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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
31/93

閑話 女神に出会った日

閑話って気楽に書けて楽しいです。なお、本編には全く関係ありません。

「よーし! あと100回! これが最後だ、はじめ!!」


 小隊長の掛け声に合わせて、俺たちは槍を構えて前進と後退を素早く繰り返す。


 前進し長槍を鋭く振り下ろして隊列変更、大盾を持つ仲間に守られながら後退。訓練場代わりの空き地の端から端まで隊列を整えて素早く移動する。


 夏の太陽に照らされながらの団体行動訓練はまさに地獄。革の兜の間から流れ落ちる汗を瞬きで落とし、仲間に遅れないように必死に手足を動かす。


 槍を立て、振り下ろし、また立てる。ただそれだけの動作が恐ろしく難しい。長槍の小さな穂先が、六足牛でも下がっているのかと思うほどに重い。






「あと5回だ! 頑張れ!!」


 夕暮れの空き地に小隊長の声が響く。俺は歯を食いしばって走り出したがその途端、一瞬目の前が暗くなった。


 方向転換のために一歩踏み出そうとして槍の重さにふらついた俺を、隣にいた先輩がさっと支えてくれた。


 ありがとうございますと言おうとしたが、喉の奥が張り付いて声が出ない。先輩はそんな俺の顔を見てニヤリと笑い「冷えたエールが待ってるぞ、新入り!」と励ましてくれた。






「本日の訓練はこれまで。皆、よく頑張った。会計係から日当を受け取って帰ってくれ。」


 小隊長の言葉が終わると同時に、部隊の半数近い奴らがその場に崩れ落ちた。全員が俺と同じ新人衛士。もちろん俺もその中の一人だ。


 だが先輩たちは余裕の表情で、今日の夕食で飲むエールの銘柄について話し合いながらゆうゆうと歩き去っていく。俺を支えてくれた先輩も、俺の肩を拳で軽く突いて「貸しだぞ。今度一杯おごれ」と言い、笑いながら歩いて行ってしまった。


「あの人たち、ほんとに俺たちと同じ人間か? とても信じらんねえ。」


 夕闇に長く伸びた影を背負いながら歩き去っていく先輩の背中を見て、地面にへたり込んだままの誰かが呟いた。俺はその仲間に完全に同意し、訓練場の泥に頬を付けたまま目を閉じて、乱れた呼吸を必死に整えた。











 俺の名前はエンデ。王国衛士隊の新人衛士だ。今年の春、衛士に採用された俺はバルドン中隊の所属になった。今は王都領の端っこにあるハウル村の南門で勤務している。


 俺はハウル村の人間じゃない。王都近郊にある小さな農村の出身だ。もともと実家の農業を手伝いながら村の自警団に所属していたのだけれど、俺の働きぶりを見た村長が衛士隊員として推薦してくれたのだ。






 自警団は村を野盗や魔獣から守る自衛組織で、ある程度の大きさの村ならどこにでもある。


 王都領内は騎士様たちが魔獣討伐のために巡回しているけれど、魔獣が出たからと言ってすぐに来てくれるわけではない。騎士様たちが来るまでは、村で自衛する必要がある。


 それに騎士様たちが対応するのは飛竜や銀猪、鉄爪狼など人を襲う強力な魔獣が中心だ。だから農作物を荒らしたり家畜を襲ったりするような小型の魔獣(一角兎や長牙犬、毒甲虫など)は、村人たちが自警団を組織して対処しなくてはならないのだ。






 それにもう一つ。野盗から村を守るのも自警団の大切な仕事だ。幸いなことに王都領には野盗の類は少ないけれど、それでも時には小さなの村が襲われたという話を聞くことがある。


 奴らのほとんどは元々傭兵や冒険者だった連中だ。けれど負傷などが原因で仕事を続けられなくなり、食うに困って旅人や辺境の村を襲っている。


 気の毒な奴らだとは思うが、だからと言って食べ物を恵んでやるほどゆとりはどの村にもない。だから彼らの被害を防ぐためにも、自警団は不可欠なのだ。






 俺は成人した直後から自ら志願して自警団に所属し、小型の魔獣などを追い払う仕事をしていた。


 自警団に志願したのは俺の体が大きく力が強かったからだが、上に6人も兄がいるため農繁期以外は家での仕事があまりなかったからというのもその理由だ。はっきり言うと、何もしないで家にいるには肩身が狭すぎたのだ。


 自警団は自衛組織なので、日常的に仕事があるわけではない。でも仕事があった日には多少ではあるが、日当がもらえる。それを目当てに俺は他の連中よりも熱心に仕事に取り組んだ。


 自慢するわけではないが、小型の魔獣となら一対一で渡り合えるくらいの力を身に付けることができた。


 それを村長が認めてくれたというわけだ。


 俺は自分の幸運が信じられず、富と幸運の女神ドーラに祈りを捧げずにはいられなかった。











 訓練を終えた俺たちは重い体を引きずるようにして空き地を出た。装備を外して隊服を脱ぎ、ドルーア川に飛び込む。熱を持った体に冷たい川の水が沁みる。思わず「ああ」と声が漏れた。


 隣で同じような声を出した仲間と思わず顔を見合わせて笑う。地獄から極楽とはまさにこのことだ。


 水浴びを終えて南門の衛士隊詰所で自分の服に着替え、ウキウキしながら会計所へ向かう。


「おう、ご苦労さん。」


 会計担当の文官が木皿に出してくれた日当を受け取り、大事に数える。銅貨が10枚。10ドーラだ。


 地獄のような訓練に耐えきった自分への褒美を、俺はぐっと握りしめた。






 衛士は自警団と同じように村の生活を守るのが仕事だが、その立場や身分は全然違う。何といっても衛士は王様の家臣である貴族に直接仕えているからだ。普通の平民よりもずっとしっかりした身分なのである。


 それに何といっても自警団とは俸給が段違い。何と一日5Dも貰えてしまう。非番の日は給料が出ないとはいえ、それでも一か月で100Dを下ることはない。


 魔獣の討伐任務時の危険手当や夜番の手当などが加われば、200D近くになる月もある。しかもこれは衛士に成りたての俺の俸給。経験を積んだベテランともなれば、俺の倍近い俸給をもらっているらしい。






 そして今日みたいな訓練があった日には、その分の訓練手当が支給されるのだ。訓練に参加した衛士は全員、日当に加えて5Dを受け取ることができる。


 訓練は少ない時でも月2回。多い時には毎週行われるから、これだけでもかなりの額をもらえるってわけだ。


 俺は自分の村にいるとき、こんなにたくさんの金を手にしたことはなかった。もちろん農業で自給自足の生活だった村での暮らしと、生活に必要なものをすべて買わなくてはいけない今の暮らしを単純に比較することはできない。


 命の危険や仕事のきつさを考えれば、実家にいる頃の方が断然楽だ。でもあの頃の居所のない心細さに比べたら、今の生活は本当に充実している。


 だから俺は、俺を衛士にと推薦してくれた村長と、俺を採用して衛士に取り立ててくれたバルドン中隊長に、心の底から感謝していた。











「エンデ、飲みに行こうぜ!」


 同じように俸給を受け取った仲間に誘われ、俺はいつものように酒場へと向かう。酒場はハウル街道沿いの宿屋に併設されており、手頃な値段で美味い酒と料理を楽しむことができるのだ。


 俺たちが行ったときにはすで酒場は満員の状態で、衛士隊員たちのほとんどは店の外に並べられた丸太のテーブルに座って料理を食べていた。


「お、エンデ! こっちだこっち!!」


 先に飲み始めていた仲間が後から来た俺たちに声を掛けてくれた。注文を取りに来た宿屋の女給に今日のおすすめ料理とエールを頼み、席に着く。






 酒場の中からは楽しそうな笑い声と楽師の演奏する賑やかな曲が聞こえてくる。今日、大規模な隊商が南門から村へ入ってきたから、おそらくその連中だろう。


 こんなちっぽけな村にこんなでかい宿屋があるのは何とも不思議な感じだ。なにしろ大きさだけなら王都の中央大通りにある宿と遜色ない規模なのだ。


 聞いた話じゃハウル街道ができたときに、当時の女領主がこの宿屋を建てたらしい。






 その頃のハウル村は街道ができたばかりで、住んでいるのは貧しい木こりばかり。そんな村にでかい宿を建てるなんて、普通なら正気を疑ってしまうような話だ。


 だが今の酒場の混み具合を見れば、その女領主の判断が正しかったことがよく分かる。やはりお貴族様ってのは俺たちとは頭の出来が違うらしい。


 エールを届けてくれた笑顔の可愛い女給に礼を言い、俺たちは最初の乾杯をした。地下蔵でよく冷やされたエールが喉を滑り落ちていく。かーっ、たまらん!!


 笑い合う仲間を見ながら、俺はハウル村に来たばかり頃のことを思い返した。











 春に衛士となった俺は、各村から集められた同僚と共にハウル村にやってきた。


 およそ一か月の訓練期間を終え、王都を出発したのが春の3番目の月の終わり頃。今が夏の2番目の月だから、ハウル村に来てだいたい3か月目くらいということになるかな。


 王都で耳にした噂では、王都領全体を襲った聖女教徒襲撃事件でハウル村は壊滅的な被害を受けたと聞いていた。村に立てこもった聖女教徒と騎士団が激しく交戦したらしい。


 実際、俺たちが村にやってきた当時、街道沿いの建物はまだ建設中のものがほとんどで、天幕暮らしをしている村人が多かった。






 ただ俺が見る限り、壊滅的というには少々大げさだなと感じた。ハウル村は川を挟んで東西に村が分かれているが、どちらの村も石やレンガ造りの立派な建物がたくさん立っていたのだ。


 レンガ敷きの街道はまるで今作ったばかりの様に美しい様子だったし、水路や橋も王都のものと同じくらい立派な作りをしていた。


 整備された農地には様々な作物が豊かに実り、森の恵みを受けた家畜たちも丸々と太っている。


 そして何より村人の表情が生き生きとして明るいのが印象的だった。とても壊滅的な被害を受けた後とは思えない。噂に聞いていた貧しい木こり村とは全然違う姿に、俺や同僚たちはとても驚かされた。






 聖女教徒襲撃による被害は、ハウル村近辺の多くの村に及んでいた。


 幸い俺の村は王都に近かったせいで直接的な被害を受けることはなかったけれど、襲撃された村では多くの村人が連れ去られ、冬の間の貯えを奪われたり家屋を燃やされたりしたそうだ。


 俺と一緒に採用された同僚の中には家族が被害に遭い、村での仕事が立ち行かなくなって衛士に志願したという連中も少なくなかった。


 被害に遭った村には王様が食糧を届けてくれたらしいけど、それも無限にあるわけではない。冬の間、飢えに苦しんだり病で命を落としたりした者も多かったそうだ。


 そんな村も春になりようやく復興が始まった。だがその歩みは遅い。他の村々がハウル村の様に明るく活気のある暮らしを取り戻すには、もう少し時間がかかるだろう。











「はい、おまちどうさま!」


 可愛らしい制服を着た女給が二人で、料理の乗った大皿とお代わりのエールの酒杯ジョッキを持ってテーブルにやってきた。


「今日のおすすめは川魚の揚げ焼きよ。私が丁寧に下ごしらえしたから味わって食べてよね!」


 揚げ焼きの香ばしい匂いを嗅いだ途端、俺の腹がでかい音を立てた。仲間に笑われながら、内臓を取り除いてたっぷりの油で調理した揚げ焼きを摘まみ上げ、頭からガブリとかじる。


 カリカリの皮に包まれた甘い身が口の中でほろりと解け、体が幸福感で満たされた。獲れたての川魚は骨まで柔らかい。残った半身も口の中に放り込んでゆっくり咀嚼する。






 内臓をきれいに取り除きしっかりと処理してあるため、生臭さなどは全くない。


 塩加減も絶妙で、匂い消しに添えられている香草のみじん切りとの相性も抜群だ。ごくんと飲み込んだ後、冷えたエールを流し込むともう言うことは何もない。


 付け合わせの野菜の酢漬けと、ヤギの乳のクリームで和えた潰したジャガイモも最高だ。大皿に盛られた料理は瞬く間に無くなり、俺たちはお代わりのエールと肉料理を注文した。


 普段は肉なんか食べられないけれど今日は特別だ。なんて言っても懐が温かいからな。


「今日はずいぶんたくさん食べるのね。あ、そうか、訓練があったのね?」


 お代わりを持ってきてくれた女給のハンナは「訓練お疲れ様!」と俺たちを労い、料理と酒杯を置いて大急ぎで厨房に戻って行った。


 その細い腰つきを見送りながら、仲間の一人がしみじみと言った。






「いいよなあ、ハンナちゃん。付き合ってる男いるのかな?」


「そんなの、知らねえよ。直接聞いてみりゃいいだろ。」


「聞いたんだけどさ、はぐらかされちまったんだよな。あーあ、あんなと付き合えたら最高なんだけどなー。」


 ハンナの持ってきてくれた肉料理(焼いた豚肉の薄切りに香草と酸味のある果実、ヤギのクリームソースをかけたもの)を頬張りながら、俺たちはいつものように女の話を始めた。






 ハウル村の唯一の欠点。それは女が圧倒的に少ないってことだ。


 この村には今、南北の門を守るバルドン中隊およそ200名が駐屯している。それに加え、村を運営するための文官、大工と鍛冶師の徒弟、冒険者、行商人、水夫に運搬人、船頭、商会の従業員などがいるわけだが、そのほとんどが独身の男なのだ。


 対して独身の女は、もともと村に住んでいた娘達と他の村や街から宿屋や酒場で働くためにやってきた女達しかいない。しかもその半数は10歳以下の子供ときている。






 冒険者が多く住んでいる東ハウル村の酒場の女たちは、女給と踊り子を兼ねている。皆、美しく魅力的な女たちばかりで、気に入った相手には「いいこと」をしてくれる娘もいるらしい。


 ただそんな彼女たちを巡る競争はものすごく激しい。衛士隊員だけでも200名の競争相手がいるわけなので、ほとんどの男たちは鼻もひっかけてもらえない。


 それでも女っ気を求めて酒場に通う男たちも多いわけだが、大半の男は目当ての娘とイチャイチャする一部のモテ男の様子を歯噛みしながら見せつけられることになるのだ。






 本来、衛士隊員はとても女性にモテる職業だ。実際、事前訓練で滞在した王都や移動途中で立ち寄った村では、衛士隊員というだけで女の子の方から寄ってきてくれたくらいだ。


 まあ、それまで女の手もろくに握ったことのない俺は、結局何もできなかったわけだけれど。


 それでも、女から見向きもされていなかった自警団員だった時との違いに驚かされたものだ。


 せっかくモテるようになったというのに、このハウル村には肝心の女がいない。だから俺たちはこうやって酒が入るといつも、女の話ばかりしているというわけだ。モテない男たちの悲しい愚痴り合いなのである。






「そう言えばよ、ハウル村ってなんかきれいな女が多くないか?」


「分かる! 市場で見かけるおかみ連中も、他の村に比べて美人だよな! なんでだろ?」


「やっぱあれじゃないか、共同浴場。」


 仲間の一人の言った言葉に俺たちは皆で「ああー」と嘆息交じりに頷いた。


 ハウル村の洗濯場の横に作られた共同浴場は、村人なら誰でも自由に使うことができる。他の村にはこんな施設はない。湯を沸かす薪がもったいないし、手間もかかるからだ。


 普通に生活しているだけなら、夏はさっき俺たちがやったように川で水浴びするだけで十分だし、冬はそもそも汗をかかないから濡らした布で時々体を拭くだけで事足りてしまう。






 でも、もともとハウル村は炭焼きが盛んな木こりの村。一年を通して炭焼きの汚れを落とす必要があることを考えれば、共同浴場が作られたのもごく自然なことなのだろう。燃料になる薪はいくらでもあるわけだしな。


 ハウル村の住民は男女ともほぼ毎日入浴している。俺も夕暮れ時、入浴を終えて家に帰る娘やおかみたちとすれ違ったことが、これまでに何度もあるけれど皆、驚くほど美人で魅力的だ。


 どの女の髪も肌も艶々ですべすべ。そしてなんといっても匂いが素晴らしい。共同浴場では香草の入った石鹸を使っていると聞いた。多分そのせいだと思うのだけど、その彼女たちが通り過ぎた後の残り香は思わずハッと振り向いてしまうほど、蠱惑的なのだ。


 束ねた髪を上げた首筋や、湯冷ましのために緩めた服の端から覗く白い胸元に目を奪われたことも、一度や二度ではない。あああ、女の子と付き合いてえぇ!!と叫び出してしまいたくなるくらいだ。


 俺たちは残ったエールを飲み干し、大きくため息を吐いた。それに気づいた女給の一人が、すぐにお代わりを持ってきてくれる。


 魅惑的な笑顔の彼女を見送りながら、俺たちはまた女の話を始めた。






「やっぱ俺、ハンナちゃん好きだわ。あれでまだ12歳なんだろう?」


「いいよなあ、ハンナちゃん。あんなに可愛いのに読み書きも、金の勘定もできるんだぜ。最高じゃん。」


「今はまだ少し子供っぽいとこあるけどな。でもあと2,3年したらすげえぞ、きっと。」


「狙ってる男、多いんだろうなー。」


 俺たちはスケベ心丸出しで、ニシシと笑い合った。






 農村の女は普通13,4歳で成人し、すぐに結婚することが多い。対して男は15,6歳が一般的。


 もっとも男に関しては、所帯を持てるだけの稼ぎがあることが最低条件なので、これは村の事情によってまちまちだ。


 17歳になった今でも女の子とまともに話したこともない俺みたいな奴も結構多い、はずだ。多分。


 ちなみに俺も衛士になるまで知らなかったのだけれど、貴族は16歳からが成人と決められているらしい。でも平民の場合はそれほどしっかり決まっていない。


 平民の子は普通、10歳くらいから見習いとしていろいろな仕事を始める。そして13歳くらいで成人し、一人前の働き手として認められることになるのだ。


 ただ体の大きさや能力によって、この年齢が前後することもある。要はちゃんと一人で働けるか、子供を作ってちゃんと育てられるかが一番肝心ってことだな。






「そう言えばさ、春の終わりになってよく見かけるようになった、すげえかわいい子がいるじゃん。」


「あの子だろ、あの薄い金髪の! 名前は確か・・・そう、エマちゃん!!」


「ああ、俺も双子の弟妹を連れて歩いてるの見たことあるぜ。かわいいよなあ。あの子も村の子なのかな?」


 俺がそう尋ねると仲間の一人がそっと俺たちに手招きをした。そして辺りを気にしながら俺たちに囁いた。






「あの子、噂じゃあ王都の学校に入ってるらしいぜ。」


「ああ、知ってるぜ。平民に読み書きを教えるって奴だろ。すげえよな、こんな辺鄙な村から王都の学校に行けるなんて。」


 俺がそう言うと、仲間の男はより一層声を落とし、俺の言葉を否定した。


「いや、そうじゃないんだ。どうやらあの子、貴族の通う王立学校に入ってるらしい。」


「はあ? じゃああの子、貴族なのか?」


「それはわかんねえ。たださ、あの子の姉ちゃんがいるじゃん。ほら、あのよくバルドン中隊長に薬を届けに来るまじない師さ。」


「ああ、あの仮面で顔を隠してる妙なまじない師。へえ、あの二人、姉妹だったのか。」


「あのまじない師、ドーラって名前らしいんだけどさ・・・実はルッツ子爵様の愛妾なんだと。」


 俺たちは驚きに声を上げ、慌てて口を噤んだ。






 ルッツ子爵様はこの村の門とハウル街道を管理する貴族様だ。俺たちの上司であるバルドン中隊長の弟さんで、いつも腰に二振りの剣を佩いている。


 ちなみにバルドン中隊は本当はルッツ中隊と呼ぶべきなのだけれど、それだと子爵様とごっちゃになってややこしいという理由からバルドン中隊と呼ばれている。


 俺も一度、子爵様に声を掛けてもらったことがあるけれど、貴族とは思えないほど物腰が柔らかで印象のいい人だった。身に着けているのも普通の官服だったので、貴族章がなければ子爵様とは思えないような感じがした。


 以前、子爵様は剣の達人だって先輩たちが噂してるのを聞いたことがある。けど、あんまり強そうには見えなかったなあ・・・。






「じゃあ何か、エマちゃんが王立学校に通ってるのは、子爵様のコネってことなのか?」


「多分そうなんじゃねえかな。ドーラが子爵様に妹のことをお願いしたのかもしんねぇ。」


「でもよ、いくら愛妾の頼みだからって、下民の娘を貴族の学校に入れるか?」


 そう問いかけた仲間の一人に、別の奴がハッとした顔で言った。






「お、俺さ、一回だけドーラの顔を見たことがあるんだ。」


 ドーラというまじない師のことは俺も知ってるけど、いつもフードと半仮面で顔をしっかり隠しているので素顔は知らない。子爵様の愛妾だというドーラの素顔に、俺は俄然興味が湧いてきた。


「どんな顔だった? 美人だったか?」


「それがよ、美人なんてもんじゃねえぜ! 俺あ、あんなにきれいな娘、今まで見たことがねえ。その名の通り女神ドーラの化身かと思っちまったよ。」


 その言葉に俺を含めて仲間たちは疑念の視線を投げかけた。






「本当か? あの怪しいまじない師が?」


「本当だって! ちっ。まあ、俺がいくら言っても他の誰も信じてくれなかったんだけどな。」


 そう言ってむくれるその男を宥めていると、別の仲間が言った。


「女神の化身は流石に言い過ぎだと思うけどよ。でもあのエマって子の姉なら、美人なのは確かかもしんねえな。」


「なるほど。自分より魔法の才能がある妹を、魔法の学校に通わせるためにドーラは子爵様に近づいたってことか。けなげな姉ちゃんだな。」


「いや待て待て、逆かもしんねえぞ。いくら何でもただのまじない師が子爵様に近づけるか? 子爵様の方がドーラに言い寄ったって考える方が自然だろ。」


「じゃ、じゃあこういうことか? 『妹を学校に通わせてやる。その代わりに・・・』って・・・。」


 俺がそう言うと、ドーラの顔を見たという男が「はあっ」と大きく息を吐いた。






「いいなあ、あんなきれいな娘を好きに出来るなんて! うらやまし過ぎるぜ、子爵様!!」


 悔しそうな顔で頷く仲間たちに俺は言った。


「でもよう、あの子爵様がそんな悪辣なことするかな? すげえいい人そうに見えたけど・・・。」


 でも俺の言葉はすぐに否定されてしまった。


「いやいや、一見いい人そうに見える奴の方が実はヤバいってこともあるだろ。子爵様だって男だからな。裏じゃどんなことしてるか分かんねえぞ。」


「おい! 言葉が過ぎるぞ!!」


 皆、少し酔ってきているので声が大きくなっている。上司の弟であり、実質この村の領主でもある子爵様を悪く言っているのをもし誰かに聞かれでもしたら、タダでは済まない。


 俺は冷や冷やしながら、仲間たちに声を掛けた。皆慌てて口を噤み、誤魔化すようにお代わりのエールを飲んで盛大にゲップをする。






「あっ、そう言えば俺、聞いたことあるぜ。貴族様は魔力の高い平民の女を妾にして子供を産ませるんだってよ。」


 その言葉に仲間たちは色めき立った。


「えっ!? じゃあ、子爵様がエマちゃんを学校に通わせてるのはまさか、自分の子供を産ませるためか!?」


「なるほど、それなら理屈は通るわな。しかし姉も妹も両方ってすげえな。酷すぎんだろ。」


「待て待て、そんなに酷い男なら姉妹同時にってこともあるかもしんねえぞ・・・。」


「お前、それはいくら何でも・・・いや、あり得るか?」


 すっかり酔っぱらった俺たちがえげつない想像を膨らませて勝手に悶々としていると突然、満員の酒場の方から食器が激しく床に落ちる音と同時に、細い悲鳴が聞こえた。






 その声に反応して、外のテーブルで飲んでいた若い衛士隊員が一斉に立ち上がる。


 しかし鬱屈した暗い情熱と、なんだかよく分からない怒りに衝き動かされた俺たちが一番速かった。俺は仲間たちの先陣を切って酒場に飛び込んだ。


「何だよ、俺は客だぞ! いいから大人しく俺の部屋に来いよ!」


「や、止めてください!!」


 大分出来上がっている様子の傭兵の男がハンナの腕を掴んで体を抱き寄せようとしている。彼女の足元には割れた皿や酒器が散乱し、こぼれた料理で床が汚れていた。


 そして少し離れた場所には、宿屋の主人グストハッセと事務員風の男が倒れていた。二人とも顔に殴られた跡があり、完全に気を失って伸びている。おそらくこの傭兵を止めようとして、返り討ちにあったのだろう。


 一番に飛び込んだ俺と目を合わせた別の女給が涙目で「ハンナを助けて!」と叫んだ。


 この女給もすごいかわいい子だ。名前は何だったかな?






 鼻息を荒くした俺は颯爽とハンナを引きずる男に駆け寄ると「おい! ハンナから手を離せ!」と怒鳴りつけた。


「何だ手前!! 手前も痛い目に遭いたいのか?」


 男はハンナを乱暴に突き飛ばすと、俺に殴りかかってきた。酔っているとは思えないほどの鋭い動き。だがそれも衛士隊の格闘訓練を受けている俺にとっては、止まっているも同然だ。


 俺は男の腕を掴んでそのまま床に引き倒しうつ伏せに組み伏せると、男の腕を背中の方に引き上げて固定した。


「痛ぇ!! 何しやがる!!」


「黙れ。俺は王国衛士隊のエンデだ。これ以上暴れるなら独房に一泊するだけじゃ済まなくなるぞ。」


 傭兵の男はぎょっとした顔で「衛士隊・・・!?」と呟く。たちまち男の血の気が引き、大人しくなった。






 周囲の客の拍手と歓声を浴びながら、俺は駆けつけてきた夜番の衛士たちに取り押さえた男を引き渡した。あいつはこの後一晩、南門の詰所にある独房で過ごすことになる。


 翌朝には宿から壊した食器の代金や治療費を請求されることだろう。随分暴れたみたいだから、かなりの額になるはず。本当にご愁傷さまだ。


 グストハッセと事務員の男(どうやらハンナの兄らしい)も目を覚まし、乱れた店内の片付けに奔走し始めた。目の周りの色が変わっているけど、ケガ自体は大したことはないようだ。


 俺は女給たちに慰められているハンナに歩み寄った。手首が少し赤くなっているが、ケガはしていない。ただ顔は青ざめ、小刻みに震えている。よほど恐ろしかったのだろう。


「大丈夫か、ハンナ。どこか痛むのか?」


 俺は精一杯、男前な声を出して彼女に問いかけた。彼女は潤んだ瞳で俺を見上げた。


 くうぅ、かわいいな、おい!!






「だ、大丈夫です。本当にありがとうございました。」


 彼女はぺこりと俺に頭を下げた。きちんと束ねた艶々の髪からほんのりといい匂いが立ち上ってくる。俺は顔がニヤケそうになるのを必死に堪え、努めて冷静に言った。


「いや、衛士として当然のことをしただけだよ。君にケガがなくてよかった。」


 キリっとした表情でそう言う俺。決まったな。これは完全に決まった。


 すると次の瞬間、彼女は目の端に涙を貯めたまま、俺の方に駆け寄ってきた。マジか!? 俺の決め台詞、効果抜群じゃん!!


 俺は信じられない気持ちで、駆け寄ってきた彼女を抱きしめようと軽く腕を広げた。






 しかしハンナはそんな俺の様子にまったく気が付かないまま、俺の横をすり抜けて行った。


「グスタフ!!」


「ハンナ、大丈夫か!?」


 衛士隊と一緒に駆けつけてきた冒険者風の男の胸に飛び込んで泣きじゃくるハンナを、俺は茫然と見つめた。そして苦笑いしながら、広げた手をそっと下ろした。


 まあ、そうだよな。そんな訳ねえか。


 俺はハンナが無事でよかったと小さくため息を吐き、頭をぼりぼりと掻いた。そしてニヤニヤしながら俺を待ってる仲間たちのところへ向かって歩き出した。






 その時、俺の腕に柔らかい手が触れた。ぎょっとしてそっちを見ると、悪戯っぽい笑顔で俺を見上げている女給と目が合った。


「あなた、とっても強いのね。それにすごくいい人だわ。ハンナを助けてくれてありがとう、エンデさん。」


 彼女は俺に向かって「ハンナを助けて!」と言ってきたあの女給だった。すっかり舞い上がって何も言えないでいる俺に、彼女はそっと体を寄せてきた。


「あたしの名前はリンダ。グラスプ領の出身よ。今年で15になるわ。あなたは?」


「お、俺は王都領出身だ。年は17。」






 俺がそう答えると、彼女はにっこりと笑い俺の腕をぎゅっと抱えた。柔らかな二つの膨らみが俺の腕に・・!!


 体中の血が沸騰したかと思うほど熱くなる。彼女はそんな俺の耳元に唇を近づけてそっと囁いた。


「ここの片付けが終わったら、あたし、今日の仕事終わりなの。ねえ、もしよかったら・・・その後二人で、少しお話しない?」


 頬を赤らめ、潤んだ目で上目遣いに俺を見つめるリンダ。


 彼女から漂ってくる甘い香りに陶然としたまま、俺は風に吹かれる麦の穂みたいにこくこくと頷いた。






 その後のことはよく覚えていない。今、思い返しても本当に夢を見ているみたいだった。


 ぼんやりと覚えているのは血の涙を流す仲間たちに小突き回されたことと、お祝いだと言ってエールを奢ってもらったこと。そして彼女と二人でたくさんの話をしたこと・・・。


 そうやって始まった付き合いの末、彼女は俺の思いを受け入れてくれた。






 以来、俺はますます仕事に打ち込むようになった。


 所帯を持つために金を貯めなきゃならないのはもちろんだけど、もっともっと強くなってこの村を守りたいという気持ちが強くなったからだ。


 大事な人リンダの暮らすこの村を魔獣や野盗に襲わせるわけにはいかない。その思いを込めて、俺は今日も訓練に励む。


 彼女の笑顔のためなら、どんな訓練も辛くはない。大切な誰かを守るためなら、人はどこまでも強くなれるのだ。


 川面を滑る夏の夜風を感じながら俺は確かにそう思った。そして俺を待ってくれている女神リンダの元へと急ぐため、青い月明りが照らす石畳の上をまっすぐに駆け抜けたのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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