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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
34/93

33 帝都オクタバ 後編

1話あたり7000字くらいを目指しているのですが・・・。すみません。

 ぐうの音も出ないほどお説教されて、私とエマが真っ白になってしまった頃、おっとりした口調の女性が侍女さんの耳に当てていた手を離し、ガブリエラさんに尋ねた。


「ねえガブリエラ様、わたくしにもこのお二人を紹介していただけないかしら?」


 ガブリエラさんは怒りすぎて乱れてしまった呼吸を整えてから、その女性に向き直った。


「構いませんけれど・・・義母上ははうえ様はなぜそんなに嬉しそうになさっているのですか?」


 義母上様と呼ばれた女性は上品な仕草で口に手を当てると、鈴が転がるようにコロコロと笑った。


「だって、あなたがそんなに生き生きとしているところを見たのは、これが初めてだったんですもの。私、お二人にとても興味がありますわ。」


 彼女はそう言った後、にっこりと笑った表情のまま、最後に一言付け加えた。


「厳戒態勢の皇宮内にどうやって忍び込んだのかも含めてね。」






 その言葉にガブリエラさんの表情が一瞬強張る。義母上様と呼ばれた女性は、目を白黒させている侍女さんに「人数分のお茶の準備をしてちょうだいね」とお願いすると、ニコニコしながらガブリエラさんに向き直った。


 ガブリエラさんは僅かに躊躇った後、諦めたように息を吐いて私たちをその場に立たせた。


「義母上様、この二人は私の弟子です。名前は・・・。」


「それはさっき聞きましたよ。あなたがドーラさんで、こちらのお嬢さんがエマさんね?」


 彼女はそう言うと私とエマの前に立ち、スッと手を差し出した。


「はじめまして。私は東ゴルド帝国皇帝ガイウスの第二側妃クオレと言います。よろしくね。」


 どうすればよいかと戸惑っていたら、クオレさんは自分から私とエマの手を取りしっかりと握手をしてくれた。そしてガブリエラさんに「炉からしばらく離れても大丈夫かしら?」と尋ねる。


 ガブリエラさんが「大丈夫です」と返事をしたので、私たちは地下工房を出て書斎へと移動することになった。






 階段を上り隠し扉を通って書斎に入ると、入り口の扉の横では金色の鎧を着た騎士さんが幸せそうな顔で眠っていた。


「あらあら、皇宮を守る近衛騎士がこんなだらしない姿を見せるなんて。」


 クオレさんはそう言って可笑しそうに笑った。


「ドーラ!! あなたの仕業ね!! すぐに起こしなさい!!」


 怒るガブリエラさんをクオレさんが押しとどめた。


「まあまあ、ガブリエラ様。せっかくあんなに気持ちよさそうに眠っているんだもの。しばらく寝かせておいてあげましょう。お話をする間、邪魔になっても困りますからね。」






 クオレさんは私とエマに履物を脱ぐように言うと、自分で書き物机の腰掛をどけ、部屋の隅にあったクッションを持ってきて机の周りに並べた。そして入り口の正面の席にガブリエラさんを座らせ、自分はその隣に座った。


「遠くからガブリエラ様のことを心配して来てくれたのでしょう? 遠慮はいらないわ。座って皆でおしゃべりをしましょうよ。」


「義母上様! それは・・・!」


「よいのです。私も色々お話を聞きたいのですもの。さあ、そこに座ってちょうだい。」


 私とエマは彼女に勧められるままに、彼女たちの正面に座った。私たちの後ろで幸せそうな寝息を立てている騎士さんがちょっとだけ気になる。


 クオレさんはすごくキラキラした目をして、私に尋ねてきた。






「王国のことやガブリエラ様のことをたくさん聞きたいわ。でもまずは私に聞きたいことはないかしら?」


 私とエマは顔を見合わせた。ガブリエラさんの無事を確かめるだけのつもりだったので、何を言ったらよいのか全然思いつかない。ちょっと考えた後、私はさっき気になったことを彼女に尋ねてみた。


「第二側妃っていうことは、クオレさんは皇帝さんの2番目の奥様ですか?」


 するとたちまちガブリエラさんが顔を真っ青にして、私を叱りつけた。

 

「ドーラ、あなた、言葉にお気を付けなさい!!」


「ひゃい!」


 慌てて謝る私にクオレさんは「大丈夫よ」と言って笑い、ガブリエラさんに向き直った。






「いいのよ。ガブリエラ様のお弟子さんなら、私にとっては孫娘みたいなものでしょう? 遠慮はいらないわ。私のこともクオレと呼んでちょうだいね。」


 クオレさんは首をかしげながら優しい表情で私とエマに言った。彼女の被っている奇妙な形の、紫色をした小さな帽子の飾りがかさりと揺れる。


 この帽子、左右に長く伸びたつばの先に銀色の房が付いていてとてもきれいだ。正面には銀糸で装飾された赤い花の飾りがついていて、すごく豪華なのに上品な感じがする。


 よく見たら普通の帽子とは違って、きちんと結い上げたクオレさんの黒髪にひもでしっかりと結わいつけてあった。この帽子には髪留めと帽子、両方の役目があるみたいだ。


 こんな素敵な帽子は王国では見たことがない。服飾職人のドゥービエさんが見たら、きっとすごく喜びそう。


 




 しまった。ついついきれいな帽子に目を奪われてしまったけれど、そんな場合じゃなかった。


 クオレさんになんて答えればいいんだっけ。


 私は彼女の言葉にどう反応すればいいのか分からず、ガブリエラさんにそっと視線を送った。すると彼女はすごく疲れた顔で私に頷いて見せた。すごく迷惑をかけてしまったみたいだ。


 やっぱり約束を破って会いに来たのはいけなかったと、とっても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。本当にごめんなさい、ガブリエラ様!


 私が心の中でガブリエラさんに一生懸命謝っていたら、クオレさんがにっこり笑って私に言った。






「話が逸れてしまったけど、先に私からさっきの質問に答えるわね。私はガイウスの3番目の妻よ。他に正妃と第一側妃がいたわ。ただもう二人とも天に還ってしまいましたけどね。」


「天に還った?」


「死んだということよ。だからガイウスの妻は今のところ私だけね。」


 ふむふむ、皇帝さんには三人の奥さんがいて、そのうち二人が死んじゃったってことか。家族がいっぺんに亡くなって、ガイウスさんはすごくがっかりしてるだろうな。私はガイウスさんがとても気の毒になった。


 エマも私と同じような顔をしている。家族が死んでしまうのは本当に悲しいことだ。私もアルベルトさんとグレーテさんを亡くした時は本当に本当に辛かったもの。


 でもガブリエラさんやクオレさんは、私たちとは少し受け取り方が違ったようだ。






「義母上様!? それを話してしまわれるのは・・・!!」


 クオレさんの言葉を聞いて、ガブリエラさんはぎょっとした顔で彼女に向き直った。でもクオレさんは鷹揚な態度で軽く頷いただけだ。


 二人とも奥さんたちが死んだことを、全然悲しく思ってはいないみたい。どうしてなんだろう?


「いいのですよ。ドーラさん、私の話すことは直接、ドルアメデス国王陛下に伝えてくださいね。」


 むむ、お仕事をお願いされてしまったぞ。私は張り切って「はい、分かりました!」と元気よく答えた。


 クオレさんは「ありがとうドーラさん」と言いながらコロコロ笑った。でもその隣ではガブリエラさんが、なぜか頭を抱えていたのでした。







「去年の夏、この東ゴルド帝室内で大規模な内乱がありました。西ゴルドと通じた第二皇子が第一皇子を殺害したのです。第二皇子は近衛騎士団の急進派を味方に付け、父である皇帝を弑逆しようとしましたが、ガブリエラ様の活躍により失敗。帝国軍に捕らえられ、実母である正妃共々処刑されました。」


「それって・・・家族同士で殺し合いがあったってことですか!?」


 驚く私にクオレさんは落ち着いた表情で軽く頷いた。


「そうです。でも別に帝国では珍しいことではありませんよ。よくあることなんです。」


 なんてことだろう。ガブリエラさんは家族同士が平気で殺し合うような国にお嫁に来ちゃったのか。これは彼女を説得して、一緒に王国へ連れ帰った方がいいかもしれない。


 エマもガブリエラさんを心配そうに見つめている。でもガブリエラさんは特に気にしている風でもない。むしろ逆に彼女の方が私たちのことを心配しているように見えた。






 クオレさんはちらりとガブリエラさんに目線を送った後、面白がるような表情で私に言った。


「ただしこのことは、あなた方と国王陛下以外の人にはまだ内緒にしていてくださいね。これは大事な作戦の一部なのです。」


「作戦? 何かしているんですか?」


「ええ。今、我が国は西ゴルドと戦争中なんです。皇帝ガイウスも帝国軍の本隊を率いて親征しています。多分今日あたり、アレクサンド城塞を出発していると思いますよ。」


「「「えっ!?」」」


 私とエマ、それにガブリエラさんが同時に声を上げた。戦争っていうのは人間同士の争いで、たくさんの人が死んでしまうものだと、以前王様が私に教えてくれた。


 街の様子がピリピリしていたのも、この国が戦争しているからだったのかもしれない。でもそれにしては街の人たちは普通に生活していた。人がたくさん死ぬかもしれないのに、みんな街から逃げなくて大丈夫なのかな?






 私がそう尋ねると、クオレさんは「戦場は別の場所ですから今のところこの街は安全ですよ」と教えてくれた。戦争をする場所は決まっているので、そこに近づかない限りは大丈夫なんだって。


 ガブリエラさんのことが心配だったけど、それを聞いてちょっとだけ安心できた。


 そのガブリエラさんは、何か言いたそうな顔をして私とクオレさんを見つめている。そう言えばさっき彼女は、クオレさんが私に色々話すのを止めようとしていたっけ。


 私はそのことをクオレさんに尋ねてみることにした。






「あの、クオレ様。そんなことを私たちに話してしまって本当に大丈夫なのですか?」


 するとクオレさんは、静かに微笑みながら私に言った。


「ドルアメデス国王陛下が野心ある方なら、すぐに大軍を率いてバルス山脈を越えていらっしゃるでしょうね。」


「え、王様はそんなことしないと思いますケド?」


 私が驚いて言った言葉に、クオレさんはコロコロと可笑しそうに笑った。


「私もそう思います。ですから国王陛下にも、今の私たちの状況を分かっておいていただきたいのですよ。お力をお借りすることになるかもしれませんから。」


 なるほど。クオレさんは王様に味方してほしくて、私たちにこの話をしているのか。じゃあ、それをしっかり伝えないとね。


 私がそう言うとクオレさんは「ええ、頼りにしています。お願いしますね」と言って、にっこりと微笑んだ。






 その後はクオレさんの方が私たちに質問をしてきた。村での暮らしや王国の様子。ガブリエラさんとの出会い。ミカエラちゃんのことも聞かれた。エマは王立学校のことを質問された。


 私たちの話をクオレさんは目をキラキラさせながら聞いていた。ガブリエラさんはその横で赤くなったり、青くなったりしていた。


「とても楽しいお話を聞かせてもらったわ。ありがとうドーラさん。わたくし、これでもっとガブリエラ様と仲良くなれそうです。」


 クオレさんはそう言ってガブリエラさんを見た。彼女は何とも言えない表情をして「もう満足なさいましたか、義母上様?」と尋ねた。


 クオレさんは「ええ、もちろん」と頷いた後、「お二人はガブリエラ様に聞きたいことはないのかしら?」と私たちの方を向いた。


 私はエマと顔を見合わせた。何を聞いてよいか分からず私が首を傾げると、エマがガブリエラさんに尋ねてくれた。






「ガブリエラ様は、皇帝様のお嫁さんになるっておっしゃってましたよね。それなのにどうしてクオレ様を『義母上ははうえ様』って呼んでいらっしゃるんですか?」


 なるほど、そう言われたら確かに変だ。そんなところに気が付くなんて、流石にエマは賢いよね!


 ガブリエラさんはちょっと困ったような顔をして、ちらりとクオレさんを見た後、私たちに言った。


「それは、私の結婚相手が変わってしまったからよ。」


 ガブリエラさんは皇帝さんの奥さんではなく、クオレさんの息子である皇太子さんと結婚することになったのだと教えてくれた。


「つまり私は皇太子の正妃ということになるわ。」


 ふむふむ、クオレさんの息子と結婚して、クオレさんの娘になるから『義母上』ってことなのか。私は少し赤い顔をした彼女に聞いてみた。







「ガブリエラさん、皇太子ってどんな人ですか?」


「どんなって・・・。」


 ガブリエラさんはすごく困った顔をしてクオレさんの方を見た。クオレさんはそんな彼女を見て優しい表情で微笑み、彼女の代わりに私に教えてくれた。


「ふふふ、私の一人息子ユリスはね、剣も馬もろくに扱えないダメ皇子よ。おまけにすごい面倒くさがりで、いつも部屋の中で本ばかり読んでいるわ。」


「そ、そんなことは・・・!」


 慌てて否定するガブリエラさんにクオレさんはやんわりと言った。






「あら、いいのよ、私に気を使わなくても。だって本当のことですもの。」


 彼女はそう言うと、私とエマの方を向いた。


「あの子はね、ガブリエラ様のことがとっても気に入っているの。皇帝陛下に逆賊を討った褒美として何を望むかと聞かれたとき、真っ先に『ガブリエラ様をください』と言ったくらいにね。あの子ったら、その場でガブリエラ様に求婚したのよ。作法も何もあったものじゃないわ。我が息子ながら、本当に仕方のない子よね。」


 クオレさんは言葉ではそんな風に言いながらも、本当に楽しそうにクスクス笑った。


「でもガブリエラ様はあの子のことをとても気にかけてくださっているわ。ユリスの方が4つ年下だから、弟みたいに思ってくれているのかもしれないわね。」


 クオレさんの話にかなりびっくりしてしまったけど、ガブリエラさんのことを大好きだと思ってくれている人と結婚することになったと聞いて、私はすごく嬉しかった。エマも嬉しそうだ。私たちはガブリエラさんに言った。


「よかったですね! おめでとうございます、ガブリエラ様!」


 途端にガブリエラさんは耳まで真っ赤になった。彼女は胸にそっと手を当てると「ありがとう」と小さく呟くように言った。






 私はその後、今のガブリエラさんの生活について色々聞かせてもらった。王国との生活の違いに戸惑うことは多いけれど、クオレさんをはじめ、皇宮の皆にとてもよくしてもらっているそうだ。


 楽しいお話をたくさん聞くことができた上に、美味しいお茶とお茶菓子も食べさせてもらった。帝国のお茶は王様が私にご馳走してくれる赤いお茶と味がよく似ている。でもより濃い茶色で香りが深かった。


 大分時間が経ってしまったので、私とエマは王国に帰ることにした。クオレさんは侍女さんに頼んで残ったお茶菓子を包み、私とエマに持たせてくれた。中に濃いクリームの入った甘いお菓子をもらって、エマはすごく嬉しそうにしていた。






「ガブリエラ様が元気そうなんですごく安心しました。戦争とかのことはよく分かりませんでしたけど。」


 私がそう言うとクオレさんはコロコロと笑い「国王陛下によろしくお伝えくださいね」と言った。私は「はい」と返事をして、ガブリエラさんに尋ねた。


「今度はミカエラちゃんを連れてきてもいいですか?」


「いいわけないで・・・!!」


「ええ、もちろん構いませんよ。是非連れていらしてください。」


 私に言いかけたガブリエラさんの言葉をクオレさんが遮る。ガブリエラさんはクオレさんの方にさっと向き直った。






「義母上様!!」


「いいではありませんか。またこうやって秘密のお茶会をしましょうよ。内緒で会うだけなら別に誰も困らないでしょう? 私も一度、あなたの妹様を見てみたいのですもの。お願いねドーラさん。約束よ?」


「はい、分かりました!!」


 今度はミカエラちゃんとエマと私、三人で遊びに来よう。きっとミカエラちゃんもすごく喜んでくれるはずだ。


 別れ際、ガブリエラさんはミカエラちゃん宛ての手紙を渡しに預けてくれた。


 私は二人にお別れを言い、近衛騎士さんにかけた《安眠》の魔法を解いた後、《集団転移》の魔法を使って皇宮から移動したのでした。











 ドーラとエマが消えた直後、目を覚まして驚く近衛騎士を宥めて書斎を退出させたガブリエラとクオレは、侍女を伴って地下の錬金工房へと戻った。


 魔力炉の火力が安定しているのを確かめた後、ガブリエラは錬金術の手引書を読んでいるクオレに話しかけた。


「義母上様はドーラをどうするおつもりですか?」


 帝室騒乱の顛末はもとより、現在進攻中の帝国軍の動きまでクオレはドーラに話してしまった。ガブリエラにはその意図がまったく理解できない。


 ドーラは王国にとって文字通りの守り神。クオレはそのことを知っているのかとガブリエラは疑っていた。稀代の策士である彼女がドーラに対して何か仕掛けるつもりなら、絶対に阻止しなくてはならない。






 ガブリエラはクオレの思惑を図るため、あえて直接的な質問をぶつけた。彼女相手に下手な小細工は却って危険だと判断したからだ。


 クオレの反応を見逃すまいと、ガブリエラは彼女の一挙手一投足に注目した。


 クオレは手にしていた手引書をそっと閉じ、丁寧に書棚に戻した後、ガブリエラに向き直った。


「どうするつもりもありませんよ。彼女の力は私の手に余ります。」


「・・・どういう意味でしょうか。」


 クオレはふと微笑んだ。






「そんなに警戒なさらないで。言葉通りの意味です。僅かな時間で一人の人間も傷つけることなく、誰にも気づかれずに厳戒態勢の皇宮内に侵入できる。恐るべき力だわ。」


 一度、言葉を切ったクオレは逆にガブリエラを探るように見つめ返した。


「到底、人間のものとは思えません。」


 ガブリエラの表情は全く揺るがなかった。しかし逆にそれはクオレの言葉が真実を突いているということを如実に示してしまっていた。






 クオレはガブリエラに歩み寄ると、白衣の上からそっと彼女の腕に触れた。ガブリエラの体がほんの一瞬、強張る。クオレは少し淋しそうに微笑んだ。


「私の言葉を信じてくださいと言っても、あなたには伝わらないでしょうね。」


「義母上様、私は・・・!」


 クオレはガブリエラの言葉を遮ると「分かっています」と言い、静かに首を振った。






彼女ドーラを味方につけることができたなら、おそらく私たちが望むことはすべて実現できるでしょうね。あの強大な力を持つ西ゴルドの皇帝でさえ、彼女の力の前には赤子も同然です。祖国を奪還するどころか、大陸を席巻し覇を唱えることも容易でしょう。」


 その言葉に部屋の隅に控えているガブリエラの専属侍女が、目を見開いた。クオレは僅かに身じろぎした彼女にちらりと目を向けた後、言葉を続けた。


「彼女の力を使えば、この世のすべてを思うままに作り変えることができる。でもそれは人の世の理から外れたやり方です。必ずや大きな歪みを生じさせ、結局はより多くの悲劇を生み出すことになるでしょう。」


 クオレはガブリエラの目をまっすぐに見つめた。


「身に過ぎた力は人を狂わせます。あなたもそれを恐れたから、自ら彼女の側を離れたのでしょう?」


 ガブリエラは何も答えなかった。いや、答えられなかった。クオレは顔を青ざめさせたガブリエラをそっと抱き寄せた。






「彼女の力に縋るには、あなたの願いはあまりにも強い。あなたは賢明すぎるのですよ、ガブリエラ。悲願であった家名を取り戻し、ミカエラ様の身を守る算段が付いたとき、あなたは自らの願いがどんな結果を生むかということに気が付いてしまった。」


 ガブリエラの体は僅かに震えていた。クオレの言葉で心の奥底に沈めていた激しい怒りと憎しみが呼び起されてしまったからだった。


 ガブリエラの脳裏に幸せで愚かだった少女時代の記憶が蘇る。そしてその愚かさゆえに、彼女が失ってしまった人たちの想い出も。


 無念の内に処刑人の刃にかけられた愛しい家族。庇護者であるはずの領主から傷つけられ、怨嗟の声と共に死んでいった多くの領民たち。結ばれることなく引き裂かれたかつての想い人。


 彼女が父祖から受け継いだ誇りを貶め、彼女からすべてを奪った者たちへの復讐心が体の中で荒れ狂う。彼女が生まれながらに持つ闇の魔力は黒い炎となって、彼女の身を内側からじりじりと焦がした。






 失った家名ものを取り戻したにもかかわらず、いや、だからこそより一層強くなった自らの憎しみを、ガブリエラは恐れた。


 すべてを失った自分を受け入れてくれた愛しい人たち。たった一人の大切な妹。


 彼女にとって何より大切でかけがえのないものを、自らの憎しみで焼き尽くしてしまう。そう確信したからこそ、彼女は王国を離れたのだ。


 そして同時に、憎しみの赴くがままに力を振るえる場所を求めた。それが帝国ここだ。


 誰にも打ち明けず心に秘めていた思いをクオレに看破され、ガブリエラは言葉を失った。無言で震える彼女を抱きしめたまま、クオレは言った。






「あなたほどではないけれど、私も多くのものを失いました。私だけでなくガイウスもそうね。私たちにはあなたが必要なの、ガブリエラ。ドーラさんではなくてね。」


 ガブリエラはハッとしてクオレの顔を覗き込んだ。目の端に涙を浮かべ、悲しい表情で微笑みながらクオレは決然と言葉を口にした。


「もうこれ以上、私たちの大切なものを奪われるわけにはいかないもの。」


 その言葉はガブリエラの心を強く揺さぶった。ガブリエラはクオレのことを思った。


 自らが受け継ぐはずだった祖国を奪われた皇帝ガイウス。そして彼と共に歩むはずだった未来を奪われた帝妃クオレ


 同じ怒りと憎しみ、そして痛みを抱えた私たちが出会ったことは必然だったのかもしれないと、素直にガブリエラは思った。


 二人はどちらからともなく、そっと体を離した。






「私たちの願いは一つ。西ゴルド皇帝アントニウスを倒すことです。これは必ず私たちの手でやり遂げなくてはなりません。ですが、私もガイウスも年を取り過ぎてしまいました。」


 ガブリエラはきちんと手入れされたクオレの髪を見た。艶のある美しい黒髪だが、大分白いものが目立つようになっている。ガイウスは今年48歳。クオレは彼よりもさらに年上だ。


 ガブリエラは急にクオレが小さくなったような錯覚を覚えた。クオレは息を吐きながらゆっくりと呟くように言った。


「失われていく時間を数え、遠ざかっていく願いを見つめる日々は本当に長かったです。この苦しみから逃れるためなら、悪しき者に魂を売り払っても構わない。そう思ったことすらありました。」


 しばらく言葉を切った後クオレは顔を上げ、さっぱりとした表情でガブリエラに言った。






「そんな私にとって、ドーラさんの力は眩しすぎるのです。彼女の力は容易く私を狂わせるでしょう。だから私は彼女に関わろうとは思いません。もちろん他の誰にも、彼女のことを話すつもりはありませんよ。」


 ガブリエラはクオレの気持ちが痛いほど分かった。それはかつて彼女自身がドーラに対して抱いた思いと全く同じだったからだ。


 クオレはそっと涙を拭って一つ頷くと、悪戯っぽい表情でガブリエラの目を覗き込んだ。


「これで私が彼女の力に近づかないと言った理由が分かったかしら? あなたには涙ながらに訴えるよりも、きちんと説明した方がいいと思ったのだけれど。」


 ガブリエラは思わず笑みをこぼした。


「はい。よく分かりました。お気持ちを話してくださって、ありがとうございました。」


「それはよかったわ。これからはあなたの大切なお友達として彼女を遇させてもらうことにします。ああ、殿方に内緒のお茶会が楽しみね。」


 クオレの言葉にガブリエラは思わず顔を顰めそうになった。






「義母上様、本気でドーラとお茶会をするつもりだったのですか?」


「ええ、もちろん。以前あなたに話したでしょう? 私、ずっと娘が欲しかったのです。娘の友達を招いて一緒にお茶とおしゃべりを楽しむなんて、とっても素敵だわ。」


 何かの策謀か、もしくは社交辞令の類だろうと思っていたガブリエラは、思いがけないクオレの返答に開いた口が塞がらなくなってしまった。


 と同時に、ごく自然に自分を『娘』と呼んでくれたクオレに対して、気恥ずかしいような、それでいて嬉しいような複雑な気持ちにさせられた。


 頬を染めるガブリエラに対し、クオレは「ユリスを・・・あの子のことをお願いね」と小さく呟いた。


 ガブリエラは熱くなった瞼をパチパチと瞬きさせた後、無言のまま深く頷いた。






 魔力炉がたてる小さな音だけが響く心地よい沈黙の中、同じ痛みを抱えた母娘ふたりは静かに見つめ合った。二人のやり取りをじっと聞いていた有能な侍女は、目の端に浮かんだ涙をそっと服の袖で拭った。


 そして二人がゆっくりと寛げる場を作るためにそっと工房を抜け出し、お茶の準備を始めるために書斎へと向かったのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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