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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
37/93

36 それぞれの思惑 前編

説明が多くなってしまいました。すみません。

 エマは術師・騎士クラスの生徒たちに混ざって半円形の大教室に入った。学校再開後、最初の授業は水属性魔法研究室主任であるアンフィトリテの講義。


 この講義はこの後、魔力演習場で行われることになっている2~6年合同の実技演習のための事前説明だ。そのため普段の講義ではあまり一緒になることがない上級生たちの姿もちらほらと見受けられる。


 術師・騎士クラスの全員が出席している2年生に比べると、上級生の参加者数は少ない。これは上級生になると自分で受講する授業を選択できるようになるからだ。






 王立学校では1年生の間に魔術の歴史と基礎理論を学び、2年生から詠唱魔術について本格的に学ぶことになる。


 2年生の間はすべての属性の詠唱魔術について広く浅く学ぶ。これは各属性の魔力にどんな特性があるかを知るためだ。自分の適性以外の魔力について学ぶことで、自分の適性魔法を効果的に生かせるようにするのが目的である。


 魔術は自分の魔力を使って周囲の魔素マナに影響を及ぼすことで様々な効果を発揮する。その際に環境の影響を受けるのだ。大きな効果を生み出す複雑で高度な呪文ほど、その影響は大きくなる。


 すべての詠唱魔術士スペルキャスターにとって、魔力の属性の特質を正しく知ることはとても大切なのである。






 特に多くの素材を扱う錬金術や魔法薬学を学ぶ生徒や、様々な属性の魔獣を相手に戦う騎士や魔導士を目指す生徒には、欠かすことのできない知識だ。


 そのため2年生まではある程度、学ぶ内容が決められている。すべての属性魔術を万遍なく学べるように、教師が話し合って時間割を調整しているのだ。


 通常の年であればだいたい午前中に講義や演習があり、午後からは各研究室での自学研究ということになっている。これが3年生以降になると、自分の適性や研究内容に合わせた授業をそれぞれで選んで受講することができるようになるというわけだ。






 ただ今年はドーラによって3か月半もの休校期間が生じてしまったため、講義内容がかなり変則的になっていた。休校期間中に履修できなかった内容を2年生のうちに終えなくてはならないからだ。


 今日の様に午前・午後続けての講義・演習となっているのも、他学年の生徒が一緒になるのも、例年では考えられないことである。


 今年進級してほとんど新しい授業を受けていない2年生はそれほどでもないが、これまでの授業スタイルに慣れている上級生ほど、戸惑っている様子が感じられる。


 そのためか、教室内にいる生徒には微妙な距離感や緊張感が生まれていた。






 エマとミカエラは一番最後に教室に入った。二人が教室の扉をくぐった途端、教室中の視線が二人に集まった。


 エマは騎士クラスの特別聴講生として格闘訓練に参加したことがある。だが術師クラス、つまり上級生の女子にとっては、平民であるエマと同じ教室で授業を受けるのはこれが初めてだ。


 エマは肌を刺すような鋭い視線を感じた。冷ややかな視線を投げかける女子生徒たちが、ひそひそと小声で会話を交わしている様子が嫌でも目に入る。波立つ気持ちを抑えるために、エマはこくんと小さく息を呑んだ。


「エマちゃん、奥の方に行きましょう?」


 ミカエラはエマに、階段状になった大教室の後方の席を示しながら言った。エマは目を見て無言で頷くことでそれに答えた。






 このような教室での座席は原則決められてはいない。しかし生徒たちは暗黙のうちに、実家の身分や家格によって席次を分けて座っていた。


 基本的に講義を受けやすい前方の席には上位の貴族が座り、序列が下がるほど後方へと移っていくのだ。


 将来の公爵夫人となることがほぼ確定しているミカエラは、本来であれば最前列に座ってよい立場だ。だが彼女はエマの身を案じ、あえて共に後方の席へ行くことを選んだ。


 それほどまでに上級生女子たちがエマへ向ける視線は敵意に満ちたものだったからだ。


 ところが教室を横切り、後方にある空席へ向かって二人が歩いていた時、最前列に座っていたイレーネが立ち上がって二人に声を掛けてきた。






「エマさん、ミカエラさん、こちらにいらしてください。一緒に座りましょう。」


 その言葉に、教室の視線が一斉にイレーネへと集まった。


 王国を代表する伯爵家の一つであるカッテ家の令嬢が、まさか自分から平民に声を掛けるとは。誰も声に出すことはなかったものの、驚きに見開かれた生徒たちの目が雄弁にそのことを物語っていた。


 だがイレーネはそんな生徒たちの視線を傲然と無視し、自分の隣にある空席を笑顔で二人に示した。


 エマは一瞬戸惑う様子を見せたが、すぐに「はい」と応じてイレーネの隣の席へ向かった。平民である自分が伯爵家令嬢の誘いを断る方が無礼だと判断したからだ。






 序列を無視して前に進み出るエマを、上級生たちは憎々し気に見つめる。特に襟に赤い飾り布を付けた4年生からの視線は強かった。


 エマとゼルマを襲った騎士クラス4年生の男子6人は、現在療養中。彼らがなぜ長期休養を余儀なくされるほどの傷を負ったか、その真相は王家により慎重に伏せられている。


 しかしエマがそれに関わているのではないかと疑っている生徒も少なくなかった。6人の男子生徒と同様に魔力震に巻き込まれたにもかかわらず、魔力量の高いエマが無事だったことに彼らは疑問を抱いているのだ。






 強い憎悪と侮蔑の視線を向けられながらも、エマはまっすぐ前を向いて優雅に机の間を歩いていった。しかしその時、後ろから「平民風情が・・・」という男子生徒の呟きが聞こえ、エマは思わずびくりと体を震わせた。


 続いて起こる女子生徒たちのクスクス笑いや囁き声。彼女たちはこの場にふさわしくない振る舞いをして、無様な姿を晒すエマを見逃すまいと、意地の悪い視線でその一挙手一投足を見つめている。


 エマはぐっと奥歯を噛みしめ、拳を握った。それに気づいたミカエラは怒りの視線で後ろを振り返ろうとした。しかしエマはそれをそっと押しとどめて言った。






「私は大丈夫だから。」


「エマちゃん、でも・・・!」


「だって私が平民なのは本当のことでしょう?」


 エマはにっこりと笑って、ミカエラに頷いて見せた。ミカエラはエマの瞳に宿る強い光に気付き、同じように笑って頷き返した。


 周囲の生徒たちはあからさまに面白くなさそうな顔をし、さらなる悪意をエマに向けようとした。しかしそんな彼らの顔は、次の瞬間、驚きに歪むことになった。






「エマさん、お元気そうで何よりです。休校中はどうされていましたか?」


「エマ、久しぶりだな。よかったら近いうちに、錬金術研究室に顔を出してくれないか? マルーシャ先生が君に話を聞きたいらしくて、エマを連れて来いとうるさくて仕方がないんだ。」


 最前列に座っていたニコルとウルス王子が同時に立ち上がって、親し気にエマに話しかけたのだ。エマとミカエラも二人と自然な挨拶を交わし、にこやかに会話を始めた。


 現在、王党派貴族の中でも最も勢いのあるサローマ伯爵家の後継者と、王太子の嫡子である王子が平民の娘と親しくしている。これまでの貴族社会の常識では到底考えられない事態に上級生たちは、戸惑いの表情を隠せない。しかしその直後、更なる驚きが彼らを襲った。






「ごきげんようミカエラさん、エマさん。エマさんは休校中、村に帰っていたのでしょう? またお茶会にご招待しますから、その時に楽しいお話を聞かせてくださいね。」


 イレーネがそう言って、笑顔でその会話の輪に加わっていったからだ。


 イレーネの実家であるカッテ伯爵家は反王党派閥を代表する大貴族の一角。王党派と反王党派として、本来であれば対立してもおかしくないはずのニコルとイレーネが、エマを介して楽しそうに会話をしている。


 上級生たちはなぜこのような事態が起こっているのかと困惑した。そして同時に、この事態を作り出しているエマに対する見方を改めた。






 成人前とはいえ彼らも貴族の一員。時代の潮流に乗り遅れた貴族がどうなるか、これまでの短い人生経験の中であっても嫌というほど思い知らされているからだ。


 彼らはエマに向けていた敵意の視線をそっと下げ、代わりに同派閥の生徒たちと目線で会話し始めた。


 疑念、混乱、嫉妬、羨望。無言のうちに彼らの間で様々な思惑がやりとりされていく。それによりエマに集中していた悪意は一旦その場からは姿を隠した。


 しかしそれは消えたわけではない。行き場を無くした悪意は心の奥に蓄積することで、その圧力と濃度を増していく。


 密閉容器の中で発生した腐臭のような悪意と憎悪が生徒たちの心に満ちる。彼らはそれを解き放つ最もふさわしい相手と機会を見定めるため、虎視眈々と目を光らせたのだった。











 生徒たちの困惑により、教室の空気がはっきりと変わったのを確かめたイレーネとミカエラは、そっと目を合わせて微笑みあった。してやったりと言わんばかりの相手の顔を見て、さらに互いに笑みを深める。


 狙い通りエマを守るため、ミカエラと共にうまく立ち回ることができた。イレーネはそう感じつつも、そんな自分の気持ちをとても不思議に思った。


 イレーネにとってミカエラは、以前一度お茶会に招いたことがあるだけの仲だ。もちろん同級生だから多少の会話をしたことはあるし、試験前には一緒に勉強をしたこともある。


 だけどそれはあくまで自分の将来の結婚相手であるウルスに近づくため。ミカエラがウルスと同じ錬金術研究室の特別研究生だからに過ぎない。


 にもかかわらずイレーネにはミカエラが、心を通じ合わせた親友同士のように思えてならなかった。そしてさらに奇妙なことに、ミカエラも自分と同じように感じているようだ。


 イレーネはそれを不可解だと思う反面、何故かごく自然なことだとも思っていた。






 イレーネは知らない。異世界人であるジョン・ニーマンドこと伊集院幻壱郎によって自分とミカエラが出会い、ハウル村を防衛するため、共に手を取り合って戦ったことを。


 その中で二人はお互いの真情に触れ、自分を理解してくれる唯一無二の相手だと思うに至ったのである。


 だが、ジョンが次元の壁を越え、自分の世界へと帰ったことで、彼の固有能力『改変』の力が失われてしまった。ジョンに関する記憶が人々から抜け落ちるのに伴って、二人の戦いの記憶もまた消え去ってしまったのだ。


 しかしかつて心を通じ合わせたその感情だけは、確かに二人の中に残った。ミカエラとイレーネは、身に覚えのない親しみの感情に戸惑いながらも、互いの存在に確かな安心感と喜びを見出していたのだった。











 王太子の嫡子であるウルスは、エマたちと会話をしながらも教室内にそれとなく目を配り、エマに敵意を向ける生徒を次々と特定していった。そのほとんどは上級生だ。だがエマと同じ2年生の中にも少なからず彼女に敵意を持つ者がいるようだ。


 ウルスは校内に配置してある王家の密偵たちに伝えるべき内容を、心の中で整理していった。


 休校の原因となった魔力震以来、生徒たちの間ではエマに対する警戒心が高まってきている。ウルスがこれまでいろいろな手を尽くして押さえ込んできた不満が、あちこちで燻り始めているのだ。


 ウルスは父である王太子から直接「本人に悟られぬようエマを守れ」と命を受けた。ウルスはそれに従い、侍女や使用人に扮して紛れ込んでいる王家の密偵たちを使い、また王党派生徒の中にいる協力者と連携しながら、エマを見守ってきた。






 それにもかかわらず、上級生男子にエマが襲撃されるという事件が起きてしまった。これはゼルマを標的とした襲撃にエマが巻き込まれてしまったことが原因だった。


 エマ本人を狙った行動であれば、密偵たちが事前に察知し協力して潰していたはず。しかし、今回の襲撃は密偵たちにとっても全くの予想外だったのだ。


 また、襲撃場所が騎士クラスの格闘場だったことも災いした。エマの動向を探るために配置した協力者は術師クラスの女子生徒が中心。彼女たちは基本的に格闘訓練等には参加しないため、騎士クラスの男子生徒の動きを把握することができなかった。


 つまり、今回の襲撃事件はいくつもの不幸な偶然が重なったために起きた事件だったのである。






 王太子である父はウルスを責めることはなかった。しかしウルス自身は王子として、またウルス個人としても、とてつもなく大きな後悔を感じずにはいられなかった。


 彼はこれまでのやり方を反省し、思い切って変えることにした。これまでの遠くから見守る消極的なやり方では、エマを守ることができないと気が付いたからだ。


 これまではエマが悪目立ちしないようにするだけで危険を遠ざけられていた。それは貴族の子弟にとっては、エマが取るに足らない存在だったからだ。


 不相応な強大な魔力を持っているとはいえ、エマはあくまで平民に過ぎない。気に食わないからという理由だけで、貴族が積極的に平民を攻撃をする意味はないのである。むしろそんなことをすれば、貴族としての自分の品位を下げかねない。






 これまでウルスは自らも含めて、あえて他の生徒たちが『空気のように』エマを無視するように仕向けてきた。


 彼自身が思いがけずエマと関わる中で、彼女に惹かれてしまったのは想定外だったがそれでも、周囲の生徒たちの耳目を集めることが無いよう、彼は配慮を怠らなかった。


 その甲斐あって昨年までは「王子が気まぐれで平民の娘に情けをかけている」程度の評価に収めることができていたのだ。






 ただエマはウルスが思っているよりもずっと魅力的(※作者注:ウルスの主観が入っています)で、優秀だった。彼女はあまりに目立ちすぎる。


 おまけに今年は休校の影響で授業形態が大きく変わっている。他学年とのかかわりが増え、不確定な要素がこれまで以上に多くなってしまった。


 これまでの消極的なやり方では、増え続けるエマに対する反感に対処できないとウルスは判断した。


 そこで彼は自らがエマと積極的に関わることで、エマの周囲から直接危険を取り除くことにした。これまでの体制は維持しつつ、エマが『王子や教師たちが一目置く実力者』であることを周囲に示すことにしたのだ。






 これはこれまでのやり方に比べればはるかに容易だった。エマが魔術に優れ、桁外れに大きい魔力を持っているのは紛れもない事実である。それをより自然な形でウルスが周囲の生徒たちに示していけばよいのだ。


 ただ何の理由もなく、王子が平民の娘に接触すれば妙な憶測を生んでしまう可能性がある。


 だからマルーシャの名前を使って、教師を介して交流を持っているということにした。マルーシャに許可を取っているわけではないが、彼女がエマを研究室に連れて来いと言っているのは事実だ。


 また仮に事実に反しているとしても、名前を勝手に使われたと言って怒るほど、彼女は生徒に対して関心や熱意のある教師ではない。マルーシャは良くも悪くも研究バカなのだ。


 こうすることでウルスは、より自然に自分とエマとの関係を生徒たちに知らしめることができると考えたのだった。






 今の教室内の反応を見る限り、それはうまくいっているようだとウルスは思った。王族に一目置かれているエマに積極的に攻撃しようとする相手は限られる。あとはそれを排除なり、説得なりすればよい。


 ただ一つ問題があるとすれば、エマに近づくことで彼自身がますますエマに魅かれてしまうことくらいなのだが・・・。






 彼は次期王太子として、カッテ伯爵家のイレーネと婚約することがほぼ決まっている。ただイレーネは自分に対してあまり良い印象を持っていないようだと、彼は感じていた。


 だがそれはイレーネには何の責任もない。優秀な従弟のリンハルトや美しいイレーネに対して、引け目と嫉妬を感じている自分の卑屈な心の持ち様が原因であることにウルスは気が付いていた。


 その証拠に以前は自分に対して冷淡な態度をとっているように思われたイレーネとも、最近はエマやミカエラのおかげで楽しく会話できるようになっている。


 勘違いでなければ、イレーネが自分に対して好意を持っていてくれるように感じることさえある。もちろんその好意はウルス個人に向けられたものではなく、自分がいずれ王になる立場だからに過ぎないのだろうけれど。






 ウルスは未だにエマへの気持ちを完全に断ち切ることができずにいた。エマが彼に向けてくれる屈託のない笑顔は、ウルスにとってかけがえのないものだと思えたからだ。


 エマは自分に王子として相対するのではなく、ウルスという一人の人間として向き合ってくれていると、彼は感じていた。


 エマを妻として迎え入れることが出来たらどんなに心強いことだろう。彼はふとした瞬間にそう夢想することがある。


 だがどんなに望んだところで、彼とエマが結ばれることはない。王家の後継者である自分に自由な恋愛など許されないからだ。それは分かり切っているはずなのに・・・。






 歴代の王の中には多くの側妃を持ち、酒色に耽った者もいる。それがもとで国が乱れたため、今では国王が側妃を持つことはよほどの場合を除いては許されていない。


 しかし、と彼は考える。あくまでそれは不文律。正妃は無理でも側妃であれば、エマを妻として迎えることができるかもしれない、と。


 だがすぐに「いや」と自分でそれを否定する。それをエマが望むだろうか? それで本当に国を安定させ、エマを幸せにできるのか? そもそもエマが、こんな自分の気持ちを受け入れてくれるはずがないではないか。


 去年よりも少しだけ大人びて見えるエマの眩しい笑顔を見ながら、ウルスの心は王子としての果たすべき責務と、淡く切ない恋の間で、嵐の中の小舟の様に大きく揺れ動いていたのだった。


読んでくださった方、ありがとうございました。

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