第三十話 一つの終局
数度打ち合わせ、弾かれるように間合いを取る二人。
市村は腰を、土方先生は肩を斬られている。互いに致命傷ではなくとも生々しい戦いの痕が出血となって身体を濡らしている様は、これが終わる頃にはどちらかと話すことができなくなっていることを否応無く感じさせた。
市村もそれを思ったらしい。
「惜しいな……」
つぶやく。
「てめえほどの男をこの世から消し去るのはよ」
「これはこれは……」
土方先生が鼻を鳴らす。
「随分と甘い武蔵先生だ。その昔、そのような気組で巌流が斬れたと思うか」
なるほどこの決闘は二刀を操る市村と、物干し竿のように長い刀を構える土方先生が、古の決闘を再現しているかのようだ。そして先生の言うとおり、情を残しては二天様(宮本武蔵)は巌流様(佐々木小次郎)を打ち崩せなかっただろう。
「案ずるな」
今度は市村がしかける。二刀が複雑に踊り、脇差がくるかと思いきや大刀の真っ向がきた。
その打ちの速さに払い落とす以外の行動が取れない土方先生の。がら空きとなった右胴に脇差が迫る。
「先生!!」
僕の叫び。しかし先生は市村に無理やり身体を押し付ける。今度は間合いが近すぎて脇差を振った市村の左腕が先生に絡んだ。
それこそが先生の意図だった。背を一瞬で伸び上げると頭蓋を相手の鼻に打ちつけ、よろめいた市村の身体を両手で突き放し、二、三たたらを踏む相手目掛けて刀を返し、思い切り踏み込んで斬り上げたのである。
市村も、それに反応はしている。浮き上がる身体で、必死に両刀で十字を描き、先生の攻撃を迎え撃った。
ギィィィィン!!!!
耳を劈く音が闇に響き、鋼と鋼が火花を散らす。
が、そこにあったのは膠着ではない。
「ぬぁぁ!!」
先生の怪力が、市村の刀を両方とも空高くへ跳ね上げたのである。
そして同じように高々と振り上げられた土方先生の和泉守兼定。双方共に防御の余地は無い。体勢を先に整えた方が斬れる!
そして、腰が落ち着いているのは先生のほうだった。
兼定の刃が再び市村を追いかける。左足を大きく引き腰を落とし、大木でも切り落とすのかというほどの気合を込めて、袈裟を振り下ろす!
……が、僕は見た。
それよりもさらに一瞬早く打ち下ろされていた市村の刃を。
「!!!!」
……僕はその刹那に起きた衝撃を、今も忘れられない。
まるで何もないはずの空間を、無数の星が煌き貫いていったような……心の臓を橦木で叩かれたような強大な衝撃が、僕の思考の一切を奪っていた。
「何をやってやがる」
土方先生の声だ。
「てめえこそ」
こちらが市村。
剣が……斜めに振り下ろされる課程で、お互いの首筋を薄く斬って止まっていた。二人の殺気で雷鳴のように猛っていた真っ黒な空が一転、すべてを洗い流されたが如き静寂を得、たたずんでいる。
その渦中、先生の表情は、より険しい。
「死ぬつもりだったのか」
「……いや」
「貴様の太刀筋の方が、刹那速かったはずだ。なぜとめた」
「……」
「俺は、こんな勝ちは望んじゃいない」
「けっ……現世の巌流も大概甘いじゃねえか」
「なぜとめたかと聞いている」
「……ははっ」
市村は笑った。限りなく……限りなく乾いた笑い。
「さっき、てめえが言った通りよ。惜しいと思うと斬れねえモンだ」
「馬鹿が」
鼻を鳴らした土方先生。剣を引く。そして、そのまま納めてしまった。
「やめだ。こんな茶番はくだらねぇ」
「やめるのか……?」
市村がちょっと滑稽な言葉を吐く。と、先生は己の首筋に当てられた大刀を顎でさし、言った。
「俺は今何もしていない。殺せるなら殺してみろ」
「……」
「ふん……」
もう一つ鼻を鳴らし……事もあろうに剣をつきつけたままの相手に背中を向けてしまった。
「その軟弱な気組を叩きなおして、もう一度俺の目の前に立ちはだかるなら、また相手してやる」
先生は僕に目配せをし、「いくぞ」と顎で、たぶん池田屋を指し示しながら歩き出す。
その堂々とした浅黄色の背中を……遠ざかる飾り紐を追う、市村の声。
「てめえと、新しい世が見たいんだよ」
これからは必ず尊王の世の中が来る。あんたなら新体制の幹部として、重く用いられることは間違いない。共に歩こう。あんたと共に仕事がしたいんだ。
……まるで、魂が叫んでいるようだった。
が、土方先生は振り向きもしない。
「俺は新撰組副長で、新鮮組の主人だ。それ以上でも以下でもない」
左胸、襷の結び目を緩めれば、新撰組の羽織がふわりと広がった。
「……俺は貴様のことを惜しいと思っても斬れる。俺と、幕府に立ち向かうつもりなら、その甘さをなくさなければ、勝負にならんぞ」
再び歩き出す土方先生。僕ははっと我に返ると、「先生!」と声を上げて、その、限りなく大きな背中を追った。が、すわ追いつきそうになった時。
ばふっ
急に先生が立ち止まったものだから、僕は突っ込んでしまう。
それを気にせず一度だけ、"新鮮組の組頭"は、市村の方へ振り返った。
「貴様も政治だの思想だのに振り回されるのはやめろ。ただの客になれ」
新鮮組で待っている。また食いにこい。
……言い放って去った先生の胸中、如何ばかりだったんだろう。
小者の僕には分からない。
武州名物京うどん処、新鮮組は今日も大盛況だ。
近頃土方先生はますますうどんの打ち方が堂に入ってきたと思う。だけじゃない。うどん打ちは山崎さんが成長著しい。
夏を仰いでザルに盛った冷うどんという新作が登場し、人気も上々だ。ついでに回数券というものを発行し、先に十杯分の銭を払っておくと十一皿目は無賃だったりとか、大食い挑戦などの催しも行ってみたりとか、とにかく毎日が騒がしい。
「いいなぁ……」
調子のいい時、沖田先生はその様を屯所よりじっと眺めていたりする。
「早くよくなれ。お前が手伝わんと店が大変だ」
今日は山崎さんにうどんうちを任せた土方先生が子供のように目をキラキラさせている沖田先生の隣で、渾身の真顔だ。実際店は猫の手も借りたいほどに忙しい。
さらにその隣にはいつもの僕の姿もあるんだけど、相変わらず用事があるとき以外は存在にすら気付いてもらえない。
まぁしかし、そんな日々が平穏で楽しい。僕が皆に必要とされる時……それは、新撰組が血を流している時なんだ。
だから僕は、土方先生の目の前で手を振ってみながら、気付かれないことに安堵している。
……池田屋を震源地とした京の大火計画を僕ら新撰組は見事食い止めた。
おかげで洛中には今日も穏やかな風が吹いている。
うどん屋も盛況。新撰組の評価もうなぎ登り。僕も新鮮組を手伝いながら、充実した日々を送っていた。
ただ一つだけ……。
……市村、いや……雑賀兼吉さんは、今日も姿を現さない。
了




