第十六話 下手人
作州(中国地方)の郷士、三須間 厳彰。
……そういう名前が浮上した。
「ぬぅ……大物ではないか」
近藤先生がうなったように、数年前からその名を売り始めた人斬りである。
三度傘、濃緑の野袴が鴉の特徴であったが、そういう特徴の男が四条通の居酒屋で新撰組殺しをほのめかしていたそうだ。
無論それだけでは三須間厳彰かはわからないのだが、賭場に通う目明し某の調べで、その名が浮かんできた……ということを垂れ込んだ人がいる。
それが、新鮮組一の常連さん、雑賀兼吉さんだった。
なお、情報元の目明しも義侠心ではなく、情報が金になると踏んだためのようだ。雑賀さんの「話を聞くなら銭を用意してやれ」という言葉に従って、監察方山崎さんがその博徒崩れの目明しと会った時は、結構な金子を用意したっぽい。
剣は相当できるらしい。出自が刀鍛冶の三男坊であり、若い時分に宿場を渡り歩いては夜な夜な試し斬りを兼ねて人を斬っていたという没義道ぶりだ。
まぁ、生かす価値もない男だけど、尾行を物ともせずに姿を消すので、所在を掴むのが困難だった。
「僕か土方さんがおとりになればいいんですよ。もっとも……」
沖田先生、くすくす笑って、
「土方さんみたいな毒蛇じゃ、エサにしようっていう鴉もいないでしょうが」
「何を言いやがる」
実際、監察方数名と沖田先生直属の一番隊で空いている者が探索に回ってはいるものの、今のところ目処が立たず……。
そんな殺伐としたご時勢でも、武州名物京うどんの『新鮮組』は店を閉じない。
土方先生にしてみればこれこそが新撰組そのものだから当たり前といえば当たり前なんだけど、実はこのうどん処新鮮組自体が京の噂の交差点でもあり、総長山南先生の「土方先生はそっとしておいた方がよろしい」という近藤先生への耳打ちもあって、新撰組が殺気を振りまいている裏で、まるで別世界のような商いが続いている。
お客応対の者たちも土方先生の方針に誰も抗わず(抗えないのもある)、時間になれば普通に店に現れ、普段と同じように商いを行っていた。
客も、相手が新撰組と知ってか知らずか、さまざまな話を持ってくる。後で調べると明らかに流言と判断できるものもあるのだが、いくら疑わしくても店内は新鮮組の聖域であり、うどんを食べてるお客に尋問などはもってのほかであった。
それをしようとして羽織で踏み込んだ隊士が一人、身内なのに客の前で土方先生に斬られているところをみてもその意思が岩よりも固いことは内外に知れ渡っている。
でもだからこそ、赤でも青でも情報が溢れる。剣戟の雨降る洛中で唯一、誰もが非武装で話ができる場所として大いに盛り上がっていた。(さすがに尊攘の運動家が表立って議論を戦わせてる光景はないけど……)
「おい、小僧」
僕は呼ばれて振り返った。見れば雑賀さんが上がり座敷にとぐろを巻いて、人差し指で僕を招いている。存在感の薄さで誰にも見つけてもらえない僕を見つけられる、数少ない人物の一人だ。日常茶飯事、僕も慣れたもので、「はいはい」と、駆けていく。追加注文をする時もあれば、小遣いをくれる時もある。単なる世間話の時もある。
が、最近はちょっと様子が違っていた。
「毎度ありがとうございます」
「おう」
「儲かってますか?」
「ウハウハよ」
僕は一度、心の臓が大きく揺れた。雑賀さんはそ知らぬ顔をして、
「だから今日は小遣いをやろうと思ってな」
「ありがとうございます」
僕は動悸が治まらぬまま、頭を下げた。
実は、「儲かってますか?」は暗号の一種だった。彼は例の下手人の探索を請け負ってくれている。
ぼちぼち……は、収穫なし。ウハウハは……。
雑賀さんは僕に紙に包んだ銭をよこす。しかしこれが今日に限っては小遣いなどではないことを僕は知っている。
それを土方先生の下へと運ぶと、先生は山崎さんを呼んで、さっそく情報の裏を取りに行かせた。
さっきの紙には新撰組隊士殺しの下手人、"鴉"の所在(潜伏場所)が記してある。
妙見寺という京の外れ、伏見の小寺。その情報に偽りがない旨を押さえ、土方先生は沖田先生を呼んだ。
「見つけたぜ」
「見つけたわりには不機嫌そうですねぇ」
「……」
身支度をしながら仏頂面の土方先生は、やがてポツリと呟く。
「……腹立たしいに決まってる」
京都を荒らす行為は、すべてうどん処の存続に関わるではないか。
「京の焼き討ちの話もそうさ。なぜかくも馬鹿げたことをする」
「時代が激動しているからでしょう。ほら、僕らだって京の都で会津中将様の預りになってるんだ」
津波のような時勢でなければ、武州のイモ剣客が京に従事することなどなかったでしょう?……沖田先生は言い、返す刀で土方先生に問うた。
「土方さんのうどん作りのほうが今の京では異質だと思いますよ」
「何を言いやがる」
「この際だから聞きたいんですが、土方さんは誰よりも武士らしく生きたいと願っているのに、なんでうどんを打ち続けているんですか」
「ほう、どういう意味だ」
「うどんを打って財を築くことが、武士らしくないと言っているんですよ。僕はいいですけどね。新鮮組も気に入ってるから」
しかし、幹部連中のほとんどに土方さんに対する理解はない。なぜわざわざ嫌われ者となるのだ……そんなこと言った。このことは後々、大きな問題となって新撰組を揺るがすが、今回はそこまでを書く前に、ひとまずこの手記は終わる。
なににせよすごいのは沖田先生だ。直球で鬼の土方先生にこんなことをいえるのは彼をおいて他にない。
土方先生も、ほんの寸刻呆気に取られていたが、「総司」と、沖田先生の名を呼ぶと、とんでもないことを言い放った。
「武士が、ただの武士でいられる時代はもう終わる」
「え……?」
「己の力で生きられぬ武士は生き残れない」
「……」
「俺はな総司、新鮮組を天下に鳴り響く所帯にする。それも、武士の集団としてな」
しかし……と土方先生は続けた。
「……武士のあり方自体が近いうちに消える。そうなった時にあくまで武士として生き、かつ生き残るにはどうしたらいいか……それは、己で生きる手段を身につけていることだ。それができてこそ、他におもねることなく、最後まで己の士道を貫くことができる」
「それは……」
本来の、武士の考え方ではない。……沖田先生はそう言おうとしたのだろう。
京都見廻組の佐々木殿じゃないが、武士は仕える君主に如何に尽くすかというのが根底にある。そこに生まれる義理や人情の精神が士道であるわけで、乱暴な言い方をすれば、他力で生きていくのが武士なのだ。つまり"己で生きる力を身につける"ことは、大権現様(徳川家康)が収めた江戸の世が育んできた士道の概念とは離れる。
だから僕は理解できなかった。土方先生が言いたい士道という物が。しかしそれを察したかのように先生は言う。
「なるほど俺は隊内で理解の範疇を越えているらしい。だが今に分かる日が来る。その日まで、俺は俺のやり方で新鮮組を守る」
「それがうどん処なわけですね」
「一つの手段としてのな」
「わかりました」
わかっていないだろう。沖田先生は多分僕同様、土方先生が言った意味が分かってない。しかし「自分には理解できない道をまい進し、切り拓いていく土方先生」に、沖田先生は憧れの念を抱いて追いかけているわけだから、理解できないところこそ、望むところなのかもしれない。
「とにかく鴉を斬りに行きましょう。貴方の理想に、きっとヤツは邪魔なはずだ」
「違えねえ」
二人、申し合わせたように同時に部屋の外へ目を向けた。




