28 暗黒竜を訪ねて
すごく長くなってしまいました。二つに切ろうかと思ったのですが、うまく切れなかったのでそのまま投稿します。読みにくくなってしまい、すみません。
聖都で聖女の交代式を見終えた私は、ハウル村へ帰る前に友達の暗黒竜ヴリトラに会っていきたいと皆に相談した。
私の意見にテレサさんは「私も一度、闇の世界へ行ってみたいと思っていたのです」と言って賛成してくれた。でもハーレさんはその言葉を聞いてものすごく驚いた。
「お姉様、闇の世界ってあの『聖女の結界』の向こう側ってことですよね? 大丈夫なんですか?」
彼女は今にも倒れてしまうのではないかと思うほど顔色を失くし、ガタガタと震えている。
不思議に思って彼女に理由を聞いてみたら、聖女教の人たちにとって『聖女の結界』の向こう側は、呪われた闇の種族が住む魔境なのだと教えてくれた。
すると怯える彼女に、テレサさんは穏やかな口調で問いかけた。
「ハーレ、よく思い出してごらんなさい。聖典にはそのようなことは一言も書いてありませんよ。」
「え!? えーっと・・・すみませんお姉様、なんて書いてありましたっけ?」
ハーレさんがてへへと笑ってそう言った瞬間、テレサさんの額にびしっと青筋が立った。
「あ、待って! 待ってください! 思い出しました! 新創世の章『相争う光と闇を分かつため、聖女はその力もって世界を封じた』の部分ですよね!?」
テレサさんの額からすっと青筋が消え、ハーレさんは大きく息を吐いた。ずっと穏やかな笑顔のままで全然表情が変わっていないテレサさんが、逆にちょっと怖いです。
「聖典に書かれているのは『聖女が世界を封じた』というこの一節ですが、いつの間にか前半の『相争う光と闇』の部分が拡大解釈されるようになっていたのですよ。」
テレサさんがちょっと困ったように説明してくれたところによると、聖女と教会の『無謬性』が強調され過ぎた結果、「闇の世界は邪悪な者たちが封じられた暗黒の世界」と信じられるようになっていったのだそうだ。
簡単に言うと「聖女様が封じたくらいなのだからきっと悪い奴らがいるに決まってる」ということらしい。ハーレさんも含めて私たちは「ほおお」って声を上げて感心した。
テレサさんは私やエマににっこり笑った後、ハーレさんに向き直り「あなたには以前話したはずですが、説明が不足していたようですね。ハウル村に帰ったらもう一度じっくりと教えてあげます」と笑顔で言った。
途端にハーレさんは情けない顔でがっくりと項垂れ、「はい、ありがとうございます、お姉様・・・」と力なく呟いた。そんな彼女をエマはすごく気の毒そうな目で見ていた。
そんなやりとりの後、準備を整えた私たちは《集団転移》でヴリトラのねぐらに移動することにした。
彼女のねぐらは黒い森の中に聳える高い山だ。全体が真っ黒い岩でできているこの山からは、絶えず黒い炎と瘴気が噴き出している。私はエマたちが炎や瘴気の影響を受けないように、皆を《領域創造》で作り出した魔力の壁で包み込んだ。
「じゃあ、行きますねー。」
皆に手を繋いでもらい魔法を使うと、風景が一瞬で切り替わる。私たちは切り立った黒い岩壁に囲まれたヴリトラのねぐらに移動した。でも辺りを見回しても彼女の姿はなかった。
「あれ、いない?」
「ヴリトラ様、出かけてるのかな?」
エマと一緒に辺りを探すが近くにいる様子はない。その途中でちらりとハーレさんに目を向けると、彼女は岩に刻まれたヴリトラの巨大な爪跡を見て、ビクッと体を震わせていた。
「東の方にドーラさんと同じくらい大きな魔力を持つ存在がいますよ。」
テレサさんが魔力感知の力を使ってヴリトラのいる場所を探し出してくれた。私は彼女にお礼を言った。
「じゃあ、あの街にいるのかもしれないね。えっと、あの街なんて名前だったっけ?」
「確かイルァツメ様は『聖都マードハル』って言ってたよ、お姉ちゃん。」
イルァツメさんという人は、以前ヴリトラを訪ねたときに出迎えてくれた鬼人族の人だ。この闇の世界のテレサさんみたいな人らしい。
ちょっと聞いただけなのにちゃんと覚えているなんて、流石はエマ。エマは本当に賢くて、可愛くて、頼りになるよね!
再び《集団転移》する前に、私はテレサさんとカールさんに声をかけて具合を確認した。二人は乗り物に酔いやすい性質で、転移魔法の後には気分が悪くなることがあるからだ。
「私は大丈夫です。しかし、テレサ様はもう少し休まれた方がいいのではありませんか。」
カールさんが問いかけるとテレサさんは「ありがとうございます。大丈夫ですよ」と彼にお礼を言った。でもまだ少し顔色が悪いような気がする。
テレサさんの体は、私の魔力で出来ている。つまり《人化の法》で作った今の私の体と同じ状態ということだ。
ただ私は竜の体を無理矢理、魔力で変形させているので、元の体とはだいぶ勝手が違う。力加減がうまくできないせいで、出来ないことがすごく多いのだ。指の細かい動きが苦手なのもそのせいです。多分。
でも彼女の場合は、元の体を十全な状態で再現している。だから食べたり飲んだりすることはもちろん、神聖魔法や魔力感知の力も以前と同じように使うことができるのだ。
そのかわりあまりにも完全に再現しているので、体質などもそのまま引き継いでしまっているらしい。だから乗り物に酔いやすいという性質も変わっていないというわけだ。
ちなみに魔力で出来た体なので、少しくらい飲食しなくてもすぐに弱ることはないみたい。ただずっと食べないでいると「魂が生きていることを忘れてしまう」そうなので、やっぱりある程度は食べる必要があるらしいです。なんだかすごく不思議な感じだよね。
ハーレさんが神聖魔法を使ってをテレサさんとカールさんを癒してくれた。癒しの魔法はもちろんテレサさんも使えるけれど、自分自身が使うよりも他の人に使ってもらう方が効果が高いのだそうだ。
私はハーレさんにお礼を言ってから、再び《集団転移》の魔法を使った。
また風景が切り替わる。聖都マードハルの中央広場にある白い転移門の前に私たちは移動した。たくさんの花やお供えの品が置かれた祭壇の前に現れた私たちに、黒い人影が声をかけてきた。
「やはりドーラとエマであったか! 待っておったぞ!」
「ヴリトラ! ・・・って、どうしたのその恰好?」
《人化の法》で人の姿になったヴリトラは、何とも言えない奇妙な格好をしていた。
体にぴったりした黒光りする革のドレス(?)を着ているのだけれど、なぜかそのドレスのあちこち切れ込みがあり、褐色の肌が露出している。
特にスカートの切れ込みは大きくて、太ももの中程まである長い編み上げ靴を履いた足と、腰骨の下くらいまでしかない丈の短いズボンが完全に見えてしまっていた。
さらには大きな胸を支える上着もすごく小さいので、おへそや胸の谷間が丸見えだ。その上、袖がない。代わりに黒い革の長手袋で腕全体を覆っていた。
しかも服のあちこちに何の役に立つのかわからない金属の輪や鎖、小さなベルトがたくさんついている。
極めつけは全身にごてごてと身に着けた銀のアクセサリー。何というか彼女の姿は、とてつもなく派手でヘンテコだった。
呆れて目を丸くする私たち(赤い顔で視線を逸らしていたカールさんを除く)に、ヴリトラは自信満々の様子で胸を張ってみせた。大きな胸がぶるんと揺れる。
「フフフ、よいであろう? 我が考えた衣装をイルァツメが用意してくれたのよ。」
ヴリトラの隣で頭を抱えていた鬼人族のイルァツメさんは、はあっと大きくため息を吐いた。
「放っておくと、ヴリトラ様が裸でウロウロするからです。他の服を用意しても全然着てくださらなかったじゃありませんか。」
イルァツメさんを守るように立っている鬼人族の衛士さん(?)たちは、苦笑いしながら二人の様子を見ている。
ヴリトラの着ているこの服は、イルァツメさんたちが闇小鬼族の職人に依頼して作らせたものだそうだ。黒い森に棲んでいる魔獣の革を加工したこの服を作るために、彼女たちはとんでもなく苦労をしたんだって。
イルァツメさんが着ている服も体にぴったりしたドレスのような服なので、肌の露出度はヴリトラの服ともさほど変わらない。
けれど彼女の服は生きた植物で出来ているせいか、全然奇妙な感じはしなかった。むしろ輝きを帯びた彼女の赤い肌をより一層魅力的に見せてくれている気がする。
ヴリトラの服がヘンテコに見えるのは、きっと無駄な飾りがいっぱい付いているせいだろう。
二人はここで私たちを待っていてくれたそうだ。私たちが転移魔法で結界を通り抜けたことにイルァツメさんが気が付いたらしい。すごいね!
私はヴリトラとイルァツメさんに、カールさんたちを紹介した。それが終わるとヴリトラが一歩前に進み出て、皆に名乗りを上げた。
「我は名は暗黒竜ヴリトラ。すべての滅びを司り、世界の終末を見届ける者なり!」
体を斜めに傾けて芝居がかったポーズを決めるヴリトラ。すごく満足そうな表情の彼女とは対照的に、カールさんたちはどう反応していいか戸惑ってしまっているようだ。
その変な沈黙を破るように、今度はイルァツメさんが前に進み出て私たちに挨拶をしてくれた。
「ようこそおいでくださいました。ここは聖都マードハル。私はこの聖都を守護する巫女姫の長イルァツメと申します。このような所ではゆっくりお話もできません。どうぞこちらへ。」
私たちは彼女に案内され、広場を横切り北側に伸びる大通りの方へと歩いた。
広場にはたくさんの露店や屋台が建てられていて、その周りをたくさんの人(?)たちが歩き回っている。
一番たくさん見かけるのはイルァツメさんと同じ鬼人族の人たちだ。彼らは人間と同じような体つきをしているけれど、大きさは人間よりも二回り以上大きい。
赤い肌と竜のような細い虹彩の瞳を持ち、額からは角が生えている。男性は左右に2本、女性は額の真ん中に1本だけ。
手足の指には黒くて鋭い爪があり、口からは白い牙が覗いている。女性は男性に比べると牙や爪が少し小さかった。
男女とも毛皮の腰巻や上着など、必要最低限の服しか着ていない。爪があるためか靴を履いている人はおらず、サンダルかもしくは裸足の人が多かった。
イルァツメさんを守る衛士さんも全員が鬼人族の男性だ。長い金属製の棍棒とおそろいの革の防具を身に着けた彼らは、鬼士隊っていうのだとイルァツメさんが私に教えてくれた。
鬼人族と同じくらいいっぱいいるのが、犬人族の人たちだ。彼らの見た目ははっきり言って直立した犬そのもの。
どの人も同じような形の短いズボンと上着を着ているので、一見しただけでは男女の区別は全く分からない。私がそのことを尋ねると、帽子をかぶっているのが成人男性ですよとイルァツメさんが教えてくれた。
ちなみに子供の性別はイルァツメさんでも見分けが付かないそうです。
成人した犬人族の身長はエマの胸くらいの高さだ。露店や屋台で肉や魚、野菜などを売っているのはほとんどが犬人族の人だった。彼らは聖都の外に広がる草原に集落を作り、そこで農業や狩りをして暮らしているんだって。
あんな犬みたいに丸っこい手でよく物が掴めるなあと思ってよく見てみたら、普通の犬よりほんのちょっと指が長かった。親指や肉球もちゃんとある。実は見た目以上に器用な人たちらしいです。
鬼人族や犬人族よりも数がぐっと少ないけれど、不思議な存在感があるのは妖鬼族の人たち。
彼らの大きさはさまざまで、鬼人族よりも大きい人がいるかと思えば、犬人族とほとんど変わりないほど小さい人もいる。でも共通しているのは全員が、フードのついた長衣で全身を覆い隠しているということだ。
妖鬼族は別名『無貌の一族』と呼ばれていて、自分の体の大きさや作りを環境に合わせて変化させることができるのだそうだ。だから住んでいる場所によって様々な見た目の人がいるらしい。
ただ一族共通の弱点として日光が苦手なので、昼間はああやって姿を隠しているんだって。また非常に強い魔力を持っているのも特徴で、闇の世界の神官や巫女などは妖鬼族出身の人が多いそうだ。
夜になったら姿を見られるらしいので、今度は夜に遊びに来ようと思う。
その他にも緑色の肌をした闇小鬼族、豚の顔をして筋肉質な体つきをした豚鬼族、蜘蛛の胴体に女性の上半身を持つ蜘蛛人族、半鳥半女の妖鳥族など、様々な種族の人たちが互いに物を売ったり、買ったりしていた。
人間は一人もいない。けれど広場の様子を見る限り、やっていることは人間たちとほとんど変わりがないように、私には思えた。
エマやテレサさん、それにカールさんも(内心はともかく)別に彼らの姿を見て恐れるようなことはなく、とても落ち着いている。
ただハーレさんだけは気の毒なほど青い顔をし、震える手で胸の聖印をしっかりと握りしめていた。かなりこの街の人たちのことを怖がっているみたい。無理やり連れてきたりして、ちょっと気の毒なことをしちゃったなと反省してしまった。
通りを歩いていくと、イルァツメさんとヴリトラの姿を見た人たちがさっと道を開け、軽く頭を下げて二人を見送っていく。その後ろを歩く私たちの姿を、街の人たちは恐ろしいものを見るような目で見つめていた。
ハーレさんが街の人を怖がっているように、街の人も私たちが怖いのかもしれないね。私、怖がられるのはイヤだなあ・・・。
出来ればこの街の人たちとも仲良くなりたい。イルァツメさんや鬼士隊の人たちは私たちのことを怖がっている様子がないから、この街の人たちも私たちの姿にもっと慣れてくれれば、今より仲良くなれるかもしれないね。
大通りを北に向かって歩いていくと、すぐに真っ黒な木々の森が見えてきた。大きい木が多いけれど、ハウル村の周りにあるオークの木ほどの高さはない。せいぜい二階建ての家くらいの高さだ。
ただその太さはオークの木とは比べ物にならないほど太い。よく見れば木々の真っ黒い幹は複雑にねじくれた形をしている。おそらく長い年月をかけて、隣り合った木々が互いに絡み合うように成長したのだろう。
私たちが木に興味を持っているのが分かったのか、イルァツメさんがこの木のことを教えてくれた。
「これはヤミリンゴの木ですよ。この聖都を守る聖樹なのです。」
彼女によると、この聖都マードハルの北側はすべてヤミリンゴの森になっているのだそうだ。大切にされているから、こんなに大きく育ったのだろう。
森の入り口まで来ると彼女は鬼士隊の人たちに「あなた方はここまでで結構です。街での仕事に戻ってください」と言い、彼らを労ってから街へと帰してしまった。
「ここから先は巫女姫のみが入れる聖域となります。さあ、こちらへ。」
イルァツメさんはそう言って、森の中に作られた小道を辿ってどんどん歩いていった。森の中はヤミリンゴの幹や枝、それに根が作る天然の迷路のようになっている。
ぐるぐると歩き回るうちに、私はすぐにどっちに向かって歩いているのか分からなくなってしまった。
ヤミリンゴの新緑が木漏れ日に輝き、若葉の爽やかな香りが漂う中を歩いていくと、やがて黒い森が開け、目の前が急に明るくなった。
「なんて大きな木・・・!」
私の隣でエマが思わず息を呑んでそう呟くのが聞こえた。私たちの目の前に聳えているのはお城の城壁よりもずっと高いヤミリンゴの巨木だった。そしてその根元にはイルァツメさんと同じ植物で出来た服を着て、木の杖を持った8人の女性たちが立ち並んでいた。
肌の色や体の大きさがそれぞれに異なる女性たちは、私たちの前に跪いた。イルァツメさんもその中に加わり、跪いて私を見上げた。
「荒ぶる古き神。そして盟約により分かたれたかつての同胞の皆様。ようこそ巫女姫の聖域へ来てくださいました。」
木漏れ日が彼女の目の端に浮かんだ涙を輝かせる。彼女は感極まったように、震える声で言葉を続けた。
「永き時を越え、皆様をこの聖域へお招きできたこと、本当に嬉しく思います。これが再び二つの世界を結ぶ契機とならんことを、巫女姫の長として私は切に願います。」
古き神? 盟約? 一体何のことだろう? 古き神って私のことかな? でも私、神じゃなくて竜だし・・・。
私は訳が分からず後ろにいるテレサさんたちを振り返った。でもイルァツメさんの言葉に戸惑っているのは私だけではなかったようだ。皆、どうしてよいか分からないという顔をしている。
するとヴリトラが堪りかねたように声を出した。
「堅苦しい挨拶はそのくらいでよかろう、イルァツメ。客人をいつまでも立たせておくのも無礼というもの。込み入った話は奥でゆっくりすればよい。別にこの出会いがこれで最後というわけではないのだからな。」
その言葉にイルァツメさんはこくんと頷いた。
「そうですね。ヴリトラ様のおっしゃる通りです。でも、これでやっと歴代の巫女姫たちの悲願が達成されるのかと思うと、つい感傷的になってしまって・・・。お待たせしてすみませんでした、皆様。」
手の甲で涙を拭きながらイルァツメさんは立ち上がった。彼女に続いて他の巫女姫たちも立ち上がる。
「さあ、皆様こちらへ。」
彼女は私たちをヤミリンゴの裏側へと案内してくれた。
大樹の裏側は小さな広場のような場所だった。木の根が絡み合ってできた平らな床には、ふかふかと柔らかい苔が一面に生えていて、まるで毛足の長い絨毯の上を歩いているみたいな感じがする。とても気持ちがいい。
広場の真ん中には、木の根の一部が盛り上がってできた円卓と腰掛があった。私たちがそこに座ると、青白い(というより薄い水色の)肌をした巫女姫さんが素朴な素焼きの器に入った飲み物を出してくれた。
街では見かけなかった種族の人だけど、彼女はもしかして妖鬼族の人だろうか?
器の中には薄い金色をした透明な液体が入っている。すごく甘い香りがして美味しそうだ。
「ヤミリンゴの実の搾り汁から作った酒を今朝集めたばかりの朝露で薄めたものです。どうぞお召し上がりください。」
勧めてくれたイルァツメさんにお礼を言って、私とエマは飲み物を口にした。口に含んだ瞬間、まるで春の花畑の中に寝ころんだかと思うほどの濃密な花の香りが広がった。
「なんていい香り! それにすっごく甘い!」
蜂蜜大好きなエマがぱあっと顔を輝かせた。この飲み物は濃縮した蜂蜜のような強い甘みがある。それなのに口当たりはサラサラしていて、とても飲みやすい。
お酒を薄めたとイルァツメさんは言っていたけれど、酒精の香りはほとんどしなかった。これならいくら飲んでも酔っぱらわなくてすみそうです。
私とエマが飲んだのを見て、カールさんとテレサさんが飲み物を口にした。最後にハーレさんが恐る恐る一口飲んだ。
ハーレさんは驚きに目を見張った後、手にした器の中身を一気に飲み干し、はあっと満足げなため息を吐いた。その直後、ちょっと物欲しそうな顔で空の器に目を落とす。
「気に入っていただけたようですね。お代わりはいかがですか?」
「は、はい、いただきます! ありがとうございます。」
水色の肌をした巫女姫さんがにっこり笑って、手にした水差しからハーレさんとエマの器にお代わりを注いでくれた。私の見ていないうちに、ちゃっかりエマも飲み干していたらしい。
美味しいものを口にしたせいかハーレさんを始め、他の皆も緊張が取れたようで少し表情が柔らかくなった。
ヴリトラは「我には薄める前のヤミリンゴ酒を出してくれ!」と別の巫女姫さんに空になった器を差し出していた。
一通り、飲み物を口にして落ち着いたところでヴリトラは芝居がかった調子で私たちに尋ねた。
「それで今日はどのような用件じゃ?」
私たちは聖女の聖祭を見物した後、ついでにヴリトラに会いに来たのだと告げた。
私が華やかな街の様子を、エマが神秘的な儀式の光景について話すと、彼女はみるみる情けない顔になっていった。そしてしまいには、円卓をバンと叩いて立ち上がり叫んだ。
「ずるい! どうして私を呼んでくれなかったのよ、ドーラちゃん!! 私もその聖都を見に行きたい!!」
さっきまでの芝居がかった口調はすっかりどこかに行ってしまい、昔のようなしゃべり方に戻っている。
私が彼女に返事をする前に、イルァツメさんが彼女に向かって呆れた調子で言った。
「何をおっしゃっているんです、ヴリトラ様。勝手に結界を抜け出して、後片付けにあれだけ苦労したのをもう忘れたんですか? 壊れた結界を修復するのに巫女姫たちが総出で何日もかかったのですよ。」
ヴリトラは「だって、しょうがないじゃない」と言って、ぷうっと頬を膨らませた。少し離れたところから私たちを見守っていた他の巫女姫たちは、苦笑しながらそんな彼女を見つめている。
大儀式神聖魔法《裁きの光》に囚われた私を救うため、ヴリトラはこの闇の世界を隔てる結界を無理矢理越えてハウル村へやってきてくれた。
そのおかげで私は助かったのだけれど、どうやらその後はすごく大変だったらしい。ヴリトラを結界の外に連れ出したエマは、とても申し訳なさそうにイルァツメさんに謝った。
「すみませんでした、イルァツメ様。」
「いえ、あなたのせいではありませんよ、荒ぶる神々の愛し子。悪いのは私に黙って出かけて行ったヴリトラ様なのですから。」
そう言われたヴリトラは握りしめた両手を振りながら、彼女に抗議した。
「私だって、ドーラちゃんみたいにあちこち出かけたいんだもん!!」
「行けばいいではありませんか、闇小鬼族の黒の森でも、豚鬼族の海上都市にでも。ヴリトラ様の翼なら、すぐに行けるでしょう?」
「闇の氏族の国はもう飽きたんだもの。私がこの世界をどのくらい守ってると思ってるの?」
「そんなこと言って、お役目を投げ出そうとしても駄目ですよ。盟約があるのですから。」
ヴリトラはがっかりしたように腰掛に座り、諦めきれない様子でぶつぶつと小声で文句を言った。
私とエマは彼女に買ってきたお土産(装身具やお酒、絵物語の本など)を見せ、慰めた。それでヴリトラは少し機嫌を直してくれた。
エマの選んだ絵物語に夢中になっているヴリトラに、カールさんが立ち上がってお礼を言った。
「ヴリトラ様、ドーラさんを救うために力を貸してくださって本当にありがとうございました。ドルアメデス王国民を代表して、お礼を言わせていただきます。」
彼に続いてテレサさんも立ち上がった。口を開けて成り行きを見守っていたハーレさんも慌てて立ち上がる。
「私からもお礼を言わせてください。今回、ドーラさんを危険な目に遭わせたのはすべて私の不徳の致すところです。お力を貸していただき、本当にありがとうございました。」
礼をする三人にヴリトラは一瞬目を上げ、「うん」と鷹揚に頷いてすぐにまた手元の絵物語の本に目を落とした。
でも「ん?」と首をかしげると何かに気付いたようにすぐに立ち上がり、テレサさんにつかつかと歩み寄って、ふんふんと彼女の匂いを嗅ぎ始めた。
「あなた、ドーラちゃんと同じ匂いがするわね。なんで?」
テレサさんは私の《人化の法》で失った肉体を取り戻したのだということをヴリトラに説明した。それを聞いたハーレさんは「えっ、ドーラさんも竜だったんですか!?」って呟き、驚いた顔で私の方を見た。
私が彼女に「隠しててごめんなさい」と謝ると、彼女は「いえ、それはいいんです。あなたが人間じゃないのは知ってましたから。これでやっといろいろなことが分かりましたよ!」と安心したように大きく息を吐いた。
彼女は私のことを蘇った太古の魔神か何かだと思って、少し警戒していたのだそうだ。それはちょっとだけショックです・・・。
テレサさんの説明を聞いたヴリトラは真剣な表情でじっと何かを考えていたけれど、やがてハッとしたように顔を上げ、イルァツメさんに言った。
「ねえ、イルァツメ。あなた以前、魔力で分身を作る方法があるって話してたわよね?」
「はい。太古の巫女姫の長が不死の軍勢との戦いで肉体と魂の繋がりを失った時、聖樹を依代として魔力で一時的に仮初の肉体を得たという伝承があります。それこそヴリトラ様が盟約を結ばれる直前のことだったと思いますよ。」
ヴリトラはそれを聞いてたちまち顔を輝かせた。
「それよ! 私も魔力で分身を作ればいいんだわ! 本体が結界内に居れば結界を守る『消滅の瘴気』に影響は出ないはずだもの。そうでしょ?」
「それは・・・まあ、確かにそうですね。それならば結界の影響は出ないでしょうけど・・・。」
「いいじゃない!! 早速試してみたいわ。私、竜の姿に戻るから。イルァツメ、力を貸してちょうだい。」
その場で服を脱ごうとしだすヴリトラを、イルァツメさんが慌てて押しとどめる。
「お待ちください、ヴリトラ様!!」
「何よ? また裸でうろつくなって文句を言うの?」
「違いますよ。今、ヴリトラ様が竜に戻ってしまったら聖樹が傷ついてしまいます!」
確かに彼女の言う通りだ。竜の姿の私やヴリトラがうっかり踏んづけでもしたら、この聖樹はあっという間に折れてしまうだろう。いくら聖樹が大きいとは言っても、私たちに比べたら片足の半分くらいの大きさだからね。
「えー、じゃあ一度ねぐらに帰る。参考にしたいから一緒にドーラちゃんとそこの白い人も一緒に来て。」
彼女の言葉を私は訂正した。
「ヴリトラ、白い人じゃなくてテレサさんよ。ちゃんと名前を憶えてね。」
「あ、ごめんね。テレサ、一緒に来てくれるでしょう?」
問いかけられたテレサさんはハーレさんが何か言おうとするのを押しとどめて、笑顔で答えた。
「はい、もちろんです。喜んで協力させていただきます。」
「ドーラさんとテレサ様が行かれるのなら、私も参ります。」
「お、お姉様が行くなら私だって行きますよ!」
カールさんとハーレさんも一緒に行くと言ってくれた。もちろんエマは最初から私と行くつもりでずっと手を握ってくれている。
「それなら私がみんなを《集団転移》の魔法で連れて行くよ。」
私は皆に手を繋いでもらい、魔法を使った。まずは《領域》で魔力の壁を作ってエマたちを守り、次に《集団転移》を使う。
あっという間に風景が切り替わり、ヴリトラのねぐらである黒い山の岩棚に移動した。急激な移動で少し具合が悪くなってしまったテレサさんとカールさん、それにイルァツメさんに、ハーレさんが癒しの魔法を使ってくれた。
皆が回復したところで、ヴリトラが私に言った。
「転移魔法、便利よねー。私、練習したんだけどまだうまくできないんだ。」
「人間の魔術は、竜たちとは魔力の使い方が違うからねー。」
ヴリトラはまだ詠唱魔法が苦手みたいだ。私も最初は慣れるまで結構時間がかかったから、その気持ちはすごくよく分かる。
「じゃあ、早速始めよう。私、竜に戻るね。」
ヴリトラはそう言うなり、自分の着ている上着をさっと取った。彼女の大きな胸が上着からこぼれてたぷんと揺れる。
その途端、カールさんは慌てて後ろを向き、エマは両手で自分の目を隠した。
「ちょ、ちょっとヴリトラ!!」
私がヴリトラを押しとどめようとするのと同時に、イルァツメさんがさっと杖を掲げて《闇の壁》の魔法を使った。ブリトラの周りに黒い壁が出現し、彼女の姿をカールさんたちから覆い隠した。
「我らの神が大変失礼なことを。本当に申し訳ありません。」
イルァツメさんが恐縮した様子でカールさんたちに謝る。カールさんは少し赤い顔をして「いえ、お気になさらずに」と言った。
私はテレサさんとハーレさんにお願いして、一緒にヴリトラの服を脱がせた。彼女の服は飾りがたくさんあるので、脱がせるのはとても大変だった。
裸になったヴリトラが《人化の法》を解除すると、彼女の姿が黒い光と共に巨大化していき、竜の姿に戻った。
彼女の翼で太陽の光が遮られ、岩棚が闇に包まれる。彼女の本当の姿を間近で見たハーレさんは、へなへなとその場に座り込み、テレサさんに助け起こされていた。
「依代にはこれを使おうと思うんだ。」
そう言って彼女が爪で岩の隙間から摘まみ上げたのは、エマの3倍はあろうかという巨大な牙だった。これは抜け落ちたヴリトラの牙に違いない。
竜たちの牙や角、爪、鱗などは定期的に生え変わるのだ。私のねぐらの隅にもいっぱい転がっている。
以前、目立つところにあるのは少し片づけて《収納》したのだけど、なにしろ量が多いからね。大半はそのままになっているのです。
「この間、抜けたのをそのままにしてたんだよね。イルァツメ、私の魂とこの牙を繋ぐのを手伝ってくれる?」
「分かりました。」
ヴリトラはねぐらの隅に蹲り、顔の前に自分の牙を置いた。イルァツメさんが牙とヴリトラ、両方に手を当てて魔力を流し始める。こうしてみるとイルァツメさんはヴリトラの顔の鱗一枚分くらいの大きさしかないのが分かる。
程なく牙とブリトラの体が緑の光を放ち始めた。牙はともかく巨大なヴリトラの体を魔力で包み込むなんて、イルァツメさんさんはとんでもない魔力を持っているようだ。
テレサさんとエマは真剣な表情で、その様子を見つめていた。
「ドーラちゃんとテレサさんも手を繋いでくれる?」
ヴリトラに言われるまま、私たちも手を繋いだ。ヴリトラはその私たちをじっと見つめた。魔力の目で私とテレサさんの魔力の繋がり方を見ているのだろう。
彼女は蹲ったまま、ゆっくりと《人化の法》を詠唱し始めた。
《猛き翼を覆い隠し、輝く鱗を柔肌に転じ、今、神の似姿を創造せん。人化の法!》
最後の部分をちょっとだけ変えた詠唱が終わると、竜の姿のヴリトラはスッと目を閉じた。それに続いて彼女の牙が黒い光を発しながら形を変えていく。見る見る間に牙は人間姿のヴリトラへと変化していった。
分身体のヴリトラがゆっくりと目を開ける。彼女の胸の真ん中に手を当てていたイルァツメさんがガクッと崩れ落ちそうになるのを、彼女がさっと支えた。
「大丈夫、イルァツメ?」
「・・・流石にヴリトラの魂を扱うのは骨が折れました。少し休ませてくだ・・さい・・。」
イルァツメさんはヴリトラの腕の中で気を失ってしまった。魔力が枯渇してしまっているようだ。
すぐに事情を察したエマが、私の作った魔力回復薬の瓶を《収納》から取り出し、僅かに彼女の開いた唇にそっと当てた。彼女はそれを反射的に飲み下した。
たちまち冷え切っていた彼女の赤い肌に温もりが戻り、乱れていた呼吸が少し穏やかになる。ヴリトラはホッとした表情でエマに礼を言い、その場に座って、イルァツメさんの体を大切なものを扱うようにそっと抱きしめた。
しばらくするとイルァツメさんは意識を取り戻した。ヴリトラの大きな胸に顔を寄せたまま、彼女は囁くように言った。
「うまくいったみたいですね、ヴリトラ様。」
「あなたのおかげよ、イルァツメ。本当にありがとう。」
ヴリトラが仲間の竜にするように彼女の耳元に顔を寄せ、首筋をそっと舐める。イルァツメさんは気持ちよさそうに目を瞑った。エマとカールさん、それにハーレさんは、頬を赤くしてそっと二人から視線を逸らした。
私はヴリトラの本体を見ながら、彼女に言った。
「分身体を動かしてる間は、本体は眠っちゃうみたいね。」
ヴリトラの竜の本体は穏やかな寝息を立てている。動く気配は全くない。体が二つあっても、それを動かす魂は一つしかないからだろう。
「ヴリトラ様、戻ることは出来るのですか?」
エマが心配そうに聞くと彼女は「うん、もちろん」と少し笑い、イルァツメさんを畳んである自分の服の上に横たえると、そっと目を瞑った。
目を瞑った分身のブリトラの姿が瘴気の様に掻き消えると、本体の彼女が目を開いた。そしてまた本体が目を閉じると、今度は分身の彼女がその場に再び現れた。
どうやら一度分身を作ると、それを自由自在に出し入れできるようになるみたい。うん、これはすごくいいね!
その後、彼女に聞いてみたところによると、分身体は《人化の法》で人間の姿になっている時と同じように動かすことができるそうだ。
ただし本体を変化させた場合と比べると、力は大分弱くなってしまうし魔力もうまく扱えないらしい。
でも力に制限があるとはいえ、これはすごく便利な術だ。私にも出来るかな。今度、練習してみようっと!
起き上がれるようになったイルァツメさんは、エマに回復薬のお礼を言った。皆に手伝ってもらって服を着たヴリトラはワクワクした顔で彼女に尋ねた。
「ねえ、イルァツメ。これなら遊びに行ってもいいでしょう?」
イルァツメさんはしばらく考え込んだ後、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。
「・・・まあそう、ですね。でも、くれぐれも盟約に反するようなことはなさらないでくださいよ。」
「分かってるわよ! やったー!! ドーラちゃんのところに遊びに行けるわ!!」
ヴリトラは両手を挙げて私とエマに抱き着いてきた。彼女が心から喜んでいるのがその表情から伝わってくる。私も人間姿の彼女と遊べるのがすごく楽しみです!
すべてが無事に終わってふと気が付けば、もうすっかり日が傾き西の空がだんだんと赤みを帯び始めていた。
私はヴリトラたちにハウル村に帰ることを告げた。例の派手でヘンテコな黒衣に身を包んだヴリトラは、夕日を背に不思議な、でもちょっとかっこいいポーズを決めながらエマたちに言った。
「実に有意義な時間であったぞ。そう遠くないうちに、今度は我の方から訪ねて行く。それを楽しみに待っておるがよい。」
「はい、お待ちしております、ヴリトラ様。」
イルァツメさんはヴリトラが聖都まで連れて帰ると言ったので、私たちは《集団転移》でハウル村に戻ることにした。
別れ際、イルァツメさんとヴリトラは、まるでエマと私みたいに体をぴったりと寄せ合いながら、私たちに手を振ってくれた。口ではいろいろ言っていたけど、あの二人はお互いのことをとても大切に思っているようだ。
今回、ヴリトラとイルァツメさんに会ったことで、また知りたいことがいっぱい増えた。闇の世界のことや結界のこと、そして二つの世界の盟約のことなどだ。
聖都マードハルにもまた遊びに行きたいし、分身を作る魔法も練習したい。楽しいこと、やりたいことがたくさんあって、本当にワクワクする。
でも今はエマと一緒に夕ご飯を食べることが、まず何よりも大事だ。私はテレサさんとハーレさんを東ハウル村の教会に送り届けた後、カールさんの家の前で彼と別れた。
そしてエマと手を繋ぎ、今日一日の出来事を話しながら、夕焼けの照らす水路脇の小道を辿って楽しく家路についたのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。読み返してみたら、話の中身がないのに設定を垂れ流し過ぎですね。次はもっとうまく書きたいです。