第十五話 新撰組隊士殺傷事件
下手人は長州の息の掛かる者との見方が強い。
理由はもちろん、同藩が昨年夏に行われた政変で、京における発言力を失った後、まるでその存在自体が悪のように扱われたことに対する報復だ。
そのため、密偵は長州藩邸のある河原町を中心に配置され、何食わぬ顔で目の奥を光らせていた。
ところで、新撰組も新撰組で、ただ人を斬るだけの集団じゃない。
疑わしきを捜査して探索し、張り込みを行って、しかる後に斬る。そのために必要なのは剣術の腕だけではないのだ。
"監察方"という役目がある。だんだら模様の羽織を着て華々しく立ち回る隊士たちとは一線を画し、影に紛れて情報を集め、新撰組の行動に説得力を与えるための任を負う。
影に紛れて……というと、「忍びか?」と思いがちだけどそうとも限らない。例えば町人に成りすましてそれとなく伺いを立ててみたりとか、乞食に化けて川岸に一日座り、怪しい人物に対する目を光らせてみたりだとか……普段新撰組として姿を現さないわけだから、誰も新撰組隊士とは思わず、知らぬ間に志士たちの素性は裸にされているというわけだ。
一見誰にでもできそうだけど、実は監察方というのは大きく資質が問われる。
人へのものの訊き方、しゃべり方、……芝居がかっていたらもちろんダメ。自然の流れの中で、必要な情報を得なければならない。さっき言った乞食をやるにしたって、少しでも違和感があれば警戒されてしまうわけで、見るからに不器用そうな武州出身の先生方で務まる人はいない。
監察方はもっぱら現地登用の方たちだ。特に町人出身がいい。
その条件での適任が、山崎さんだった。覚えてるだろうか。土方先生の剣の腕を疑って試合を申し込んだ若者である。
彼は大坂でもかなり有名な針医の息子で、大坂京都の差はあれど、もともとが京の町にいても不思議のない町人だった。
それだけじゃない。発想が柔軟で、機転が効く。しかも、(これも一つの素質だけど)顔にあまり特徴がなく、『よくいる顔』として、顔が覚えづらいのも、そういう仕事に向いている要素のひとつといえた。
監察方は彼一人じゃないんだけど、働きは飛びぬけている。
そんな彼が、こたびの下手人探しに乗り出して半月。
事態は、「イモを掘ったら埋蔵金が出てきた」みたいになったんだけど……。
長州藩を中核とする過激派浪士たちが、祇園会(祭)前後の風の強い時分を狙い街に火をかけ、天子様を連れ去りつつ、慌てて転がり出た会津や薩摩の要人を殺し、討幕の狼煙を上げる。
「だれだぃ。そんな夢物語を吹いてるやつは」
左之助さんが言った。その言葉を、誰も否定しない。
確かに夢物語のような計画だった。言うなればなんだろう……織田軍、上杉軍、武田軍に挟まれている姉小路軍が、風の強い日にその三大名を打ち破って天下統一をしました……というくらい夢物語だ。分かりづらくてすまない。
とにかくそれほどに大それた事を考えている過激派がいるようだ、という話を、新撰組殺しの下手人を探す課程で山崎さんが手に入れてしまったからさぁ大変。
新撰組はもちろん、京都守護職、所司代、町奉行に至るまでが、その"夢物語"の綴り手を探し始めた。この時節、そんな寝言にも鋭敏に反応せずにはいられないほどの狂気の風が、京の町には渦を巻いていたのである。
ともかく隊士殺害の下手人どころではない。新撰組は組頭の先生方までもが聞き込みを行い、洛中には町人に偽装した隊士が溢れた。
「鴨ネギうどん二丁、これで終いだ」
コノヒトを除いては……。
しかし、隊士殺しが忘れられたわけではない。
特に平隊士の中では暗く燻り、夜回りの当番となると仮病を使う者も現れ、また組頭の先生方に助けを請うものも現れ始めた。
ただ、実際は現在、他の件に関わっている余裕のある助勤の先生はいらっしゃらない。
「平五郎、昆布を買ってきちゃくれねぇか」
コノヒトを除いては……。
というわけで、自然、平隊士たちの目は土方先生に向いた。もともと平隊士たちへ『煮込みうどん殺法』を伝授したのも先生だ。何かよい手はないかとすがるのも無理はない。
「ああ、聞き及んでいる」
自室で先生は畳に座り何かを思案していたようだが、若き隊士たちが複数名で押しかけると、胡坐を直して耳を傾けた。どうやら例の話は土方先生にまで伝わっているらしい。
「鴉と名乗る使い手だそうだな」
「はい。技巧みにして動き素早く、『煮込みうどん殺法』をかける前にやられます」
煮込みうどん戦法は相手を囲わなければならないが、戦いが相手による不意打ちから始まり、その後ひらひらと飛び回られては、その「下準備」がおぼつかないのだろう。
「本来なら私たちがとらねばならぬ仇ですが、何分手強い相手ゆえ、先生のお力で仲間の無念を晴らしていただきたく、恥を忍びお願いに参った次第にございます」
やけに丁寧な物言いをするこの若い隊士は三浦啓之助。なんとあの佐久間象三の息子に当たる。それ以上の情報は必要ないくらいのちょい役だけど、そんな男が新撰組にいるという事実の公表まで。
土方先生は腕を組んだまま、しばらく思案していたが、やがて
「逆転の発想で、うどんをザルで冷やし、つゆも冷製で食すとうまいだろうか」
「先生! 今はうどんのことを論じているのではございませぬ!」
「ああ、鴉のことなら承知した」
「え!? そんなあっさり!!」
「そう。夏に向けてあっさりしたうどんを品書きに加えたいのだ」
「……」
……たぶん、鴉のことは解決済みで、すでに半分自分の世界に埋没しているのだろう。
桜の咲く季節、夏の新作に思いを馳せて、ますます新鮮組を盛り立てていこうとする姿には、ある意味、"誠"の旗印に恥じぬ誠実さが見える。
"鴉"の特徴自体は隊内でも知れ渡っている。
なにせ飢えた猛禽が飛ぶように現れて、乱雑に食い散らかして嵐のように去っていくため、いやがおうにも特徴的だ。しかも嵐の通り道とならなかった数名が食われずに戻ってきていることも、探索の手助けとなっている。
目撃者はしきりに厚ぼったい野袴を言うから、それがよっぽど目立つのだろう。
「複数か」
「いや、一羽鴉みたいですよ」
土方先生は沖田先生を呼びつけて話をしている。
「腕はたつと思うか」
「さぁ……」
こういう時、沖田先生は必ずとぼける。たとえ「敵は鬼神の如し」と囁かれても同じようにとぼけて当たり前のように渦中に踏み込んでいく。
理由が「近藤・土方両先生の背中を追うため」ということを、僕だけが知っている。なんともいじらしいけど、とにかく恐れを知らぬ様が新撰組でも絶大な信頼となっていることは間違いなかった。
「腕が立とうとも、どうせ斬っちゃうんだから同じでしょう?」
「お前はいつも簡単だな」
……どうやら始末は二人でつけるらしい。




