31 帝都オクタバ 前編
いつも通り、思った以上に長くなりました。努力しているつもりなのですが、なかなか短くできません。話が進むのが遅くてすみません。
水平線沿うように広がる夏雲を横目に見ながら、私は首を少し後ろに向けて、背中の上にいるエマに問いかけた。
「エマ、どのあたりか分かる?」
「うーんとね・・・あ、お姉ちゃん、あの大きな山の近くにあるあれじゃない? 石造りの大きな壁が見えるよ。」
私が鱗に作り出した《領域》の中に座って地図を見ていたエマが、遥か下に見える一点を指さす。エマの言う通り、連なる大きな山々の東側に石造りの建物が見えた。
あれが私たちが目指す国境の砦、バルシュ領のラシー城塞に違いない。私はエマに魔法のホウキに乗ってもらい、《人化の法》を使って竜の姿から人間の姿へと変わった。
王様からガブリエラさんの身が危ないと聞いた翌日、私はカールさんとエマに「ガブリエラさんに会いに行きたい」と相談した。
当然、二人にはすごく反対された。けれど最終的には私の願いを聞き入れて、協力すると言ってくれたのだ。
「ドーラさんが一人で行くよりも、誰かと一緒に行った方がよいでしょう。ただ立場上、私が行くと後々面倒なことになります。今は同盟国とはいえ、旧敵国の貴族ですからね。エマ、ドーラさんと一緒に行ってもらえないか?」
「もちろんだよ、カールお兄ちゃん。ドーラお姉ちゃんだけだと、すぐ迷子になっちゃいそうだもんね。」
「ありがとうエマ。カールさんもありがとうございます。」
その後すぐに私は王様のところに行った。私がエマと一緒にガブリエラさんのところに行きますと言ったら、王様はその場で手紙をサラサラと書いて、私に渡してくれた。
「まずは国境のラシー城塞にいるパウルに会うとよい。大まかな説明はこの手紙に書いてある。パウルに直接渡してくれ。力を貸してくれるはずだ。」
私は王様にお礼を言って村に戻った。そしてエマと共に私は《飛行》の魔法で、エマは魔法のホウキに乗って村を出発した。
村から離れたところで私は竜の姿へ戻り、エマを背中に乗せて国境を目指した。魔法のホウキだと国境まで半日以上かかっちゃうけど、私の翼ならほんの一羽ばたきで国境までいけるからだ。
王様の書いてくれた地図を見ながらエマに目的地を探してもらえたので、私たちは無事にラシー城塞の前に降り立つことができたのだった。
城砦を守る衛士さんに「パウル殿下に陛下からの手紙を届けに来ました」と私が告げて、手紙に押してある王家の紋章を見せると、すぐに砦の中に通してもらえた。
門の側にある控えの間でエマと二人でしばらく待っていたらすぐに、慌てた様子でパウル王子がやってきた。
王都で会った時にはいつも金ぴかの鎧や礼装姿だったけれど、今の彼は比較的地味な軽鎧を身に付けているだけだ。彼は私の姿を見るとすぐに駆け寄ってきて、本物かどうか確かめるように私の両手を取った。
「ドーラ殿! どうしてあなたがここに?」
「ガブリエラさんの行った国で大変なことが起こったって聞いたので、陛下にお願いして許可証をいただきました。これが陛下からのお手紙です。」
私が手紙を渡すと、彼は私とエマを椅子に座らせ、自分は私たちの正面に座って手紙を読み始めた。そして読み終わると手紙を《発火》の魔法で燃やし、部屋の中にいた護衛の騎士さんや衛士さんたちに出て行くようにと命じた。
「事情は分かりました。我々が掴んでいる情報をお話します。ですが他国の、しかも国家の機密に関することですので何分、不確定な情報が多いのです。それを分かった上で聞いてください。」
彼はそう断ったうえで、帝国に潜入している密偵さんからの情報を話してくれた。
東ゴルド帝室で大きな騒乱があったのは、昨年の夏。その時に皇族が何人も亡くなったそうだ。
ただ誰が死んでしまったかという情報は全く出てきていないのだという。
「じゃあ、ガブリエラさんは・・・?」
「今のところ、生死不明です。皇帝ガイウスが存命かどうかも不明なのです。国の存続にかかわることですから、かなり厳重に情報を統制しているようですね。」
パウル王子が言うには東ゴルド帝国との出入国は夏以降厳しく制限され、ごく一部の隊商を除いて行き来することができなくなっているそうだ。
「実は商人に扮した我が国の密偵も多数、東ゴルドにいるのですが出国できずほとんどが現地に取り残されたままになっているのですよ。」
今回の情報も信頼のおける隊商に託して断片的にもたらされた伝文を、数か月かけて繋ぎ合わせることでようやく知ることができたらしい。
そんなに行き来を制限するなんて、帝国内はよほど酷いことになっているのかもしれない。私は思わずエマと顔を見合わせた。エマの不安な心が瞳を通じてはっきり伝わってくる。
心配する私たちを慰めるように、パウル王子は言った。
「ただこれらはすべて偽の情報という可能性もあります。」
驚く私たちに、王子は説明してくれた。
「情報の出方があまりにも不自然なのです。これはまた別の筋からの情報なのですが、東ゴルド帝国軍に大きな動きがあったことが分かっています。国内の糧食の動きから考えて、西ゴルド帝国との戦端が開かれたことはほぼ間違いありません。ですから今回のことは周辺国を攪乱し、動きを封じるための計略という可能性もあるのです。」
「どういうことですか?」
「あえて偽の情報を流すことで、敵を油断させたり必要以上に警戒させたりするということですよ。もしもこの情報が正しいとすれば、敵国にとってはこの上ない好機です。国内の混乱に乗じて一気に攻め寄せてくるでしょう。」
王子は一度言葉を切って私たちを見つめた。私たちが頷くと、彼はにこりと笑って続きを話し始めた。
「しかしもしこれが偽の情報だった場合、万全の準備を整えた相手に手痛い反撃を受けることになります。東ゴルドの名将オクタビスは守りにかけては不敗の天才軍略家です。我が国はそれをこれまで嫌というほど味あわされていますからね。」
「じゃあ、もしこれが本当の情報だったら、パウル殿下は東ゴルド帝国に攻め込むつもりなんですか?」
私がそう尋ねると彼の目が一瞬、すっと細くなった。でもすぐに元の表情に戻って言った。
「まさか。数年前ならまだしも、現在彼の国は同盟国です。ガブリエラ様が皇妃となられた以上、迂闊な真似は出来ませんよ。」
すごくいい笑顔で彼はそう言った。でも私はその笑顔を見て、彼が何かを隠しているような気がした。
何を隠しているのか気になるけれど、聞いてもきっと教えてはくれないだろう。私は言いようのない不安を抱えたまま、彼にお礼を言った。
別れ際、彼は私に「王都に戻る前に一度ここに立ち寄ってもらえませんか? 陛下に手紙を届けたいのです」と言った。私はそれを引き受けると、エマと二人でラシー城塞から東ゴルド帝国首都のオクタバを目指し旅立った。
再び竜の姿に戻った私は、エマを背に乗せて連なる山を飛び越えた。オクタバの街はエリス大河というものすごく大きな川の畔にあるらしい。
私が大きく羽ばたくと、眼下に見える白い雲がぎゅんと後ろに流れていく。雲の隙間に見える大きな河を探していると、エマが心配そうな声で私に尋ねてきた。
「お姉ちゃん、ガブリエラ様、大丈夫・・だよね?」
「うん、きっと大丈夫だよ。」
「もしガブリエラ様が困っていたら、お姉ちゃん、助けてあげるの?」
「うん。怒られるかもしれないけど、困っているなら助けてあげたい。それに・・・。」
「それに?」
「ううん、何でもない。」
私は「もしガブリエラさんが死んでいたら」と言いかけた言葉を無理矢理、飲み込んだ。
ガブリエラさんは私にとってかけがえのない大切な人の一人だ。彼女が誰かに殺されていたとしたら、私はどうなってしまうんだろう。
そう考えた途端、私の胸がずきりと痛み、胸の奥から禍々しい魔力の塊がズンと沸き上がってくるのを感じた。
程なく雲の隙間に大陸を南北に横切る大きな河が見えてきた。私はゆっくりと少し高度を下げて、エマに尋ねた。
「すごく大きな河だね。あれがきっとエリス大河じゃない?」
下に見えるのは上空からでもはっきりと分かるくらい大きな河だ。ハウル村がすっぽり入ってしまうくらいの川幅がある。
「きっとそうだね、お姉ちゃん。あの建物がいっぱい集まってるのがオクタバの街かな?」
エマが言う通り、大きさからみてもあれがパウル王子が教えてくれたオクタバの街に違いない。広い河の対岸にあるのが、西ゴルド帝国のアレクサンドの街だろう。
「エマ、どれが王宮か分かる?」
「多分、あの丸屋根の建物の気がするけど・・・大きな建物がたくさんあってよく分からないね。下に降りて聞いてみようか?」
私はエマにホウキに乗ってもらい、人間の姿に変わった。そして《不可視化》を使って姿を隠すと、高い城壁を越えて街の中に侵入した。
城壁を越えるとき、魔法の結界みたいなものがあるかもと警戒したけれど、特に何も感じ取れなかった。というより、この街全体からほとんど魔力の感じがしない。この街には魔法を使える人が少ないのかもしれないね。
空から眺めた東ゴルド帝国の首都である帝都オクタバは、ドルアメデス王都とは比べ物にならないほど大きかった。
王都は真ん中にドルーア川があり、周りは高い山と深い森に囲まれている。対してオクタバは大河の畔にあり、周りはただっ広い平原だ。
王様は以前、王都の周りの森を切り開くのはとても大変だと言っていた。平原の真ん中にあるオクタバはその手間がいらないから、きっとこんなに大きくなったのだろう。
二つの街は建物の感じも全く違う。石と木を使って建物が作られている王都に対し、オクタバの建物は木を使っている建物が全くと言ってよいほど見つからなかった。
空から見るとオクタバの建物は白っぽい薄茶色の石のようなもので出来ている感じがする。エマと二人、人気のない路地裏に降りて、周りの壁を触ってみたら、どうやらこれは砂と土を水で溶いて固めたものだというのが分かった。
一見レンガの様にも見えるけれど、レンガよりもずっと硬くて丈夫だ。それにレンガの様に焼き固めた感じがしない。とても不思議な材料だ。
オクタバの街の建物はほとんどがこの材料で作られているようだ。窓や扉に木が使われている建物もあるけれど、色鮮やかな布を窓代わりにしている家の方がずっと多い。
家の高さは高いけれど、2階建ての家はほとんどない。その代わり平らになっている屋根の上に、ちょっとした物干しや露台のある家が多かった。
こんな形の屋根では雪かきが大変そうだ。この辺りはあまり雪が降らないのだろうか?
道もこの材料で舗装されている。水路は一部石が使われているけれど、やはり同じ材料で出来ている。この材料は水にも強いらしい。
ただ王国の水路はきれいな水が流れているけれど、この街の水路の水は濁っていて、ちょっと嫌な臭いがする。街の中も王都に比べると街全体が少し埃っぽい感じがした。
私たちは《不可視化》を解くと、誰かに王宮の場所を聞くために路地から表通りに出た。
私はいつものまじない師姿。エマは冒険者装束にフード付きの外套を着ている。夏の太陽が降り注いでいるため、エマはちょっとだけ暑そうだ。この街はハウル村に比べるとかなり日差しが強いように感じる。
広くて明るい表通りにはたくさんの人たちが歩いていた。皆、建物と同じような白っぽい服を着ている。王国の服に比べると、袖口が広く、丈がゆったりした服を着ている人が多い。
男の人でもズボンをはいている人は少なくて、ゆったりしたワンピースみたいな服を着ていた。その服を色鮮やかな刺繍のされた帯で止めている。木靴や革靴を履いている人は見当たらない。皆、革や植物のサンダルだ。
王国風の衣装を着ている人や、聖都エクターカーヒーンでよく見かけた頭に布を巻いている人もいるにはいるけれど、数はすごく少なかった。
「お姉ちゃん、見てあの牛! 足が四本しかないよ!」
「ほんとだ。それに随分小さいね。」
荷車を引いている牛は、王国で見かける六足牛の半分ほどの大きさしかない。黒っぽい色をした短い毛が生えているところも、六足牛とは違う。体つきや顔、角の感じはなんとなく似てるけどね。
通りで荷車を引いているのはほとんどがこの小さな牛だ。でも大きくて毛の長いヤギみたいな動物も時々見かける。こっちは荷車を引くんじゃなくて体の両側に籠を付け、そこに荷物を入れて運んでいた。
王国で見かけるような馬はあんまり見かけない。代わりに馬によく似た少し小さめの動物に乗っている人が多かった。目が大きくてすごく可愛らしい動物だ。お腹の辺りが丸っこくてちょっとだけ美味しそうです。
大通りで見かける野菜や魚も王国で見るものと違って、珍しいものが多かった。中には何に使うのかよく分からない道具もある。すごく楽しい。
でも、しばらくキョロキョロ周りを見回しながらエマと話をしているうちに、周りの人たちの私たちを見る目が鋭いことに気が付いた。
敵意とまではいかないけれど強い視線を感じる。でも私と目が合いそうになるとさっと視線を逸らして、足早に立ち去って行ってしまうのだ。
「・・・気のせいかもだけど、なんか避けられてない?」
「ううん、気のせいじゃないよ。避けられてるっぽい。」
エマも私と同じように感じていたようだ。困ったな。誰かに王宮の場所を聞かないといけないのに。
そう思っていたら、腰に短い曲刀を付けた男の人たちが通りの向こうから、私たちの方にやってくるのが見えた。彼らを先導しているのは商人風の男性だ。
彼は剣を持った人たちと一緒に走りながら私たちの方を指さし、何かを叫んでいる。
「お姉ちゃん、逃げよう!」
私の手を引いて駆け出したエマと一緒に、私は近くにあった路地に飛び込んだ。途端に剣を持った男の人たちが私たちに怒鳴る。
「おい、そこの怪しい奴! 止まれ!!」
私とエマは路地に入ってすぐ《不可視化》で姿を消し、《浮遊》の魔法で建物の屋根の辺りまで浮かび上がった。
私たちを追って路地になだれ込んできた男の人たちが、消えた私たちをあちこち探しまわる。
「魔術師を逃がすな! この辺りにいるはずだ! 家の中も探せ!!」
「応援を呼んで来い! この地区を封鎖するんだ!」
揃いの服と帯を身に付けている彼らはどうやらこの国の衛士さんたちらしい。彼らは次々と近くの家に飛び込んでいく。彼らと入れ替わるように悲鳴を上げて家の中から女性や子供たちが飛び出してきた。
私とエマは《飛行》の魔法を使って少し離れたところに移動し、小さな裏路地に降り立った。
「魔術師を探せって言ってたね、お姉ちゃん。」
「ひょっとして、この長衣と杖のせいかな?」
私は自分の着ている長衣と杖を示しながらエマに言った。
「そう言えば、誰も長衣を着ている人がいなかったよね。この国には魔法を使う人が少ないのかも。」
私はエマと相談し、長衣と杖を《収納》に仕舞うことにした。半仮面も外しておく。長衣を脱いでも王国風の服なので目立ってしまうことには変わらないけれど、こればかりはどうしようもない。
また騒ぎを起こすといけないから早く王宮の場所を聞きだして、ガブリエラさんを探しに行こうっと。
私たちは互いの姿を確認し合い、道を尋ねる相手を探すため、裏路地の出口を目指した。
「おう、別嬪さん! どこに行くんだ? 俺たちが案内してやろうか?」
路地を抜ける寸前、冒険者風の男の人たちが私たちに声を掛けてきた。人数は全部で6人。
冒険者風だと私が思ったのは、彼らが武器を持っていたからだ。みんな革の帯を腰に巻き、短剣や曲刀などを下げている。彼らはニヤニヤ笑いながら、私たちに近づいてきた。
「ありがとうございます。皇帝って人がいるところに行きたいんですけど、どこか分かりますか?」
真ん中にいた頬に傷のある男性に私がそう尋ねると、彼の目の光が一瞬すごく鋭くなった。
ニヤニヤ笑っていた他の人たちの顔からも、途端に笑みが消える。あれ、これは、まずいかも?
「・・・いいぜ。ついて来な。」
断られるかと思ったけれど、彼はそう言って歩き出した。私に後をついてくるようにと手で示す。どうやら案内してくれるみたい。この人がいい人で本当によかった。
彼の後ろをついて歩く私とエマの周りを、少し距離を取りながら他の人たちが歩いてきた。
「断られなくてよかったね、エマ。」
私がそう言うと、エマは周囲の男の人たちに気付かれないように私にそっと合図を送り、前を向いたまま小声で話しかけてきた。
「(ねえ、お姉ちゃん?)」
「(どうしたのエマ?)」
「(この人たち、大丈夫かな? だってなんだか・・・)」
エマがそう言いかけた時、私の前を歩いていた男の人が急に立ち止まって、こちらを振り返った。
「行き止まり・・・?」
路地をいくつか曲がって辿り着いたのは、周囲を壁に囲まれた行き止まりの場所だった。戸惑う私に、目の前の男の人が言った。
「お前ら、東国の人間だな。」
「そうですよ。よく分かりましたね。」
私がそう答えると、目の前の男の人は顔を歪めてペッと唾を吐き「ちっ、舐めやがって!!」と言いながら腰に付けた曲刀を抜いた。
「薄汚ねぇ東国の雌犬どもが! 何を探りに来やがった? ここから生きて帰れると思うなよ!」
男の人が怒鳴ると同時に、私たちの後ろに立っていた男の人たちが一斉に武器を構えた。大人の男の人が三人並んで歩けるくらいの幅しかない路地は、彼らによって完全に塞がれてしまった。
「お姉ちゃん、下がって!」
エマがそう言って、私の体を壁際に追いやった。そして私を守るように前に立ち、腰のベルトから抜きはらった短刀を構えた。
一度にたくさんのことが起こって、何が何やらさっぱり分からないよ。でもエマがピンチなことだけは間違いない。
私はエマに刃を向けた敵を排除するため体内の魔力を高めた。何の呪文がいいか一瞬考え、闇属性の攻撃呪文《死の言葉》を使うことにした。
これは夜の闇の力を使って攻撃対象の心臓を凍り付かせ、瞬時に命を奪う呪文だ。一度に一人ずつにしかかけることができないし、失敗すると自分に呪文が跳ね返ってくるという、実はちょっと厄介な呪文なのだ。
でも私はこれを少し弄って、一度にたくさんの相手にかけることができるように改造しておいた。確実に命を奪ってしまうのであんまり好きな呪文じゃないけど、火や雷を出すような魔法だと街を壊してしまうかもしれないからね。
以前、エマを傷つけようとした相手を殺そうと私が暴れたせいで、王立学校をめちゃめちゃにしてしまったから、次こんなことがあった時のために、街を壊さないような魔法がないかと考えていたのです。
この魔法なら敵だけを排除して他の人たちを傷つけることがないから安心だ。
私は人間が大好きだけど、敵に容赦するつもりはない。私の大事なものを傷つける相手は敵。敵は滅ぼす。当たり前のことだよね。
でも魔力を解き放つ直前「ちょっと待って、別に殺さなくてもいいのでは?」という疑問がふと湧いた。排除するだけなら《昏倒》の魔法で気絶させるだけでもいいじゃない?
何なら《領域創造》で入ってこられないように壁を作ってもいいのだ。《強制転移》でどこか遠くに飛ばしてもいい。「敵は排除!」という考えしかなかったことに、私はここに来てやっと気が付いた。
エマにも「弱い者いじめはダメよ!」っていつも言われてるしなあ・・・。
でもこの人たち、私たちが王国から来たってだけで殺そうとしてるんだよね? ここで滅ぼしておかないと、いつかまたエマや他の人に危害を加えようとするかもしれない。
やっぱり殺した方がいいのかな? うーん、頭がこんがらがってきた。
短刀を構えたエマを見て警戒し、踏みとどまった男の人たちを前にして、私がそんな風に悩んでいたら、突然黒い小さな玉が空から降ってきた。
それは男の人たちの真ん中に落ちると同時に、ボンという音を立てて爆発した。たちまちもくもくと黒い煙が上がり始める。
「な、なんだ!? ぐあっ!!」
驚く男の人たちの間に、地味な灰色の覆面をした人が屋根の上から飛び降りてきた。その人は驚くほどの速さで次々と男の人たちを殴りつけ、地面に打ち倒した。
「今のうちに、こっちだ!!」
驚くエマと私にその人はそう叫んだ。声からすると男の人のようだ。私たちは彼に導かれて袋小路から脱出した。
「くそっ!! 待ちやがれ雌犬ども!!」
男の人たちはよろよろと立ち上がり私たちを追いかけてきたけれど、路地をいくつも曲がるうちに姿が見えなくなった。
私たちを助けてくれた覆面の男の人は、路地の途中にあった入り口に飛び込んで、扉代わりの布を掴んだまま私たちに手招きをした。私はエマと顔を見合わせ互いに頷きあった後、彼について入り口に入った。
彼は私たちが入ると同時に、布で入り口をさっと閉じた。建物の中は薄暗いけど、私には中の様子がよく見えた。床の上に敷物が敷かれ、そこにいくつかのクッションが転がっている他はほとんど何もない部屋だ。
突き当りの壁に奥に続く入り口があるけれど、そこにも布がかかっていて中を見ることはできなかった。
「ふう、どうやらまけたみたいだな。」
覆面の男の人は入り口の側に置いてあった小さな陶器の器を取り上げた。匂いで中に植物の油が入ってることが分かる。多分、室内灯だ。案の定、彼は懐から小さな箱を取り出し、室内灯の灯芯に火をつけようとした。
私は彼に声を掛け、《小さき灯》の魔法を使って部屋を明るくした。色褪せた薄っぺらい敷物の上に置かれた古びたクッションがよく見えるようになった。多分元はどちらも赤だったのだろうけど、擦り切れて白っぽい色になってしまっている。
彼は「ありがとう、助かるよ」と言ってサンダルを脱ぎ、敷物の上に座った。そして私たちにも腰かけるように手で示し、クッションを勧めてくれた。
私とエマは靴を脱いでクッションに座った。でもクッションがぺたんこなので少しお尻と足が痛い。そんな私たちの様子を見て彼は「椅子がなくて、すまないな」と言った。
「いえ、こちらこそ、危ないところをありがとうございました。」
私たちがそう言うと彼はこくりと頷いた。
「この国じゃ王国の人間は嫌われてるからな。気を付けた方がいいぜ。特に魔法を使う人間はな。」
私とエマはそれを聞いてすごく驚いてしまった。彼が言うには東ゴルド帝国と王国はこれまで、ずっと長い間戦争をしていてお互いにすごく嫌い合っているのだそうだ。
ここ数十年は大きな戦いはないものの、小さないざこざは絶えないらしい。
また昔の戦争の時、魔導士の魔法で家族や友人を殺されたというお年寄りがかなりの数残っているため、魔法を使う人間はものすごく怖がられているという。
街の人たちがまじない師の姿をした私のことをあんなに怖がっていた理由がやっと分かった。と同時に、そんな国にお嫁に行ったガブリエラさんのことがとても心配になってしまった。
単純に別の国に行くだけだと思っていたのに、まさかこんな場所だとは思わなかったよ。ガブリエラさん、ひどい目に遭っていないといいけれど。
エマも心配そうな顔で私を見ている。きっとエマも同じ気持ちなのだろう。一刻も早く、ガブリエラさんを助けに行かなくちゃね!
そのためにまずが王宮の場所を見つけないと。この人に聞けばわかるだろうか?
ところでこの人は一体何者なんだろう? 助けてくれたから、敵ではないと思うんだけど・・・。
私がなんて尋ねたらいいかなと考えていたら、それを察したように彼の方から話しかけてくれた。
「俺はあんたらの味方だよ。王国の密偵なんだ。」
「じゃあ、王様の・・・?」
「ああ、国王陛下の命令で他国の隊商に入り込んで、この国の情報を集めてるんだ。だから顔や名前は明かせない。勘弁してくれよ。」
覆面越しに彼が笑ったのが分かった。私とエマは安心してホッと息を吐いた。私は彼に名前を名乗ろうとした。でも彼はそれを途中で遮って言った。
「知ってるよ。ドーラとエマだろう? 実は俺たち、王都で会ったことがあるんだぜ。あんたらは気付いてないと思うけどな。」
それを聞いて私たちはまたまた驚かされてしまった。そう言われても全然心当たりがない。匂いにも全然覚えがなかった。密偵さんってすごい!
私がそう言うと、彼は苦笑いしながら答えた。
「あんたらをさっきこの街で見かけたときはこっちの方が驚いたぜ。一体、何しにこんなところまで来たんだ?」
私は彼にガブリエラさんを助けに来たのだと話した。彼は真剣な目で(目しか見えていないけどね)私の話を聞いてくれた。
「帝国兵が妙な情報の流し方をしてるってのは俺たちも気が付いてる。帝室の連中が意図的に情報を操作してるようなんだ。」
彼の話によると帝国軍に大規模な渡河作戦があったのは間違いないらしい。でもそれを率いている人物が誰なのかという情報が錯綜しているのだそうだ。
「騒乱の首謀者と目されている近衛騎士団長だという話もあれば、オクタビス将軍だったという話もある。中には皇帝ガイウスの亡霊が亡者の騎士たちを率いて河を滑るように渡って言ったっていう怪談めいた話まで出てるくらいなのさ。」
皇帝の生死が不明なこともあり今、帝都内の人たちはいつも以上にピリピリしているそうだ。そんなところに明らかに王国人だと分かる私たちが現れたのだから、それは襲われもするというものだ、と彼は語った。
なるほど、襲ってきたあの男の人たちにもちゃんと事情があったんだね。エマに剣を向けてきたから危うく殺しそうになったけど、彼らの事情を知ればそれも仕方のないことだったのかもしれない。
慌てて殺さなくて本当によかったよ。
大方の説明が終わった後、彼は私たちに皇宮の場所を教えてくれた。
「ガブリエラ様のことは俺も探ってるが、全然情報が出てこない。おかげで仲間たちも今後の動き方が決められなくて困ってたんだ。安否が分かったら俺にも知らせてくれないか?」
「もちろんです!」
私がそういうと彼は「助かるぜ」と言って目で笑ってくれた。別れ際、私は気になっていたことを彼に尋ねてみた。
「ところで、どうして私たちがドルアメデス王国から来たって、分かったんでしょうね?」
すると彼は可笑しそうに笑いながら私に言った。
「言葉さ。あんたたちの話す言葉は東国訛りがひどいからな。」
そう言われてみると、彼の話す言葉は抑揚や強弱が私たちと少し違っている。変わった言葉だなと思っていたけど、国による言葉遣いの違いだとは気が付かなかったよ。
考えてみればテレサさんの話す言葉も、かなりカールさんと違っていたっけ。同じ人間なのに、住んでいる場所によって言葉が違うなんて、人間って面白いなあと感心してしまった。
私は彼にお礼を言い《飛行》と《不可視化》の魔法を使って、皇宮を目指した。飛び立つ瞬間「あんな魔法の前じゃ、俺たち密偵も形無しだな」という彼の苦笑交じりの呟きが聞こえた気がした。
読んでくださった方、ありがとうございました。後編は半分くらい書き終わってます。今週中に投稿したいです。(希望)