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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
30/93

30 落伍者と無法者 後編

ハッピーバレンタイン!また長くなりました。すみません。構成が下手すぎる。 ※後半に性的な暴力を想起させる描写があります。苦手な方はご注意ください。

 カールさんと北門で別れた後、私は家妖精のシルキーさんに手伝ってもらいながら、魔法薬や石鹸などを作って過ごした。


 夜になり皆が寝静まると、カールさんから昼間頼まれた手紙を届けるために、《転移》の魔法で王様の寝室に移動した。


 ハウル村の人たちは日が暮れる前にお風呂に入り、夕食を食べ終わるとすぐに寝てしまう。明かり用の油を節約するためだ。


 時々、竈の残り火を頼りにマリーさんとフランツさんが、糸を紡いだり斧の手入れをしたりすることもあるけれど、それでも真夜中になるまでには皆寝てしまう。


 でも王様は真夜中近くになっても起きていることがほとんどだ。この日も王様は、寝室の横にある執務室でたくさんの書類を前に、一生懸命仕事をしていた。






「おお、ドーラさんか、よく来てくれた。」


 王様はいつものように笑顔で私を迎えてくれた。王様の声を聞きつけた侍女のヨアンナさんが、隣の部屋でお茶の用意を始めた音が聞こえてくる。


「あの王様? 今日は特に疲れてませんか?」


 室内を照らす柔らかな魔法の明かりで見た王様の顔には、いつもよりも一層深い疲労の皺が刻まれていた。目の周りも赤みを帯び、まぶたが腫れぼったくなっている。


 お茶の用意をして部屋に入ってきたヨアンナさんは何も言わなかったが、私と目を合わせて僅かに頷いてみせた。彼女も王様のことを心配しているようだ。






「別にそんなことは・・・いや、そうではないな。」


 王様は私の言葉を否定しようとしたが、すぐに思いなおしたように疲れた笑みを見せて大きく息を吐いた。


 王様が仕事の道具をしまうのを待ってから私たちは、ヨアンナさんがお茶を用意してくれているいつものテーブルに移動した。


 テーブルに座った王様は温かいお茶を一口飲み「ああ、美味い」と呟いた。ヨアンナさんは愛情の籠った目でその様子を見、ほんの少しだけ笑みを見せて頷いた。


 二人の間に言葉はない。でもお互いを思い合う確かな絆がその無言のやり取りの中に込められているように私には見えた。






 初夏の夜風が開け放たれた窓から爽やかな夏の花の香りを運んでくる。私たちは心地よい沈黙の中、ゆっくりとお茶を楽しんだ。


 最初のお茶を飲み終えた王様はしばらくカップを見つめて何かを考えていたが、やがて私の方を見て言った。


「実は今、一つ困っていることがあってね。ドーラさんの考えを聞かせてくれないだろうか。」


「王様が私に相談ですか? うまく答えられるか自信がないですケド・・・。」


「いや、思ったことを聞かせてくれるだけでいい。最終的な判断は私が下さなくてはならないのだから。」


 ヨアンナさんが持ってきたお茶のお代わりを一口飲んでから、王様は話し始めた。






「以前、王都の倉庫街が火災に遭った時の話をしてくれたね。覚えているかな?」


「もちろんです。貴族さんや商人さんの食糧が燃えそうになった時、王様がそれを倉庫から運び出すようにって住民の人に呼びかけたんでしたよね。」


 これは王都南門の倉庫街で、荷物の運搬をしている男の人から私が聞いた話だ。


 火事で倉庫街の食糧が燃えそうになった時、消火活動に当たっていた王国衛士隊が住民の向けて「ここにある食糧は王の名においてすべて民に開放する」と宣言したという。


 その一言で住民一丸となり、衛士隊の皆と協力して食糧を守ることができたのだそうだ。






 当時、倉庫街は王都民の冬越しのために大量の食糧で一杯になっていた。


 これらはすべて大生産地である王国西方の穀倉地帯から運び込まれたもの。深い森に囲まれた王都領だけでは、王都に暮らすたくさんの人の冬の生活を支えることができないからだ。


 王国西方の貴族たちや穀倉地帯に商圏を持つ大商人たちは、秋の間に余った麦などの食糧を大量に王都に運び込む。それを冬に王都民へ高値で販売することで莫大な利益を得ているのだと、商人のカフマンさんが私に教えてくれた。






 いくら火事で燃えそうだといっても、貴族や商人の倉庫から許可なく食糧を運び出すのは『火事場泥棒』といって、とても重い罪になる。


 その許可を王様が出してくれたのだ。この倉庫街の食糧はまさに王都民にとっての命綱。この食糧が無事だったおかげで、王都の人たちは冬の間に飢えずに済んだ。


 だから街の人たちは皆、食糧を守ってくれた王様のことをすごいと褒めてくれているのだ。


 




 私がそう話すと、王様は苦笑しながら私に言った。


「実はあれは私が命じたものではないのだよ。私だけでなく、王家の人間は誰も関わっていないんだ。」


「?? どういうことですか?」


「消火作業に当たっていた衛士の一人が、勝手に住民に呼びかけたものだったんだ。」


 私は思わず手を叩いた。


「それはとっても頭のいい人ですね! その人のおかげで食糧が燃えずにすんだんですから。すごいです!」


 でも王様は困った笑みを浮かべ、疲れ切った声で言った。






「そうなんだ。私もその機転を褒めてやりたい。手放しでそう出来たらどんなにいいかと思うよ。」


「え、ダメなんですか?」


「困っているのは、まさにそのことなんだよ。」


 王様は私に詳しい事情を説明してくれた。






 食糧を守ろうと街の人たちに呼びかけたのは衛士隊の伍長さんで、ヴィクトルという男の人だそうだ。


 彼はまだ18歳だけれど、とても腕の立つ人で、平民出身ながらその腕を買われて16歳の時に衛士隊に入隊したのだそうだ。


 それまでは街の暴れん坊として騒ぎを起こすことも多かった彼だけれど、衛士隊に入隊してからはめきめきと頭角を現し、あっという間に伍長にまで出世した。


 ちなみに伍長というのは5人の隊員を指揮する組のリーダーのことだ。この伍長さんが10人集まると小隊になる。つまり1小隊には60人の隊員さんがいるというわけだ。


 ただこれに小隊長さんや副官さんなどが加わるので、実際は65~70人くらいの数になるそうです。






 武芸の腕前では衛士隊の中では比べる者がいないほどのヴィクトルさんだったけれど、命令無視や暴力行為で注意を受けることが日常茶飯事。


 彼はとにかく喧嘩っ早くて頑固者、一度言い出したら絶対に自分の言うことを曲げないという、ちょっと困った性格の人らしい。


 それでも普段は人好きのする憎めない性格のため、同僚の隊員さんたちにはとても好かれていたそうだ。






 散々なことをやらかしている彼が衛士隊をクビにならなかったのは、彼の隊を率いる小隊長さんが「あいつは野放しにしておくと、何をしでかすか分からない」と言って、彼を庇ってくれていたからなだという。


 この小隊長さんは小さい頃から彼のことを知っているという人で、彼を衛士隊員に推薦してくれたのもこの小隊長さんだったらしい。


 きかん坊の彼もこの小隊長さんのことはすごく慕っていて、他の上役のことは無視していても、この小隊長さんの言うことだけは、いつもちゃんと聞いていたそうだ。






 火事のあった日、彼の所属する小隊は船の爆破事件に対応するため港湾地区に出動した。だけど小隊が到着した時にはすでに、辺り一面は火の海。


 思ったよりもずっと火の回りが早かったため、衛士隊は早々に消火を諦め、住民の避難誘導に全力を尽くすことになった。


 ヴィクトルさんは自分の部下が止めるのも聞かず一番に炎の中に飛び込むと、取り残されたお年寄りや子供たちを次々と救い出し始めた。だがそうこうするうちに彼は自分の部隊とはぐれてしまった。






 自分の隊を探して火の中を彷徨ううちに、彼は倉庫街で燃える食糧庫を前に涙を流して立ち竦む人たちに出会った。事情を聴いた彼はすぐさまその人たちに「食糧を運び出せ! 王様の命令だぞ!! 今すぐにだ!!」と怒鳴った。


 そして率先して貴族家の倉庫を打ち破り、食糧を運び出し始めたそうだ。それを見た住民たちも彼に協力し、やがて倉庫街はそれを聞いて応援に駆けつけてきた人で一杯になってしまった。


 貴族家や商家の倉庫が襲われているという通報を受けて彼の仲間が駆け付けた時には、倉庫の周りは王の名を讃えながら食糧を運び去る人たちで溢れていたという。






 手近にいた住民から話を聞いて事情を察した小隊長さんは、住民と部下たちに「ここにある食糧は王の名においてすべて民に開放する」と宣言し、自分の小隊に住民を守り、誘導するように命令した。


 火の手が迫る中、集まった人々で大混乱する現場を衛士隊が整理したおかげで、結果的に一人の死者も出さずに済んだという。


 もしもこの時、小隊長さんの巧みな指揮がなければ、多くの人たちが火災に巻き込まれて命を落としていたかもしれない。それを聞いて私は、本当によかったと胸を撫でおろした。






 結果的に多くの人命と貴重な食糧を守るために大活躍した衛士小隊だったけれど、王様の名前を勝手に使って王都民を誘導したことの責任を追及されることになってしまった。


 責任者だった小隊長さんは捕縛され、王家への反逆を理由に裁判にかけられることになった。王家への反逆は王国で最も重い罪。有罪となれば即処刑されることになるという。それを聞いた私は、王様に食って掛かった。


「処刑!? 皆のためになることをしたのにですか? そんなの絶対におかしいですよ!!」


 私の言葉に王様はゆっくりと頷いた。






「私もそう思う。しかし彼のやったことは明確な反逆行為だ。それで頭を悩ますことになったのだよ。」


 小隊長さんの功績だけを考えれば当然罪には問えない。むしろ褒賞を出してもいいくらいだ。


 ただこれを見逃してしまえば、今後また同じような行為があった時に罪を問えなくなってしまう。衛士隊が王の名を勝手に使って身勝手に振舞うようになれば、治安を守るどころの話ではない。


 王国の法に照らせば、小隊長さんの罪は免れないのだ。






 私は釈然としない気持ちで王様の話を聞いていた。それを見て王様は苦笑いしながらさらに言葉を続けた。


「でも私は彼を有罪にはしなかった。いやできなかったんだ。」


 驚く私に王様は説明をしてくれた。


 今度のことで罪に問われた小隊長さんは非常に優秀な人で、下級とはいえ貴族でありながら王都民ともすごく良好な関係を作ってたらしい。


 火事という極限状況でも王都民たちが整然と行動できたのは、彼の人望によるところが大きいと王様は言った。






「民は彼が独断で食糧庫を解放したとは知らない。むしろ今回のことで王家と彼への声望は高まるばかりだ。そんな中で彼を処刑したらどうなると思う?」


「あー、なるほど。王都の人たちは王様のことを嫌いになっちゃうでしょうね。」


「・・・有体に言えばそうなるな。王都復興で一丸となっている民心を動揺させることになる。最悪の場合、衛士の離反など治安を揺るがす事態になりかねない。」


「それは困りますねー。」


 歓楽街が少しずつ元の姿に戻りつつあるように、王都はようやく復興の兆しが見えてきたところだ。住民の人たちも元の生活を取り戻そうと皆で協力し合っている。


 それに水を差すようなことになるのは、よくないよね。


 うんうんと頷く私を何だか優しい目で見ながら、王様は言葉を続けた。






「実はね、彼を処刑できない理由は他にもまだあるんだ。」


「まだあるんですか!?」


 火事の時、衛士隊が他の貴族家の倉庫に住民を侵入させたことが問題なのだ、と王様は説明してくれた。むしろこちらの方が大きな理由らしい。


 他の貴族家には火災から食糧を守るために王命を発して食糧を運び出したという説明をしてあるそうだ。もちろんその分の代金もちゃんと王家が支払っている。


 だけど実際はヴィクトルさんの暴走で起きた現場の混乱を抑えるために、小隊長さんが独断で指揮を執り、住民たちを使って食糧を『強奪』させたことになる。


 衛士さんたちは王様の直接の家来だ。だからこれは、王家による他家への攻撃ととられかねないらしい。






「?? でも放っておいたら火事で全部焼けてしまうんですよね? 貴族家の人たちはその場にいなかったんだし、むしろ売り物をちゃんと守れたんだから、ありがとうって言ってもいいくらいだと思うんですけど?」


 私の言葉に王様は思わず破顔した。


「それが普通の感覚なのだろうな。だが貴族というのは非常に狡猾で面倒くさい生き物でね。たとえ言いがかりであろうと、相手の弱点を見つけたらそれを最大限に利用しようとするものなのさ。」


 川港に大きな倉庫を持っている貴族家は、ほとんどが王国西方の穀倉地帯に領地を持っている。そして彼らの大半は反王党派と呼ばれる王家に敵対する人たちなのだそうだ。


「今回の事件の顛末は、おそらく反王党派の貴族たちも把握していることだろう。だが表向きには王家、つまり私が非常事態を理由に彼らの食糧を事後承諾で買い取ったという形にしてあるため、彼らは表立っては何もしてこないわけだ。」


 ふむふむ、王様としては他の貴族に攻撃されたくないから、やったことはバレてるけど開き直ってるってことなのか。






「じゃあもし、王都の人たちが勝手に食糧を奪ったっていうことが明るみになったら、どうなるんですか?」


「彼らは徹底的に強奪に関わった人間たちを捕縛せよと追及してくるだろう。その累は衛士隊に留まらず、多くの王都民に波及する。もちろん、私がそれをやりたくないのを承知の上でね。」

 

 そんなことになったら、たくさんの王都民の人たちが処刑されてしまう。それは絶対にダメだよね。


 他にも王家の持っている様々な権益(魔法鉱物の採掘権や魔法薬の販売権)を要求してくるなど、考えたらキリがないほどの弱みを晒してしまうことになるのだそうだ。


 貴族っていうのはとんでもないことを考える人たちらしい。驚く私に王様は説明を続けた。






「さらには衛士隊の暴走を止められなかったことを理由に、倉庫街に自家の領兵を駐屯させるように要求してくる可能性もある。そうなれば、王都の防衛に致命的な弱点を作ってしまうことになるのだよ。それだけは絶対に受け入れられない。」


 同じ国の人なのに敵同士なんてすごく変だ。私がそう言うと王様は「私もそう思うよ」と大きなため息を吐いた。


「とにかく、私が件の小隊長を処刑できないわけが分かったかね?」


「分かりましたよ。小隊長さんを処刑したら、王様の吐いた嘘が貴族の人たちにバレちゃうから困るってことですよね。」


 王様は私の言葉ににっこりと笑い、うんうんと頷いた。






「そういうことだな。法に照らせば彼を処刑しないわけにはいかない。だが彼を処刑すればさらに多くの者を処罰することになってしまう。」


「それは困りましたね。」


 どうすればいいか考えるだけで頭が痛くなってきた。王様が疲れてしまうのも仕方がないと思う。


 考えても分かりそうにないので、私は感じたことをそのまま王様に言った。


「でもやっぱり人が死ぬのはよくないですよ。それにいいことした人が殺されるなんて、そんな法律の方が間違ってると思います。」


 私の言葉に王様はぐっと眉を寄せた。私は今にも王様が泣き出してしまうのではないかと心配になった。






「だ、大丈夫ですか王様!? 私、何か酷いことを言っちゃいましたか!?」


 オロオロする私に王様は何とも言えない優しい表情で笑った。


「いやいやドーラさんの言ったことは本当に正しい。民を守るために作られたはずの法が、守るべき民を苦しめるのはおかしなことだ。私に課せられた大きな課題だよ、それは。」


「王様・・・。」


 王様はしばらく考え込んだ後、私に言った。






「結果として私は彼を釈放した。ただし何の処分もしないのでは、他の衛士隊の者たちに示しがつかない。そこで彼の小隊は解散とし、彼自身は別の役職に就いてもらうことにしたのだよ。」


 小隊長さんは今、カールさんのお父さんが長官をしている王立調停所で、住民の相談を受け付ける係をしているそうだ。小隊長さんは元から街の人たちのそういう相談を受けていたそうで、すんなりと新しい仕事に馴染んでくれたらしい。


 ちなみに名目上は『降格』ということになっているそうですが、役職の『手当が厚い』仕事らしく、実際にもらうお給料は上がったそうです。よかったね。


 私はそれを聞いてホッと胸を撫でおろした。






「それは仕方がないかもですね。でも最終的にみんな無事に収まったみたいでよかったです。」


 すると王様は苦り切った顔でため息を吐いた。


「いや皆、ではないんだ。この処分に不満を爆発させた者がいるんだよ。」


 その人とはこの事件の発端となったヴィクトルさん。彼は「小隊長が辞めちまうなんて絶対に納得いかねえ!」とひどく暴れたらしい。


 彼は王都衛士隊の本部に乗り込んで「小隊を解散させたのは納得がいかない! 俺が最初に突っ走ったのが原因なんだから、俺を殺せ! 代わりに小隊を元に戻してくれ!」と直談判したそうだ。


 そしてそれを断られると、本部の地下にある犯罪者用の独房に入り込み、「処刑されるまで絶対にここを動かない!」と占拠してしまったのだそうだ。






 当然、本部の人たちは彼を引っ張り出そうとしたが、彼は自分をそこから出そうとやってきた人たちを一人残らず叩きのめしてしまったそうだ。


 そこで本部の人たちは作戦を変更した。とりあえず放置することにしたのだ。


 水も食べ物もない独房にいつまでも閉じこもっていることなど不可能。頭が冷えたらそのうち自分から出てくるだろうということになったらしい。


 しかし三日経ち、一週間が過ぎても彼はそこから動こうとしなかった。彼は独房に入り込んでくる虫やネズミを捕らえて食糧とし、石の壁の表面にできる夜露を舐めて耐え抜いたのだそうだ。






 高をくくっていた本部の人たちもこれにはすっかり困ってしまった。小隊長さんが呼ばれ、彼の説得に当たったけれど「俺は小隊長おやじさんが自分の小隊に戻るまで絶対にここを動きません!」と言い張るばかりでまったく効果がなかったという。


 それどころか「王や貴族がおやじさんに無理矢理言わせているに違いない」とますます意固地になってしまったそうだ。


 結局、小隊長さんが「あいつが一度ああなっちまったらもう梃子でも動かない。あいつの気が済むまで居させてやってほしい」と本部の人に交渉し、説得がてら時々食べ物を差し入れているそうだ。王様は深いため息を吐いて、頭を抱えた。






「良くも悪くもヴィクトルは王都民の間では有名な男でね。独房の不法占拠を理由に簡単に殺してしまっては、それこそ民の疑心を呷りかねない。必ず彼の死の真相を突き止めようとする者が現れるだろうからな。」


 王様は苦虫を嚙みつぶしたように顔を顰めた。


「かといって彼の望み通り、正式に処刑するわけにもいかない。理由はさっきドーラさんに話した通りだ。」


 ヴィクトルさんの存在はまさにこの事件の核心だ。扱いを誤れば、それまでの王様たちの苦労がすべて水の泡になってしまう。


 もちろん魔法や薬を使って彼を眠らせ、無理矢理連れ出してしまうという方法なども考えられた。けれどそんなことをしても、結局彼が納得しない限り、同じようなことを繰り返すに決まっている。


 そうこうしている間に彼が反王党派の貴族の手に落ちでもしたら、それこそ目も当てられない事態になってしまう。単純で思慮の足りない彼が貴族たちにいいように操られ、王都民を扇動する未来が簡単に予想できる。


 だから、王様としては彼が今回の処分に納得し、自分から出てきてくれることが一番いい。いいのだけれど・・・。






「意固地な男でね。あれから5か月も経つというのに、頑として説得を受け入れないんだ。それに彼の言い分にも理がないわけではない。むしろ彼を処刑をするのは法に照らせば正しいんだ。だがそれは絶対にできない。私の都合でね。」


 王様は眉間の皺を深くした。


「私が直接説得に出向きたいくらいだが、立場上そういうわけにもいかんしな。ほとほと困っているんだよ。」


 説明し終わって疲れたように肩を落とす王様に私は言った。






「その人は馬鹿ですね。」


「馬鹿!?」


「ええ、そうです。だってそんなことしたって誰も喜ばないじゃないですか。自分だけで満足してそれでいいなんて、そんなワガママ、マリーさんが聞いたらきっとものすごく怒りますよ。」


 王様は私の顔をじっと見つめていたけれど、やがて堪えきれないというようにプッと吹き出し、すぐに声を上げお腹を抱えて笑い始めた。


「我儘、そうか、確かにあいつはバカでワガママだな。」


 ひとしきり笑った後、王様は目の端に溜まった涙を拭いながら私に言った。


「バカでワガママな男をまともに説得しようと悩んでいた私が一番のバカだったよ。バカにはバカなりの方法で対処するとしよう。」


 王様は寂しそうにそう呟くと、少し暗い目をして一人で頷いた。私は直感的に、このままでは彼と王様にとって何か良くないことが起こりそうな気がして、思わず王様に言ってしまった。






「王様、私その人に会ってみたいです。会いに行っちゃダメですか?」


「ドーラさんが? それはいかん。かなり危険な男だぞ。説得に向かった文官たちもことごとく退散させられている。君が行ったら一体何をされるか・・・。」


「大丈夫ですよ。私、結構強いですから。」


 私は渋る王様を説得して、どうにか彼のいるという衛士隊本部の場所を聞きだすことができた。私はこの時、かなり必死だったのだ。


 とにかくこれ以上困ったことにならないうちに、ヴィクトルさんと会って話を聞いてみたい。でないときっとすごく嫌なことが起こってしまう気がする。


 私は王様とヨアンナさんを半ば強引に《どこでもお風呂》で癒した後、《安眠》の魔法で眠らせて二人を寝台に寝かせた。


 そしてまじない師の姿になると、王様の寝室の窓から《飛行》の魔法で空へ飛び出し、青い月明りを頼りに衛士隊本部を目指したのだった。










 衛士隊本部は王城の東側、ドルーア山に繋がる北門の近くにあった。結構大きな建物なので、空からでもすぐに分かった。


 《不可視化》の魔法を使って中に侵入し地下の独房を探す。地下への階段は一つしかなかったのですぐに見つかった。


 独房に通じる扉には鍵が掛けられていなかった。考えてみればこれは当たり前のこと。ここには囚人さんじゃなくて、勝手に入り込んだヴィクトルさんがいるだけだからだ。


 本部の人たちからすればむしろ彼に出て行ってほしいのだから、鍵を掛ける理由がない。当然、見張りの人などもいなかった。






 木の杖の先に《小さき灯》の魔法で明かりを灯し、暗い階段を降りる。突き当りにあった重い木の扉を軽くノックすると、中から荒々しい男の人の声が聞こえた。


「・・・朝飯にはまだ早え。また説得に来た文官か?」


 尋ねてきた声の主がヴィクトルさんだろう。入っていいって言われなかったけど、私は勝手に扉を開けた。たちまち大きな怒鳴り声が私に降ってきた。


「何度来たって俺は絶対にここを動かねえぞ! 早く俺を火あぶりにしやがれ!! さもねえと・・・!」


 彼は入り口に背中を向けて床の上に胡坐をかいていた。でも私の気配を感じるや否やさっと立ち上がって私の方へ振り向いた。それで私は彼の全身を見ることができた。






 まずは汚れきった腰巻だけを身に着けた逞しい肉体が目に飛び込んでくる。彼の背は高い独房の天井に届くほど大きかった。大柄なフランツさんよりもさらに二回りは大きい。


 硬そうな黒い髪も髭も伸び放題で、脂でベト付いている。黒髭に覆われた顔の中に、異常なほどギラギラする大きな目が輝いていた。


 私は杖を軽く掲げ、独房の中を照らした。石壁に囲まれた独房には便器代わりの壺が一つ置いてある他は何もなかった。


「こんばんは。えーっと、ヴィクトルさんですか?」


「その声、女か!? その恰好はまじない師だな?」


 彼は私の姿にとても驚いたようだった。






「そうです。私、ハウル村のまじない師でドーラって言います。」


 彼は私に体をぐっと寄せて、私のことをじろじろと観察した。獣のような彼の匂いが私の鼻をつく。


「そうかいドーラ。幸運の女神様ってわけか。なるほどね。」


 彼はその場にドサッと音を立てて座り込んだ。舌舐めずりしながら私の体をじっくりと眺める。


「私、あなたとお話ししようと思って来たんです。」


 私がそう言うと彼は大きな口を開けて、ニヤリと笑った。






「そりゃあよかった。俺もちょうどお前みたいな女と話がしてえって思ってたんだ。さあ、こっちに来いよ。」


 彼は自分の隣の床をバンバンと叩く。私は彼の隣に座って杖を床に置いた。杖の先に灯っていた光球は天井の辺りに浮かべておく。


「あなたに聞きたいことが・・・きゃあ!!」


 彼は私の体を床に押し倒し両手を頭の上にあげさせると、大きな左手で私の両手首を押さえ込んだ。


「ひひ、可愛い声出しやがる。」


「急に酷いじゃないですか。お話しするって言ったのに。」


「ああ、しようぜたっぷりと『男女の語らい』ってやつをよ。」


 うーん、話が通じない。彼は私の話を全然聞く気がないようだ。






「飯には不自由してなかったが、女には苦労してたんだ。まずは顔を拝ませてもらうとするかな。」


「あ、ちょっと、何するんですか!! それ、大事なものなんですよ!」


 彼は右手で私の半仮面を剝ぎ取るとその場に投げ捨てた。ガブリエラさんからもらった仮面を乱暴に扱われて私はちょっと腹が立ってきた。


「すげえ!! こりゃあ、ツイてるぜ! マジで幸運の女神さまってわけか!」


 私の顔を確認した彼が、子供みたいに嬉しそうな声を上げた。






「あの、服が汚れちゃうんで、放してくれませんか?」


「ああ、いいだろう。物分かりがいいみたいだしな。」


 彼は私の手を放してくれた。でも依然として馬乗りになったままだ。私は体を捻って投げ捨てられた半仮面を拾った。傷や汚れないことを確認してホッと息を吐く。


 大事な宝物が汚されたり壊されたりしないように、私は《収納》の中に半仮面を仕舞い込んだ。






「大人しくしてろよ。女を殴るのは好きじゃねえんだ。本当はもっと仲良くなってから、じっくりやりてえんだが、こんな場所じゃそれもできねえからな。まあ、楽しもうぜ。」


 彼は歯を剥き出して笑うと、私が半仮面を仕舞い込んだことなどお構いなしで私の着ている長衣ローブの留め紐に手を掛けた。そして紐を解きもせずにそのまま引き千切る。


 マリーさんの繕ってくれた長衣を破られて、私はもうすっかり頭に来てしまった。これ以上服を破られてはかなわない。






「話、聞く気ないですね。ちょっと頭を冷やしてください。《安眠》」


 私の服に手を掛けていた彼はそのままの形で深い眠りに落ちた。顔から床に落ちて「ブガッ」っと変な声を出したけれど目を覚ます様子はない。


 鼻血とよだれを流しながら、幸せそうないびきをかいている。想像以上に話が通じない。王様が苦労するわけだ。どうしよう、この人。


 私は体の上に覆いかぶさっている彼の体を「えいっ」と押しのけた。力を失くした彼の体が床の上を激しく転がり壁に激突して止まる。


 ちょっとこぶが出来てるかもしれないけれど、目を覚ます気配はなかった。むしろ何だか嬉しそうな顔をしている。


 立ち上がって長衣の汚れを払い落とした私は、だらしない顔で身悶えする彼を抱え上げると《集団転移》の魔法でその場から脱出した。


 

 








「・・・というわけで、あそこに置いてたら皆に迷惑がかかりそうなんで、連れてきちゃいました。」


 夜明けの少し前、ハウル村北門前の広場にヴィクトルさんを転がしたまま、私はカールさんのところに行き事情を説明した。


 事情を聴いた彼はリアさんと一緒に北門まで来てくれて、だらしなく眠る彼の様子を確認すると私に言った。


「いい判断だと思いますよ、ドーラさん。この馬鹿者のことは私に任せてください。」


「あの、カールさん? もしかしてちょっと怒ってます?」






 私がそう尋ねると、彼はすごくいい顔でにっこりと笑いながら言った。


「安心してください。ドーラさんには怒っていませんから。私が腹を立てているのは、この英雄気取りの馬鹿者に対してです。」


 ・・・いつもの笑顔だけど目が全然笑ってない。昔のガブリエラさんみたいな顔だ。彼にしては珍しくかなり怒っているらしい。


 夜明けと同時に開く北門の開門時間まであと少し。朝市の準備のために集まり始めている行商人さんや夜番の人と交代するためにやってきた衛士さんたちが、私たちの姿を遠巻きに眺めている。


 上り始めた朝日を顔に浴びたヴィクトルさんはハッと目を開け、獣のような素早い動きでその場に起き上がった。






「はっ・・・ここは? あの女神はどこ行った?」


「いい夢が見られたか。」


「てめえは誰だ!?」


 問いかけたカールさんにさっと向き直り身構えたヴィクトルさんは、辺りの様子を確認して怒鳴った。その声を聞きつけた市場の人がビクッと体を震わせる。


 北門にいた衛士さんたちが何事が起きたのかと、槍を持ってその場に駆けつけてきた。カールさんの元に駆け寄ろうとした彼らを、彼はさっと片手で制した。






「ここはハウル村。私はこの地の管理を任されているカール・ルッツ令外子爵だ。」


「ハウル村? それに子爵だと!? 畜生、あのアマ!! 俺に一服盛りやがったな!?」


「私、そんなことしてませんよ。」


「ドーラ!! てめえ、よくも!!」


 カールさんとリアさんの後ろに庇われていた私がひょこッと頭を出して彼にそう言うと、彼は激高して叫んだ。騒ぎを聞きつけた人たちがどんどん集まってきて、広場には人だかりが出来つつある。






「自分の愚かさを彼女のせいにするのは止めろ。」


「何だと!?」


 カールさんの静かな声に怒鳴り返したヴィクトルさんだったけれど、すぐに動きを止め私たちを指さして言った。


「ははーん、さて手前らグルだな! すべてお前の差し金か!!」


「だとしたらどうする。」


「手前をぶちのめして、伸びたテメエの目の前でこのドーラに思い知らせてやるぜ!!」


 うおおっと雄たけびを上げるヴィクトルさん。


 リアさんが「始末しますか?」と小声でカールさんに尋ねたけれど、カールさんは笑いながら黙って首を振った。


 リアさんが軽く頷き、私を守るように私の前へ立ち塞がる。同時にカールさんは前進して私たちから少し距離をとった。






「何をごちゃごちゃ相談してやがるこの×××野郎!! ぺちゃんと叩き潰してやる!!」


 彼が何かを叫んだけれど、リアさんにさっと耳を塞がれてしまったので聞き取れなかった。


 ヴィクトルさんはカールさんめがけてすごい勢いで一直線に飛び込んでくると、大きく腕を振りかぶり思い切り振り下ろした。


 ヴィクトルさんはカールさんよりもはるかに大きい。こうして並ぶと本当に大人と子供くらいの体格差がある。


 巨体に見合わず獣のような俊敏で動きで襲いかかったヴィクトルさんの姿を見て、遠巻きに成り行きを見守っていた行商人さんやおかみさんたちから悲鳴が上がった。


 でも次の瞬間、ヴィクトルさんは背中から地面に叩きつけられていた。石畳に背中から落ちた彼が「ぐうっ!」と苦痛のうめきを漏らす。






 周りで見ていた人たちから驚きの声が上がった。皆、一体何が起こったのかという顔をしている。


 でも私にはちゃんと見えていた。カールさんはほんの僅かな動きでヴィクトルさんの拳を躱すと同時に、彼の足を払い、姿勢を崩した彼の手首を片手で掴んで投げ飛ばしたのだ。


 ただその動きがあまりにも小さく素早かったので、見ていた人たちには立っているカールさんの前で、ヴィクトルさんが勝手にひっくり返ったようにしか見えなかったのだ。






「ほう。流石に頑丈だな。」


「ぐっ!! てめえっ・・・!! もう頭来た! ぶっ殺してやる!!」


 カールさんの静かな声にヴィクトルさんは顔を真っ赤にして再び飛び掛かっていった。でも何度挑んでも、彼の拳がカールさんに届くことはなかった。


 ヴィクトルさんがどんなに俊敏な動きで攻撃しても、次の瞬間には彼の方が地面に転がされているのだ。


 息も切らしていないカールさんに対し、ヴィクトルさんは全身から湯気を噴き上げ、肩で息をしている状態。実力差は誰の目にも明らかだった。






 二人の戦う様子を見ていた見物人の間から「おう、でかいの頑張れ!」「もう少しだぞ!!」というヤジとも応援ともつかない声が飛ぶ。


「どっちが勝つか賭けるか?」


「バカだな。子爵様が勝つに決まってるだろ。賭けにならねえよ。」


「それもそうか!」


 ドッと沸き起こった野次馬の笑い声にヴィクトルさんは歯噛みして悔しがった。額に青筋を立て、髪の毛を逆立ててカールさんに掴みかかるが、またあっという間に転がされてしまう。


 カールさんは倒れ込んだ彼に、静かに語り掛けた。






「もう気が済んだか?」


「ちく・・しょう・・剣さえ・・ありゃあ、こんな奴・・・!!」


 彼は地面に這いつくばったまま、悔しそうに声を上げた。その時だ。


「ルッツ子爵様、何事ですか!?」


 野次馬を掻き分けて新たな衛士さんたちが姿を見せた。騒ぎを聞きつけた南門の衛士さんたちが、応援に駆け付けたのだ。


 その中の一人が持っていた剣を目にした瞬間、ヴィクトルさんはギラリと目を輝かせ猛然とその衛士さんに飛び掛かっていった。






「そいつを貸せ!!」


「うわっ、何をする!?」


 衛士さんの剣を無理矢理奪い取ったヴィクトルさんはカールさんに向き直った。


「へっへ、こうなりゃあもう、こっちのもんだぜ! 謝んなら今のうちだぞ!」


 でもカールさんはヴィクトルさんのことを全く見ていなかった。彼は剣を奪われその場に押し倒された衛士さんをじっと見つめていた。






「馬鹿なことを言っていないで、さっさと来い。」


 カールさんの声の温度がぐっと下がった。私はその声にゾッとする寒気を感じたけれど、ヴィクトルさんはそれにまったく気が付いていないようだ。


「そんなこと言って、本当はブルってんだろう。負け惜しみはよしな!!」


 彼は剣を構えたまま私に向かって怒鳴った。


「おいドーラ、こっちに来いよ。お前が俺のもんになるんなら、こいつの命だけは助けてやる。お前、この男に惚れてんだろうけど、心配すんな。俺がすぐに忘れさせてやるぜ。」


 カールさんがさっと私とリアさんの前に立ち塞がる。ヴィクトルさんはイヒヒと笑いながらゆっくりと私たちの方に近づいてきた。






「ドーラさん、下がっていてください。」


 カールさんがそう言うのを聞いてヴィクトルさんは笑いながら彼に剣を突きつけた。


「おお、やる気か? いいぜ、手前がその気ならこの女の目の前で滅多滅多に切り刻んで・・・やぃてえ!!」


 ヴィクトルさんがおかしな悲鳴を上げた。彼は手首を押さえたまま、自分から剣を奪い取ったカールさんを茫然と見つめた。


「!? 何しやがった!? 幻術か!?」


 カールさんはそれに答えなかった。ヴィクトルさんが剣を突き出した瞬間、カールさんは彼の手首を素早く手刀で打つと同時に、剣身を両手で挟んで彼から取り上げた。


 そのことにヴィクトルさんは気が付かなかったようだ。カールさんはヴィクトルさんの足元に剣を投げ出して言った。






「もう一度だ。」


「はっ?」


「もう一度、機会をやると言ったんだ。拾え。」


 ヴィクトルさんは一瞬躊躇したけれど、すぐに剣を拾ってカールさんに斬りかかってきた。


「ほざきやがれ、クソがぁあああぁ!!」


 だけど次の瞬間にはまた、彼の剣はカールさんの手の中にあった。


「なっ!?」


「もう一度だ。」


 驚く彼にカールさんは剣を差し出し、同じ言葉を繰り返した。






 それから何度も何度も同じことが繰り返された。見物していた人たちも固唾を飲んで成り行きを見守っている。


 カールさんはまた取り上げた剣をヴィクトルさんの足元に投げた。レンガの石畳に剣が転がり乾いた音を立てる。


「はぁ、はぁっ!!」


 真っ青になり肩で息をするヴィクトルさんに、カールさんは言った。


「もう一度だ。」


 彼はカールさんと剣を何度も交互に見つめ、ブルブルと体を震わせた。


「く、くそっ! こうなったら・・・!!」


 彼は大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、体を前に投げ出した。






「すみませんでした! 俺が悪かったです! もう勘弁してください!!」


 彼はカールさんの足元に平伏したまま叫んだ。


「いっそひと思いに俺を斬ってください! お願いします!!」

 

 カールさんは足元に落ちている剣を拾った。ヴィクトルさんは覚悟を決めたようにぐっと目を瞑った。


 でもカールさんはその剣を元の持ち主である衛士さんに返した。茫然とその様子を見つめるヴィクトルさんの前にしゃがみこむと、カールさんは穏やかに彼に語り掛けた。


 




「ヴィクトル。お前が民を思って行動したこと、陛下は高く評価してくださっている。」


「い、いったいな、何を言って・・・?」


 戸惑うヴィクトルさんの肩に、カールさんはそっと手を掛けた。


「今、戦って分かった。お前の力は素晴らしい。お前のその力と民を思う心は、王国のために絶対に必要なものだと私は思う。」


 ヴィクトルさんが大きく目を見開いてカールさんを見つめた。カールさんはそれを正面から受け止め、ゆっくりと頷いた。


「どうか考え直してくれ。もう一度、王都衛士隊に戻り、王国のために力を尽くしてくれないか。この通りだ。頼む。」


 カールさんは平伏する彼に頭を下げて頼んだ。ヴィクトルさんは途端にわなわなと震えだした。そして震える声で絞り出すように言った。






「・・・い、嫌です。」


「そうか、ダメか。」


 カールさんは静かにそう呟いて立ち上がろうとした。でもヴィクトルさんは彼の体に縋りついてそれを押しとどめた。


「はい、ダメです! 俺は王都には戻りません! 俺はあんたに仕えたい! どうか俺をここに置いてください、アニキ!」


「あ、アニキ?」


「俺はアニキに惚れました。腕っぷしだけじゃねえんです。俺みたいなもんにまで道理を説いて、頭を下げてくれる、その心意気に俺は痺れちまった!」


 彼はカールさんの足に縋りながら、震える声で言った。






「俺も本当は分かってたんです。自分がバカやったせいで小隊長おやじさんに取り返しのつかねえ迷惑かけちまったって。」


 彼の両目からは滂沱の涙が流れ落ちている。彼はそれを拭おうともせず、涙声で訴えた。


「でも俺はバカだからそれをどうしても受け入れられなかった。自分の大事な場所を自分で壊しちまったことをどうしても認められなかったんです。でもアニキのおかげでやっと分かりました。」


「いや、しかし・・・。」


「俺の居場所はもう、王都にはねえんです! お願いです、アニキ! 俺をアニキの子分にしてくだせえ!!」


 カールさんは自分の腕の中でおいおいと子供みたいに泣くヴィクトルさんを見て、途方に暮れた顔をした。そんな彼に野次馬をかき分けて近寄ってきたバルドンさんが声を掛けた。






「いいじゃないか、カール。ここで断ったら、それこそ男が廃るというものだ。」


「バルドン兄上! 迂闊なことをおっしゃらないでください!」


 バルドンさんはカールさんの言葉を無視して、ヴィクトルさんに声を掛けた。


「俺は王国衛士隊中隊長バルドン。カールの兄だ。よろしくな、ヴィクトル。」


 ヴィクトルさんは手の甲で涙を拭うと、感極まったように叫んだ。


「アニキのあにさんですか! 流石に分かってらっしゃる! こっちこそよろしくお願いしゃす!!」


「いや、私はヴィクトルを王都に帰すつもりで・・・。」


 カールさんはそう言いかけたが、キラキラした目で自分を見上げるヴィクトルさんの顔を見て、その言葉を飲み込んだ。


 結局ヴィクトルさんはカールさんの下で衛士として働くことになった。こうしてまたハウル村に新たな住民が一人、増えることになったのでした。











 その夜、私は王様のところに《転移》で移動した。ヴィクトルさんのことを知らせようと思ったのだ。


 王様はこの日も起きていて、いつものように執務室で仕事をしていた。でもいつもとは雰囲気が少し違う。王様の顔には張り詰めたような緊張の色があった。


 何かあったのかな? 私はそっと王様に挨拶をした。


 王様は私の顔を見るなり、ハッとした顔で手元にあった紙を隠そうとした。でもすぐに思い直したように動きを止め、私を側の椅子に呼び寄せた。王様が執務室の机の横に私を座らせるのはこれが初めてだ。






「ドーラさん、落ち着いて聞いてほしい。」


「どうしたんですか? 何かあったんですか?」


 王様は少し考え込むような顔をした後、言葉を選ぶようにゆっくりと私に言った。


「西部国境にいるパウロから伝令が届いた。東ゴルド帝室で大規模な騒乱があったそうだ。正確な情報はまだ不明だが皇族の大半が命を落としたらしい。」


「え、それって、どういう、まさかそんな・・・。」






 東ゴルドの帝室と言えばガブリエラさんがお嫁に行ったところだ。彼女は王国と帝国の懸け橋になるべく、故郷を離れたはず。そこで騒乱? 命を落としたって、一体だれが・・・。


 王様は一体何を言ってるんだろう。王様の言葉が心に入ってこないまま、ぐるぐると頭の中で踊っている。


 鼓動が耳の奥でうるさいほど響き、まともにものを考えられない。王様は私の手をしっかりと握った。


「それに伴って、西ゴルド帝国との国境で大きな動きがあったようだ。」


 動き? 何のこと? 茫然とする私に王様は言った。


「詳細は不明だが、両国の間で戦端が開かれた可能性が高い。大きな戦が・・・始まるかもしれん。」

読んでくださった方、ありがとうございました。次回、閑話です。

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