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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
11/93

11 交渉

メリークリスマス!

 《不可視化》で姿を消した私たちは《集団転移》で歓楽街の水路に掛かる小さな橋の上に移動した。


 人気ひとけのない通りを静かに移動し物陰で《不可視化》を解除すると、クルベ先生以外のみんなは周りをキョロキョロと見回し、お互いの姿を確認し合っていた。


 集団で《不可視化》の魔法を使った場合、自分と術者以外の姿は見えなくなる。だから、さっきまで皆には私以外の人の姿が急に消えてしまったように見えていたはずだ。


 それがまた見えるようになったのだから、びっくりしたんだと思う。クルベ先生だけは気配で周りの人たちを様子が分かっていたみたいだけどね。






「ペトラさん、気持ち悪くないですか?」


 私はペトラさんに問いかけた。彼女はこの中では初めて《集団転移》を体験したからだ。乗り物に酔いやすい人は《転移》系の魔法で体調を崩すことがある。ガブリエラさんやテレサさんは《転移》の後、よく軽い頭痛や吐き気に悩まされていた。


 ペトラさんは少し青い顔をしていたけれど、「大丈夫だよドーラ。ちょっとびっくりしただけさ」と笑顔で答えた。


「それにしても魔法っていうのは本当にすごいもんだね。貴族様があんなに威張ってる訳が分かった気がするよ。」


 ペトラさんが閑散とした通りを見回しながらそう言うと、カフマンさんがすぐにそれを否定した。


「いや、俺が知ってる限りこんなことができるのはドーラさんくらいだぜ。普通の貴族は少し魔力が強いだけで、俺たち平民とそんなに変わんねえよ。」


「ほっほっほ、まあそうじゃな。だが貴族の中には自分を特別な人間じゃと思っておる者も多いがの。平民であってもわしのような先祖返りやフラミィのように生まれつき強い魔力を持った者もおるのになあ。」


 クルベ先生がずれてしまった愛用の黄色い帽子を直しながらのんびりと言った。






「ではさっそく『夜の女神ニーキスの愛娘』たちに会いに行こうかの。」


 クルベ先生の言葉にペトラさんがぷっと吹き出した。


「流石は先生、ずいぶん古い言い回しをご存知なんですね。」


「?? 何ですかそれ?」


 そう尋ねた私にペトラさんが教えてくれた。


「歓楽街で働く娼婦たちの呼び名だよ。あたしのじいさんも彼女たちをそう呼んでたもの。」


 この国で一番多くの人に信じられている大地母神は、豊穣と多産を司る女神。女神ニーキスはその眷属神の一人で、性愛を司る夜の女神なのだそうだ。






「黒髪に青い瞳を持つ女神ニーキスは娼婦たちの守り神でもある。実際、ニーキスに仕える太古の巫女たちは娼婦を兼ねていたという記録も残っておるからな。」


 クルベ先生がそう言うと皆、感心したように声を上げた。ちなみに女神の黒い髪と青い目は夜空に浮かぶ青い月を表しているんだって。すごく面白いです!


「命を生み出す行為を神聖視する思想はかつては多くの国にあった。性愛を司る女性たちは尊敬の対象だったのじゃよ。ただ男系の王が立つ国が増えるにつれて、次第にその考えは廃れてしもうたがの。」


 それを聞いてペトラさんは何か考え込むような顔をして黙り込んでしまった。






 私は皆を先導して簡単な作りの小屋が並ぶ通りを歩いて行った。お昼時だというのにほとんど人の姿を見かけない。時々すれ違うのは眠そうな顔をした女性や目つきの鋭い男性たち。あとは小屋の陰から私たちの様子をこっそり窺う子供たちの影くらいだ。


「王都の歓楽街は昼過ぎくらいから一日が始まるって話だからね。」


 人がいないことを不思議に思ってキョロキョロしていたら、フラミィさんが私にそう教えてくれた。ふむふむ、じゃあ今はまだ歓楽街にとっては夜明け前ってことか。どおりで人が少ないはずだよね。






「にしても、あの煌びやかな歓楽街がこうもきれいに無くなっちまうとはなあ。ひでえとは聞いてたが、実際に目の当たりにすると言葉が出てこねえぜ。」


「ペンターさんは前に歓楽街に来たことがあるんですか?」


 私の問いかけに「ああ」と言って頷いたペンターさんをフラミィさんがすごい目で睨みつける。それに気づいたペンターさんは慌てて両手を振り、言い訳を始めた。


「勘違いすんなよ! 親父の下で見習いをしてた時に仕事で一回来たことがあるだけだ! 成人前でそのうえ昼間だったから! 後ろ暗いことは何にもしてねえよ!」


 それを聞いてフラミィさんの目が途端に穏やかになる。ペンターさんの言い訳が通じたみたいだ。彼は大きく息を吐いた。私は疑問に思ったことを二人に聞いてみた。






「ペンターさんが言った後ろ暗いことってどんなことですか?」


 その途端、フラミィさんとペンターさんは顔を見合わせて真っ赤になってしまった。黙ってしまって私と目を合わせてくれない。


 困ってカフマンさんに視線を向けたら彼もわざとらしく目を逸らし、急に口笛を吹き始めた。クルベ先生もほっほっと笑っているだけで何にも答えてくれなかった。


 結局ペトラさんに「あんたにゃまだ早いよドーラ」と優しい調子で言われて、その話はそこで終わってしまったのでした。






「もうすぐ着きますよ。」


 昨日歩いた通りを辿っているうちに、イゾルデさんの小屋が見えてきた。指をさして皆にそれを示した私に、近くの小屋の陰から現れた若い男の人が声を掛けてきた。


「おい待ちな。見かけねえ顔だな。どこのシマのもんだ、てめえ?」


 彼は男の人にしては随分声が高かった。体や手足も細い。汚れているからよく分からないけど、まだ成人前なのかもしれないね。


 薄汚れた服を着た彼からは、何日も体を洗っていない匂いがする。イゾルデさんがお風呂を沸かす薪が足りないって言ってたけど、女の人たちはこんなに汚れてはいなかった。


 もしかしたら女の人に優先してお風呂を使わせているのかな?


 私がそんなことを考えながら黙って彼の顔を見ていたら、彼は苛立たし気に右手をさっと振りぬいた。そこにはいつの間にか小さな短刀が握られていた。


 多分腕を振った時にどこかに隠してあった短刀を取り出したんだと思うけど、まるで魔法を使ったみたいな鮮やかさだった。すごい!






 刃物を見た皆が体を緊張させる気配がした。短刀の扱いに見惚れている場合じゃない。まずは聞かれたことに答えないとね。ところでシマって何のことだろう。住んでいる場所を言えばいいのかな?


「えっと、私はハウル村のまじない師ですけど・・・。」


「ハウル村? そんな田舎者いなかもんがこの街に一体何しに来やがった? 答えによっちゃあタダじゃ置かねえぞ!!」


 なぜかは分からないけれど、怒らせてしまったみたいだ。彼の怒鳴り声と共に、私の後ろでカフマンさんとペンターさんがさっと身構える音が聞こえた。


 彼の声に応じるかのように、通りの両側にある小屋の陰から刃物を持った男の子たちが次々現れる。私たちはいつの間にか周りをたくさんの男の子たちに取り囲まれていた。


 目の前の男の子が私に向かって短刀を見せつけるように突き出しながら、私の顔を仮面越しに睨みつける。


 周りの男の子たちもじりじりと私たちに近づいてくた。カフマンさんとペンターさんは、フラミィさんたちを庇うように腕を広げ、その前に立ち塞がった。


 これはピンチです! このままだとけが人が出るかもしれない。危なくないように魔法で男の子たちを眠らせちゃおう!







 私が《集団安眠》の魔法を使おうとしたその時、正面の小屋からイゾルデさんが慌てた様子で姿を見せ、男の人に言った。


「おし、オイラー。そのはあたしの客だよ。」


 穏やかだけれどはっきりした調子でイゾルデさんが声をかけるとオイラーと呼ばれた男の子は、カフマンさんたちを気にしながら彼女の方を振り返った。


「イゾルデ母さん! でもこの連中・・・!!」


「安心おし。あんたが心配するようなことは起こらないから。さあ、みんな仕事に戻んな。」


 優しい調子でそう言われた男の子たちは、ちらちらと私たちの方を気にしながら小屋の陰に消えていった。最後まで残っていたオイラーくんは、私の顔に自分の顔をぐっと近づけた。


「おい、田舎者のまじない師! おめえ、母さんやガキどもにおかしなことしたら、俺が切り刻んで豚のエサにしてやるからな! 覚悟しとけよ!!」


 精一杯低い声で私にそう言った彼を、イゾルデさんが「オイラー!!」と叱りつけた。彼は「フン!!」と盛大に鼻を鳴らすと、現れたときと同じようにあっという間にどこかに消えてしまった。






 彼がいなくなったことで、皆が緊張を解いた気配がした。私はイゾルデさんに向かってぺこりと頭を下げた。


「イゾルデさん。昨日言われた通り、会いに来ましたよ。」


 私が笑顔で彼女にそう言うと、彼女は一瞬奇妙な表情をした後「やっぱりあんた、ちょっとズレてるね」と言ってくすくす笑った。


「あたしの身内が迷惑をかけちまったね。すまなかったよ。血の気は多いが悪い連中じゃないんだ。勘弁しておくれよ。」


 イゾルデさんは私と私の後ろにいるカフマンさんたちに向かってそう言った。私が振り返るとカフマンさんが「いや、こっちこそいきなり訪ねてきて来て悪かった」と彼女に謝った。彼女はカフマンさんをじっと見てから私に言った。






「ドーラ、この人たちをあたしに紹介してもらえないかい?」


 私は皆をイゾルデさんに紹介した。彼女は私の紹介を聞きながら一人一人と短い挨拶を交わしていった。


「新興商会の会頭とその秘書。王都でも名工と評判の剣匠ソードスミスと若手随一の職人といわれる大工の棟梁。おまけに高名な建築術師。また随分と大層な連中を引っ張ってきたんもんだね。」


 イゾルデさんは皆のことを知っているみたいだ。皆すごい人たちばっかりだもんね。皆のことを褒めてもらって、私はすっかり嬉しくなってしまった。


「私、いつも村でみんなに助けてもらっているんです。イゾルデさんのことを話したら、皆も私に協力するって言ってくれたんですよ。」


 私がそう言うとイゾルデさんは目を細めてにっこりと笑った。


「へえ、そうなんだ。で、あたしたちに何をしてくれるんだい、カフマンの旦那?」


 イゾルデさんは前に組んでいた両腕をぐっと持ち上げて、その大きな胸を見せつけるように体を傾けた。彼女の薄い布地の服は胸が大きく開いているため、今にも胸が零れ落ちそうだ。


 ペトラさんは少し硬い表情でその様子を見ている。でもカフマンさんはまっすぐイゾルデさんの目を見つめ、きっぱりとした口調で答えた。

 





「ドーラさんからそちらの事情はあらかた聞いている。単刀直入に言おう。歓楽街再建のためにあんたに出資をしたい。金額や条件を詰めたいから、そっちの事情を詳しく話してくれないか。」


 カフマンさんの言葉を聞いて、イゾルデさんは腕を組みかえた。彼女の腕の上で形のいい胸がぽよんと弾む。


「あんた今、出資と言ったね。あんたがあたしらに金を出してくれるのかい? 金を貸すんじゃなくて?」


「金を出すのは俺じゃない。うちの商会が作ったハウル銀行って店だ。代表はペトラさ。あと、返ってくる当てのない金を貸すような真似はしねえよ。そんなことしたってこっちには何の旨味もないからな。」


 しばらく何かを考えるような表情をした後、イゾルデさんはカフマンさんの横に立っていたペトラさんに言った。






「あたしらの事情を話す前に、あんたらの条件を聞かせてもらえるかい?」


 ペトラさんが前に進み出てそれに応える。


「ハウル銀行はあんたに娼館とそれに付随する施設再建のための金を出す。それに対するあたしたちの条件は二つ。」


 ペトラさんは右手を前に出し、指で数を示しながら言った。


「一つ目は娼館の共同経営権と収益の全額。二つ目は娼館内で使う備品や消耗品はすべてカフマン商会から調達すること。」


 イゾルデさんは全く表情を変えなかった。けれど私には彼女がごくわずかに奥歯を噛んで、眉を寄せたのが分かった。






「呆れたね。儲けを全部かっさらおうっていうのかい? 話にならないよ。そんなことされたら女たちはどうやって食っていけばいいんだい。」


 冗談めかした調子でゆっくりとそう言いながらも、その声には氷のような冷たさが滲み出ていた。彼女は一歩前に踏み出し、腰に手を当ててペトラさんの正面に立った。


 小柄なペトラさんとイゾルデさんは頭二つ分くらい、背の高さが違う。こうやって並ぶとまるで大人と子供だ。


 栗色の長い髪を無造作に垂らした鋭い顔立ちのイゾルデさんと薄茶色の髪をきちんとまとめて小さな眼鏡をかけた丸顔のペトラさん。すごく対照的な二人は、同じくらい強い光を目に湛えて互いに睨みあっている。


 イゾルデさんはペトラさんの頭の上から吐き捨てるように彼女に言った。


「奴隷と変わりないじゃないか。そんな条件、飲めるわけないだろう!」






 決して大きな声ではないのに低い声でぴしゃりと言われ、私は思わず体をビクッと震わせた。でもペトラさんはそれにも全く動じることなく、冷静にゆっくりと言い返した。


「待っておくれ。何か勘違いしてるようだけど、娼館で働いてる人間にはそれに見合った報酬をきちんと支払う。もちろん経営責任者であるあんたにもね、イゾルデ。」


「・・・どういうことだい?」


 イゾルデさんは眉を寄せて訝しそうな顔をした。ペトラさんは彼女から目を逸らすことなく不敵に笑った。


「つまり娼館の売り上げから女たちへの報酬や運営に必要な経費を引いた額が、あたしらの取り分ってことさ。」






 イゾルデさんはしばらく黙った後、さっきまでとは全然違う落ち着いた声で言った。


「そんなんであんたたちの儲けになるのかい? もしあたしらが儲けをごまかしたらあんたたちの取り分は無くなっちまうじゃないか。」


 するとペトラさんはフッと鼻から息を吐きながら、白い歯を見せた。


「イゾルデ、あんたずいぶん正直だね。」


 イゾルデさんは嫌そうに顔を顰める。それを見てペトラさんは面白がるような顔をし、それを胡麻化すみたいに小さな銀色の眼鏡を右手でくいっと上げながら言った。






「もちろんそんなことにならないように、ハウル銀行から会計担当の事務員を派遣させてもらう。それに収益が出ないようなら当然、責任者であるあんたの取り分も減らさせてもらうよ。逆に儲けが多ければ、あんたや女たちの取り分を増やす。」


「なるほどね。そうやってあたしらに首輪をつけるってわけか。」


 イゾルデさんは腰に当てていた手をまた胸の前で組んで、そう呟いた。


「まあね。でもあんたが稼いだ金であたしらが出資した金を返してくれたら、いつでもその首輪は外すつもりさ。あたしらが欲しいのは奴隷じゃない。あんたたちが稼いだ金なんだからね。どうだい?」


 熱のこもった調子で問いかけたペトラさんに対して、イゾルデさんはしばらく考えた後ゆっくりと首を振った。ペトラさんはそれを見て悔しそうな表情で唇を引き締めた。






「いや悪い話じゃないとは思うよ。だがこっちにもいろいろ事情があるのさ。」


 イゾルデさんがそう言うと、ペトラさんは両手を動かしながら話し始めた。


「もちろんゆっくり考えてもらっていい。細かい条件に付いては詰めさせてもらうつもりだよ。そっちの要求があるならこれから・・・。」


 勢い込んで話し始めたペトラさんを押しとどめるように、イゾルデさんはゆっくりと右手の平を差し出した。


「あんたの出してくれた条件に不満はない。むしろ願ったりさ。だがあたしはまだあんたらを信用できないんだ。」






 ペトラさんの話をちゃんと聞いてくれたのに、どうしてなんだろう。私は彼女に聞いてみた。


「イゾルデさん、それはどうしてですか?」


「それはねドーラ、この話が美味すぎるからだよ。まるで施しを受けてるみたいな気になっちまうのさ。」


「あたしは別にそんな・・・!」


 ペトラさんがその言葉を否定しようと何か言いかけたけれど、イゾルデさんは手を挙げてそれを押し止めた。


「ニーキスの左目にかけて、あんたにそんなつもりはないってのは分かってる。あたしらがそれを受け入れざる得ないってこともね。でも何よりも納得できないことが一つあるのさ。」


 彼女はスッと体を引き、私たち全員をゆっくりと見渡した。


「あんたたちの本当の望みは何だい?」






「そ、それは・・・。」


 ペトラさんが言葉に詰まって彼女から視線を逸らした。その場に重い沈黙が降りる。皆、どうしたらいいかと問いかけるような目でお互いの様子を窺っている。皆の視線に気づいたカフマンさんが軽く頭を振り、何か言おうとした。


 でも彼が言うよりも早く、気がついたら私は声を上げてしまっていた。


「私が、皆にお願いしたんです。イゾルデさんたちを何とかしてあげたいって。それはいけないことでしたか?」


 直後、カフマンさんとペトラさんが一瞬視線を合わせるのが見えた。他の三人は私のことを心配そうに見ている。


 イゾルデさんは一瞬呆気にとられた顔をした。けれど皆の様子を見て嬉しそうに笑いながら私に近づいてくると、背中の方に回って私の首に両腕をゆっくりと絡ませた。柔らかくて大きな塊が私の背中にぎゅっと押しつけられる。






「そう、あんたが。なるほどね。」


 彼女が私の耳元でふふふと薄く笑うのが聞こえる。でも真後ろにいるので表情は見えない。カフマンさんとペンターさんが険しい顔で私たちを見つめている。クルベ先生はペトラさんとフラミィを守るように、杖をすっと構えた。


 一瞬の沈黙の後、イゾルデさんはゆっくりと私から体を離した。


「ねえドーラ、ペトラ。あたしの小屋へおいでよ。三人で女だけの内緒話と洒落込もうじゃないか。」


 すごく魅力的な笑顔で彼女は笑い、私とペトラさんに軽く手招きをした。私は何と答えてよいか分からず、ペトラさんを見た。彼女は口元をきゅっと引き締めると、力強い声で言った。


「ああ、いいとも。行こうドーラ。」


「ペトラ!!」


 カフマンさんが鋭い声でペトラさんの名前を呼んだ。けれど彼女が彼に向かって軽く頭を振ると、小さく「くそっ」と呟いて、怖い目つきでイゾルデさんを睨みつけた。


 何が起こったのか分からないまま、私はペトラさんと一緒にイゾルデさんの小屋に入った。






 以前来た時に子供たちがぎゅうぎゅうに詰まっていた部屋はがらんとして薄暗かった。この小屋の中にいるのは私たち三人だけのようだ。


「ドーラ、明かりの魔法は使えるかい?」


「もちろん出来ますよ。《絶えざる光》」


 私が魔法を使うと、部屋の天井の辺りに白い輝きを放つ明るい光球が出現した。部屋の中に光が満ち、お互いの姿がよく見えるようになる。その明かりの下でイゾルデさんは腕組みをしながら、私たちを確かめるようにゆっくりと眺めた後、おもむろに話し始めた。


「ありがとうドーラ。早速さっきの話の続きだけどねペトラ。あんたの話、飲もうと思う。」


「本当ですか!? よかったですね、ペトラさん。」


 やっぱりイゾルデさんは分かってくれたんだ。私は心からホッとしてペトラさんにそう言った。でもペトラさんは厳しい表情のまま、イゾルデさんをじっと見つめていた。






「もちろん本当さドーラ。そうするしかなさそうだからね。ただその前に一つだけ確かめておきたいことがある。」


 イゾルデさんはペトラさんの方に向き直ると、右手の親指を上げて私の方を指しながら言った。


「ペトラ、このの顔をあたしに見せておくれ。」


「えっ、そんなことでいいんですか?」


 どうして私の顔を見たいのか分からないけれど、それくらいは別に何でもない。マリーさんたちからは知らない人にはあんまり顔を見せないようにって言われてるけど、イゾルデさんは知らない人じゃないから大丈夫だよね?


 私が半仮面を外そうとして長衣のフードに手を掛けたら、イゾルデさんがそれを鋭い調子で止めた。






「お待ちよ、ドーラ。あんたに聞いてるんじゃない。あたしはペトラに聞いてるのさ。」


 私の顔を見るのに、どうしてペトラさんに聞くんだろう? 理由が全然わからない。もしかしたら私の知らない、人間だけに分かる秘密の話なんだろうか。


 私は不安になって二人の顔を交互に見つめた。二人ともじっと表情を動かさないけれど、ペトラさんの心臓の音が明らかに早くなっているのが聞こえる。


 ほんの少しの空白の時間の後、ペトラさんは口を開いた。


「どうしてそんなことを?」


「いや、単なる興味さ。大商会の会頭や高名な術師とつながりがあるまじない師が一体どんな顔をしてるのか。拝んでみたくなっただけだよ。」


 イゾルデさんは勝ち誇ったように笑うと、私の肩を右手で抱き寄せながらゆっくりとペトラさんに言った。


「あたしと同じように思う人間は多分、大勢いるんじゃないかねえ。」






 ペトラさんはハーっと大きく息を吐きだし、両手を軽く上に挙げた。


「言い淀んだ時点であたしの負けだったね。降参だ。だけどこれで五分五分だろ。くれぐれ取引相手は間違えないようにね。」


 ペトラさんはそう言って、イゾルデさんに右手を差し出した。


「もちろんさ。あたしがおかしな気を起こさずに済むよう、これから末永くよろしく頼むよ、代表さん。」


 イゾルデさんがペトラさんの手をとる。二人は歯を剥き出して笑い、睨みあうようにしながら固く握手をした。よく分からないけれど、話し合いはうまくいったみたいだ。


 私は二人に「よかったですね」と笑いかけた。するとペトラさんが私に言った。






「ドーラ、イゾルデがあんたの顔を見たいと言ってる。見せてやってくれるかい?」


「もちろんいいですけど・・・?」


 私はフードを脱いで半仮面を外した。その拍子にまとめていた髪がほどけてしまい、長衣の上にさあっと広がった。白い光に私の髪が反射して、一瞬虹色に輝いた。


 私の顔を見たイゾルデさんは口をまん丸にしてしばらく固まっていたけれど、すぐにお腹を抱えて笑い出した。






「あっはっは、こりゃあ、おったまげたね! 予想以上だよ、ドーラ。」


「?? 何のことですか、イゾルデさん?」


「いやいや、こっちの話さ。何だかペトラが気の毒になってきたよ。」


「そう思うんなら、これからはもっとお手やらかに頼むよイゾルデ。」


 二人は顔を見合わせると同時にニヤリと笑った。そしてどちらからともなく私を両側から挟むと私の髪を撫で始めた。






「え、ちょっと、どうしたんですか、二人とも?」


「あんたのおかげでいい取引ができたってことさ、ありがとよドーラ。」


「はい、どういたしまして?」


 訳が分からないまま二人の顔を見ていたら、ペトラさんが私に言った。


「ドーラ、カフマンたちを呼んできてもらえない? 多分、すごく心配してるだろうから、中で話そうって伝えてきておくれよ。いいよね、イゾルデ。」


「ああ、もちろん。詳しい話を聞こうじゃないか。」


 やっとお仕事の機会だ。私は「任せてください!」と応えて小屋の外に行き、心配そうに通りをウロウロしていた皆のところに向かったのでした。











 ドーラが小屋を出ていくとすぐに、イゾルデはペトラに話しかけた。


「あの、王家の血を引いてるのかい?」


「・・・知らないね。真相を知ってる人間はいるんだろうけど知りたいとも思わないよ。ただ表向きはハウル村のまじない師ってことになってる。ところでなぜそう思ったか聞いていいかい?」


 イゾルデは呆れたようにフンと鼻を鳴らして、頭上に輝く光球を眺めながら言った。


「わかって聞いてるんだろう? 詠唱せずに使ったこの明かりの魔法や手指の美しさ、それに言葉遣いを聞いただけでも並みの貴族じゃないってことくらいは分かるよ。ただ、あの自身は自分の出自を知らないようだね。」


 ペトラは盛大に顔を顰めて見せた。それを見たイゾルデは可笑しそうに笑った。






「気持ちは分かるけどそんな顔しなさんなって。あたしもこれから仲間になるんだからさ。今のところあんたを敵に回すつもりはないよ。あの娘のことを心配してるのはあんたと同じさ。」


「てっきりドーラのことをネタにあたしらを脅すかと思ったのに・・・噂とはずいぶん違うんだね。」


 イゾルデは苦いものを口にしたように唇を歪め肩をすくめると、両手を挙げて頭を振った。


「はっ、どうせ碌な噂じゃないんだろう。まあ、自分でも甘っちょろいとは思うよ。でもさすがにあんなに危なっかしいんじゃ・・・。毒気を抜かれちまうってもんさ。」


 イゾルデは大きなため息をついて、しみじみと呟いた。


「てっきりあんたらがあのを利用して、あたしらのシマを荒らしに来たんだとばっかり思ってたよ。あたしもヤキが回ったかねぇ。」


 何とも言えないイゾルデの情けない表情を見て、ペトラがぷっと吹き出す。それを合図に二人は腹を抱えて笑い出した。互いの体をぱしぱしと叩きながら息が絶えだえになるまで、二人はそうやって笑い続けたのだった。











 私は皆を連れて、ペトラさんとイゾルデさんのところに戻った。二人は私を見ると澄ました顔で「ご苦労だね、ドーラ」と言った。カフマンさんがペトラさんと目を合わせると、彼女は黙って頷いた。


 カフマンさんが手を差し出しイゾルデさんがその手を取る。二人は固い握手を交わした。


「よし、じゃあ細かい打ち合わせと行こう。」


 その後、皆で小さなテーブルを囲みながら、歓楽街の復興に必要なものについての話し合いをした。私はクルベ先生たちと一緒に、歓楽街全体に温水を巡らせるための水路を作ることになった。


 イゾルデさんは王様が作った魔道具の図面を見て目を丸くし、私と図面を何度も見比べていた。






 話し合いが終わった直後、小屋に次々と子供たちが飛び込んできた。その子たちと入れ替わりに小屋を出ると、太陽が大分傾いてしまっていた。もうすぐ夕暮れ。具体的な作業は明日からだ。


 もうそろそろエマも部屋に戻っているはず。早く帰って話を聞かせてあげたいな。


 私はまた物陰で《集団転移》の魔法を使って、皆をそれぞれの家に送り届けた。そしてフランツさんのお家でマリーさんたちに学校でのエマの様子を伝えた後、《転移》でエマの部屋に帰った。


 でもこの時の私はまだ、エマの身にとんでもないことが起こっているなんて全く予想もしていなかったのでした。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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