41 クオレ様のお茶会?
例によって長くなったので2つに分けて投稿します。これは2話目です。
その週の授業は特に何事もなく終わり、最初の週休みがやってきた。週休みは文字通り一週間に一度あるお休みの日だ。
この日に生徒たちは、普段はできない社交や鍛錬に勤しんだり、街に買い物や観劇に出かけたり、趣味を楽しんだりするのだ。
ちなみに王国の一週間は5日、一か月は25日、一年は16ヶ月なので、年間400日の内80日の週休みがあることになる。こう考えるとかなり多い気がする。
ハウル村の人たちは年中休みなく畑仕事や炭焼きをしているから、それに比べると貴族の生活ってやっぱり大分ゆったりしてる。冬は学校自体がお休みになっちゃうしね。
最初の週休みにミカエラちゃんを連れて行くという約束を果たすため、私はガブリエラさんに連絡を取ってみることにした。
こないだは急に訪ねて行ってビックリされちゃったので、今度はあらかじめ《念話》を使って彼女に知らせることにする。今お昼少し前だから、訪ねていくにはちょうど良い時間だろう。
「(ガブリエラ様ー! もう少ししたらそっちに行きますねー!)」
返事はないけど届いたような気がする。距離が長いからちょっと心配だったけど、問題なかったみたいだ。私は社交用のドレスに着替えたミカエラちゃんにそう伝えた。
今日、エマたちはマルグレーテちゃんと一緒にお茶会をしている。お茶会の給仕役には、護衛を兼ねてリアさんがついて行ってくれた。
だから今、寮の部屋にいるのは私と彼女、そして彼女の着替えを手伝ってくれたジビレさんだけだ。
少し緊張した様子のミカエラちゃんはジビレさんに「では行ってきます」と言い、ジビレさんは「ミカエラ姫様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」と答えた。
私はミカエラちゃんの手を取ると《集団転移》の魔法を使い、東ゴルド帝国皇宮内にあるガブリエラさんの離宮へと移動した。
移動先の離宮地下の研究室には、袖のゆったりした帝国風の衣装できれいに着飾ったガブリエラさんとクオレさんが待っていてくれた。研究室内には魔法の明かりが灯されており、この間よりもきれいに片付いた室内の様子がよく見えた。
すごく嬉しそうなクオレさんとは対照的に、ガブリエラさんは今にも泣き出しそうな表情で立っている。
ミカエラちゃんは並んで立っている二人の前に進み出ると、王国風の貴族女性のお辞儀をしてから挨拶を始めた。
「ご無沙汰しております、ガブリエラ王女殿下。本日はお招きいただきありが・・・えっ!?」
ミカエラちゃんは声を上げて挨拶を中断した。挨拶の途中だったのにガブリエラさんがミカエラちゃんの前に跪いたからだ。
驚きのあまり目を見開くミカエラちゃんの手を、ガブリエラさんが震える両手でしっかりと握った。
「ミカエラ!」
ガブリエラさんはミカエラちゃんの名前を呼びながら彼女の頬に恐る恐る手を伸ばし、そっと触れた。
「ああ、ミカエラ!! たった一年でもう、こんなに背が伸びていたなんて・・・!!」
ガブリエラさんの目からは止めどなく涙が流れる。その声はひどく震えて聞き取りづらかった。
ミカエラちゃんはガブリエラさんの顔を見つめていたけれど、やがて膝からがっくりとその場に崩れ落ちた。ガブリエラさんは彼女の体をしっかりと抱きしめ、ミカエラちゃんの頬に自分の頬を寄せた。
二人の頬を流れるきれいな涙が混じり合い一つになる。
しばらくしてガブリエラさんは顔を離すと、ミカエラちゃんの目を正面から見つめながら言った。
「王国を離れてから今までずっとあなたのことを思っていました。随分、身勝手な姉だと思うでしょう。それでも・・・私は、あなたを愛しています。」
ミカエラちゃんの顔がくしゃっと歪んだ。さっき挨拶をしていた時とはうって変わって、彼女は子供みたいに泣きじゃくりながらガブリエラさんの首に縋りついた。
「おねえ、さま・・おねえさま!!」
ガブリエラさんが声を上げて泣くミカエラちゃんの細い体を強く抱きしめる。
「私も会いたかった!! ずっと、ずーっとお姉様に会いたかったの・・・!!」
ガブリエラさんは嗚咽しながら何度もうんうんと頷いた。彼女はその存在を確かめるかのように、泣き叫ぶミカエラちゃんの髪を何度も何度も撫でていた。
二人の様子を見ているうちに私も目の奥が熱くなってしまい、こぼれそうになる涙を慌てて手で押さえなくてはならなかった。
両目を押さえる私に、クオレさんがそっと近づいてきて言った。
「・・・私たちは邪魔のようですね。ドーラさん、よかったらあちらで一緒にお菓子でも食べませんか? お酒も準備してありますよ。」
「お酒! いただきます!!」
私は涙を振り払うと、クオレさんと一緒にそっとその場を離れた。研究室の扉を閉めて、すぐ上の書斎に向かう階段をクオレさんの後ろについて上る。
ガブリエラさん、この間私が言ったことを分かってくれたみたい。
彼女がミカエラちゃんを想う気持ちをちゃんと言葉にしてくれたことが、私はとても嬉しかった。
いろいろ叱られたりしたけれど、ガブリエラさんのところにミカエラちゃんを連れてくることができて本当によかったと、私は思ったのでした。
ドーラとクオレが部屋を出て行った後も、二人の姉妹は互いを抱きしめ合ったまま泣いていたが、やがて泣き止んで体を離した。
涙で腫れた目をしたミカエラは、同じように眼の縁を赤くしたガブリエラに向かって言った。
「お姉様、ズルいです。」
「えっ?」
思いもかけない言葉を言われたガブリエラが呆気にとられた顔をするのを見て、ミカエラはくすりと笑った。
「私、お姉様にいっぱい文句を言おうと思っていたのに、たくさん泣いたせいで全部忘れてしまいました。」
「ミカエラ・・・。」
ミカエラは微笑んで頷くと穏やかな声で、だがきっぱりとした調子で言った。
「お姉様のお気持ち、はっきりと分かりました。でも一つだけ言わせてください。」
ガブリエラはその言葉に込められた力に思わず息を呑んだ。ミカエラは切々と訴えかけるように姉に言った。
「お姉様、お一人ですべてを抱え込もうとなさらないでください。お姉様の痛みや苦しみを私にも分けて欲しいのです。」
「で、でも、それは・・・。」
躊躇う姉の言葉を軽く頭を振ることで、ミカエラは遮った。
「お姉様が私のことを思ってしてくださったことには感謝しています。この秋から冬の間、バルシュ領で私は大変な歓迎を受けました。すべてはお姉様が長い時間をかけて領内を整えてくださったおかけです。」
ガブリエラはハウル村にいた数年間、自らが錬金術で作り出した物の売り上げを使って、旧バルシュ領の復興に尽力してきた。
カフマンと協力して事業を行い雇用を生み出すとともに、荒廃していた水路を再建するなどインフラの整備にも力を注いだ。またドーラに協力してもらい、荒れた土地を回復させる魔法薬を大量に作り出して、農地の復興にも取り組んだのだ。
それらはすべてミカエラ・バルシュの名で行われた。かつてのバルシュ家の善政を知っている領民たちは、バルシュ家の忘れ形見が領の困窮に手を差し伸べてくれたことを心から喜んだ。
昨年末、乳児の時以来となる帰郷を果たしたミカエラは、復興しつつあるバルシュ領都ラシータで領民たちに歓呼の声で迎えられたのだった。
その話を聞いたガブリエラはホッと安堵の息を吐いた。しかしミカエラは表情を緩めることなく言葉を続けた。
「私は領民たちとよい関係を作りつつあります。ですが彼らは決してお姉様の名を口にしようとはしません。」
その言葉にガブリエラは自嘲とも、諦観ともつかない寂しげな笑顔を浮かべてポツリと呟いた。
「私の名は彼らにとって呪いそのものですものね。」
領民たちにとってガブリエラは、狂乱に走り自領を荒廃させた領主一族の生き残り。国王によりバルシュ一族の犯罪については西ゴルド帝国の陰謀が原因であったと正式に布告があったが、だからと言ってそれを簡単に割り切れるほど、領民たちの恨みは浅くない。
表立って語られることは無くなったものの、ガブリエラの蔑称『背徳の薔薇』は未だに領民の間で当時のことを振り返る際の語り草になっているほどなのだ。
ガブリエラが自分の姿を極力隠し、ミカエラの名で領の復興に努めたのはそのためでもあった。
ミカエラはぎりっと奥歯を噛みしめると、ガブリエラの両手を取って彼女の目を覗き込んだ。
「私はそれが悔しくてならないのです。バルシュ家の名を再び蘇らせたのはお姉様なのに。」
痛いほど握りしめてくるミカエラの小さな手から彼女の無念さと自分への想いを感じ取ったガブリエラは、目の端に薄く涙を浮かばせ、「ありがとう」と小さく呟いた。
ミカエラは姉の目をまっすぐに見つめながら訴えかけた。
「私はお姉様の気持ちが分かりました。だからもうお父様やお母様の仇を討とうとは思いません。ただどうしてもお姉様の汚名だけは晴らしたい。それが私の唯一の願いです。」
ミカエラの瞳に宿る強い光を見て、ガブリエラは妹の成長に頼もしさを感じた。しかしそれとともに、たった一人の大切な妹に過酷な運命を課してしまったことへの罪悪感に苛まれ、思わず視線を逸らしてしまった。
ミカエラは「お姉様」とガブリエラに呼びかけた。目を上げたガブリエラに、ミカエラは口元に微笑みをたたえながらきっぱりと言った。
「私は絶対に諦めません。これまでよりもずっとずっとバルシュ領を繫栄させ必ずやその名を王国に、いえ、お姉様のいらっしゃるこの東ゴルド帝国にまでも響かせてみせます。そしてその礎を築いたのはお姉様なのだと、いつかの日か皆に知らしめます。」
自分の罪悪感を読み取ったかのようなミカエラの言葉に、ガブリエラはハッと息を呑んだ。ミカエラは彼女の目を見て大きく頷いた。
「だからお姉様、私に力を貸してください。そして私にもっと頼ってください。今の私はまだお姉様の後をついて歩く子供に過ぎません。でもいつか必ずお姉様の隣で並んで歩けるようになります。」
ミカエラの決意の言葉は、ガブリエラの罪悪感をきれいに消し去ってくれた。
ガブリエラは思った。ああ、最愛の妹に一族の誇りを伝えるという私の務めはこれでもう終わったのだと。
ガブリエラの両目から涙があふれる。しかしそれは後悔や良心の呵責によるものではなかった。
ただただミカエラを思って流すそのあたたかい涙は、ガブリエラの悔恨や迷いをきれいに洗い流していった。
ガブリエラは手巾で涙を拭った。そして大きく息を吸うとしっかりと背筋を伸ばし、胸を張ってミカエラに向き直った。
「そうですね、あなたの言う通りです。私たちはこの世にたった二人だけの姉妹、誇り高きバルシュの末裔なのですから。」
「お姉様・・・!」
「ミカエラ、私の方からあなたにお願いします。私に力を貸してちょうだい。私と共に王国を、そしてバルシュの民を守りましょう。あなたが手伝ってくれるなら、私はもう、何も恐れるものはありません。」
ガブリエラとミカエラはしっかりと見つめ合った。その瞳にもう迷いの色はない。
引き裂かれた二人の姉妹の運命は今、再びここで一つに結び合ったのであった。
私の持っている器に新しいお茶を注ぎながら、クオレさんが楽しそうな笑い声を上げた。
「まあ、ハウル村というのはそんなに素敵な場所なのですね。いつか私も行ってみたいわ。」
「ぜひ来てください。秋祭りの時はすっごく楽しいんですよ!」
私はそう言うと、なみなみと注がれたお茶を一気に飲み干した。甘い果実の香りがするお茶が私の体に沁みわたっていく。体の中がホカホカしてとってもいい気持ちです。
クオレさんが「ありがとう、是非お邪魔させていただくわね」と言いながら、またお茶を注いでくれたところで、研究室の階段からガブリエラさんとミカエラちゃんが姿を見せた。
目の縁が赤くなったガブリエラさんは、私とクオレさんの様子を見るなり呆れたような口調で言った。
「何をなさっているかと思えばこんなところでドーラとお茶会ですか、義母上様。」
「あら、もう来てしまったの。姉妹水入らずでお話しできる機会なのですから、もっとゆっくりしていていいのですよ?」
「お気遣いありがとうございます。でももうたくさん話せました。」
ガブリエラさんはそう言ってミカエラちゃんと視線を合わせた。クオレさんはそれを見て小さく頷いた。
「じゃあ、皆がそろったところで改めてお茶会を始めましょう。さあ、席についてちょうだい。」
書斎に置かれた丸い座卓にガブリエラさんとミカエラちゃんが座る。すぐに侍女さんたちが座卓の上に人数分の新しいお茶とお菓子を並べてくれた。
卓の中央に置かれた大皿には、この間エマと一緒にご馳走になったタルトを始めとするいろいろなお菓子に混じって、私の持ってきたお菓子も置かれている。
一通り挨拶と自己紹介が終わったところで、このお茶会の主催者であるクオレさんがガブリエラさんに私の持ってきたお菓子を勧めた。
「あなたもこれを食べてみて。とても美味しいのよ。」
「これは・・・懐かしい味だわ。このお菓子は誰が?」
ガブリエラさんは侍女さんが取り分けた茶色い揚げ菓子を一口食べた後、私に尋ねた。
「『熊と踊り子亭』のハンクさんですよー。ゲルラトさんが作ったコロッケを参考にして考えたんでしゅて。ガブリエラ様のおかげで蜂蜜が安く手に入るから助かるって喜んでますよぅ。」
「ハウル村の人たちは『熊の贈り物』って呼んでいます、お姉様。」
ミカエラちゃんが私の説明に補足してくれた。ガブリエラさんは「とても美味しいわ」と言い、侍女さんにもう一つお菓子を取り分けてもらっていた。
エマも大好物のこのお菓子は蜂蜜がたっぷり使われていて、ものすごく美味しいからね! これもガブリエラさんがサローマ領で『養蜂』を始めてくれたおかげです。
私は嬉しくなって、ガブリエラさんに言った。
「気に入ってもらえて、よかったでしゅ! ひっく!」
あらら、しゃっくりが出ちゃった。ガブリエラさんはすぐに私の使っている茶器を取り上げて言った。
「!! ちょっと待ちなさい! あなた何を飲んでるの!?」
「くふふ、クオレしゃまが、お茶に混ぜると美味しくなるっていうお酒をごちそうしてくれたんでしゅよー。」
私は座卓の下に置いてある瓶を取り出してガブリエラさんに見せた。
「この匂いは桃のリキュールね・・・って、もう空っぽじゃないの!!」
ガブリエラさんはサッとクオレさんに目を向けた。クオレさんは懐から扇を取り出し、口元を隠したままクスクスと笑った。
「ドーラさんはお酒が大好きなんですって。だから私の秘蔵のお酒出して差し上げたのよ。」
このお酒を熱いお茶に注ぐと、華やかな果実の香りがふわっと立つのです。帝国貴族の女性が好むというこのお酒が、私はすっかり気に入ってしまった。
フワフワと気持ちよくなった私はガブリエラさんに抱き着いた。
「ふみゃあ、ガブリエラ様、だーいしゅきでしゅよ! うふふふー!」
「ちょ、ちょっとドーラ、しっかりしなさい!! あ、こら、こんなところで寝ないの!!」
ガブリエラさんが何か言ってるけど、よく分かんないや。ああ、ガブリエラさんの胸はマリーさんよりもずっと小さいけど、温かくて気持ちがいいなあ。
私は懐かしい彼女の匂いと魔力の波動を感じながらそっと目を閉じ、心地よい眠りの闇に体を委ねた。
最後にかろうじて聞き取れたのは、「あらあらドーラさん、少し飲み過ぎてしまったみたいね。ミカエラさん、仕方がないから一晩この離宮に泊まっていくといいわ」と嬉しそうに言うクオレさんの声だった。
翌朝、目を覚ました私はガブリエラさんから叱られた。でもなぜか、いつもみたいな怖い感じが全然しなかった。ミカエラちゃんが嬉しそうな顔で彼女の隣に立っていたせいかもしれないね。
私とミカエラちゃんは寮の朝食に間に合うよう、すぐに帰ることにした。お別れの挨拶をした私に、クオレさんが小さな紙包みを差し出した。
「ドーラさん、一つお願いがあるのです。これをドルアメデス国王陛下にお渡しください。」
包みからは不思議な匂いがする。私はクオレさんに断ってから包みを開いて、中を確かめた。何重にもくるまれた包みの中には、乾燥させた葉と花弁が数枚入っていた。
「これ何ですか? 何かの薬草みたいですケド・・・?」
「義母上様!」
私がそう問いかけるのと同時に、ガブリエラさんが鋭い声を上げてクオレさんに向き直った。
でもクオレさんは特に慌てることもなく、私とガブリエラさんに言った。
「これは私が配下の者を通じて最近手に入れたものですよ。ガブリエラ様、この花についてドーラさんに教えて差し上げて。」
ガブリエラさんは一瞬躊躇した後、私に説明してくれた。
「この花はオキーム草。高山地帯に自生する珍しい薬草よ。その強い薬効から『女神の慈悲』とも呼ばれる花なの。」
「なるほど、珍しい薬草なんですね。それで王様にプレゼントってことですか?」
錬金術師でその上、薬師でもある王様は珍しい素材が大好きだ。きっとこれを見たら喜ぶに違いない。
私がそう問いかけると、ガブリエラさんは頭を横に振ってきつく眉を寄せた。
「違うわドーラ。義母上様の目的はこの花の存在を陛下に知らせることよ。」
知らせること? 一体何のことだろう? 戸惑う私にガブリエラさんは言った。
「この花のもう一つの異名は『淫魔の乳房』。人々を堕落させ、国を亡ぼす最悪の毒花よ。」
読んでくださった方、ありがとうございました。