3 再び聖都へ
誤字報告をしていただきました。本当にありがとうござました。以後気を付けます。
私の首の付け根に乗ったエマとなぞなぞ遊びをしながら空を飛ぶうちに、太陽がどんどん動いて頭の真上辺りに来た。それほど長く飛んだつもりはなかったのに、意外と時間がかかったみたいだ。
久しぶりにこんなに長く飛んだし、エマも一緒だったから思ったより時間が早く過ぎたのかもしれないね。私は頭を少し後ろに傾けて、横目でエマに話しかけた。
「そろそろ大陸の端っこの方だと思うよ。一度、雲の下に降りてみるね。」
手を離して寛いでいたエマはこくんと頷き、また皮手袋をして私の鱗をしっかりと掴んだ。私の周りには凍り付くような風がすごい勢いで流れているけれど、エマの周りだけは私が空間魔法で作った《領域》があるので風の影響を受けない。
もし万が一、落ちてしまったとしても《領域》から外に飛び出すことはないから安心だ。それでも私が急に動いたらビックリしてしまうだろうから、向きを変えたりするときにはこうやって声を掛けている。
私はエマが体をしっかり固定したのを確認してから降下し、白い雲を突き抜けた。
「あ、雨が降ってるね。」
エマが呟いたとおり、雲の下は細かい雨が降っていた。私の体を濡らした雨はたちまちのうちに凍り付き、細かい氷の欠片となって飛び散っていく。
私は翼の向きを変えて、ゆっくりと滑空しながら下へ下へと降りて行った。《隠蔽》の魔法を使っているので、相当強い魔力を持っている人以外は、私たちの姿に気が付かないはずだ。
それでも飛び散る氷の欠片までは《隠蔽》で消し去ることができないので、私は地上から見つからないよう慎重に距離を取りながら周囲の様子を確認した。
「お姉ちゃん、あそこに見える白くて大きな街がテレサ様のいらっしゃった聖都だよ。その向こうがヴリトラ様が守っていらっしゃる闇の領域。」
エマが指さしながら教えてくれた。なるほど今まで見たどんな街よりも大きな街が眼下に見える。白に統一された建物が整然と並んでいて、とてもきれいな街だ。その街の西側には黒い瘴気が渦巻く世界がずっと遠くまで続いていた。
魔力で感知してみると、黒い瘴気とこちら側を隔てる半球状の巨大な壁のようなものがあるのが分かる。魔力の感じからして、あの壁を作っているのはどうやらヴリトラのようだ。
でもヴリトラだけでなく、他にも複数の魔力を感じる。多分、ヴリトラの魔力を中心に大きな魔術式を作り、多くの人の魔力を束ねてあの壁は作られているのだろう。
多分、私ならあの壁を壊して向こう側へ行くことができると思う。でもエマがいるからあんまり無理なことはしたくない。私はエマにあの壁を抜ける方法を聞いてみることにした。
「聖都の西の端にある大聖堂の地下に壁を抜けるための門があるんだよ。私が向こう側に行ったときにはテレサ様がその門まで案内してくださったの。」
「なるほど。じゃあその大聖堂ってところに行けばいいんだね。」
エマが大聖堂に行ったときには聖都の上をホウキで飛んで大聖堂まで行ったそうだ。でも今は聖都上空に薄い結界のようなものが張られていた。
「上空からの侵入者を防ぐためだろうね。きっと前に私がホウキで侵入したからじゃないかな。」
そのことを伝えると、エマは申し訳なさそうにそう答えた。薄い結界だから壊すのは簡単だけど、壊したらきっと怒られそうな気がする。私はエマに言った。
「大丈夫だよ、エマ。別に悪いことをしに行くわけじゃないんだもの。一度地上に降りて、正面から歩いて入ればいいよ。」
エマに魔法のホウキに乗ってもらい、《人化の法》で人間の姿に変わった。私たちは《雨除け》の魔法を使って雨を避けながら、二人並んで街の近くまで飛んだ。
街の門へ続く大きな街道には、多くの人や荷馬車が行き交っていた。私たちは人目を避けながら近くの茂みに降り立った。服を着てから《隠蔽》の魔法を解除する。
エマは冒険者装束、私は普段着の上に地味な灰色の魔術師の長衣を纏い半仮面を着けたいつもの姿だ。右手に粗末な樫の木の杖を持つ。ガブリエラさんからもらった全属性の杖もあるのだけれど、あれはすごく目立つので普段はこの木の杖を使うようにしている。
私たちは街道を行く人たちに交じって巨大な城門に向けて歩いた。白い石で整備されたとても美しい石畳を進むと、やがて城門へ入るために列を作る人たちが見えてきた。
「私たちもあそこに並ぼうか、ドーラお姉ちゃん。」
私はエマについて列の一番最後に並んだ。並んでいる人は多いけれど、列の進みはかなり早い。この分ならさほど待つことなく街に入れそうだねとエマと話していたら、急に後ろから声を掛けられた。
「なあ、あんた、まじない師だろう? この子に雨除けのまじないをかけてやってくれないか。」
私たちに声を掛けてきたのは、全身黒い毛に覆われた背の高い男性だった。彼は一見すると直立した狼のように見える。でもちゃんと言葉を話し服も着ていた。
多分、狼人族っていう人じゃないかな。以前、王様からもらった図鑑で読んだことがある。
彼は腕に小さな男の子を抱えていた。男の子はほとんど人間みたいな見た目だけど、硬そうな髪の間からは三角の耳がぴょこんと飛び出している。多分、この男の人の子供なのだろう。
二人は冷たい冬の雨で全身ずぶ濡れになっていた。彼は子どもを濡らさないように毛皮でしっかりくるんでいたようだけれど、その毛皮も雨でぐっしょり濡れてしまっている。男の子の顔は蒼白で、小さな牙が覗く唇も紫色になっていた。
男の人の隣には彼に寄り添うように人間の女の人が立っている。多分、マリーさんより少し若いくらいだと思われる彼女は心配そうに男の子を見つめ、冷たくなったその体を少しでも温めようと懸命になっていた。この人がこの男の子のお母さんに違いない。
私はエマと視線を交わすとすぐに頷きあった。
「すぐにおまじないをかけますね。《雨除け》《乾燥》あと《保温》!」
親子三人にまとめて魔法をかけた。ずぶ濡れになっていた彼らの体が一瞬にして乾く。目を丸くして驚く狼人の男性とその奥さんに、エマが陶器の小瓶を差し出しながら話しかけた。
「あのこれよかったら使ってください。私が作った解熱の水薬です。」
エマは自分で水薬を少し飲んで見せてから、恐縮する母親に無理矢理、薬を押しつけた。
「お、お嬢ちゃんは薬師なのかい?」
「はい。まだ見習いですけど、効き目は確かなはずですから。よかったらすぐに飲ませてあげてください。」
エマにそう言われた母親がポーションを与えると、子供の顔色がみるみる間によくなっていった。
狼人族の夫婦は私たちに丁寧にお礼を言った後、申し訳なさそうに切り出した。
「あんた達にはすごく感謝してるんだが、俺たちにはあまり金が無いんだ。すまない。とても釣り合うとは思えないが、どうかこれで勘弁してくれ。」
そう言って男性は数枚の銅貨を私たちに差し出してきた。私はエマと顔を見合わせ、彼の手の平から一枚だけ摘まみ上げた。彼の銅貨には聖女教の聖印と女性の横顔が刻印されていた。
「一回のおまじないで、こんなにはいただけません。一枚だけもらいますね。」
「その水薬は私が練習用に作ったものなので差し上げます。お気になさらないでください。」
男性は私たちと手の平の銅貨を何度も見比べた後「ありがたい。恩に着るよ。あんたたちに聖女様のお恵みがありますように」と言って、深々と頭を下げた。
私たちはその後、狼人族の男性から話を聞かせてもらった。彼は東の丘陵地帯にある狼人族の集落で暮らしているそうだ。
「聖女様の聖祭を見るついでに、聖都にいる女房の両親に孫の顔を見せに行こうと思って先月、集落を発ったんだ。だけど生憎、聖都が目の前ってところで季節外れの長雨に降られちまってな。しばらくは茂みで雨が止むのを待ってたんだが、この子が熱を出しちまって。それで少しでも早く街に入ろうとしてたのさ。本当に助かったよ。」
「この季節は雨が降らないのが普通なんですか?」
「ああ、雨季は春の終わりから夏の中頃までで、それ以外はほとんど雨が降らないんだ。冬の終わりにこんなに長雨が続くなんて、いったい何年ぶりなんだか。こりゃあ、聖女様の涙雨かもしれねえって、こいつとも話していたのさ。」
私の問いかけに彼はそう答え、奥さんと顔を見合わせて頷きあった。男の子は奥さんの腕の中で安らかな寝息を立てている。私は彼に尋ねた。
「涙雨ってどういうことですか?」
「んん? あんたらはまだ聞いてないのかい。春になったら新しい聖女様の即位式が開かれることになってたんだが、当代の聖女カタリナ様が急にお隠れになったらしいのさ。街道のあっちこっちで教会の先触れが言ってたぞ。だから聖祭の前に葬儀をするんだと。噂じゃあ次期聖女様は今、遠くの国へ外遊中で大急ぎで聖都に向かっているらしいが・・・。」
彼の話によると、ここに並んでいる人のほとんどは聖祭を見るために大陸のあちこちからやってきた聖女教徒たちなのだそうだ。そう言われて見れば、彼の首にも木でできた聖女教の小さな聖印が下がっている。
次期聖女様と言えば他ならぬテレサさんのことのはずだが、彼女は今大陸の反対側のドルアメデス王国で戦災復興に当たっている。どうもどこかで情報の行き違いがあるようだ。私たちがさらに話を聞こうとした時、私たちのやりとりを見ていた周りの人たちが一斉に、私とエマに声を掛けてきた。
「そこのまじない師さんに可愛らしい薬師さん。俺たちにもまじないをかけちゃ貰えねえだろうか? 」
「あたしたちにも《雨除け》を頼むよ! あと肌荒れの軟膏はないかねえ。」
「あんた、《滑り止め》のまじないは出来るかい? 」
人間だけでなく、大きな体をしたトカゲや熊みたいな男性や髪の間から兎の耳を覗かせた女性などがぐいぐい迫ってくる。そう言えば以前、テレサさんが大陸の西側には獣人族の人たちがたくさん住んでいると言っていたっけ。
周囲に押し掛ける人たちに対応するうちに、私たちは狼人族の親子連れとはぐれてしまった。もう少し聞きたいことがあったのにとても残念だ。でも男の子が元気になったのでよかったと思うことにした。
エマと協力して《雨除け》をはじめとするまじないをかけながら少しづつ前に進んで行き、お礼の品(粉の入った小袋や乾燥肉、毛皮、野菜など)を抱えきれないほど持たされた頃、私たちはついに城門の前に辿り着いた。
呆れるほど大きな城門の両脇には、聖職者であろうと思われる人の白い石像が立っている。杖と錫を手にしたこの像が巨大な魔道具であることに、私もエマもすぐに気が付いた。
「・・・なんだか見られてる気がする。」
「私もだよ、お姉ちゃん。侵入者を判別するための魔道具なのかも。」
変な魔力を感じてちょっと気持ち悪いけれど、実害はなさそうだ。私たちは大荷物を抱えたまま、聖都に入ろうとする人たちの身分証を確認している衛士さんのところに向かった。
簡単な質問を受けた後、二人分の通行料の銅貨20枚を払って中に入れてもらうことができた。銅貨はドルアメデス王国のものだけど、ちゃんと使うことができたので少し驚いてしまった。
以前カールさんが、ほとんどの国では交易のためにある程度、お金の重さが揃えられているのだと言っていたのを思い出す。人間の知恵に改めて感心してしまった。
ちなみに通行料は街を出るときに半分返してもらえるそうだ。私とエマは銅貨と引き換えにもらった入城許可証を懐へ大事にしまい込んだ。
街中に入れたものの、大荷物を抱えたままでは動きづらい。魔法の《収納》に荷物をしまうため物陰を探そうと、エマと二人で人通りの多い城門前の広場をきょろきょろ見回す。すると突然、西側の大通りが騒然とし始めた。
広場にいた人たちが悲鳴を上げ慌てて道を空ける。そこを光り輝く白い鎧を着た騎士さんたちが、こちらに向かって走ってくるのが見えた。数十人はいる騎士さんたちの先頭を走っているのは、テレサさんとよく似た服を着た小さな女の子だった。
「あ! エウラリアちゃん!!」
エマが食べ物の一杯に詰まった籠をその場において、女の子に向かって手を振った。あの女の子がエマの話してくれたテレサさんの妹弟子さんらしい。エマが手を振りながら彼女に近づいていったので、私も後を追うためにそちらに向き直った。
「エ、エマさん!? 危険です!! その魔導士からすぐに離れてください!!」
エウラリアちゃんはエマに気が付くとひどく驚いた様子で声を上げた後、強い調子で叫んだ。それに呼応するように彼女の周囲の騎士さんたちが剣を抜いて、私とエマとの間に立ち塞がる。剣を目にした街の人たちが、悲鳴を上げて広場から逃げていった。
「ちょ、ちょっと待って、エウラリアちゃん! その人は私の・・・!!」
エマの言葉が終わる前に騎士さんたちがエマを背中に庇う。背の高い騎士さんたちに囲まれたことでエマの姿が私から見えなくなった。私はエマを救い出そうと抱えていた荷物と杖をその場に放り出した。袋の中から野菜や芋が零れ、濡れた石畳の上に散乱する。
「エマに触らないで!!」
すぐにエマに駆け寄ろうとしたが、私の前に立ち塞がった立派な髭の騎士さんの剣に阻まれてしまった。私は怒りの余り、右手でその剣を打ち払った。剣の刀身が中程から真っ二つに折れ、その勢いで髭の騎士さんは激しく地面に倒れた。
私の怒りに呼応するように体から周囲に魔力が発せられる。それに打たれた騎士さんたちは気を失ってその場にばたばたと倒れていった。私の魔力を正面から受けたエウラリアちゃんも青い顔をして、その場に蹲った。
「ドーラお姉ちゃん、ダメ!! 私は大丈夫だから!!」
私の姿を見たエマが叫びながら駆け寄ってきた。私は夢中になってエマを抱きしめた。エマの体は少し震えていた。私は「怖がらせてごめんねエマ」と謝ってから、しっかりとその体を抱き寄せた。
エマの体温を感じたことで私の気持ちが穏やかになり、それにつれて周囲に発せられていた魔力も徐々に静まっていく。
しかしすぐに後続の騎士さんたちが剣を抜いて私とエマを取り囲んだ。私はエマを守るように抱え込み、彼らを睨みつけた。再び私の中で魔力が荒れ狂い始める。
エマを傷つけようとする相手に容赦するつもりはない。全員消し飛ばしてやる。私が怒りに任せて魔力を解き放とうとした時、蹲ったままエウラリアちゃんが叫んだ。
「剣を引いて下がりなさい!」
騎士さんたちが剣を引き、防御の姿勢をとって一歩下がった。私は魔力を高まらせたまま、油断なく彼らを見つめた。その間に倒れていた騎士さんたちを彼らの後ろに控えていた法服を着た人たちが回収していく。
ピンと張りつめた空気の中、エウラリアちゃんが法服の女性の手を借りてよろよろと立ち上がり、エマに話しかけてきた。
「エマさん、この・・・方は一体何者なのですか? さっきあなたは姉と呼んでいたように思いましたけど。」
エウラリアちゃんは私のことを警戒しながら、エマに尋ねた。エマはこくんと頷いてそれに答えた。
「ドーラお姉ちゃんは私の大切な家族だよ。どうしていきなり剣を向けたりするの?」
エマの問いかけにエウラリアちゃんは戸惑った表情をして、私とエマを何度も見比べた。
「・・・分かりました。何か誤解があったようですね。不用意に剣を向けてしまったことは謝罪します。申し訳ありませんでした。」
エウラリアちゃんが私たちに頭を下げると、周囲の騎士さんや聖職者さんたちがひどく狼狽えた。
「聖女様、信徒の前でこのような者たちに頭を下げるなど、お止めください!」
私が地面に打ち倒した髭の騎士さんがエウラリアさんを押しとどめる。騎士さんは私の方を敵意の籠った目で睨んでいる。私は軽く唸り声を上げながら、彼を睨み返した。
「えっ、聖女様ってテレサ様のことでしょう? エウラリアちゃんが聖女様なの?」
私の腕の中にいたエマがそう問い返すと、エウラリアちゃんは痛みを堪えるように顔を歪ませ、騎士さんはバツが悪そうに視線を逸らした。そしてしばらく逡巡した後、彼女は呟くように言葉を発した。
「テレサお姉様は私に聖女の力を引き継がせた後・・・天に還ってしまわれました。」
「「ええっ!?」」
エマが私と同時に声を上げた。驚きの余り、高めていた魔力が一瞬にして消え去る。私とエマは思わず顔を見合わせた。テレサさんが死んだ? テレサさんはドルアメデス王都に滞在中のはずだ。
私たちがスーデンハーフにいる間に、急に何かが起こったのだろうか?
「え、えっと、それ、どういうこと?」
エマの問いかけにエウラリアちゃんは青ざめた顔で答えた。
「テレサお姉様は捕らえられていた牢獄から脱出し私を救い出すために、《再生》の秘術を使ったのです。」
《再生》とは聖女が自らにしか使うことができない秘術で、自分の肉体を神力に置き換えることで無限の力を得ることができるものらしい。
この状態の聖女は存在そのものが神力で出来ているため、自身の魂の神力が尽きてしまわない限りは無敵不滅となる。魂に記憶された全盛期の状態にまで若返ることも可能で、その力を十全に振るうことができるようになるそうだ。
「高齢の聖女が自身の持つ聖女の力を、次代の聖女に引き継ぐために生み出された秘術なのだそうです。先代の聖女カタリナ様もこの秘術でテレサお姉様に聖女の力をお渡しになりました。本来は術を解除すれば、元の体に戻るはずだったのですがテレサお姉様はひどい傷を負っていらっしゃったので・・・。」
エウラリアちゃんはくしゃっと顔を歪めた。
テレサさんは悪い人たちに捕まって何か月もの間、酷い虐待を受け続けていたらしい。聖女の力を彼らのために使うよう強要されたけれど、テレサさんがそれに応じなかったからだ。
弱り切ったテレサさんの体は《再生》の負荷に耐えきれなかった。彼女は肉体をすべて失ってしまったのだそうだ。それを聞いたエマは顔を青ざめさせ私にぐったりと寄りかかったので、私は慌ててエマの体を支えなくてはならなかった。
「初代聖女様の聖地からお戻りになった後、お姉様は私に聖女の力を託されました。そしてそのまま光の粒になって消えてしまわれたのです。」
エウラリアちゃんの周りにいる騎士さんや聖職者さんたちも沈痛の面持ちでその話を聞いていた。私たちを遠巻きに見守っている街の人たちも心配そうに様子を窺っている。距離があるので話し声は聞こえていないだろうけど、ただならぬ雰囲気を感じ取っているからだろう。彼らは不安そうに囁き合い、視線を交わしていた。
エウラリアちゃんは目の端に溜まった涙を拭うと、私たちの方に向き直った。
「私たちはそれをどうやって信徒たちに知らせるべきか、この冬の間ずっと話し合ってきました。聖女が短い間に二人も続けて天に召されるなど前代未聞です。しかも私は未熟なため、聖女の力をまだ十分に使いこなせないでいるのです。」
聖女は単に聖女教の象徴であるだけではなく、この世界と闇の領域を隔てる結界を維持する役割を持っている。彼女の力ではそれが果たせないのだそうだ。その上、今回の事件で聖都を守護する鐵の乙女団をはじめとする優秀な聖職者たちが多く失われた。そのせいで教会内部は混乱の坩堝にあるという。
「そんな折に聖都を守る結界を信じられないほどの魔力を持つ存在が通り抜けたのです。」
そう言って彼女は私を見た。すわ闇の領域からの侵攻か、はたまた古の邪神が復活したのかと大騒ぎになったらしい。それで彼女は騎士団の精鋭を率いてここに駆け付けたのだそうだ。
・・・それって、間違いなく私のことだよね。私は申し訳ない気持ちになり、そっと視線を逸らした。エウラリアちゃんは私の様子を見て、軽くため息を吐いた。
「でもどうやら私の勘違いだったようですね。やはり私はまだまだ未熟です。こんな時にお姉様がいてくださったら、どんなに心強いか・・・。」
「何をおっしゃいますか、エウラリア様! あなたは幼き身でありながら立派に責務を果たしておられます! そのようなことはおっしゃらないでください!」
さっきまで私と睨みあっていた髭の騎士さんがエウラリアちゃんの細い両肩をしっかりと掴んで言った。彼の言葉に周囲の騎士さんたちも頷いている。必死に唇を噛みしめる彼女を、聖職者さんたちは目に涙を浮かべながら見つめていた。
私とエマは顔を見合わせた。どうにも話がおかしい。テレサさんが聖都から消えたのは2か月以上前。私がまだ光の柱に囚われていた時のことみたいだ。
でもテレサさんは冬の間、ドルアメデス王国で乙女団と共に王都領の復興に当たっていたはずだ。彼女は光の柱が消えた後、私やルピナスと共にハウル村に現れた。
これってひょっとして、私のせい? 私がテレサさんに何かしちゃったんだろうか?
そうやってテレサさんのことを頭に思い描いたら、なんと視界の端にテレサさんの姿がぼんやりと見えてきた。彼女は今、朝食を終えたばかりのようで、ハーレさんをはじめとする乙女団の人たちと片付けをしながら楽しそうに話をしている。これは今のテレサさんの様子?
私が彼女の様子をもっとよく見ようすると、彼女が急にきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「(・・・私を見ているのはドーラさんですか?)」
「え、テレサさん!?」
いきなり頭の中に彼女の声が響き、私は思わず声を上げてしまった。エマやエウラリアちゃんたちが驚いた表情で私に視線を向ける。
「(ああ、その声はやはりドーラさんですね。魔力の感じですぐに分かりました。)」
穏やかな笑顔で彼女はそう話した。と言っても彼女の口は全然動いていない。ハーレさんたちと作業をしながら、私に話しかけてくれているのだ。
「私の声が聞こえるんですか?」
「(ええ、とてもよく聞こえますよ。ドーラさん、お目覚めになったんですね。本当によかったです。)」
ほとんど魔力を使っていないのに、なぜか大陸の反対側にいる彼女と会話ができてしまった。私は今、聖都にいることとエウラリアちゃんたちがとても困っていることを彼女に伝えた。すると彼女は少し考えた後、言った。
「(王都から聖都に向けて伝令を出したのですが、さすがにまだ到着していないようですね。エウラリアには申し訳ないことをしました。ドーラさん、私をそちらに呼んでもらえませんか?)」
「呼ぶ? それ、どういうことですか?」
「(そのままの意味です。多分、家妖精を呼び出す時と同じ感じでいいと思います。)」
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私にそう言った。
シルキーさんは私の魔力で作り出した魔法生物だ。私は屋内であればどこでも彼女を呼び出すことができる。それと同じ感じでテレサさんを呼べばいいのだろうか? 私は半信半疑で魔力を集中させた。
視界の中のテレサさんの体が急に虹色の輝きだした。驚いて駆け寄ってくるハーレさんたちに、テレサさんは心配いらないと言っている。ハーレさんたちが茫然と見つめる中、彼女は光の粒になって天に昇って行った。
同時に私とエマのいる聖都の東門前広場に天から光の柱が降り注いだ。突然の事態に騎士さんたちが剣を抜いてさっと身構える。
光の柱はやがて虹色の光の粒となって寄り集まり、白い法服を纏った長身の女性の姿となった。彼女の姿を見た人々が悲鳴のような驚きの声を上げ、その場に平伏した。
「テレサお姉様!!」
「エウラリア、心配をかけてごめんなさい。」
二人は駆け寄り、互いをしっかりと抱きしめ合った。テレサさんはエウラリアちゃんを慈しむようにその髪をゆっくりと撫で、エウラリアちゃんはテレサさんの存在を確かめるように力の限り縋りついている。
「奇跡だ! 聖女様がご降臨なさった!!」
二人の様子を見た髭の騎士さんが大きな声で叫んだのをきっかけに、その場は歓喜の声と涙で溢れた。テレサさんが天から降臨したという知らせは瞬く間に聖都全体へと広がっていった。
テレサさんはエウラリアちゃんを胸にしっかりと抱きしめたまま、駆け寄ってくる人たちに笑顔で応えていた。私とエマのことはすっかり忘れられてしまったようで、誰一人私たちには見向きもしていなかった。
「(聖地への封印は解除してあります。さあ、今のうちに早く。)」
驚いて私がテレサさんの方を見ると、彼女は私に片目をパチリと瞑ってみせた。私はエマと頷きあうと、熱狂する人々の間を通り抜け聖地への入り口がある大聖堂に向かったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。