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missドラゴンの備忘録  作者: 青背表紙
10/93

10 作戦会議

また長くなってしまいました。二つに分けた方がよかったかなと悩みましたが、結局うまく分けられませんでした。もしよかったら、ご意見などいただけるとありがたいです。

 次の日、午前中の仕事を終えた私は後のことをリアさんにお願いして、王都のカフマン商会に向かった。


「おお、ドーラじゃないか。カフマンに会いに来たのかね? それとも商品を届けに来てくれたのかな?」


 王都の商業区の外れ。職人街と接する通りにあるカフマン商会の支店を訪ねると、ホフマンさんが満面の笑顔で私を出迎えてくれた。ホフマンさんはカフマンさんのおじいさんで、長年ハウル村に行商に来てくれていた人だ。


 でも今は足を悪くしたため、もっぱらこの支店で『店番』をしている。私が訪ねて行った時も奥の部屋の机に座って多くの人たちに色々な指示を出したり、書類を書いたりしているところだった。


 私が「忙しいところにお邪魔してすみません」と謝ると、ホフマンさんは大きな声でガハハと笑いながら言った。






「そんな遠慮はいらないよ。ドーラはカフマン商会うちにとっては文字通りの幸運の女神なんだから。それにあのアルベルトの孫娘なら、俺にとっても孫みたいなものさ。いつでも遊びに来ておくれ。」


 久しぶりにアルベルトさんの名前を聞いて胸の奥が暖かくなった。アルベルトさんはハウル村の前村長で、エマの義理のおじいさんだ。村に彷徨いこんだ私を迎え入れてくれた人でもある。


 アルベルトさんとグレーテさんが立て続けに亡くなったのは、今から6年前の冬。今ではハウル村でも二人の名前が話題に出ることはあまり無くなってしまった。それは仕方のないことだと思うけれど、やっぱり少し寂しい。


 だからこうやって二人のことを覚えている人がいるということが、とっても嬉しかった。私はホフマンさんに「ありがとうございます」とお礼を言ってから、用件を切り出した。






「実は相談したい事があって、カフマンさんに会いに来たんです。」


「そうなのかい? ありゃあ、参ったな。カフマンの奴なら何日か前に船でハウル村へ行っちまったんだ。本店の再建工事の確認のためにな。ペトラも一緒に行ってるからなあ・・・。」


 ホフマンさんは申し訳なさそうに頭を掻きながらそう言った。長年辺境の行商をしていたホフマンさんは、木こりのフランツさんと同じくらい体格がいい。そんな彼が体を小さくしているのが何だが可愛らしく見えて、私は思わずクスリと笑ってしまった。


「わかりました。じゃあ私、ハウル村に行ってみます。あ、あとついでに頼まれていた品物も今ある分、全部置いていきますね。」


「おお、そりゃあ助かるよ。復興工事のせいであっちこっちから注文が入っててね。」


 私はホフマンさんが案内してくれた倉庫に、依頼されていた品物を《収納》から取り出し並べていった。依頼品は木箱に入った魔法の美容薬や化粧水、各種の回復薬や治療薬、そして大きな板ガラスと鏡だ。


 小さな倉庫をいっぱいにして外へ出ると、私と入れ替わりに入ってきたカフマン商会の人たちがどんどん荷物を改めはじめた。






「ありがとよドーラ。代金はいつも通り、ハウル銀行の方に入れておいていいんだな?」


「はい、お願いします。でもここが火事の被害に遭わなくて本当によかったですね。」


 私がそう言うとホフマンさんは神妙な顔で頷いた。


「ああ、まったくだよ。南側にあった老舗の連中の店や倉庫は丸ごと燃えちまったからな。これもドーラ様のご加護があってこそってもんだ。」


 ホフマンさんが言っているドーラ様っていうのは私じゃなくて、この国で信奉されている富と幸運の女神のことだ。美しい金色の髪を持ち、朝日と共に地上に舞い降りるとされているこの女神は、人々に富と幸運をもたらすと言われている。


 この国ではかなり有名な神様で、思いがけない幸運に恵まれたときなどに使う『ドーラの前髪に触れた』という表現を王都ではよく耳にすることがある。ハウル村ではあんまり使う人がいなかったから、聞くたびにちょっとビクッとしちゃうんだよね。


 私の名前はこの女神が元になっている。エマは私を最初に見たとき本物のドーラ様だと思ったのだそうだ。その話を聞いたとき、何だか不思議な気がしたものだ。






 私には神や精霊の友達がたくさんいたけれど、誰も名前を持っていなかった。皆、互いに空の神とか森の精霊とか呼び合っていて、特に困りもしなかったからだ。


 私は虹色とか洞穴の竜とか呼ばれていたけど、これは私の鱗の色やねぐらを示しているだけで名前ではない。だから神が名前を持っているというのがすごく変な感じだ。


 その上、会ったこともない神の名前を私が勝手に名乗っているのもちょっと悪い気がする。幸いなことに女神ドーラからは今のところ何も連絡がない。もし会えたら、勝手に名前を使ってごめんねって言おうと思っているんだけどね。


 だからといって名前を変えるつもりはない。だってせっかくエマがつけてくれた名前だし。人間にもおんなじ名前の人がいっぱいいるから、同じ名前の神と竜がいても別にいいよね?






 私がまだ見ぬ女神ドーラのことを考えていたら、いつの間にかホフマンさんは私に向かって腕を上下に合わせ「これからもよろしく頼んます、ドーラ様」って祈りを捧げ始めた。


「もう、ホフマンさん! 私は女神ドーラじゃありませんよ!」


 私がそう言って頬を膨らませてみせると、彼は「ははは、すまんすまん」と大声で笑いながら謝った。これはホフマンさんの私に対するお決まりの冗談だ。二人でひとしきり笑った後、彼は私の頭をフードの上からポンポン撫でながらしみじみと言った。


「本当にひどい火事だったからな。炎があと一つ水路を越えてたら、うちの店や倉庫、それに職人街まで灰になっちまってたところだった。とにもかくにもドーラの前髪に感謝したい気持ちなのさ。」


「ホフマンさん・・・。」


 明るい表情の中にも暗い影が感じられるのは、彼があの火事の日のことを思い出しているからなのだろう。






 王都のカフマン商会があるのは商業区の北の外れ。もともとはカフマンさんの幼馴染で今は彼の秘書をしているペトラさんのお父さんが小さなお店を開いていた場所だ。


 周りにあるのは比較的小さい商会の店や倉庫ばかり。数年で急成長した新興商会とはいえ、王都領はおろか他領にまで販路を持つカフマン商会が店を構えるには不釣り合いな場所だ。


 王都で取引される荷物の多くは、ドルーア川を使って船で運ばれる。大きな平底船が停泊できる川港は南門の周辺にあるため、取引量の多い老舗の商会のほとんどは南側に集中しているのだ。


 取引量と販路の規模を考えればカフマン商会だって南側に店を構える資格は十分にある。けれど商業ギルトでの話し合いの結果、カフマン商会は北の外れに店を構えることになったのだ。


 ホフマンさん曰く『カフマン商会は胡散臭い成り上がり』なので、老舗の商会の仲間に入れてもらえなかったらしい。


 港から遠ければそれだけ荷物の積み下ろしに手間や時間がかかる。大きな帆船から橋の下を通れる小さな平底船や荷車に荷物を積みかえなくてはならないからだ。当然、それだけ費用も掛かってしまう。


 つまり勢力を伸ばしつつあるカフマン商会を警戒して、わざと意地悪をされたってことだ。






 でもカフマンさんはそれを逆手に取った。職人街に近いという立地とペトラさんのお父さんが持っていた人脈を生かして私の作ったガラスや鏡、ハウル村から運び込まれる魔獣の素材や木材を職人ギルドに安い値段で売り始めたのだ。


 職人さんたちは基本、職人ギルドが別々の商人さんたちから買い集めた素材を卸してもらっている。そうすることで素材を安定して手に入れることができ、生産が滞ったり偏ったりするのを防いでいるのだそうだ。ただこのやり方には欠点もあった。


 それは人の手を経るほど物の値段というのは上がっていくものだからなんだって。効率よく安定して素材を確保するために、職人ギルドはたくさんの商人さんに頼らなくてはならない。


 仕入れ先が多岐に渡れば、素材の管理には余計に手間と費用がかかる。そしてそれは素材の売値に上乗せされるのだ。つまり、これまで職人さんたちは高い値段で素材を買わなくてはならなかった。






 でもカフマンさんは職人ギルドと直接交渉して、一度に大量に商品を持ち込むことで個々の素材の値段を下げることに成功したのだそうだ。


 彼は商会の立地を生かして職人街に持ち込まれる素材を一手に買い付けた。職人ギルドの負担や出費を減らしつつ、個々の職人さんとの繋がりを作っていくためだ。彼は儲けをほとんど度外視して、それをやったという。


 その結果、よい素材をより安く手に入れることができるということで職人さんたちは皆、カフマン商会の上客になってくれた。





 更にカフマンさんは各職人や工房を競わせ、出来の良いものには惜しむことなく大金をつぎ込んだ。職人さんは自分の腕を高く評価してもらうことを何よりも大切にする。それによりこれまでになかった家具や装飾品、道具類が次々と生み出された。


 カフマンさんはそれを魔法の美容薬販売を通じて知り合った上位貴族の女性たちに売り込んだ。上位貴族の女性たちは美しいものや新しいものに目がないのだそうだ。それによりカフマンさんは莫大な利益を得ることができた。


 貴族からの注文が増えれば、それだけその職人さんの評価も高くなる。カフマン商会と取引すれば職人として名を上げることができるという評判は、瞬く間に広まった。それが今から5年程前の話。






 今では王都で一番腕の良い職人さんたちは、全員カフマン商会のお抱えになっているそうだ。カフマンさんはその職人さんたちの下で、さらに多くの若い職人さんたちを育てている。


 物を作る人。荷物を運ぶ人。計算したり記録したりする人。他にもたくさん。カフマンさんの商売で多くの人が仕事に就くことができ、街は活気づいた。カフマンさんは街の人たち皆と手を繋ぎながら少しずつ商売を広げ、たくさんの人を笑顔にしてきたのだ。


 彼は私やエマにいつも言っている。「金が無くて物を買えない連中がいるなら、俺がそいつらを金持ちにしてやればいい。そうすりゃ、俺の店の売り上げも伸びるってもんだ」って。お金を通じて人と人とをつなぎ、皆を幸せにしようとするカフマンさんはとっても素敵だなって思う。






 でも王都襲撃は、彼が長い時間をかけて作ってきたその大事な繋がりを危うく壊してしまうところだった。商業区を焼き尽くした炎が目の前に迫った時、カフマンさんは一体どんな気持ちだったんだろう。その時の彼の気持ちを考えると、胸の奥がぎゅっと痛くなる。


 幸いなことに突然山から吹き降ろしてきた北風で炎が逆向きになったこと、職人街の人たちが自作の消火具を使って火を食い止めてくれたことなどが重なって、カフマンさんのお店と職人街は燃えずに済んだ。


 ホフマンさんから聞いた話だと、カフマンさんをはじめとするカフマン商会の人も職人さんたちと一緒に火を防ごうと最後まで頑張ったそうだ。山から吹き降ろしてきた雪交じりの北風のおかげで、大きな火傷をした人もいなかったみたい。本当によかったと思う。


 これぞまさにドーラの前髪に触れたってことだよね。冗談めかしているけれど、女神ドーラへの感謝を口にするホフマンさんの気持ちが、私にもよく分かる気がした。











 私はホフマンさんにお別れを言ってから《転移》の魔法でハウル村のカフマン商会本店に移動した。カフマン商会本店はハウル街道に面した場所に建っている。目の前には商会専用の船着き場があり、そこに停まっている大きな平底船には多くの人たちが群がっていた。


 声をかけてくれる人に挨拶を返しながら、以前よりも少し大きくなったお店の中に入ると、顔見知りの店員さんが私に話しかけてきた。


「おやドーラさん。今日はまじない師の格好なんだね。会頭に会いに来たのかい?」


「そうなんです。カフマンさんがここにいるって聞いたんですけど・・・。」


「今、ペトラさんと一緒にカール様のところだよ。悪いけどそっちに行ってもらえるかい? 何しろついさっき船が着いたばかりで、手が離せなくってね。」


 取次が出来なくて申し訳ないという店員さんにお礼を言って店を出た私は、カールさんがいるという北門の衛士隊詰所に向かった。






 私が村のみんなと一緒にハウル村に帰ってきてからおよそ1か月半。ペンターさんたちの頑張りのおかげで少しずつ建物が建ち始めている。けれど、通りに面した広場にはまだたくさんの天幕が立ったままだ。


 この広場は以前、ガブリエラさんの屋敷と村の集会所兼学校があった場所だ。


 本当はガブリエラさんの屋敷は再建した後、ハウル村の管理を任されたカールさんが住む予定になっている。でも今はカールさんの意向で他の人たちの家や宿屋、お店を優先して立てているため、まだ広場のままなのだ。


 私も時間を見つけて(主に夜中に)建材の加工を手伝っている。ペンターさんによると、すべての建物を建て終わるのはどんなに早くても夏の半ばを過ぎてしまうかもしれないとのことだった。


 もともと石造りの建物が多かった東ハウル村はほとんどの建物が完成しているけれど、西ハウル村は農地と木造の家が中心だったので時間がかかるみたい。王都領全体で建物を建てる職人さんが不足しているから、こればかりはどうしようもないのだそうです。






 私は半仮面越しに街道を行く人たちの姿を眺めながら、ゆっくりと北門に向かって歩いた。


 春の半ばを過ぎ、暖かくなったおかげでハウル街道には村の人だけでなく、多くの行商人さんたちや隊商の人たちが行き来している。荷車を引く六足牛の足音や喧噪を聞きながら歩いているとやがて北門前の広場に着いた。


 広場ではいつものように市場が開かれていた。多くの人たちで賑わっている様子を見ると、自然と楽しい気持ちが沸き上がってくる。今はもうお昼が近い時間だから広場全体に美味しそうな食べ物の匂いが広がり、お客さんを呼び寄せようとする声が溢れていた。


 もちろん食べ物だけでなく見たこともないお酒や珍しい果物、使い方の分からない道具やきれいな模様の布などいろいろな品物が並んでいて、眺めて歩くだけでもすごく楽しい。この広場では衛士隊に届けさえすれば、誰でも自由に屋台や露店を出すことができる。でも他の街や村はそうではないらしい。






 他の町や村には商業ギルドがあるため、市場にお店を出す時にはそこに許可を取る必要があるそうだ。また出店料の他に、売り上げの一部をギルドに納めなくちゃいけないんだって。


 多くの人が集まる市場を管理するために必要なことらしいのだけど、小さな隊商や行商人さんにとってはそれが大きな負担になる。だから最近はハウル村で商品をやりとりしていく人たちも増えているそうだ。


 ハウル村にはカフマン商会の本店もあるし、王都まで行かなくても十分な儲けが出るからなんだって。確かに王都までの旅費や商業ギルドに収めるお金を考えたら、その方がいいのかもしれないね。


 そういうわけで今、ハウル村には多くの商人さんたちが集まるようになっていた。彼らは自由な取引が出来ることをすごく喜んでいる。けれど、いずれ村に商業ギルドが出来たらそれもできなくなるみたい。


 もっとも今はカールさんが、ギルドの施設や職員さんを受け入れるゆとりがないからと断っているから、当分はこのままらしいけどね。ただギルドの代わりに市場や通る人の管理をするカールさんと衛士隊の人たちはものすごく忙しそうだ。だから北門から帰る前にまた強壮剤や疲労回復の魔法薬をいっぱい置いて帰ろうと思う。











 賑やかな市場を抜けて北門に向かって歩いていくと、門を通ろうとする人たちの長い行列が見えてきた。私はその横を通って、門から少し離れたところにある詰所の入り口を目指した。


 小さな扉に近づくとその前に立っていた一人の衛士さんが私に声をかけてきた。


「そこのまじない師、止まれ!」


 今まで村では見かけたことのない人だ。匂いにも覚えがない。焦げ茶色の髪と目をしていて、そばかすのある頬にはニキビの跡がある。男の人だけど唇も艶々だ。だから多分、まだ若い人なのだろう。背は私よりも少し高いくらいだから、男の人としてはかなり小柄な人だ。






「ここはルッツ子爵様が管理する北門の詰所だぞ! お前のような怪しいまじない師が来るところではない!」


 生真面目そうな表情で彼はそう叫ぶと、剣を抜いて身構えた。


「あの、えっと、そのカー・・・ルッツ子爵様のところにカフマンさんがいると聞いたので訪ねてきたんですケド・・・。」


「カフマン? お前カフマン商会の者か? ならばなぜそんな仮面で顔を隠している? 怪しい奴め! 仮面を取って素顔を見せろ!!」


 彼は剣を突き出したまま、私をぐっと睨みつけた。






 困ったな。マリーさんから「知らない人にあんまり顔を見せるんじゃないよ」って言われてるんだけど。


 でもこの人は北門の衛士さんだし、多分カールさんの部下の人だ。じゃあ見せても大丈夫かな?


 彼は油断なく私を見つめている。私が仮面を外すために杖を動かした途端、すぐに身構えたくらいだ。私のことをかなり警戒してるみたい。早く顔を見せて、怪しくないってことを分かってもらわないとね。


 私は長衣ローブのフードを脱ぎ、仮面を取って彼の正面に立った。






「え、おま、その顔、ちょっ・・・?!」


 私の顔を見た途端、彼は顔を真っ赤にしておかしな動きをした後、固まって動かなくなってしまった。私が声をかけても、全然反応しない。えっと、これ、どうすればいいんだろう。


「ルード伍長! それにドーラさんも! 何かあったんですか!?」


 私が困っていたら近くを通りかかった年配の衛士さんが駆け寄ってきてくれた。彼は襲撃前から村にいた人なので、お互いのことをよく知っている。


 私が事情を説明すると年配の衛士さんは「そうでしたか。すみませんドーラさん。カフマンならルッツ子爵様と一緒ですよ。どうぞお入りください」といって詰所の扉を開けてくれた。






「お、おい、お前! 何を勝手なことを・・・!!」


 ルード伍長と呼ばれた若い衛士さんがそれでハッと我に返り、年配の衛士さんに向かって怒鳴った。でも年配の衛士さんはそれをものともせずにルード伍長さんを「まあまあ」と宥め、何やら耳打ちした。


 するとルード伍長さんは目を大きく見開いて「こ、この娘が子爵様の・・・!?信じられん・・・」と呟き、私の全身を食い入るように見つめはじめた。目が血走っていてちょっと怖いデス。


 私は何だかいたたまれない気持ちになってしまい、二人にお礼を言って扉に飛び込んだ。扉を後ろで閉めてほおっと大きく息を吐く。何だか衛士さんたちを困らせちゃったみたいだ。失敗しちゃったな。マリーさんに知られたら、また怒られちゃうかもしれない。


 あとでルード伍長さんに謝りに行った方がいいかな。でもまずはカフマンさんに会わないとね。


 私はドキドキしている胸を両手で押さえて深呼吸をした。そして気持ちを切り替えると、カールさんたちのいる執務室へ大急ぎで向かったのでした。











「ドーラさん!! いやー、こんなところでお会いできるなんて!」


 私が執務室に入るとすぐ、カールさんたちと一緒にテーブルに座っていたカフマンさんが立ち上がり、近寄って私の両手を握った。


「こんなところで悪かったな、カフマン。」


 カールさんは苦笑いしながらカフマンさんにそう言った後、私に「いらっしゃいドーラさん。こちらへどうぞ」と言ってくれた。


「まったくドーラのことになると、ほんと見境がなくなっちまうんだから、この馬鹿は!」


 カフマンさんの秘書ペトラさんが私の手を握っているカフマンさんの手を取り、彼を引っ張って無理矢理テーブルに座らせた。私も一緒にカールさんの勧めてくれた席に座る。


 カールさんは私の方を見て「急に訪ねてくるなんて、エマに何かありましたか?」と聞いてきた。いつも通りの優しい彼の声を聞いて、私の気持ちはスッと落ち着いた。






 私は隔離農場と歓楽街での出来事をみんなに話した。それを聞いてペトラさんはホッと胸を撫でおろした。


「農場のことは王都を出てすぐ、早舟で知らせをもらってたんだ。だから気を揉んでたんだよ。知らせてくれて本当にありがとう。」


 ペトラさんは隔離農場の異変を知らせる手紙を受け取ってからずっと、今にも腐蝕魔虫の被害が広がるんじゃないかと心配していたそうだ。


 ルウベ大根の栽培実験については、何かあったらカフマン商会がすべての責任を持つという契約になっている。もし王都近郊の農場に腐蝕魔虫が大量に出現したなんてことになったら、商会を畳むくらいじゃすまないからねと彼女は私にその理由を説明してくれた。






 するとカフマンさんが、心配するペトラさんの肩を軽く叩きながら明るい調子で言った。


「大丈夫だよペトラ。だってドーラさんが関わってるんだぞ。絶対うまくいくに決まってるさ。」


 ハハハと笑うカフマンさんをジト目で睨みつけるペトラさん。


「・・・あたしもあんたくらい能天気でいられたらどんなにか幸せだろうって思うよ。」


 対照的な二人を見て私とカールさんは顔を見合わせ、どちらともなく笑ってしまった。






 気分を変えたいからと言ってペトラさんがお茶の準備を始めたので、私も一緒に手伝うことにした。


「へえドーラ、あんた随分お茶の扱いが上手いじゃないか。」


「フフフ、ありがとうございます。エマのお茶会のために特訓しましたからね!」


 私は胸を張り、皆にお茶を給仕した。でもお茶を淹れるのだけはペトラさんにしてもらった。『味音痴』の私にはお湯の加減や味の細やかな違いが分からないからね。仕方がないのです。






 私が《収納》から取り出した『熊の贈り物』(蜂蜜と木の実を絡めた『熊と踊り子亭』の揚げ菓子)を皆で摘まみながら話の続きをする。


「ルウベ大根の件は陛下のお考えもありますから私たちには何もできません。ゴルツ学長にお任せするしかないでしょう。問題は歓楽街の復興についてですね。」


 カールさんが顎に手を当てながらそう切り出すと、ペトラさんが私に向き直って言った。


「ドーラ、あんたはそのイゾルデって女に金を貸してやりたいんだろう。」


「そうなんです。何とかなりませんか?」


「うーん、担保もない連中に金を貸すのはあんまり感心できないね。それじゃ借金のかたに奴隷狩りをしてる連中と同じになっちまう。」






 王都には返す当てのないお金を無理矢理貸し付けて、その相手を自分の奴隷にしてしまう人たちがいるのだそうだ。これは法律すれすれの行為でやり過ぎた人が時折捕まることもある。けれどほとんどの場合は『合法』として扱われるのだそうだ。


 もちろん私はイゾルデさんたちを奴隷にしようなんて思っていない。でももし彼女たちが借りたお金を返すことができなければ、そうなってしまうかもしれない。


 これは困った。何かうまいやり方はないのかな。私が頭を捻っていたらカフマンさんがペトラさんに言った。


「いや、簡単なことさ。別に返してもらう必要はない。」


 返さなくていい? いったいどういうことなんだろう。


「それって、お金をあげちゃうってことですか? それはダメなんじゃ・・・。」


「いえいえ、ドーラさん。別にタダでやるわけじゃないんです。金を出す代わりにハウル銀行も歓楽街の経営に参加させてもらえばいいんですよ。」


「?? よく分らないんですケド・・・?」






 カフマンさんの説明によると、ハウル銀行がお金を出してあげる代わりに歓楽街からの利益を一部受け取るっていう形にするということらしい。


「売り上げたお金を少しずつ返してもらうってことですか? でもそれって借りたお金を返すのとどう違うんですか?」


 私のその疑問に答えてくれたのはペトラさんだった。


「いや、大違いだよドーラ。だってハウル銀行は歓楽街に自分の店を持つために、イゾルデたちに金を出してるんだ。自分の店を作るのに自分の金を使うわけだから、イゾルデたちは金を借りているわけじゃない。だから返す必要もない。借金じゃないから当然、利子なんかもつかないってわけさ。」


「なるほど。共同経営者という形にして娼館へ『出資』するというわけだな。娼館への出資など聞いたこともないが・・・。」






 ペトラさんの言葉にカールさんが難しい顔で頷いた。説明されてもよく分からなかったけど、お金が貰えた上に返さなくていいなんて、すごい仕組みだ。それっていいことづくめなのでは?


「いや、そうとばかりは言えません。共同経営を嫌がる者もいるでしょうから。」


「なぜですか?」


 私がカールさんにそう尋ねると、カフマンさんがいい笑顔で説明してくれた。


「それはですねドーラさん。自分の店に余計な口出しをする奴が入り込むことになるからですよ。」






 自分のお店なら自分の責任で好きなようにすることができる。でも経営者がもう一人いるのならそうはいかない。何をするにも、二人で相談して決めなくてはならないからだ。当然、秘密にしておきたいことなどがあったとしても、それを隠しておけなくなる。


「特に娼館っていうのは、いろいろ秘密の多い場所だからね。それに誇り高いあの連中が、そんな施しみたいな話を受けるかどうか・・・。」


 ペトラさんの言葉にカフマンさんは一瞬、考え込むような表情をしたけれど、すぐに明るい調子で言った。






「それこそ商人の腕の見せ所だろう、ペトラ。こっちの売りもんは掛け値なしなんだ。あとは相手が買いたくなるようにすりゃあいい。そうじゃないか?」


 ペトラさんは一瞬虚を突かれたような顔をした後、呆れたようにふっと息を吐いた。


「あんたそんな簡単に言うけどね・・・まあ、いいわ。どうせ、なに言ったって聞きゃあしないんだから。あんたの言う通りにやってみようじゃないか。」


「なんだ、やけに素直じゃねえか。いつもならもっとギャンギャン言うだろう?」


 怪訝な顔でそう言ったカフマンさんの頭をぱちんとひっぱたいた後、ペトラさんは答えた。






「ギャンギャンは余計だよ、まったく。あたしだってね、困ってる女たちを何とかしてやりたいって思ってるのさ。それにね。」


「それに、なんだよ?」


 問い返したカフマンさんに対してペトラさんはニヤリと笑って胸をぐっと突き出した。


「あたしだって商人の端くれだからね。あんな煽り方されたらやらないわけにはいかないさ。」


 それを聞いたカフマンさんはすごく嬉しそうに笑った。


「そうだろ! そう来なくっちゃ! やっぱおめえは最高の相棒だぜ、ペトラ!!」


 するとたちまちペトラさんの顔が真っ赤になっていく。


「何言ってんだい、この馬鹿!! 能天気!! 唐変木!!」


「いたっ、おい、なんだよ急に! 俺なんか怒らせるようなこと言ったか!?」


 赤い顔でカフマンさんをぽかぽか叩いた後、ペトラさんはふいと横を向いてしまった。カフマンさんは「わけが分からん」とぼやいた後、こほんとわざとらしい咳をした。






「まあ、そういうわけですからドーラさん。俺とペトラが女たちを説得します。ドーラさんも来てもらえますか?」


「もちろんです! じゃあ私、クルベ先生とペンターさん、フラミィさんも一緒に行ってもらえるよう頼んできますね。」


「王都の復興は管轄外だから、私は直接関われない。カフマン、ドーラさんを頼む。」


「ああ、任せとけカール。だが王家からも担当の文官が来るらしいから、そっちへの根回しを頼むことになるかもしれねぇ。」


「了解した。念のために一筆書いておこう。」


 カールさんは執務机から紙を取り出しペンでサラサラと書きつけた後、それを丁寧に封をしてカフマンさんに渡した。


「ご厚情、感謝いたします。ルッツ子爵閣下。」


 芝居がかった仕草でそれを恭しく受け取るカフマンさんに対して、カールさんは露骨に嫌そうな顔をした。


 それを見たカフマンさんは嬉しそうにニヤリと笑う。ペトラさんは呆れたような、でもどこか熱のこもった目でそんな彼を見ていた。






「そう言えば、ドーラさん。この部屋に入ってきたとき、少し慌てていませんでしたか?」


 カールさんは「気になっていたんですけど、こいつが飛び出したせいで聞けなかったんですよ」とカフマンさんを横目で見ながら私に聞いてきた。


 そうだった。言われるまですっかり忘れてたよ。私はルード伍長さんとのやりとりをカールさんたちに説明した。


「私がこんな格好して急に現れたから、衛士さんをびっくりさせちゃったみたいなんです。すみません。」


「いえ、私の方こそきちんと彼に説明しておくべきでした。申し訳ありません。」


 お互いに謝り合う私たちに対して、カフマンさんは怒りを含んだ声で言った。






「いくら怪しいからっていきなり剣を抜くなんて何考えてんだ。なあカール、そいつ一体何者なんだ?」


「まあ、そう言わないでやってくれ。衛士隊は襲撃事件以降、みんな神経を尖らせているんだから。」


 カールさんはそう言って、ちょっと困った顔をした。


「彼はルード子爵家の四男だ。名はステファン。一昨年、王立学校を卒業してしばらく自領で暮らしてたんだが、今年の春から衛士隊の伍長として採用されたんだ。」


「なるほど。人手不足の衛士隊の穴埋め要員として採用された貴族家のお荷物野郎ってことだな。」


 ペトラさんがカフマンさんの言葉を聞いて顔を青ざめさせる。カールさんは静かな口調で彼に言った。


「ドーラさんに剣を向けた相手が気に入らないのは分かる。だが言葉が過ぎるぞ、カフマン。」


 二人はしばらく無言で睨みあっていた。けれどカフマンさんが「すまん。感情的になっちまった」と謝ると、カールさんは無言で頷き、カフマンさんの肩を拳で軽くこつんと突いた。


 二人の目に穏やかな光が差すのを見てペトラさんは大きく息を吐き「本当に考え無しなんだから、あんたは!!」と言って、カフマンさんの背中をぱちんと叩いた。






 私もペトラさんと同じようにホッとしていたら、カフマンさんがカールさんに切り出した。


「だがカール、おかしくないか? 貴族家の人間なら小隊長以上の役に付くのが普通だろう。」


「それはそうなんだが・・・。彼はその、少々訳ありなんだ。」


 カールさんは言葉を濁した。


「なんだよ、危ない野郎なのか?」


「いや、そういうわけではないんだ。非常にまじめだし、剣の腕も立つと聞いている。ただ少々熱くなりやすい所があると聞いている。」






 カールさんによるとステファンさんの実家は王国の南西部にある小領地にあるそうだ。そこで領民と揉め事を起こしてしまい、父親からたっての頼みでカールさんのところに預けられることになったらしい。


「領地持ち貴族の子息はその家にとって、領地を管理していくための大切な人材だ。本来なら領地を持たない私のような者が預かるべきではないのだが、ルード子爵がハウル村の評判を聞きつけて陛下に是非にと頼み込んだそうなんだ。」


 わずか数年で目覚ましい発展を遂げたハウル村で、領地経営について学ばせてほしいというのがルード子爵様の願いなんだって。ステファンさんが身分に不釣り合いな伍長という役目に就いているのも、子爵様の言葉に従ったからなのだそうだ。






「大丈夫なのか、カール?」


 カフマンさんはそう言って私の方をちらりと見た。なんだろ? 私、またなんかやっちゃったかな?


「ルード領は小さいが古くから王党派として陛下を支えてくれている。お前の心配も分かるが、無下にするわけにもいかなくてな。」


 困った様子のカールさんを見て、カフマンさんはふっと鼻を鳴らした。


「宮仕えってのも大変だな。分かったぜ。俺も力になるからいつでも知らせてくれ、子爵閣下。」


「ああ頼りにしてるよ、会頭殿。」


 二人は目で笑みを交わしている。二人が何を話しているのかは分からなかったけど、カフマンさんはカールさんを助けてくれるみたい。二人は本当に仲がいい。私はそんな二人を見て、すごく嬉しい気持ちでいっぱいになった。






 ところでカールさんの話から考えると、ステファンさんにハウル村の良いところをたくさん教えてあげればいいってことみたいだ。ハウル村のいいところなら、私もいっぱい知っている。これは役に立つチャンスかもしれないね!


 でもまずは王都のイゾルデさんたちのことを何とかしないと。マリーさんからもよく「何でも一度にしようとしちゃいけないよ」って言われてるしね。


 カールさんたちがその後のことを話し合う間、私は建築術師のクルベ先生と大工のペンターさん、そしてペンターさんの奥さんで鍛冶術師のフラミィさんを呼びに行くため、詰所を出た。


 門のところにステファンさんがいたら、さっきのことを謝ろうと思ったのだけれど見当たらなかった。お昼休みかもしれない。今度会えたら、ハウル村のことをいっぱい教えてあげようっと。






 クルベ先生たち三人は、それぞれの午前の仕事を終えて一休みしている所だった。私が事情を話し、王様から渡された図面を見せると皆すごく興味を持ってくれて、是非協力したいと言ってくれた。私は三人と一緒にカールさんのところに戻った。


 そして皆でお昼ご飯(パンにコロッケと野菜を挟んだもの)を食べながら何をするべきか話し合った後、《集団転移》の魔法で王都の歓楽街に移動したのでした。 

読んでくださった方、ありがとうございました。

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