第三話 武州名物?
その話はさておき……、
当時、新撰組の仕事はほとんど何もなかったんだけど、新鮮組の方は暖簾を開いた当初から、お客の入りは悪くなかった。土方先生が打つうどんを評価したのは僕たちだけじゃない、ってことだろう。
やたら声のでかい原田左之助さんの注文が厨房まで飛べば、寸刻の間を置いてうどんの碗やザルが文字通り、飛んでくる。
それをどこにいても当たり前のように受け止めて客へ持っていくのが前掛け姿の沖田先生だ。たまに土方先生も碗やザルを投げ損じることがあるんだけど、沖田先生は上がり座敷に足の指を引っ掛けると人を飛び越えるような跳躍を見せて受け止める。大惨事には至らず、何もなかったかのように注文と供給は続いてしまうんだ。
ちなみに僕はお客の食べ終えた食器を厨房に戻す役。先生方のような曲芸はゆめゆめできないので、独楽鼠のようにぐるぐると店内を回り続けている。
なんか本当にうどん屋のほうが充実していて、未だ仕事の定まらない新撰組の隊務よりも板についてしまいそうな気がしてきた。
「武州名産との看板を上げておけ」
土方先生の言だ。武州……すなわち僕らが住んでいた関東、武蔵国を前面に出せとのことだが。
「でも土方先生、この小麦は武州産ではありませんよね?」
取り寄せようと思ったが、当時はまだそれができる運転資金がなかった。
が、土方先生は歯牙にもかけない。
「武州者が打てば武州名産なのだ」
……多少「強引ぐ、まいうぇい」なところがあるけど、京都壬生で武州名産うどんは珍しく、なおさらの噂を呼ぶきっかけとなった。
困った客もいる。
「拙者が先であったはずだ」
「いや、注文の品によっては順番が前後することもあるんです」
呼び止められれば、途端に不満の嵐。水戸脱藩のお侍らしいが、いちいち難癖をつけては店の者に絡んでくる。
「拙者を待たせ、ないがしろにし、あまつさえ納豆までも置いておらぬとは、うどん屋が聞いて呆れるわ」
いや、納豆の置いてあるうどん屋のほうが、呆れるほどに聞いたことないけど……。
しかし大事なお客である。僕はひたすらに頭を垂れ、土方先生に注文の催促に行った。が、
「ほっとけ」
「しかし、それではあのご浪人が納まりません」
「平五郎」
「は、はい!」
土方先生に改めて名前を呼ばれると怖い。この人は隣にいるだけで、えもいわれぬ迫力があるんだ。
「ここは何の店だ」
「はい、うどん屋ですけど」
「そう、うどん屋だ。だからほっとけ」
「は、はぁ……」
板ばさみ。これであっちに戻れば、今度はあの水戸のお侍にどやされるのだろう。
「おのれは拙者を愚弄するか!!」
ほら、案の定。僕は上がり座敷の端っこで小さくなるしかない。騒ぎを聞きつけて左之助さんや沖田先生もきてくれたが、その矢先、
「堪忍袋の緒が切れたぞ! 店主を呼べ! この水戸脱藩の志士姉川武人、うどん屋ごときになぶられてはたまらぬ!!」
「なんだてめ……」
「土方先生をお呼びすればよろしいですか?」
短気な左之助さんが鬼の形相を浮かべて声を上げかけたところ、沖田先生がそれを制して笑みを浮かべた。
「うどん屋に先生などあったものか! 早うこの場に直らせるのだ!」
「承知いたしました」
沖田先生、満面の笑みだ。腹が立たないのか、それとも土方先生が直接この男と対面するところが楽しみでしかたないのか。
……答えはぶっちぎりの後者だった。
「土方です」
会釈をする土方先生。前掛けはそのままだが、うどんを打っている最中だというのに腰には大小を佩いている。
大刀は兼定という業物だ。なんでも江戸で数ヶ月、自らの足で求め続け、見初めたものを何とかという名工に磨かせたらしい。
一度刀身をまじまじと見せていただいたが、見ているだけで全身の毛がざわざわとむずがゆく揺れ騒ぐような……怪しい光を放っていた。
とにかく、土方先生の宝物であり、知る者からすれば妖刀の一種である。
しかしこの水戸浪人は気付かない。
「お主が、この"両手落ち"の店の主人か」
「両手落ちとは?」
「片手どころか両手が落ちておるという意味よ! 語るにも落ちる無礼の数々の始末、どうつけるつもりだ!!」
「始末とは? 何を御所望か」
「まずは土間にひれ伏せ! 数々の非礼を詫びよ!」
「ほぅ……」
「そして向う一月、拙者を賄え。それでひとまずこの場は納めよう」
「……」
土方先生黙る。ゆっくりと目を閉じた。僕は「あ……」という顔のまま凍りつく。
だって、これは……地獄の前の静けさなんだ!!!
一瞬、先生の手元が光った……ような気がした。だって、その光はもう、先生の右肩の先に高々と掲げられているし。
それが兼定の刀身が放つ妖気であることを知った時、水戸浪人はすでに血煙を巻いて倒れていた。
「ここはうどんを振舞うところであって、我侭を聞くところではない……」
これだ。これが……土方先生の本当に恐ろしいところなんだ。
また、別のお客がきた。
「おお土方君。うどん屋はうまいことやっておるか」
正確にはお客ではない。恰幅がよく、目つきだけはやたら鋭い偉丈夫……新撰組局長、芹沢鴨先生だ。
「今日は一つ、馳走になろうと思ってな」
「振舞いましょう」
土方先生が慇懃に頭を下げた。さすがのコノヒトも、芹沢先生には丁寧な物言いをする。出されたうどんをすする芹沢先生は手を叩いて絶賛した。
「さすがに武州の百姓じゃ。腰の強さがうどん打ちに役どうとるな」
「いたみいります」
「いやまったく、生粋の侍にはできん芸当よ」
「……」
芹沢先生の物言いは僕が聞いても馬鹿にしているように聞こえる。
もっとも悪気があってのことではなく、染み付いた人格がにじんでいるんだろう。けど、上からの態度が嫌いな土方先生のことだから、内心は穏やかではないはずだ。
当の本人は、それについてはむっつりと黙ったまま、局長の名を呼んだ。
「芹沢先生」
「どうした」
「先日の鴻池の件ですが」
「鴻池がどうした」
土方先生は二百両もの大金を半ば強奪してきたことを言う。
「……あのような行いは隊の名を貶めるばかり。控えていただきたい」
「あれは土方君のために行ったことではないか」
「金策は隊の取り決めを持って行うこと。先生の独断で行うべきことではない」
実は、芹沢先生が商家をゆすったのはこれが初めてじゃなかった。酒が多く、女にだらしなくて金遣いが荒い。そして手持ちが乏しくなれば会津藩の名を借りて金をゆすってくる。
おかげで新撰組のほうはこの当時、あまり評判がよくはなかった。
「局長とて、いや局長ならばこそなおさら規範たる態度を示していただかねば……」
「小姑のようじゃのう。君は」
芹沢先生の眼光が鋭くなる。この人も大概に短気だ。刀に手をかけんばかりの威圧感で空気を濁してゆく。
が、土方先生もその気組に負けてない。呼吸を浅くして、どんぶりを置いて座っている芹沢先生の脇で彼を見下ろしている。
摩擦で雷でも発生せん勢いで揺らめく場の空気に、お客が二三逃げ出し始めると、沖田先生が「何事か」とやってきた。
芹沢先生はそれで一度、我に帰ったようだ。
「……土方君」
物腰をやわらかくして湯飲みの茶をすする芹沢先生。
「世は不条理だとは思わんか」
返答などいらない、とばかりに芹沢先生がそのまま続ける。
「物を考えぬ無能ほど、安穏と生きておる。見ろ、今の武士の堕落を」
天下三百藩。藩侯含め、堕落者どもは世襲にかまけて無為に禄を食み、何もしなくてもふんぞり返っている。
「銭を有用に扱い得るは我等の如き有志の徒であるはずなのに、世はままならん」
銭を必要としている者に限って雨露をすすって生きている。藩の体制が税を吸い上げて私腹を肥やしているのなら、我らも同じ方法で資金を集めるのに、何をはばかることがあろうか。……ということを、彼は言った。
……土方先生は、黙っている。




