第十三話 会津中将様、御来店
後日、会津藩より正式な通達があった。
「事情は分かった。咎めはせぬので、一層励め」という主旨であり新撰組は存続が決まる。
書面に深々頭を下げる近藤先生と、むっつり黙ったままの土方先生が印象的だったけど、その土方先生も最後の一文には表情を変えた。
「なお、上様より、機あらば一度土方のうどんを食したいものだという言葉を頂きましたので書き添えておきます」
要約すればそういった言葉が候文にて書かれていた。
「上様とは……」
「会津中将に他なるまい」
土方先生が色めきたった。殿様にうどんを食わす。面白いじゃないか。と。
「それで認められたらすごいな、歳」
「ああ」
「すぐに最高級の具材を用意させよう」
「いや、いつものままでいくさ」
「いつものままでは失礼に当たらないか?」
「近藤さんにとって、俺のうどんは足らんか?」
「いや、大したものだと思っている」
「それを出したい」
そしていそいそと屯所から消えていく土方先生。
最近思う。あの人はうどん作りが楽しくてたまらないんだ。
会津藩側とは、その後何度かやりとりがされた。その際驚いたことに、土方先生は馳走する場所を新鮮組としたのである。
え?なにか問題でも?とか思うかもしれないけど、だって相手は殿様だよ?
相手を呼びつけてうどんを食わせるなんて生まれついての家臣などでは恐れ多くて絶対にできないことだと思う。
土方先生はそれを平然と要求した。
当然会津側は困惑したようだし、激怒した人もいたらしい。
しかし、土方先生の「最高の味は出来たてにのみ出る」という言葉と、事情を聞きつけた会津中将様の「了承した」というあまりにさわやかな二つ返事で、あれよあれよと話が運んでしまった。
温厚で知られる仁君だからなのか、それとも殿様もたまには羽目を外したかったのか……
いずれにしても普段町人でごった返すうどん屋に、会津の大殿様がいらっしゃることになったわけだ。
その様は実に仰々しかった。
武装した藩兵の物々しい警護は四条通を埋め尽くし、まるで御出陣でもされるのかという構えだ。
しかたないとは思う。京で過激浪士たちを片っ端から取り締まる指示をしているのは会津中将様なわけで、少数でふらふらとこのような庶民の場に現れるなど、殺してくださいと言っているようなものだ。
しかしこれではまるで新鮮組が、さながら本能寺の如し。討ち入りされたらさしもの土方先生でも炎の中で切腹するしかないだろう。
会津藩兵にはこたびのことでご立腹の方もいらっしゃるようだし、ぽっと出、無名の浪士集団、新撰組を仲間として認めていない向きもある。
この件を明治の今になって振り返れば、表向きは会津中将と土方先生の心温まる親交企画?でも、脇を固めるすべての者たちにとっては~~事件とか、~~の変とか名前をつけてもいいんじゃないかというような類の出来事であったように思う。
会津中将様は大名篭から降りると客払いのされた店内に悠々と足を運んだ。新撰組のお歴々は皆横一列になって並んでいる。進み出たのは局長、近藤先生だ。
「よくぞ起こしになられました。一同恐悦至極に存じまする」
「土方はおるかの」
「ここに」
先生がほぼ後ろを指し示せば、そこには新鮮組料理長、土方歳三先生の姿がある。会津様は言った。
「そちの士道を賭けたうどんなるものを賞味しにきた」
「どうぞごゆるりとご堪能くださいませ」
土方先生は不器用に頭を下げると厨房へ引いた。入り口を固めている会津藩兵が相変わらず物々しい。会津中将が一言「まずい」とでも言おうものならどっとなだれ込んできそうな威圧感だ。
そもそも、大殿様がただの浪士に直接声をかけるということ自体ありえない話で、儀礼を重んじる家臣たちにとってはきっと、目が飛び出るほどの感情がある。
厨房脇を固めている新撰組幹部の人たちの表情も硬い。土方先生に粗相あればすぐにとりなせという命令が近藤先生からも下っている。
やがて、厨房から一杯のどんぶりを抱えて出てきた土方先生だったが、それが会津様に至るまでに、家臣が数名、走ってそれを止めた。
その勢いに新撰組側も飛び出そうとするが、
「お毒見でござる!!」「毒のご検分をいたしまする」
口々に毒を疑う声を聞いて立ち止まる。土方先生が眉をひそめた。
「会津様の分しか作っておらぬが」
「それで結構。それがしどもが検分いたしまする」
「拙者どもが口に含み、四半刻(三十分)の後、両名に異常なき場合、合格でござる!!」
「馬鹿な!!」
思わず叫ぶ土方先生。当たり前だ。うどんを三十分も放置することの愚かさは書くまでもない。殿様が麺類を食す時はいつもこうなのか。
「毒見はよい」
会津様も言うが、
「なりませぬ!!」「いけませぬでござる!!!」
頑として譲らない毒見役。しかし土方先生も譲らない。
「うどんがまずくなるだろうが!」
「慣習ゆえ!」「上様がお毒見をせずお口に物を召すことなどはござらぬ!」
「四半刻も置いてうまいうどんなどできるか!!」
「万が一も駄目駄目ゆえ!!!」「いかんでござる!!」
時代考証を無視しきったゴザル集団が、先生を会津中将様に、一歩も近づかせない構えだ。
「まさかあてつけか?」
土方先生の目が光った。あるいはこれは、新撰組いびりの一つなのかもしれない……と、僕も思い始めていたところだった。
「貴様ら、新鮮組がこの席で粗相をすることを望んでいやがるんじゃあるめぇな」
「滅相もないでござる」「人聞きの悪いことを言うなござる!!」
しかし、そうでなかったらしい。
土方先生の次の言葉が、店内に静寂を呼び込む。
「あるいは、貴様らも食いたいのか!?」
「え?」「え?」
「食いたいのか?」
「あ、いや、その……。……ござる!!」「ござる!!!」
「ほぅ……」
土方先生、僕を手招きしてどんぶりを手渡すと、「その発想はなかったな」と呟いた。そして会津中将様に再び会釈。
「会津様。どうせ四半刻待たねばならぬのなら、四半刻お待ちいただけますか」
「相分かった」
殿様二つ返事。この殿様は実はすっげーいい殿様なんじゃないだろうか。
「おい、毒見」
先生の手招きが、毒見の方に向く。
「今から共に厨房へ入っていただこう。同じ粉で打って同じ釜で煮たうどんを複数用意させていただく。その課程で毒を含む余地などないことを検分すればいい」
そしてさらに、先生は隊士の名をいくつか呼んだ。
「総司、左之助、そして平五郎手伝え。今より四半刻の間に外詰めしている藩兵の分も含め千食のうどんを作る」
「ええええええええ!!!!!!」
……先生は時々とんでもないことを言い出す。
なのに毎回驚いてるのは僕だけ。左之助さんはやる気満々。沖田先生なんてただ笑っているんだ。
「馳走になった」
会津中将様のその顔が、その声が、今日のうどんの出来をそのまま表しているかのようだった。
「土方、そちは佐々木に対して『己の信ずる志に対して、死を賭して働くことこそが士道』と言うたそうじゃな」
「左様です」
「その士道とやら、しかと見届けた気がするぞ」
千人前のうどん……もちろん外の藩兵たちの分は、『お試し』的な分量とはなったが、確かにすべて行き渡った。会津中将様がそう述べたのはたぶん、その心意気に、うどん……ひいては信ずる志に対する誠実さを見たためだろう。
「一つ訊きたい」
大殿様の目に今日一番の迫力がこもる。
「そちの志の内に、この容保はおるか」
「無論」
僕にとって、土方先生は意外な一言を、それも即答した。会津中将様は頬を緩め、
「それを聞いて安堵した。新撰組のますますの発展と働きに期待する」
会津中将様は一点、それだけを土方先生に聞きに来たんじゃないか……。そう思える表情をして、やがてうどん処新鮮組を辞した。




