27 聖女の聖祭
だらだら書いてたら、少し長くなってしまいました。読みにくくてすみません。
夏の最初の月が始まった。収穫を目前に控えた麦の穂が、川面を滑る涼しい風に吹かれて揺れている。
歓楽街の復興工事は今のところ順調だ。私もエマと一緒に、毎日のようにお手伝いに行かせてもらっている。
ただ王都での工事はハウル村と違い、材料を運んでくるのにものすごく時間と労力がかかる。ハウル村みたいに近くに森がないからだ。
だから私は人気のない時を見計らって、資材置き場にこっそりと材料を足させてもらっている。ハウル村で加工した木材や石材を《収納》から取り出して、知らんぷりして並べておくのだ。
他の人には内緒だけど、一応ペトラさんにだけは許可を取っている。私が材料を届けたいと相談したら、彼女は苦笑いしながら「材料の数が帳簿と違うと困るから後でちゃんと教えておくれよ」と言ってくれた。
実際の作業に当たる人たちはちょっと不思議がってはいるものの、今のところは私がやっているとは気が付いていないみたい。材料の運搬や大工仕事にはたくさんの人が関わっているので、意外と気が付かないみたいです。
手伝いをしているうちに私もエマもすっかり歓楽街の子供たちや職人さんたちと馴染んで、今ではとても仲良しだ。
ただオイラーくんだけは陰からこっそりこちらの様子を伺うだけで、なかなか顔を見せてくれなかった。
私やエマと目が合うと、いつもすごい勢いで逃げ出しちゃうんだよね。それでも少しずつ近くに寄ってきてくれているみたいなので、距離は(気持ちの上でも、実際の長さの上でも)縮まっている気がする。
工事が終わるまでには、もっと仲良くなれるといいなあ。
そんなある日のこと、私は突然テレサさんから話しかけられた。新しく建てられたフランツ家の台所で朝食の準備を終え、皆でテーブルに着こうとしている時のことだ。
「(ドーラさん、ちょっとよろしいですか?)」
心の中に響いたテレサさんの声と共に、視界の端に彼女の姿が浮かび上がる。驚いて話を聞いてみると、聖女を代替わりさせるための聖祭の準備が出来たから、皆で見物に来ませんかというお誘いだった。
早速、皆で相談し私の他、エマ、カールさん、それにテレサさんの妹弟子でハウル村の現司祭ハーレさんも一緒に行ってくれることになった。
その日の夜、私はカールさんに頼まれて王様へ手紙を届けた。カールさんが自分の管理地であるハウル村を離れて、他国に行くための許可をお願いする手紙だ。
手紙を読んだ王様は快くそれを許可してくれて、王家の紋章が入ったきれいな手紙を私に託してくれた。私は王様から頼まれた通り、その手紙をカールさんに渡した。
カールさんは手紙に添えられた覚書を読んで、ちょっと緊張した顔をしていた。彼が言うには王様から聖都への『外交使節』に任命されたらしい。
外交使節っていうのは王様の代わりに他の国へ挨拶をしに行ったり、手紙(親書っていうんだって)を届けたりする役なのだそうだ。
気軽に遊びに行くつもりだったのに、何だか大事になってしまって、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになってしまった。
翌日、準備を整えた私たちは《集団転移》で聖都の側にある小さな林へと転移した。少し離れたところにある聖都の門には長蛇の列ができていた。聖都を囲む白い城壁の上で、たくさんの旗やのぼりが風に吹かれているのが見える。
ハーレさんが「あれは聖祭に招かれたいろいろな国や部族の旗ですよ」と教えてくれた。
私たちは彼女の案内でたくさんの馬車や人が並ぶ列を避け、大きな正門の横にある小さくて立派な門に向かった。
門を守る白い鎧の騎士さんたち(確か神聖騎士っていう人たちだ)にカールさんが代表して名前を名乗ると、「テレサ様より伺っております。どうぞこちらへ」と言って、私たちを案内してくれた。
今日のカールさんはいつもよりも立派な服を着て、その上に装飾の施された白い軽鎧を付けている。これは子爵になった時に、王様がカールさんにくれたものだそうだ。
銀色の糸で刺繍された青い外套が白い鎧と合っていて、とっても素敵だ。鎧にはピカピカ光る金色の貴族章もちゃんとついている。
私もいつものまじない師の格好ではなく、ドゥービエさんの作ってくれた夏用のドレスを着て、その上からフードのついた白い長衣を着ている。
この長衣は王様が私に貸してくれたものだ。ちゃんと王家の紋章も装飾されている。王家の魔術師が他国へ『外交使節』として出向く時のためのものなんだって。
これを着て、ガブリエラさんからもらった全属性の杖を持ったら、エマが「ガブリエラ様みたいでとってもかっこいい!」とほめてくれた。えへへ。
ちなみにエマは王立学校の制服、ハーレさんは聖女教の白い法服姿だ。私たちは剣を捧げ持つ騎士さんたちの間を通って、城壁の門へと入った。
騎士さんに先導され、城壁の内部に作られたとってもきれいな通路を通って、直接大聖堂に向かう。ハーレさんによると、ここは他の国の使節などの賓客が通るための通路なんだって。
通路に敷いてある青いじゅうたんはとってもすべすべで、走ったらすぐに滑ってしまいそうだ。
やがて通路が終わると、小さな広場みたいなところに出た。広場には控えめな装飾のされた馬車が何台か止まっている。ここはどうやら馬車の停車場のようだ。
「ここからは馬車でご案内いたします。」
騎士さんは私たちを馬車に載せると他の騎士さんたちと一緒に馬に騎乗し、馬車を守るように前後に分かれた。騎士さんたちの準備が整ったところで、馬車が静かに走り出す。
広場を抜けると大通りに出た。白で統一された通りの建物は色とりどりの花やのぼりで飾られ、その下を大勢の人たちが行き交っている。
「お姉ちゃん、すごい賑やかだね! こんなに人がいっぱいいるところ、私初めて見たよ!」
「本当だねエマ。ほらあの建物見て! すっごくきれい!」
「さすがは大陸一の信徒数を誇る聖女教の聖都だけのことはありますね。」
私たちは開いた馬車の窓から見える聖都の風景をハーレさんに説明してもらいながら、やがて西の端にある大聖堂へとたどり着いた。
大聖堂の停車場で馬車を降りると、そこには白い法服を着たテレサさんが多くの聖職者さんや騎士さんたちと共に待っていてくれた。
「テレサさん!」
「お師匠様!!」
「お姉様!」
駆け寄って行った私たちをテレサさんはしっかりと抱きしめてくれた。周りの人たちは目を丸くして驚いていたけれど、特に何も言わなかった。
テレサさんは私たちから体を離すと居住まいを正し、カールさんに向かって言った。
「ようこそ聖都エクターカーヒーンへ。お待ちしていました。ハーレ、たった一人で村を良く守ってくれました。本当にありがとう。」
「おねえざま! うわーん!!」
抱き着いてきたハーレさんが泣き止むのを待ってから、テレサさんは私たちを大聖堂の中にある部屋へと案内してくれた。内装は簡素だけれど、とても立派な部屋だ。多分、使節の人が使うための部屋なのだろう。
「交代式は明日の予定ですので、今日はこのお部屋でお休みください。」
「交代式? もう聖女の力は引き渡してあるんですよね?」
テレサさんの持っていた聖女の力はすでに妹弟子のエウラリアちゃんに引き継がれているはずだ。私がそう尋ねると、テレサさんは少し淋しそうな笑みを浮かべて私に言った。
「緊急事態でしたので仕方がなかったのですが、本来はこの交代式での引き継ぎが正式な手続きなのですよ。」
先代の聖女カタリナさんは悪い枢機卿の人に操られ、テレサさんに聖女の力を引き渡した後、大儀式神聖魔法《裁きの光》を私に使い、命を落とした。
その後、悪い人たちに捕らえられていたテレサさんは、エマによって救い出された。でもその時に《再生》の魔法を使ったことで、テレサさんの肉体は消失してしまった。
彼女は《再生》の魔法の効果が切れ、自分の命が尽きる前に、エウラリアちゃんに聖女の力を託したのだ。
だからすでにテレサさんは聖女ではない。今回の聖祭では信徒の人たちに聖女の交代を知らせると共に、その経緯を知ってもらう目的があるのだと、テレサさんは説明してくれた。
テレサさんとハーレさんが部屋を出て行くのと入れ替わりで、白い法服を着たエマと同じ年くらいの女の子たちが私たちの部屋に入ってきた。
彼女たちは聖職者見習いをしている女の子たちだった。私たちの身の回りのお世話をしに来てくれたらしい。
でも私が「今は特にしてもらうことがないです」と断ると、彼女たちは「外に控えておりますので御用があればお呼びください」と言って、すぐに部屋から出て行った。
私たちが今いる部屋は居間と二つの寝室が内扉でつながるような造りになっている。部屋の装飾や調度品などは王国のものまったく違うもので、とても珍しい。
居間のテーブルに座って、三人で今日見たいろいろなものについて話をしていたら、さっき出て行った女の子がまた扉から入ってきて私たちに言った。
「お食事の用意が出来ました。どうぞこちらへおいでください。」
彼女に案内され長い廊下を歩いていくと、先の方からとても賑やかな声と香ばしい食べ物の匂いがしてきた。
廊下の先にあったのはびっくりするほど広い大広間だった。広間にはいくつもの丸いテーブルが並べられている。
ただ私たちがいつも使っているテーブルに比べるとかなり平べったい。おまけにその周りの椅子もすごく背が低い。椅子っていうより大きな腰掛けって言った方がいい感じがする。
その代わり、その椅子には色とりどりのクッションがたくさん置いてあった。戸惑う私とエマにカールさんが「これは西方諸国で広く使われている『座卓』というものだと思います」と説明してくれた。
私は先に座卓に座っていた長い髭の男性の真似をして椅子に座った。すごく座りにくいので足を広げて座っていたら、私たちを案内してくれた女の子が慌てて飛んできて、座り方を教えてくれた。
私が今やっていたのは『胡坐』という座り方で男性がするものらしい。女性は足を横に流して座る『横座り』をするのだそうだ。でもこの座り方、ドレスの裾と靴が邪魔でものすごく座りにくい。
私が困っていたらお世話係の女の子が、クッションで高さを調整してくれた。ちゃんと座れるようになると、椅子よりもずっと楽だ。クッションがふわふわでとっても気持ちがいい。できれば靴も脱いでしまいたいくらいです。
ここにいるのはいろいろな国からやってきた使節の人たちらしい。様々な服装や肌の色をした人たちがいっぱい座っている。あと明らかに人ではない人(?)たちもたくさん座っていた。
私たちが席について間もなく、たくさんの騎士さんや聖職者さんたちと一緒にテレサさんとエウラリアちゃんが広間に入ってきた。ハーレさんも澄ました顔で列の中に加わっている。
テレサさんの短いあいさつの後、どんどん食べ物や飲み物が並べられ、食事が始まった。テレサさんはそれを見届けると、他の人たちと一緒に広間の出口に向かって歩き始めた。
出ていく直前、彼女は私たちに目を向け、にっこりと微笑んでくれた。私とエマは小さく手を振ってそれに応えた。
目の前にどんどん料理が並べられ、お世話係の女の子がそれを小皿に取り分けて私たちに渡してくれる。どれもこれも見たことのない珍しい料理ばかりだ。
どんな味がするんだろうねとエマと話しながら、赤い粉の掛かった料理を一口食べてみる。
「美味しい!・・・けど、なんだか口がピリピリするね。熱いっていうか・・・。」
美味しいけれど鼻の奥がムズムズする。
「これ知ってる! たしか『香辛料』っていうのが入ってるんだよ。」
エマは以前、この国に来たときに香辛料の入った料理を食べたことがあるらしい。最初はちょっと戸惑ったけれど、食べてるうちにだんだん慣れて、普通に美味しく食べられるようになった。
ただカールさんには少し辛過ぎたみたい。額に汗を浮かべた彼は、一口食べるごとに甘いエールで一生懸命、料理を流し込んでいた。
世話係の女の子が差し出してくれた、薄く焼いたパンに具材を巻いたものを頬張っていたら、同じテーブルに座っていた長い髭の男性が私に話しかけてきた。
「テレサ殿とお知り合いなのかな?」
「はい。そうです・・ケド・・・。」
にこやかに話しかけてくれ男性を私はじっと見つめた。彼の顔に見覚えがあったのだ。でも彼とは初対面のはず。一体どこで出会ったんだろう?
でもその疑問は彼の次の言葉ですぐに解決した。
「うん? ドワーフ族を見るのは初めてですかな。」
ドワーフ族!! 私の大好きなドワーフ銀貨を作っている人たちだ。言われてみれば彼の顔はドワーフ銀貨に描かれている人にそっくりだった。
座っているからはっきりとは分からないけれど、彼の背丈は多分エマと同じか、少し小さいくらいしかない。でも体つきは木こりの棟梁のフランツさんよりもずっとがっしりしている。
ずっと会いたいと思っていたドワーフさんにこんなところで会えるなんて!
感激で胸がいっぱいになった私は、言葉を失くして彼の顔をじっと見つめた。
彼はそんな私の様子を見て、ピカピカ光るほっぺたを緩めて愉快そうに笑い、いくつもの三つ編みになっている焦げ茶色の髭を撫でながら私たちに尋ねてきた。
「あなた方はどこからいらしたのですかな?」
「私たちはドルアメデス王国より国王の名代として参りました。」
カールさんの答えを聞いた彼はたちまち相好を崩した。
「おお! 東の王国の側にあるという魔法王国ですな。噂には聞いております。随分、遠くからいらしたのですな。」
彼は笑顔で私たちに手を差し出し握手を求めてきた。
ドルアメデスの王様は「ドワーフ族は気難しい」って言っていたけど、彼は全然そんな感じがしない。
王様の勘違いだったのかな? それとも外交使節に選ばれるくらいだから、彼が特別なのだろうか。
彼は私たちと順番に握手をした後、名前を名乗ってぺこりと頭を下げた。
「私の名はシュタルフィン。西の王国の外交使節をしております。以後お見知りおきを。」
シュタルフィンさんは私の方を見ると、すごく人の好さそうな顔でにっこりと笑った。
彼は私たちと乾杯して、大きな酒杯に入ったお酒を一気に飲み干した後、上機嫌で自分の出身地である『西の王国』について話し始めた。
西のドワーフ王国は聖都の北東、大きな山脈の中にあるそうだ。鉱物資源が豊富で、聖都を始め大陸西方の様々な国と交易をしているらしい。
更に『空白の世紀』以前の『機械』と呼ばれる古代遺物の研究も盛んで、大陸中から技術者が集まっているそうだ。
閉鎖的と言われている東のドワーフ王国とはまるで対照的な感じがする。同じドワーフさんの国でも西と東では国の方針が違うみたいだね。
上機嫌で話すシュタルフィンさんの横顔を眺めていたら、私はふとあることに気が付いてしまった。
「シュタルフィンさんは、この人とすごく似てますね。」
私がドレスの懐から(本当は《収納》の宝物置き場から)取り出した一枚のドワーフ銀貨を見て、彼は目を輝かせた。
「おお、それは私の曽祖父です! よく見分けがつきましたな!!」
「え、だって、そっくりですよ。この髭の感じとか・・・。」
私は暇さえあればドワーフ銀貨を取り出して眺めていたので、今では銀貨に描かれている一人一人の顔を見分けられるようになっているのです。
その後、私とシュタルフィンさんはドワーフ銀貨に描かれているいろいろな人の話で盛り上がった。どうやら銀貨に描かれているのは歴代の王や英雄、優れた技術者だった人たちらしい。
ちなみに200年程前に亡くなったというシュタルフィンさんのひいおじいさんは、ドワーフ族に伝わる伝説の武器を鍛え直した名工だったそうだ。
シュタルフィンさんは私がテーブルに並べたドワーフ銀貨の肖像について、一人一人丁寧に説明してくれた。私はそれがすごく面白かったのだけれど、エマには肖像の違いが見分けられなかったらしい。
カールさんにこっそりと「お兄ちゃん、分かる?」と尋ねたエマに対して、彼は黙って小さく首を振って答えていた。
すっかり意気投合した私とシュタルフィンさんは、自分が飲んでいるお酒を私に勧めてきた。彼が座っている座卓の下には大きな酒壺がいくつも置いてあり、彼はそこから自分で酒杯にお酒を注いで飲んでいたのだ。
彼が言うには人間が飲むエールなんか味が薄すぎて、ドワーフの口にはとても合わないんだって。私はエールも大好きだけどね。
彼の勧めてくれたお酒は深い琥珀色をした透明なお酒で、ものすごくいい匂いがしていた。思わずごくりと唾を飲み込んでしまうほど美味しそうだ。
私は今、禁酒中の身。でもすごく飲みたい! 私はちらりとエマとカールさんに目を向けた。
「あれから二か月も経ってるし、もうそろそろお酒を飲んでもいいんじゃない?」
「使節の方が勧めてくださったものをお断りするのも失礼です。いただいてください、ドーラさん。」
二人が許してくれたので、私はシュタルフィンさんから自分の酒杯にお酒を入れてもらった。ものすごく豊かで香ばしく、それでいて強烈な酒精の香りがする。
「美味しい!! けどこれ、すごい!!」
一口飲んだ途端、酒精の刺激で喉が焼けるように熱くなり、思わず息を吐いてしまいそうになった。でもその刺激が消えるにつれ、何とも言えない馥郁とした香りが喉の奥から鼻に抜けてくる。
今まで飲んだ中でも一番強烈な美味しさを持ったお酒だ。神々からもらった神酒やクベーレ村の貴腐酒とはまた違った独特の味わいがある。
私はいっぺんでこのお酒が気に入ってしまい、あっという間に酒杯を空にしてしまった。
「ほう、いい飲みっぷりですな。一族秘伝の火酒を気に入っていただけて本当に嬉しいです。さあ、もう一献。」
シュタルフィンさんは大喜びでまた私に火酒を勧めてきた。私がそれを受け取るべきかすごく悩んでいると、座卓の向こう側から誰かがエマに声をかけてきた。
「空飛ぶ魔法使い! こんなところで会えるとは奇遇だな!」
「ザラさん!」
シュウシュウという音を立てながらエマに話しかけてきたのは、エマの二倍以上もの身長がある赤い蜥蜴だった。二本足で立って大陸公用語を話しているから多分、蜥蜴人族と呼ばれる人じゃないかと思う。
毛皮で作った暖かそうな服を着こんだ彼は、首の周りにあるたてがみみたいに立派なひだを震わせ、しっぽをゆらゆらを振りながらエマに尋ねてきた。
「魔法使い、この方は?」
ザラさんという名前らしい蜥蜴人さんは、私の方に首を向けてエマに尋ねた。
「私のお姉ちゃんです。」
「初めまして、ハウル村のまじない師ドーラと言います。」
私が自己紹介すると彼は私の前に跪き、深々と頭を下げた。
「私は『輝く赤鱗』族の一の雄、ザラと申します。あなた様の妹御に我らは命を救っていただきました。本当にありがとうございました。我が里にいらっしゃった際には、部族を上げて歓迎させていただきます。」
彼の姿を見た周りの人たちが途端にざわめく。
「ほう。誇り高い蜥蜴人たちの長殿が、衆目のある中で人間に頭を下げるとは。」
シュタルフィンさんが驚いたようにそう言うと、ザラさんは立ち上がって首のひだをふっと膨らませた。
「む、ドワーフ殿か。勘違いなさっているようだが、我らは誇りよりも義と恩を重んじる。この空飛ぶ魔法使いエマは、我と我が部族の恩人。恩人に礼を尽くすのを厭うような真似はしない。」
シュタルフィンさんはすぐに姿勢を正して、ザラさんに言った。
「不快な思いをさせたのでしたらお詫びいたします。誠に申し訳ない。」
「いや、別に不快には思っていない。気になさらずに。」
彼はそう言って長い舌をぺろりと覗かせた。驚く私にエマが「あれは笑っている時の顔みたいだよ」と教えてくれた。
ザラさんはエマがガンド大砂海というところを旅している時に出会った人なのだそうだ。
ザラさんの部族の人たちが乗っている砂上船が大砂虫っていうでっかいミミズに襲われているところにエマが通りかかり、魔法で大砂虫をやっつけてザラさんたちを助けたらしい。
彼はエマと私に砂海での交易の話をいろいろ聞かせてくれた。砂の海の中にある迷宮都市の話やオアシスの話、星と魔道具を頼りに操作する砂上船の話など、どれもこれも面白い話ばかりだった。
カールさんはザラさんに色々な国の交易品や貨幣の違いなどをたくさん質問していた。カールさんは元々、王国の財政を担当するお役人さんなので、そういうことが気になるみたい。
ちなみに私がザラさんに「なぜ夏なのに毛皮を着てるんですか?」って聞いたら、彼は「この国は寒すぎるからです」と答えてくれた。
蜥蜴人さんたちが住んでいる大河の河口一帯はとても暖かくて、一年中夏の気候なのだそうです。
楽しくて美味しい食事の時間はあっという間に過ぎていった。私はシュタルフィンさんの勧めてくれた火酒と、ザラさんが里から持ってきたという糖蜜酒ですっかり気持ちよくなってしまった。
「ドーラさん、そろそろ戻りましょう。歩けますか?」
「ヒック、だいじょぶれすよ、カールしゃん。」
私はフワフワした気持ちのまま、カールさんとエマに導かれて部屋まで帰った。その後、お世話係の女の子にお風呂に入れてもらったところまでは何とか覚えている。その夜はとても気持ちよく眠れた。
翌朝、エマが「たくさんお酒を飲んでたけど、別に変なことはしてなかったよ」と教えてくれたのでホッとした。
エマによると、私は火酒と糖蜜酒の入った大きな酒杯を両手に持って、それを交互に飲み干していたらしい。
シュタルフィンさんとザラさんも上機嫌で、私と同じくらいお酒を飲んでいたそうだ。二人はすごく喜んでくれたらしく「またぜひ一緒に飲みましょうぞ!」と言ってくれていたそうだ。
全然覚えていないけれど、初めて会った人たちと仲良くなれて本当によかった。
ただカールさんはちょっとだけ苦笑いをしていたけどね。
その後、私は大聖堂の前の広場で行われた聖女の交代式を他の使節の人たちと一緒に見せてもらった。
神聖魔法の文様が描かれた広場の中心に、テレサさんとエウラリアちゃんが向かい合って立ち、その周囲をたくさんの聖職者さんたちが取り囲んでいた。
テレサさんが両手を軽く広げると、エウラリアちゃんがテレサさんの前に跪く。それを合図に聖職者の人たちが一斉に聖女を讃える歌を歌い始めた。
この歌はそのまま神聖魔法の祈りの言葉になっているらしく、歌声が高まるにつれて広場全体に暖かい白い光が満ちていった。
やがて聖職者さんたちだけでなく広場の周りにいる信徒の人たちも一緒に声を合わせて歌い始めた。一つになった歌声は大きな音のうねりとなり、聖都全体を包み込んだ。
歌声が広がるにつれ強くなっていった光が目を開けていられないほどになった時、テレサさんがさっと両手を挙げた。すると広場に描いてあった文様にその光が吸い取られ、それがテレサさんの体に向かって集まっていった。
テレサさんの体を包んだ光はやがて形を変え、彼女の背中にたくさんの光の翼を形作った。見る見る間にテレサさんの体がすうっと空中に浮かび上がっていく。聖都を包む歌声が消え、辺りに静寂が満ちた。
目をつぶったテレサさんが掲げた両手で何かを抱えるような仕草をすると、その手の中に金色に輝く重なり合った二つの輪が現れた。彼女は朗々とした声で聖句を唱え始めた。
「我はすべての弱きもの、虐げられしもの、傷つけられしものの護り手なり。」
彼女の聖句を、聖職者さんたちや信徒の人たちが同じように繰り返して唱和する。祈りの声は広場からさざ波の様に聖都の隅々へと広がって行った。
「我はすべての慈しむもの、許すもの、育むものの代行者なり。」
聖句が唱えられるたびに、テレサさんの手の中にある金色の輪が輝きを増していく。
その時、ずっと跪いて祈りを捧げていたエウラリアちゃんが立ち上がり、空中に浮かんだテレサさんに向かって聖句を唱え始めた。
「精霊よ。我が祈りを聞き給え。誓いを見届け給え。世界に安寧と平穏を齎すため、我はこの身をこの命を捧げんと欲す。今、我が祈りによりて、大いなる祝福を遍くこの地へ満たさん。」
テレサさんは目を開けて、エウラリアちゃんを見下ろした。そしてゆっくりと彼女の前に降り立った。
「世界の新たな守護者たらんと誓いを立てし者よ。無辜なる人々の祈りをそなたへと託そう。」
テレサさんの持っていた金色の輪が一つに重なり、光の冠となってエウラリアちゃんの頭の上にそっと乗せられた。
次の瞬間、テレサさんの背中にあった光の翼がさあっと風に溶けるように消え、光り輝く無数の羽根となって人々の上に降り注いだ。
私のところに落ちてきた羽根に手の平で触ったら、それはたちまち雪のようにすうっと解けて消えてしまった。
すべての羽根が消えた時、エウラリアちゃんの頭にあった光の冠も消えた。儀式は終わった。
新たな聖女の就任を祝う人々の歓喜の声が聖都を包み込んだ。
「すっごく綺麗だったね、お姉ちゃん。」
「うん、すごかったね。」
私のところに落ちてきた光の羽根に触った時、愛する人を思う見知らぬ誰かの小さな祈りの気持ちがはっきりと伝わってきた。きっとこのたくさんの人の小さな祈りや願いを束ねるのが、聖女の役割なのだろう。
私は人間の思いが生み出したこの素晴らしい奇跡を目の当たりにして、ますます人間が好きになったのでした。
儀式後、聖女の聖祭が本格的に始まった。聖祭はこのあと1年間にわたって続くそうで、その間は多くの『巡礼者』という人たちが聖都を訪れ、聖女への祈りを捧げて、また故郷へと帰って行くらしい。
カールさんが王様から預かった『親書』をエウラリアちゃんに渡しに行くというので、その日はエマと二人で聖都のあちこちを見て歩いた。
翌日、テレサさんとハーレさんが私たちのところにやってきて言った。
「私も皆さんと一緒にハウル村に行きたいと思います。カール様、よろしいでしょうか?」
カールさんは戸惑いながらそれに答えた。
「もちろん構いませんが・・・よいのですか?」
「ええ、私が聖都にいると、いろいろ問題があるのですよ。」
エウラリアちゃんへの聖女継承はいろいろと異例なことが多く、その是非を巡って聖職者さんたちの間で意見の食い違いが起きているという。
中でも問題なのがテレサさんの扱いなのだそうだ。幼いエウラリアちゃんをテレサさんが補佐して導くべきかどうかで、意見が二分しているんだって。
テレサさんは歴代の聖女の中でも特に優秀だと評判が高く、そんな彼女を支持する聖職者さんたちが多いのだそうだ。
「私が聖都にいては、エウラリアが聖女の務めを執り行う障害になってしまう恐れがあるのです。エウラリアの側にいて、聖職者たちをまとめる手伝いをしようかとも思いましたが、私はすでに人の世を離れた身ですし・・・。」
テレサさんはすこし悲しい顔でそう言った後、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「幸いなことに神聖騎士団長のコルディエ様を始め、エウラリアの周りには頼りになる方が大勢いらっしゃいます。今しばらくは困難な状況が続くかもしれませんが、逆にこの苦難が彼らの結束を高めてくれるでしょう。」
これからテレサさんはハウル村の教会の一司祭として暮らすつもりらしい。ただ時々はエウラリアちゃんの様子を見に行きたいので、こっそり聖都に連れてきてくださいねと彼女は私に頼んだ。もちろん、私に断る理由はない。
私もエウラリアちゃんのためにできることがあれば、是非いろいろやらせてもらおうと思った。
素敵な儀式も体験したし、いろいろなものをたくさん見て大満足したので、ハウル村に帰ることにした。
でもその時ふと西の空を見たら、黒い瘴気が空に昇って行くのが目に入った。そうだ、いいこと思いついちゃった!
「せっかくだし、ヴリトラに会って行こうと思うんだけど・・・。」
私がそう言うとエマも大賛成してくれた。
「いいね! お土産いっぱい持って行ってあげようよ!」
カールさんもヴリトラにお礼をしたいと言ったので、私たちは皆でヴリトラに会いに行くことにした。
ハーレさんに聖都を案内してもらい、ヴリトラへのお土産物をたくさん買い込んだ後、私たちは《集団転移》の魔法で、彼女のねぐらがある闇の世界の森へと移動したのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。