この世界
この世界は、「サイクル」と呼ばれている。僕に言わせれば「リサイクル」だけど。
「サイクル」の意味は巡るからだ、すべてが。・・・それは正しい。
この世界は、神が作った。それも、正しい。
ただし、その神が、ヒトの思う神と同じであるかどうかは、別だ。
この世界は、色々な意味で濃い。濃厚だ。
術式なんてものが「発動」するのは、濃いからだ。
「存在力」
生物の中で、ヒトが持つそれは特に強力で。だから、術式なんてものが可能になる。
唱えれば、発現する炎とか。
叫んだら、なぜだか筋力パワーアップとか。
あり得ないことを、現実にする。
非常識極まりないし、出鱈目だ。
ふざけてると、僕は思う。
本来ならソレは、ずっと、希薄で、ほとんど存在しないのと同じくらいのはずだった。
ほんの微かな揺らぎが、小さな奇跡を生む、その程度の。
例えば、モノが、命を得る、始まり。
長い長い時間と、偶然とが、やがて大きなうねりとなって、世界を構築する。
その、一番はじめの瞬間を、産み出す。
ソレは奇跡の種のようなモノだ。それ自体は微小で僅か。
けれどソレは、存在を生み育てる力となる。
ほんの僅かであるはずの。
なのに、この世界には、溢れんばかりにソレがあるから。
存在しないはずのモノが存在し、あり得ないことが実現する。
聖霊とか精霊とか、こんなにはっきりと存在するのは。
この世界だから。
ヒトは、進化してヒトになったのではなく、はじめからヒトだった。オリジナルは、他の世界の生き物。神様は、ヒトという存在を、わざわざよそから引っ張ってきて「存在力」をたっぷりと与えて、大急ぎでこの世界を作った。
リサイクルだと、言ったろう?
どうしてか?何のためか?その理由を、僕は知っている。
この世界は。
想いの力が強すぎる。理の力を、時に、凌駕するほどに。
それはとても危険なこと。個がすべてを滅ぼすかもしれないほどに。
この世界は。
たった一つの目的のために造られた。
そのために、ヒトには力が与えられた。
ヒトが想い、願い、恨み、憎み、それが力となるように。
悲しみ、諦め、無へと手を伸ばしても。
巡り、巡り、巡り。
いずれ崩壊するその時まで。