第十九話 決着
しかし、僕の歓喜は、あるところで驚愕の悲鳴へと変わった。
「先生!!」
雷の放電のように駆け抜けやすいところを縦横に横切って、人を斬っていた沖田先生が突如咳き込んだのだ。それも、膝をつかんばかりの勢いで……。
まるで丸腰だ。恐れをなして剣が震えていた刺客たちも状況を理解し始める。
しかし、一人が刀を振り上げ飛び掛ると、沖田先生は「うわぁぁぁぁ!!!」という雄たけびを上げて、開いた胴を払った。その後も相変わらず大きく咳き込んでいるが、うかつに攻め込んだ一人が絶命したのを見て、他の者たちは容易に踏み込めなくなる。
「沖田先生!!」
駆け寄る僕。沖田先生をかばうように切っ先をちらつかせたが、沖田先生に比べて威圧感なんてないことはここにいる誰もが承知のようだ。
沖田先生に復帰する気配はない。苦しそうにもだえ、尋常でない咳を繰り返し……
それでいて、僕に笑いかけた。
「大丈夫……まだやれるよ」
土方先生と鴉の剣が激しく啼いている音は聞こえる。そちらに注意を向けている余裕はないが、向こうも助太刀をする余裕などはないに違いない。
目が慣れてきているとはいえ辺りは月明かりを頼りにするだけの闇だ。黒い空気の中に、動けぬ沖田先生と狼狽する僕、その僕たちに向かう無数の刃という、悪夢が広がっている。
刺客の数はまだ少なくとも十以上が健在だ。活路は……、
……僕が切り拓くしかない。
「新撰組栗田平五郎。参る!!」
声が辻に響くと、闇の雰囲気に変化が起こった。
……明らかに刺客たちの空気が和らいだのだ。
そりゃそうだ。沖田先生が相手ではなくなったということを、僕が宣言したようなもの。……つまり完全にナメられている。
「くそっ!!」
腹立たしいんじゃない。当たり前かもしれなくても悔しい。僕は失笑じみた闇の匂いに楔を打つべく、踏み込み足を突き入れた。しかし一撃をあえなく撃墜され、なおさら沖田先生との格の差を相手に知らしめてしまうことになる。
ざざっと構えなおす刺客たち。俄然勇気を与えてしまったらしい。
「沖田先生が動けない間にこっちの方を血祭りに上げてやろう」という気色がありありと見えて、僕は一歩……後ずさった。
その時だ。
「京都守護職会津中将様御預新撰組である!」
夜道の決闘を洗い流すような浅葱色の大波がなだれ込み、僕らを飲み込んだ。
声は確かに近藤先生のものだった。見れば二番隊隊長永倉さん。三番隊隊長斉藤さん。試衛館から一緒だった井上源三郎先生、藤堂平助さん。原田左之助さんもいる。
たくさんの平隊士を従え、駆けてきた姿は壮観で、僕はこの時ほど新撰組というものが神々しく見えた時は他にない。
一方の刺客たちには、まるで魑魅魍魎のように映ったのではないだろうか。洛中ではすでに新撰組の恐怖が囁かれ始めているし、今しがた彼らは沖田先生を見ることによってその恐怖がまやかしでないことを痛感したはずだ。
それが束になって向かってきたとすれば、それはもう、見ただけで死ぬほどの恐怖に違いない。
証拠に、僕らに向けられていた無数の剣尖が一つ、二つと崩れ始め、やがて影に解けるように散り始めたのである。
「逃がすな! すべて斬り捨てよ!」
その背中に浴びせられる、近藤先生の無情な号令。それが部下への命令ではない証拠に、本人が先陣を切って街道の土を蹴って走り出していた。
土方先生が決闘を行っている鴉には、井上先生と左之助さんがついた。
それぞれの剣気を感じて、鴉の表情は険しい。黒目をギロギロと動かし「フン」と鼻を鳴らした。
「まさか神聖な一騎打ちに水をさすのではあるまいな」
井上先生、上段。原田さんは槍での正眼だ。鴉のその言葉に、(単純な)左之助さんは「うっ」と呻いて槍をやや引いたが、土方先生は平然と返答した。
「決闘気取りたぁおめでてえな」
「ん?」
「一騎打ちだと思っているのはおめぇだけだ」
「なに? では何だというのだ」
「これはただの喧嘩さ。そして……」
先生は左之助さんの肩を叩いてもう一度構えさせると、
「俺は、喧嘩は勝てばいい主義だ」
「な!?」
井上先生は土方先生の意図を汲んで同時に飛び掛った。それに目を覚ましたかのように左之助さんも大きく踏み込む。
井上先生も左之助さんも、沖田先生には及ばずとも並みの剣客じゃない。
鬼の三人がかりに……さしもの剣豪も、ひとたまりもなかった。
闇の戦場は間もなく、新撰組一色に染まった。
沖田先生が手にかけたものも含めて死者は二十二名。鴉も含まれる。
生存者の内、捕縛者が数名で、後は逃げられたようだった。
屯営に引かれていく捕縛者を尻目に、近藤先生は土方先生の元へ小走りに駆けてくる。
「危なかったなぁ、歳」
「俺よりも危なかったのは総司だろう」
闘いが終わった時、沖田先生はけろっとした表情で皆の後始末を見ていた。土方先生は沖田先生の急変を知らないはずなのに断言したということは、斬り結んでいた際にこちらの状況を覗ったということだ。先生の化け物ぶりを再確認できる余裕である。
「ありゃぁまさか、労咳じゃねぇか?」
「うむ……」
近藤先生も心当たりがあるのか、大きな口を真一文字にしてうなる。
「近いうちに蘭医に診せよう」
「それと」
土方先生は目を細め、眼光を鋭くした。本題……ということだろう。
「こたびの通報者は誰だ」
「雑賀殿だ」
「そうか」
「島原に通い詰めている男が遊女から、長州系の侍がこの一件についてこぼしていたのを聞いたそうだ」
「なるほど」
それっきり、土方先生はこの場所にすべての興味が失せたかのように歩き出した。




