんなに気になるのでしたら、私から実家に連絡をしておきましょうか?」
「そう・・・ですね。いえ、もう少し情報を集めたいので、待っていただいてよろしいですか?」
イレーネちゃんの申し出にミカエラちゃんは小さく頭を振り、そう返事をした。
「もちろんですわ。いつでもおっしゃってください。私たちはし、親友同士なのですから!」
イレーネちゃんはすごく嬉しそうにそう言うと、エマさんのところへ戻りましょうと私たちを先導して歩き出した。
私とミカエラちゃんも彼女に付いて歩き始めたのだけれど、その時、視界の端に一瞬映ったものが気になって私は後ろを振り返った。
「んっ?」
「どうしましたか、ドーラさん?」
ミカエラちゃんに尋ねられた私は、散り散りになり始めた野次馬さんたちを見ながら答えた。
「うん、なんだかそこにいたフード姿の男の人から視線を感じたんだけど、今見たらもういなくなってたんだよね。」
ミカエラちゃんはガブリエラさんそっくりの深刻な表情で何かを考えていた。けれど先に行ったイレーネちゃんに呼びかけられたので考え事を中断し、再び歩き出した。
その後、私たちは無事に回復したエマと共に再び馬車に乗り、ドゥービエさんの服飾工房に向かった。
工房ではエマが職人さん相手にドレスの裾丈をお直ししている間ずっと、私はニーナちゃんとドゥービエさん二人がかりで新作ドレスの試着をさせられることになった。
二人はこの試着を通してすっかり意気投合してしまったようだ。私に色々なドレスを着せては様々なポーズを取らせ、二人してああでもない、こうでもないと話し合っていた。
私は目をギラギラさせ、鼻息を荒くして迫ってくる二人に圧倒され、言われるがままに試着を続けたので、エマのお直しが終わるころには本当に疲れ切ってしまった。
工房を出たときにはかなり日が傾いてしまっていた。私とエマはものすごく草臥れて、足を引きずるようにして何とか馬車まで辿り着いた。
ちなみにエマが草臥れてしまったのは、職人さんからお直しにかかる費用を聞かされたかららしい。エマのドレスに使われている布は、どうやらとんでもなく高価なものだったらしく、お直しの費用も相当な額になってしまったのだ。
これから身長が伸びるたびにこれだけの出費をしなくてはいけないのかと思ったせいで、エマは気疲れしてしまったみたい。
こうして色々な出来事が起こった週休みの長い一日は終わった。大変なことも多かったけれど、艶々と満足そうな顔をしているニーナちゃんとイレーネちゃんを見ていたら、こういう一日も悪くないのかもしれないなと、私は思ったのでした。
ドーラたちがくたくたになって寮に帰り着いたのとちょうど同じ頃、王都の貴族街区のある屋敷では三人の男たちが酒杯を片手にテーブルを囲んでいた。
「荷は無事に着いたのだろう。それで、始末は済んだのか?」
上座に座る貴族然とした男の言葉に、向かって右に座る騎士風の男が黙って頷いた。上座の男は無表情のまま頷いて、了解の意を示す。
へまをした荷運びの男たちはすでにこの世にいない。つい先ほど三人の人間の命を奪っておきながら、ここにいる男たちは皆、それをごく当たり前の事と考えていた。
酒杯に軽く口を付けた後、上座の男が口を開いた。
「それにしてもカッテ家とは・・・まずい相手に見られたものだ。いや、むしろ好都合か。」
余裕のある不敵な笑みを浮かべながら呟いた男の言葉に、向かって左側に座っていたフード姿の男が反応する。
「始末いたしますか?」
感情の籠らない冷たい声が室内に響く。上座の男はしばらく考えた後、ゆっくりと答えた。
「急くな。王立学校の生徒相手では無暗に手出しするわけにもいかん。」
「しかし御館様。もしこのことを知られたら、これまでの準備が・・・。」
騎士風の男の言葉を、上座の男は無言で酒杯を差し出すことで遮った。騎士風の男はテーブルの上の酒器を取ると、差し出された酒杯に恭しい態度で、中身を注いだ。
トクトクという音と共に薄暗い部屋の中に、甘ったるい香気が満ちていく。
上座の男はちらりとフード姿の男に目線を投げた。すると感情のない声でフード姿の男が話し始めた。
「証拠は消しました。すぐに追手が差し向けられることはないでしょう。それに今は相手も警戒しているはずです。下手に動けば逆にこちらの手の内を気取られるかもしれません。」
「ふむ。ではどうする?」
騎士風の男の言葉に、フード姿の男が答える。
「近々機会があります。協力者に動いてもらいましょう。」
その言葉を聞いて、上座の男は満足そうに頷いた。
「これは却ってよい機会なのやもしれぬ。」
主人の言葉に、騎士風の男が怪訝な表情をする。それを見た上座の男は残忍な笑みを浮かべ、愉快そうに言った。
「魔術師殿は常々『平民どもにはもう飽き飽きだ』と言っておられるではないか。」
「なるほど。そういうことですか。」
「ああ、その通り。成人前の子供には惨いことかもしれん。だが・・・!!」
貴族然とした上座の男は自らの酒杯を干すと、それを握った右手に力を込めた。美しい装飾の施された陶製の丈夫な酒杯は、その膂力により粉々に砕け散った。
「バルシュにカッテ。かつて私を貶めた愚か者どもへの借りは、あの娘たちの命で贖わさせてやるとしよう。」
上座の男は握りつぶした酒杯の残骸をその場に投げ捨てると、自信に溢れた仕草で優雅に立ち上がった。素手で酒杯を砕いたにもかかわらず、その右手には毛ほどの傷もついていない。
主人に従うように、二人の男も音もなく立ち上がった。それを確かめることもなく、上座の男は隠し部屋を出るために扉へと歩き出した。
部屋を出る刹那、彼は目の前の暗闇を欲望に滾る目で睨みながら小さく、本当に小さく呟いた。
「上級貴族の娘からどんな美酒が出来上がるのか。魔術師殿の手腕に期待するとしよう。」
読んでくださった方、ありがとうございました。