第七話 下克上
「平五郎」
問屋から大量の小麦を卸してきた僕を呼び止める土方先生。
「先日斬った水戸浪人の知恵を借りて、納豆うどんというのを作ってみたんだが、ちょっと試してくれ」
「あの、文句ばっかり言ってた人の、ですか?」
「参考にできるものなら、文句も参考にするさ」
土方先生はこういうところ、ものすごい柔軟だと思う。剣術は試衛館で目録を得ているけど、よいと思ったものはすべて取り入れてしまうしなやかさがあるから、先生の剣術は天然理心流であって天然理心流ではないものになっている。逆に、だからこそ純粋に流儀を学んでないとみなされて、土方先生は道場で免許を取ることはできなかったんだけど。
そして、本来武州のうどんというのは盛りうどんなんだけど、芹沢先生に出した鴨の煮込みうどんも含め、掛けうどんなども手広く挑戦しているところも、土方先生の柔軟さがなせる業だ。
「うまいとは思いますが」
うどんに箸をつけた僕は、納豆が絡むつゆの味を堪能しながら言った。
「上方連中は納豆は好かないでしょう」
上方の嗜好は関東とはずいぶん違っている。もっとも分かりやすいところで醤油が薄い。おかげで『武州名産京うどん』を掲げる土方先生も味の工夫には苦心しているようだが、
「なぁに、客は京生まればかりじゃない」
当時、政治は、江戸ではなく京都で動いていた。徳川三百藩体制でも有力な藩はこぞって藩士を派遣しているし、その数も一人や二人ではない。
つまり天下は京都に凝縮されているといい状況にあった。
当然納豆大好き水戸藩兵も多く駐屯しているわけで、そういう少数派の需要を拾うことでさらに客を増やそうという目論見らしい。
繰り返すけど、このような平穏なうどん屋を営んでいるのが奇跡であるほど、京の町は不穏な空気に包まれていた。
それに伴い、新撰組も隊士を募集し、軍容を固めていく。びっくりするかもしれないけど、夏の前には十三人(芹沢先生含めて)だった所帯は、すでに七十人を超えている。
「土方先生」
新規加入した平隊士の某が、数名を引き連れて土方先生を訪ねてくる。土方先生は自室の華葱窓に向かって、なにやら書き物をしていた。
「一手ご教授いただけませんか」
と、若さにかまけて命知らずなことを言う。それには理由があるようだ。
「剣術の前にうどんの打ち方を覚えてほしいものだ」
「先生。武士の心は剣にあります。しかるに、僕らは先生の、うどんを打つ姿を見たことはあっても、剣術に励まれている姿を拝見したことはありませぬ」
要するに……土方先生の腕を疑っているらしい。
「一手ご教授いただければきっと、先生に改めて信服し、隊務に励むことができるかと存じます。是非ともお願いいたします」
いや……その目は、名ばかりの副長を打ちのめして、幹部の待遇を勝ち取ってやろうとする挑戦的なものだ。
土方先生はずっと、書類に目を通していたまま応対をしていたが、その目が止まった。胡坐のまま新規隊士を見上げる。
「俺が勝てば剣術同様、うどん打ちにも励むか」
「必ず」
「木刀を持て。庭へ往こう」
土方先生、ゆっくりと立ち上がった。
その新規隊士は己を「山崎 烝」と名乗った。医者の息子らしいが剣が達つことは一つ構えただけで僕にも分かる。
正眼。……もっとも凡庸な中段の構えだ。
対する土方先生はややクセのある構えをする。下段?……剣尖は喉下よりもだいふ低く、しかもやや左に引いている。霞構えとも取れるが定まっていない、微妙な構えだった。
「始めてよろしいですか」
「もう始まっている」
互いが呼吸を一にする。脇で見物する数名の平隊士達も、その空気の静まりようにごくりと息をのんだ。
この間、二人は漫然としているわけではない。互いが互いの剣尖を牽制し、自分の剣尖だけが相手の正中線を捉えられる位置を確保しようとする。それさえ成れば、勝負は瞬刻なのが剣術というものだ。
ちなみに二人の得物は木太刀(木刀)であり、強打すれば骨など簡単に粉砕する。気持ちの上では真剣とかわらないが、あくまで真剣と同じ重さの木太刀で立ち合いをするのが試衛館時代から新撰組にまで持ち越されている流儀だった。
山崎さんは、動かない。
彼の気持ちがわかる。僕が見ても土方先生のクセのある構えは右方に隙が見えるのに、まったく打ち込める気がしない。が、そこに活路を見い出さないことには、左方は地獄の穴が口をあけているように見える。
「せやぁ!!」
山崎さんも同じことを考えたらしい。彼のしなやかな踏み込みは左(土方先生から見て右)からの袈裟(逆袈裟)となって伸びた。速度は高く、土方先生の構えだと受けづらい角度。
重い樫の刀はそのまま先生のこめかみに到達したかのように見えた。
「……え?」
が、今の形はそうではない。二人がまるで彫刻のように動かないのはさっきと同じだが、その体勢は、大きく異なっていた。
逆袈裟を振り下ろした山崎さん。剣尖は足元まで落ちており、真剣ならば相手は真っ二つだっただろう。しかしその太刀は、空気を斬ったからこそその場にある。
土方先生の身体は右に流れていた。右足を大きく踏み込んでいるために腰が充分に落ちている。山崎さんの木太刀をすり抜けて、その型のまま脇構えのように刀を返し、斬り上げの途中、首元でそれを止めていた。
「腰が高いぞ山崎。竹刀剣術ならそれでいいが、人を斬るなら、それでは一寸食い込むかどうかだ」
「……」
呆気にとられているのは首を脅かされている山崎さんだけではない。彼に伴われてきた新参隊士数名も、みな呼吸をするのも忘れてしまったかのようだ。一様に「こんなに強かったのか」といった色を滲ませているということは、それだけ山崎さんの腕が確かであることを物語ってもいる。




