13 乱心 後編
あけましておめでとうございます。皆様にとって2021年が良い年でありますようにお祈り申し上げます。
青い月が柔らかい光を投げかけ、それを追うように緑の月が山の端に顔を覗かせる。穏やかな春宵。
だがその青い光が照らす王立学校の演習場の一角では、異形の姿となったドーラと白い法服姿のテレサによる激しい戦いが繰り広げられていた。互いに譲らぬ攻防の末、一旦距離を取る両者。テレサは異形のドーラをじっと見つめた。
今のドーラはエマを傷つけられた怒りで完全に我を忘れている。まるで我が子を守ろうとする獣のようだ。彼女が竜と人とが混じり合ったような姿をしているのも、激しい怒りによって彼女の《人化の法》が綻んでしまったからに違いない。
ただ完全に本来の姿になっていないのは、彼女の理性がギリギリのところで踏みとどまっていることを示している。ドーラが本来の姿で力を振るえばエマも含め、この国のすべてが灰燼へと帰すことが分かっているからだろう。
一度滅んだ肉体をドーラの《人化の法》によって取り戻し、彼女の眷属となったテレサを呼び寄せたのも、おそらくは暴走する自分の力を止めようとしたため。ドーラが無意識のうちにこの国の人間たちを守ろうとしているからなのだとテレサは感じていた。
しかし今のドーラが怒り狂った獣であることは変わりない。ドーラが冷静さを取り戻すまで、戦い続ける他はないとテレサは覚悟を決めた。
その時、じっとこちらの様子を窺いながら力を溜めていたドーラが動いた。ドーラが繰り出す爪をテレサが神力を込めた拳で打ち払う。
溢れ出る魔力を乗せたドーラの一撃から巨大な衝撃波が生じ、演習場の施設を薙ぎ払っていく。本来なら人間の体など触れただけで粉々に吹き飛んでしまう。
今のテレサがドーラと互角に戦えているのは、ドーラが自分の力を無意識に抑え込んでいるからこそだ。そしてテレサ自身が持つ人類最高クラスの神聖力に加え、ドーラの無限の魔力で彼女の肉体が極限まで強化されているからに他ならない。
つまりドーラは自分自身の力と戦っているようなものだ。このまま戦い続ければ、何もしなくとも確実に彼女は弱っていく。そう確信しているからこそテレサはひたすら守りに徹していた。
ドーラの爪が振るわれ尾が翻るたびに演習場の格闘場や建物が次々と崩壊していく。ただエマの周囲だけは見えない壁に守られているかのように破壊を免れていた。
ドーラが作った魔法の《領域》の中で、後ろ手に縛られ猿轡をされたエマはぐったりと横たわっている。赤黒く乾いた血で汚れた彼女の顔は蒼白を通り越し、土気色を帯び始めていた。
このままでは危険だと判断したテレサは、癒しの魔法を使うためにエマの方に近づこうとした。しかしその途端、ドーラの尾が振るわれ彼女の行く手を阻んだ。
『エマに触るな! 触るな!! さわるなあぁあぁぁあ!!』
ドーラは竜の言葉で叫ぶ。魔力を含んだ咆哮が周囲の魔素を震わせ、豪風となってテレサに吹き付けた。神聖魔法で飛来する瓦礫から自らの身を守りつつ、彼女はドーラに向かって叫んだ。
「まだ頭が冷えませんか! もうエマを傷つける者などどこにもいません! 早く目を覚ましてください!!」
しかしその声は届かない。テレサは返事の代わりに振るわれる爪や尾による攻撃をひらりと躱してその場を離れた。
ドーラは逃げ回るテレサを追いかけるべく翼をはためかせた。けれど彼女の攻撃はあと一歩のところでテレサに届かない。テレサは暴風の中を舞う木の葉のように彼女の攻撃をいなしていく。
この敵を排除しエマを守らなくてはという思いがドーラを焦らせる。焦れたドーラは無理矢理、翼を駆使して空中で横向きに体を一回転させた。その長い尾を鞭のようにしならせ、横薙ぎにテレサへ向かって叩きつける。
テレサは両腕を前に交差させ、その一撃を凌いだ。しかし高速で叩きつけられた尾の勢いを完全に殺すことはできず、ぐらりと大きく姿勢を崩した。
ドーラはその隙を見逃さなかった。焦りが最高潮に達していたドーラは翼をはためかせて上空に飛び上がると、テレサを引き裂こうと彼女に向け急降下した。数々の獲物にとどめを刺してきた、彼女の必殺の一撃だ。
だがドーラの爪が彼女を捕まえる寸前、テレサはさっと身を躱した。ドーラは一度地面を蹴り、再び彼女を攻撃をしようとした。だが着地場所を見て、大きく目を見開いた。
テレサの後ろには気を失ったままのエマが倒れていたのだ。ドーラは気付かぬうちに、テレサによってエマのいる場所へと誘導されてしまっていた。エマはドーラの《領域》であらゆる危険から守られているが、その《領域》も彼女自身の攻撃の前には無力。一撃加えただけでたやすく壊れてしまう。このままでは自分の爪でエマを引き裂いてしまう!!
瞬時にそう判断したドーラは、必死に翼を動かした。急激に速度を落とし不自然な形で落下するドーラ。エマを守る《領域》は彼女の爪に触れて、ガラスのように砕け散った。
大きく姿勢を崩した彼女はエマのすぐ側の地面に落下した。両手足を大きく広げ、右の翼と尾を地面に叩きつけることで、エマとの衝突だけはかろうじて回避することができた。しかし勢いがついていたため、そのままの形で地面を滑っていく。
エマから遠ざかるまいとドーラは不自由な体勢で必死に地面を掴んだ。鋭い爪によって硬い石の床がバターのように切り裂かれる。
エマを守らなくては。その思いに駆られるまま、ドーラは周囲を警戒することもなくその場に立ち上がった。
次の瞬間、ドーラの手足と翼に何か硬いものが巻きついた。あっと思う間もなく彼女の手足は光り輝く太い鎖によってぐるぐる巻きに拘束された。
手足の自由を奪われたドーラの背中にテレサが取りついた。テレサが聖句を唱えると鎖はひとりでに動いて、ドーラの体を激しく締め上げはじめた。どうっと大きな音を立てて前のめりに倒れるドーラ。
彼女は必死に鎖を振りほどこうとするが、彼女の翼の間にしがみついたテレサが祈りを捧げると鎖はさらに硬度を増していく。テレサは左手で鎖を掴み、右手に銀の聖印を掲げながら藻掻く彼女に言葉を掛けた。
「私の新技《聖女の縛鎖》です。神力で強化した金剛鋼の鎖ですから、あなたといえどもそう容易くは切れませんよ。」
この鎖はテレサが聖女教会の地下牢獄に囚われていた時、彼女自身を拘束していたものだ。彼女は両腕を大きく広げた状態で、首と両手首をこの鎖によって牢獄の壁に繋がれていた。
結果この鎖は彼女の血と神力を数か月にわたって吸収し続けることとなった。彼女は解放後、それを儀式魔法によって神力へと変換し、自身の魂の中に取り込んだ。いわば神聖魔法版の《収納》の魔法のようなものを作り出したのだ。
《収納》と違ってこの鎖以外の物は出し入れできないが、《収納》のように神力を消費することもない。この鎖は今や、彼女自身の篤い信仰が具現化したものに他ならないからだ。
この世で最も硬い金剛鋼の鎖をどこからでも取り出し自在に扱う《聖女の縛鎖》は、世界で彼女だけが使える専用神聖魔法なのである。
鎖で拘束されたドーラの体から次第に禍々しい魔力が抜け落ちていく。それにつれ彼女の体の表面に浮き上がった鱗が少しずつ剥がれ落ち始めた。テレサはホッと胸を撫でおろした。このまま拘束を続けていればじきにドーラも正気を取り戻すだろう。
テレサがそう思った時、ドーラが叫び声を上げながら激しく体を動かした。
「エマ! エマ!! 今行くからね! 私が守るからね!!」
ドーラは人間の言葉で泣きながら叫んだ。鎖で自分の体が傷つくのも構わず渾身の力を込める。神力で強化された鎖がびしりと音を立てて砕け、テレサは慌てて聖句を唱えた。鎖はすぐに修復されたものの、ドーラの力によってまたすぐに亀裂が入ってしまう。
「・・・人間を思うあなたの力がこれほどに強いとは。」
テレサは藻掻き続けるドーラから少し離れるとおもむろに祈りを捧げ始めた。
「遍く世界を形作るすべての精霊たちよ。世界を守護する誓いに殉じたすべての聖女たちよ。今、我が祈りに応えよ。我は世界の守護者たらんとする者。我、この命を持って魔を封じ、この身を持ってすべての弱きものを守る盾と成さん。ここにすべての誓いは果たされ、すべての契りは満たされる。裁きの日は来たれり。《封神の祈り》」
テレサの祈りに応えるかのように天上から金色の光がドーラの上に降り注ぐ。光が消えると横たわる彼女の体の下には複雑な文様の描かれた魔法陣が出現していた。
テレサが離れたことでドーラは鎖を引き千切り、拘束を抜け出した。そのままエマに駆け寄ろうとした彼女だったが、魔法陣を出ようとしたところで見えない壁に阻まれてしまった。
「エマ! エマ!!」
ドーラはエマの名を呼びながら見えない壁に拳を叩きつける。すでに彼女の手からは長い爪が消え去っていた。
涙と共に拳が振るわれるたび、地面にズシンズシンと衝撃が走る。結界にぶつかった両拳から血が噴き出すが、ドーラは構わず打ち続けた。金色の光で出来た見えない壁にビシリと亀裂が走る。しかし亀裂はすぐに修復されていった。
「対悪神用の封印魔法をもってしても完全に防ぎきれないなんて・・・。」
ドーラの力に慄きながらも、テレサは目の前で泣き叫ぶ彼女を痛ましい目で見つめた。胸の前で銀の聖印を掴み一心に祈りを捧げる。
「無駄です。その結界を形作っているのは私を通して出現したあなた自身の力なのですから。自分で自分の力を壊すことなど不可能です。」
テレサは血が滲むほどきつく唇を噛んだ。
「だから怒りに負けず、早く正気に戻ってくださいドーラさん!」
ドーラの体からはすでに角と鱗、牙と爪が消えている。尾もみるみる短くなっていき、残るは翼を残すのみだ。だがその瞳は赤く光り、彼女が正気を取り戻していないことを示していた。テレサは一刻も早くドーラが元に戻るよう必死に祈り続けた。
その時、祈るテレサの前でドーラはどこからともなく杖を取り出した。彼女はガブリエラから贈られたその美しい杖を掲げると静かに目を瞑った。
その瞬間、ドーラの足元から虹色の光が沸き上がり、夜の闇を明るく照らした。彼女の足元から溢れた虹色の光は線となり、彼女の足元にある魔法陣の金色の光を侵食し始めた。
テレサは目の前で起こっていることが信じられず、両眼を見開いた。
「私の神聖魔法を乗っ取るつもりなのですね。これが人間の魔法を得た神の力ですか。」
祈りの力で対抗するが、ドーラの虹色の光による浸食は瞬く間に進んでいく。テレサはついさっき自分の後ろに現れたばかりの人物を振り返り、彼女に声を掛けた。
「このままでは長くは持ちません。あなたにお願いしてもいいですか、ルピナス?」
テレサの言葉に、青と黄色の鮮やかなドレスを着た小さな少女は満面の笑みで頷いた。
「もっちろん!! でもあのドーラちゃんがこんなに怒るなんてね。」
ルピナスもテレサと同じようにドーラの魔力によってサローマ領からここへ引き寄せられていた。しかしついさっきまで、この辺りにドーラの怒りが魔力の波動となって満ちていたため、近づけずにいたのだった。
ルピナスは美しい声でハミングをしながら、ドーラの封じられている魔法陣の周りで踊った。軽やかに彼女がステップを踏むたびに、彼女の体から溢れ出た金色の光が小さな粒となってドーラに降り注いでいく。
それにつれてドーラの体から翼が失われ、完全に人間の体へと変化した。赤く禍々しい光を放っていた瞳も澄んだ青色へと変わっていった。杖を構えていたドーラがぐらりと姿勢を崩す。彼女はゆっくりとその場に倒れた。
「うまくいきましたね。助かりましたルピナス。」
テレサに声を掛けられたルピナスは笑顔で頷きながらも、自分の背中を気にしながら彼女に答えた。
「ドーラちゃん、元に戻ってよかったね。うーん、でも羽がないと何だか変な感じだなー。」
戸惑い顔のルピナスを見て、テレサはクスリと笑った。
「私と違ってあなたは《人化の法》で姿が変わってしまいましたからね。さて、まずはエマやその他の人たちを治療しなくてはいけません。」
「エマとドーラちゃんの匂いのする背の高い女の子は私が守ってたけど、他の男の子たちはそのままだもんね。大丈夫かな? なんか焦げちゃってるし。生きてるといいけど・・・。」
「私が神聖魔法で守っていたので、かろうじて息はあると思いますよ。でも急がないといけませんね。」
二人は頷きあうと倒れたドーラをその場に置いたまま、瓦礫の中に倒れている生徒たちを救出するために大急ぎで動き始めたのだった。
懐かしい南の花の香りを感じて、私はゆっくりと目を開いた。
「ドーラちゃん、大丈夫? まだ寝てた方がいいよ。」
石の床の上に横になった私の顔を心配そうに覗き込んでいるのは、青と黄色の可愛らしいドレスを着たルピナスと白い法服姿のテレサさんだった。
「・・・いったいどうして二人がここに?」
そう口に出した途端、私はエマのことを思い出した。《警告》の魔法がエマの危機を知らせてくれて、大急ぎでエマのところに向かって・・・。そこからよく覚えていない。その先を思い出そうとすると、私の中で急に魔力が波立ちはじめる。
「エマ!? エマはどこ!?」
起き上がろうとする私をテレサさんが優しく押しとどめた。
「大丈夫です。エマならあなたの隣にいますよ。」
テレサさんが示してくれた方を見ると、エマが私の隣で横になっているのが見えた。破れた訓練着を枕にして、すうすうと安らかな寝息を立てるエマの様子にほっと力が抜ける。
エマのほっぺは艶々でどこにもケガなどはしていないようだ。よかった。テレサさんとルピナスがエマを助けてくれたのかもしれないね。
安心して大きく息を吐くと、急に瞼が重くなり眠気が襲ってきた。
「あれれ、力が・・抜けて・・・。」
体に力が入らない。何だかすごくたくさん力を使った後みたいに体が重いのだ。そんな私の頬にルピナスがそっと口づけをした。
「『妖精の眠り』だよドーラちゃん。おやすみなさい。」
ふんわりとした温かさとむせるような甘い花の香りが私を包み込んだ。私は眠りに落ちる寸前、エマの横顔を見ながら呟くように声を出した。
「うん、おやすみ、ルピナス。ありがとう・・・テレ・・サさん、ルピ・・ナス。」
エマの心臓の規則正しい音を感じながら、私は心地よい闇の中へをゆっくり沈んでいったのでした。
春の三番目の月の半ば。ようやく床から起き上がれるようになり、執務を開始したドルアメデス国王ロタール4世は、親友でもあり国王直属の密偵の長でもあるハインリヒ・ルッツ男爵に、彼のまとめた報告書の中身について尋ねた。
「王都の被害と回復の状況はどうだ?」
王の私室に併設する小部屋で、テーブルを挟んで向かい合わせに座った親友はかなり疲れた様子をしている。
今度の事件で生じた王都の混乱を鎮めるためにハインリヒがどれほど力を尽くしたか、その表情から容易に窺うことができた。親友に労いの言葉をかけたい気持ちは大いにあるが、まずは王としての責務を果たさなくてはならない。
「報告書にある通り、王都民への被害はほとんどありませんでした。魔力を持つ者が何人か頭痛を感じた程度だったようです。まじない師たちの中には意識を失くして倒れた者もいたようですが、症状は軽くすぐに回復したとのことでした。」
民に被害がなかったことに、王はひとまず胸を撫でおろした。王自身、昨日まで寝たきりで過ごしており、王都民のことをとても心配していたからだ。ほっとした様子の王を気遣うように、ハインリヒは言葉を続けた。
「対して屋外で任務にあたっていた魔法騎士や魔導士たちの被害は甚大です。そのほとんどが昏倒してしばらく意識を取り戻しませんでした。文官をはじめとする貴族たちにも同様です。」
ハインリヒの言葉に王は軽く頷いた。途端に頭の奥がずきずきと痛む。王は軽く眉を寄せた後、言った。
「あれだけ巨大な魔力震が立て続けに発生したのだからさもありなん。」
魔力震とは巨大な魔力の動きによって生じる魔素の振動のことだ。大規模な魔術儀式を行使したときなど、人為的に起きる場合も稀にあるが、ほとんどは地中の魔力結節の動きによって生じる。
王国の象徴でもあるドルーア山の地中には巨大な魔力結節があると言われており、数十年に一度大きな魔力震が定期的に起きる。
そのため貴族が暮らす建物の多くには対魔力震用の結界魔道具が設置されている。しかし10日ほど前に起きた魔力震は王都直下を震源とし、しかも断続的に起こったため、多くの被害が起きてしまったのだ。
魔力震は空気中の魔素を激しく振動させるため、正常な魔力の流れを阻害する。魔道具の誤作動はもちろんのこと、魔力を持つ人間は頭痛・吐き気などの体調不良を起こしてしまうのだ。
さらに魔力の豊富な人間ほど大きな影響を受ける。魔法騎士や魔導士たち、王族、そして上級貴族たちなど王国の中枢を担う者たちは、今回の魔力震によって数日間寝込むほどのダメージを受けてしまったのだった。
比較的症状の軽かった下級貴族や文官たちの活躍によって王国の運営に支障が出ないようにしたものの、その影響は決して小さくなかった。
「幸いなことに死者は出ておりませんが、大神官様や宰相殿などが復帰するまでにはもうしばらく時間がかかるとのことです。」
「うむ。症状の軽かったものを中心に業務の振り分けを行おう。この後、各部署の担当者を集めておいてくれ。魔道具関係はどうだ?」
「王立学校と魔術師ギルドに設置されている円環球が誤作動を起こして停止した影響で、複数の魔術儀式が中断しました。さらに王都各所に設置されている浄水の魔道具などの基幹設備が停止、もしくは破断しています。錬金術師たちが復旧に掛かっていますので、おそらくあと2,3日中には正常に戻る予定です。一連の被害額はおよそ200万Dに上るとのことです。」
被害額を聞いた王の頭の芯がズキズキと痛む。冬に起きた王都襲撃事件によって、王家はすでに多くの財を失っている。ここにきて更なる出費を強いられることになるとは・・・。
思わず天を仰ぎたくなるのをぐっと堪え、王は意味ありげにハインリヒへ視線を投げた。
「『震源』の調査は進んでいるのか?」
今回の魔力震はドルーア山の魔力結節の異常隆起が原因の自然災害であると公式発表してある。もちろんそれは本当の原因から目を逸らさせるための方便に過ぎない。二人が話しているのは本当の『震源』についてだ。
「リアからの報告によれば今朝方、目を覚まされたそうです。事件の発端となった連中はまだ意識を取り戻していないようですが。」
王杓を握る王の手にぐっと力が籠る。ドーラを激怒させる原因になった男子生徒たちは全身に大きく傷と火傷を負った状態で発見された。彼らの所業については意識を取り戻したゼルマの証言と、その場に仲間の密偵と共に駆け付けたリアの調査によって明らかになっている。
恐れを知らぬ生徒どものせいで、危うく王国が滅びるところだったのだ。20万人以上の民が暮らす王都を危険に晒した連中など、一族諸共ひっ捕らえて全員処刑しろと命じてしまいたい。
長年、王としての重責に耐えてきたロタール4世であっても、その衝動を抑えるのにはかなりの自制心が必要だった。その王の気持ちを汲み取るかのように、ハインリヒが言った。
「男子生徒たちの体の傷はテレサ様が早めに処置してくださったおかげでさほど酷いことにはならなかったようです。ですが彼らの魔術の器および魔術回路はズタズタになっているとのことでした。診断にあたったアンフィトリテ様の報告では、まともに魔法を使えるようになるまでには今後数年の治療が必要になるだろうとのことです。」
自分の気持ちを察してくれた親友の言葉に王はふっと息を吐き、肩の力を抜いた。
「あれだけの魔力震を発生させるほどの魔力の波動を至近距離でまともに浴び続けたのだから、未成年の脆弱な魔術回路などひとたまりもなく焼き切れてしまうだろうな。まあ、自業自得だ。」
魔力を持つ者が魂の中に持つといわれている魔術の器は、魔力を溜めておくための器官だ。詠唱魔術は詠唱によって体内に魔力の通り道である魔術回路を作ることで、その器から魔力を引き出している。
ドーラの怒りに触れたことで男子生徒たちはその両方を破壊されてしまった。まだ未成年なのできちんと治療を受けさえすれば、また元のように魔法を使えるようになるはず。だがそれでも、他の同級生よりも大きく差が開いてしまうことは間違いない。
彼らが望む未来を手にするためには、相当の努力が必要になる。それこそ悪さをする余裕などなくなるはずだ。多少留飲を下げた王は、目の前の親友の目を覗き込んで思わず笑みを浮かべた。
「そんなに怖い目をするな、ハインリヒ。もう怒ってはいないよ。それよりも今後のことを考えなくてはな。」
「承知いたしました。」
そう言って真面目な顔で頷くハインリヒに、王は新たな資料を出すように頼んだ。ハインリヒは王である自分と王家に害をなす者に対しては徹底的な非情さを見せる。
今にも男子生徒たちを殺しに行きかねかいハインリヒの目を見たおかげで、王は大分冷静に物を考えられるようになった。
今後は男子生徒たちの命を守るためにも、定期的に彼らの様子を報告させるようにしなくてはと思いながら、王は親友の差し出した資料を受け取った。
「王立学校の生徒や職員もかなり被害を受けたようだな。」
資料に目を通した王が呟くように言った言葉に、ハインリヒが答えた。
「はい。生徒及び職員のほとんどが最初の魔力震で意識を失って倒れたそうです。魔力の高い生徒たちの中には昏睡状態に陥った者もいたようですが、ちょうど夕食時で屋内にいたことが幸いしほとんどの者が数日以内に回復したとのことでした。」
王立学校の建物にはそのすべてに対魔力震用の結界魔道具が備えられている。それでもこれだけの被害が出たことは驚きだが、先程の男子生徒たちの悲惨な状態を考えれば人的被害がこれだけで済んだことはまさに重畳ともいえる。
「建物および施設面での被害はどうだ?」
「格闘演習場および騎士棟の大半の建造物が被害を受けました。特に格闘演習場はすべての建物が崩壊し、一面焼け野原になっているそうです。」
「焼け野原? 演習場は全体が石造りの建物ばかりのはずだが・・・。」
首をひねる王に淡々とハインリヒが答える。
「敷き詰めてあった石畳が全て融解して焼失したそうですよ。」
かつて自分の学んだ王立学校の様子を思い出し、それがすべて消失したと知って王は絶句した。改めてドーラの怒りの凄まじさを思い、体に戦慄が走る。
「再建案はこちらにまとめてございます。」
口を開けて固まる王にハインリヒが新たな資料を差し出す。
「・・・ふむ。夏の半ばまで休校か。しかし三か月半で復旧できるのか?」
「騎士棟の復旧の目途は立っておりません。しかし王立学校との協議の結果そうなりました。」
王は王杓を無意識に弄びながらじっと考え込む。確かに教師たちの訴えている通り、生徒たちの学習を遅らせるわけにはいかない。復旧までは魔力演習場を男女合同で使用しながら、授業を進めるしかないだろう。
資料を読む限り、そのための改修工事だけなら夏までに何とかなりそうだ。
「ではそのように進めて行こう。ドーラ様の方はどうだ?」
「事件後、すぐにカールの元へ伝令を走らせました。早舟を使って昨日王都に到着し我が家におりましたが、おそらくすでにドーラ様の元へ向かっているかと。」
「ありがとう。よい判断だハインリヒ。ドーラ様の慰留に努めるよう伝えてくれ。」
「承知いたしました。すべては王と王家のために。」
短いけれど気持ちのこもった王の労いの言葉に、ハインリヒは表情を変えることなくいつも通りに頭を下げて応えた。
二人で細々した打ち合わせをした後、ハインリヒは部屋を出て行った。王は立ち上がり、身支度をするために侍女のヨアンナに声をかける。彼女に執務用の衣装への着替えを手伝ってもらいながら、王はドーラのことを考えた。
今回、人間の悪意がドーラの大切な存在を傷つけてしまった。これまでもエマが危険な目に遭うことはあったがそれは明確にエマを狙ったものではなかったし、ドーラの怒りに触れる前に未然に防がれていた。しかし今回は違う。
人間をこよなく愛するドーラにとって、今度の事件は大きな衝撃になったはずだ。これまで王が恐れていたことが現実になったと言ってよい。
神竜であり大地母神でもあるドーラはこの国の根幹といえる存在だ。その彼女が今回のことで人間を、王国を見捨ててしまったら。
もちろんそんなことにならないよう、これまで手を打ってきた。しかし今回の対処如何では、王国は滅びの危機に瀕することになる。
「・・・神に触れることなかれ。我らはただ祀ろうのみ、か。」
王家に代々伝わる戒言を口の中でそっと呟く。それに気づいたヨアンナが心配そうな顔で「どうかなさいましたか?」と尋ねたが、王は「何でもない」と笑った。
こちらに触れるつもりがなくても神が自らの意思で近づいてきたとしたら、人間はどうすればよいのだろうと、思わず祖先に問いかけたくなる。神の力の前には、人間などあまりにも無力な存在だ。
だがそれでも、自分は王としての責務を果たさなくてはならない。この地に暮らす民を守ること。そして神に愛されるような国を作ることが、王家に生まれた自分の使命なのだから。
幸いなことに彼のまわりには理想を同じくする多くの者がいる。親友であるハインリヒやその息子カールはもちろん、自分を支えてくれる多くの人々。そして彼自身がこれまで培ってきた神との絆。
今はそれを信じて自分にできることをするしかない。そう思うと自然と背筋が伸び、視界が晴れるような気がした。
「では行ってくるよヨアンナ。」
「はい。ヨハン様、お気をつけて。」
身支度を終えた王はスッと息を整えヨアンナに礼を言うと私室を出、護衛の騎士と共に政務の場に向かうために歩き出した。ひどい頭痛はいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
読んでくださった方、ありがとうございました。




