第四話 局長暗殺
「芹沢を斬る……?」
その声は、いつも豪快な近藤先生らしからぬ、小さな声だった。
上方の夏は暑い。夕星が瞬き始めた頃、土方先生はむせ返る暑さを避けるが如く、近藤先生を誘って鴨川のほとりを歩いている。
ちなみに僕はいつもどっちかの先生の隣にいるけど、あまり気づかれている様子がない。いいんだけど。
鴨川を彩る風景は江戸のそれとは趣が異なり、最たるものが川床だと思う。
川を望みながら食事のできる露天座敷のことで、それがそこかしこに川に張り出しているんだ。
暑さに火照った肌を、宵の口に流れる緩やかな川の風で休めている町人たちが、とても風流に見える。
茶屋のちょうちんが淡く輝き始め、遠くに見える山々は黒さを増して、京の外輪を悠然とつなぎとめている……そんな風景。
江戸ではみられない、そんな京の風景を楽しみに出たのだろう、と僕は思っていた。
しかし実際は散歩などではなかった。土方先生は開口一番、暗殺計画を切り出したのだ。
「ああ」
言葉少なに是を示し、了承を得ようとする土方先生。
「しかし如何に押し込みで銭を調達してきたからとて、芹沢は新撰組の局長だ」
武士としての行いに反するのではないか。……近藤先生は義の立場に立って意見を並べる。
土方先生は首を振った。
「俺たちは今、何だい?」
「何……とは?」
「八王子の百姓か、国士気取りの浪人か、京に上った乞食か?」
「違う」
「では何だ」
「新撰組だ」
「そう、新鮮組だ」
その新鮮組が京の真ん中でゆるぎない勢力となるにはどうするべきだと思う?……土方先生の問いに、近藤先生が詰まる。土方先生はニコリともせずに続けた。
「俺たち自身が、もっとも誠実でなければならないのさ」
誠実は、何事にも勝る人間の徳である。誠実であればこそ、人は心から支持をする。
その支持があって初めて、新鮮組という看板を胸張って掲げられる。洛中で一目も二目も置かれる存在になりえるのだ。……先生は断じた挙句、
「俺はね、近藤さん。新鮮組を天下に鳴り響く所帯にしたい。そのためには後ろ指をさされるような行いは断固叩き潰さなければならん」
淡々と、しかし文鎮が載っているかのように重く……その言葉は紡がれる。
「新鮮組を乱す存在を、俺は絶対にゆるさねえ……例えそれが局長でもな」
「……」
その雰囲気を空恐ろしく感じたか、近藤先生の、土方先生を見る目に沈黙が走った。「歳」……と、土方先生を呼び、
「それは例え俺でもか」
「ああ。例え俺でも……さ」
「カッカッカッカ」
高笑う近藤先生。楽しいというより、物事が自分の処理能力を超えた時、この先生はいつもとにかく笑っていた気がする。
対する土方先生も、その顔を横目に挟むと、
「だから近藤さんも、新鮮組としてとことん誠実に生きてほしい。そうすれば俺は安心して地獄の底までついていける」
……正直、京に上るまでの土方先生に、誠実さを気にしているフシなどなかったと思う。だけど、この街で一介の浪士集団が確固たる地位を築くために必要なことを、"信用"という言葉に置いたらしい。そしてそれを掴むために必要な心を"誠実"としたようだった。
……それからしばらくして新撰組には隊旗ができた時、赤地に大きく抜かれた白い"誠"の文字が、この時の土方先生の決心をそのまま表していたように思う。
近藤先生は土方先生の意思に抗う言葉を持っていなかった。
結局、数名の隊士たちが暗殺のために動くことになる。場所は芹沢先生の寝所……八木屋敷。
……夏の暑さがなりを潜めた九月のある夜だった。屋敷の軒には強い雨が打ち付けている。
「先生」
芹沢先生を呼びながら、ぬっと部屋に立ち入ったのは土方先生だ。と僕だ。
仰天し「ぬおっ!?」という声を上げる芹沢先生。
「なんだ土方君。無粋ではないか」
狼狽しつつ、怒った様な声を上げるのは不躾なのもあっただろうが、それ以上に、したたかに酔っているのと、お梅さんという"いわくつき"の女と情事の真っ最中であったためだろう。
「先生には新鮮組の新作を召し上がっていただきたく……」
土方先生は鍋を抱えている。暗がりの部屋に行灯をつければ、「あっ」と子供のような声を上げてお梅さんは身体を隠すものを探した。
「今でなくてもよかろう」
「これはこれは……」
土方さんの声がやや陽気に爆ぜる。
「新鮮組の局長らしからぬお言葉。我らを束ねるのならいついかなる時も、局長然と振舞ってもらわねば困ります」
「だからとて、なにも今うどんを……」
「まぁまぁ、そうおっしゃらず、傑作ゆえ……」
鍋を畳に直接置けば、大量の湯気が部屋に立ち込める。
「この季節に鍋焼きうどんとは」
「冬へ向けての新作ですからな」
そちらの御仁もいかがですか?……なまめかしい姿をかろうじて布で覆っている娘にも声をかけるが、娘は「ひっ」と息をつめるばかりだ。
「やはり後にしろ」
芹沢先生が怒気をあらわにし始める。しかし土方先生は
「されば、内容だけでもご確認願いたい」
と引かない。芹沢先生、しぶしぶ鍋の中を覗きこんだ。そして蓋を開けた途端「うっ」とうめいた。
「なんだこれは!!!」
「お気にいられましたか?」
「何だと聞いておる!」
「新作、鴨の丸ごと鍋焼きうどんですが、なにか」
見ればずたずたに切り刻まれた鴨がうどんに埋葬されて黒焦げに焼かれている。芹沢"鴨"に掛けた洒落のつもりなのだろうが、そりゃ芹沢先生が怒るのも無理はない。
「なんのつもりだ!!」
「あんたの四半刻後の姿さ」
土方先生はやにわに立ち上がると鍋を蹴り上げた。チンチンに焼けた鍋が芹沢先生に襲い掛かると共に、四方から襖を蹴倒していくつもの影が踊り出る。すべての影が頬被りをしているが、僕は初めに芹沢先生を斬りつけたのが、沖田先生だということはすぐに分かった。
「ぐぁ!!」
身を翻したが避けきれない。血煙が上がる中を、それでも芹沢先生は逃げようとする。
しかし障子の先には、明らかに左之助さんだとバレバレのひょっとこ面がいた。
振りかぶられる刀。しかしそんなに天井が高くない。「ばんっ!」という音と共に鴨居に突き刺さってしまう。(後に左之助さんは「鴨は斬れなかったが、鴨居は斬ったと自慢げだった)
隙を見計らって素裸のまま芹沢先生は障子を開けると転げ落ちるように外へ。しかしその頃には沖田先生と……あれは誰だろう……変装のうまい某(多分先生)の矢継ぎ早な連撃が幾重にも、芹沢先生の背中を深く切り刻んでいった。
それでも逃げる。必死とはいえ、よくぞ逃げているものだ。
一切の音を掻き消すような激しい雨。土の匂いのする瀑布が、全身を斬られ機能の低下した裸形を覆う中、芹沢先生はやっと、縁側に置かれた一振りの刀を見い出したようだ。
藁をもつかむように腕を伸ばす。しかし刀は寸でのところで余人に持ち去られた。
「これは俺の差料だよ」
土方先生だった。
雨を背中に受けて濡れそぼる土方先生の姿。たぶんそれが、芹沢先生が今世で目にした最期の光景だったと思う。
この夜のことは後に、長州藩の不逞浪士の仕業とされることになる。
なぜそれが長州か……また追って話す事になるだろう。




