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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
15/93

15 エマの「いいこと」

次回はいよいよ戦闘です。なかなか話が進まなくてすみません。

 イゾルデさんと別れハウル村に戻った私たちは、魔石を集めるための準備に奔走した後、再び王都へと戻った。夕闇が深くなりつつある人気のない通りには、優しい春の雨が降っている。昼間にハウル村に振っていた雨が、南風に乗って王都に流れてきたのだろう。


 ここは王都の下級貴族の人たちが多く暮らしている貴族街だ。私たちが今いるのは、カールさんの実家であるルッツ家のお屋敷から少し東側にある場所。


 この辺りにはルッツ家の半分ほどの大きさの敷地のお屋敷が並んでいる。普通の平民の家に比べたら随分大きい。けれど貴族の邸宅としては最底辺の規模らしい。エマに案内してもらい、私たちは目的の屋敷を目指した。






 屋敷はすぐに見つかった。背の高い壁の向こうにくすんだ三角屋根が見える。厚くて立派な壁にはあちこちにひび割れができ、表面が剥がれて中のレンガが見えていた。


 古い鉄格子の門扉は閉まっていた。私とエマは《不可視化》で姿を消すと、《浮遊》の魔法で錆の浮いた門扉を飛び越え、壁の向こうに降り立った。


 傷みが見える屋敷の周りには、外から引き込んでいると思われる細い水路があった。水路に接するように小さな池と洗濯場も見える。


 ルッツ家の屋敷の周りはきれいに手入れされた庭園になっていたけれど、この家は敷地のほとんどが畑になっていた。多分ニワトリやヤギがいると思われる小屋もある。貴族の邸宅というよりは、ちょっと大きめの農家と言った方がぴったりだ。






 私たちは畑の中を通って屋敷に近づいた。裏庭の方からうっすらと明かりが漏れているのが見える。音を立てないように気を付けながらそこへ行ってみると、運よく目当ての人を見つけることができた。


 私たちは《不可視化》を解除し彼女にそっと声を掛けた。


「エマ様!? それにドーラさんも!! どうしてここに!?」


 残ったかまどの明かりで夕食の洗い物をしていたゼルマちゃんは驚いて声を上げた後、慌てて口を噤んだ。暗い母屋の方を見て、物音がしないのを確認した彼女はホッと息を吐いて私たちに向き直った。


 エマは忍び足でゼルマちゃんに近づくと、いたずらっ子みたいな表情で笑いながら彼女に小さな声で話しかけた。






「えへへ、こっそり遊びに来ちゃった。急に来てごめんね。でもどうしても話したいことがあったの。ダメだった?」


 ゼルマちゃんはすごく嬉しそうに笑った後、洗い物のために持っていた藁束をその場に置いて、前掛けで濡れた手を拭きながら応えた。彼女が着ているのはエマとほとんど変わらない、継ぎの当たった麻の服だった。


「ダメではありません。すごく嬉しいです。でもよく私の家が分かりましたね。」


「カールさんのお兄さんのバルドンさんに教えてもらったんです。」


「ああ、なるほど。中隊長様に。」


 私の答えにゼルマちゃんは合点がいったという表情で頷いてみせた。






 バルドンさんは王国衛士隊の中隊長で、配下の人たちと一緒にハウル村の門を守る仕事をしている。


 彼は襲撃事件で左腕を失くしてしまったために、しばらく王都で休養を取っていたのだけれど、王様に魔法の義手を作ってもらったおかげで、少し前からまた仕事に復帰できるようになった。


 ゼルマちゃんに会いに行きたいとエマが相談したら、彼が彼女の家の場所を教えてくれたのだ。ゼルマちゃんのお父さんは衛士隊の中隊長で、昔はバルドンさんの同僚だったらしい。






 洗い場で立ったままその話をしていたら、かまどの火が落ちて辺りが薄暗くなってしまった。エマは短杖を取り出して《小さな灯》の魔法を使い、洗い場を照らした。きれいに磨かれ、何度も修理をした跡のある調理道具がうっすらとした光を反射させて暗闇の中に浮かび上がった。


 ゼルマちゃんは「薪や灯火用の油を買うお金がないので申し訳ありません」とちょっと恥ずかしそうに言った後、エマに明かりを灯してくれたことへのお礼を言った。


 ゼルマちゃんは私たちを洗い場にある粗末なベンチに案内してくれ、自分は私たちと向かい合うように丸椅子に腰かけた。


「それで、こんな時間にどんな御用ですか?」


 私たちが座るのを確認した後、彼女はそう尋ねた。エマは彼女に歓楽街での出来事を話した。






「冒険者と共に魔石を集めに行かれると・・・。必要な分を購入するのではダメなのですね?」


「うん。今、王都の復興工事で全然魔石が足りないんだって。カフマンさんもそれですごく苦労してるの。」


 それを聞いた彼女はこくりと頷く。


「それは私も聞いています。高騰した魔石を求めて無茶な冒険をする者が後を絶たないと、兄がこぼしていましたから。でも、なぜそれを私に?」


「ゼルマちゃん、学校を卒業したら冒険者になりたいって言ってたでしょ。だから一緒にどうかなって思ったの。よかったら魔石集めを手伝ってもらえないかな。」


 エマは彼女の手を取ってにっこりと笑った。ゼルマちゃんはとても驚いた様子だったけれど、それでもぱあっと顔を輝かせた。でもすぐにしゅんとした表情で俯いてしまった。






「それは願ってもないことです。私はずっと冒険者に憧れていましたから。でも家族が何というか・・・。」


「うん。それはカールおにい・・・カール様にも言われたよ。ゼルマちゃんを誘ってもいいか分からなかったから、事前に相談してきたんだ。」


 エマの考えた『いいこと』。それはあの事件以来、元気をなくしてしまったゼルマちゃんを冒険に誘ってみようということだった。


 私たちは冒険者ギルドでガレスさんに魔石集めのことを相談した後、すぐに北門の衛士隊詰所にいるカールさんとバルドンさんの所に行ったのだ。






 エマの話を聞いたカールさんは、最初とても難しい顔をしていた。ほとんど平民と変わらない暮らしぶりとはいえ、ヴァイカード家は男爵位を持つれっきとした貴族。その家の子供を冒険者と共に魔獣討伐に連れ出すなど、常識的に考えればあり得ない。


 もちろん成人後、爵位を持つことができなかった官僚貴族家の子供が家を出て冒険者になることはある。しかしゼルマちゃんは未成年で、しかも女の子。庇護するべき立場の親がうんと言うはずがない。


 カールさんはそう説明して、がっかりするエマに「残念だけれど、別の方法を考えてみた方がいい」と言い聞かせた。


 でも私たちがしょんぼりして帰ろうとした時、一緒に話を聞いていたバルドンさんが「俺はそうは思わないぞ、カール」と言ってくれたのだ。






 ヴァイカード男爵は子供の中で一番武術の才がある末娘の将来を常に心配していたとバルドンさんは話した。いくら腕が立つとはいっても女子である以上、官職につくことはできないからだ。


 男爵さんはゼルマちゃんが得意な武芸で身を立てる道を何とか探してやりたいと思っている。だから話の持って行き方次第では決して無理ではないと言って、カールさんを説得してくれた。


 それでもやっぱりカールさんは難しい顔をしていた。けれど、バルドンさんが「自分ではどうしようもないことで道を閉ざされる辛さはお前が一番知っているだろう。お前はゼルマの腕をどう思っているんだ?」と聞いたことで、最終的には納得してくれたのだ。


 カールさんは気持ちを切り替えるように息を吐いた後、「ゼルマには素晴らしい才能があります。並みの冒険者以上の活躍ができるでしょう。ゼルマが望むなら私が直接ヴァイカード男爵に交渉しますから、まずはゼルマの気持ちを聞いてきてください」と言って、私たちを送り出してくれた。






「カール様がそんなことを・・・。」


 私がその話をすると、ゼルマちゃんは感極まったように呟いた。私は彼女にカールさんの言葉を伝えた。


「カールさん、ゼルマちゃんはすごく頑張り屋さんだって褒めてましたよ。今回の魔獣討伐はいい経験になるだろうからエマに力を貸してやってほしいって言ってました。」


 ゼルマちゃんがエマの方を見る。エマはゼルマちゃんの両手を握り、彼女の目をまっすぐに見つめて言った。


「お願いゼルマちゃん。歓楽街の人たちを助けるために私に力を貸して。」






 ゼルマちゃんは何か言いたそうに唇を震わせた後、くっと口を噤んだ。そっとエマから目を逸らし、何度も瞬きをする。彼女はそうやってしばらく黙ったままだったけれど、ようやく震える声で辛そうに話し始めた。


「行ってみたいです。でも・・・。」


 ゼルマちゃんが何か言いかけたのを遮るように、屋敷の表側から出てきた背の高い男の人が彼女に声を掛けた。


「いいじゃないか。せっかくの機会なんだ。行って来るといいゼルマ。」


「兄様!」


 声をかけてきたのは衛士隊の小隊長をしているゼルマちゃんの一番上のお兄さんだった。どうやら仕事から帰ったばかりらしく、まだ衛士隊の制服を着たままだ。






 私とエマは慌ててベンチから降りると、洗い場の床に膝をついて頭を深く下げた。


「お、お邪魔しております。」


 彼の制服には身分を示す準士爵章がついている。準士爵は一代限りで、王国の中では一番低い貴族位だ。それでも平民であるエマや私とは比べるべくもない。


 ましてや私たちは今、黙ってこの屋敷内に入り込んでいるのだ。平民の立場ではちゃんとした申し入れが出来ないから仕方がなかったとはいえ、怒られてしまったら何も文句が言えない立場だ。


 ドキドキしながら平伏する私たちに彼は穏やかな声で語り掛けてきた。


「エマさんにドーラさんだね。ゼルマから話を聞いている。どうか楽にしてくれ。」


 彼は私たちにベンチに座るように言ってくれた。そして丸椅子に座ったゼルマちゃんの側に歩み寄ると、彼女の肩に手を置き、愛情あふれる眼差しを向けながら話を始めた。






「お前、帰ってきてからずっとふさぎ込んでばかりだっただろう。父上も母上も心配していたんだぞ。もちろん私たちもな。」


「兄様・・・。」


「大変な災害に遭って、急に学校が休みになって。そのことでお前がどんなに傷ついていたか、私たちには想像もつかない。一番被害の大きかった生徒たちはまだ寝たきりだって聞いてる。近くにいたお前もさぞ恐ろしい思いをしたことだろう。」


 お兄さんの言葉にゼルマちゃんの表情が歪んだ。男子生徒たちがゼルマちゃんを罠に嵌めて暴力を振るったことは、一部の人以外には秘密になっている。もちろん私が怒り狂って大暴れしたことを隠すためだ。






 ゼルマちゃんと男子生徒たちは偶々格闘演習場に居残っていて、魔力震に巻き込まれたということになっている。ゼルマちゃんは今回の事件の原因が自分にあると思い込んでいて、それをかなり気にしているとエマは話していた。


 しかも学校が休みになったことで、唯一本当のことを話せるエマたちとも離れ離れになってしまった。辛い気持ちを抱えながらそれを誰にも話すことができず、自分を責め続ける日々。


 それがどんなに苦しいか、私もエマもよく分かっていた。少し前の私たちが全く同じ状態だったからだ。


 私たちはマリーさんが叱ってくれたおかげで気持ちを切り替えられたけれど、ゼルマちゃんはそうしてくれる人はいない。エマがゼルマちゃんを冒険に誘おうと思ったのも、そうすることで彼女の気持ちを少しでも楽にしてあげたいと思ったからだろう。






 お兄さんはもちろんそんな事情は知らない。でもゼルマちゃんが辛い思いをしているのは分かっていたみたいだ。


 彼はゼルマちゃんの側にしゃがみこむと、俯いた彼女の顔を見上げながら言った。


「お前の力になりたいが、私には何もしてやれない。すまないゼルマ。」


「そんなことはありません! 父様や母様、兄様たちが私を暖かく迎えてくださったことで、どんなに私が救われたか・・・!!」


 顔を上げたゼルマちゃんの目には涙が光っていた。お兄さんはそれを優しく拭いながら諭すように話し始めた。






「ありがとうゼルマ。いつも元気なお前が沈み込んでいるのを何とかしてやりたいと、ずっと思っていたんだ。せっかくの機会だし、行ってみなさい。騎士クラスではないお前は魔獣討伐の訓練をする機会もないだろうから、きっといい経験になるぞ。なあに父上たちのことは心配するな。あとは私がうまくいっておくさ。」


「兄様、ありがとうございます。」


 兄妹は手を取り合った。魔法の生み出す柔らかい光がゼルマちゃんの頬に流れる涙を優しく光らせていた。


 ふとエマを見ると、私を見上げたエマも泣いていた。私がエマの涙を拭うと、エマは私の目から涙がこぼれないようにそっと手で押さえてくれた。


「よかったね、エマ。」


「うん、本当によかった。」


 胸の中からあったかい気持ちが溢れてくる。静かに涙を流すゼルマちゃんを見つめながら私たちは微笑みを交わした。



 


 ゼルマちゃんが泣き止むとお兄さんは立ち上がり、座ったゼルマちゃんの髪をくしゃくしゃとかき回した。そして空気を換えるようににやりと笑みを浮かべ、エマを見ながらからかうようにゼルマちゃんに言った。、


「憧れの『救済の聖少女シュッツエンゲル』と一緒に冒険できる機会なんだ。これを逃したら、お前きっとものすごく後悔するぞ。」


 たちまちゼルマちゃんの顔が真っ赤に染まっていく。エマがきょとんとした顔で私に聞いてきた。


「?? 何それ?」


「あ、私、それ知ってるよ! 確か王都ですごく流行ってる歌があるって・・・。」


 私がそう言うと、お兄さんは両手を広げて大げさに肩をすくめて見せた。






「そうなんだ。ゼルマはこの聖少女の歌が大好きでね。訓練の合間なんかにもよく歌っているんだよ。去年の秋に学校から帰ってきたときなんか、それこそ一日中・・・。」


「ええっ!! ゼルマちゃんが歌を歌ってるところなんか見たことないです。」


 エマが驚いたように声を上げ、ゼルマちゃんの顔を見つめる。ゼルマちゃんは慌てて立ち上がり、お兄さんに掴みかかった。


「ちょ、ちょっ、待ってください。何を言い出すんですか兄様!!!」


 ゼルマちゃんのお兄さんはそれをひらりと躱し「あはは」と明るい声で笑った後、エマに「ゼルマのこと、よろしく頼みます」と言ってその場からいなくなってしまった。






 吹き抜ける風のようにお兄さんがいなくなってしまうと、洗い場に沈黙が落ちる。まだ耳の先が赤くなったままのゼルマちゃんは小さく咳ばらいをしてから話し始めた。


「こほん。家族からの了解も得られましたし、私も魔獣討伐にぜひ参加したいです。エマ様、ドーラ様、よろしくお願いいたします。」


 きちんとした仕草で頭を下げるゼルマちゃんとエマは握手を交わした。


「うん、じゃあ今日はもう遅いから、明日またここに迎えに来るね。」


 私とエマは《集団転移》の魔法でハウル村に戻った。暖かい光を放つ焚火の周りでは、フランツさんたちがエマを待っていてくれた。


 私とエマは皆の輪の中に加わり、長かった今日一日の出来事を一つ一つ皆に話していったのでした。












 翌日、私とエマは《集団転移》の魔法でゼルマちゃんをハウル村の冒険者ギルドへ連れて行った。


 ギルドの待合室に入ると、私たちの依頼に協力を申し出てくれたマヴァールさんたちの冒険者集団パーティが私たちを出迎えるために立ち上がった。特に彼の仲間の一人であるロウレアナさんは、すごく嬉しそうな顔で手を振ってくれた。


 今回エマとゼルマちゃんに同行してくれる6人の冒険者さんたちに、私はゼルマちゃんを紹介した。


「ゼルマ・ヴァイカードと申します。エマ様の従者ペイジとして参加させていただきます。よろしくお願いいたします。」


 礼儀正しい言葉遣いで挨拶をしたゼルマちゃんに対し、ロウレアナさん以外の冒険者さんたちは互いの顔を見合わせた。貴族である彼女をどう扱ったらよいか戸惑っているようだ。


 そんな他の仲間とは対照的に、ロウレアナさんだけは私とエマの方を見てニコニコ笑っていた。エルフ族の彼女にとっては、王国の貴族など他の人間と大して差がないからだろう。






 皆はしばらく動かないまま見つめ合っていたけれど、やがてマヴァールさんが意を決したように一歩前に踏み出し、右手を差し出した。


「俺はマヴァール。この集団パーティ『白の誓い』のリーダーをやらせてもらってる。よろしく頼む。」


 彼はゼルマちゃんに貴族に対しての礼を尽くすのではなく、あくまで冒険者志願の一人として扱うことにしたみたいだ。


 ゼルマちゃんはその手を取って「よろしくお願いします」と握手を交わした。それを見て他の冒険者さんたちもほっと表情を緩める。次々とゼルマちゃんの元へ行き、握手をし始めた。


 うんうん。仲良くなれそうでよかった。そう思っていたら、私の隣に立っていたエマにグスタフくんがひそひそ声で話しかけた。エマの幼馴染で2つ年上のグスタフくんは、3年前からマヴァールさんのところで冒険者見習いとして働いている。


 エマが迷宮を討伐した時にも、いろいろ教えてくれた頼もしい先輩だ。小さい頃はいたずらっ子で、よくエマや私をからかったりいたずらしたりしていたけれど、13歳になった今では大分大人びてきている。


 





「おい、エマ。」


「なにグスタフ?」


「あの女って貴族のお姫様なんだろう? 大丈夫なのか?」


 心配そうに尋ねるグスタフくんに対して、エマは胸を張って答えた。


「ゼルマちゃんはすっごく強いよ。でも魔獣と戦うのは初めてだから色々教えてあげてね。」


「いや、そういうことじゃねえんだけどよ・・・。」


 グスタフくんは困ったような顔でそう呟いた。ゼルマちゃんに心配そうな目を向ける彼と、ゼルマちゃんの目が合う。ゼルマちゃんはどうやらさっきのエマとの会話が聞こえていたみたいだ。


 彼女はグスタフくんのところに近寄ると、彼に右手を差し出して軽く頭を下げた。






「父は男爵ですが私自身は無官の身です。どうぞ遠慮なく接してください。」


「ひえっ、だ、男爵様!? え、えっと、あ、ありがとござます、ゼルマ様。」


 グスタフくんが迷った挙句、恐る恐るゼルマちゃんの手をそっと取った。ゼルマちゃんはそれをしっかり握りなおして彼に言った。


「どうかゼルマとお呼びください。」


 その途端、ゼルマちゃんに正面から見つめられたグスタフくんの顔が真っ赤に染まる。


「あれ~? グスタフ、もしかして照れてるの~?」


「ば、バッカお前、エマふざけんなよ!! そ、そんな訳、ねえだろうが!!」


 エマがニヤニヤしながらグスタフくんをからかうと、彼はむきになって言い返した後、赤くなったのを誤魔化すように早口でゼルマちゃんに言った。






「あー、分かった。じゃあ、俺のこともグスタフって呼んでくれ。よろしくなゼルマ。」


「はい。よろしくおね・・・よろしくです、グスタフ。」


 グスタフくんがニカっと笑うと、それに応えるようにゼルマちゃんも笑った。手を離した後、彼は言った。


「ゼルマのその手、ずいぶん鍛えてるんだな。」


 その言葉に、今度はゼルマちゃんが顔を赤らめる。さっと手を引っ込めて恥ずかしそうに眼を逸らした。


「あ、ありがとうございます。変ですよね、女子なのに・・・。」


「え、かっこいいじゃん。俺も今、鍛えてんだよ。これから一緒に頑張ろうぜ!」






 ゼルマちゃんは「えっ」と呟いて目を上げ、彼を見た。でもその時、ちょうど他の冒険者さんが「おいグスタフ! さっさと始めんぞ!」と声をかけたため、彼は「へいへーい!!」と返事をしてそちらに走っていってしまった。


「ゼルマ! お前も来いよ!」


 振り返ったグスタフくんが彼女に声をかけると、彼女はハッと我に返ったように彼の後を追って動き出した。私はエマと顔を見合わせた。


「ゼルマちゃん、皆と仲良くなれそうでよかったね、エマ。」


 私がそう言うとエマは黙って頷いた後、動き回るゼルマちゃんの横顔をじっと見つめていた。


「どうかしたの、エマ?」


「ううん、何でもない。私たちも準備しよう、お姉ちゃん。」


 エマはそう言うと、私の手を引いて待合室を出るために歩き出したのでした。






 ギルドでの準備が終わった後、私たちは《集団転移》で今日の目的地へと移動した。


 移動が終わった途端、熱く乾燥した風が私たちの顔に吹き付けてくる。火山地帯特有の臭いに、エマたちが顔を顰めた。


 目の前に聳える黒々とした高い山のあちこちから赤い溶岩が流れ出しているのが見える。私たちが今立っているのはその山から少し離れたところにある、黒々とした岩に覆われた岩石地帯だ。岩の隙間からは白い色をした葉っぱの草や燃える花びらを持つ花が顔を覗かせている。


 少し先には溶岩の流れる川があり、その周辺の岩場の至る所から白いガスが噴き出していた。






 ここは私の友達の赤い竜の縄張りだったところだ。ここならきっと火の魔石をたくさん集められるに違いない。


 本当は溶岩の川の向こう側の方が、たくさん魔獣が住んでいるのだけれど、これ以上先に行くと熱と有毒なガスのせいで人間は死んでしまう。だからこの辺りで唯一安全なこの場所を昨夜のうちに探しておいたのだ。


 この辺りは冷えて固まった溶岩の上だから熱で火傷することはないし、ガスが噴き出すこともない。しかも普段は人間が立ち入ることもないので、魔獣と戦っても誰かの邪魔になることもない。我ながらとてもいい場所が選べたと思う。


 私が自信満々でマヴァールさんにそう言うと、彼はそれに答えることなく目の前の山を見ながら小さく呟いた。






「あれは・・・もしかして火竜山か?」


 私はその言葉に驚いて、彼に聞き返した。


「竜!? マヴァールさんは竜のことを知っているんですか?」


 マヴァールさんは焦って聞き返した私に対して怪訝な顔をしながら答えてくれた。


「いや、竜のことは知らねえ。ただあれが火竜山だとしたら、この辺りの奴らがあの山のことをそう呼んでるのは知ってるぜ。昔、流れの冒険者仲間が教えてくれたんだ。あの山の下にはでっかい竜が眠ってるっていう言い伝えが、ずっと昔からあるんだとよ。」


「そうですか・・・! 竜が・・・!!」


 私はその話を聞いて思わず泣きそうになってしまった。神々の戦いが起きたとき、赤い竜は仲の良かった光の神に味方して戦った。


 私はその戦いに行かなかったからその時の様子は知らないけれど、彼の炎が世界を焼き尽くしたのは知っている。戦いの後、彼は多くの神々と共にどこかに消えてしまった。私自身もその後すぐに眠りについてしまったため、それ以来どうしてしまったのかとずっと気にしていたのだ。






 彼とはよく一緒に狩りをして腕前を競った仲だ。ちょっと短気だけれど情深い彼は、仲間の竜たちからとても信頼されていた。彼は自分の力がすごく強いことをよく知っていたので、狩りの時でも滅多に本気を出すことはなかった。


 決して自分から進んで争うような性格ではなかった彼だけれど、とても友達思いだったから光の神からのお願いを断れなかったのだと思う。


 私たち竜は不滅の存在だ。たとえ肉体が滅んだとしても魂が無事であれば永い時間をかけて再び蘇ることができる。彼は今もまだこの溶岩の下で眠っているのかもしれない。


 残念ながら溶岩に阻まれているので彼の魂や魔力を感じ取ることはできない。でもいなくなった友達の手がかりを得られたことはとても嬉しかった。


 私は涙を堪えながら目の前に聳える山をじっと見つめた。エマは私の隣で手をそっと握ってくれていた。





 


「この辺りは西ゴルド帝国よりもずっと西側のはずだろ。そんなところまで一瞬で来られるなんて。魔法ってのは本当にすげえな。」


 辺りを見回していたマヴァールさんの仲間たちが呟くのが聞こえた。マヴァールさんはその言葉に軽く頷いてから、私に聞いてきた。


「ドーラ、魔獣はどのあたりにいるんだ?」


「あの山の側を流れる溶岩の川の中に、火鼠たちがいっぱい住んでるんです。でもこれ以上近づくとすごく熱くて危ないですから。この辺りで魔獣を探せばいいと思いますよ。」


 私がそう言うとグスタフくんが呆れたように私に言った。






「いや、ドーラ姉ちゃん。すでに物凄く熱いんだけど・・・。」


 言われてやっと気が付いたけれどグスタフくんだけでなく、エマやゼルマちゃん、それに他の人たちも赤い顔をして汗を流している。


「わ、忘れてた! すぐ魔法を掛けるね!」


 私は人間ほど繊細に熱さや冷たさを感じ取ることができない。溶岩の川に潜ったり氷の海を泳いだりしても平気な分、小さな温度の変化には気が付けないことが多いのだ。


 汗まみれの皆の中で汗一つかいていなかった私は恥ずかしさで顔を赤くし、冷や汗をかきながら慌てて《耐火》の魔法を使った。






「おお、すげえ! 熱くなくなったぞ!」


 マヴァールさんの仲間で短刀を腰に下げた小柄な男の人が驚いた顔で自分の体を眺めた。彼は罠の解除や品物の鑑定、素材の管理などを専門にしているそうだ。


「はあ、やっと人心地つけたぜ。」


 そう言って大きく息を吐きだしたのは背中に大きな戦斧を背負った大柄な男性。そして彼に無言で頷いてみせたのはくすんだ緑色の長衣ローブを纏い、素朴な木の杖を持った男性だ。


 彼は丁寧に手入れされた顔全体を覆う髭を撫でながら「話には聞いてたがすごいな」と言い、私の方をじっと見つめた。彼は森林祭司ドルイド。自然の風物に関する専門家で、さらに土属性の癒しの魔法を使うことができるらしい。


 冒険者集団『白の誓い』はこの3人にマヴァールさんとロウレアナさん、それに見習いのグスタフくんを加えた6人で構成されている。


 彼らはハウル村冒険者ギルドの稼ぎ頭であり、経験の浅い冒険者さんたちの指導役としても活躍中だ。エマが魔石を集めに行きたいとガレスさんに相談した時、一番に名乗りを上げてくれたのが彼ら『白の誓い』だった。






 皆に魔法がしっかりと掛かったのを確認した後、私はエマに言った。


「じゃあエマ、私は次の場所を探してくるね。」


「うん。あとは水と土の魔石だよね。私、頑張っていっぱい火の魔石を集めておくから、お姉ちゃんも頑張ってね。」


 ニコニコしながらそう言うエマを見ているうちに私はたまらなく心配になってしまった。


「《警告》の魔法がちゃんと働いているから、危なくなったらすぐに駆け付けるからね。」


 両手を取って心配する私を慰めるようにエマは「マヴァールさんたちもいるし、大丈夫だよ。行ってらっしゃい、お姉ちゃん」と言って笑った。


 私は後ろ髪を引かれる思いで皆に別れを告げ、《転移》の魔法で自分のねぐらに戻った。そして洞穴の中で服を脱いだ後、《不可視化》の魔法で姿を消した状態のまま雲の上まで転移し、《人化の法》を解除した。






 私は空に浮かんだまま体と翼をうんと伸ばし、明るい春の日差しを広げた翼と長い体全体で受け止める。久しぶりに竜の姿で浴びる太陽はものすごく気持ちがよかった。


 《警告》の魔法に意識を向けると、エマが無事であることがちゃんと伝わってくる。エマが頑張っているのだから、私も頑張らなきゃ!


「よし。まずは水の魔獣を探そう。あんまり強いとエマたちが戦うときに困るから、ちょうどいいのを選ばないとね。」


 私は翼に込めた魔力で風を捕まえると一気に地上に急降下しと、水の魔獣がたくさん住んでいそうな水場を探して王国の上空を飛び回ったのでした。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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