25 踏み出す一歩
終盤のシーンを書くのにものすごく苦労しました。もしよかったらご感想などいただけるとありがたいです。
エマがガレスさんに叱られた日から私とエマは、ハウル村の農作業や大工仕事の手伝いをさせてもらいながら過ごした。その間、エマは普段と変わりないように過ごしていたけれど、ふとした瞬間にじっと考え込むような様子を見せることがあった。
そして夜中になるとエマは寝床の中で一人、声を殺して涙を流していた。私はそれを知っていながら、どうすればよいか分からずにいた。私は大切なエマを元気づけてあげることさえできない自分が、本当に情けなかった。
そんな風に三日が過ぎた後の夜中、私は考えあぐねた挙句、泣いているエマに「私にも話を聞かせて」とお願いしてみた。するとエマは泣きながら私に抱き着き、私の体をぐっと強く掴みながら涙声でほつりと言った。
「お姉ちゃん、あたし悔しいよ。」
私はエマの話を聞いた。エマはこの3日間ずっと、あの時の戦いのことを考えていたそうだ。
あの時、エマが使ったのは《暴風の雷》という風属性の上級攻撃魔法。魔力で空気を一か所に集めて、それを一気に解き放つことで効果範囲全体に雷を落とすことができるという魔法だ。
エマは戦場全体を魔法の効果範囲にするため、自分の魔力を限界まで引き出した。効果範囲を広げる方法をエマに教えたのはもちろん私だ。
詠唱する時に《領域》を作る要領で無属性の魔力をぎゅんと込めると魔法の効果範囲が広くなるのです。ただしその分、魔力の消費はすごく大きくなるんだけどね。
オスの泡蛙たちは触れただけで人を死なせるほどの猛毒を持っている。前衛のマヴァールさんたちが蛙たちに取り付かないよう、エマは風で浮いているオス蛙たちを集めようと思ったのだそうだ。
でも泡蛙たちは谷底全体に広がっていたため、思った以上に魔力消費が大きくなってしまった。その結果、エマは魔力枯渇に陥ってしまい、行動不能になってしまったのだ。
「私があの時、無理をせずにメス蛙たちだけを狙っていたら、マヴァールさんの言う通りオスたちはメスと一緒に逃げていったと思う。」
「でもそれは分からないんじゃない? エマが攻撃した後も、怒ったメスが襲いかかってきたんでしょう? エマがオスたちを大半倒したから、毒の被害が出なかったんじゃないの?」
私がそう言うと、エマは「ううん」と頭を横に振った。
「死骸を解体してくれたギルドの人が言ってたんだけど、襲いかかってきたメスたちは、魔法の雷ですでに瀕死の状態だったみたいなの。あのメスたちは自分が死ぬのが分かっていたから、無事だった他の仲間を逃がすために私たちを襲ってきたんだよ。」
つまりエマが無理して倒さなくても、蛙たちは勝手に逃げていった可能性が高いということらしい。マヴァールさんは大泡蛙と何度も戦ったことがあり、蛙たちがそうするだろうと予測していた。
でもそのことを知らないエマは自分で勝手に判断して、出来るだけたくさんの蛙を倒そうとしてしまったのだと私に言った。
一度言葉を切って少し黙った後、エマは「それにね」と言い、自分の考えを整理しているみたいに、またゆっくりと話し始めた。
「もし仲間を逃がすためにオス蛙たちが襲ってきたとしても、私が余力を残していたらみんなと一緒になって十分に対処できたと思うんだ。」
空から襲ってくるオス蛙たちはロウレアナさんの弓と短刀使いさんの投石器、それにエマの《魔法の矢》の魔法があれば、安全に撃退できたはずだと、エマは悔しそうに顔を歪めた。
《暴風の雷》を使った後、魔力回復薬を使いながら前衛の人たちと連携して戦うことができていたら、ゼルマちゃんやグスタフくんが危険な目に遭わなくても済んだかもしれない、とエマは私に話してくれた。
以前、エマが迷宮討伐のために参加した冒険者集団《聖女の導き》では、ガレスさんが他のメンバーに細かく指示を出していた。ガレスさん以外は全員、魔獣討伐の経験がほとんどない人たちばかりだったからだ。
前衛を担当していたディルグリムとハーレさんはすごく強かったけれど、攻撃魔法を使う仲間と連携して戦った経験がほとんどなかった。そのため、自然とエマは慎重に魔法を使うことを意識せざるを得なかった。
その上、狭い迷宮内での戦いが主だったため、広範囲に効果のある大魔法を使う機会はほとんどなかった。エマの側にはいつもガレスさんとテレサさんがいて、使う魔法の種類や効果的なタイミングを指示してくれていたのだ。
でも《白の誓い》は魔獣討伐を専門とするベテラン冒険者の集まり。しかも長い間一緒に戦っているため、指示がなくても各々の得意な戦い方を生かすように一人一人が立ち回ることができる。
リーダーのマヴァールさんが前衛の主力として戦っていても、細かい指示なしで行動できる人たちばかりなのだ。
今回の失敗はその違いをきちんと理解していなかった自分にあると、エマは私に話してくれた。
エマはふうっと大きく息を吐いた後、自分に言い聞かせるようにまた話し始めた。
「あと、気持ちも緩んでたんだと思う。幼馴染のグスタフや仲良しのゼルマちゃんが一緒に居てくれたから、あたし、油断しちゃってたんだよね。本当に馬鹿だったな、あたし。」
エマはぐっと自分の服を掴んで握りしめ、ぎゅっと目をつぶった。
「あたし、自分が馬鹿だったことが悔しい。あたしがもっと賢かったら、みんなに迷惑かけなかった。グスタフもケガすることなかった。あたしがもっと・・・。」
「エマ・・・。」
エマはくっと顔を上げると私の方を見て言った。
「あたし、もっと強くなりたい。もっと賢くなりたい。あたしの周りの人をいっぱいいっぱい幸せにしてあげられるように、もっともっといろんなことを知りたい。」
エマの目は涙で濡れていたけれど、その瞳は強い意思の光でキラキラと輝いていた。私はその輝きを見て、エマのことをとても誇らしく思った。
そして同時に、なぜかエマが急に遠くへ行ってしまうような気がして、胸の奥がずきりと痛んだ。
エマは私の気持ちに気付いたみたいだった。私の手にそっと触れながら言った。
「おねえちゃん、あたしね、ゼルマちゃんを見てて思ったんだ。まっすぐしてて、いいなあって。目標を持って努力するゼルマちゃんがかっこいいなって。」
エマは私の目をまっすぐに見つめた。
「あたしもゼルマちゃんみたいになりたい。皆のためにこうなりたいって言えるようになりたい。おねえちゃんみたいに、たくさんの人のために頑張る人になりたい。」
私は締め付けるような胸の痛みを堪え、涙がこぼれそうになるのを我慢しながらエマに言った。
「エマならきっとなれるよ。だってエマはすっごいもん。」
エマはすっごく頑張り屋さんだ。失敗することもあるけれど、絶対にそれに負けない強さを持っている。私がそう言うとエマは「ありがとう、おねえちゃん」と泣き笑いをした。
エマはしばらく考えた後、私に尋ねてきた。
「ねえ、おねえちゃん。そのためにあたしは何をしたらいいと思う?」
「私には分からない。ごめんね。でもそういう時はどうすればいいかは知ってるよ。」
私の言葉にエマはにっこりと笑って頷いた。
「そうだね。出来ないときは他の誰かに頼ればいいんだよね!」
困ったときは皆で助け合うのがハウル村での当たり前だ。私はエマと話し合い、次の日カールさんのところへ相談に行こうと決めたのでした。
朝食の片付けが終わった後、私たちはカールさんの家へ出かけて行った。
これから仕事に出かけようとしていた彼は、私たちを部屋に招き入れてくれた。そして黙って話を聞いた後、目の前に座ったエマに言った。
「エマにしかできないことをすればいいと、私は思うよ。」
「私にしかできないこと?」
エマは問い返すと、彼はこくんと頷いて話し始めた。
「人は皆、自分の役目を果たすために生きているんだと私は思う。私の役目は陛下の臣下としてこの村とドーラさんを守ることだ。それはルッツ家に生まれ、この村で貴族として生きる私にしかできないこと。そうじゃないかい?」
「うん。その通りだと思う。」
私もそう思うと言うと、彼は私に優しく微笑んでからまたエマに向き直った。
「エマはフランツとマリーの娘として生まれた。何事もなければきっと君は、ハウル村のおかみの一人として一生を終えただろう。それをどう思う?」
「どう思うって・・・別にどうも思わない。だってそれが当たり前だもの。」
「そうだね。自分の故郷で愛する人と結ばれ、子供を育てて一生を終える。それは当たり前で、何よりも素晴らしいことだ。」
カールさんの言う通りだ。私もエマがそうやって幸せに生きてくれることを心から願っている。私がそう言うとエマは「ありがとう、お姉ちゃん」と言って、私の手を握ってくれた。
カールさんは黙ってその様子を見た後、またエマに向かって話し始めた。
「でも君は他の人よりもうんと強い魔力を持ってしまった。君の思っていた『当たり前の生活』と今の暮らしが全く違うのはそのせいだ。それをどう思う?」
「あんまり深く考えたことがないよ。だって・・・あ、そうか!」
エマがハッとした顔をしたのを見て、カールさんは静かに頷いた。
「そう。君はもう、皆と同じような『当たり前』の生き方はできない。君みたいな人は世界中探したって多分一人もいないだろうからね。それは嫌かい?」
「ううん、全然嫌じゃない。私、この力を皆のために役立てたいんだもん。」
エマがそう答えた時、私は唐突に気が付いてしまった。エマがいずれハウル村を離れ、どこか別の場所へ行ってしまうのだということに。
私はこのままずっとエマやカールさんたちと一緒にこの村で暮らしていきたい。それが私の一番の望みだ。
でもエマの望みは違う。エマはハウル村を飛び出して、もっと広い世界へ羽ばたこうとしている。
私は胸を締め付けられるようなこの痛みの正体を悟った。けれどエマを止めようとは思わなかった。それは皆の役に立ちたいと言ったエマの顔が、あまりにも輝いて見えたからだ。
私は涙がこぼれないように気を付けながら、二人のやり取りをじっと見つめることしかできなかった。
カールさんはエマの答えに頷くと、エマの目をまっすぐに見て言った。
「じゃあ、まず君は君自身のことを知らなくちゃいけない。」
彼は右手で数を数えるように指を折りながら、エマに話した。
「君は平民で、最年少迷宮討伐者で、王立学校の2年生で、竜の姉を持っている。でもそれは『私が知っている君のこと』だ。君は君自身のことをどのくらい知っている?」
「私自身のこと・・・?」
「君が今回大きな失敗したことは私もゼルマから聞いて知っているよ。君は自分の力を見誤り、役割を果たせなかったそうだね。」
ゼルマちゃんは『白の誓い』の休養中、午後からカールさんのところで戦いの鍛錬を積んでいた。彼女を送り迎えしていたのはもちろん私だ。
でもエマはあえて彼女と会わないようにしていた。多分、ガレスさんの言葉の通り、自分の力で一生懸命考えたかったからだと思う。
ゼルマちゃんもそれが分かっていたみたいで、エマのことを気にしながらも会いたいとは一度も言わなかった。
カールさんの言葉にエマは真剣な表情で頷く。彼はエマに問いかけた。
「その失敗も、君が自分のことを分かっていないことが原因なんじゃないかと私は思うんだ。どうだい?」
エマはしばらく考えた後、パッと顔を輝かせた。
「そう・・だね。うん、そうかも! じゃあ、私はもっと自分のことを知らなきゃいけないんだね!」
嬉しそうに笑うエマに、カールさんは諭すように言った。
「でもね。自分のことを知るのって普通の人でもすごく難しいし、時間がかかるんだ。」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「逆に聞くね。自分一人で出来ないときは、どうすればいいんだった?」
「他の人に頼ればいい!!」
エマが嬉しそうにそう言うとカールさんはエマの側に歩み寄り、しゃがみこんでエマの頭を優しくポンポンと撫でた。
「そうだよ。君の周りには君のことを真剣に考え、愛してくれる人がたくさんいる。だからまずは、その人たちが正しいって言うことを一生懸命やってごらん。そうすることで皆が君に何を期待しているか、君がどう思われているかが分かるはずだ。」
そう言われたエマは、私の方を見てにっこりと笑った。私は濡れた瞳でエマに微笑み返した。カールさんはエマが視線を戻すのを待ってから、また話し始めた。
「君の大切な人たちが、君にどんなことを期待しているかが分かったら、次はそれが本当に正しいことなのかどうか自分で考えてごらん。自分が正しいと思うことを、自分で決められるようになれば、自然と自分のやりたいこと、やるべきこと、自分にしかできないことが見えてくるはずだよ。」
「私、分かったよ! ありがとう、カールお兄ちゃん!!」
エマは立ち上がってカールさんにぎゅっと抱きつくと、私に「お姉ちゃん。私、皆のところに行ってくるね!」と言って部屋を飛び出して行ってしまった。
エマの背中が遠ざかっていくのを私は見送った。そして目の端に涙を貯めたままカールさんにお礼を言った。
「・・・ありがとうございました、カールさん。」
カールさんは私に寄り添うと、私の顔をそっと自分の胸に抱き寄せてくれた。彼の背は初めて会った時に比べて高くなっている。胸板も厚くなり逞しさが増していた。
彼の心臓はいつもより少し早く動いている。私は彼の胸に顔を埋めた。自然と涙が溢れ、彼の胸の上に私の涙の粒が散らばった。
彼は私を抱きしめたまま、話し始めた。
「私自身も昔、エマと同じように悩んだことがあったんですよ。」
「カールさんも、ですか?」
私が彼の腕の中で顔を上げると、彼は私の目の端に溜まった涙を指でそっと拭ってくれた。
「はい。でも今はもう迷いがなくなりました。」
彼は私に優しく微笑みかけた。
「あなたのおかげですドーラさん。私はあなたと共に生きて行こうと決めたことで、迷う気持ちをなくすことが出来ました。」
「カールさん・・・!」
彼は私の頬に手を当て、尋ねた。
「エマは賢い子です。自分の目標をちゃんと見つけられるでしょう。ドーラさんのやりたいことは何ですか?」
私は少し考えてから、彼に答えた。
「私は・・・エマやカールさんと一緒に居たいです。竜ではなく、一人の人間として。・・・ダメでしょうか?」
あと数年もせずにエマは成長し、ハウル村を出ていくだろう。でもたとえ一緒に暮らせなくなったとしても、同じ時間を過ごすことは出来る。私はその時間を大切にしたかった。
「いいえ。あなたが望むなら私はそれを生涯かけて支えます。私はあなたの剣なのですから。」
私はその言葉が嬉しくて仕方がなかった。でも同時に、無性に悲しい気持ちになった。私は彼の胸に縋りついて、彼の胸に耳を寄せた。
人の一生など、私にとってはほんの瞬きのようなもの。私と彼らの間に残された時間はあまりにも短い。
私は一心に彼の心音に耳を傾けた。一人置き去りにされた後でも、この音とぬくもりを思い出せるように。
カールさんは黙って私の髪を撫でてくれていた。やがて気持ちが落ち着いた私が顔を上げると、私を見つめる彼と視線がぶつかった。
「わがまま言ってごめんなさい。でも私・・・。」
そう言いかけた私の口に、彼はそっと指先を当てた。
「謝らないでください、ドーラさん。私とあなたは家族になるのですから。そんな遠慮は無用ですよ。」
「・・・はい、カールさん!」
私は笑って頷いた。そう。私は彼と家族になるのだ。竜である私が、人であるカールさんと結ばれる。人間の世界に誰もが認める、きちんとした私の居場所が出来るのだ。
私と彼が婚約したことはルッツ家とフランツさん一家の他、王様も知っている。けれどそのことはまだ、他の人たちには公表されていない。
カールさんは今年の春、昇爵を果たし『令外子爵』になったばかり。そして彼が任されているハウル村は良くも悪くも王国中の貴族から注目されている。
今、彼と私が婚約したことを公表すれば、そんな貴族たちの『いらぬ憶測』をかきたてることになるかもしれないのだそうだ。だから今のところ、正式な婚約は保留となっている。
襲撃後の王都はとても大変なことになっているので、私とカールさん、それにハウル村に万が一何かがあった時に守り切れないかもというのが、その理由だった。簡単に言うと、王様の手がそこまで回らないのだそうだ。
それは私もなんとなく分かる。だって今でも王様はものすごく大変そうだもの。これ以上、心配事を増やしたら、本当に倒れてしまうかもしれないからね。
カールさんはにっこり笑って私に言った。
「あなたが一人の女性として生きていけるように、私が頑張ってこの村を整えていきますから。ドーラさんも手伝ってくれますよね?」
「もちろんです!!」
私が元気よくそう答えると、彼は突然クスクスと笑い始めた。
「?? どうしたんですか、カールさん?」
「いえ。あなたはきっとこれからもいろんなことをたくさんしでかすのでしょうね。」
「ええ!? カールさん、そんな!!」
驚いた私の顔を両手で包み込んで、彼は言った。
「でもそういうあなたが私はたまらなく愛しいのですよ、ドーラさん。」
彼はすごく嬉しそうに私にそう言った。その顔を見ていたら、私は何も言えなくなってしまった。
顔がものすごく熱い。目がぐるぐるして、心臓が胸から飛び出しそうだ。
うーっ!! そんなに嬉しいことを言って私の言葉を奪うなんて! なんだかカールさん、すごくズルいです!
彼の顔が私に近づいてくる。私は彼の繊細なまつげを見ながら、人間は油断がならないって言っていたヴリトラの言葉を思い出し、それからそっと目をつぶったのでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。