英雄に憧れた
この世界はすべてダンジョンになっている。
大昔は世界がダンジョンであることはおろかダンジョンなどなかったそうだ。
では、なぜこの世界はダンジョンなのか?この答えは誰もが知っている。
始まりは大賢者ソロモンが作り出した小さな洞窟だった。彼はそれをダンジョンと名付けた。その規模はせいぜい彼の持つ敷地より少々大きな程度。今まで様々なものを生み出してきた彼が新たに作り出したダンジョンと呼ばれるものに人々は大いに期待をしたがそのダンジョンがなんなのかは結局わからなかった。
やがて人々の興味が離れ始めたころそのダンジョンの規模が少しずつ、ともすれば規模を増しているとも分からないほどに拡大し始めていた。人々がそれに気づいたのはダンジョンの規模が彼の持つ敷地を大きく超え周囲の道のほぼすべてを飲み込んだあたりからだ。
時が経つにつれそのダンジョンは成長し続け彼の住んでいた村、町、地方、都市、国、地域、大陸と飲み込んでいき何百年もの年月を経て世界はすべてダンジョンになった。
世界を飲み込んでいくダンジョンは誰にも止められなかったそうだ。飲み込まれたといっても生物のそれのようなものではなく町そのものがダンジョンの内部にそのままの形で存在する。つまり、周囲をダンジョンの壁に覆われるのだ。飲み込む際に壁とは干渉しなかったと考えるのが普通だろう。しかし内側からは飲み込まれるときのように通り抜けるようなことは起きず阻まれる。破壊を試みた者が何人もいたがついぞそれは叶わなかった。
不思議なことにこのダンジョン内には昼夜が存在する。天井は岩で空を仰ぐことなどできないというのにだ。当然、月や太陽を拝むことはできないが明るくなれば昼、暗くなれば夜、と認識できる。他にもちょっとした坂や小さな丘はあるものの山は一切見られない。世界を飲み込むときに当然一緒にも\飲み込んだはずの山がなぜか見られない。湖や川、海は存在するのになぜか山だけが見られない。植物も自生していて栽培もできる魚も存在するし人間以外の動物も存在する。どこに行ってもダンジョンの壁と天井に囲まれている以外は生きていく上では何の問題もない。ある一点を除いては。
それはモンスターと呼ばれる化け物たちの存在だ。ダンジョン内にいくつか存在する人間の領域以外の迷路のように複雑な構造になっている場所には彼らが跋扈していて彼我々人類の領域を侵し人々を襲う。故に日々安息はない。
お蔭で我々人類は協力しなければ生き残れないため争いはなくなった。表向きには、であるが。
そして人々はダンジョンの謎を解明し元の世界に戻すため冒険者を募りギルドを結成した。勿論、これにはモンスターの撃退、討伐などの役目もある。
ギルド結成から数百年の時が流れたが未だにこのダンジョンの謎は未だに解明されていない。
歴代最強といわれる冒険者アレク・ロットでさえも6年前に行方不明となった。
曰く彼は一人で熟練冒険者なら10人分、並みの冒険者なら100人分の働きをしたという。
曰く彼はどんな逆境の中に立っていても決して諦めることなく立ち向かい成し遂げてしまうという。
曰く彼は100に近いモンスターの群れを一人で全滅させたという。
曰く彼は当時見つかっていなかった集落を救い我々の新たな領域として切り開いたという。
曰く彼はまだ生きているという。
彼の英雄譚は上げればきりがない。なかには疑わしいものもあるがそれがなんとなく納得してしまうのが彼、アレク・ロットなのである。死んだとされているが誰もはっきりと彼の死を確認したものはいない。数々の偉業を成し遂げてきた彼が簡単に死ぬはずがないとまだどこかで生きているといった話もある。
そんな彼は誰に聞いても間違いなく英雄という答えが返ってくるだろう。
僕はそんな英雄に憧れている。
住んでいた集落がモンスターに襲われ、彼に助けられたときからだ。
彼の英雄譚の中のひとつに彼が始めて見つけた集落をモンスターの襲撃から救い新たな領域としたという話がそれだ。
僕の住んでいた集落は孤立していた。どこかに大規模な人間たちの集落があるとは聞いていたがそことつながることはないと思っていた。
僕たちの集落はモンスターの襲撃で疲弊しきっていた。毎回のようにモンスターを退けるあるいは討伐に大勢の人が死んでいた。中規模な集落だったので最初のころはそれでも保てていたが長年それを繰り返せば徐々に余力を削られていく。そして僕たちのころには限界を迎えていた。誰もが希望を失いただ終わりの時を迎えるのを待つのみ。そんななかそこに現れたのがかの英雄、アレク・ロットだった。
彼のおかげで僕の集落は救われて人類はその領域を拡大した。
それ以来僕は彼に憧れ冒険者になることを決意した。彼のような英雄になるために。……いや、彼を超える英雄になるために。
そしてあれから一〇年が過ぎ当時七歳だった僕は十七歳になった。
朝起きて朝食にパンを貪り歯を磨いて着替える。最後に壁に立てかけてあった剣を手に取ると鏡の前に立ち自分の姿を確認する。
鏡に映るのは一般的な十七歳の男性にしては少し低い程度、見てわかる筋力も並。うーんと首をかしげると後ろで小さく束ねられた青みがかった灰色の髪がわずかに揺れる。青い瞳もそっと薄められて表情がやや曇る。はぁ、とため息をつくとその手に握られた剣を構えてみたりと様々なポーズをとってみるもどうにも自身の体格となけなしの資金で手に入れた決して上等とはいえないが新米が握るにはそれなりの剣が少々不釣合いのようでやはり何度見てみてもそれは変わらない。先ほどのため息もそれによるものだ。
防具があればもう少しは変わるだろうか? 手持ちの資金では剣を一本買うだけでやったとだった。防具を買う余裕はなかったのだ。今身に纏っているのは外を歩けば道行く人が大抵着ているいたって平凡な痛み気味の布の服である。だがまぁそれはさして関係ないことなのかもしれないと思い直す。今日の日まで冒険者に英雄になるために日々努力し鍛えてきたつもりであったが、いざその日を迎えてみるとまるで足りていない。鍛錬不足であったことに気付かされた。
かといってもう少しと先延ばしにするわけにもいかない理由がある。
それは今から約一年後にギルドがダンジョンの謎の解明に大きく前進するための大遠征を企画しているらしいからだ。それには全ての冒険者が参加できるわけではなく選ばれた冒険者のみが参加できる。
つまりそれに選ばれるにはそれなりの実績が必要であるということだ。一年という時間はそれほど長くはないがそれをさらに縮めるもなると遠征隊に選ばれるための実績を上げるのは厳しくなってくる。
だから多少の無理をしてでも冒険者になる必要があるのだ。
覚悟を決め、テーブルの上に置いてある荷物一式を掴むと最後に家の中をぐるりと見渡す。必要なものは全て、できる限りで揃えた。道中の軽食、街までの地図、とそんなものだ。少ない資金ではこれくらいが精一杯だ。
両親はすでになく長い間一人で暮らしてきたこと家とは当分離れることになる。もしかしたら帰ってくることはないかもしれない。これが最後と思い家の中を見ておきたかったのだ。
見納めるといよいよ扉に手をかけ開ける。扉はギィと唸りながらゆっくりと外に開かれる。
一歩二歩と外に歩み出る。
この風景も見納めかもしれないな。
こちらも家の中と同様周囲を見渡す。
「行ってきます」と自分の家に言うと後にした。
いつもより早く起きたためか人は少ない。
もとよりこの辺りは人がそこまで多くはないのだがいつものそれよりも少ない。
静かな道を歩く。やがてこの集落の端へとたどり着いた。ここからは迷宮と化した道だ。
ギルドのある一番大きな集落、いや街か。そこまでのルートは確立されていて道中も危険は少ない。距離は近くはないが遠くはなく半日以内には到着できるだろう。
集落の入り口はモンスター達の領域である迷宮と人間達の領域との境界である。そこには街のギルドから派遣された冒険者が駐屯していて警備をしている。これはこの集落だけではなく他の集落でも同じようだ。
「おっ、その格好、冒険者希望か? 頑張れよ」
警備をしている三〇歳くらいの男性冒険者に声をかけられる。
「頑張ります!」
会釈しながら返しつつその境界を一歩超える。今日初めて集落を出る。
「そういや、ちょっと前だったか。嬢ちゃんとその護衛の冒険者か。冒険者は駆け出しって感じだったが。それが出てったばっかだから追いつけるんじゃねぇか?その方がちったぁ安全だぞ」
その冒険者の男性はふっと告げてくれた。
「ありがとうございます」と礼を述べてついに集落から足を踏み出した。
たった一歩だというのに集落から出ると空気が変わった気がした。景色はまだ集落の中とほとんど変わらない。なのに緊張感が走る。
ぎゅっと拳を握り足を踏み出す。
一歩二歩と足を進めていくにつれ段々と集落は遠ざかり、いよいよ迷宮のそれへと景色が変わってきた。
地図を片手に進む。
安物であるため細かい部分までは記されていないが俺の住んでいた集落から街までの正規ルートは記されている。といってもやはり安物のクオリティの域を出ない値段相応のものであることに変わりはない。いくらルートが確立され危険性は少ないとはいえ迷宮は迷宮。迷えば命に関わる。そのため慎重にならざるを得ない。特に今は早朝なので人の往来は少ない。迷って練り歩いていたら運良く冒険者と遭遇、なんてことが起きることはほぼ無い。むしろモンスターと遭遇する方があり得るかもしれない。
やや頼りない地図を握りしめしっかりと迷わないようしっかりと確認しながら着々と街までの距離を縮めていく。
どのくらい歩いたかはわからないが地図上では街までもう少しというところまで来た。もう少しでこの入り組んだ石の壁だけの殺風景な景色とおさらばできる。たまに少々の草木があったりするがまぁ殺風景だ。
ここまでにモンスターとの遭遇は無し。安全に進むことができた。街までの残り少ない道のりもこのまま何事もなく進むことができるのを祈るばかりである。これから冒険者になろうという者が何を言っているんだと思うが例え冒険者であっても安全であることにこしたことはないはず。そもそもここは危険性が低い場所であるのだからそこを無理に危険にする必要はない。。危険な場所、未知の場所、そんな場所に挑むのであれば常に危険が付きまとう。冒険者になりそこに行こうというのならそんなこと覚悟の上だ。だが、ここは比較的安全な場所。なら少々気を休めていてもいいではないかということだ。甘い考えか。でも、
足が止まる。
ここからはそういう考えは排除した方がいいかもしれない。ここからは安全と言われているこのルート唯一の難所ラビュリントゥス。ここを越えれば街はすぐそばだ。このラビュリントゥスは複雑な構造をして人々を迷わせる迷宮の中でもとりわけ複雑な場所だ。その存在はここだけではないがこのルートではここがただ一つのラビュリントゥス。これを越えなければ街にたどり着くことはできない。
地図には複雑すぎるラビュリントゥスは細かく描かれていない。大雑把なものだ。これまで以上に気を引き締めて進まなければならない。
「よし!」
ラビュリントゥスに足を踏み入れてから慎重に進んでいるせいか時間がかかる。ここに差し掛かってからもう一時間が経過しようとしているが地図で見る限りラビュリントゥスの中は四分の一程度しか進めていない。
ズ……
相変わらず慎重に足を進めていると低い音が微かに響いた気がした。まだ遠いはずだ。
モンスターか?
まだ遠いとはいえ警戒は厳にしないとな。
ズズズ……
まただ。今度はさっきよりはっきりと低い音が響いている。さっきのは気のせいではなかったようだ。
そして音は続く。明らかにこっちに近づいてきている。
ここにきてついに遭遇か!?
腰に下げている剣に手をかけるとスラッと鞘から抜き。真っ直ぐに構えて待つ。
……いつでもこい、覚悟はできている!
心中でいくら覚悟を固めても、音が近づいてくるごとに背中を、頰を、腕を、汗が流れる。
足が震える。腰が引ける。呼吸が早くなる。
自然と剣の柄を握る手に力が入る。
もう音は近い。限りなく近い。次の瞬間には目の前の角を曲がってくるだろう。
今。
剣を振りかぶっていた。
刹那、目が捉えたのは栗毛の少女。息が上がっていてそのせいか頰は上気している。思わず目を見開いてしまった。
「え!? 女の 子?」
なんでこんな場所に!?
その少女も他人に会えると思っていなかったのか同じく大きく目を見開いて驚いているようだ。
そんな二人の動揺はすぐに打ち消されてしまう。
その少女の後をすぐにモンスターが角を曲がってきたためだ。
モンスターの姿を確認するやいなや逃げ出していた。無意識のうちにその少女の手を引いて、だ。そこで我に返ったのか少女も走り出した。
振り返ると有名なモンスター、『ミノタウロス』という牛の化け物によく似ているが少し注意して見て見ると違う。
二足歩行で自然に生まれたであろう不格好な棍棒を持っているが、なんか足が短い。そして猛々しい牙こそ持ってはいるが同じく猛々しい角がない。あれは牛でなく、猪だ。猪の化け物。
足が短いせいか走るのは遅い。これならなんとか逃げ切れるかもしれない。
僕と少女は壁にもたれかかり荒く肩で息をしていた。
あのモンスターの足が遅いおかげであっちこっちと角を曲がりついに蒔くことに成功したのだ。
けれどそのせいで完全に現在地を見失ってしまった。一応手元に地図はあるがもともと大雑把で頼りない上に自分がどこにいるのかすらわからない状況では役に立ちそうもない。
「あの、助けていただきありがとうございました」
呼吸を整えたのか少女はまだモンスターに追われた恐怖が抜けないのかおどおどと謝礼を述べる。
「えっと、その……」
どうしよう。よく考えたらあの集落には同年代の女の子なんていなかったからまともに女の子と話したことなんてない。
どうするのが正解なんだろうか。
特に意味のない言葉を並べてしどろもどろしているとそれを見かねたのか少女はふっと笑って話を切り出してくれた。
「私はミア、ミア・ブランシェ。えっと、ここはどの辺りなんでしょうか?」
「すいません、よくわからなくって。地図は持ってはいるんですが安物で頼りなかったのに加えてあのモンスターを張り切るのに必死で走ってたら……」
「……つまり、迷ったということですか。あ、でもでもそのおかげで私たちは生きているわけですし気にしないでくださいね?」
たははと笑いながらあたふたと身振り手振りでフォローしてくれる。
なんていい子なんだろう。
「そういえば、ブランシェさんはこんなところで何をしていたんですか?」
「ミア、でいいですよ? 私はこの先の集落に少し用があってその集落に行っていたんですがその帰り道にあのモンスターに出会ってしまって。道中の護衛を冒険者さんに依頼していたのですがモンスターに……」
「……ッ!? それは……」
集落を出るときに警備の冒険者が言っていたのこの少女のことだったのか。
「今更、なんですけど。あなたは……」
「あ、僕は───」
ズズズ……
ッ!? この音って?
それにかなり近い。ミアさんと話していて気づくのが遅れた?
「あの、今の音って」
「逃げましょう!」
不安の色がはっきりと彼女の声に浮かんでいた。
そんな彼女の手をがしっと取ってその場から駆け出す。
彼女は僕と会うまで逃げ続けていたわけで先ほどようやく一息つくことができた。それも束の間、今再び逃げることになり彼女の体力は限界に近い。手を引いて走っているものの徐々に遅れ気味となり自然に二人のペースは遅くなる。
このままじゃダメだ。すぐに追いつかれてしまう。
あのモンスターはまだ視界に入っていないがかなり近くにいるはずだ。向こうからも見えてはいないだろうが間違いなく僕たちを追ってきている。
ッ!?
悪いことは重なる。
「……そんな」
「行き、止まり?」
目の前に続く道はなくただ壁があるのみ。絶望を叩きつけられる。
この世界はダンジョン。さらに今いる場所は迷宮の中の迷宮、ラビュリントゥス。行き止まりなどあって当然。地図が頼りにならなくなってから今までそこに行き当たらなかったのが奇跡だ。
いよいよ追い詰められる。
ミアの顔からは急速に生気が引いて行くのがわかる。
一〇年前のあの時と同じ、人が絶望した顔だ。そしてぺたりと力なく崩れ落ちる。
彼女の絶望は十分わかる。けど、この状況を脱する手段が一つだけ存在する。
それはモンスターと戦って勝つこと。僕はまだ諦めない。
あの英雄、アレク・ロットを超える英雄になろうというのにこんなところで折れるわけにはいかない。
「ミアさん、大丈夫ですから! 僕があのモンスターに勝ってみせます!」
そう一声かけると彼女はゆっくりと顔を上げて本当ですか、とその表情が語る。
僕はそれに頷くと目を閉じ深呼吸をして鞘から剣を抜き払い構える。
さっきは逃げてしまったけど今度は大丈夫。逃げ道は無いし後ろには守らないといけない人がいる。大丈夫だ。音はどんどん近くなる。恐怖はあるが最初ほどでは無い。逃げ場がないと覚悟を固めさせられたからだろうか。けどこれならいける気がする。最初と同じように角に見えたら斬りかかる。できればその一刀で斬りふせるようにをスッと青い目を開くのと猪のモンスターを視界に捉えるのは同時だった。
「おああああぁぁぁぁぁ!!!」
身体が動いていた。その手に握った剣を振りかぶりちょうど曲がってきたモンスターに斬りかかったのだ。
勢いよく振り下ろされた刀身はモンスターの右肩に食い込み。自身の手にはモンスターの肉をズブズブと間違いなく斬ったという感覚があった。
モンスターの肩からは血が吹き出し、オォォォォォォォォと呻き声を上げた。
「やった!」
致命傷ではないが決して浅くはない傷を負わせた。いける!
すぐに振り抜きもう一太刀と次は右の脇腹に横に一閃。しかしこれはモンスターがよろけたためか傷は浅い。
もう一撃。そう思った時に視界は宙を舞い次の瞬間には天を見上げていた。
やや遅れてやってきた右の脇腹の激しい痛みと背中から打ち付けられた全身に回る衝撃がその事態を教えてくれた。
自分がモンスターの攻撃に倒れたことを。
なんとか頭を起こした先に見えるモンスターは遠い。かなり飛ばされてしまったようだ。鼻からは一筋の血が流れているのがわかる。
ふと、視界の端にはカタカタと震えるミアさんの姿が僅かに映っていた。
立ち上がろうにも殴られたであろう右脇腹を中心にズキズキと痛みが走りピキリと砕けてしまいそうな気がして立ち上がれない。
そうしている間にもズシリズシリとモンスターは迫ってくる。
そして弾く音を立てながら荒い呼吸をしていて声を発することを忘れていた彼女はここへきて悲鳴を上げた。
目の前で僕が殺される姿を見せつけられたあと自分も殺される。そんな未来を想像したのだろうか。
目の前の少女一人を救うこともできないで何がアレク・ロットを超える英雄になる、だ。おまけに死にかけている。こんな姿、英雄には程遠い。
そんなの嫌だ。
心中で必死に奮い立たせる。
動けよ、僕の身体。
立つんだ、立てよ!
剣を握る手に力を入れ立ち上がる。
身体中がビキビキと悲鳴をあげる。熱いものが内側から込み上がってくる。
「カハッ」
吐血。口の端からは血が流れている。
まだ立ち上がっただけでこれだ。正直限界に近い。ここから動けるのか? 構えてすらいないんだぞ?
だけど、こんな状況でも乗り越えていくのが英雄だと思う。
だから、一度でいい。一度だけでいいから全力で動いてくれ。
下がるわけには、負けるわけにはいかないんだ。
しっかりと剣を構える。
だが、少し遅かったのか目前にはモンスターの猛々しい牙が迫っていた。
「うわっ!?」
すんでのところで突撃してきた牙を危なっかしく躱す。そのためなんとも無様に地面に転がることになってしまった。
受け身を取ろうとしたがどうにも上手くいかない。戦うことが初めてで既に一撃もらい身体中が悲鳴を上げているからだろうか。
あと一度だけ、と無理やり動かした身体も今の回避で本当に限界を迎え、動きそうにない。
それは死を意味している。モンスターの目の前で動けなくなっているのだから当たり前だ。
モンスターの腕が伸びてくる。
そこで抱いたのは諦めでもなく死に対する恐怖でもなかった。
ただただ自分はこんなところで、という無念だった。
頭では必死に身体を動かせと命令しても動かない。
死ぬ。死にたくない。こんな、まだ何もしていない、始まってすらいないところで死ぬなんて絶対に嫌だ。動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け。
動け!
思いは次第に強くなり。叫ぶ。
ドクンと何かが弾けるような気がした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ダンッとひときわ大きな音が響く。
右腕は横に振られていてその手に握った剣と一直線に綺麗に伸びていた。
何か生温いものが肌に触れた気がした。いや、気のせいではない。ほんの僅かばかり遅れて赤い、生温い液体がいくつか肌に落ちてきている。血だ。
ゴトッ、と何かが落ちる音もした。
モンスターの腕だ。
「ヴォォォォォォォォォォ!!!」
失った腕の切り口から血を撒き散らしながら叫び声をあげる。
そこでようやく状況を理解した。
もんの腕を切り落としたのは自分だ。何故かはわからないがあの状態から動けてさらにモンスターの腕まで切り落とした。
これはいける。
「うおぉぉぉぉ!!!」
必死に剣を振るった。力の限り振って振って振りまくった。
「……はぁ、はぁ。やった。……勝ったぞ、勝った!」
肩で息をしながら天を仰ぎ左拳を握りガッツポーズ。
その足元には身体中を斬られ大小様々な傷口から血を垂れ流して既に事切れているモンスターがあった。
ただ滅茶苦茶に剣を振りまくって倒した。最初は散々にやられた。
なんとも稚拙な勝利だったけど勝った。
今はモンスターに打ち勝てたことが、その身で誰かを守れたことがどうしようもなく嬉しかった。
「……あ、れ?」
「はっ、だ、大丈夫ですか!?」
もともと限界だった身体が何故か動いて勝利した。身体はとっくに限界を超えていたのだ。ドサリと糸が切れたようにその場に倒れこんでしまった。
そこではっとしたミアさんが心配そうに駆け寄ってくる。
「……多分、大丈夫、です。さっきまであった痛みが嘘みたいに消えて。むしろほとんど何も感じません」
「ええ!? それって大変なんじゃないですか!? あっ、そうだ! ちょっと待ってて下さいね!」
そう言うと彼女はごそごそと何かをあさり出す。
「あった! これです、これを飲んで下さい!あっ、動けないんでしたね。それじゃあ、えいっ!」
「むぐっ!?」
何かを飲まされた。
その瞬間。
「ゔっ」
何も感じていなかったのに突然痛みが戻ってきた。と思ったらそれも一瞬のことで次第にそれは和らいでいった。そして若干痛みはあるものの動ける程度にはなった。
「なんだったんですかそれ?」
「ポーションです。といっても失敗作なんですけどね。効力は市場にあるものの半分程ですから全快はしないんですけど」
たははと笑う彼女。さっきまではモンスターに追われててそれどころじゃなかったけど、この人すごく可愛い。
ちょっと見とれているとあっ、と何かに気がついた彼女は続ける。
「あの、今度こそ本当に助けていただいてありがとうございます。お名前は、なんていうんですか?」
「シュリ・フォルト、です」
「……シュリ・フォルト、さんですか。では、改めてありがとうございました。シュリさん!」
なんて眩しい笑顔なんだ。僕が女性慣れしてないのもあるけどそれを差し引いてもうん、なんていうか、尊い。大変な目にあったけどよかった。
と、彼女の表情が一転。やや曇った。
「えっと、このタイミングで言うのもなんなんですけど私たち、迷っちゃってますよね? これからどうしましょうか?」
色々と重なりすぎて吹っ切れてしまっているのか忘れていた事実を告げる彼女には焦燥感や恐怖が感じられなかった。
迷った挙句モンスターとの戦闘で僕は重症を負った。ミアさんに貰ったポーションのおかげである程度は回復したが万全ではない。すぐには動けないしもし、もう一度モンスターと遭遇したらその時はもう終わりだろう。
考えてみればそうとう追い詰められている状況だ。勝利の余韻に浸っている余裕はない。
けどこれといった解決策が思いつかない。
「ギルドの冒険者の方々にうまく見つけてもらえればいいんですけどね」
え? 今なんて? 冒険者がくるってどういうことなんだ。
「もしかしてご存知ないんですか?」
そのままキョトンとしていると彼女は続けてくれた。
「えっと、ギルドでは大きな街の付近を定期的に巡回しているんです。なにか変わったことがないかを調べるためらしくてそれでこのラビュリントゥスは街に比較的近いこともあって中堅冒険者以上の方がやってくるんですよ。周期的にはここにやってくるはずなんですが私たちのことを見つけてくれるかはわからないですね」
見つけてくれるかはわからないとはいうけれど彼女の目は大丈夫だと語っていた。
さっきのは吹っ切れたとかじゃなくて最初から、モンスターを倒した時からある程度はもう大丈夫だと半ば確信していたのだろう。
僕は寝転んだままにミアさんは地面に腰を下ろしてその定期的的にくるという冒険者を待つ。
「シュリさんって冒険者志望の方なんですか?」
ただ黙って待っているのもどうかと思ったのか不意に彼女は話しかけてきた。
「はい、そのためにギルドのある街に行こうと思ったんですけど……この有様です」
両手を広げてボロボロの身体を晒すようにして軽く戯けるように言った。
「そんなことありませんよ! ちゃんと私を守ってくれたじゃないですか。ボロボロになっても立ち向かっていくあの時のシュリさんはとってもカッコよかったです!」
「なっ、えっ、えぇ!?」
その時の僕の顔はどうなっていただろうか。おそらく真っ赤になっていたはずだ。顔が熱い。このまま倒れるんじゃないかってかくらい。
「英雄、アレク・ロットみたいでした」
悪戯っぽい笑みを浮かべて続ける彼女の言葉に僕は本気で答えていた。
「本当ですか!? 僕、昔アレク・ロットに助けられて、それから彼のような英雄に憧れているんです!」
言い終えたところでハッとした。ミアさんは苦笑いをしている。
きっと冗談だったのだ。それに食いついて寝転んだままの姿勢で一人で盛り上がってしまった。なんという醜態。さっきとは違う意味で赤面する。
慌てて取り繕う。
「や、えっと、その、まぁ、なんといいますか。目標は高い方がいいというか。ちょっと冗談が過ぎたといいますか」
さっきあれほど食いついて一人で盛り上がっておいてよくもまぁぬけぬけとなにを言っているんだろうか。
僕の必死なまくしたてにキョトンとしていた彼女だが破顔して暖かい声で言った。
「ごめんなさい、ちょっとからかってしまいました。私はシュリさんならなれると思いますよ。応援しています。なって下さいね、英雄に。あと、冒険者になったあかつきにはうちの店、ご贔屓に」
抜け目ない。しっかり宣伝された。
「こんなところで!? 君、大丈夫かい? 怪我をしているようだが」
あれから一時間程経ったくらいだろうか。
ミアさんの言っていたギルドの冒険者がやってきた。
まだ若い二十を少し過ぎたくらいだろうか。軽装とレイピアを装備してはいるが温厚そうな見た目は冒険者には見えない。
ミアさんは安心したのか胸をなでおろしている。
冒険者の人から貰ったポーションで回復し自分で歩けるようにはなった。
僕たちは冒険者の人たちに保護されて街までたどり着いた。そこで冒険者の人たちとは分かれた。日が沈もうとしている。
そこはこの世界がダンジョンだということを忘れさせられるほど華やかで活気があった。
ほえーとキョロキョロと周りを見渡していると不意にミアさんが覗き込むようにして尋ねてきた。
「シュリさんは『グランデ』は初めてですか?」
「は、はい。ずっと集落から出たことなかったですから」
思わずドギマギしてしまった。ていうかこの街『グランデ』っていうんだ。
初めての街で目的もなくただ歩き回る。
日が沈んでいくにつれ騒がしかった露店商が店じまいを始めたかと思うと酒場に変わり、先ほどとは違った意味で賑やいでいる。何処からか喧騒が聞こえてきたりそれを煽る人の声。様々だ。
「夜はだいたいこんな感じなんですよ。冒険者の方たちが街に帰ってきますからね。だから昼とはちょっと雰囲気が変わるかもです」
忘れてしまっていたけどミアさんはずっとついてきていたみたいだ。
「あっ、ミアさん? ごめんなさい、忘れちゃってました。ついてきていたんですね」
なにも言わずに分かれるってあんまりないはずだから帰っていなかったのは当然なのか。
とはいえ忘れてしまっていたのは事実。頭を下げる。
「そんな、頭まで下げなくても。ついでに買い物済ませちゃったんで大丈夫ですよ」
言われて見て見ると確かに彼女は紙袋を抱えていて中には様々な食材が入っている。いつ買ったんだろう。
それはもちろん僕がミアさんのことを忘れて色々見て歩いている時なんだろうけど。完全に自分のペースだった僕に買い物をしながらついてきていたなんて。
「それはそうと、シュリさんは今晩どうするつもりですか?」
……今晩か。え? どうしよう、こっちについてからのことほとんどなにも考えていなかった。
そんな重大なことに今更気づいて頭を抱える僕に彼女は笑顔で溌剌と
「もし困っているならうちのお店なんてどうでしょうか」
ええ!? ミアさんの家にって会ってまだ半日くらいなのに!? 嫌じゃないけど。
驚いたリアクションはして見せたが沈黙を肯定と受け取ったのか「行きましょー」とか行って歩き出したのでついて行くことにした。着いてから言うのも何だけどそこで断ることもできるし。
「はい、着きました」
しばらく着いて行くと不意にミアさんは立ち止まりくるりと振り向いて言った。
おおっ、これが。大きい店、なのか?
「そんなに大きくないんですけどね。でも、品はいいんですよ! 私の店ではないですけど」
「え? でも」
「ここで働いてるってことです。シュリさんが泊まれるかどうかはこれから聞いてみないとわからないんですけどね」
ちょっと待ってて下さいね、と言い残して店内へ消えていった。
少しすると店の中からミアさんではなく別の女性が出てきた。
「お前がミアを助けたらしいね。それで今晩ここに泊めてほしいと」
「あっ、や、別に見返りが欲しくて助けたわけじゃなくて。今晩困っているのは確かなんですけど」
まるで品定めでもするかのような視線にいすくんであわあわと答える。
女性はフッと笑うと「上がりな!」と豪快に言った。
「泊めてやるよ。ただし、今後はうちの店を贔屓にしな! ミアに聞いたよ、冒険者志望らしいね」
最後にニィっと笑うと「さっさと上がりな!」と背中を押して中に入る。
中に入ると冒険者たちの必需品だろうか様々な品が棚に並べてありパッとみた感じ同じようなものがひとかたまりに集められていてわかりやすいのかな。工夫されてるみたいだ。
「よかったですねシュリさん、泊めさせてもらえるようで。では、近いうちにまた会いましょう」
奥からミアさんが出てきた。別の場所に住んでいるようでこれから帰るのかさっきの荷物を持って出口に歩いている。ということはわざわざ僕のためにここに戻ってきたのか?
「あの、ありがとうごさいます!」
僕の呼びかけにちらりと振り返ると「いえいえそんな」と軽く首を横に振って帰っていった。
この人はエルダ・トレッドさん。ミアさんの勤めている道具屋『ユグドラシル』の店主だ。
体格は普通なのだが何故か力が強い。力だけでなく気も強いように感じられる。
ありがたく夕食にもありつけ用意してくれた布団で気持ちよく寝ることができた。
朝。自然に目覚めてむくりと起き上がる。
今日から僕は冒険者になる。
「ああ、起きたのかい。なら、顔洗ってきな! 朝食にしよう」
「あ、おはようございます」
既に起きていたエルダさんに挨拶を済ませると洗面台に立ちパシャパシャと顔を洗う。二度三度それを続けると完全に意識がハッキリしてきた。
朝食を頂いた後、いよいよ僕は冒険者になるためこの街の中心部にあるギルドへと向かう。
店の外に一歩出ると振り返る。
「一晩、それから朝までありがとうごさいました!」
「礼なんていらないよ! 礼なら今度うちに何か買いに来な!」
頭を下げるとハッハッっと豪快に笑いながら彼女は言った。
「わかりました、また今度来ます」
それを言って歩き出す。後ろからは「ああ、待ってるよ!」と豪宕な声がした。
夕暮れ時と夜になった街は昨日観覧したが朝はまだ見ていない。
もう少し早ければ僕の故郷と同じく静かなのだろうが今はだんだんと賑やかしくなって来ている。人通りも次第に増えいく。その大半は冒険者だ。
店によってはもう開店していたりもする。
どうやら発ってゆく冒険者たちを対象とした店が多く道具屋と武具屋がほとんど。それはエルダさんの『ユグドラシル』も例外ではないだろう。
さらに時間が経てば道を行く人は冒険者だけでなくその他の街の人々も現れ始める。
人の波に呑まれそうになりながらもなんとか進みついに僕はギルドの前に到着した。
大理石の巨大な建物が目前にそびえ立つ。
……ここがギルドか。
よし!
両の手で頰を軽くパシッと叩いて正面の大きな扉に手をかける。
扉を押すとギィと音を立ててゆっくりと開かれる。