第十八話 前門の鴉、後門の刺客
が、計っていたように退路を塞いだ巨漢が在る。
両先生は眉間を険しくした。提灯を持ったその男は、確かに厚ぼったい野袴を履いている。
「なんてぇ顔してやがるんだ。俺を探していたんだろう?」
「……てめえが鴉か」
「名乗るまでもない」
「……」
土方先生は口をつぐんだ。その表情の難しさが単なる動揺でないことは、付き合いの長い僕には分かる。
この顔は、今回の件を反芻している顔だ。沖田先生もそれを察したかのように、「謀られましたかね」と言う。
土方先生が「そうだな」と返した時、背中には先ほどの生き残りが追いつき、再び僕らの周囲を囲み始めていた。その数は三十に迫るんじゃないだろうか。実際、冷静に解説している場合じゃない。
鴉……三須間厳彰の力が噂どおりとすれば、先生の一人は掛かりきりになる。すると、僕と先生(実質先生一人)で三十人からを相手にしなければならない。
如何に両先生方が強くても無茶だと思った。煮込みうどん殺法じゃないけど、一対多数がどれほど不利かは土方先生自身が前に解説したとおりだ。
「何か言っておくことはあるかね?」
鴉のしわがれ声。その顔はエラが張って顎が大きい。豪快を絵に描いたような巨漢だ。
土方先生は「一つ……」と言った。
「雑賀兼吉という名は?」
「知らんな」
「では市村左門」
「いや……」
「なるほどな……」
土方先生、鴉の顔色と話をする。そしてなにがしか腑に落ちた顔をすると、それを見下ろす男のほうが今度は眉をひそめた。
「てめえらはどうせここで死ぬんだ。余計な詮索は無用」
「馬鹿を言うな。俺が死んだら新鮮組を誰が切り盛りするんだ」
「心配はいらぬ。新撰組はこの鴉が潰す」
……微妙に会話がかみ合ってないことに気付いているのは僕だけだろうか。
まぁ大勢に影響はないからいいか。それよりも多勢に無勢を嫌って一度は逃げ出そうとした僕たちだ。この状態は絶体絶命と言える。
土方先生だってあんなに平然としているようだけど、内心は万事休すと思っているはずだ。
どうするんだ。先生方。
……すると沖田先生、先ほど納めた刀をもう一度抜いて、軽快に言った。
「いいですよ土方さん。そいつやっつけちゃってください。背中は僕が守ります」
土方先生は微笑い、鴉を睨みすえたまま言葉を返す。
「すまねえな、総司。では寸刻耐えてくれ。戻る道は必ず作る」
「頼みますよ」
沖田先生は土方先生に背を向け、まったく力を感じさせない柔らかな霞構えを作る。
弱そうなんじゃない。自然体なのにまるで隙がない。ヘタに飛び込むのは亡霊の手に引かれるが如くで、問答無用で溶けてしまいそうな、薄ら寒い迫力が全身を取り巻いている。
「ほう……」
鴉の視線が土方先生を一瞬飛び越した。
「俺の相手はそちらの先生のほうがよいのではないか?」
「けっ」
いつもの、クセのある下段に剣尖をつけ、沖田先生とは別の、こちらは華々しい威圧感を纏った。そして
「ただのうどん屋だと思うなよ」
たぶん、だれも思ってないことを先生はツバと共に吐き捨てる。
鴉は高らかな上段構え。元が巨躯なのでまるで仁王を見上げるようだ。
「ねぇ平五郎」
僕が二人を固唾を呑んで見つめていると、横から声がした。
「何人任せていい?」
「え」
声の主は沖田先生。
「平五郎が何人か相手してくれたら、ここは切り抜けられると思う」
気休めでも、そういうことを言ってくれるのが沖田先生だ。僕もたまには役に立たなければならない。
しかし実際、一対多数の実戦経験は、僕にはなかった。それでもできる限りひきつけられるとしたら……
「十人の相手をします」
「いやいや、十人も相手にしたら絶対に死ぬよ」
身もフタもない即答に、僕、しばらくへこむ。
「じゃあ五人……」
「死ぬ、ゼッタイ」
「え、じゃあ三人……」
「二人相手にしてくれればいいよ。僕の背中につく奴らの」
「……」
じゃあ初めからそう言ってくれればいいのに……
沖田先生と冗談だか本気だか分からないやりとりをして、僕は刀を正眼に構える。
それが合図であったかのように、まるで見世物小屋の芝居のような、多勢と無勢の闘いが始まった。
その芝居で……僕は沖田先生の本気を見た。
先生の構えは異様に狭く、脆く儚い。先ほど言ったように外から見てまったく力を感じさせない。殺気もない。痩せ型でもある先生は、地面から生えた枯れ木のように頼りなく立ち尽くしているのみだ。
なのに、怖い。今僕は先生の背中を斜め後ろから見ているのだが、一寸でも近づけば、かまいたちのようなものにやられそうな……そんな薄ら恐ろしさがある。
先ほどから、数で絶対の有利である刺客たちが一向に突っかかってこないのも、その気に圧されているからに相違なく、このまま睨みを利かせ、土方先生の勝利を待てばいいんじゃないかとも真剣に思えた。
が……沖田先生は行った。一度、まるで貧血なのかと思うように倒れこんだ先生の背中が、一瞬で僕の隣から消える。次に僕が見たのは数間先まで踏み込まれていた沖田先生と、先生の愛刀に貫かれた刺客の一人。
何が驚くって、輪の真ん中に突っ込んだ先生の両脇にいる男たちは、まだ僕の方を見ているということだ。つまり先生の踏み込みに気付いていない。
「せぇぇぇ!!!」
埋め込まれた刀は物打ちまで達している。それを足裏で強引に突き放して引き抜くと、今度は思い切り腰を落として左右の二人を立て続けに薙ぎ殺した。そしてまた倒れ込むように消える。
沖田先生の怖さはあの体重移動だ。昔、
「早く動きたいなら体重がどこに乗ってるかを知るといいよ」
とおっしゃってたことがあるが、極めるとああなるらしい。先生は右からも左からも反撃が来る一番不利など真ん中を突っ切っていったのに、一人の反撃も許さずに、一度剣の殺傷範囲から出ていた。先生が通ったところはまるで巨大な生物が踏み潰していったかのように死傷者の帯ができている。
……っていうか僕、背中を守りたくても背中に追いつけない。それに、数名は僕の方に来てもいいはずなのに、皆呆気にとられたまま沖田先生から目が離せない。
思えば当然かもしれなかった。僕の方なんかに余所見をしたら、たちまち命をとられてしまいそうな勢いだ。
沖田先生は休まない。ふっ……と、倒れ込むような力のない予備動作が、刹那で津波のように猛る。第二派、第三派……なす術もなく斃れていく刺客たち。ついでに提灯を斬られ、辺りに闇が増す中で、さっき言った多勢に対する無勢の理屈をあっさりと覆す先生の剣術に、改めて震えが走った。




