40 付与魔術
長くなっちゃったので2話に分けて投稿します。
ガブリエラさんのところから戻った次の日、私は午前中の水汲みを終えてエマたちを迎えに行こうと寮を出た。すると校舎へつながる渡り廊下の辺りで人待ち顔をしている1年生の女の子を見つけた。
彼女は私の顔を見るなり駆け寄ってきて、私に尋ねた。
「あ、あの、エマさんの侍女さんですよね?」
「そうですよ。よく分かりましたね。どこかで会いましたっけ?」
「いいえ、あの、エマさんの侍女をしている人はとってもきれいだって聞いたので・・・。」
私の問いかけに、紫色の髪をおさげにした丸眼鏡のその女の子はおどおどしながら答えた。彼女からはすごく強い風の魔力を感じる。たぶんミカエラちゃんと同じくらいの強さじゃないかな。
あとなんだか彼女の体全体から、心惹かれるようないい匂いがする。まるで美味しい果物みたいな匂いだ。食べないけどね。
「・・・うん? もしかしてあなたがマルグレーテちゃん?」
ピンときた私がそう尋ねると、彼女はホッとしたような表情で頷いた。
「はい。あの、お願いがあるんです。この杖をエマさんに渡していただけないでしょうか?」
彼女はそう言って、私が作ったエマの短杖を差し出してきた。これは私の鱗を材料にして作ったものだ。銀貨を溶かして作った握り部分の飾りもとても気に入っている。
私は杖を受け取ろうとしたけれど、ふと気になったので彼女に尋ねてみた。
「それはいいですケド・・・。どうして直接返しに行かないの?」
彼女は途端に涙目になり、おどおどし始めた。
「そ、それは、あの・・・じょ、上級生に近づくのが怖くって・・・。」
マルグレーテちゃんは他の子からいじめられてるってエマが言ってから、きっとそのせいで怖がっているのだろう。
私は少し考えた後、彼女の手を取って言った。
「じゃあ、私が一緒に行ってあげる。エマはもうすぐお昼を食べに戻ってくるはずだから。こっちだよ。」
「あわわ、あ、あの! わ、私、まだ心の準備が・・・!!」
「いいからいいから! さあ、一緒に行きましょう!!」
私はそう言うと、慌てる彼女の手を引いて校舎の方へ駆け出したのでした。
「エマー!」
2年生に混ざって渡り廊下を歩いてくるエマに呼びかけて手を振ると、エマも手を振り返して駆け寄ってきてくれた。その後にはミカエラちゃん、ゼルマちゃん、ニーナちゃんが続いてくる。
他の2年生の女の子たちが見つめる中、エマは嬉しそうに私とマルグレーテちゃんに話しかけた。
「ドーラお姉ちゃん! それにマルグレーテちゃんも。お姉ちゃんが連れてきてくれたの?」
「そうだよ。エマに杖を返しに来たんだって。」
私はそう言ってマルグレーテちゃんをぐいっとエマの前に押し出した。
「あ、あの、大切な杖を貸していただいて、本当にありがとうございました!!」
彼女は大きな声でお礼をいい、体を二つに折り曲げるくらいの勢いでお辞儀をした。両手をぴょこんと羽根みたいに後ろに伸ばしているのが、何だか小鳥みたいで可愛い。ちょっとだけ美味しそうだ。食べないけどね。
「わざわざ返しに来てくれてありがとう。実習はどうだったの?」
「実はそれが・・・。」
エマの質問に彼女はちょっと困った顔をして、実習の様子を話してくれた。
その日、行われたのは去年エマもやった《魔法の矢》による格闘訓練だったそうだ。
マルグレーテちゃんは初めて授業で呪文を教わったにもかかわらず、他の貴族の生徒たちよりもずっと早く正確に《魔法の矢》を撃てるようになったらしい。
格闘訓練でも女子生徒相手にはほぼ負けなしで、授業を担当したゴルツ先生からすごく褒められたそうだ。
彼女の作る《魔法の矢》はとにかくスピードが段違いに早くて、女子生徒たちは《小さき盾》の魔法を使う間もなく次々と倒されていったんだって。
ただ彼女自身が格闘に慣れていないので、男子生徒にはあっという間に負けちゃったそうだ。
マルグレーテちゃんは「わ、私、そんなつもりないのにどんどん勝ってしまって・・・」と半泣きになりながら言った。
この杖のせいで彼女の持つ潜在魔力が引き出されたからだろうって、授業後にゴルツ先生が説明してくれたそうだ。それを聞いたエマは笑いながら、慰めるように彼女に言った。
「あはは、ドーラお姉ちゃんの作った杖だからねー。そういうこともあるよ。」
「ええ、エマ!?」
エマに言葉に衝撃を受け、私は思わず声を上げた。けれどマルグレーテちゃんは私以上に驚いていた。彼女はエマの持っている杖と私を何度も見ながら、エマに尋ねた。
「その杖をドーラさんが?」
「そうだよ。お姉ちゃんの作るものは皆すごいものばっかりなの。私の自慢のお姉ちゃんなんだ。」
エマはにっこり笑って私の方を見た。
「ええー、そんな、自慢だなんて・・・いやー、えへへへ。」
エマに満面の笑顔で褒められて嬉しくなった私は、両手を頬に当てて体をくねくねさせた。その様子を見たミカエラちゃんたちは、顔を見合わせてクスクスと笑っていた。
エマが自分の杖を腰のベルトに戻したところで、ニーナちゃんがマルグレーテちゃんの前に進み出て言った。
「ミカエラさんのことはご存知ですわよね。私はエマさんと同室のニーナ・クンツェル。技能クラスの2年生ですわ。以後よろしくお見知りおきくださいませ。」
「私はゼルマ・ヴァンガード。同じく技能クラスの2年だ。よろしくな、マルグレーテ殿。」
マルグレーテちゃんは二人の差し出した手を順番に取り、「よ、よろしくお願いします」と言いながら二人と握手を交わした。
長身のゼルマちゃんは小柄な彼女を握手する時、少し腰を屈めてあげていた。軽鎧に身を包んだ凛々しいゼルマちゃんに微笑みかけられた彼女は、ぽうっとした表情で頬をほんのりと赤らめた。
ミカエラちゃんやエマとも握手をした後、エマが彼女に尋ねた。
「マルグレーテちゃん、新しい杖はもう貰った?」
「はい。アンフィトリテ先生が直接届けてくださいました。」
彼女はそう言ってベルトに下げていた短杖を取り出してエマに示した。安心した様子の彼女を見たエマは嬉しそうに笑った。
「よかったね、マルグレーテちゃん。」
「はい。今度は無くさないように気を付けます。ありがとうございました。」
彼女がまた小鳥みたいなお辞儀をした。そこで私は不意に思いついてしまった。
「ねえ、マルグレーテちゃん。よかったら、また無くならないように私が杖に魔法をかけようか?」
「それ、いいね! マルグレーテちゃんどうかな?」
「おまじないですか? あの、私、お支払いするお金を持っていないので・・・。」
彼女はそう言って俯いてしまった。別にそんなの必要ないんだけど『タダでいろいろやっちゃダメ』って言われてるしなー。
ちょっと考えた後、私は彼女に言った。
「じゃあさ、お金の代わりにエマが困ったときに助けてあげてくれる?」
彼女は私とエマの顔を何度も見た。エマが大きく彼女に頷いて見せると、彼女は安心したように少しだけ笑い、私に杖を差し出した。
「分かりました。お願いします。」
「任せて!!」
私がそう言って胸を張ると、エマは「あんまり張り切り過ぎないでね、お姉ちゃん」と言って、クスクス笑った。
魔法を使うため、私たちは人目に付かない中庭の東屋へと移動した。
「じゃあまずはこの杖のことを調べてみるね。《鑑定》」
魔法を使うと短杖の材質が私の脳裏に浮かんできた。
杖本体はヘーゼルの木で出来ている。ヘーゼルは風属性の樹木だから、彼女の魔力属性には合っているよね。
ただこの杖はどうやら幹の心材ではなく、辺材から材料を取っているみたいだ。そのせいで魔力の流れにほんのちょっとだけ偏りがある。呪文に問題が出るほどではなさそうだけど。
杖の魔力芯材として使われているのは風猫の髭と隼の風切り羽、そして風属性の薬草ルーリジスの花びらだ。
風属性の杖の芯材としては一般的な素材ばかり。使われているのが同一属性の素材ばかりなので中和液を使った形跡もない。
何の魔法も付与されていないみたいだし、多分、見習いの錬金術師か魔導具師が練習のために作ったものじゃないかな。
こういう杖が街の魔導具店で安く売られていると、以前カフマンさんから聞いたことがある。この杖は少し古びているし、ひょっとしたら誰かのお下がりなのかもしれないね。
私は杖の表面をしっかりと調べた上で、エマとマルグレーテちゃんに尋ねた。
「この杖の大きさなら2つか3つは魔術付与が出来そうだよ。とりあえずは《紛失防止》を付けるとして。あとは《自衛》と《悪意からの守護》でいいかなー?」
《紛失防止》は杖のある場所をいつでも持ち主が知ることができるようになる魔法だ。杖や護符などの持ち歩いて使う魔道具に付与されることが多い。魔道具は高価なので失くす大変だからね。
《自衛》は持ち主が許可した以外の人が持つと杖から攻撃されちゃう魔法。風属性の杖なので触れたら電撃を浴びせるようにしておくのがいいだろう。うっかり触るとかなりびっくりするはずだ。
《悪意からの守護》は文字通り、杖の持ち主を悪意ある攻撃から守る魔法だ。杖を身に付けている時に攻撃の気配を感じ取ると、杖が反応し持ち主に知らせてくれる。
本当は自動で反撃できるようにしておきたいけれど、この杖の素材ではあまり効果の大きな魔法を付与することができない。それにあんまりやり過ぎると、また誰か(ガブリエラさんとかアンフィトリテ先生とか)に叱られるかもしれないからね。
私に尋ねられたエマは「それでいいと思う」と答えた。けれど、マルグレーテちゃんは訳が分からないという顔で戸惑い、曖昧に「は、はい」とだけ言って小さく頷いた。
私は《収納》から私の背よりも少し長い杖を取り出した。先端が輪の形をしているこの杖は守護と金運を象徴するシデルの木で作られており、金と銀を使った植物模様の装飾が全体に施されている。
輪の部分には六属性の魔石を加工した六つの宝玉が植物の実に模して取り付けられ、その一つ一つが美しい魔力光を放っていた。この杖は一人前の錬金術師になったお祝いに、ガブリエラさんが私に作ってくれたものだ。
何もない場所から急に杖が現れたことで、マルグレーテちゃんとニーナちゃんは目を丸くして驚いた。
私は《領域創造》の魔法で杖を囲って空中に浮かべると、《自動書記》の魔法を使って、杖の表面に付与する魔法を描いていった。思い浮かべるだけで勝手に魔法のインクが動いて文様が出来上がるから、とっても楽ちんです。
普通に魔力回路を描くだけでもいいのだけれど、せっかくなので風属性の杖らしくなるようにしたい。だからすべての記号と回路を、風に舞う花びらと春風を表す線の意匠に変換して描くことにした。
ついでなので魔力の歪みが直るように表面に文様を加えておく。偏りのある杖で練習して、体内の魔力回路に変な癖がつくといけないからね。
うーん、だいたいこんな感じかな?
出来上がった模様をじっくりと見つめた後、杖に魔力を軽く流して魔力の流れを目で確認した。
魔力の動きに問題はなし。大丈夫そうだね。
私は《魔法陣構築》の魔法を使った。たちまち描いた模様が紫色に輝き、杖にすべての模様が刻み込まれた。
「うん、結構いい感じにできたよ。」
空中に浮かべた杖を示しながらそう言うと、エマが私に抱き着いてきて言った。
「流石はお姉ちゃんだね!」
ああ、私の顔をキラキラした目で見上げるエマはやっぱり最高にかわいいなあ。
「えへへ、そう? じゃあ、ついでだから魔法陣を守るための飾りも付けちゃうね!」
褒められて嬉しくなった私は自分の杖を構えた。《収納)から数枚の銀貨を取り出し、それをマルグレーテちゃんの短杖と一緒に魔力で作った《領域》に入れる。
私は領域内にフワフワ浮かぶ銀貨を《金属形成》の魔法でドロドロに溶かした。それを杖の表面に刻み付けた模様に沿って薄く伸ばしていく。
ゆっくり冷やした後、《研磨》で全体を磨けば出来上がりだ。もちろん銀自体に《磨滅防止》も忘れずに加えておく。
最後に杖自体の魔力を上げるために風属性の魔石を加工した宝玉を杖の握り部分にはめ込んでみることにした。
素材用の風の魔石を《収納》から領域内に直接取り出し、私の魔力で圧縮して麦粒くらいの宝玉に変える。
私がうっかり手で魔石を触っちゃうと、魔石を吸収しちゃうからここは慎重に、慎重に。
銀の飾りの中に小さな宝玉をはめ込むと、風に舞い散る散る銀色の花弁模様の中に小さな紫の宝玉が浮かんでいるように見えてとてもきれいだ。
うむうむ、我ながらすごくよくできた。大満足の仕上がりだ。
私は自分の杖を《収納》に仕舞い、《領域》から短杖を取り出してマルグレーテちゃんに渡した。
杖に付与された魔法が彼女の魔力に反応して、杖全体が紫色の薄い光を放った。うん、彼女との相性もばっちりみたいだね!
びっくりして取り落としそうになった杖を慌てて握り直してから、マルグレーテちゃんは私に言った。
「す、すごいです! ドーラさんは錬金術師なんですか?」
目をキラキラさせながら尋ねるマルグレーテちゃんに、私は頭を搔きながら答えた。
「実はそうなんです。ミカエラちゃんのお姉さんに弟子入りして教えてもらったんですよー。あ、でも他の人にはナイショにしててくださいね。」
私が魔法を使うところはあんまり他の人に見せないように言われてるんだよね。最近は村でも結構気を付けるようにしているのです。
私のお願いにマルグレーテちゃんはこくりと頷いた。
「分かりました。私、誰にも言いません!」
彼女はぐっと両手を握りしめた後、急にしょんぼりして言った。
「でも、こんなにすごい魔法をかけてもらえるなんて思ってもみませんでした。てっきり《忘れ物除け》のおまじないだろうと思っていたので・・・。」
《忘れ物除け》はその名の通り忘れ物を防ぐおまじないだ。おまじないの掛かった品物を忘れそうになると、魔法がそれを知らせてくれる。ただ一日経つとその効果は無くなってしまうんだけどね。
「私、とてもお返しできる気がしないんですけど・・どうしたらいいですか?」
あらら、困らせちゃったみたい。もしかして、またちょっとやり過ぎちゃったかな?
私がなんて言って謝ろうか考えていたら、すぐにエマが彼女に言ってくれた。
「気にすることないよ。困ったときはお互い様でしょ?」
さすがはエマだ。私もすぐにエマに同意した。
「うんうん、エマの言う通りだよ。私はマルグレーテちゃんがエマの味方になってくれたらそれで十分だし。」
「もちろん私はエマさんの味方です! むしろ私の方が助けてもらってるのに、何もお返しできないのが本当に申し訳なくて・・・。」
うむむ、まだ困ってるみたい。じゃあここは、いつものハウル村方式で交渉してみよう!
「そんなに気になるなら今すぐでなくてもいいから、いつか返してくれる? マルグレーテちゃんが大人になってお金を稼いだら、その時は材料費分だけ返してもらうよ。それでいい?」
これがハウル村方式だ。『返せるときに返せばいい』っていうのがハウル村の皆のルールだからね。
私がそう言うと彼女は両手を握りしめ、唇を引き結んで私に宣言した。
「分かりました! 私、これから魔法をいっぱい勉強して、このお返しができるくらいの立派な魔術師になります!」
彼女はまた小鳥みたいなお辞儀をして私たちに元気よくお礼を言うと、自分の第一寮の方に走って行った。
私にはその背中がさっきまでよりもしゃんと伸び、溌溂としているように見えた。
マルグレーテちゃんの姿が見えなくなったので、私たちも食堂に向かうことになった。すると歩きながらニーナちゃんが私に話しかけてきた。
「ドーラさんが錬金術を使うところ、初めて拝見しましたわ。」
「あれ、そうだったっけ?」
「ええ、生活魔法を使っているところは何度かお見掛けしましたけれど、こんなに本格的な魔術付与を見たのは初めてです。流石はエマさんのお姉様ですわね。」
私とエマは思わず顔を見合わせた。そして互いににんまりと笑い合うと、どちらからともなく手を繋ぎ、二人並んで食堂への廊下を歩いて行ったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。