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第十四話 激辛うどんと不穏な空気

「クックックック」

 ……毎回怖いが土方先生がまた自室で一人、笑ってる。

「平五郎はきっと三つ数えれば来るだろう」

 もうコノヒトいやだ……。

「一、二……」

「土方先生!」

「三。どうした? 平五郎」

「い、いや、……何か先生から用事を仰せつかる気がして」

「うむ、ちょうどいい。面白い提案があるのさ」

「はい、なんでしょう」

「客の挑戦精神を煽るというのはどう思う」

「挑戦……ですか?」

「例えば地獄の釜を開けたような、赤く辛いうどんを作って、『完食の折は無賃とする』とするのさ」

 つまり食べたらタダということらしい。

「面白いですが、あまりに完食が多い場合、大損ではありませんか?」

「そうならぬよう、こちらも辛さの総力を結集した」

「え……」

 先生と目が合う。嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。

「これだ。平五郎」

「うわ……」

 それは"地獄の釜を開けたような"という表現そのままの、おぞましいシロモノであった。

 煮込みうどんの類だが、汁は血の池のように赤々と煮えたぎり、粘度を帯びて麺に絡み付いている。麺はきしめん型の分厚く平たい物。赤銅に浮かぶその白が、釜から助けを求めて突き出されている人の手のようで、見ていて少し寒気すら覚える一品だ。

「どうした。食べていいんだぞ」

「え、僕がですか」

「他に誰がいるというのだ」

「死んでしまいます」

「なぁに、心配ない。毒ではないさ」

「……」

 毒でなければ死なないのなら、人は火に巻かれても死なないはずだ。

「辛いのはニガテでございます」

「心配ない。つらいわけではない」

「……」

 確かに"からい"と"つらい"は同じ"辛"という文字だが、僕は決してつらいと言ったわけではない。

 というか、"つらい"でもこの際意味合いは変わらない気もする。

「麺がのびる前に食え」

「……」

 ……たぶん食べるまで土方先生は許してくれないだろう。僕は意を決してうどんに箸をつける。

 そしてそれを口に運んだその刹那!!!!

「!!!!!!!!!!」

 僕から魂が飛び出した。


 気がつくと座敷で白目をむいて僕が倒れている。驚愕の表情を浮かべたまま凍りついているその姿は、恐らく辻斬りにあって悲鳴を上げたまま殺されたらこういう顔だろうという無残なものだ。

 と言うか僕は生きてるんだろうか。自分の断末魔の表情を天井辺りから見てるんだけど。

「大丈夫か。平五郎」

 しかし鬼の土方先生は平然と斜め上を向き、部屋の上方に浮いた魂の方の僕に話しかけてくる。

「辛さは軽く死ねます」

「そうか」

「それよりも、うどんの味がしなかったのですが」

「まぁそれはいい」

 ええええええーーーーー!!!!

「しかし、客はうどんを期待していると思います!」

「心配するな。うどん屋で出す麺はうどんというのだ」

「……」

 コノヒトはむちゃくちゃだ……。

「とにかくこれなら挑戦者の達成は困難そうだな」

「というより、拷問の道具に使えると思います」

「フフ……面白いことを言う」

 ……いや、冗談のつもりじゃなくて、僕、魂出ちゃってるんですけど……。

「ことに平五郎。いつまで遊んでいる。早く戻ってきて続きを食え」

「……」

 コノヒト、むちゃくちゃだ!!!


 ……結局そんな挑戦的なうどんもお品書きに加わり、しかも会津中将様のお墨付きで、ますますご盛況な新鮮組の軒先に、乱れ咲きたる京桜きょうざくら。文久四年の春の風は、僕たちには明るい色を帯びて、緩やかで暖かな空気を運んでくれている。

 しかし、ちょっと前に書いたように、あの京都見廻組の一件は、緩やかだった僕らの生活を、少し別のものにしていった気がする。

 まずあそこに居合わせた常連さんたちは、厨房でうどん打ってる人が新撰組の副長ということを知っただろう。そして、土方先生自身も、新撰組を知った。(ようやく)

 店を手伝う隊士たちも、店を利用する町人たちも同じようだけど、なんとなく違っているように見える。僕の気のせいかな……。


 一方で、新撰組に蹂躙されながら、尊攘派の連中も京での活動を諦めたわけでは決してなかった。 

 政治的暗躍ももちろんだけど、市中取締りの最前線に立っている新撰組を恨み、非番で酒を飲んだ平隊士を夜道で殺傷する事件なども立て続けに起きている。

「一人、どうにも手ごわいのがいる」

 事件が重なるうちに、そういう結論に達した。

 新撰組もおめおめと人的被害を増やすわけにはいかないので、さまざまな工夫で下手人を追い落としているし、実際返り討ちにした例も増えてきているのだけれど、周到に張られた包囲網をくぐり抜け、なお隊士の血を強要する輩がいる。

「人斬りはっとうさいでは?」

「漫画が違うからやめろ」

 ……冗談。

 世の中には実際、"人斬り"と恐れられる存在がいる。などといえば新撰組なんて団体丸ごと人斬り集団だから「怖い」なんて言ったらおこがましいんだけど、とにかく尊攘側にも危険な人斬りは数多あまた存在している。

 有名なところでは肥後の河上玄斎、土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛など。

 まぁもっとも、人斬りイコール剣豪とは限らない。別に人斬りというのは二天様(宮本武蔵)のように強い人を求めて決闘を行ったわけではなく、ろくに剣も振るえない思想家などをバタバタ斬り殺していく人種なので、実はココロがアブナければ、そんなに強くなくても人斬りだったりする。

 その類だと新撰組のような本格的な剣客集団にかかればイチコロなんだけど……。

 実際、こたびの相手はそうではないということだ。話では平隊士七人と対峙して、四人に重傷を負わせて逃げ去ったらしい。

 太刀筋を見る限り一刀流の達人。動きは限りなくしなやかで無駄がない。平隊士の中では沖田先生にも匹敵するのではないかと囁かれているほどだ。

「アハハ、いやだなぁ」

 沖田先生は、いろんな意味に取れる「いやだなぁ」を言いながら、自分の刀を打粉でパタパタ手入れしている(=やる気満々だ)し、

「本腰を入れんとな……」

 近藤先生の眉間も限りなくおっかない。

 いずれにしても、新撰組に流れている空気は、春の花たちがもたらしてくれているさわやかなものだけではなかった。

「クックックック、また新しいうどんを思いついてしまったぞ」

 ……コノヒトはいつもどおりだけど……。

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