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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
22/93

22 渓谷の探索

前半部をどこに入れるか迷いました。書いてから前話の最後に付けた方がよかったかもしれないなと思いました。ちょうどいいところで切るってすごく難しいです。(すぐ長くなっちゃうので。)

 ドーラが砦の不死者たちを呪いから遠ざけている頃。ドルアメデス王城内にある人気のない離宮の廊下を進む人影があった。


 癖のある柔らかい金色の髪をふわりと揺らしながら足音もなく歩いていくのは、王国の第二王子パウルの嫡子、リンハルトである。その手には先程摘んだばかりの白い花が握られていた。


 自分の他には訪ねる者もない離宮はひっそりとしている。まるで霊廟のようだと彼は思った。離宮の主の安寧な眠りを守るための霊廟。いや、それとも主を封じ世界から隔絶するための霊廟だろうか。


 複雑な思いを抱えながら、彼は長い廊下の端にある扉の前に立った。軽く扉をノックすると、見知った顔の侍女が彼を出迎えてくれた。






「リンハルト様! 今日も来てくださったのですね。ありがとうございます。」


 やや北部訛りの残る言葉で礼を述べた侍女は、彼を扉の内側に招き入れた。整えられているが、生活感のない部屋を横切りながら、短い言葉で尋ねる。


「お加減は?」


「今、起きていらっしゃいますよ。お庭を見ていらっしゃいます。」


 彼は軽く頷き、小さな庭園に面したテラスへと足を向けた。






 王国北方から取り寄せて植林された白樺林を望むテラス。そこにポツンと置かれた白いテーブルでぼんやりと座っている女性に彼は声を掛けた。


「お邪魔してよろしいですか?」


 抜けるような白い肌と癖のある柔らかい金色の髪をしたその女性は、ゆっくりと彼の方を振り返った。


 春の女神のように美しい容貌が彼の目に映る。だがその麗しい顔には何の表情もなかった。


 まるで人形のようだと彼は思った。魂を失くした虚ろな器。その姿はふと目を離した隙に春の日差しに溶け去ってしまうのではないかと思うほど儚げなものだった。


 彼女は焦点の合わない紫色の瞳でしばらく彼のことを見つめていた。しかし突然、夢から醒めたようにパッと顔を輝かせた。






「まあ! ちょうどあなたのことを考えておりましたの。さあ、こちらにお座りになって。」


 花が綻ぶような無邪気な笑みを浮かべ、彼女は自分の側にある椅子を彼にすすめた。同時に先程の侍女が二人分のお茶を準備して現れ、手を付けられないまま冷めてしまったお茶を片付ける。


 侍女が茶器を持って立ち去ると、彼は持っていた白い花を女性に差し出した。


「あなたに差し上げようと、持って参りました。」


白雪草シュネーブルーメ! ああ、なんて素敵な香り。」


 彼女は嬉しそうに微笑み両手でその花を受け取ると、それをその繊細で形の良い鼻梁に寄せて香りを楽しんだ。






「これはわたくしの一番好きな花です。よくご存じでしたわね。」


 わずかに頬を赤らめ礼を述べる彼女に対し、リンハルトは無言で頷く。昨日もその前の日も繰り返し聞いた言葉。彼は王立学校が休校になってからというもの、毎日彼女に白雪草の花を届けている。


 彼女は傍らに控える侍女に花を渡し花瓶に生けておくように言いつけた。彼女の幼馴染でもある侍女は恭しい態度でそれを受け取り、リンハルトに目礼してその場を去る。


 その後、彼女はリンハルトに取り留めのない話をし始めた。侍女づてに知ったという領内で起こった様々な出来事。両親との何気ない会話。王立学校時代の二人の思い出。そして間近に迫った成人の祝賀の話。


 もう幾度となく聞いたその話に、リンハルトは穏やかな、しかし悲しみに満ちた表情でじっと耳を傾けた。






 やがて彼女の話が終わりに近づく。婚約に向けて贈り物を準備しておりますのと言った直後、彼女の言葉はぷつりと途切れた。穏やかで楽しげだった顔からすとんと表情が抜け落ちる。


「贈り物・・・ねえメルティルテ、わたくしの贈り物はどこに行ってしまったのかしら?」


 彼女は茫然としたまま、何かを探すように自分の体をまさぐり始めた。紫の美しい瞳に僅かな狂気の色が滲み始める。


 彼女の目にはすでにリンハルトは映っていなかった。彼は今にも泣きだしそうな表情で、そんな彼女の様子をじっと見つめた。


 彼女の側に控えていた侍女はいつものようにそっと彼女に寄り添い、肩に手を置いて優しく囁いた。






「姫様、お体が冷えてしまわれたのではありませんか。そろそろお休みになりませんと。」


 侍女の言葉を聞いて、たちまち彼女の表情が変わる。瞳から狂気の色が消え、穏やかな表情になった彼女は幼馴染の侍女に礼を言った。


「そうね。ありがとう、メルティルテ。」


 いつものやりとりを聞いたところで、リンハルトは静かに立ち上がった。


「私はこれでお暇いたします。大変素敵なお話を聞かせていただきありがとうございました。」


「次はいついらしてくださいますの?」


 幼子のように目を輝かせて彼女は問いかけた。






「白雪草が咲いている間は毎日参ります。」


 白雪草は雪解けの時期にしか花を咲かせない。しかしこの離宮の庭には魔法によって一年中、白雪草の花が咲く場所があるのだ。


 彼女だけのための閉ざされたその花園で、彼は明日も白雪草を摘む。凍てつく狂気に雪解けを齎す唯一の花を、彼女のもとへと届けるために。


「楽しみにお待ちしております。いかにあなた様とはいえ、領を越えていらっしゃるのは大変でしょう。道中お気をつけてくださいませ、ラインハルト様。」


 彼女がリンハルトをその名で呼ぶようになったのは一体いつからだっただろうか。彼が成長し剣を握れるようになるにつれ、彼女は少しずつ少しずつ壊れていった。


 彼女は醒めることのない悪夢の中で彷徨い続けている。彼が届ける白雪草で、幸せだった少女時代の記憶を取り戻す僅かな間を除いて。


 侍女のメルティルテが痛ましい目で彼に目礼をした。彼は静かに立ち上がり、優雅な仕草で辞去の挨拶を口にした。


「・・・あなたもどうか息災で、母様かあさ・・・いえ、ベルトリンデ様。」











 リンハルトが母の部屋から立ち去ったのとちょうど同じ時、魔獣を探しながら渓谷を遡っていたマヴァールたち『白の誓い』一行は、川べりの安全な場所で休憩をとっていた。


 大きな岩があちこちに転がっている河谷かこくの河原で思い思いの場所に座り、昼食代わりの黒パンを革の水袋に入ったエールで流し込む。


 甘みの強いエールがパンに挟んだ炙ったチーズとベーコンの塩気を引き立て、岩場を歩いて遡上してきた彼らの疲れを癒してくれた。


 ハウル村から持ってきたまともな食糧はあと二食分。それが終われば後は携帯糧食を食べることになる。早めに魔獣を見つけて村へ戻れるといいのだがとマヴァールが思っていると、仲間の森林祭司ドルイドが話しかけてきた。






「さっきの村、気が付きましたか?」


「ああ、年寄りと子供ばかりだったな。若い奴が一人もいなかった。ロウレアナ、どうだった?」


「隠れている様子はなかった。村にいたのは私たちが見たあの人間たちで全部よ。」


 ロウレアナが言うのであれば間違いないだろう。エルフである彼女の探知力は人間である自分たちよりも何倍も鋭い。


 あの村には働き手である若者の姿がなかった。牧草地や畑も十分に手入れされておらず少し荒れていたことを考えると、少なくとも春先からずっとあのままだったのだろう。


 寒村では食い扶持を減らすために冬の間、若者を出稼ぎに出すことはある。だがそれも普通は春の祝祭までだ。冬の終わりと同時に若者たちは村に戻り農作業に従事する。それはかつてマヴァール自身が経験したこと。


 もう春の3番目の月が終わろうとしているこの時期まで若者が一人も戻らないのは明らかに異常だ。いないのが男だけなら傭兵や冒険者になって、運悪く全員が命を落としたとも考えられるが・・・。


「嫌な感じだぜ。」


 マヴァールは誰ともなしにそう呟くと、手にした黒パンの残りを口へ放り込んで無理矢理、飲み下した。






 休憩を終えた一行は再び探索を開始した。野外での活動に精通した森林祭司を先頭に、川べりの岩場を上るための道を探していく。探索に慣れていないエマたちがいるため、ロウレアナが最後尾で周辺を警戒しながら、彼らは道なき道を進んでいった。


 冒険者たちは顔色一つ変えずに行軍を続けるが、エマやゼルマは肩で息をしながらなんとかついて行っているという状態だ。グスタフが二人に手を差し伸べ、高い岩に引っ張り上げる。


 見晴らしのいい場所に差し掛かり、進路を確かめるために祭司は足を止めた。ホッとした表情で休憩するエマたちを横目に見ながら、マヴァールは祭司に尋ねた。


「この辺りがどこか分かるか?」


 祭司は目の前に見える山脈の頂を指しながら答えた。


「あいつを見る限り、デッケン領の北部か、ヘルトル領、グレッシャー領、ノイエンベルク領辺りじゃないでしょうか。」


 それを聞きつけた戦斧の男が妙に確信めいた調子で言った。






「俺ぁ、ヘルトルかグレッシャーだと思うぜ。」


「なんでだ? お前、この辺に来たことがあるのか?」


「いや、ドーラさんがさ、貴腐酒を飲んだって言ってたじゃねえか。貴腐酒は王国の北西部の特産品だけどよ。特にヘルトルとグレッシャーのは最高級品で有名だからな。俺も一口でいいから飲ませてもらいてえ。」


「お前それ、ただ飲みたいだけじゃねえか。それにこんな寂れた村で、そんなすげえ酒が造られてるとは思えねえぞ。」


 短刀使いの男が呆れた調子でそう言うと、戦斧の男はがっくりと肩を落とした。


「そう言えばそうか。じゃあ、デッケン辺りかな。あー、どこのでもいいから飲みてぇなー貴腐酒。」


 そんな男の様子に仲間たちは笑みを漏らす。エマはゼルマの方を向いて尋ねた。






「ゼルマちゃんは、今、話に出た領地のこと知ってる?」


 ゼルマは少し考えてから、慎重に言葉を口にした。


「ノイエンベルク領以外はすべて反王党派の貴族領ですね。どの領地もデッケン伯爵家との血縁関係が強いと聞いてます。ニーナだったらもっと詳しいことを知っていると思うのですが、私はそこまで知らないです。すみません、エマ様。」


 申し訳なさそうにするゼルマにエマはお礼を言った。そして今ゼルマが言ったことの意味を考えてみた。


 貴族のことにはあまり詳しくないエマでも、貴族同士の反目や勢力争いがあることは一年間の学校生活でなんとなく分かっている。ミカエラとガブリエラはその結果、家族を失うことになったのだ。


 デッケン伯爵のことをミカエラは『家族の仇』と呼んでいた。もしここがそのデッケン領だとしたら・・・。


 エマは胸の中に言いようのない不安が広がるのを感じた。






 休憩が終わり歩き始めてからも真剣な表情で黙り込むエマを尻目に、グスタフがゼルマに問いかける。


「なあ、前から気になってたんだけどさ。どうしてエマだけ様付けなんだ?」


 ゼルマは胸を張ってその問いに答えた。


「それは私がエマ様を尊敬しているからですよ。エマ様は史上最年少の迷宮討伐者ですから。私もそのような武功を立ててみたいと思っているのです。」


「へー、エマをねぇ。」


 生暖かい視線を感じて顔を上げたエマと、何か言いたそうな表情のグスタフの視線がぶつかる。






「何よ、グスタフ。」


「いいや、別に何でもー?」


 ニヤニヤ笑いをしながらエマを見るグスタフ。


「もう!! 言いたいことあるんならはっきり言いなさいよ!」


 顔を真っ赤にしたエマがグスタフに食って掛かるとオロオロするゼルマを間に挟み、たちまち二人は言い争いを始めた。


 はじめの方こそお互いの過去の恥ずかしい失敗を暴露し合う二人だったが、すぐに言葉が尽きてしまい、「チビ!」だの「いくじなし!」だのと言った程度の低いただの罵り合いになってしまった。






 今にも二人が互いに掴みかかりそうになった時、マヴァールが後ろを振り向き低い声で二人を一喝した。


「魔獣を探すロウレアナの邪魔になる。口を閉じろ。」


 二人は慌てて仲間たちに謝った。仲間たちは苦笑でそれに応じる。この程度のことでロウレアナの探知力が落ちることはないとみんな知っている。今の言葉は二人の子供を止めるためのマヴァールの方便に過ぎない。


 その後も二人は小声で「お前のせいで怒られただろ!」「なによ、あんたがいけないんでしょ!!」などと言い合っていたが、大岩が続く難所に差し掛かったことでその諍いも自然と消えてしまった。


 岩を軽々と越えていく大人たちに追いつくため、三人の見習いは必死に手足を動かさなくてはならなかったからだ。






 難所を越えたところで、そろそろ野営地を探さなくてはならない刻限になってきた。祭司が谷の斜面に接する岩棚を見つけてくれたため、一行はそこで野営の準備を始めた。


 そうはいっても天幕を立てるわけでもない。出来ることと言ったら薪代わりの流木の欠片を拾い集めるくらいだ。


 これで湯を沸かしそれに携帯糧食を溶かして即席の粥を作るのである。石を組んで作った小さな竈で燃やした火はささやかなものだったが、それを囲む彼らの心には何とも言えない安心感のようなものが去来した。


 ナイフで薄く削った干し肉とチーズの欠片を散らした薄い粥に、固い黒パンを浸しながら食べ終えた頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。






 見張りの交代順を決め、それぞれが背負っていた寝具を準備していた時、グスタフがふと思い出したようにマヴァールに問いかけた。


「迷宮討伐って言えば、マヴァールさんも迷宮討伐に参加したことがあるんですよね?」


「ああ、ウェスタ村の南の森にあった『暗き獣の迷宮』をな。迷宮守護者が手強くてよ。いくつかの集団パーティが合同で討伐したんだ。」


 マヴァールはまだ駆け出しだった当時のことを思い返しながら話し始めた。






 討伐時の『暗き獣の迷宮』は出現してから20年以上経過していた。その階層数は10層をゆうに越えており、王国内の迷宮ではシーラント領に存在する『海鳴の迷宮』に次ぐ規模の迷宮だった。


 迷宮はその魔訶不可思議な力で様々な財宝を生み出すが、同時に周辺の土地を荒廃させ魔獣を活性化させてしまう。周辺の村では凶作による飢饉や魔獣の被害が頻発しており、王都領の悩みの種だったのだ。


 難攻不落と思われた『暗き獣の迷宮』だったが、鍛え上げた精強な冒険者たちの不断の努力と工夫により確実に攻略が進められた。当時、最も迷宮討伐に近いといわれていたのは、エマの冒険の師匠であるガレスが所属していた集団パーティ『輝ける大剣』だった。


 だが彼らは最下層まで到達しながらも、迷宮守護者に苦戦していた。そこで冒険者たちが合同で討伐に当たったのだ。多くの犠牲者を出す激しい戦いの末、ようやく迷宮は討伐された。






 討伐された迷宮はゆっくりと『枯れて』行き、その分、周囲の土地の恵みは増していく。


 だが魔獣は討伐後も残り続けるため、冒険者は仕事を続けなければならない。マヴァールはそこで名を上げ、若手で一番と言われるほどの実力と名声を得た。


 英雄と呼ばれた格闘弓術士バトルアーチャーガレスが不慮の事故で効き目を失い『輝ける大剣』を離脱したのはその直後だった。そしてそのおよそ一年後、ガレスを欠いた『輝ける大剣』は新しく出現した迷宮で消息を絶ったのである。






 エマやグスタフは神妙な面持ちでマヴァールの話を聞いていた。それに気が付いたマヴァールは「余計なことまでしゃべっちまった。忘れろ」と言って、話を打ち切ろうとした。しかし。


「マヴァールさん、私、ガレスさんの若い時のお話をもっと聞きたいです。」


 真剣な目をして言ったエマにマヴァールは戸惑った。


「いや、ガレスさんのいないところで勝手に話すのは・・・。」


 そう言って断ろうとした彼を横合いから入ってきた声が遮る。


「私も聞きたい。話してほしい、マヴァール。」


 ロウレアナとエマに熱い視線を向けられ、思わずマヴァールは仲間たちを見た。彼らはみな苦笑しながら肩をすくめている。エマはともかく、ロウレアナがこうなってしまってはもう、誰にも止めることができない。






 マヴァールは露骨に顔を顰めた後、頭をぼりぼりと掻き「しょうがねえな。俺とガレスさんが一緒に冒険しごとした時のことだけ、話してやるよ」と断ってから、話し始めた。


 渓流のせせらぎが聞こえる少し肌寒い空気の中、焚火を囲む冒険者たちの春の夜は、こうして穏やかに更けていったのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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